Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年7月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
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2003-7月31日(木)

 昨夜、というか今朝の2時とか3時とかだが、熊楠コンペの別案を考えてスケッチを院生に送った。なんてかくと、あいつはCADができるのかと思われるでしょうが、もちろんそんなことはできなくて、トレペに手でかいたスケッチをデジカメで撮り、それをメールに添付して送った次第。これが簡単でしかもうまくいくことを発見。午後、大学でその案を院生に説明。
 午前中、学内の委員会。午後は3年生の即日設計。これで前期の教育プログラムがすべて終了。合間をぬって学科会議、その他あれやこれや。

2003-7月30日(水) 「クリメノール」発見!

 昨年度の共同研究のレポートづくり、卒論生の相談、夕方は学内の委員会。

 「クリメノール」の画像をひとつ見つけました。図書館に行ってみる時間もなく、インターネットでの検索です。先日紹介したこのページにありました。もう気がついていた人がいるかもしれませんね。
 「images」のなかの「Illustrated Editions」というコーナーに紹介されている「Milo Winter, Rand McNally, 1912. 」のバージョンのところです。そこにある何枚かの挿絵のうちのこの絵に、棒の先に赤い風船のようなものをぶらさげた道具をもつクリメノールが描かれています。気難しそうな主人たちと呑気な表情のクリメノールの対比が面白いですね。たたく道具の方は、ちょっと柄が長いなあとは思いましたが、まあ想像どおりという感じです。鈴木先生、いかがですか?

2003-7月29日(火)

 午前中、学期末試験の監督ひとつ。午後は卒論生の相談にのる。

 院生からの情報。以前、この日記でも大きく紹介した高知の沢田マンションをつくった沢田
嘉農さんが、この3月に亡くなっていた。ホームページがいつの間にか一新されていて、そこにも大きく追悼のコーナーがつくられている。お話をうかがいたいものだと思っていたが、遅かった。合掌。

2003-7月28日(月)

 午前中、梅干し屋さんプロジェクト打ち合わせ。壁の合板が貼られ、かたちがでてきました。壁の仕上作業はセルフビルドを予定しています。8月19〜20日あたりです。詳細が決まればお知らせします。芸工大の学生諸君!手伝ってください。


 昨日の日記に書いた「クリメノール」について、掲示板に鈴木先生からさっそく以下のようなお便りが届きました。どんな作り方をされたのかが詳しく書かれています。掲示板の方はいずれ消えていくので、ここに転載させていただきます。
 図書館や本屋でちゃんと調べる時間がなくて、学生にはいつも信用するなと注意をしているインターネットだけの検索ですが(笑)、Googleに「動物の膀胱」と入れてみた結果がこれ。古来、動物の膀胱は、ラグビーやサッカーのボール、あるいは楽器、浣腸器などに使われていたことがわかります。でも「クリメノール」とGoogleに入れても何もでません。「Climenole」でももうひとつ。夏休みの宿題にぴったりかも。
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吉武先生追悼の辞の中の「クリメノール」について、親切なご忠告有難うございます。
私は頭叩きの道具をクリメノールと思っていました。間違いでした。

吉武先生が常に瞑想に耽って危なっかしかったわけではないのですが、いつも何か考えておられたのは確かで、卒論4人で相談してこれを贈ろうと合意したのでした。
制作は私が担当しましたが、牛の膀胱は当時は町の薬局で普通に売っていました。熱が出た時に頭を冷やす氷嚢ですね。今はビニールでしょう。
棒ははたきの棒を使いました。
それに30センチほどの紐をつけ、小石と大豆を入れた氷嚢をぶら下げました。

作る前には、それでパラパラと音がすると思っていたのですが、いざ作ってみると、当然のことながら石と豆は下に溜っていて、ただ錘にしかならない。

そこで皆で考えて、氷嚢の中で、長さの違う糸で豆や石を吊ったらいい、と考えた。
苦心してそれを作って、いざ試してみると、豈はからんや、糸が全部捩れて絡まって、全部の豆が一体になってしまうのです。

結局考えたのは、ガリバーの著者も、これを多分作ってみた訳ではなかろう、と。
小石と豆でなくても同じなのです。
こんな遊びをしていたのです。

この「クリメノール」と私たちが思ったものは、先生は研究室の机の傍やロッカーの上などに長く置かれてあったのですが、研究室が3階から2階に移動した際、うっかり紛失してしまいました。

2003-7月27日(日) クリメノール

 昨日、26日はやっと梅雨明け。久しぶりの青空が顔を見せる中、この5月に亡くなった吉武泰水先生を偲ぶ会が芸工大でおこなわれた。
 鈴木成文先生の追悼の言葉がとても印象的だった。
 鈴木先生が吉武研の卒論生のとき、卒業に際して友だちと吉武先生に『ガリバー旅行記』にでてくるある品物を贈ったという話。ラピュタ人の国を訪れると彼らはいつも深い思索にふけるがゆえに頭がみんな傾いている。そこで頭を叩き刺激を与えて現実に引き戻すための道具がある。膀胱の中に豆を入れ短い棒の先につけたもので、鈴木先生たちはそれを作り吉武先生に贈ったというのである。吉武先生はたいそう喜ばれ、長く研究室に置いてあったとのこと。最後は、「今日はそれで叩きませんからゆっくりお休み下さい」とユーモラスに結ばれた。

 恥ずかしながらちゃんとした『ガリバー旅行記』を読んだことがなく、さっそく今日、買ってきました。住吉のジュンク堂なので新潮文庫版しか見当たらなかった。中野好夫訳の『ガリヴァ旅行記』。その第三篇。書き写します。

 「彼らの頭はみんな左右いずれかへ傾いでいる。眼は片方は内側へ、そして、いま一方はまさに真上を向いているのだ。・・・略・・・ところどころに召使いらしい服装をした男がだいぶいた、それらはみんな手に、膀胱をふくらませたのを、ちょうど、あの連枷のように短い棒の先につけて持っている。膀胱のなかには、(これは後になって知ったのだが)乾いた豆と礫とが少しばかり入っている。ところで彼らはこの膀胱でもって、しきりに傍に立っている男の口や耳をたたくのだ。むろんその時は我輩にはなんのことだか見当もつかなかったが、これは思うに、この国の人間というのは、始終なにか深い思索に熱中していて、なにか外からそれぞれの器官に刺激を与えてでもやらなければ、物も言えなければ、他人の話に耳を傾けることもできないらしい。そこで金に余裕のある人は、こうやってたたき役(原語はクリメノールだ)を一人、召使いとして常傭して置き、外出、訪問といえばむろん同伴を忘れることは決してない。つまり彼らの役目というのは、二人以上の人間が寄ると、この膀胱でもって、話し手の口と、それから聞き手側、それは時には聴衆という場合もあるが、その右の耳とを静かにたたくのである。またこのたたき役は、主人の外出にもきっと付添って、ときどき、その眼を軽くたたいてやる。というのは、なにしろ例の瞑想に夢中になっているのだから、崖から落っこちたり、柱に頭を打ちつけたり、それに往来を歩けば人に突き当たったり、あるいはこっちが突きとばされて溝に転げ落ちたり、そうした危険が大いにあるからである。」

 なるほどなあ。吉武先生の人柄や当時の(鈴木先生は昭和25年卒)ある知的な風景が頭の中に浮かんできます。
 ちなみに、鈴木先生は頭たたきの装置のことを「クリメノール」とおっしゃったと思うのですが、中野訳だと「たたき役」のようである(他の資料は何も調べていませんから違うかもしれません)。いずれにせよなんとも微笑ましいエピソードだ。鈴木先生たちはいったいどんな材料でどんなものを作ったのだろう。

 ・・・とまあ書いてみて、念のためと思いgoogleで「Gulliver's Travels」を検索し最初にでてきたホームページの辞書のところをみると、クリメノール=Climenole」は「flapper」のことでありこういう意味だと書いてありました。やはり「たたき役」のようですね。上記の原文の一部は下記のようです。便利な世の中だ・・・。

.. Servants, with a blown Bladder fastned like a Flail to the End of a short Stick, which they carried in their Hands....With these Bladders they now and then flapped the Mouths and Ears of those who stood near them ...the Minds of these People are so taken up with intense Speculations, that they neither can speak, nor attend to the Discourses of others, without being rouzed by some external Taction upon the Organs of Speech and Hearing; for which Reason those Persons who are able to afford it always keep a Flapper (the Original is Climenole...

2003-7月25日(金)

 午前中、梅干し屋さんの現場で打ち合わせ。どんどん進んでいる。

 午後は大学でゼミ。といっても夏のゼミ旅行の計画です。今年の花田研はここへ行きます
 芸工大の藤本修三先生の椅子がMVRDVのまつだい雪国農耕文化センターの屋上に置かれている。今日は藤本先生がゼミ室へやってきて見どころなどを直々に解説してくださった。学生諸君えらく興奮。夜はそのまま三宮の居酒屋で打ち上げ。みんな終日盛り上がっていた。若者たちの夏だ(笑)。おじさんは帰ってからもこつこつと宿題原稿。

2003-7月24日(木)

 午前中、大学で留学希望の韓国の女子高校生の相手をする。よその国の高校生と話すのはなかなか新鮮な体験である。
 午後は2年生の公園の課題の最終講評会。終了後、ワインパーティー。いやあ若い人たちを「いぢる」のは面白いなあ。
 そのあとは院生とコンペの話。さあ彼らはどう決着をつけるだろう。正念場だ。
 N村K太郎さんから原稿催促電話。すみません。
 梅干し屋さんプロジェクトは現場がどんどん進んでいて山隈君と慌てている。
 空き教室利用プロジェクトも、小学校が夏休みにはいりいよいよ着工。設計監理者はあくまで神戸市なのでかかわり方が難しいですが、できるだけのことはやりたいと思っている。その他いろいろで、へろへろ。

2003-7月23日(水)

 昼間は宿題原稿、半分まで。夕方、車で大阪へ。山隈君の事務所で打ち合わせ。今日は院生2名も同席。ドカーン!山隈氏、爆発(笑)。さあ花田研の案は吹っ飛ぶか。あれやこれやで気がつくと深夜1時を過ぎている。院生を車に乗せて阪神高速をひとっ飛び。風呂にはいって原稿を書こうとするも朦朧としてだめ。ふら〜〜。

2003-7月22日(火)

 1時から夕方まで3年生の集合住宅の最終講評会。終了後、ワインパーティー。楽しかった。
 9月の建築学会大会の某研究協議会資料集用の短い原稿を送る。設計教育について。八幡浜往復の車中で考え、昨日帰ってから必死で書きました。ふー。

2003-7月20・21日(日・月)

 八幡浜へ。建築学会の四国支部に設けられた小さな委員会の1回目。日土小学校のこれからを考えていくための会です。地元の方々、行政、大学関係者等を巻き込んでいろんなことを企画していきたい。

 この夏に解体が予定されている江戸岡小学校についてですが、8月16日に卒業生を中心にしたお別れ会が現地で開かれる予定で、解体はそのあとからスタートのようです。ただし運動場には仮設校舎の建設が始まるかもしれないので、見学するなら少しでも早い方がよさそうです。

2003-7月19日(土)

 オープンキャンパス。入試・広報委員の私は大忙し。ふー。

2003-7月18日(金)

 安藤忠雄講演会。行列、サイン会、握手など、学科のいつもの特別講議とは全く違う空気でキャンパスが包まれました。僕自身、安藤さんの講演を聞くのは生まれて初めて。いわゆる「建築の話」、つまり、どうしてこんな形をしているのとか哲学との関係はとかいったあーだこーだは全くない。上手に聴衆を笑わせながらスピード感に満ちた講談であった。

2003-7月17日(木)

 明日の安藤忠雄講演会の準備あれこれ。司会係なんです。
 おかげで、というと言い訳になるが、短い宿題原稿ふたつが進まない。 僕の卒業した高校についてこんな記事を発見。けっこうこういうナショナリズムに血が騒ぐ(笑)。東京では小学6年生の少女4人が奇妙な事件をおこしている。小学生、中学生よ、もっとしっかりしろと僕は言いたい。

2003-7月16日(水)

 受験希望者の案内。現在海外の高校で学んでいる方。こういうひとがどんどん増えるといいなあ。
 学科会議、教授会。会議の日は冷房漬けがつらい。夜はラボの近くで1年生がやっているバーベキューパーティへ。そのあと院生と熊楠コンペ打ち合わせ。ちょっと停滞気味のところに言葉の刺激を注入する。

2003-7月15日(火)

 『性と愛の日本語講座』『本ができるまで』『行儀よくしろ』『新潮 8月号』。最後のは、四方田犬彦の「ハイスクール1968」が読みたくて。

2003-7月14日(月)

 午前中、梅干し屋プロジェクト打ち合わせ。なんとかお金をおさめて業者決定へもちこめそうだ。梅干しのビンのシールや包装の仕方についてもあれやこれや気がつくことを申し上げる。このあたりのデザインについてプロがはいってないのでなかなか難しい。

 そのあと大急ぎで大学へ。阪大用にスライド追加。これ以上多くしてどうすると思いながらも、一旦気になり始めるととまらない。松村正恒さんについての話のあとに日本のモダニズム建築の簡単な紹介をするというプログラム。DOCOMOMO20選のうちからスライドのある半分ほどを1物件5枚ずつ見せようと思ったのですが、どうしても立派な建築が多くなる。それだけじゃあ誤解されるかもと思い、いくつかマイナーな事例(吉武研設計のあすか保育所と青渓中学校、エリザベスサンダースホーム関係の聖ステパノ学園と鴎鳴荘、郵政の小さな郵便局群)を加えた。
 阪大では気持よく喋らせていただきました。分量はさすがに多く、郵便局のスライドは省略。時間オーバーしてすみません。日本的なモダニズム理解とはどういうものだというべきかというような難しい質問もでてこちらも勉強になりました。

2003-7月15日(日)

 アーキフォーラムの報告レポートを書くために前々回の林昌二さんの録音テープを聞き直してメモをとる。変な言い方かもしれませんが、落語家の口調とか間のとり方を連想しました。

2003-7月12日(土)

 県立美術館での公開講座、ついに自分の番。住宅は関係の調整装置だということを、屁理屈と実例とで話しました。10時半から12時半まで。聞き手の多くは一般の方なので、さてどういう感想をもっていただいただろうか。美術館はクリムト展をやっているせいで人出は多い。ギャラリー棟のロビーがオーストリア物産店と化していた。かっこわるい。
 この公開講座は『建築ジャーナル』誌がレポート記事を連載開始してくれて、今月号(7月号・西日本版/環境デザインノート)がその1回目
 なお、この号の表紙のデザイナーとして名前が載っている厚見達也君は芸工大(たしかファッション?)の卒業生。彼は、うちのゼミのOB今津修平君たちとこんなページをやっていて、そのなかの「ズイ研」が彼のページ(「ズイ研」ってなんだ?脳髄のズイか?)。(たぶん今も)坊主頭の面長男子で、三島由紀夫の『金閣寺』の主人公のような風貌だ。このデザインのおかげで『建築ジャーナル』誌のイメージがずいぶん変わった。そして、「特集デザイン/久保佳子」とあるのが一昨日紹介したK嬢である。こういう広がりが世の中を少しずつ動かしていく。

 手伝ってくれた院生とお昼を食べて大学へ。今度は月曜日に阪大でやる講演(←ブルータスみたいなポスターが可笑しい)のスライド選び。ボリューム感満点?な枚数と内容となる。阪大の学生諸君、期待しててね。

 朝日新聞の7月10日付夕刊文化欄の「テーブルトーク」という欄で、平良敬一さんのアーキフォーラムのことが記事になっています。見落としていたら、阪大院生M君が教えてくれた。
 とてもいい内容である。神田剛さんの署名入り。彼は会場で初めてお目にかかったが、プランタン閉店のことを大きな記事にした朝日の学芸部のかた。平良さんの人柄や活動が実にうまく書かれている。asahi.comで検索したが出てこない。こんな記事を載せないでどうする!
 打ち上げの飲み会でのわれわれの雑談にまでふれてあって、「話題はいつしか、ファッション誌を思わせる編集で、若者の支持を集めるデザイン雑誌『カーサ・ブルータス』に。『ぼくは1回見ただけ。読んでないから、知らないよ』。どうやら硬派雑誌を渡り歩いた大編集者のお眼鏡にはかなわなかったようだ。」と記録された。実は僕も『住宅建築』にこのレポートを書かなくてはいけないのですが、丸写ししたいほど。

2003-7月11日(金)

 県立美術館での公開講座用のスライドの整理と原稿づくり。来週の安藤忠雄講演会について事務局と細かな打ち合わせ。学科でのいつもの特別講議とは全然違う(笑)。いいのか。

2003-7月10日(木)

 院生と南方熊楠コンペの打ち合わせ。大筋は整ってきた?!レポートチェック、即日設計の課題づくり、その他。夜は杉浦康平先生へインタビュー。院生が修論がらみでインタビューをお願いしたので僕も同席。ほぼ同時期に『SD』『a+u』『都市住宅』という性格の異なる3つの建築雑誌の表紙のデザインを杉浦先生ひとりでおこなっている。短時間だったが興味深い話をうかがうことができた。
 一昨年の卒業生K嬢(研究室は別)が来学。この春から某建築雑誌の編集部に就職が決まり、今日はお仕事を兼ねて大学へ。就職おめでとう。これで建築3誌に芸工大の卒業生を送り込んだぞ(笑)。

2003-7月9日(水)

 2年生向けの講議の最終回。授業全体のまとめと読んでほしい本のリストの提示、それとレポートの出題。理屈好きを少しは育てられたかな。県立美術館での公開講座で使うネタの準備。今度の土曜日です。
 長崎の事件の犯人が12歳の中学1年生と判明。4歳と12歳。言葉を失う。わが家にも5歳と11歳の兄弟がいる。彼らを不思議な思いでながめた。

2003-7月8日(火)

 卒論の中間発表会。多くの人はまだまだですね。論理というと大袈裟になるような基本的な筋立てができない人がいるのがとても気になる。

2003-7月7日(月)

 大学で雑事。肝心の仕事はなかなか進まない。
 今日の本。『近代日本建築運動史』『タチ 「ぼくの伯父さん」ジャック・タチの真実』。

2003-7月6日(日)

 久しぶりに行事のない休日。
 今日は家族でギャラリー心で開かれている三葉虫展へ。三葉虫の化石ばかりを収集されている方のコレクションの展示に加えて、今日は岩の中から三葉虫の化石を掘り出すワークショップ。みんなでカチカチと小さなハンマーをふるいました。最後の2枚の写真が、わが家にやってきた2匹の三葉虫さん。3億年か4億年くらい前のものです。モロッコで掘られたもの。
 展示してある化石は大きいのは20cmくらいから小さいのは1cmくらいで、同じ種類でどうしてこんなに大きさが違うんだろう。まだまだ大雑把な存在の仕方だったんですかね。
 化石といえば岩の中の「へこみ」(建物でいうと「型枠」)のことと思っていましたが、写真でもわかるように「からだそのもの」(建物でいうと「コンクリート」)の化石もあるのでびっくり。さすがに「ミイラ」とは違って物質的にはもとの組成がわからないくらい変化しているそうですが、しかし細い足やからだの凹凸までがそのまま目の前にあると(ゴキブリが裏返っている姿を想像してください)なかなかの感動を味わえます。
 三葉虫かあ、と念のためgoogleで検索してみると最初にでてきたのがこのページ。す、すごい。世の中にはいろんなひといるんだなあ。

 昨日から坪内祐三の『一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』を読んでいて、中学から高校の頃の世界へとすとんとタイムスリップしています。1958年生まれの著者による1972年についての詳細な記述は、1956年生まれの僕の記憶と完全にシンクロする。書名で検索して見つけたこの書評がとりあげている横井庄一と重信房子を比較した分析は、まさに僕も一番印象に残った箇所である。坪内がそこで指摘しているように、僕らくらいの世代まではまだ太平洋戦争の残り香を嗅いでいる。僕も小さい頃、白装束の傷痍軍人を見た記憶があるし、風呂にはいったときに父親(入隊はしたが戦地に行くことはなかった)が歌う「さらばラバウル航空隊」といった軍歌を今でも覚えている。小学生の頃はプラモデルで軍艦や戦車やらを何の疑問もなくごく自然につくったし、父親の戦記物の戦闘場面の写真をよくながめていた。唐突ですが、『この先の建築』とのあまりの距離に思いを馳せた・・と。

2003-7月5日(土)

 昨日かいた『これから論文を書く若者のために』の著者のホームページはここ。理学系のひとのこういうセンス、僕は大好き。
 今日の本。『この先の建築』『低地オランダ』『オランダの近代建築』。

2003-7月4日(金)

 大学で、県立美術館での公開講座で使うネタの準備。午後、建築家・Mさんがいらっしゃる。夕方は梅干し屋さんプロジェクトの看板について、デザイナー・J さんと現地打ち合わせ。看板って難しい。近くなのでギャラリー「心」にもお連れする。更新が遅れてはいますがこんなホームページができてました。
 先日かいた軍艦島についてですが、そこでの日常生活を写真で記録した本といえば『軍艦島 海上産業都市に住む』(岩波書店)を忘れてました。検索すると、これももう新刊では手にはいらないみたい。なんてことだ。僕はもってるので見たい学生さんはどうぞ。
 今日の本。『住宅建築 7月号』『SQUAttER』『これから論文を書く若者のために』。

2003-7月3日(木)

 4年生のゼミ。卒論の中間発表の梗概提出締め切りが明日なので、1日がかりで全員の相談にのる。急にテーマを変える学生まででるが仕方ない。自分の好きなことを未練を残さないようにやるだけだ。いつものことだが、みんななかなか論文の筋の組み立てができない。どうしてなんだろう。要するに話の「落ち」をつけることができないんだなあ。「で、それがどうしたの」「で、そこから先、君はどうするの」。そんな質問ばかりしたくなる。「それはこういうこと?」と翻訳・意訳をしているうちに多少方向が見えてきて、全部が終ったのは夜の9時。もっと早く相談に来んか!
 午後、卒業生のY嬢がやってくる。現在の場所からさらにステップアップの相談。頑張っている。

2003-7月2日(水)

 2年生向け講議。コルビュジエを通してみる設計プロセスのモデル化のような話。この授業も残りあと1回だ。

 午後は先週に引き続き学科主催の特別講議。今日は香山壽夫先生。演題は「建築をつくる喜び」。建築は人と世界との関係をつくるためにつくるんだ、それはとっても楽しい作業だというようなことを、アメリカインディアンの集落やアイルランドの離れ小島の修道院など印象的な写真とともに熱く語られた。
 僕が香山先生について印象的なことは、お目にかかった瞬間にでるいかにも懐かしそうで包み込むような笑顔である。これはたいへんにありがたい。その瞬間、学生に戻るような気がするから不思議である。といっても、僕は卒論だけ香山研で大学院は駒場の広部先生のとこ。香山先生とは学生の頃そんなにお話などしていない。というか、そもそもあの頃学部の学生と先生とが直接話すとか先生の研究室を訪ねるとかいうことは考えもしなかったように思います。院生や助手のかたも別世界の存在だった。でもこの笑顔でなぜか東大建築学科へのノスタルジーがこみあげる。不思議です。香山先生がすぐれた「教師」ということかもしれないですね。僕が香山先生と多少直接のやりとりをさせていただくようになったのは、就職後のいくつかの転機のおかげ。鈴木成文先生や指導教官であった広部達也先生とすらそんな感じ。大学の教師とはそんな存在でないとだめかもなあなどと自省した。

2003-7月1日(火)

 早くも7月。大学であれやこれや。