Logbook:Yoshiaki Hanada
2002年12月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2002-12月30日(月) 

 ここ数日調子が悪く更新をさぼってました。
 
 明日から2日まで実家に帰ってます。したがって今年の日記はこれが最後。今年はいろいろとありがとうございました。皆様、良いお年をお迎え下さい。

2002-12月26日(木) 


 県立美術館へ。 この展覧会。なにしろ入場者数が少ないのには驚いた。常設展の方もがらがら。おそらく、全館の展示室の観客数より監視役で座っている女性の方が多かったんじゃないだろうか。今日一日で税金がいくら使われているのか。友人の建築家A君が「(美術に対する)愛のない建物だ」と評していたが、同感。

 最近買った新刊本の一部から。
 『藤森照信の原・現代住宅再見』:何しろモダニズム住宅の現在の写真が新鮮。もっといっぱい載せてほしかった。原さんの初期の作品「伊藤邸」の現在の様子が紹介されている。びっくり。本邦初公開ではないか。有孔体だ!学生時代、『建築』誌の「RAS」(=原さんたちの最初の頃のグループ名。念のため)の特集号は古本屋で探した。今ももっています。あの特集はかっこよかった。慶松幼稚園も見に行った。僕はこれが原さんの作品の中では一番好きだ。ところで本書の藤森先生の文章がいつになく粗いと感じるのは僕だけか。たとえば「塔の家」のところで、「大阪、ということ。安藤忠雄の『住吉の長屋』が大阪×大阪=の二乗であることは今さら言うまでもないが、東夫妻とストリートのことをあれこれ話しているとき、ふたりとも生っ粋の大阪っ子であることを初めて知った。・・略・・東さんの〈塔の家〉は、大阪×東京という計算になる。二乗ではないが、第一項は大阪なのである。大阪という古い都市のもつ町の暮しの伝統、これが、ふたつの歴史的住宅を生み出した背景にある」とあるが、勿体ぶった書き方だけど結局たいしたことは言ってない。こんな感じの文章が目につくんですけど。
 『STUDIO TALK 15人の建築家の物語』:『GA DOCUMENT EXTRA』でのインタビューをまとめたもの。内容ももちろん面白いんだけど、日英併記なのでとにかく英語の勉強になりますよ。学生諸君にはそういう利用の仕方を薦めます。
 『グラウンド・ゼロからの出発』:鶴見俊輔とダグラス・スミスの対話およびそれぞれの発言集。簡潔でしかも重みの有る言葉が並んでいる。必読。

 この日記、けっこうデータが重いので、今日から1ケ月ごとにまとめることにしました。10・11月分は過去ログへ。

 ピッピッピ!卒業制作、修士論文、修士設計をやっているゼミ生の諸君、どうかな?ぼやーっとしてちゃだめだよ。考え抜く!

2002-12月25日(水) 

 中東壽一さんについての短い文章完成。メールにて編集部へ送付。年明けにでる『GA HOUSES』です。

2002-12月24日(火) 

 院生とのゼミ。修士論文、修士設計。意外に学生が意気消沈している。なんてことだ。答えが出ないと言ってても仕方ない。答えを出すんです、とにかく。



2002-12月21日(日) 青木光利さんの死

 松山へ、辛い日帰りの旅。地元で活躍されていた建築家の青木光利さんのお葬式に出席した。金曜日の夕方、講評会の最中に連絡がはいり、言葉を失った。
 青木さんの略歴はここ。僕にとっては、松村正恒研究の最大の恩人でした。松村さんのことを詳しく調べようと地元の窓口を探していて、たしか『建築ジャーナル』誌でお名前を知り、問い合わせたのがきっかけでした。松山に出向きお目にかかり、あちこち松村関連の建物や場所を案内していただいた。多くの人にも引き合わせてもらい、それはもう信じられないほどの優しさだった。話好き、若者好きで、夜遅くまで飲んだのでした。
 
その後はもう頼りっぱなし。なにか質問があると電話した。1999年7月24日、八幡浜市での松村シンポのまとめ役をつとめられ、このときもたっぷりお世話になった。内子にある民家を改造した「石畳の宿」に僕や芸工大の学生たちと同宿され、いろいろなお話をうかがった。あのときの学生諸君、覚えてるよね。朝早く近くの水車小屋の方へ連れていってもらった人もいたなあ。
 このシンポの事前相談では、「石畳の宿」にも御一緒し、同じく松村研究でお世話になっている愛媛大学の曲田清維先生と尾道へ集まり、瀬戸内の島と町と味を堪能させていただいた。とにかく建築と町と村と人が大好きで、瀬戸内を愛し、島を愛し、愛媛を、四国を愛しておられた。松村正恒の晩年を見続けたひとでもある。愛媛県と四国の建築界はとんでもない打撃だろう。重要なまとめ役を失ってしまった。
 僕はこの夏、電話でお話をしたのが最後になった。林雅子展でまたも模型をつくっていることも報告した。あのときは何ともなかったのに。
 お葬式では松村夫人にもお会いでき、曲田先生と一緒に久しぶりに御自宅にもおじゃました。松村正恒の設計した穏やかな居間で、青木さんの思い出を語り、松村さんの話をし、少し救われた気分にはなった。でも、ひとりになって松山からの帰りの電車のなか、こんど松山に行くときはもう青木さんに連絡できないんだと思うと、途端に悲しみがこみ上げてきた。来年は松村さん関係の催しを何かやろうという話がでかかっていた矢先である。無念と言うほかない。何も恩返しができなかったことが悔しくてならない。1944年生まれ、58歳。早すぎました、青木さん。



2002-12月21日(土) 

 九州芸工大へ。ここ数年やっている1年生対象の課題の講評会。あらかじめ指定した住宅の20分の1の模型をグループで作る課題です。今年も力作が勢揃い。とっても面白かったです。

スカイハウス/菊竹清訓/増築していく様子もつくってありました。

ボルドーの家/コールハース/照明と素材感に凝ってました。

壁のない家/手塚貴晴+手塚由比/構造上の工夫がよくわかった。

日本橋の家/岸和郎/鉄骨、各種金属パネル類がよく表現できていました。

カーテンウォールの家/坂茂/カーテンがほんとに縫ってあった!

ブルーボックスハウス/宮脇檀/斜面が梱包用のプチプチシートでつくってあって意外に効果的。

バラガン自邸/ルイスバラガン/何しろデカイ。すごい迫力。植物や土もリアルでした。匂いつき!

母の家/ロバートヴェンチューリ/インテリアが細かく作ってあってリアル。



2002-12月20日(金) 

 4年生の卒業制作中間発表会。正直言って、おお!と思うものがあまりない。テーマとか敷地選定を誤ると卒計の意味はないと思う。もっと頭を使ってほしい。

2002-12月19日(木) 

 朝10時から夕方 6時半頃までかけて、3年生のデザイン実習の講評会。力作が多く、実に楽しかった。卒計並みと言えそうな完成度の高いものから、これまでやや少数派だった造型的作品まで出揃いました。例の誇大妄想狂氏も期待を裏切らず、十分にみんなの眼を楽しませてくれた。きわめて強力な学年だ。D先生からハナダさんにしては珍しいねとからかわれながら、何度もべた褒め発言をしてしまった。4年生と修士2年生諸君!助っ人探すなら今のうちですよ。

2002-12月18日(水) 

 『建築家 林雅子展の記録』という冊子が届いた。入場者数・見学・インタビュー・打ち合わせ・出品目録などが細かく記録され、展覧会場の構成図面や模型制作・作品集編集風景の写真が掲載され、シンポジウムが活字化され、展覧会関係者から寄せられた感想文が並び、関係者リスト・展覧会の紹介記事リストが整理され、そして最後は林昌二さんの「『展』と『本』を終わって」という文章で締めくくられています。A4サイズで32頁の小冊子。展覧会事務局の手作り編集がとてもいい。僕も短い字数の中に、この企画に参加して得た思い出をできるだけたくさん書いてみました。学生たちにもさっそくコピー。来年には巡回展も予定されているようです。展示された模型の現在の行き先も書いてあり、いっぱい生まれた犬の赤ちゃんがもらわれていったみたいで微笑ましい。会計報告まであり、誠にきちんとしたまとめです。林さんらしいなあ。展覧会事務局も年内で解散とのこと。山本喜美恵さんもお疲れさまでした。ああ、終わっちゃったね。 僕が書いた文章は以下の通りです。

 「海のギャラリー」の模型制作と大阪展の企画に参加し、実にたくさんの思い出を残すことができました。ともかく実物を見なくてはと学生たちと土佐清水市に車を走らせ、まずはその遠さに驚きました。現地で合流した林昌二さんや植田実さんのお人柄も強烈な印象。模型制作を始めてみると、林雅子流の見事な論理を実感する日々が続きました。林昌二さんに神戸芸工大で模型制作の現場を見ていただけたのは、学生たちへの何よりの激励。大阪展のトークセッションに向けて建築家・林雅子の位置づけを考えていると、雅子さんに試験をされているような気分になっていました。果たして合格できたのでしょうか。東京展と大阪展を比較し、あらためて実感したトーキョーと関西のノリの違いも面白かった。そして絶対に忘れられないのが大阪展関係者での慰労会。林昌二さんとあれほど楽しくかつ怪しい飲み会になるなんて、まさに一生の思い出になりました。
 展覧会終了後、「海のギャラリー」の模型は土佐清水市に寄贈され市役所のロビーに飾られています。現地の海岸で集めた貝殻を模型の中に「展示」したのが地元で好評という高知新聞の記事に、学生たちと私は快哉を叫びました。


 大学の方は学科会議と教授会の日。ただし僕は「伝道師」の仕事でした。ある高校でデザイン分野の勉強や仕事を紹介してきました。相手は高校1年生。
 3年生は今日が課題の提出締めきり。明日は朝から夕方までかけた大講評会です。

2002-12月17日(火) 

 午前中は、以前からやっている小学校あき教室プロジェクトの打ち合わせ。今日は行政側の担当者のかたにこちらの案を見せました。何しろ従来のパターンとは違うので、主旨はわかるがコストが問題との指摘。さあこれからどのあたりまで踏ん張れるか。

 午後は3年生の実習のエスキス。といっても明日が提出締め切りなので、もう何も言うことはない。かなりの大作も出そうな気配ですが、さてどうなるか。提出枚数に上限はありますかと質問した誇大妄想狂の彼は2桁の大台にはのったとの噂。けっこうけっこう!

 夜は環境デザイン学科の忘年会。いやはや本日もみんな言いたい放題。言論の自由のありがたさよ!これが僕らの学科の最大の魅力だ。
会場は「gri-gri」。お店の4人のメンバーのうち3名が環境デザイン学科の2期生です!お酒も食事もOK。どうかご贔屓に。

2002-12月16日(月) 復活!

 不思議な体験でした。奇跡を目撃するというのはこんなことかと思いました。
 本日大学へ行って研究室のマックを立ち上げ、あーあ消えちゃったなあと思いながら何気なく花田研のページにつなぎ、Logbookのボタンをクリックすると、なんと!消えたはずの12月11日までの日記が画面にあらわれるじゃありませんか。びっくりしました。雪山で遭難した友人を発見し、もうだめだろうと思って抱き上げるとわずかに身体が暖かい。そんな驚きと喜びが入り交じった感動に包まれました。そう、研究室のパソコンにはなぜか残っていたんですね。詳しいことはわかりませんが、芸工大のサーバーは学内からのアクセスだとデータの更新が遅いことがあっていつもいらいらしていたのですが、それがこんなときに役立とうとは。
 画面をそのままにし、急いで院生室の村山君に電話。生きてたぞー、すぐにヘリを寄越せ!というわけです。とりあえずワープロソフトを立ち上げ、画面のテキストをコピーして救助隊の到着を待ちました。しばらくすると村山君がやってきて、HTMLを保存、見事に復旧することができたのでした。いやはや感激いたしました。

 「まさかコピーしてもってるよ、なあーんてかたは、いらっしゃらないでしょうね」というお願いに、なんと2名の方からの反応があり驚きました。ひとりはわがゼミの職長Hこと東端君。最近のはないのですが、ゼミにはいる前からの愛読者とのことで、1年ほど前のLogbookのテキストのコピーの束をバサッともってきてくれました。変なやつです。
 もうひとりは、近代建築史の某先生。最近の2か月分ほどのテキストのコピーが本日メールで届きました。これにはかなり驚きました。ありがとうございました。

 今回のドタバタで、実は1日分だけは消えました。そこに紹介したホームページを再録します。組織事務所を辞め、35歳でニューヨーク市立大学大学院に留学した岡崎誠さんのページです。先日、ニューヨークで僕の日記を愛読しているとのメールをいただき、やりとりが生まれました。実は大阪の建築協会の活動などでお目にかかったことがある方で、いろいろと感慨に浸りました。あちらの大学の授業の様子なども紹介されていて参考になります。御本人の了解も得ましたのでリンクしておきます。


 というわけですっかり元気をとりもどしたハナダです。



2002-12月15日(日) あーあ・・・

 にっきがきえるとさびしいなあ。



2002-12月14日(土) 中東壽一さん

 今日は、建築家・中東壽一さんにお話をうかがいにいってきた。一連の住宅インタビューシリーズであり、某雑誌で中東さんについて原稿を書くための手がかり探しでもあります。京阪・香里園駅で待ち合わせ。研究生・松田君、4年生・安藤君と中家君も同行。中東さんの車で、最新作「桜木舎」→「村野の建売住宅」→アトリエ兼自宅「想舎」という順番にまわっていただきました。
 「桜木舎」には一同圧倒されてしまいました。中東さんといえば、柱を連続させて壁や床をつくる例の作風ということになるわけですが、その手法がこれほど力強く、かつまた魅力的なものとは思いませんでした。プラン、セクション共に絶妙。敷地条件を読み込むとはこういうことだと教わりました。間もなく各雑誌に発表されます。お楽しみに。
 「村野の建売住宅」は一変して部品は既製品の集大成。しかしいろいろな工夫が面白い町並をつくりつつあります。さすが。「想舎」は柱を連続させて壁をつくった最初の作品。年月を経て、じつに渋い味わいを出していました。スタッフのお二人もいっしょに、里芋がいっぱいはいった奥様お手製のお汁をごちそうになりました。土足の床、中庭と一体になって実に居心地のいい居間、そこをうろうろしている大きなカワイイ真っ黒の犬、里芋のような味わい深い九州女の奥様、それらに囲まれて渋く語る佐○蛾○郎のような中東さん。一同、降参。
 僕は、以前『新建築』の月評(94年6月号)で、中東さんの「楽蹴舎」というサッカー少年のための面白い建物について、別のおしゃれなだけの建築の設計者が書いていた「風景をとりまとめる」という言葉をとりあげ、「風景をとりまとめる」とはむしろ「楽蹴舎」のような建物にこそ使うべき言葉だと書いたことがあり、それ以来ずっと気になっていたかたでした。じっくりいろいろなお話をうかがい、やはり、計画的・批評的眼差しの持ち主であると再確認。 勉強になった一日でした。

「想舎」外観と2階の居間部分。

 日記が消えるというのは妙な気分です。くそ!過去の日記のリンクもとばなくなった。データは無事なんだけどどういうわけだろう。僕がコンピューターにさわるのは、九九を知らずに数学やってるようなものなので、こういうときは茫然自失状態です。Dreamweaverってなあーんか不安定だと思いませんか、とソフトのせいにする。

2002-12月13日(金) あーあ・・・

  9月以降の日記が消えてしまいました。家から芸工大のサーバーへ送るときに何らかのトラブルがあったと思われますが、なんともはや。掲示板のクラッシュに続く事故でした。院生・村山君のパソコンの中に前半くらいまでは残っているやらもしれないので、多少は復旧できるかも。まさかコピーしてもってるよ、なあーんてかたは、いらっしゃらないでしょうね。あ、今日は13日の金曜日だ・・。

・・・・事件発生・・・・

2002-12月11日(水)

 午前中、4年生の卒業制作についてのゼミ。うーん、まだまだ。自分の卒計のときの話を披露(図面と模型も、へへ)。卒計に自分のすべてを賭けることができたということを言いたいだけ。そうしろともそうすべきだとも言いません。人生論は大嫌い。卒計はそういう対象になり得るということを伝えたいだけ。 考え抜く!問題を簡単にしない!問いの立て方を明確にする!答えは問いの立て方の中にある!敷地がすべてを決定する!どんなことがあっても自分が予定したものを時間内に完成させる!ぜったいに未練を残さない!自分を信じる!

 午後は内藤廣さんの特別講議。外部の方もかなりいて盛況。僕は最後の方しか聞けなかったが、内藤さんがすごい規模のプロジェクトに多く関わっていることを初めて知った。講演終了後、人生論的というかカウンセリング的というか、そういう質問が出たのが印象的。4つの質問中、2つが芸工大生、2つが他の大学の学生さん。それぞれのうち1つずつがそういう感じの質問だった。僕だと、そんなこと他人に聞くかよ、自分で考えろと言ってしまいそうだが、内藤さんはていねいにお返事くださる。今の学生諸君にときどき感じる傾向です。なにか自分に言ってほしい症候群、なんていうと叱られるかな。 春から芸工大に編入が決まったひとや他大学の学生さんや先生もいて楽しいワインパーティーでした。大学には外部のひとが常に出はいりしてないといけませんね。

2002-12月10日(火)

 3年生の実習のエスキス。しつこく見せてくれる人が良くなってると思うなあ、やっぱり。製図室の奥のコーナーで、作業中の学生諸君の半分邪魔をしながらいろいろと建築話、世間話。学生諸君も、手は模型を作りながら、頭は僕のバカ話を聞いていて、いろいろと反応を返してくる。こういうのが一番面白いな。
 6時からは学科主催のトークセッション。今日は貝島桃代さん+志村真紀さん(芸工大卒で現在貝島研院生)。貝島さんは、廃墟、すきま、ジェネレイティブな建築の三つをキーワードにして、メイドイントーキョーやアトリエワンの作品紹介。志村さんは、貝島研のホームページの自分のコーナーで紹介している大学院での活動について。アトリエワンのいう例の「ONとOFF」の話が今日も出た。いろいろな側面が「OFF」になっている状態としてメイドイントーキョー物件の特長が説明されるわけだけど、全体として定義と評価軸の曖昧さがついてまわるように思うのは僕だけか。そのあたりを質問してみましたが、要するに価値判断は保留しているというような予想通りの返事です。ああいう物件の面白さは、『都市住宅』誌などがすでに提示した視点で十分に理解できるのではないのだろうか。トーキョーの狭い敷地や小さな住宅を欧米人が面白がるなんていうエピソードは、「ゲイシャ、フジヤマ」とどこか違うと理解すればいいのかな。いろいろと思いを巡らすことのできた一日でした。

2002-12月9日(月)

 寒い一日。関東地方は大雪。東京が雪というニュースをきくと、僕はなぜか学生の頃の気分を思い出す。就職してからのほとんどの時間を雪の少ない関西で過ごしているからでしょうか。2年生の頃だったかやはり東京が大雪に見舞われ、ひんやりした下宿の窓から白一色の風景を見ていたことをよく覚えている。さみしさと温もりとが混ざりあった記憶である。東京に雪。

 6日は教育に半日を使い、7日夜は芸工大の初期の卒業生の結婚式2次会に出席、8日は家の雑事。このところ「いまごろ面倒臭いなあ」の紀要原稿に悩まされていて、肝心のことが進まない。

 小熊英二の大著『〈民主〉と〈愛国〉 戦後日本のナショナリズムと公共性』がでて、あまりの厚さに手が伸びていなかった『〈日本人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮植民地支配から復帰運動まで』と、デビュー作『単一民族神話の起源 〈日本人〉の自画像の系譜』といっしょに買ってきた。積読の典型だな、こりゃ。ホームページは、うーん、かなり意外だ。

 どうでもいいことなんですが、最近、東大関係のこんなページを見つけました。いろんなコーナーを覗いていくと自分が学生の頃と比較したりして面白い。いわゆる進振りについてもこんなコーナーまであって驚くのですが、なによりびっくりしたのは工学部の学科名称の変わりようでした。ヘえー、こんなことになってるんだ。昔のままなのは建築学科くらいじゃないか。ついでに駒場関係はこんなのがあります。今の時代に学生だったらどういう生活を送ってるんだろ。

2002-12月5日(木)

 3年生のエスキス。かたちの決め方がわりませんと、か細い声で女子学生のひとりから聞かれるかと思うと、誇大妄想狂の男子学生がトレース台のうえに何枚も貼り合わせた巨大な紙を広げインキングに励んでいる。コンピューターが使えないんだそうだ。何人かの熱心な学生諸君のあいだをまわってなだめたりすかしたり。僕は動物園のようなこんな製図室が大好きだ。
 『沢田マンション物語』の書評を藤森さんが毎日新聞に書いていた。沢田夫妻の人物像よりも建物寄りの内容はちょっとどうかなと僕は思うけど、でも建築関係者が書いたものでは初めてでしょうか。建築雑誌の編集者の皆さん、この本無視してていいの?

2002-12月4日(水)

 午前中、学科会議。午後は大学院の共同プロジェクトの発表会でしたが、入試関連の資料づくりをやっていて出席できず。夕方からそれを使って学科での会議。というわけで院生諸君のせっかくの発表を全く聞くことができませんでした。残念。
 掲示板に、一昨日おじゃました駒井貞治さんから面白い書き込み。駒井家のキャッチフレーズを考えたら駒井家の年賀状がもらえます。このあいだ僕らも何年か分を見せてもらいましたが、どれもこれも笑いが止まらなくなる傑作ばかり。皆さん奮って参加しましょう。こないだおじゃました院生諸君はかならず応募してね。「○○家族の ○○生活」。
 今度の掲示板にはカウンターがついていて、10数日で1000番台に乗っていた。
1日平均60いくつ。意外に多い。掲示板っていったい何だ。

2002-12月3日(火)

 3年生のエスキス。スケッチを見せる人の数が減ってきた。大丈夫?M2の修士設計の相談にものる。こんな時期に弱気になってどうする。自分を信じろ。ビジョンを示せ!オレは野球部の監督かなんて呆れながらハッパをかける。
 住宅本の新しいのが多く目について購入。『変わる家族と変わる住まい』、『住居はいかに可能か』、『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』、『渡辺篤史のこんな家で暮したい』、『住宅建築』 12月号。感想は後日。

2002-12月2日(月)

 京都へ。共同研究の一環で、駒井貞治さんの事務所兼自宅(「借家生活-3’」)におじゃましてのインタビューです。「借家生活」ですっかり有名なあの駒井さんです。助手の福本さんと花田研の院生・研究生が全員参加。半分くらいと思っていたらみんなやってきました。不思議な駒井さんへの興味津々というわけでしょう。じつにじつに楽しく有意義な午後でした。「借家生活-3’」は予想以上に広く快適。駒井さんの空間感覚と家族観の確かさを実感しました。そして奥様と子供さんたちの生き生きとした暮しぶりも魅力的。吉村篤一さんのもとでの修業時代、そこからの脱皮、そのための苦悩、そして駒井さんが組み上げた理屈、そんなことをたっぷり話してもらいました。とても論理的なひと、そう思いました。吉井歳晴、吉本剛のご両人も吉村篤一さんの事務所出身です。この3人の比較も話題になった。面白そうなテーマ。あまりに楽しく、すっかり暗くなるまで居座ってしまった。

 インタビュー終了後、学生たちとぶらぶら街を歩いて、えー、なんというお店だったか、例の毎日新聞社の古いビルを改修したあの建物の地下のカフェへ。そこから地下鉄の駅までのあいだにもたくさんいろんなお店があって、いやあさすが京都です。都市生活がありますね。こんなところに住んでいたら楽しいだろうなあと思う反面、建築学科の学生時代を京都で過ごしていないせいか、どことなく馴染めない気持ちも相変わらず。
 行きの電車のなかで、先日書いた四谷シモンの『人形作家』を読了。1960年代の東京のアングラ文化の状況を追体験させてくれる。彼の特異な家庭のようすも一読の価値あり。おすすめします。

2002-12月1日(日)

 以前勤めていた短大で一番長くつきあいが続いている年のゼミ生から結婚式に出てくれとの嬉しい電話。日建を辞めて教師になり担当した2番目のゼミ、つまり、その1年生からの姿を知っている最初のゼミである。そのときの数名の学生たちとはほんとに楽しくつきあうことができた。わが家に何度も遊びに来てくれたし、飯ごう炊飯までやったゼミ旅行ではまだ小さかった上の子供も遊んでもらった。すでに何人かの結婚式に出席した。芸工大に編入したり建築に関係ある仕事に就いたひともある。正直言って短大での学生とのつきあいは難しい。何しろ2年間しかないし、多くのひとは専門的な道を目指してはいない。そのなかにあって、本当にこの年のゼミ生たちは面白かった。そんな彼女たちももう29歳なんだ。