優秀作品一覧

すっかり遅くなりましたが、最終講評会で提出された優秀作品の画像を公開しました。
事務局にデータが提出されていない作品については、公開できていませんが、ご了承ください。

●最優秀賞:
西山広志・奥平桂子 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻2年

●優秀賞:
藤原佑樹 和歌山大学 システム工学部・環境システム学科3年
山下孝典 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻2年

●佳作:
牧野正幸 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科4年
山下晋彦 和歌山大学大学院 デザイン科学クラスタ1年
八島健介 日本大学大学院 生産工学研究科建築工学専攻1年
折附隼輝 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科4年
水野貴之 関西大学 工学部建築学科3年
高木 翔 千葉工業大学大学院 建築都市環境学科2年
南野 望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科3年

オープンスタジオ2009のお知らせ

オープンスタジオ2009のブログが立ち上がりました。
http://envopenstudio09.blog62.fc2.com/

【最優秀賞】西山広志・奥平桂子/大きな器は建築になる

大きな器は建築になる
西山広志・奥平桂子 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 2年

西山広志・奥平桂子/大きな器は建築になる

【優秀】山下孝典/森のギャラリー

森のギャラリー
山下孝典 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 2年

山下孝典/森のギャラリー

【佳作】牧野正幸/「穴」

「穴」
牧野正幸  神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

【佳作】牧野正幸/「穴」

【佳作】山下晋彦/苔小屋

苔小屋
山下晋彦  和歌山大学大学院 デザイン科学クラスタ 1年

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【佳作】八島健介/∞


八島健介 日本大学大学院 生産工学研究科建築工学専攻 1年

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【佳作】折附隼輝/カーペットの家「あっかんべ〜」

カーペットの家「あっかんべ〜」
折附隼輝 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

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【佳作】南野望/book mark

book mark
南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年

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お知らせをいくつか

新年おめでとうございます。
昨年はこの企画とサイトに関心をもっていただき、ありがとうございました。

さて、お知らせをいくつか。
入賞者の皆さんへは、年末に図面のデータを送っていただくようお願いしました。締め切りはこの連休明けだったと思いますので、どうかよろしくお願いします。
それが集まり次第、冬休みにこちらで撮影した模型写真とともに、このサイトに最終作品を掲載する予定です。同時に、当日のレポートもまとめたいと思っています。
また、青木さんと私からの最終コメントも整理して各自にお届けするつもりですが、これはもう少しお待ち下さい。

今年もこの企画はテーマ等を変えておこなう予定です。どうぞお楽しみに。

                                   花田佳明

architecturephoto.netに取り上げられました

architecturephoto.net サイトに最終講評会のレポートがのっています。
ぜひ、ご覧下さい。

受賞者の発表&優秀作品展のお知らせ

12月13日(土)にオープンスタジオ2008「青木淳と建築を考える」の最終講評会が開催されました。
結果は、次の通りです。なお講評対象全10作品の模型とパネルが、神戸芸術工科大学内ギャラリーセレンディップにて展示されていますので、ぜひ足をお運びください。

また当日の様子が環境・建築学科サイトで紹介されています。合わせてご覧下さい。
このサイト上でも、改めて報告を行いますので楽しみにしていてください。

●最優勝賞:
西山広志・奥平桂子 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻2年

●優秀賞:
藤原佑樹 和歌山大学 システム工学部・環境システム学科3年
山下孝典 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻2年

●佳作:
牧野正幸 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科4年
山下晋彦 和歌山大学大学院 デザイン科学クラスタ1年
八島健介 日本大学大学院 生産工学研究科建築工学専攻1年
折附隼輝 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科4年
水野貴之 関西大学 工学部建築学科3年
高木 翔 千葉工業大学大学院 建築都市環境学科2年
南野 望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科3年

▼優秀作品展のお知らせ
日時:2008年12月13日〜18日 10:00-18:00
場所:神戸芸術工科大学・ギャラリーセレンディップ
   大学へのアクセス方法はこちら

牧野正幸/「穴」

「穴」
牧野正幸  神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年 

穴

[講評]
同心円を上から見た写真が美しい。柔らかい素材でつくられているのだろうか。そのせいで、幾何学的な厳密な円とは異なって、三次元的フリーハンドとでも言っていいだろう柔らかさがあって、それがいい。こういう環境の遠景としての見え、またそのなかに入ったときの感覚、どちらも説得力がある。だから、それを、どのように物質化してくれるのかが楽しみです。(青木淳)

藤原佑樹/あちら側の自分。

あちら側の自分。
藤原佑樹  和歌山大学 システム工学部環境システム学科 3年

あちらの自分。

[講評]
自然の光がつくるうつろう空間。それは自然を素材とした一種の物語のようなものを想像します。1年を通しての、また1日ごとの、その長大な物語は、無限の可能性があるでしょう。そのなかで、この作者がどのような物語を紡いでくれるのか。そこに興味を持ちました。(家形を原型とする必然性はなさそうです。)(青木淳)

山下晋彦/苔小屋

苔小屋
山下晋彦  和歌山大学大学院 デザイン科学クラスタ 1年

苔小屋

[講評]
真ん中に立っている模型の木がすばらしい。この木を核にして、それと張りあえるだけの「苔の世界」になるといいです。まだまだ「小さなモノ」の集まりが、ひとつのかたまりに感じられるまでになっていないようですけれど、きっと最終的には、中央(のままがいいかどうかは考えどころ)の大樹と、なるほどなあと思える関係をとりもってくれることでしょう。(機能は忘れた方がいいです。)(青木淳)

山下孝典/森のギャラリー

森のギャラリー
山下孝典 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 2年

森のギャラリー

[講評]
図面最上部に描かれている立面(らしきもの)が魅力的。山脈の連なり、と言ったらいいか。その姿と平面の姿の、ある意味でのギャップが、この案をもっと膨らませるきっかけになるはず。それから、細胞のようなひとつひとつの区画単位のなかで、小さな三角形の部分が自然に特異な場所になっていることもおもしろい。スケールの差があるからです。そんなことを頭にとめながら、大きな模型をつくってみましょう。(壁に開けられている開口のかたちは、まだまだピンとくるものにはなっていません。)(青木淳)

八島健介/∞


八島健介 日本大学大学院 生産工学研究科建築工学専攻 1年

∞

[講評]
ティッシュペーパーのきわだっていることは、柔らかいのに、かたちを保持できるというところでしょう。しかも、なめらかで、軽い。そこが、ほかの紙とは、ずいぶん違っている点。そんな素材が生むかたちを、実際の大きさにまで大きくしていったとき、その質を変えずに、どう現実化できるか。そこが難しい。まだまだ難題が待っていますが、でも、大変にすばらしい出発点だと思います。(青木淳)

折附隼輝/カーペットの家「あっかんべ〜」

カーペットの家「あっかんべ〜」
折附隼輝 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

カーペットの家「あっかんべ〜」

[講評]
写真に映っている模型の壁が薄く半透明です。それから、ほとんどの要素が抽象化されているなかで、窓だけ枠が(たぶん)バルサでつくられていて、具象的です。なぜそうつくったのか、興味深く思いました。この模型によって得ようとした感覚を、どうぞ、もっと育て、より模型として定着してみてください。(青木淳)

水野貴之/ミチクサ

ミチクサ
水野貴之 関西大学 工学部建築学科 3年

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[講評]
草むらのような、という着眼点がいいです。林立する細い棒の太さ、配置(グリッドとかランダムとか)、密度が異なると、まったく別の環境になります。そのことに気づけば、壁を棒の林立に置き換えるという方法ではなく、その太さ、配置、密度の変化によって、多様な空間をつくりだすことができるはず。そんなスタディをしてくれると、いい案になると思います。(青木淳)

高木翔/ただ街の中にゆらめきがあること

ただ街の中にゆらめきがあること
高木翔 千葉工業大学大学院 建築都市環境学科 2年

(無題)

[講評]
光のあたり方で、奥行感とか、まるっきり様子が変ってしまう環境になってしまう。すでに写真では、そのおもしろさがかなりうまく表現されています。今度は、そうした多様な様相が実際に生まれるためには、どのような形の空間がもっともおもしろいか、それをどういう方位に置けばいいのか、また、どのような膜の張り方がいいのか、ということを模型を使ってよくスタディしてみてほしいと思います。(この形の建物でいいか?床スラブをただ膜に置き換えればそれでいいか?)(青木淳)

西山広志・奥平桂子/大きな器は建築になる

大きな器は建築になる
西山広志・奥平桂子 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 2年

大きな器は建築になる

[講評]
やや歪んだ器のかたちがとてもいい感じです。この「器」によって、器の内外にどんな世界が生まれるのか。そしてその世界の質をもっとよくしようとすれば、器のかたちはどうなっていくのか。特に内側の世界は、微妙な風景の変化をつくることができそう。この器の内外をどうつなぐといいのか。いろんな展開の可能性があって楽しみです。(青木淳)

南野望/book mark

book mark
南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年

bookmark

[講評]
ページが束になるとひとつの塊になるけれど、本を立てると、それがばらけ、それぞれのページがひとつひとつ個性あるものとして見えてきます。ページとページの隙間から、活字や写真や色が見えもする。本によって紙質が違うわけだから、ページのしなり方も違ってくる。個性あるものの集合による全体。写真からは、そういうことが、読み取れて、その感性がおもしろいと思いました。もっとも、それと説明文のパソコンと本との話とがどう関係するのか、まったくの謎でしたけれど。(青木淳)

最終講評会プログラム

最終講評会は以下の予定で実施します。

日時:
12月13日(土)13:00〜

会場:
神戸芸術工科大学 吉武記念ホール及びカフェ

プログラム詳細:
13:00 - 13:10 : はじめに
13:10 - 14:40 : プレゼンテーション(1人6分)

14:40 - 15:00 : 休憩

15:00 - 16:15 : 講評会(75分)
16:15 - 16:30 : 受賞者の決定と全体講評(15分)

16:30 - 17:00 :休憩

17:00 - 17:15 : 表彰式
17:15 - 18:30 : 懇親会

※講評会対象者の作品10点は1週間程度、
 本学セレンディップギャラリーにて展示を行います。
※日本建築学会主催の第49回全国大学・高専卒業設計展示会
 が同じ場所にて開催されます。

最終講評会に向けて

最終講評対象者は、以下を良く読み、最終講評会に向けてブラッシュアップ作業を進めてください。

■提出物
・A1パネル1枚(パネル化すること) 表現方法は自由
・模型
 上記2点を当日持参すること

■プレゼンテーション
・1人6分のプレゼンテーションを パソコンを用いて行ってもらいます。
・パワーポイント、スライド、映像などの表現方法は自由です。

■ウェブサイト上でのやり取り
・最終講評対象の10作品に対しては、一つひとつ青木教授のコメントを掲載しています。
・選ばれた人は、このコメントを良く読み、 必ず一言コメント欄に書くこと。
・そのコメントに対して、青木教授と花田教授からのコメントがつきます。
・公開授業ですので、今後はウェブ上で、先生方とのやり取りをしながら、最終講評会に向けてのブラッシュアップ作業を行ってください。

担当教員/対象

■ 担 当 教 員
 青木 淳( 建築家・本学客員教授 )+ 環境・建築デザイン学科教員

■ 対 象
 本学環境・建築デザイン学科学生または大学院生、および本学以外の建築
 関連の専門学校生・大学生・大学院生。
 個人参加を前提とし、2人までの共同制作は認める。

応募登録

 このオープンスタジオに参加を希望する学生は、次の事柄を書いてメールにて8月1日以降に登録を行うこと。応募登録者には、登録番号を10月10日頃までにメールにて返信する。
 
登録締切:
 9月30日必着
 
件名:
 オープンスタジオ2008への参加申込
 
内容:
 氏名(ふりがな)・在籍校・学科名・学年・メールアドレス( 携帯不可 )
 
送信先メールアドレス:
 env-office[at]kobe-du.ac.jp
 ↑[at]を@に置き換えること。
 
※共同制作の場合はその旨を明記し、2人それぞれの氏名(ふりがな)・在籍校・学科名・学年を書いて登録すること。メールアドレスは代表者のみを記入。
※無事に受け付けられた場合は、自動返信で受け取りの案内が送られるので確認すること。

スケジュール

■登録締切 

  9月30日(火)必着 (メール以外は受けつけない)

■公開講義及び中間講評会:

 日時: 10月4日(土)
 

 14:00〜  青木淳教授による講義
 16:30〜  中間講評会( 神戸芸術工科大学の学生作品のみ対象 )
 
 会場:神戸芸術工科大学 吉武記念ホール →アクセス方法

■作品提出日

 ・本学学生以外:10月31日(金)必着( 持込み不可 ・郵送のみ受付 )
 ・本学学生及び大学院生:同日17:00までに環境・建築デザイン学科事務室

■成績優秀者の発表

 11月初旬

 青木淳教授が優秀作品を10作品程度選び、選ばれた人にはメールで通知するとともに、ホームページにて発表する。これらの作品の制作者は、最終講評会で青木淳教授や本学教員による講評を受ける。
■最終講評会及び懇親会

 日時:12月13日(土)
 

 13:00〜16:30 最終講評会(※)
 17:00〜18:00 懇親会
 
 会場:神戸芸術工科大学 吉武記念ホール及びカフェ →アクセス方法
 希望者は自由に参加できる(入場無料・席は先着順)。

※優秀作品制作者(10名程度)は、提出した作品をさらにブラッシアップした上で、最終講評会にて発表し(対象者には、別途メールにて詳細を連絡する)、その際、青木淳教授や本学教員による講評を受ける。最優秀作品・優秀作品を決定し、最優秀、優秀作品に選ばれた人には、青木淳教授から賞状及び賞品が贈られる。
■ 優 秀 作 品 展 示 会

 成績優秀者の作品は、最終講評会後1週間程度、本学「セレンディップギャラリー」にて展示を行う。 詳細は後日、このホームページ上に掲載する。展示作品は、自由に観覧可能。

作品の提出方法

□提出物 
以下3つのものを提出すること。1人(1グループ)1作品に限る。

 ・A2サイズ(420mm×594mm)の図面1枚。片面使い。
  ただし、立体、額装、パネル化は不可。
 ・PDFデータを保存したCD-R1枚 10MB以内
  ファイル名は受付番号+姓[半角].pdfとする。(例:001yamada.pdf)
  CD-R上にも同じファイル名を記入すること。
 ・応募用紙[PDF:420KB] →ダウンロードして必要情報を記載する。

□内容

模型写真、配置図・平面図・断面図・立面図などの図面、コンセプト等を説明する文章、その他必要と思われるもの。縮尺、表現方法は自由。

□登録番号の記載

応募図面の表面右下に3cm角の正方形を描き、その中に登録番号のみを明記する。
応募者を特定できる内容は記載しないこと。

□質疑

この課題に関する質疑は一切受けつけない。但し、このホームページ上で参考情報を掲載する予定なので、このホームページを随時確認すること。

□送付先

 〒651-2196 神戸市西区学園西町8-1-1 神戸芸術工科大学
 環境・建築デザイン学科 事務室「オープンスタジオ課題提出」係

注意事項/サイトポリシー

■応募にあたっての注意事項


  • 応募作品は未発表のものに限る。

  • 提出作品の返却はしない。

  • 優秀作品の最終講評会にあたっては、模型、図面等は各自で持参すること。その後に開催される展示会終了後に作品の返却は行わない。したがって、必要な場合は展覧会終了日に各自で取りにくること。なお、最終講評会のために来学する場合の交通費等は支給は一切しない。

  • 本企画の参加作品の著作権は応募者に帰属するが、全応募作品及び最終講評会での発表作品の発表(ホームページ上の掲載、及び出版物への掲載等)に関する権利は神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科が保有する。

  • 入賞後に著作権侵害やその他の疑義が発生した場合は、すべて応募者の責任となる。また、その場合は、主催者の判断により入賞を取り消すことがある。

  • 本企画への参加に伴い得た個人情報については、その他の目的には使用しない。

■サイトポリシー


  • このホームページ全体及び掲載されている個々の情報(文章、写真、イラストなど)は全て著作権の対象となっており、日本国著作権法及び国際条約により保護されている。

  • このホームページに掲載されているコンテンツのうち、明記されているもの以外の著作権は全て神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科に帰属する。

  • このサイトの内容の全部又は一部について、引用転載複製を行なう場合は、必ず出所を明示すること。

  • このホームページの内容の全部又は一部について、神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科に無断で改変を行うことはできない。

  • このホームページ上に掲載された記事、投稿されたコメント等の出版物への掲載等に関する権利は神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科が保有する。

  • このホームページ上にコメント等を投稿する場合は、所属と実名を公開することを条件とし、無記名の場合は投稿者に断りなく削除する。

[お知らせ] 最終講評会での講評作品が決まりました

最終講評会で講評する作品10作品が決まりました。
詳しくは、こちら、を見てください。
また公開授業ということで、選抜者と青木教授、花田教授とのコメントのやり取りも始まります。

いよいよ最終講評会です。

12月13日(土)の最終講評会が近づいてきました。
選抜された10人の皆さんは、準備に忙しいことと思います。

ウェブ上での青木さんとのやり取りはいかがでしたか。
彼のコメントは実に興味深く、僕も読者として、楽しんだというより、しっかり勉強させてもらったという感じでした。口をはさもうかなとも思ったのですが、そういう余地がありませんでした。彼がどんなふうにモノや空間を見ているのかを知るよい機会にもなり、青木淳論を考える貴重な資料を採集できた気すらしました。

さて、10人の皆さんが、以前に提出された「模型」からどのような「建築」へとデザインを展開したのか、本当に楽しみです。当日は緊張せず、思う存分プレゼンテーションや発言をして下さいね。

最終講評会も公開形式です。
この企画に関心をもってくださった多くの皆さんの参加を期待しています。
また同じ建物内のギャラリーで、建築学会の「第49回 全国大学・高専卒業設計展示会」も開催していますので、ぜひそちらもご覧下さい。

当日のスケジュールは以下の通りです。
一般の方は13時までに会場(本学の吉武記念ホール)にお入りください。

選抜された10人の方は(別途メールもしましたが)、11時に吉武記念ホールに集合して下さい。皆で調整・準備をしたいと思います。

では、本学以外の皆さんは遠くからでたいへんですが、気をつけて神戸に来て下さい。
お目にかかるのを楽しみにしています。

                             学科主任・花田佳明

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[準備]
11:00 - 12:00 : 集合(吉武ホール)
         リハーサル・会場づくり
         パワーポイントのチェック、模型の設置場所の検討 など
12:00- 13:00 : 昼休憩(本学の学食・カフェは通常営業しています)
 
───────────────────────────
[最終講評会]
13:00 - 13:10 : はじめに
13:10 - 14:40 : プレゼンテーション(1人6分)
14:40 - 15:00 : 休憩
15:00 - 16:15 : 講評会(75分)
16:15 - 16:30 : 全体講評(15分)
16:30 - 17:00 :休憩
17:00 - 17:15 : 表彰式
17:15 - 18:30 : 懇親会

課題内容

チラシ表

「 模 型 か ら 建 築 へ 」

建築ごとに、そのもっとも肝のところは、ずいぶんと違います。ある建築にとっては、そのすばらしく明解な構成が、肝なのかもしれません。また、他の建築にとっては、その空間が持つ得も言われぬ雰囲気こそが、肝にあたるのかもしれません。どういう側面が最も大事なのかは、建築によって異なります。だからこそ、建築には無限の可能性がある、とも言えるわけですけれど。

肝とすることが異なれば、その建築をもっとも的確に表現する方法も、おのずから異なってきます。同じく模型を使って表現するにしても、そのつくりかたは、その建築の主題にあわせて、ずいぶんと違ってきます。

「いい模型のつくりかた一般」というものがあるのではなく、建築の主題ごとに異なる、無数のもっとも適切な模型のつくり方があるのです。

このことを逆から言えば、ある模型のつくり方、表現には、そこから自然に導き出されてくる建築の姿があるはずです。その模型を見て「いいなあ」と思うことを体現する建築が、きっとあるはずなのです。だから、あなたが今まで見たことのない模型表現をまず考えてみてください。そして、その表現方法にあった建築を構想してみてください。

──────────────────────────────────────
■チラシのダウンロードはこちらから
【表 PDF:769KB】  【裏 PDF:430KB】

最終講評作品の発表

応募作品の中から、青木教授が以下の10作品を最終講評会での講評作品として選びました。選ばれた学生は、最終講評会に向けて準備を進めるようにしてください。

最終講評対象作品(登録番号順)
牧野正幸 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科4年
藤原佑樹 和歌山大学 システム工学部・環境システム学科3年
山下晋彦 和歌山大学大学院 デザイン科学クラスタ1年
山下孝典 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻2年
八島健介 日本大学大学院 生産工学研究科建築工学専攻1年
折附隼輝 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科4年
水野貴之 関西大学 工学部建築学科3年
高木 翔 千葉工業大学大学院 建築都市環境学科2年
西山広志・奥平桂子 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻2年
南野 望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科3年

なお、今回のオープンスタジオ2008の最終作品についての選考は、次のような方法で進めました。
全国から120の登録があり、応募作品は60作品(内訳は以下)でした。
無記名の応募作品を全て青木淳教授一人が目を通し、上記10作品を選びました。

応募作品内訳
※数字は作品数(合作も1としてカウント)
神戸芸術工科大学(M:2 4年:4 3年:6 2年:6 1年:2)
 ※うち1点は武庫川女子大2年と共作
和歌山大学(M:2 3年:5)
九州大学(M:1)
工学院大学(M:1)
京都工芸繊維大学(2年:1)
京都女子大学(2年:1)
京都府立大学(3年:1)
バンタンキャリアスクール(1年:7)
摂南大学(2年:1)
日本大学(D:1)
大阪工業技術専門学校(2年:15)
関西大学(3年:1)
千葉工業大学(M:1)
神戸大学(2年:1)
京都大学(5年:1)

[お知らせ] 青木先生に図面を送りました

たくさんの応募ありがとうございました。
昨日、全図面を青木先生に送付しました。

この中から、最終講評会で講評をする作品が選ばれます。

選ばれた作品は、11/17頃に本サイトにて、
青木先生のコメントとともに公表予定です。
また、同時に対象者にはメールで連絡します。

[お知らせ] 登録番号送付

追加登録の受付も終了しました。
現在、受付済みの登録者全員に登録したメールアドレス宛に、
登録番号を送付しました。

登録をしたのにも関わらず、登録番号が届いていない場合は、
env-office[at]kobe-du.ac.jp (atを@に置き換えのこと)
までメールにて問いあわせてください。

【対話篇 青→花 10】RE: 中間講評会を終えて

こんにちは。青木です。
この前の土曜日は、お世話になりました。
(会場の準備をしてくださった方々には、とくにお世話になりました。ありがとうございました。)

ぼくも、中間講評会があってよかった、と思いました。
自分では言うまでもないと思っている前提というものがあって、でもそういうものは、やっぱり言わなければ伝わらない。それにいまさらながら、気づきました。

ひとつは、花田くんが書いているように「敷地が必要」ということです。もちろん、これは具体的な、どこどこの敷地という設定が必要ということではありません。そうではなくて、日常の世界との接点をもっていてほしい、ということです。

「感覚誘導装置」とでも言っていいような空間があります。たとえば、「アイソレーション・タンク」とか。なかに入って、光や音が外界から遮断された状態で、比重の重い液体に寝そべって浮かぶための容器のことです。アイソレーション・タンクは、たしかに人を一種の瞑想状態に誘います。ある強い非日常的な感覚を人にあたえます。でも、その非日常性は、日常とは切れています。金沢21世紀美術館にある、ジェームス・タレルの<ガス・ワークス>も、タンクのなかに入る作品ですね。台の上に寝かされて、そのままタンク内に滑り込まされて、視覚を奪われながらも強烈な光の体験があたえられる。こちらの方は、一度、体験させてもらったことがあるけれど、いや、実に刺激的でした。でも、同時に、すごく「やだなー」と思いました。

なんで「やだなー」と思ったか、というと、その体験が日常から切れているからです。その体験が日常から切れているものはいや。だから、ぼくは「建築」をやっています。
と思ってきたわけだけど、ふと見まわしてみると、「美術」だって、「文学」だって、「映画」だって、「音楽」だって、どんなところにも、放っておけば、日常から切れてしまいそうなものを、なんとか日常あるいは現実につなぎとめようという努力があることに気づきました。そうして、ぼくはジャンルを越えて、そういうものに、いいなあ、と思うわけです。

「敷地が必要」というのは、おうおうにして日常から切れた「感覚誘導装置」になりがちなものを、なんとか日常につなぎとめるようにしてほしい、ということなのでした。

ということで、ではまた。

[報告]公開講義&中間講評会

10/4(土)に青木教授による公開講義と中間講評会が開かれました。

公開講義写真

まずは、青木教授による公開講義「模型で考える」。

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対話篇でも話題になった「晶洞(ジオード)」の話もありました。
その後20分の休憩をはさんで、2年生から院生まで7人の学生の模型をみながらの中間講評会。
大ホールの舞台に並ぶので、学生は少し緊張気味。

中間講評会全景

一つひとつの模型を会場からも見やすいようにビデオで大きく映しながら、一人ひとり簡単に説明。

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一通りの説明の後、青木先生から一つづつ講評が行われました。

中間講評会ビデオ

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全ての講評が終わった後、青木先生と花田先生の全体講評がおこなわれました。

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この様子は、花田先生が対話篇の中で詳しく書いてますので、そちらを読んでください。
最終講評会も同じ場所で行います。どの作品が壇上にあがるのか、楽しみにしています。

[お知らせ] 追加登録の受付をします。

10月4日の中間講評会が無事に終わり、今回の課題のめざすものがだいぶ明らかになっ
てきました。
おそらくそれゆえでしょうが、当日の参加者の中から「これなら今から登録したい」
という声が上がりました。
とても嬉しい声です。
そこで、この企画はコンペではなく授業なのだからいわゆる「履修登録変更期間」が
あってもおかしくない、という理屈を考えました。
せっかくの機会なので、やる気のある人にどんどん門戸を開きたいと思います。

10月10日(金)まで追加登録を受付けます。
希望者はぜひ登録してください。見る前に跳べ!

登録方法はこちらを参照のこと。

[対話篇 花→青 9] 中間講評会を終えて。

10月4日(土)、青木君の特別講義とオープンスタジオの中間講評会、無事終わりました。お疲れさまでした。
参加者は、学内からと学外から半々くらいでしたね。「応募登録したひと手をあげてー」と尋ねるとたくさんあがりました。期待大。

特別講義は、メルクリとの展覧会に青木くんがスタディ模型を提出した住宅の設計プロセスを、そのときの模型や図面で詳しく説明してくれました。
99案の関係は相変わらずスムースに頭に入っては来ませんし、その一方で最終案がなぜ最終案として青木くんが納得したのかもわかるような気もするし、でもそれは残り98案の上に成立しているようには見えないし、というわけで、相変わらず青木くんの設計プロセスは謎に包まれたままなのですが、しかしそのことよりも、99案および現在も条件を変えて同じ敷地で続いているという多くの別案のスタディの圧倒的な迫力というか、青木くんが、まさに建築という「言葉」を巧みに操って「文章」を組み上げている様子が、圧倒的な生々しさで伝わって来ました。こんなの見ていいの、見せていいのという感じでした。建築の設計プロセスが直線的であるはずはないと頭ではわかっていても、どこかそれを期待する部分があるとしたら、この生々しさが、そういう幻想を完全に打ち破ったと言い換えてもいいです。

さて、今回は芸工大の学生7名の作品の講評でした。
学部2年から修士2年までいたので、作品のレベルもさまざまでしたが、普段の課題でも、中間講評はとにかく問題点の早期発見、課題の目指すものの確認、そしてその超え方への感触の獲得が最大の目的なので、その意味では、価値ある会だったと思います。

いずれ出現させたいと思う空間の質を示す「模型」を考え、それを「建築」化する際には、それによって現実の空間の一部を変化させていること。課題の主旨はそういうことなんですね。
もちろん設計とは常にそれをやるわけだけど、実際の仕事では相当意識的でいない限り、「いずれ出現させたいと思う空間の質」はできあがってしまった「建築」が結果的に決めてしまっているということになりがちです。
今回の課題は、その「いずれ出現させたいと思う空間の質」を、あらかじめはっきりと認識し、そこから出発しようということなんですね。しかも「あらかじめはっきりと認識」する手段として「模型」を使う。だからその「模型」は、いつも作り慣れている模型とは、素材もスケールも違うはず。
感覚で考える、みたいな矛盾したことが必要なんだろうな。感覚を研ぎ澄ませて、それにフィットした「模型」になっているかどうかを考え抜く、というか、感じ抜く。
でも、考えるっていうことは、どんな場合でもそういうことだけどね。

その次には、「模型」から「建築」への距離もよーく考えてほしい。
講評のときも言いましたが、Y君の「ブランコ」を例にすれば、「重力からの自由な状態」の象徴として「ブランコ」や「ターザン」を「模型」として示すのはいいとしても、それを「吊られた構造」へと「建築」化したのではつまらないということです。
そうではなくて、たとえば、「重力から自由」→「場所がひとつに固定されない」→「ここにいるのにあそこにいるような気がする」と連想を進めると、青木くんがリュベトキンのペンギンプールのスロープを例に言ったような感覚(=「ペンギンに見られているだけでなく、自分もあのスロープをよちよち歩いているような感覚に襲われる」)が得られるからこそ、単に構造的に浮いて見えるからではなく、それが「重力から自由な状態」の「建築」化だということになるわけです。
よーく考えよう。

ところで、青木くんが、7作品すべて「敷地」がないのは変と指摘してたけど、学生諸君はきっと「え、敷地がいるのか」という感じではなかったかな。梯子をはずされた感じがしたかもね。
このあたりが青木くんの青木くんたる由縁という気がしますが、??と思った人は、表参道のルイヴィトンについて『新建築』に彼が書いた解説を読むといいよ。それでわかると思う。

中間講評の希望者は、なぜ男子学生ばかりだったんだろう。
偶然と思いたいけど、こうやって長々と議論すればするほどその意味が無くなっていく感じがすることから明らかなように、今回の課題は、まさにそういった「男性的な発想」の対極が求められていると思います。それをできるのが女性だ、などとは必ずしも思いませんが、男性である私としてはものすごく期待してしまいます。
ハナダはふだんから理屈っぽい、ゆえにハナダが関わっているこの課題は理屈っぽい、という推論は成り立たないからね。理屈っぽいハナダが自分の理屈じゃ到達できない世界を探している。そう思ってねと、これは学内女子学生さん向けメッセージ(笑)。

[お知らせ] 参加登録の受付を終了しました

昨日をもって、参加登録の受付を終了しました。
今週10/4は、公開講義&中間講評会です。
多数の参加をお待ちしてます。

[お知らせ] 登録締切は本日中です

オープンスタジオ2008への登録受付本日(9/30)中で締切ります。
登録し忘れのないよう、気をつけてください。

件名等が正しく書かれていない場合は、上手く受け付けられないこともありますので、
送信前に、もう一度、記載内容を確認するようにしてください。

[お知らせ] 登録受付は明日までです

オープンスタジオ2008への登録受付は明日までです。
これまで、全国の大学、大学院、専門学校のさまざまな学年の方から登録がありました。
参加しようと思っている人は、登録を忘れないように注意してください。

正しく件名がかかれている人には、受付の案内が自動返信で届いています。
10/10頃に登録した人(自動返信が上手く行かなかった人にも)全員に、登録番号をメールにて送付します。
送付後に、このサイト上でお知らせをしますので、また確認するようにしてください。

[お知らせ] 10/4の公開講義&中間講評会

特別講義チラシ


10月4日(土)は、いよいよ公開講義と中間講評会が行われます。

このオープンスタジオに登録した学生も登録していない学生も、
社会人の方も、きっと楽しめると思います。
ぜひご参加ください。


○テーマ:
 模型で考えること

○日時:
 10月4日(土)14:00〜
 (登録は必要ありません。先着順・自由席)

○場所:
 神戸芸術工科大学 吉武記念ホール
    神戸市西区学園西町8-1-1
    神戸市営地下鉄「学園都市」駅下車 徒歩10分 →アクセス方法

○プログラム(いずれも公開):

 14:00〜  青木淳教授による公開講義
 16:30〜  中間講評会( 神戸芸術工科大学の学生作品のみ対象 )


※この公開講義は、2008年度環境・建築デザイン学科特別講義Dでもあります。

[対話篇 花→青 8] 思い出したこと。

ああそうかと思ったことがあったので、少し。

昨年の夏、横須賀美術館に行ったときのこと。山本理顕さんの設計の建物ですね。それを見たかったのはもちろんですが、僕にはもうひとつ目的があって、それは庭に設置された若林奮の作品でした。

僕はこの作家の立体やドローイングが昔から大好きで、それが大きなスケールで外部空間にあるというので楽しみにして行ったんですね。
でも、生意気なようですが、ちょっとがっかりした。

タイトルは「Valleys;2nd Stage」。それが文字通り鉄板でできた谷間として、ランドスケープデザインの一部になり下がっていた、少なくとも僕にはそう見えた。
そこには、たとえば彼の「振動尺」シリーズ、「雰囲気」、「所有・雰囲気・振動」、「森のはずれ」といった作品がもつ詩的な想像力を喚起する力はなくて(学生諸君へ:知らない人は画像検索して下さい)、おしゃれな風景の一部に取り込まれてしまっていた、少なくとも僕にはそう見えた。

酒井忠康の『若林奮 犬になった彫刻家』に「《ヴァリーズ》についての感想」という文章があるけど、もうひとつ曖昧な感想だ。ひょっとしたら僕と似たような印象だったのではないかと勘ぐりたくなる。

で、先日の青木くんからの便りを読んで、去年のこの出来事を思い出したというわけです。

僕らの対話篇での言葉でいえば、「模型」が単純に拡大されて「建築」になってしまった、ということでしょうね。

それじゃあダメだ、両者はあくまでも独立した存在なんだ、という前便の青木くんの言葉で、僕は去年の夏の失望感の理由がわかりました。

自分が好きな空間の「模型」を示せといわれれば、僕は若林奮の立体やドローイングを真っ先に挙げる。

でもその「模型」を僕たちは自分でつくり、拡大コピーではない操作を経て、「建築」を見出さないといけないわけだ。


(なお若林奮の作品を知るには、豊田市美術館のカタログと東京国立近代美術館のカタログがお薦めです。)

[対話篇 花→青 7] ○○、建築と測りあえるほどに。

われながら愚かなことよと思いますが、やっとわかってきました。
学生諸君は何を今頃バカなことを言ってるんだと笑うだろうなあ。

「模型」ってそういうことか。

自分でつくんなくちゃいけないんだ。
そりゃそうだなあ。

「僕、あんなんがいい」と言ってるだけじゃあだめなんだ。
そりゃそうだなあ。当たり前だなあ。

そういう「模型」って、僕、つくったことあるかなあ。

沈黙

な、ないんじゃないかなあ。

われながら絶望的な気分になるなあ。

怖いなあ。

学生諸君が課題で悩んでいると、現代美術のドローイングや作品を見せて、「こんな感じとかいいやんか」、とか気楽なこと言ってちゃダメなんだ。

それにしてもすっきりしたなあ。

「模型は、なにかを説明するもの、ではなくて、それ自体がなにかであるものです。という意味では、模型と建築を区別することはない。」ということね。うん、なるほど。

「模型、建築と測りあえるほどに」。

僕の目標は「言葉、建築と測りあえるほどに」だとあらためて自分を叱咤激励する、と。

学生諸君、いかがですか。

自信湧いたんじゃない?

やるべきこと、わかったね。

そろそろ夏休みも終了です。
10月4日には青木くんが神戸にやって来るよー。

「建築と測りあえる言葉」をあと2週間くらいでまとめないといけないので、取り急ぎ、今日はここまで。すみません。

[対話篇 青→花 6] クリスティアーネ・レーア

こんにちは。青木です。

花田くんが、花田くんなりの理由で、「なので『晶洞(ジオード)』を使うの止めた」と決めたとき、ぼくもぼくなりの理由で、晶洞の写真は止めようと呟いていました。

理由は簡単。晶洞は、模型じゃないからです。晶洞は、模型じゃない。なのに、晶洞をイメージに使う。それでは、まずかろう。
どうして晶洞が模型でないか、と言えば、まあ、あたりまえのことだけれど、晶洞には意図がないからです。晶洞は、ぼくの意図と関係なく、ただそこにあるだけです。
それに対して、模型というのは、やっぱり、意図的なものです。

模型というのは、たとえば、「晶洞がぼくにもたらした感覚と同質の感覚をもった空間というのはこんなものなんではないか」と思いながらつくったモノのことです。ぼくたちは、そうしてできてくるモノに、「どうぞ、それが、その感覚をもたらしてくれますように」と祈ったりする。という点で、模型は、やっぱり、意図的なものなのです。
もちろん、祈りはいつも聞き届けられるわけではありません。というより、たいていは、聞き届けられません。だから、やりなおす。ここがこうだったから、その感覚にならなかったのかなあ。そこを、いったい、どうしたらよかったのかなあ。じゃ、こうしたらいいのではないかなあ。そんなことをとりとめもなく考えて、で、また祈りながら、もう一度つくってみるわけです。
そうして、つくられたモノがもたらす感覚が、自分が望ましいと思う感覚になったとき、「できた!」というわけです。
模型をつくる、というのは、つまり、こういうことです。

そういう模型ですから、模型には、無限のつくりかたがあります。なにも、スチレンボードやスタイロフォームを使う必要はないのです。というより、使う材料次第で、模型はぜんぜん違うものになるのですから、そんなあたりまえの材料を使って、自分から、わざわざ枠組をつくってしまうのは損なことです。

そうそう、1年くらい前、おもしろい展覧会がありました。「クリスティアーネ・レーア展」という展覧会です。Gallery A4、つまり東京の竹中工務店にあるギャラリーで開かれていました。(http://www.a-quad.jp/main.html →「展示」→「アーカイブ」→「2007」)
作品は、主に植物を使ったもので、枝葉や種子を編んでつくった小さなかたちが、いくつも展示されていました。たとえば、そのウェブページの最初に掲載されている「オオアマナの綿毛」ですけれど、これは、中世のヨーロッパ/イスラムの建物の、あのアーチなりなんらかの繰り返しでできた建物を彷彿させなくはありません。でも、そんなことはどうでもよく、この姿に、ぼくなどは、これを何十倍かして実現された空間を想像してしまうわけです。そして、その想像のなかの世界に圧倒される。
クリスティアーネ・レーアさんがそれを「模型」と呼ぶのかどうかということと関係なく、ぼくが「模型」と呼ぶのは、そうした事態を引き起こす、3次元的物体なのです。

ともかく、模型は、なにかを説明するもの、ではなくて、それ自体がなにかであるものです。という意味では、模型と建築を区別することはない。「模型、建築と測りあえるほどに」。

でも、よくよく考えてみれば、これは、なにも、模型に限ったことではない。つくること一般に言えること。小説だって、映画だって、絵画だって、ファッションだって、きっと、同じことなのでしょう。

ということで、では、また。

[対話篇 花→青 5]ちょっとからんでみたりして。

お盆も終わり、だいぶ涼しくなりました。

青木君の方から、この企画のチラシやポスターのことを言ってくれました。
参加しようと思っている学生諸君、そうなんです、それらのデザインをどうしようかと考えていて、青木君に「テーマに即した画像を何かくれないか」とお願いしたら届いたのが美しい「晶洞(ジオード)」の写真(画像検索して下さい)。それをぽつんと入れたようなデザインを院生と一緒に考えたのですが、どうもピンとこない。たしかにかっこいいポスターになるのですが、かっこよすぎる。
で、なぜかっこいいといけないんだろうかと考えると、

 (1)青木君本人のイメージに合わない。
 (2)これは「コンペ」じゃない。大学の「授業」なんだ。
 (3)コンペじゃないんだから青木君は「審査員」じゃない。「授業」なんだから「教員」なんだ(もちろん芸工大の客員教授なんだし)。
 (4)このチラシやポスターは「コンペ」のチラシやポスターじゃない。要するに「課題書」なんだ。
 (5)「教員」は「授業」でいちいちかっこいい「課題書」は作らない。

ということだなあと思いいたり、大学の授業で配布したり掲示板に貼られたりしているA4のワープロ打ち、あるいは手書きのお知らせみたいにしようと思ったわけです。どこの大学に掲示してあっても、学生さんは見落とすような感じに。
じゃあ適当にワープロでつくればいいのですが、そこまで思いきった行動に出れない気の弱さ。で、思いついたのが青木君が常日頃愛用しているあのA4のノート。あれに手書きで書いてもらえばいいんだと考えたわけです。時間がなくて、ささっとノートに問題を書いて画鋲で貼る。

で、ここからちょっとからんでみますが(笑)、「晶洞(ジオード)」を使うのはちょっと嫌だなあと思ったのにはもう一つ理由がある。
それは、青木君がこの石のイメージを手がかりにして作ったというアイルランドの「ジャイアント・コーズウェイ・ビジターズ・センター」コンペ案を雑誌で見て、「トランクとヴィトン」、「トレンチと青森」ほど不思議さが頭にしみ込んでこなかったからなんです。
最初は、「アイルランド」という国名から、青木君も書いてきたような「岩石」のイメージ、少し抽象化すれば「硬質なテクスチャー」を連想し、ああそれでアイルランド名産の「晶洞(ジオード)」という石なんだなと思いました。「例によってきわどいのお、あおきさん。連想作用のこのわかりやすさを今回はどうひっくり返してくれるんかのお」と思ったわけです。
ところが、調べてみると「晶洞(ジオード)」というのはブラジルやメキシコやアメリカや、いろんなところにある石のようだ(これが違っていたらすべて取り消しね・・)。それであのリングを積んだ「結晶のような」建築だ、と。
「あれれ、これじゃあ<俺の建築こそが宇宙の縮図だ>的な話とおなじやん」、前回書いた言い方をすれば、「<「模型から建築へ」××する>という述語(=「××する」の部分)を、<「変換」「変形」による建築化>ととらえること」になってるじゃないかと思ったわけです。

なので「晶洞(ジオード)」使うの止めたのよ。

もちろん僕の中の青木像と整合性がないという、誠に勝手な論理です。

で、どう続けりゃいいのかな(笑)。

飲んでるときならこの辺でほっといたら話は適当に続いていく、よね。

[対話篇 青→花 4] 晶洞について

こんにちは。青木です。

この課題で、模型と呼んでいるものが、「『まだ見ぬもの』の原型となるイメージのようなもののこと」というのは、まあ、そのとおりだけれど、「原型となるイメージ」とは、さて、どんなことを指すのだろう?

たとえば、この課題のチラシやポスターは、ぼくが課題をノートに書いたものを利用していますが、最初は、晶洞(ジオード)の写真を使ってもらおう、という案でした。晶洞というのは、外から見れば、どうということもないただの岩石なのですが、割ってみると、内側に空洞があって、その空洞に向かって、水晶やアメジストの微結晶がびっしりと析出している、そんなきれいな石のことです。どうして晶洞かと言えば、ぼくは、これを建築計画の「原型となるイメージ」としたことがあったからです。2005年にあった「ジャイアント・コーズウェイ・ビジターズ・センター」のコンペのことです。
ジャイアント・コーズウェイというのは、その析出した巨大な六角形石柱によるランドスケープで有名な、世界遺産に登録されているアイルランドの海岸です。そんな場所のビジター・センターなのだから、「建築」にまるで見えない、岩石のかたまりのようなものがいいのではないか、と思って、つくった案です。構造は、基本的には、「白い教会」のリング格子を全面的に採用したもの。リング格子が立方体空間を充填していて、結晶のような、その疎なかたまりを洞窟のようにくりぬいて、空洞を得る。
そんな案を考えているとき、こんな感じのものを今までに見たことあるな、と、晶洞のことを思い出しました。そして、そうか、晶洞のような美しさを持った建築になればいいんだ、と思いました。と同時に、「これでできた」と思いました。

問題は、「晶洞のような美しさ」とはどういうもののことで、またなぜそれで「これでできた」と思ったのか、ということですね。

「晶洞のような美しさ」というのは、ぼくたちを日常的に取り巻いている世界のなかの、ごくありきたりのモノのなかに、もうひとつの世界があることを気づいたときの、なんというか眩暈のような感じのことです。「ありきたりのモノ」は、その外側のぼくたちが呼吸する世界を構成するひとつの要素に過ぎません。だから、ありきたりのモノの内側の世界は、物理的には、外側の世界よりはるかに小さいわけです。しかし、その内側の世界を凝視しているうちに、ふと、その関係が反転して、内側の世界のなかに、外側の世界が吸いこまれてしまったような気になってきます。小宇宙の全体性というか、バロックというか。ともかく、そんな眩暈があるのですね。ぼくは、晶洞を見ていると、そんな眩暈に魅せられ、ついつい見入ってしまいます。
だから、「晶洞のような美しさ」と言っても、それは、「アメジストの小さな結晶がきれい!」というような意味では、(まあ、それもまったくないとは言えませんけれど)ありません。それは、ある視覚的入力が「美しい」というような直接的な感情を生起させる、というよりは、今、説明したように、もっと複雑な回路をたどって、ある圧倒的な感覚に捕らわれるという、その昂揚したある精神的状態を意味しています。だから重要なのは、晶洞そのものではなく、そこから感覚にいたる方程式だと言えるでしょう。

では、なぜそれで「これでできた」と思ったのか、です。「晶洞をつくる」というのは、晶洞を似絵と捉えて、晶洞みたいに見えるものをつくる、ということではありません。そうではなく、いま言った方程式の変数に、与えられた条件を代入して、それによってある特定の感覚を生起させる、ということです。
いまここに晶洞があるとしましょう。ひとつの晶洞の姿が、方程式に代入されます。そして、その方程式が運用されて、ある特定の感覚が生起される。しかし、たぶん、その晶洞でなければその感覚が生起されない、というものではないでしょう。他のまったく別のモノであっても、同じ感覚あるいは同じような感覚をもたらすかもしれない。
ただ、その方程式がそこにあることはわかっているけれど、どんなものであるのかがはっきりとしない。だから、つくるということは、その方程式を、つくるということを通して、見つけていく、ということです。なんだか、ややこしい言い方になってしまいますが、つくるということは、そもそも、そんな再帰的表現でしか言えないことなのです。はじめからわかっていることなら、わざわざつくるまでもないのです。
ともかく、こういうことがうまく行けば、晶洞とはまるで違うモノだけれど、晶洞から受けるのと同じようなある特定感覚が生起されることになります。この場合、できたモノは、ある意味、作業の副産物と言えるかもしれません。でも、そういうモノだけが、モノとして自立しえる、とも思っています。

ぼくの場合は、設計の出発点に、「晶洞」と言い切ってしまいます。それから、どういう物理的原因によって晶洞が美しくなっているか(つまり、どうして晶洞はある特定の感覚を与えるか)を考えてみます。それで、きっとこういう原因ではないか、と思われることを見つけます。仮説、ですね。それから仮説を試します。様子を見ます。どうも調子悪いなあ、と思えたら、仮説を調整するか、立て直します。そういうなかでは、「晶洞」はきっかけにすぎません。そうやって、最初に捕らえた感覚に少しでも近づいていこうとします。それが、つくるということです。どこで終わりということはありません。でも、建築だったら、設計の締め切りがあり、竣工があります。そこで、形式的には終わってしまうわけですけれどね。

花田くんは、「実物を見ると、『あ、これは「トレンチ」じゃない「トランク」じゃない』とすぐに思え」た、と言います。
なぜそうなってしまうか、これでわかってもらえるといいのですけれど。

ということで、では、また。

[対話篇 花→青 3]まずは、あれやこれや。

青木淳 様

話の枕に思い出話というのは、授業でもときどきやってしまいます。
『SD』1995年8月号/特集「まちのパブリックスペース」、懐かしいけど、「「オンライン座談会」、かっこわるいですね。」、そうね、まったく(笑)。
この前後の時期、僕はいろんな状況がうまくのみ込めず、おろおろしていた気がします。
青木君が磯崎アトリエを辞めたのが90年、僕が日建を辞めたのが92年で、93年に一緒に「サバーバンステーション」という仮想プロジェクトをやり、『建築文化』にも発表し、そこに青木君は新潟のプロジェクト、僕は「プログラムをめざして」という文章も掲載した。
「サバーバンステーション」のレポートは、勝鬨橋を渡ってすぐの高層マンションの一室でスタートした青木事務所に泊まり込み(たしか2つめの円形平面の部屋)、3.5インチのフロッピーディスクでデータをやり取りしながら、初期のMacでまとめましたね。内容もまとめ方も「凄いぞこれは」と思っていたけど、今から思うと「かっこわるいですね」、です(笑)。
それからしばらくして阪神大震災があり、神戸の東灘区に住む僕は得難い経験をした。松村正恒のことを調べはじめたのがその前の年で、そこからもう10年以上が過ぎてしまった。逆にあの頃から、今までと同じくらい逆戻りすると学生時代になるわけで、卒論・卒計・修論から何も変わっていない自分に行き当たります、と、遠い眼差し。

ひとり感傷に浸ってアホか、という声が聞こえてきました。

「模型から建築へ」です。

全国の(と大きく出ますが、笑)学生諸君、この言葉から何をどんなふうに考えていますか。
東北大の本江先生は「おれが学生ならきっとやる」と学生さんにアジってくれました。ありがたいことです。学科主任権限で本江さんだけには教員特別参加資格をさしあげたいくらいです。
一方僕は、「応募資格のない教員でよかった」と胸を撫で下ろしているくらい弱気な人間なので、ぶつぶつつぶやきながら製図室をうろついて、学生諸君のスケッチの邪魔をするジジイになるのが関の山。

「模型から建築へ」は、「模型」と「建築」という名詞と、「〜から〜へ」という述語(のようなもの)から成り立っています。だから、それぞれが何なのかがわかれば答えが出る、はずはないけど、ぶつぶつつぶやきながら製図室をうろついてみる、と。

(1)「模型」って何や。
世の中にはいろんな「模型」があるんだけど、この課題ではどうとらえたらいいのだろうね。宇宙の模型、原子や分子の模型、プラモデルの戦車の模型、建物の完成模型、西郷さんの銅像、オタク好みのフィギュア。ぜーんぶ「模型」だ。でもこれらは、言うまでもなく、既にあるものの全体像をわかりやすくとらえた代替物。つまり「<既にあるもの>から模型へ」となっているから、「模型」の位置が課題とは逆。こういう「模型」じゃないということだ。当たり前だね。
むしろ、「まだ見ぬもの」の原型となるイメージのようなもののこと、なんだろうな。
もしそうなら、「原型」になるものはいろいろあるよね。言葉とか音楽とか映像とか。
仮にこの課題は、その「原型」なるものを「<模型>として」とらえろと言っているとすれば、「模型」という言葉は、けっきょく「言葉でも音楽でも映像でもなく」、「モノ」という意味になるのだろうか。言葉に拠らず、モノで思考せよと青木君は言いたいのだろうか。
・・・ということを言葉で思考していることの限界と、でも、じゃあ「言葉や音楽や映像を模型化することはできないのか」と、言葉で攻撃を仕掛けてみる。

(2)「建築」って何や。
これはもっとわからなくなる問いですね。何か一定のルールを決めておいて、それを満たしていれば「建築」だと認定するか、あるいは、あの人が「建築だ」と言えば「建築」なんだと認め合う「あの人」を決めておくか。
解答する側としては、「模型」で悩むよりも「建築」で悩むべきかも。「え、これが建築?」と「建築」の定義を揺さぶるようなものを先にイメージすると、「模型」の定義を揺さぶるようなものへ逆追いできるかも。

(3)「模型から建築へ」向かってどないせえちゅうんじゃあ。
この課題は、模型「から」建築「へ」ということで、「模型」と「建築」を分離して考えている。だから、両者が「一体化」しちゃいけない、という前提があるのかな。
たとえば、「模型としての建築」というような言い方があるよね。全宇宙の構造を反映した建築だあ、みたいなノリ。あるいは、この建築は文学理論の反映だ、とか。建築外の何かの構造や要素を、何らかの関数で建築に変換したというような説明をともなう建築。「コンセプト」を高らかに掲げた建築ともいえる。
あるいは、「模型みたいな建築」という言い方もあるけど、それは「コンセプチャルな」建築に対する揶揄、でもある。
いずれにしてもそういうものではない、としたら、<「模型から建築へ」××する>という述語(=「××する」の部分)を、<「変換」「変形」による建築化>ととらえること自体を拒否する必要がありそうね。
そういう「操作」というルートを経ずに原型から(別の産道を通って)出現する建築。
そんなものあるんかいと思うけど、まさに青木君の建築ってそういう感じがするんだから、困る。表参道のルイヴィトンの場合の「トランク」、青森県立美術館の場合の「トレンチ」とか「遺跡」。僕は最初、まさに「原型」「コンセプト」として、それぞれの図像的なわかりやすさに驚き、人ごとながら心配したのですが、実物を見ると、「あ、これは「トレンチ」じゃない「トランク」じゃない」とすぐに思え、いったいどうなっているんだろうと呆然としたんですね。

ずいぶん頭の悪いジジイのつぶやきですが、うだるような暑さの中ではこれが限界。

熱波に揺れる風景の向こうに、こんな戯言を軽々と乗り越える学生諸君の姿が見える。

2008年8月11日 花田佳明

[対話篇 青→花 2]では、はじめますか。

こんにちは。青木です。

花田くんは、「SD」1995年8月号、特集「まちのパブリックスペース」を覚えていると思います。中川理さんと、花田くんと、ぼくとの座談会が掲載されている号です。あれは、座談会と言っても、実際に会って座談会をしたわけではなくて、「パソコン通信」のやりとりでつくった架空座談会でした。今、確認してみたら、タイトルが「オンライン座談会 『公共性』と『表現』を巡って」となっていて、末尾には、ご丁寧にも、「この座談会は1995年6月、電子メールで行われた」と、註がついていました。実際に会って話していないことに引け目でも感じていたのでしょうか。「オンライン座談会」、かっこわるいですね。

95年というと、いま、大学生である人たちからすれば、きっと小学生の頃のことでしょうから、大昔ですね。でも、花田くんやぼくにとっては、「ちょっと前」のことです。というのも、95年というのは、ぼくにとっては、「遊水館」や「潟博物館」の設計が終わって現場に入り、「御杖小学校」の設計がはじまった年です。その頃のことを、ぼくはつい昨日のことのように思い出します。それに、95年は、言うまでもなく、「阪神・淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」の年です。あれは大きかった。いやいや、しかし、そのことについて話し出せば、長くなります。やめておきましょう。

ともかく、花田くんが、「東京にいる青木君と神戸にいる僕との間で膨大な量のメールが往復し」と書いていますが、その一部が形として残っているのが、たとえば、この架空座談会なのでした。

この「対話編」は、そんな架空の対話を花田くんと久しぶりにやってみようという企画です。ただ、公開の場というのが、昔の架空座談会のときとは違うことです。読む人の多くは、きっと、課題「模型から建築へ」に取り組まれている(あるいは取り組もうとしている)学生の人たちでしょう。つまり、花田くんとぼくが、学生の前でしゃべっているという構図です。ならば、いっそ、花田くんとぼくの「架空授業」にしますか、これ。

さて、今日は、花田くんが見てくれた展覧会のことから話しましょう。東京国立近代美術館で、6月3日から8月3日まで開催されていた「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展のことです。ぼくが出品したのは、ひとつの住宅(「M」)の基本構想を決めるまでに、事務所で検討の俎上に上がった99個の模型でした。
でも、これらの模型は、今回の課題でぼくが期待している模型とはぜんぜん違う種類の模型です。どう違うかは、おいおい、わかってくださると思いますけれど、今日は、まずは、これらの模型についてコメントしましょう。

東近美に出した模型は、どれもが、ここでどんなことをすればいいのか、その目標を探すためにつくられたものでした。その試行錯誤です。都市部の住宅を設計すれば、だいたい、設計者に残された自由というのは少ないものです。敷地の条件、クライアントの要望、法律による規制、工事費など、それらの間での適正なバランスを考えていけば、ほとんど案が一意的に決まってしまうのではないか、と思われるほどです。もちろん、それら条件のなかで、もっとも厳しいのはクライアントの顕在的また潜在的な要望ですから、それらを無視したり、クライアントに意見を変えてもらうべく説得したりすれば、設計者の自由はだいぶ増えるかもしれません。でもぼくは、そういうことを、しません。
それでは、設計はつまらないじゃないか、と言えば、そんなことはありません。どんなにガンジガラメに思えることにも、きっと思いがけない、いい解決方法があるはずだと思うし、今までの経験では、実際にそうだったからです。目の前の現実のすぐ向こうには、いつだって新しい世界があるはず、という根拠なき確信がぼくにはあります。

ともかく、そういう設計のプロセスでは、まず条件を整理して、それらにうまく答えられる案とはどういうものか、考えます。それから、その案にデザインとして、どんな可能性があるかを考えます。その道具として、模型をつくります。模型をつくると、いくつかの可能性が見えてきます。可能性というか、まあ、その匂いのようなものですけれど。それでこっちの方に向かえば、きっと展望が開けるのじゃないかな、じゃ、こっちに進もう、というような判断をして、案を調整して、また模型をつくります。Mの99個の模型は、そんなプロセスの痕跡でした。
どんな形なのか、どんな空間なのか、そういうことはまるでぼんやりとしているけれど、できあがって、そこにいたら感じるだろう、ぼくにとって「これだ」と思える感覚を感じられたとき、そのスタディが終わります。なぜなら、その感覚はとても強固なものなので、あとは、なにをするべきか、どちらを選ぶべきかなど、そのあと設計で待っているはずのいろいろの判断が、その感覚に照らし合わせることで、きっと首尾一貫して行なえるように思えるからです。

こういうスタディの模型を見て、そこにどんな感覚を持つかは、かなり個人的なものです。花田くんも、「その道具で何を確認しながら前へ進んでいるのか、僕にはとても追体験できません」と書いています。そういうものなのでしょう。
ぼくだって、「何を確認しながら前へ進めばいいのか」、まさにその核をつかむために、行ったり来たりしてきたわけです。つまり、あそこでは、ぼくはまだ、一歩も前に進んでいないのです。つまり、もし、ぼくがこのMで、今回の課題を出すとすれば、それをはじめる敷居にようやく辿りついた、そういうところなのです。

ということで、では、また。

[対話篇 花→青 1]「模型」にもいろいろありそうだね。

青木淳 様

インターネットが一般には普及していない十数年前。家庭のパソコンは「パソコン通信」なるもので外部とつながっていましたね。今の学生諸君は知らない世界。キーボードを打って指示すると、10cm角くらいのモデムが光り出し、ジーコロコロと音をたてて自動的に電話をかけ、最後にピーピーと鳴ってダイヤル回線経由の通信ができた。
それを使い、東京にいる青木君と神戸にいる僕との間で膨大な量のメールが往復し、そこでの議論は後に僕のいくつかの論文へとつながりました。
あーでもない、こーでもないというやり取りには、しかし基本的に一定の共通点があったと僕は勝手に思っていて、それは、どんな意見も「なるほどねえ」と一旦受け入れた上で、でもここが違うんじゃないか、僕はこう思うけど、と付け加えていくスタイルだったように思います。二人ともの性格なんでしょうね、意識することなく持続されたそのスタイルが、いろんなアイディアを生み出してくれた。
そのやり取りが余りにも多かったせいかな、世の中にはまず相手の意見を否定することから話を始める人もいるんだと気がつき驚いたのは、ずいぶん後のことでした。

今年度、青木君が神戸芸工大の客員教授になってくれ、さてどんなふうに学生の前に登場してもらおうかなと考えているときに思い出したのは、上に書いたような「肯定から始まる議論」の心地よさでした。そして、青木君とのそういう対話を学生諸君にも経験してほしいと思いました。
オープンスタジオに期待するのは、そんな言葉が飛び交う空間の出現。青木君と学生、他の学科教員と学生、青木君と学科教員のあいだで、肯定的な言葉が行き来する空間です。さらには、学外からの参加にも大いに期待をしています。

「そのベースになる旋律を奏でてみよう」と、僕には似合わない文学的比喩とともに思いついたのが青木君との雑談を公開することでした。
実習の授業中に、肝心のエスキスを忘れて学生相手にやる建築談義ほど楽しいものはない。課題を解く手助けになるかどうかはわからないけど、話がどんどん広がっていって、学生の「あははは」という笑い声が引き出せたら大成功。

さて、前置きはそのくらいにしておきましょう。

青木君から示された「模型から建築へ」という課題は、ある意味では設計作業の途中にある自明の変換過程を示す言葉だよね。多くの設計は、模型から建築の実現へと向かいます。
でも青木君の課題は、逆に「建築から模型へ」という方向の考察をしてみてくれというメッセージでもある。つまり、素晴らしい「まだ見ぬ「建築」」があるとして、それが生まれるきっかけになった「模型」を想像しろというメッセージだ。素晴らしい「まだ見ぬ「建築」」を「生むかもしれない」模型ではなく、「生んだ」模型。しかも「まだ見ぬ「建築」」も見せてみろという無理難題。時制がめちゃくちゃです(笑)。

先日、この企画の進め方を青木君と相談するために東京へ行ったとき、東京国立近代美術館で開かれている「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展に行きました。何しろ青木君の設計した一軒の住宅の生成に関わる「模型」が全部展示してあるというわけだから、見ておく必要があると誰しも思う。
会場では、よくまあこんなにいろんなことを考えるものだと感心しつつ、ほとんど模型どうしの前後関係を読み取れないまま、でも模型ごとに記された全部のコメントを読んでみた。すると、その作業というか体験には既視感があり、何だろうと考えていて思い出したのは、青森県立美術館の見学会。あのとき、建物の裏方の部屋も含めて3、4時間かけて一周し、疲れ果てた体で味わっていた感覚と似ているのですね。
長いミステリーを読み終わり、その満足感、達成感に浸っているうちに、実は犯人が誰なのかがわからないままであることにやっと気づく、とでも喩えてみたくなる、そういう感覚。言い換えると、そこには「全体」を俯瞰できる「模型」がない。謎は解けないのに、あるいはひょっとしたら謎を解きたいなんて思ってないのに、優秀な人材を集めた強力な組織が立ち上げられ、大捜査がおこなわれている。あそこに並んでいた模型はすべて真犯人を知っている。でもそれは全部別々の人なのだ。

模型論というより、結局は青木君の設計論を尋ねているような感じですね。

展覧会のカタログに納められた田中功起さんの「マキシマルな操作、あるいはそばとうどんをいちどに食べながら同時に歌うこと」というテキストは、つくる人間どうしだからか、青木君がたくさんの模型で言おうとしたことを、実にうまく、分析というより、描いていると思いました。
勝手に自分のことに引き寄せるなら、この「・・しながら同時に・・」という感覚は、僕が「青木淳論序説」(『建築文化』9911、2006年に彰国社シナジーで復刻)で最後に図示しながら書いた青木モデル(通称「ずん胴モデル」)に似ているとも思います。たしか、「世界」を縮小も拡大もせず一気にとらえる感覚、とかなんとか書いたこと。

こういう設計の進め方を選んでいる青木君にとって、模型は一番馴染みのいい道具、ということなのかな。その道具で何を確認しながら前へ進んでいるのか。僕にはとても追体験できません。

「鳥の巣」から「編んだような」構造体へ、「伝統」から「木造の垂木のような」コンクリートの細い梁へ、移動する民族の家「パオ」から「東京を浮遊するかのような」少女の部屋のインテリアへ。それぞれ最初の言葉が「模型」です。建築家はそんなふうに「模型」をとらえることがある。でも、「モデル」とカタカナ書きした方がいいであろうこういう「模型」、つまり「全体」を教えてくれるような「模型(=青木モデル)」は、青木君の建築からは想像ができない。

「模型」にもいろいろありそうだね、というところで、取り合えず第一便。

2008年8月4日 花田佳明

対話篇とは

今回の課題を手がかりに、青木教授と私との間でメールのやり取りをしてみようと思います。どんなことになるか分かりませんが、よろしくお願いします。

茶々を入れてやろうと思う方はぜひどうぞ。
ただし、所属と本名は明記して下さいね。
なお、このブログに関する注意事項はご一読ください。

花田 佳明

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