Logbook:Yoshiaki Hanada
2001年4月〜2001年9月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。御意見、御感想等ありましたらこちらまで。

2001-9月25日(Tue)〜28(Fri) とたんに

 AO入試関連の作業、秋からの各入試のこと、学科会議、教授会、大学院入試、共同研究報告書の作成、と、新学期を目前にしてどっと忙しくなった。
 アメリカをどう支援するか、自衛隊を戦いやすくするにはどうしたらいいか、そんな話ばかり。どうして自分の国の国民を危険な場所に行かせることなど考えられるのか。そんなに行きたけりゃ、自分たちだけで行けよ。

 

2001-9月24日(Mon) 東京 建築学会の大会

 今日は自分の口頭発表。この春僕の研究室を修了した石坂美樹さんと、『国際建築』誌についての口頭発表を2題おこなった。結構うまくいったのではないかな。「建築歴史・意匠」の「建築論・批評」というセッションに分類されたので、何とも難解な(だけの!)発表が多いなかで、僕らのはきわめて具体的かつ理解可能な内容だったと思いますね。
  以前青木君たちと建築文化の特集号(9311「世界とかたちのモデリング」)をつくったときにお世話になった彰国社のKさんが僕らのセッションを覗きに来ていて、石坂さんと共にお昼御飯。学会の発表のレベルもいろいろあるねえ、と彼。全く同感です。自分のことは棚にあげるとして、こんなことやって何になるのと言いたくなるのや、ひじょうに基本的な論理的欠陥が目につくのやら、いろいろな論文ありますよね。発表件数を、せめて今の半分くらいにすべきでは。修士の1年生で発表しているのはたぶん卒論の内容を出しているんだろうけど、よほど優れた研究じゃない限り、そりゃないでしょ。出させる先生の責任も問われていいと思うなあ。
 石坂さんと建築学科所蔵の図面展を見て、安田講堂で岡部憲明さんの講演を聞いて、ぶらぶら。何人かの知り合いとすれ違いながら、今日もいいお天気。
 それにしても、安田講堂の後ろに建ったガラス張りの校舎は犯罪的ですねえ。どんな経緯があったのかなかったのかしらないけど、びっくりします。一面の空を背景にした安田講堂という写真を、2度と誰も撮ることができなくなったんだからなあ。

 石坂さんと別れて代官山へ。ヒルサイドテラスの写真を撮るのと、SDレビュー見学。ついでにアートフロントギャラリーで卒業生のK君に会う。同潤会の跡地へも行った。休日のせいもあるのでしょうが、すごい人出。都会のひとはみんなこじゃれているなあ。それだけ。そそくさと東京駅へ向かった。

 

2001-9月23日(Sun) 東京 建築学会の大会

 東大へ。建築学会の大会である。いいお天気で、久しぶりに本郷キャンパスをぶらぶらした。大学に戻ってからはたまに建築学科の建物へ行くことはあったけど、キャンパスをゆっくり歩くなんて卒業以来久しぶりだ。つまらない研究発表を聞きに行く気にもならなくて、安田講堂でおこなわれていた21人の建築家連続講演なる催し物へ。僕が聞いたのは、内藤廣、隈研吾、林昌二の3人。
  内藤さん、予想以上に説教臭かったなあ。びっくりした。隈さん、オブジェとしての建築ではなく周囲の環境との「関係」として建築をとらえ、その存在感を消したいという説明には僕も心から共感するし、まさにわが家「渦森台ハウス」でも考えたことなんだけど、それを、ルーバーやガラスによる層状の空間の重なり合いと直結されると、やはりルーバーやガラスのもつ表現性に目が行ってしまって「オブジェ」であり続けているように見えるような気もするんですが、そのあたりはどう考えているのだろう。建築を消したいという意識は「M2」のときも同じだったとおっしゃったのには驚いた。林さんのはいかにも林さんらしい辛辣な社会批評が印象的で、今の日本は「二流のアメリカ」だという言い方には頷くしかない。ただ、アメリカの模倣をし続けたのが林さんたちの世代ではないのかとも言えるわけだから、これもそのあたりどうなんでしょう。
 芸工大の院生H嬢、卒業生S嬢を伴ってキャンパスツアー後、山上会議所での建築計画系懇親会。その後、製図室や研究室を開放した建築学科・長澤研のパーティーへ。さらに何人かで飲む。 「学会」などに顔を出すようになったのは日建を辞めて大学に戻ってからだけど、いまだになんだかお尻がこそばい感じがします。

 

2001-9月21日(Fri) 幸せな出会い

 ある逓信建築を訪ねて兵庫県の山奥へひとり車を走らせた。 ありましたありました、残ってました。やっぱりこういう建物、いいなあ、いいなあ、かっこいいなあ、幸せだなあ。

 

2001-9月20日(Thu) あれこれ

 講議用に街の写真がほしくて昼過ぎまで三宮から元町をうろうろ。街路空間の公共性を示すような写真、つまりまあ、街と人との関係を撮りたいのだけど、木村、桑原、土門、荒木のようにはいかないなあ。さすがにプロだと思い知らされますね。
 そのあと大学へ。夏休みのだいじな宿題をひとつ忘れかけていたことが判明。あぶないあぶない。
 逓信の収穫少しあり。嬉しい。
 斎藤美奈子の書評は日曜日の朝日新聞や週間朝日での僕の大事なお楽しみだが、単行本は読んでなかった。有名なデビュー作・『妊娠小説』(ちくま文庫)を遅ればせながらぱらぱら。斎藤はこの本を書いて、文芸誌の元編集者から「文学はこんなふうに読むものじゃない」としかられたとか。いいなあ。批評はそうでなくっちゃね。

 

2001-9月19日(Wed) BARN-5

 建築学会の大会発表用のOHP完成。ひと安心。
 次は逓信省木造建築についての情報収集中。多少研究らしいこともしなきゃね。

 報復攻撃の根拠はいついかなる事実によって正当化されるのだろう。それとも誰もそんなこと期待していないのか。政府はアメリカが報復攻撃をした場合の日本の対応ばかりを論じているが、その前に、アメリカに攻撃をさせない論理を探るのが筋というものだろう。いやもちろんアメリカだって最初からそんなことは考えていて、主要なイスラム国家をとりこむことで戦争を回避しようとしていたんだと笑い話になってほしい。
 インターネット上でも今回の事件を巡っていろんな言葉が飛び交っているでしょうが、これは読まれるべき重要な文章のひとつではないでしょうか
 
 『新建築 住宅特集』を久しぶりに購入。10月号。『住宅特集』の『住宅建築』化という感想については以前書いたが、その印象とそこから生まれる混乱とがいっそう強烈になっていると僕には思われた。今月の特集は「自然素材・健康素材」。で、巻頭は西沢立衛の「鎌倉の住宅」、宮本佳明の「苦楽園」、ひさびさの長谷川逸子…と続き、突然木と緑がいっぱいの特集ページ。そのなかにムーミン小屋のような村山雄一とリポビタンD のコマーシャルみたいな島御夫妻の作品などが添えられている。なんだかもうわけがわからない。編集者はこの雑誌によって何を伝えたいのだろうか。
  以前見せてもらった宝塚の急斜面に建つ吉本剛の「BARN-5」も掲載された。写真から想像すると住み手のセンスが抜群にいい。設計者との相性もぴったりみたいだ。解説を宮本佳明が書いている。お得意の阪神間の地形論と阪神大震災にからめた読解であるが、さいごに「「BARN-5」と
「『ゼンカイ』ハウス」は運命共同体であると思っている」とある。でも、「運命共同体」という言葉の解釈にもよるが、僕には両者は似て非なるものとしか思えない。善し悪しの問題ではない。両者は厳密に区別されるべきだということだ。「BARN-5」は決して何かの「表現」には見えない強さを獲得しているからである。直感的な表現に過ぎるが、「BARN-5」は、要は住宅である以外の何物でもないのである。まだうまくいえないけど。

 

2001-9月18日(Tue) 日東アパート、ほか

 女性編集者の方から来たメールに、「大きな事件があったので、ふだんの仕事には直接関係ないくせに、 なーんか落ち着かない毎日です。」とあった。まさにそんな感じですね。
 建築家に事件の印象を尋ねた記事 もでたが、こんなこと聞いたり答えたりしてもなあ。質問の相手の選定にどうしてもっと頭を使わないのだろう。その選び方そのものが、今回の事件と建築との関係に対する(そんなものがあるとすれば、ですが)記者の見識を示すわけなのにね。

 遅ればせながら、「大阪市営下寺・日東アパート」へひとりで行ってきました。昭和6年から8年にかけて建設された鉄筋コンクリートの市営アパートです。有名ですね。できてから70年ほどもたっており、住民たちによってさまざまに増改築され、「軍艦アパート」とも呼ばれるその独特の雰囲気については、あらためて書くまでもないでしょう。そろそろ建て替えかと思っていたのですが、全部で3街区あるうちの「南日東町住宅」では解体が始まっていました。たしかに解体工事が発注されています。仮囲いの隙間からそーっと撮影するつもりが、いつのまにか身体が勝手に仮囲いの中をさまよっていました(笑)。
 あわてて残りの2つ(「北日東住宅」「下寺町住宅」)に行くと、そちらはまだ健在。いわゆる囲い型の住棟配置もあって、なんとも濃密な雰囲気です。僕の撮った写真を載せればいいのですが、とりあえずここここの頁で雰囲気はわかっていただけるでしょう。「廃墟」という分類には抵抗がありますが、こんなのも。ともかく順次建て替えられていくと思われるので、未見の方は今のうちに(もちろん皆さんが暮らしておられる現役の集合住宅ですから、そーっと)。
 「北日東住宅」「下寺町住宅」のあいだにある「愛染橋病院」もちょっと不思議な雰囲気でした。表現主義的なモダニズム?詳しいこと御存知の方いたら教えてください。近くの日東小学校と日東幼稚園もいい雰囲気。

 そこから歩いて難波から心斎橋へ。まずは「旧精華小学校」。賑やかなアーケードの一角に突然細い路地のような入口です。1873年開校、1995年に閉校した元精華小学校が、現在地域の学習センターや文化活動の場として蘇ったわけです。京都の旧明倫小学校の例は以前見に行ったけど、大阪でもこんなのがあったんだ。運動場の隅にある旧幼稚園のRCの建物がピロティのあるモダニズムでかっこいい。調べてみよう。詳しいこと御存知の方いたら教えてください。
  久しぶりに村野藤吾の「プランタン」 へ。「都市的」空間という言葉の定義みたいな気がします。ちなみに偶然見つけた上記のページに、安藤忠雄の住吉の長屋が、発表されて来た図面と一部違うという証拠写真がでてますね。僕も以前見に行って驚いてこのLogbookにも書きました。関西では知っている人も多いようですが、でもこんなのいいの?図面と実物が違うことは一般にあり得るとしても、この建物を語る公的な言葉の中でその事実が全く語られていないことにこの国の建築界の脆弱さが象徴されていると思いますね。
 プランタンでとてもよくできたドラえもんの形のパンを買って、心斎橋のあたりの写真を撮りつつ、そごう、大丸、そしてアメリカ村へ。ビッグステップや三角公園あたりの写真撮影。

 

2001-9月16日(Sun) 

 アメリカが報復攻撃の準備を着々と進めているというニュースばかり。5年規模の長期戦も想定とか、嫌な話ばかり。高貴な鷹作戦、とか。
 パキスタンによる仲介で事態が変化することを祈ります。

 ところで比べたところで仕方がないことですが、神戸の地震のときと違うなあと思ったのは、
  ・奇跡的な救出劇の報道がほとんどないこと。崩壊した建物の巨大さを今さらながら感じてしまう。
  ・ブッシュ、クリントン、ニューヨーク市長等が国民や市民にきちんとメッセージを送っていること。メディア経由で、あるい直接に。報復攻撃という次の動きを意識した演出もあるのだろうが、でも首長の義務を果たしている。地震のときの某市長はテレビにすらでてこなかった。
 10月28日は神戸市長選です

 

2001-9月14日(Fri) 

 「新田園都市国際会議2001」の「神戸会議」2日目へ。午前中の発表は、どなたもプレゼンテーションがもうひとつ。というか、それについて何も考えてない。せっかく面白いテーマなのに、残念。どうして御本人、そういうことが気にならないのか。不思議。
 午前中で失礼して、午後は大学。院生の波多野さんに手伝ってもらって建築学会の大会発表用OHPづくり。それと今年やっている(やろうとしている…)木造モダニズム研究の打ち合わせ。
 
 

2001-9月13日(Thu) 新田園都市会議

 ハーバーランドの神戸新聞松方ホールで開かれている「新田園都市国際会議2001」の「神戸会議」へ。

 

2001-9月12日(Wed) 落ち着かず

 朝、青木淳へ電話。東京にいた。安心。
 大学で学生と少し話。嗚呼、迷える子羊たちよ、悩みたまえ!
 夏休みの宿題の残り、大慌てで始めました。
 テレビは終日ニューヨークの映像を流している。

 

2001-9月11日(Tue) テロ

 ニューヨークのワールドトレードセンターへ航空機が激突。ビル、崩壊。夢を見ているような気分だった。夜の10時半頃、何気なく日埜直彦さんのホームページを見ていて、彼が貼り込んだCNNの映像に気がついた。小さかったので何だかよくわからなかった。キングコングの映画を一瞬思い出した。悪い冗談かと思いつつ、でも一応あわててテレビをつけに下に行って、言葉を失った。

 昼間は芦屋市美術博物館へ「関西のモダニズム20選展」 を見に行ったんだった。とても良い展覧会。そんな幸せを、なぜ壊すのか。
 あ、その前には肩の痛みを診てもらいに甲南病院にも行ったんだ。五十肩はこんなもんじゃないそうでして、じゃあなんなんだ。単なる運動不足か?シップをくれた。

 

2001-9月10日(Mon) PTA 

 神戸市のPTAの専門委員会のひとつへ出席。小中高は2学期が始まり、PTAのお仕事がはいり始めました。来年度から始まる週5日制にPTAとしてどう対応するのかしないのか、それに関連して、小学校の「ゆとり」教育と高校受験や生活指導で厳しい締め付けをやる中学校の現実とのギャップ、いわゆる学力低下問題等々について、雑談。なにかがうまくいってない。
 リビングのソファを新調。今までのは2階のフリースペースへ。ごろごろする場所ばかり増えていきます。

 

2001-9月9日(Sun) 

 今日は近くに住む建築学科の同級生H君のお宅を訪問。海を見渡せる抜群のロケーションのマンションでした。おいしいお昼御飯とおやつに、家族全員すっかりくつろいでしまいました。
  昨日、今日といろんな家を見ることができて、とても面白いです。我が家「渦森台ハウス」との比較も楽しんでます。

 6日から肩から背中が痛み始めて、東京ではちょっと心細いくらいひどかったのですが、少し回復の兆しが見えてきた。まあ要するに老化現象なんでしょうね。「四十腕」というらしい。「五十肩」も似たようなものみたいですが、断固「四十腕」と決めました(笑)。あーあ。

 

2001-9月8日(Sat) もう1日東京、「i」など

 で、今日は青木君の設計した住宅「i」の見学。実はこの住み手の方を含めた不思議な人脈がこの春以来生まれていて、それに関係する人々がどやどやと押しかけた次第です。ただし青木君は所用ありで欠席。また、「i」におじゃまする前には、この人脈のなかのひとりが設計した住宅まで見学させてもらえて、なんとも楽しかったです。それぞれの御家族の方々、お騒がせしました。「i」のすぐ近くには吉阪隆正のヴィラ・クウクウ(ウは小文字)があって「i」の住み手の方が連れていってくださった。例の愛らしい姿を初めて見ました。感激。青木君、「i」の感想等はまた送ります。
 帰りの新幹線では先日書いた松井計の『ホームレス作家』。頁を繰る手が止まりませんでした。絶対お薦め本。
 そのまま芦屋のルナ・ホールへ。芦屋市立美術博物館で今日から「文化遺産としてのモダニズム建築 in芦屋」展が始まり、藤森さんの記念講演。終了後、ドコモモ関係の皆さんと飲む。

 

2001-9月7日(Fri) 東京

 東京へ。都美術館の「イームズ・デザイン」展と東京オペラシティの「わたしの家はあなたの家、あなたの家はわたしの家」展へ。
  イームズの方は、彼らがつくったCM等の何本かの映像をじっくり見ることができたのが収穫。とくにファイバーグラスの椅子の制作プロセスは面白かった。それから、つまんないことですが、「ラ・シェーズ」という例の横座りもできるFRPの椅子のデカさが印象的だった。出口には『CASA BRUTUS
』が山積みされていて、なんだかすごいねえ。
 「わたしの…」の方は、うーん、もっと過激なものを期待してたんだけど、都会らしい学園祭ってとこか。 なんだかこれではなあ。

 夜は青木淳と彼のお薦めのシェリー酒専門店へ。ここなんですが、とてもよかった。いろんな話。元気回復。

 

2001-9月6日(Thu) ばらばら

 2日前に書いた物理学者のホームページから見つけたページを二つ御紹介。
   こんなことをやっている物理のひと、好きです!
   こんな風景はとにかく見つめるしかありません!

 松井計『ホームレス作家』(幻冬舎)買ってきた。無責任な言い方ですが、なんというか、いいなあ、こういうの。
先日朝日新聞の「ひと」欄に登場されてましたね。
 日記といえば、最近これを見つけました。 このひとがウェブ上に日記を書くなんて、驚きましたよ。そういう私性はお嫌いであってほしかった。「枝豆は収穫間近です」 なんて言われちゃうとなあ…。

 

2001-9月5日(Wed) 難問

 某所で某君たちと某住宅地開発の作戦会議、と、ときどきかいているやつ。深夜まで。

 

2001-9月4日(Tue) 49歳

 僕のゼミの卒業生のお父さんが亡くなり、お通夜へ。49歳。若すぎます。

 

2001-9月3日(Mon) 訃報

 最近の新聞から訃報3つ。石田清倫、畑山博、毛綱毅曠。
 石田清倫は8月17日に書いた『20世紀の意味』の巨人ですね。畑山博は、そういえば昔『海に降る雪』というロマンチックな小説を読んだなあ。小4息子がこの夏読んでいた『漫画人物館 宮沢賢治』の解説を書いていたので、そのひとだよと教えてやる。毛綱毅曠は、昔夙川にあった「ラ・パボーニ」という喫茶店のことを僕が調べていたとき、今はなき『建築』誌にたぶんまだ神戸大の助手だった毛綱さんが(毛綱モン太のころ)ルポを書いていたのでへーと思った。変な建築つくってるけど、こういう接点あるんだって(このお店のことは『建築MAP大阪/神戸
』に少し書きました)。

 

2001-9月2日(Sun) 数学者や物理学者のように

 信州から帰ってきたらあちらより涼しくなっていた神戸です。いよいよ9月。徐々にいろいろなことが動き出すのでまた忙しくなりそう。あーあ。「夏休みはなぜ終わってしまうのか」。最近大林宣彦が朝日新聞に書いていましたね。

 インターネットの面白さのひとつに、いろいろなひとの「日記」が読めるということがあるわけですが、僕は何人かの理学系、しかも数学や物理の研究者の方々の日記を愛読しています。もちろん全く知らない方たちだし、専門領域の話は到底理解できないのですが、その軽やかで自由でしかも論理的で批評精神旺盛な語り口がなんとも心地よく、楽しんでいます(とっかかりはここでした)。そういった方々のホームページからつながってあちこち覗いていると、この分野の大学院生も結構たくさんのひとが面白いページをもっている。先生たちの影響もあるんだろうなあ。分野の性格が違うのも一因かもしれないが、僕らも見習わなくっちゃねと思っています。
 それとも関連するのですが、このLogbookと掲示板をしばらくやってきてみて思うのは、両者を合体させたやり方がないものかということです。僕自身、どちらに書けばよいだろうかと迷ったり、Logbookに書いていることにもっと直接反応をもらいたいと思ったりするからです。なにかうまい形式ないでしょうか。

 

2001-8月29〜31日 信州

 信州に行ってきました。
 ・茅野市尖石縄文考古館・・どなたの設計でしょうか、スッキリした外観はなかなかよかったです。展示の仕方はオーソドックスですが、やはり八ヶ岳山麓にこんなにたくさんの縄文人が住んでいたと教わると、まさに古代史のロマンであります。周囲は尖石史跡公園として整備されていて、古代の住居が復元されている。先日の清水重敦さんの話を思い出しながら、しみじみと味わいました。体験コーナーではこんなことできるようになっていて、どこかで見たなと思ったら、お近くのご出身の藤森先生が家族で縄文暮らしを実践した写真が彼の何かの本にありましたね。
 それから、えー、展示室や古代住居の近くにいた君!まさかこんなとこでという思いが先にたって声かけそびれてしまったけど、芸工大の学生さんだった?授業始まったら教えてね。
 ・ 安曇野ちひろ美術館・・御存知、内藤廣さんの設計ですね。指名コンペがあったやつ。北アルプスを背景にした広大な敷地のなかの穏やかな建物。びっくりさせられるようなことはないけど、気持ちよかったですね。いわさきちひろ+この空間、ですから人気があって当然でしょう。平日なのに大入り。たぶんリピーターも多いんじゃないかなと想像しました。僕はいわさきちひろの絵はまったく苦手なので我が家にもその絵本はあまりない。こんな絵喜ぶ大人はいても子供はいないんじゃないかと思うからだが、それはともかく、彼女の小さい頃の写真やアトリエの再現などは面白かった。家具はこれまた御存知、中村好文さんデザインのものがはいっている。初めて「使って」みたが、なかなか心地いい。その椅子に深く座りカフェでソーセージを齧っていると我が家にもこれをいれるかなどと妄想が湧き、えらく老化が進んでいると頭をぶんぶん振り回す。
 ・碌山美術館 ・・御存知、今井兼次が設計し、地元の人々と煉瓦を積んだというあの建物です。学生の頃ひとりで行って結構感激した記憶があって再訪したが、周囲に新しい展示棟がいくつも建っていて、このデザインにがっくりした。ホームページには設計者の名前がちゃんとのっていて「オヤ?」と思いながらそれぞれgoogleで検索してみると、いずれも彫刻家のようですね。名前がのっているはずだ。うーん、そのスケッチをもとにどこかの工務店か地元事務所が設計したというところでしょうか。だめですねそれでは。
 ・日本浮世絵美術館 ・・御存知、篠原一男の設計です。この不思議なコンクリートの壁のかたちは、篠原さんらしい力強さと巧みな意味の操作(やはりちょっとジャパネスク、でしょ。なんせUkiyo-eなんだから)があって好きな建物だったのですが、展示がもうひとつなのと、入口左側の増築部分が残念です。あの(といっても見た人じゃないとわかりませんが)無理矢理曲げたサッシュはねー。
 ・松本城 ・・御存知、「五重6階天守としては現存する日本最古の木造天守」です。
 ・大王わさび農場 ・・御存知、じゃないかもしれませんが、わさび畑が緑の中をダイナミックに延びていく様は、クリストか新種のランドスケープデザインかという感じで、とてもよかったです。
 ・松本市中町 ・・御存知、蔵の残る町、なんですが、やはりこういう「保存」は難しいなあと心底思いました。
 ・ 諏訪湖博物館・赤彦記念館・・御存知、伊東豊雄の設計です。昨年のゼミ旅行に次いで再訪。諏訪という町に勝手に憧れていて、つまり、湖を囲むこのロケーションの何ともいえない爽やかさにですが、それを湖岸でしみじみ噛みしめられるロケーションなもので、つい。まったく勝手なロマンティシズム。高校生の頃から長野県ファンで、諏訪清陵高校とか松本深志高校なんて名前に憧れてきました(笑)。
 ・万治の石仏 ・・ 御存知、の方はかなりの仏像マニア?諏訪大社の春宮の近くにあります。岡本太郎もびっくりしたとのことで、たしかになんとも不思議なお姿でした。
 ・馬籠
藤村記念堂・・御存知、ですね。藤村記念堂は谷口吉郎の設計。お父さんの方ですね。展示室とはいえないような細長いこの建物、昔から僕は大好きです。正面の門、正面の白壁とともに人の動きのコントロールとそれらで囲われた中庭の空間をつくり出すためだけに構想されたとも思える抽象性と操作性がたまらない。小さな声で言いますが、我が家「渦森台ハウス」の構成との相似性を感じたりして。

 3日間で1000km。ふー。ひとりで運転して疲れました。 2、3日したらどっとくるだろうなあ。

 

2001-8-28(Tue) AO入試面談

  僕の学科のAO入試の面談日。一人あたり30分の面接は受験生もたいへんでしょうが、こちらもへとへとです。

 

2001-8-26(Sun) 見学会

  長坂大さん設計の高槻にある住宅の見学会に行ってきた。土地探しから関わったというだけあって、すごい「旗竿敷地」。ただしミニ開発で残った狭小地じゃなくて、古い農家も残るエリアで面積には余裕がある。その一番奥にこじんまりと建ててあって、庭がとても広く残っている。独特の吹き付けの外装、構造用合板に塗装の内装、最近の彼らしい仕上げの空間である。担当は花田研の最初の卒業生・後藤愛子嬢。もうすっかり手慣れたものだ。予想通りの成長ぶり! 次はどう脱皮するかだね。
  こうやって建築家仲間が設計した住宅を見せてもらう機会がときどきあるが、以前のマンション住まいのときと、今の「渦森台ハウス」に引っ越してからとでは自分のなかの反応がかなり違う。やはり毎日暮らす空間の影響は大きいなあ。自分のなかの素材感とスケール感の基準になっちゃいますね、どうしても。保守化、頑固化、か。

 

2001-8-25(Sat) 真に知的な○○とは。

 小樽文学館の玉川さんに、ここ2、3日日記に書いてきたようなこと感じていますというファンレターメールを昨日出したら、今日さっそく返事をいただいた。そして、感激したことには、「伊藤整、青春のかたち」展の準備段階の日記が添付してありました。それを読むと、いかに高密度に、しかもスパイ映画のような緊張感と綱渡りのなかで、この展覧会が企画され図録が編集されていったかがよくわかりました。溜息とともに読み終えました。うーん、なるほどなあ。真に知的であるって、こういうことだな。

 夜は大阪で柳々堂書店のアーキフォーラムに参加。奈良文化財研究所の若い建築史研究者・清水重敦さんの「日本人はなぜ古代建築を復元したがるのか」 という話。とても面白かったです。研究室の掲示板に僕の感想というかなんというかを書きました。概要はいずれ日埜直彦さんがここにアップされるのではないでしょうか
。それにしても必要なのは論理だな、やっぱ。

 会場に行く前に、心斎橋のカッシーナのショールームで、例の東大安藤研がつくったコルビュジエの全住宅の模型の巡回展を見た。うーん、日土小学校の模型づくりやった僕としては大変だったろうなあと心から共感はしますけどねー、でもなあ、東大で模型かなー、うーんそりゃもちろん大事なことだとは思うけどねー、もっとやることないのかなー、東大ってもっと別のことやってほしいなー、体力だけじゃなー、とかなんとか、ひんしゅくかいそうなこと、やはり思ってしまいましたよー。で、すぐこうだしなー。東大の後輩諸君、どうなの?

 

2001-8-23(Thu) 宮澤賢治→畑中純→小樽→宮澤賢治→・・・→ますむら・ひろし→

 昨日今日と大学。AO入試の面接を来週おこなうのでその準備。受験生諸君、頑張ってね。

 宮澤賢治の続き。そういえばこれもあった。ますむら・ひろしの賢治。さっそく『‐ますむら版‐宮沢賢治・童話集』(ますむら・ひろし、朝日ソノラマ)を買ってきた。絵の力というものを実感。「銀河鉄道の夜」をこういうふうに具体的に描けるってすごいなあ。 じつは「童話」なんてたとえ宮澤賢治の作品
でも昔はそんなに興味なかった。しかし昨日今日と素直にページを繰ることができる。この変化はなんだろうな。自分の子供を通しているからかな、と感じる。
 
 小樽文学館の図録をいいなあと思うのはどうしてだろう。
 (1)一冊の図録が全体から細部まできちんとつくり込んである。
 (2)レイアウト、活字、挿絵、文章、すべてに気品がある。
 (3)でも決して優等生ではなく、ある種のユーモアや過激さに溢れている。
 (4)図録どうしの(表面的な)デザイン上の統一を無理にとろうとしていない。
 (5)「図録」という言葉が似合う。
 こんな理由が浮かんでくる。最後のはなんとも曖昧ですが、でも結局これに尽きるような気もします。 僕がいいなあと思う建築も同じように書けそうです。気品とユーモアと過激さ。そして「建築」という言葉にふさわしい建築。

 

2001-8-22(Wed) 宮澤賢治→畑中純→小樽→宮澤賢治→・・・

 台風一過、爽やかな一日。久しぶりにきつい陽射しなんだけど、少し前までの痛い感じがなくなっている。夏がおわるよー。

 本の話ばっかりですが、小4息子の夏休みの宿題にアドバイスしているうちに、宮澤賢治にいきついたんですね。読んだ感想を絵にしようというわけです。で、大変な収穫。インターネットってやっぱりいいなあ。「風の又三郎」で検索していて畑中純の版画を思い出すことができたからです。そうだそうだこれがあったんだ。本屋に行っていろんな宮澤賢治の絵本の挿し絵を見たのですがどれもまったくピンと来ない。そうだそうだ畑中純のこれがあった。僕はこの賢治が大好きなんだ。
 と喜んでいるうち、最近これどっかで見たなあという気になってきて、まわりを見渡したら机の横にありました。小樽文学館の「伊藤整、青春のかたち」展の図録です。この文学館の学芸員さん(玉川薫さんといいます)と接点ができたことは7月7日に書いたとおりですが、上記のホームページに紹介されている図録の表紙がどれも素敵で、少し前にまとめて購入したのでした。で、この「伊藤整、青春のかたち」展の図録の表紙とそして裏表紙にも、畑中純の版画で伊藤整が描かれている。これがとてもいい雰囲気なのです。頁をめくると、さらにいくつかの畑中純の版画があり、彼の「若いマンガ家の肖像」という文章まで載っています。高校を出て上京するときに『若き詩人の肖像』を読んで以来のファンなんだそうです。ふーん、そうだったんだ。
 で、さらにですね、いっぱい届いた図録の一冊が『宮澤賢治 一通の復命書』。この表紙もとてもいいですよね。上記のページで見てください。中身もずっしりとした読みごたえ、見ごたえ。 これ以外の図録も、どれも気品とユーモアと過激さとに満ちている。ああいいなあ。

 

2001-8-21(Tue) まだこんなものを、いかんいかん

 中島義道『ぼくは偏食人間』(新曜社)、読了。いかんいかん。中島義道は『ウィーン愛憎』(中公文庫)以来、ときどき読んでいる。しかもほとんど新幹線のなかで。なぜか新大阪駅の本屋で持ち込む本を探していると目に止まるんですね。最近、文庫や新書をいっぱい出しているからかな。御存知の通り、まちなかの騒音に果敢に立ち向かう哲学者。その突撃ぶりが好きだったんだけど、そして今回の本もそういう雰囲気ではあるのだけど、何ケ所か出てくる彼好みの若者の描写には全くついていけなかった。こんな精神論はまずいんじゃないの。それと、カラオケをされるのにも驚いた。音による暴力の典型だと思うけどなあ。
 遅ればせながら、磯崎さんの『栖十二』 (住まいの図書館出版局)を拾い読み。いまつくられている建築は将来こんなふうに「歴史的に」語り得るのだろうかとふと思った。 ところで次はこんな企画 なんだ、ふーん。
 
 肝心の夏の宿題、ちっとも進まず。

 山隈さんと電話で設計の打ち合わせ。
 台風、急接近。夕刻、紀伊半島の南に上陸。神戸も終日雨と風。

 

2001-8-19(Sun) こんなものを、いかんいかん

 吉村智樹『ビックリ仰天!食べ歩きの旅』(鹿砦社)にビックリ仰天!思わず掲示板でも紹介。
 内井惣七『科学哲学入門』(世界思想社)をぱらぱら。院生に紹介しておきながらちゃんと読んでなかったので。そんな本、これだけじゃないけど。
 青木淳と久しぶりにメールのやりとり。走り続ける友人からの刺激はありがたい。それにしても少し前までの厖大な量のメールが懐かしいよ。最近ちょっと寂しいね。
 ゆっくりゆっくりと台風が北上中。

 

2001-8-18(Sat) じっとして読書

 接近しつつある台風の影響でしょうか、今日も風が吹いて涼しい一日。
 高橋哲哉『歴史/修正主義』(岩波書店、思考のフロンティア)読了。僕にとって、戦争責任をめぐる論理の枠組みについて、とてもよい入門書になった。
 佐巻健男・刈谷剛彦編『理科・数学教育の危機と再生』(岩波書店)は拾い読み。参考になります。日本の教育はどうなっていくんだろう。このあたり、必読。
 最近の小学校はやはり昔より楽になってるのかなあ、小4息子の夏休みの宿題は、自己採点する算数と漢字のプリント、それに2日分の絵日記以外は要するに自由である。いわゆる自由研究的なもの、図画工作、読書感想文などのうちからできるものをやってみよう、という調子。 で、毎年のことながら「どうしようかなあ」と悩ましい様子。昨日からあれこれアドバイスを試みるが決まらない。小4の夏休みか…。何してましたかね。
 東京で「修業」中の院生・波多野さんから、「私は東京で夢のような毎日を送っています」との嬉しいメール。健闘を祈る。
 そんな若さと対照的な悲劇的事件が続いています。子供への虐待。その母親の余りにも寂しい過去。

 

2001-8-17(Fri) 秋の気配

 遠くにいる台風の影響もあるのだろうか、終日風が吹いて爽やかな一日。陽射しも少し弱まった感じで、秋の気配である。感じる?と小4息子に聞いてみる。べつに、の答え。そりゃそうだろう。季節の変化なんか気になるようになったのは歳とった証拠だな。

 所用があり阪急神戸線・六甲道駅のあたりへ。阪神大震災の被害が大きかった地区だ。駅の南側を歩いてショックを受けた。メーカー住宅の展示場のようであるのは他の被災地と同じ。が、区画整理の対象地域になったんでしょう
(きちんと確認はしてませんが)、広い道路と広い歩道がまっすぐに続き、そこに新しい街灯が整然と立っている。歩道の石はキラキラ光る。街灯は妙にデザインされている。そこに薄茶色や薄紫色のレンガ模様ボードを貼られた住宅が整然と並んでいる。本当にすごい風景である。信じられないくらいの多くの時間とお金とが使われているに違いない。でもその結果がこれなのだ。あまりにも貧しい風景である。こういうものを、情緒的にではなく、理性的に批判する必要がやはりあるのではないだろうか。専門家のデカダンス、なんて言葉すら浮かんでくる。一見の価値、というか義務あり、です。

 ここここ で話題になっているので御存知の方も多いと思いますが、石堂清倫『20世紀の意味』(平凡社)をやっと購入。巨人、だ。
  佐藤健二『歴史社会学の作法』(岩波書店/現代社会学選書)も買ってきた。佐藤さんは、僕が教養課程で留年中に勉強会で接点があった。見田宗介ゼミの俊才。いろんなことを教わったなあ。
 宿題増える一方なのに、今日は宮嶋茂樹『不肖・宮嶋 史上最低の作戦』(文春文庫PLUS)を読了。我ながらサイテー。

 

2001-8-16(Thu) 高知 沢田マンション

 3日間、高知市の実家に帰っていた。高速道路が整備されたので、淡路島経由でゆっくりとした休憩を入れて約5時間。近くなったものだ。僕は小学校3年の秋から高校卒業までを高知市で過ごしたが、両親はその後もずっとそこにいるので、この20数年間、帰省を繰り返していることになる。全国には同様の境遇の方が山のようにいることだろう。出郷したままの人々である。
  帰るたびに思うのは、この国における「地方」というものの難かしさ、とでもいうようなものである。もちろん僕がいた頃からずいぶんと街の様子は変わったわけだが、でも、何というか、いろいろな意味での貧しさはそのまま、だし、たぶん、息詰まるような感じも相変わらず、という気がする。うまくいえないけど。

 今回は小さい頃行った場所にもう一度行くことが重なった。高知城龍河洞
高知県立文学館(旧高知県立郷土文化会館)、である。高知城は歴史好き小4息子の希望。天守閣がそのまま残っている12の城のひとつなんだそうで、知らなかったです。龍河洞はそういえば連れていってなかったなあと思い、また小学生の頃行ったなあという僕自身のノスタルジーから。予想外だったのは、多くの施設が昔のままだったこと。要するにひなびた温泉街の気配である。つまり、現代の観光ルートからはややはずれ気味ということですか。でも延々と続く洞窟を歩いていくのは楽しかった。単純だけど新鮮な体験。子供たちも大喜び。高知県立文学館は、地元のMA設計による石貼りの外壁や中庭の漆喰壁など地域主義的なデザインが、かつて神代雄一郎によって賞賛された建物の転用である。壊されなかったことは高く評価したいし、必ずしも多くない「文学館」を県がもつことも立派なことだと思う。が、もともとこの建物がもっていた中庭沿いに昇っていく空間構成が生かされてないのがとても残念。転用の設計は誰がしたのだろう。高知城のすぐ下にあります。

 今回の一番の収穫は、「沢田マンション」なる建物を実際に見たこと。都築響一の『珍日本紀行』(ちくま文庫)西日本編にも取り上げられた建物で、セルフビルドらしい巨大なマンションである。詳しいことは知らないが、この種の建物にありがちな物好きな人物による個人的な営為という感じ以上に、「計画」的構成が読み取れることが印象的だった。リビングアクセスの住戸配置、車を上の階にまであげるためのスロープの計画、それによって生まれた人工土地的雰囲気、共用施設(コインランドリー)の設置等々である。学生さんらしきひとが3名ほどで実測してたけど、どこかの研究室がはいってるんですかね。僕らも調べてみようかな。何か御存知の方いたら教えてください。
  夜、住宅建築編集部の中村さんから電話。さっそく沢田マンションの話。

 

2001-8-13(Mon) 戦争のこと

 8月15日が近づき、歴史好き・昭和30年代文化オタクの小4息子と戦争のことを話す機会が増えていた矢先、小泉首相が今日靖国神社に参拝した。予想はしていたが、情けない結果である。という意味はと解説が必要になるのは、今日の参拝について、参拝反対派はもちろん批判的見解を発表しているが、参拝賛成派も15日以前であるという点で批判しているからである。僕の場合はもちろん前者だ。小4の子供にも馬鹿にされていますよ、コイズミさん。情緒的言説ではなんの説明にもならないでしょ。 その対極にあるのが 『敗北を抱きしめて』の淡々とした記述。こういう本を中学校の教科書にすればよいのだ。

 

2001-8-12(Sun) 転勤という問題

 「大阪下町細長敷地住宅」のコストについての打ち合わせ。何とか月末着工をめざしています。
 
 以前住んでいたマンションで知り合った一家がフランスに転勤になるというので、わが家でお別れ会。上記打ち合わせ終了後大阪から戻って来て僕も参加。といっても、数年前に既に関西から千葉へと転勤になっていて、お盆で里帰りのついでの会である。5年ほど向こうに行くことになるとかで、子供の教育をどうしようとか、帰国後の住まいとかそんな話題もたくさんでる。
 子供さんはわが家の上の子の1年上で二人とも小さい頃からの仲良し。とても気が合うようで、しばらく離れていても楽しそうに遊んでいる。それにしてもわが家の息子の仲良しはほんとに転勤が多く、ぼやくことしきり。実は先日も2学期から岩手に行く家族とお別れしたばかり。単身赴任問題等もふまえたうえで、「僕が総理大臣になったら転勤をそう簡単にできないようにする」と言っていた。僕自身は転職はあるが、転勤の経験はない。自分の意志とは別のところで自分や自分の家族が暮らす場所を決定されてしまうのって、やはり辛いことだろうと想像する。

 

2001-8-10(Fri) 夏の感触

 ちょっと緊張するお客さんがあって、昨日から夏の大掃除。お陰で家の中、気持ちよくなりました。木の床はやはり雑巾掛けです。掃除機だけだとうっすらと埃が残っているんでしょうね、裸足で歩くと感触がまったく違います。2年目のワックスがけもそろそろしなくてはいけません。
 掃除をすると当然いろいろなモノの配置も変えるわけで、自分で設計した空間の使い方を考えるとても良い機会になるような気がします。子供ゾーンや僕の部屋の北半分の使い方など、少しずつかたちになってきたから面白いです。冬の大掃除との違いもなんとなく感じました。数日前の猛暑が一段落してそよそよと風が吹く昨日今日ということもあり、すべての窓を開け、遠くを見ていると久しぶりに爽やかな気分です。
 小学生から高校卒業まで住んでいた古い家の記憶がよみがえります。広いだけが取り柄の古い木造平家の官舎でした。庭から数十センチ高くなった縁側があって、飼っていた犬が決して部屋には上がらないのですが、縁側には可能な限り足を伸ばすので上がり口だけがざらざらになる。母親がそこに雑巾掛けをして縁側の床の感触がさっぱりする。僕はその脇の畳の部屋に寝転がってぼんやりと外を見ています。夏休みの夕方。横には昼間干してあった布団が取り込まれていてそこだけが妙に熱っぽい。蝉の声がやかましいはずなのに、音は消えてしまった記憶です。
 この古い家と現在のわが家とで庭や門のあたりの構成が似てるなあと感じたのは設計中のことでした。不思議なものだなあと思いました。昔住んでいた家はほとんどの部屋が和室の続き間。南側に長い縁側と庭が前面道路に平行にあって、敷地の東端から階段をあがると門がある。そんな感じがよく似てるなあと思いました。本当に不思議です。
 そいうえば、建築学科の学生のとき、鈴木成文先生の授業で自分が育った家の間取りを思い出して書くというレポート課題があり、僕は迷わずこの家の平面図を提出したら、貴重な経験をしましたねとかなんとかいう評が添えられて返却されたことを覚えています。 わが家「渦森台ハウス」は僕の子供たちにどんな記憶として焼き付くのでしょう。

 

2001-8-8(Wed) やっとがふたつ

 集合住宅に関する共同研究の一環で、助手の福本さんや院生の諸君と、遠藤剛生さんへのインタビューをおこなった。生々しいお話、とても勉強になりました。
 レポートの採点やっと終了。バンザーイ、だ。学生諸君、ちゃんと読みましたからね。恨みっこなしよ。それにしてもいろいろなレポートがありました。別紙で総評もつけるから、読んでね。

 話題の『敗北を抱きしめて』、やっと読み始めました。簡潔な文章が印象的です。読まないといけない本が山積みになっています。

 

2001-8-7(Tue) せきすいはうす

 宝塚の住宅の現場へYMKMさんと。いろいろあったがやっと今月末竣工予定といえるところまでこぎつけた。「せきすいはうす」とでも名前をつけて発表したいような仕上がり具合です。どういう意味か。まあ文字通りそんなふうに見えるということではあるのですが、ふつうの建て売りがこの程度にはなってほしいという期待も込めて、というような思いがあったりもする、と。そのあとさらに大阪下町細長敷地住宅の減額案づくり。

 

2001-8-6(Mon) 設計と自転車

 設計中の大阪下町細長敷地住宅の減額案づくり他をYMKMさんと。大阪の肥後橋にある彼の事務所で作業をしたが、途中彼と近くへ出かけるのに、それぞれ自転車に乗った。大阪のオフィス街を自転車で走るのは生まれて初めての経験である。背広姿のサラリーマンの脇を気軽な格好で自転車に乗って走り抜けるのは、不思議なものだ。ニューヨークが舞台の映画のひとこまとはいかないが、でも設計と自転車、頭と心を軽やかにしてくれるという意味で、とても似てると思いました。
 よって、レポートの採点終わらず。

 

2001-8-5(Sun) レポート

 とにかく暑い毎日が続いています。外へ出ると焼け死にそうです。
 だから、というわけではありませんが、ここ数日はたまっていたレポートの採点です。修行僧になった気分で家に閉じこもって読んでいます。もうあと少し。明日でなんとか終わらせたい。そしたらまたいろんなこと書きますね。

 

2001-8-1(Wed) 聴竹居

 聴竹居を見学する機会を得た。以前ドコモモ展の撮影の折りに同行させてもらってはいたが、今回は院生たちとゆっくり見せていただけることになりました。もちろんいろいろな驚きや発見はあるのですが、今回改めて感心したのが、中央の居室に接した読書室の心地よさ。子供部屋として使われていたそうだが、こういう部屋が生活空間の脇にあることの良さを痛感した。2.5m×3m。
 とにかく暑い一日。こんな日に、みなさん、山崎の駅からの坂道を間違えてすみません。方向音痴で一回行ったとこでも二度と行けないんだよと言ってたら、本当に間違えていました。聴竹居に着いた途端にどーっと汗が吹き出したのは僕だけではなかったことでしょう。帰りの電車では140円のペットボトルを飲み干していました。

 

2001-7-31(Tue) 古市団地

 大阪市営古市団地へ行ってきた。御存知のように、1953年から建設された初期の有名な公営団地である。久米事務所の設計。住棟の配置が微妙にずらされていて、機械的なグリッドにのせた配置との違いがよく指摘される。例の優雅な曲線の給水塔でもお馴染みだろう。コンペがおこなわれ、遠藤剛生氏の設計で現在建て替えが進行中である。約3分の1が建て替えられていた。
  微妙な配置計画はたしかに効果的だった。視線が抜けたり抜けなかったり、かなり変化が生まれている。ただ、僕は住棟そのもののデザインもまさにタウト等の集合住宅のような雰囲気があるのではないかと思っていたのですがそんなことはなくて、正直言って拍子抜け。1階の階段室のところが南北に通り抜けられるようになっていて、視線が抜けるようになっているのは効果的だったけど。
 強烈な陽射しが照りつける午後。外に出ている人などほとんどいない。そんな場所をひとり歩いていると、「夏草や…」の気分になった。
 京橋から京阪に乗り換えて2駅。関目という駅で降りた下町である。駅に戻る途中の道で、久しぶりに会ったらしいおばあさんが二人立ち話をしていた。「よく声をかけてくれた」「暑いから外に出ない」「これからどこへ」「銭湯へ」という言葉が何度も何度も行き来していた。

 夜は、某所で某君たちと某住宅地開発の作戦会議。壁を乗り越えられるか。
 ぐっしょりと汗をかき、ぐったりと歩き疲れた一日でした。

 ところで、団地についてこんなサイトを見つけました。いろんなマニアがいますねえ。
 それから、googleのこんなサービス、知ってました?とても面白い。たとえばCorbusierと入れてみてください。いろいろな図面や写真を見ることができます。たとえばAndoと入れてみてください。いろいろなAndoさんを見ることができます。

 

2001-7-28(Sat) 鈴木学長の建築学会大賞受賞のお祝の会、それにちょっとした思い出話

 本学の学長、鈴木成文先生が日本建築学会の大賞を受賞され、芸工大でもお祝いの会が開かれました。記念講演のあと、大学の食堂で立食パーティー。卒業生、とくに開学の頃の卒業生が多く集まるなど、鈴木先生の人柄と芸工大のアットホームな雰囲気を反映した会だったと思います。 パーティー終了後、その卒業生たちに学科内を見学してもらいましたが、今僕らが「ラボ(=工房)」と呼ぶ各種工作機械等が充実した建物はその頃はまだなかったらしく、「ここはいつも水たまりだったのに…」と懐かしさと悔しさとが入り交じったような感想を耳にしました。
  僕は開学当時の芸工大のことはよくしりません。まだ大阪の日建設計で働いていた頃、新しい大学が神戸にできて「せいぶん」(=成文。東大では学生はみな鈴木先生をこう呼んでいました)が来てるらしいと聞きつけ、「東京」からひとり離れて関西にいる寂しさも手伝ったような気がするのですが、一度遊びに行ったのですね。すると、東大寺代とは全然印象の違う(と僕には思われました)鈴木先生が現われ、学生の作品や学生との「あそび」やら、いろいろなことを実に熱心に説明してくださいました。今から思えば、まだ4学年が揃ってなかった頃だと思います。環境デザイン学科棟の屋上にまで誘われ、周囲のニュータウンを二人で眺めたことを覚えています。何しろ「教育」についてあまりにも具体的に熱弁をふるわれたので、あれ?成文ってこんなひとだったの、まるで高校の先生みたいじゃないの、東大の頃と全然違うなあと勝手な感想をもち、なんだか狐につままれたような気分で帰ったのでした。
 そのときも、まして東大の学生の頃も、いずれ鈴木先生のもとで働くことがあるなんて、これはもう神に誓って言いますが、想像したことすらありません。あの頃の建築学科の学生ならみんなわかると思うけど、われわれ設計好きのいささかとんがった学生にとって、正直言って鈴木先生はずいぶん煙たい存在だったわけですからね。本当に不思議なものです。
 
だから、というとちょっと無理がありますが、「大学」とは、そこを卒業した人がいつでも帰って来られる場所、あるいは「知的な避難所」であり続けないといけないんだと思ったりしました。

 

2001-7-27(Fri) 夏のマドリッドへ

 スペインのマドリッドに編集部がある'Pasajes de Arquitectura y Critica'という雑誌から、メールで突然原稿依頼がきていたのですが、やっと今朝拙い英文を送りました。以前『JA』NO.34(1999年)に書いた「二分法をこえる眼差し」の英語版('Seeing Beyond Dichotomies')が先方の目にとまったようで、この夏出す日本特集号のなかの住宅のセクションでそれを使いたいという御注文。転載でもよいということでしたが、特集で取り上げられる建物が多少違うので、一部文章を差し替えました。誌面はスペイン語だけで英語は併記しないということだったので、僕の英語からでもスペイン語は十分つくってもらえるだろうと判断して、英語の専門家のチェックを受けずに送ってしまった。大丈夫かな。でも楽しみです。暑い中、マドリッドの見知らぬ編集者とメールのやりとりをしていると、なんだかいい気分でした。結構なんども催促があったけど、お昼寝なんてしてないんだろうか。

 午後は、またも某所で某君たちと某住宅地開発の作戦会議。これもどうなるか楽しみ。

 今読んでいる本。金廣志『自慢させてくれ!』(源草社)。本屋で偶然見つけた新刊書ですが、不思議な本です。僕のいた高知のこともでてくるので驚きました。光井さー
ん、知ってた?見てみて!

 

2001-7-26(Thu) 青年と少年少女は大志を抱く

 期末試験監督を2つ。僕自身は芸工大で「試験」をしたことはない。レポートと試験。いつも迷うところである。以前から、建築批評についての「試験問題」をつくってみたいと思いつつ、名案がないままいろんなレポートを出している。
 夕刻、少し前にわれわれの研究室のBBSに、柳宗理さんがらみで書き込んできたM君がやってきた。明日から広島で開かれる民芸の夏期学校に参加するため昨日東京をでて、その途中で立ち寄ってくれたもの。柳研究への思い断ち難く新潟での仕事を辞して上京したというだけあって、真面目でかつ面白そうな好青年でした。今日は朝、鳥取の窯元へ行って柳先生がデザインしている陶器を買ってきたとのことで(例の、半分がきれいな緑色のお皿など)、ごそごそと新聞紙から大事そうに出して見せてくれました。 夏期学校には、この春僕のゼミを卒業したH嬢も参加するようで、こういう純朴な(というかなんというか、M君、Hさん、ゴメン)若者が増えている、のだろうか。何かネットワークが広がるといいね。
 雑誌『室内』8月号が届きました。「百家争鳴」欄 に「ナマの高校生」という短いエッセイを書きました。入試説明会等で出会った高校生の印象記です。これも好少年少女の物語です。

 

2001-7-25(Wed) 前期の打ち上げ

 わが家でゼミの打ち上げ。餃子、生春巻き、豚の角煮等々、学生諸君が腕をふるってくれました。クーラー無しで十分大丈夫なことを実感してもらえたのではないでしょうか。庭のビニールプールは大活躍。子供たちはたっぷり遊んでもらいました。

 

2001-7-23(Mon) 東京日帰り出張です

 共同研究の一環で、土肥先生や福本さんたちと千里ニュータウン開発の初期に関わられた方へのインタビューをおこないました。マニュアルのない時期のいろんなエピソードが印象的。団地研究関連でもうおひと方にもインタビュー。その後、芸工大の卒業生で東京にいる連中と会いました。熱風の吹く地下道を抜け、新宿住友ビルの50階で飲んだ生ビールの美味しかったこと。東京芸大に移った光井さんも参加。彼に会うと元気が出ます。最終の新幹線で神戸へ。灼熱地獄と冷房地獄の往復を繰り返して、どーんと疲れました。

 

2001-7-22(Sun) 

 2組の友人夫婦来訪。4人の大人と2歳のお嬢ちゃんが1人。こちらは2人の大人と2人の子供。芝生の庭に出したビニールプールで、子供3人は水遊び。大人は家の内外のあっちこっちでおしゃべりです。クーラーのない木の箱を楽しんでもらえたのではないでしょうか。

 

2001-7-20(Fri) イノシシの襲撃

 深夜、斜め向いのお宅がイノシシの襲撃を受けた。バキ、ガチャン、ドーンと大きな音がし、ブヒブヒという声が聞こえた。なんだなんだと2階の僕の部屋から通りを見ると(こういうときL型配置の渦森台ハウスはとても便利)、これまでに見たなかでも最大級のイノシシが一匹、そのお宅の玄関先で暴れていた。そのうちそこのおうちの方も起きてきて、こらッと一喝。イノシシはどこかへトン走しましたが、音からすると相当な被害と想像され、遅くまで後片付けをしておられました。なんともはや。すごいとこでしょ(笑)。
 グラスゴーで調査中の吉村嬢から、石坂さんへの
お祝いが掲示板に書き込まれました。おセンチな英語でとてもよかった。

 

2001-7-19(Thu) 夏

 大学院の授業最終日。
 自分の研究室の院生とゼミ。
 夜は、某所で某君たちと某住宅地開発の打ち合わせ。さあどうなるか。
 大阪の暑い夜。汗だくのサラリーマンの群れ。居酒屋の喧噪。久しぶり。

 

2001-7-18(Wed) 今日も嬉しくて

 昨日かいた優秀修士論文賞の件のお知らせが、建築学会から僕にもやっと今日届きました。昨日の情報は大学院の研究科主任へのお知らせでわかったもので、連絡のシステムは一体どうなっているんでしょう。
 それはともかく、今日来た書類には審査評等もついていて、やっと状況がわかりました。計画系の修論は全部で72編の応募があり、そこから9編が選ばれていました。つまり8倍の倍率。上出来です。東京でひとり働く石坂さんに電話して、審査評を読み上げました。

 

2001-7-17(Tue) 優秀修士論文賞受賞!

 とても嬉しい知らせがはいりました。この春大学院を修了した石坂美樹さんの修論が、建築学会の「優秀修士論文賞」に選ばれました。タイトルは「雑誌・『国際建築』研究‐昭和期の建築界におけるその位置付け」。芸工大でも吉武賞を受賞していた論文です。
 入賞した修論は全部で15編。内訳は「構造」が4編、「計画」9編、「環境」2編です。彼女の論文は、「計画」 、つまり、いわゆる建築計画、都市計画、歴史、意匠等の分野から応募があった区分です。大学別に見ると、他の8編は、東大2編、京大・九大・神戸大・新潟大各1編、理科大2編でして、たいへんな善戦であるといってよいでしょう。 彼女は僕の研究室の最初の院生で、僕としてもとても嬉しいです。こういう連絡は学会から本人にはいかないのか、彼女に電話したら入賞したことを知らず、こちらもびっくり、彼女は2倍びっくりで、とにかく大喜びでした。石坂さん、おめでとう!
  なおこの論文の内容の一部は、彼女と僕の連名で今年の建築学会の大会で発表する予定です。この発表プログラムのなかの「建築歴史・意匠」: 講演番号9327および9328です。

 『すまいろん』2001年夏号に短い文章を書きました。

 

2001-7-16(Mon) いやはや

 今日、明日と、僕の学科ではオープンスタジオ。受験生に実習の授業等を見てもらう機会を用意しようというわけである。AO入試の相談窓口も引き続き設置している。

 またまた誤字。7/
11には「講義」を「講議」、7/13には「原書講読」を「原書購読」と書くという、とんでもない間違いをおかしてしまいました。以前『暮しの手帖』の間違い指摘してくださったSさんから、またまたお知らせをいただいた次第です。まったくもう穴があったらはいりたい。
  「こうぎ」と打ち込むと「講議」という候補者を出してくるコンピューターに八つ当たりしたり(「講議」っていう言葉ないですよね、たしか)、仕事のときはやはり度の強い方の老眼鏡をかけなくてはと反省したり。でもいずれにしても責任添加、おっと、責任転嫁ばかりですね。原文の方も訂正させていただきました。

 

2001-7-14(Sun) 高校生と会う

 全学のキャンパス見学会。受験生が大学を見に来る日である。僕達の学科ではAO入試の相談窓口も設置している。熱心な高校生と話をするのはいい気持ちである。それにしても、大学を自分の目で確かめて受験を決めるというのは、つい最近までなかったことだと思う。小子化は大学にとって痛い現象ではあるけれど、高校生が自分に合った大学をきちんと探すようになるとすれば、それは素晴らしいことだと思う。てなことを『室内』には書いたわけです。

 

2001-7-13(Fri) 郊外

 某住宅地を見に行く。広い。郊外生活に何を提案できるか。
 『室内』のための短いエッセイ、なんとかできました。編集部でも合格。「日向くさい文章ですね」って、どういう意味かな?Sさーん。

 

2001-7-12(Thu) 

 大学院の「デザイン思潮」の授業。昔はこんなのばかりだったのに、今はすっかりかげをひそめた「原書講読」。コーリン・ロウの文章です。透明性の例のやつを、3回で読み終えました。次回は僕自身の書いたものをみんなに批判してもらいます。
 『室内』のための短いエッセイに呻吟。

 

2001-7-11(Wed) 最後の授業

 2年生を主な対象にした「建築空間のデザイン」という講義の最終回。いつもは後期にやっていたこの理屈っぽい授業を、設計の実習が始まったばかりの2年生はどう受け止めてくれたのか。最後のレポートが楽しみです。
 午後は、某所で某君たちと某住宅地の計画について初打ち合わせ。さてどうなるだろう。

 

2001-7-10(Tue) 卒論の中間発表会

 毎年のことですが、何かを調べて何かがわかってくる面白さに気づき始めているひととそうじゃないひととの差が印象的。昨日の老人パワーを見習いましょう!

 

2001-7-9(Mon) 緊張

 縁あって、芦屋市がやっている「芦屋カレッジ」という主にリタイアされた方々の勉強会を卒業された方々の同窓会がやっておられる勉強会(!)、で講演した。「新しい住宅のつくりかた‐部屋数だけがすべてじゃない‐」という題目で話したのだが、ほとんどの方が僕の倍近い年齢です。しかも300人くらいいらしたでしょうか。緊張しました。
 「文化遺としてのモダニズム建築展 ドコモモ20選in神戸」が終わり、「日土小学校」の模型が神戸市立博物館から戻ってきた。 「北京故宮博物院 黄金の至宝展」と併設だったこともあってか、入場者数はとても多かったようです。カタログも完売したとのこと。お疲れ様でした。

 

2001-7-8(Sun) 朋来タル

 建築学科の同級生でこちらに単身赴任中のK君がやってきた。ひとつ谷をこえたすぐ近くに住んでいる。わが家を見てもらい、いろんな話。楽しかった。帰りは彼、歩いて山を降りていきました。無事着いたでしょうか。

 

2001-7-7(Sat) おお、ネットワーク

 午前中はPTAのお仕事。役員と各委員さんたちとの運営委員会。やっと慣れてきました。お母さんたち、朝から御苦労様です。地域は女性が支えています。
  午後、家族とDOCOMOMO展へ。結構な入り。
  逓信省、小坂秀雄…、とgoogleへ打ち込んでいてひっかかった小樽文学館の学芸員さんへメールをだした。彼の日記に小坂秀雄の名前が登場していたのである。すぐに丁寧な返事をいただき、あちらの日記でも紹介されてしまった様子。木造ではなくコンクリートではあったのだが、小坂の設計した郵便貯金局の建物が文学館として転用され、学芸員の方も小坂や建築の保存やらにずいぶんと関心をもっておられる。開かれた建築というイメージにも共感するところ多く、再度返事をしたためた。彼の日記とてもいいです。
  小樽、北国、逓信省、小坂秀雄、吉田鉄郎、北欧…と連想が続き、ロマンチックな気分に浸った。小樽、伊藤整、『若き詩人の肖像』、阿部勤也の小樽時代の自伝…、とこれまた感傷的なものを思い出す。

 

2001-7-6(Fri) 嗚呼、地域ネットワーク

 PTAのお仕事。神戸の方なら御存知でしょうが、かつて神戸市に合併される際に各村がさまざまなかたちで財産をじぶんたちのものとして残す工夫をしたのですが、住吉村はその代表例で、現在、東灘区内のかなりの土地を住吉学園いう法人をつくり管理しています(ここちょっと参考になります)。そしてそこから得られる地代等を地区に対してさまざまなかたちで還元しているもので、したがってわれわれPTAとの接点もあり、そのための会合が今日開かれた。この地区で生まれ育ち、現在は地区の種々の役員をしているという方々も多くいて、いろいろのことを教えてもらった。「住吉は都会の中の田舎ですよ」という言葉が印象的でしたね。宴会でお酌をしてくれた80歳のおばあさんは30数年この学園とつきあっており、こういう会があるとかり出されるとか。山の手のお金持ちの家にお正月とかのお手伝いで出入りしていた話とかも聞かせてくれて、阪神間文化論のひとつの糸口になるかもとすら思った次第。

 

2001-7-5(Thu) 嗚呼、電子ネットワーク

 学内の共同研究の打ち合わせ。日本建築史の山之内さんや院生とで木造モダニズムについて調べている。とりあえず逓信省、小坂秀雄、郵便局、等々の言葉を検索エンジンに打ち込んでみると、結構発見があって面白い。
 BBSに思いがけない書き込み。2日前の柳宗理先生の事務所訪問記を読んだ若い方からです。ネットワーク社会って面白いですね。

 

2001-7-4(Wed) またも大失敗

 Uさんからメール。本の名前の間違いを教えていただきました。先日『素顔の建築家たち 弟子の見た巨匠の世界』という本を紹介しましたが、正しくは『素顔の大建築家たち 弟子の見た巨匠の世界』でした。
 気がつきましたか?「大建築家」、です。自分も書いている本なのに、この始末。「素顔の建築家たち」だと、僕でもいけるなあと可笑しくなりました。

 

2001-7-3(Tue) 柳先生

 この春僕の研究室を卒業したH嬢は柳宗理さんについての卒論を書いたのだが、それが先生の目に止まり、会っていただけるということで、今日、Hさん、および私を含む「付き添い」3名の計4名で、四谷にある先生の事務所におじゃましてきた。卒論執筆中にも、今日の「付き添い」のひとりでもあるMさんと彼の研究室の学生、それに私とHさんとは、先生の事務所でお話をうかがっている。近所のアジア料理のお店でお昼御飯。柳先生の優しい笑顔を前にして、なんとも幸福な時間であった。 先生がユニクロとか無印良品っていいねとおっしゃるのが面白く、つい、「先生、ユニクロのモデルされたらお似合いですよ」などとつまらないことを言ってしまった。
 GAギャラリーで卒業生のIさんに会い、学会の図書室で資料をコピーし、神田の古本屋街で『都市住宅』誌の「別冊都市住宅」第1集から12集まで12册で4000円という掘り出しものを購入した。帰りの新幹線では、Mさんの弟・Mさんと偶然同じ車両で、いろいろ話し込んできた。

 

2001-7-1(Sun) つながり

 現在神戸市立博物館で「文化遺としてのモダニズム建築展 ドコモモ20選in神戸」をやっていることは前に書きましたが、今日はその会場に、日土小学校の設計者である故・松村正恒氏の姪にあたる方々をご案内した。皆さん鎌倉での展覧会を見ることができず残念がっておられた次第。改めて「伯父さん」の偉大さに感じ入っておられました。こういう具合にいろいろなつながりが絶えることなく現われてくるので、松村研究もなんとか続いています。
 歯、だいぶましになってきた。

 

2001-6-30(Sat) まだ、歯が。

 朝3時半頃、歯の余りの痛さで目がさめた。あわてて痛み止めの錠剤を飲む。1回2錠で3回分をもらったのだが、昨日から既に2錠を飲んでおり、残り2錠。計算すると約8時間で効き目が消えている。薬の説明書には1日4錠までとあるのに気づき、我ながら気が小さいと思いながら、1錠だけ飲んだ。ひょっとしたら副作用があるのではないか、中毒になってしまうのではないかと、いろいろ考えてしまうのですね(笑)。その後30分くらい強烈な痛みが続き、布団の中であれやこれや、お祈り、呪い、反省の言葉を呟いていたら、いつの間にか眠っていた。
 目がさめたら1錠にしたせいか早くもシクシクと痛みだしている。なんとも耐えられず再度歯医者へ。3人ほど待っている。どんどん痛みが増してきて、涙がでそう。ひとりでも順番が狂わないことをひたすらに祈る。医者は、うーんそうですか、仕方ないですね、という感じで、ではちょっとだけ歯ぐきを切って膿を出しましょう、とおっしゃり、麻酔注射。これがまた痛い。
 痛み止めの追加をもらい、月曜日までの残り時間を計算する。麻薬中毒患者のような気分である。コンビニで水を買い、車の中でさっそく飲んだ。
  夕方はPTA活動。東灘区全体の小学校のPTA会長の会合である。そう、今年僕は子供の通う小学校のPTA会長をやっているんです。歯、まだ、ずきずき。
 その後大阪へ。柳々堂書店のarchi forumへ。今期は「日本という状況と建築」という年間テーマを掲げてあり、その1回目で土居義岳さんのレクチャー。会場の雰囲気、ちょっと暗かったかな(笑)。御指名があったので、ついつまらない質問をしてしまう。歯、シクシク。2次会はアルコールに手を出さず。

 

2001-6-29(Fri) 

 入試関連のお仕事で、事務局のひとといくつかの高校まわり。これはこれで結構面白い。営業マンに共感したり、日建時代を思い出したり。
 昨夜から歯が痛い。朝、急いで歯医者へ。右下の奥歯である。根っこが炎症を起こしているらしい。化膿止め、痛み止めをもらう。最悪である。

 

2001-6-28(Thu) 白紙

 大学院の授業。ロウの「透明性」の論文を英語で読んでいます。我ながら芸のない「購読」授業ですが、学生の発表を中心にしてあるので、まあまあでしょうか。それにしても、この種の基本的な論文を今の学生諸君はどのくらい読んでいるんだろう。ヴェンチューリの名前を知らない学生に出会って驚いたという話を西沢立衛が『素顔の建築家たち 弟子の見た巨匠の世界 01』の巻頭に添えた短い文章の中で書いていたが、そういうことが僕のまわりでも多いような気がする。もっとも彼は、3年生の段階でコルビュジエの名前を知らなかったとこの文章でと告白しているから、もっとすごいけど。 歴史的な知識と、白紙の上に自分で何かを構築していく力と、やはり両方ほしいですね。
 夕方は1年生へのオムニバス授業の僕の分の最終回。とにかく設計という行為の面白さを伝えたいと思って、毎年そういう映像(なるべく動くやつ)を探している。

 

2001-6-27(Wed) 暑くなってきましたね。

 あっという間に1週間です。一気に暑くなってきましたね。
 23日(土)は神戸で京阪神地区69私立大学展という催し物に事務局の方と行きました。これまでに「芸術系」大学の説明会には何度も出たことがあるのですが、こういう一般の大学と一緒の場は初体験。ときどきまわりを観察していたのですが、そこから見えるいくつかの女子大ブースの受験生と、わが芸工大ブースを訪ねてくる受験生(女子)の服装の違いがとっても印象的でした。某女子大のところには、もう女子大の上級生かと思うようなファッションに身を包んだお姉様がたが座るのですが、芸工大に来る生徒は
ぐっと渋めというか可愛いというか。どう書けばよいのか語彙不足を嘆くばかりですが、あちらがタイトなスカートになんていうんですかね、あのサンダルのようなのをつっかけているとすれば、こちらはズボン(パンツ、ってなかなか言えません)に洒落たTシャツというわけです。僕はもちろん後者の方を心から愛しています。
 25日(月) は、山隈さんと設計している細長敷地の住宅の現説。さていくらで出てくるか。ひやひやです。
 同日、今僕が暮らす渦森台地区の現状について調べた僕の研究室の卒論について、神戸市役所から問い合わせ。その前にやった鴨子ヶ原についての卒論も合わせて紹介しました。「神戸レポート」というテレビ番組のための資料さがしのようです。内容や放映日等はいずれまたお知らせします。
 26日(火)、事務局の方といくつかの高校を訪問。プールでは女子生徒が体育の授業で水しぶきをあげていました。今日はとても陽射しが強かった。夏です。
 
夜は、建築学科の同級生が大阪出張で来るというので、在阪の同級生が集まりました。こんな企画は初めてでしたが、全部で10人もの会になりました。そのうち、東京に妻子を残して単身赴任というのが3人もいて、そういう年齢なんだと痛感しました。
 数日前に突然スペインの建築雑誌から原稿依頼が来て、あわてて返事を出したのに回答無し。英訳併記の僕のある文章を面白がってくれた結果のようですが、先方のメールに「
お前をさがすのに何週間もかかった」とあったのがなんとも不思議でした。その文章の載った日本の雑誌社に問い合わせればすぐわかったはずだからです。やはり呑気な国なんでしょうか。
 BBSにも書きましたが、『建築設計資料集成』の改訂版が出版されました。僕はプログラム編の編集と執筆に加わりました。ちょっと高いけど、読み物としても面白いですよ。

 

2001-6-20(Wed) 大失敗

 大失敗です。『暮しの手帖』が○。『暮らしの手帖』は×。6月15日の間違い個所と過去のLogbook、直しました。Sさん、御指摘ありがとうございました。

 

2001-6-19(Tue) 『新建築 住宅特集』7月号

 『新建築 住宅特集』7月号がでた。野田俊太郎さんが月評で青木君の「I」にふれている。横河健さんの同じく月評での「I」評を受けながらの発言である。詳しくは同誌を読んでいただくとして、僕としては、野田さんも最近の青木の急激な変ぼうに疑問を感じているのだなと一応理解した次第。ただ、「…と大上段から振り下ろした批評の刃は、青木のルーズで図太い胴体にはさまったままだ。なかなか抜けはしまい」という部分の意味がわかりにくく、横河さんが斬りつけることに成功したと評価しているのか、青木の側にまだ余裕があると言っているのか、どっちなんでしょ。たぶん前者かな?
 「I」については、青木本人が、分厚い意味とともに理解(誤解?)されかねない「廃墟」という言葉によって自注をつけていたことが僕も気になっています。ただ、野田さんが光栄にも僕の「青木淳論序説」から引用してくれたように、「問題を積み残したままの『作家的判断による次の展開』などではないことを祈るばかりだ」と今も僕が思っているかというと難しいところで、むしろ、「作家的判断によらず」出てきた(はずの)青木の「次の展開」が、「問題」として共有できないままの自分の状況をどう理解したらいいんだろうと思い悩む今日この頃です。

 

2001-6-15(Fri) あれやこれや

 ちょうど一カ月さぼってしまいました。あーあ、何があったかなあ。手帳を見ながら思い出してみます。

■ 5/25、6/8 1年生を連れて外へ出る授業「環境デザインへの入門」で、神戸の旧居留地と大学の近くの大山寺へ。以前も書きましたが、1年生の諸君とはお互いまだつき合い方がぎこちなくて、中学生のような(こんな比喩はいまどき通用しないか)なんとも初々しい初デートである。みんな早くおとなになってね。
■ 5/26 理科大の初見先生と初見研OBの方々がわが家「渦森台ハウス」を見学に来てくださった。花田研OBの今津君もいっしょ。さて皆さんどんな感想をもっていただいたことやら。
■ 6/5 担当してきた2年生の最初の課題の最終講評会。総じて上出来である。 これで少し楽になると思ったら、大学院「デザイン思潮」と1年生用の「環境形成の歴史と人」という講議の僕の担当分がスタート。
■ この間、入試説明会関係のお仕事が4回。内、業者主催の大きいのが1回、高校訪問が2回、本学で開催分が1回。その他、編入学希望ということで大学を訪れてくれた学生さんとの面会が2回。慌ただしいが、受験生とじかに話をするのは面白い。
■ 某誌の短い原稿書き。別の雑誌でこれまで2回書き直しをさせられたテーマに再度挑戦。しかし見事撃沈されました。またも書き直し。なんてこった。
■ わが家が『暮しの手帖』(第3世紀92号(2001年6月・7月号))に紹介されました。「床も壁も建具も「木」の家〜国産材を使って」という記事です。 まさに暮らし が紹介されているのでなんともおはずかしい限りですが、建築専門誌との紹介の仕方と比較するとちょっと面白いかもしれません。
■ 大阪の池田小学校でとんでもない事件が発生。今年度は小学校のPTA活動に首をつっこんでいるので、PTAとしての対応をどうするか等、あわてて相談。それにしても、関係者の方々は気も狂わんばかりだろう。なんとも言葉がない。
■ 6/9 神戸市立博物館で開かれている「文化遺としてのモダニズム建築展 ドコモモ20選in神戸」へ。4年生の演習の授業を兼ねて、約30名の学生を引率。鎌倉でやった展覧会の巡回展です。ちょうど東工大の藤岡洋保教授のレクチャーもあり、いろんな大学からの参加者も多く、大盛況。われわれのつくった「日土小学校」の模型も展示してあります。6/2から7/8まで。ぜひ御覧ください。
9/8〜10/14には、芦屋市立美術博物館で「文化遺としてのモダニズム建築展 関西のモダニズム建築20選in芦屋」も開かれます。
■ 6/13 本学で、「建築の物質性について」と題して槇文彦氏の特別講議。大盛況。
■ 6/14 藤木忠善さんの「ふたつのすまい+α」展が現在本学で開かれているが、御本人においでいただきレクチャー。僕は藤木さんの「サニーハウス」の大ファンだが、こちらの授業と重なって御挨拶しかできず残念至極。
■ 『素顔の建築家たち 弟子の見た巨匠の世界 01』(建築資料研究社
『同 02』がでました。僕も1巻目の方で、駒田知彦さんに坂倉準三についてお話を聞いています。日本の近代建築についての入門書として、若い人にぜひ。
■ 山隈直人さんと大阪の下町で設計中の細長い家が最終段階。あとはお金が納まるか、だ。
■ この春、庭に芝生を植えたとき片隅に畑をつくったのですが、さっそくズッキーニや胡瓜が収穫できました。カレーライスのなかにはいってでてきます。

 

2001-5-13(Sun) 爽やかな5月の青空と大学ランキング

 気持ちの良い土日だった。庭の芝生がだいぶ緑になってきて、その隅っこにはお花畑。オリーブの木はこの1年で約20センチ伸びていました。爽やかな5月の風と光を受けながら、縁側のテラスに寝転がっているとそのまま眠ってしまいそう。

  河合塾が編集した『わかる!学問の最先端 大学ランキング【理科系編】』(別冊宝島577)という本を御存知でしょうか。河合塾は数年前に『学問の鉄人』という文系の大学評価本を出していたのですが、その続編です。理系の各分野の専門家にアンケート調査をおこない、7000ほどの回答をもとに分野別の大学ランキングをつくったものです。僕のところにもアンケート票が来ていたので、いつ本になるのか楽しみにしていました。

  これで芸工大が大健闘。デザイン学で「next excellence」 、建築設計(都市設計)で「unique!」、建築計画学で「next excellence」、プロダクトデザインで「第10位」、視覚情報デザインで「第6位」にそれぞれ選ばれている。関西のこの分野の他の私学に比べ、ずいぶん高い評価を得ることができた。素直に嬉しい。
受験生にも伝わるといいなあ。
 この本、 先日出たばかりなのに売れ行きがよいようでほとんど店頭にありません。僕はあわてて新宿の紀伊国屋から取り寄せました。

 

2001-5-11(Fri) 大阪市立住まいのミュージアム

 1年生約20名を連れて、「大阪市立住まいのミュージアム」を見学してきた。1年生はまだ専門科目もあまり始まっておらず、したがって学科の教員との接点も少ないので、こんな見学の授業が用意されている。数グループに分かれ、3個所ずついろいろな場所へ行くプログラムだ。教員も学生もまだ互いにつき合い方に慣れてないという感じがあって、いろいろぎくしゃくしてしまうのが何とも可笑しい。
 それはともかく、「大阪市立住まいのミュージアム」、とても面白かったです。もっとテーマパーク的な雰囲気を想像していましたが、いやあ十分に楽しめました。勉強にもなりました。皆さんもぜひ一度行くことをお薦めします!

 

2001-5-7(Fri)〜10(Thu) 日常

 2年生の実習、講議、4年生のゼミ、会議、入試関連の打ち合わせ等々でてんてこまい。まさに自転車操業です。

 

2001-5-6(Sun) 連休最後の日 1年たった「渦森台ハウス」 中村さんと吉本さん

 当たり前だが、連休最後の日。1年前の4月29日と30日が引っ越しだったので、昨年の連休はともかく落ち着かなかった。荷物が溢れてということはなかったのだが、狭いマンションのビニールクロスの空間から、今のそこそこに広く、木に囲まれた空間への移動は、やはり大きな環境の変化だった。大学にはいって実家を出て以来久々の一戸建て暮らしであり、今思えば、そのことにも身体がぎくしゃくと反応していたように思われる。
  それが1年たって、なんとか落ち着いてきた。「渦森台ハウス」の変化といえば、
(1)すきま風対策のため、ピロティと同面だった
玄関土間にモルタルを増し打ちした。
(2)東側外壁の鉄板が少し鳴ったので、追加のビス止めをおこなった。
(3)庭に芝生を植え、一部に野菜と花の畑をつくった。
そんなところである。

 今の課題は子供用の個室。本人からの要求はまったくないのに、ひとり頭を悩ませている。吹き抜け横の日向ぼっこスペースにつくるか、三角屋根の吹き抜け部分に床をはってロフトをつくるか、いろんなことを考えています。要するに、まだ完成した感じがしないことに、設計者としてひとり苛立っているわけです。

 夜は、住宅建築編集部の中村謙太郎氏と建築家の吉本剛さんの呼び出しを受け、急遽夙川へ。わが家からタクシーで御影駅まで降りて、そこから阪急で3駅。すぐである。山の上に引っ越してきてから、夜こんなふうに家から出かけたのは初めてである。ちょっと新鮮だった。この3人で話したのも初めてだが、この組み合わせで楽しくないはずがない。

 

2001-5-5(Sat) 『ぺトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』

 ここ数日風邪気味ということもあって、のんびりとした連休です。締め切りを少し過ぎた宿題原稿、読書、掃除、子供の相手、買い物、鯉のぼりの設置等々をやっています。原稿はとても短い分量のなかで、建築家の書く文章の問題点を考えようという目論見ですが、なかなかうまくいきません。
 今日は、以前朝日新聞の書評で見て買っておいたアポストロス・ドキアディスの『ぺトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』(早川書房) 。「ゴールドバッハの予想」と呼ばれる数学上の難問に人生を捧げた数学者の物語。とっても面白かったです。お薦めします!

 

2001-5-4(Fri) 地域が見えるってのは

 この4月から、子供の小学校のPTA活動にいささか深く関わっている。別に自ら望んだことではないのですが、父親で時間的な融通がきくやつとなると、自由業とか何か商売をしているとか、そんなひとが狙われるわけで、大学の教師もその格好の標的になったという次第です。建築なんぞやっていると、そこに多少の義務感と好奇心も加わってしまい、つい。
 で、先日来、たくさんのお母さん方に混じって小学校の体育館で話をするなどという不思議な経験をしているのですが、今日は3人のお母さんと、ある地区からのいささか危険な登校ルートを実際に見、その改善策等々を考えるということをおこなった。皆さんとても熱心だし、しかも話も論理的。知らなかったこともいっぱいあって、面白かった。どんな提案があり得るか、行政側の窓口はいったいどこなのか、小学校側とはどんなふうに話せばよいのか、どれもこれも初めてのことばかりだが、自分が暮らしている地域が見え始めるのは確かである。さてどんなことになっていくやら。

 

2001-5-2(Wed) 講議

 連休の谷間ですけど、授業です。「建築空間のデザイン」という講議の日。建築をめぐる屁理屈のこね方をかなり真面目に話しています。昨年までは2年生の後期でしたが、今年は実習が始まったばかりの前期になり、そのこともあって内容とプリントを改訂しながら進めています。お陰でこちらの頭の整理にもなって、今日はとてもうまく喋れたように思ったけど、どうだったでしょ。ほんのたまにこういう気持ちになれることがあります。

 

2001-5-1(Tue) 2年生

 連休の谷間ですけど、授業です。最初の設計の実習が始まった2年生が、模型とスケッチをもって頻繁に質問に来る。スタジオだけじゃなくて、廊下でもつかまるし、研究室にもやってくる。初々しい!

 

2001-4-29(Sun) 熊野古道なかへち美術館とカエル橋

 この土・日は和歌山県に行っていた。安珍清姫の道成寺で精進料理を食べたり、日本でのナショナルトラスト運動の先駆けといわれる天神崎で海の生き物を観察したりと、ゴールデンウィークのスタートらしい行動だったのですが、やはりこの二つはぜひと思って訪れたのが「熊野古道なかへち美術館」と「カエル橋」である。
  「熊野古道なかへち美術館」。
妹島和世さん設計のあれである。パンフレットには「静かな山里にそっと置かれた、小さなガラスの宝石箱」とあった。 うーん、でも、どうかなあ。いくつかの情けなさばかりが目について、これではまずいんじゃないの、というのが正直な感想だなー、やっぱり。
 展示室を回廊状のロビーで包み、それ以外の機能をすべてその外側にくっつけるという逆転のアイディアはいかにも妹島さんたちらしいし、この広々とした敷地条件の中で少しでも建物を広げたいという思いからの発想でもあるだろうし、そしてそのことには共感できるし、さらにもっと一般化できそうなプランニングだとも思うし、でもなあ、外装のガラスの割り付けに合わせた両開きの入り口のドアは妙にちまちましたスケールで、その脇に置かれた安物の傘立てには泣けちゃうし、この小ささで外気との接触がない回廊空間は息がつまりそうだし、展示室はとくに工夫もなくてあとから置かれたと思われる既成の展示パネルは目を覆うような代物だし、回廊沿いのアクリル板の内壁は押すと凹んでとれそうだし(「交流スペース」では実際一部がはずれたまま。建物の壁が押すと壊れるなんて!)、トイレは窓もなくブースの中で倒れでもしたら絶対に発見されないだろうプランだし、回廊の外壁側のガラス面(例のシール張りの部分)にときどきはいる鉄扉には小窓があってこんなとこには妙に細かな気配りがあってしらけちゃうし、で、そういったあれやこれやの情けない感じの象徴が円弧状の玄関庇を支える2本の白い鉄骨の柱。急に「着地」してるんですね。
 外国からも見に来たりするんだろうなあ。中辺路町では来館者が多いと喜んでいるが、リピーターなんているんだろうか。僕自身はもう一度訪れたいとは思わなかった。

 「カエル橋」は、知らない人には想像がしづらいかもしれませんが、印南(いなみ)町というところにあるんですよ、巨大なカエルの顔が乗った橋が!中川理『偽装されたニッポン』(彰国社)、都築響一『ROAD SIDE JAPAN 珍日本紀行 西日本編』(ちくま文庫)などでも紹介済み。「考える」「人を、町を変える」「古里へ帰る」「栄える」で「カエル」なんですね! しかも、なんとなんとこのデザインはコンペで決まったもので、以前、全国の公共建築の現状を伝えるNHKテレビの番組で上記の中川理さんがこの橋を発案した町長にインタビューしていたが、そのとき他の応募案も画面に映りまして、「うーん、このカエル橋がそれでもまだましだ」と僕は息を呑んだ、自分の目を疑った記憶があります。
いやあ、すごい。犯罪ですねこれは。 印南町役場はこの橋の目の前にあった。それも、すごい。
  「熊野古道なかへち美術館」と「カエル橋」。日本の公共建築の一断面の象徴のように感じた次第。

 

2001-4-22(Sun) 『jt』→『住宅特集』≒『住宅建築』?

 新建築社の『住宅特集』誌の5月号を購入。「月刊化15周年記念号」なのだそうで、表紙デザインや「5大新連載スタート」などすっかり様変わり。雑誌タイトルまでイメチェンで、例の「jt」という文字が消えている。
  書架から取り出し表紙を見たたとき、『住宅建築』誌かと錯覚した。雑誌名の周りの枠取り(専門的には何と言うのか)がなくなったことが直接的な要因だろうし、そもそも「住宅特集」と「住宅建築」という文字を見間違うなというほうが無理だろう。中身はというと、連載記事の「コレクティブ」、「パッシブ」、「住み手への取材」などの傾向は、やはり『住宅建築』的である。ただし、『住宅建築』ほどテーマ性を全面に押し出しているわけではなく、新作紹介に多くの頁を割いているのは従来通り。ただ、連載記事の増加のせいで作品紹介頁数が減った分、これまでほどには若手や新人が見当たらない。この号に関しては、むしろベテランの建築家先生方がやたら目立っている。住宅に対する視点を広げようとすると、まあこんなことになってくるのはわかるけど、今までの方針とは何だったのか、それとの関係をどう位置付けているのか等、編集部からきちんとした説明がほしい。
  少し前から、『新建築』本誌の方でも「住宅」が掲載され始めていて、しかもそれは問題提起的というか、目をひくようなというか、そんな住宅が中心であって、その路線変更も説明抜きで進んでいる。いずれ『jt』との関係をどうするんだろうとは思っていたが、うーん、その答えがこれなのかなあ。

2001-4-21(Sat) 自画自賛とPDF

 午前中は、山隈さんといっしょに設計中の細長敷地住宅の住み手と打ち合わせ。今のところ順調に進んでいて、コンパクトでいい家になってきた、と二人で自画自賛。ふだんは町中の便利な場所でこんな都市型の家に暮らし、休みには別荘へ脱出できたらいいだろうなあ。
  その後大学へ戻り、建築学会の大会発表用の梗概づくり。今年の修論でやってもらった『国際建築』誌研究を2編の論文にまとめた。今年から始まった電子投稿
なるものが、郵送より締め切りが遅く、それにつられてしまったのだが、これが結構大変だった。PDFファイルで送るのだが、ふだん送られてきたことはあっても送ったことはなかったことと、ページメーカーでつくった文書をいざPDFに書き出してみると、 小さな文字がきれいに出なかったり、マージンが変わったりと予想外のことが起こり、ここ数日学生諸君に助けられながら、深夜、何とか提出が終わりました。来年は郵送にしようかなあ。

 

2001-4-19(Thu) 新しい住まいの設計

 わが家「渦森台ハウス」が掲載された『新しい住まいの設計』6月号が送られてきた。学生たちが、写真の感じがこれまでの専門誌とはずいぶん違うことに驚いていた。建築を正しく伝えることは難しいね。「正しさ」なんてそもそもない、か。

 

2001-4-16(Mon) 店じまい

 大学のはるか先輩にあたる建築家の方から、「設計事務所をたたむので要る本や雑誌があれば持っていってよい」という話をいただき、院生を連れて大阪の事務所に車で行ってきた。何だか火事場泥棒のような気分になりながら、いろいろな書籍をいただいてきた。設計事務所の店じまいを目撃するのは初めての経験であり、片づけが進む室内を見ていると、いささか胸が熱くなった。以前、別の院生にも下見に行ってもらったのだが、彼女は「ちょっと泣きそうでしたよ」との感想をもらしていた。 貴重な体験でした。

 

2001-4-12(Thu) 授業開始 ふたつの出来事

 4月6日の入学式以来続いた新学期恒例のオリエンテーション週間の大忙しが一段落し、今日から授業開始である。
■ その間あったことの1。
 愛媛県八幡浜市の日土小学校の模型を、日土公民館からの要請で地元の「日土まつり」へ貸し出したことは以前書きましたが(2/9,10,12のLogbook参照)、 そのときの展示の様子の写真等が公民館から届きました。 感激したのは、日土小学校の子供達の感想文の束。コンピューターで日土小の校舎を描いた手作りの便箋に、1年生から6年生までの子供達がいろんなことを書いています
  細かい模型にびっくりした、学生の人たちはすごい、校舎が途中で切られていて自分のクラスがないのが残念なのでもっと作ってください、ニワトリの模型もほしいです、自分はこんな小さな字で手紙を書けるけど(1行に2列書いてある!)あんな細かな模型は作れないです、自分の学校がこんな模型になって嬉しい、ところで大学はいかがですか、等々、学年によって、ひとによって様々な個性に溢れ、何度も笑いました。学生も大喜び。地元のテレビニュースで放映されたものの録画ビデオもあって、それも楽しい。ケーブルテレビかなにかでしょうか、ほんとにローカルな話題が取り上げてあって、今年で廃校になる小学校の学芸会のニュースなど、なんだか今の日本ではないような気がしました。「八幡浜新聞」(2/10のLogbook
参照)も相変わらず大活躍で、二度にわたって大きくこの展示を紹介してくれていました。
  日土小出身で、この春、日大の建築学科を卒業した二宮さん制作の「神山小学校」の模型も同時出品。この学校も松村正恒の設計で、一部だけが実現されていたのですが、その幻の全体計画を再現したもの。バウハウスのような総ガラス張りの階段室などがよくわかり、力作です。
■ その間あったことの2。
 某大学の教員の方が僕の研究室を突然訪問され、僕が学部でやっている講議を聴講したいという申し出。驚いていろいろお話をうかがっていくと、僕の以前の勤務先の友人某君のお知り合いであり、その某君の友人とはさらに前からの友人であり、その方が僕の友人建築家某君の最近作の住宅の住み手であり…と、どんどん人脈がつながって、なんともはやびっくりした。ずいぶんと建築マニヤで、『jt』などの愛読者。友人建築家某君評など、実に的確。「渦森台ハウス」も見ていただいていた。すっかり話し込んでしまいましたが、こんな方がこれから教室に座っているかと思うと、緊張します。

 

2001-4-4(Wed) 牧野富太郎の笑顔

 高知市の「牧野富太郎記念館」へ。内藤廣さんの設計。市内を見下ろす五台山という山の上にある。建物については皆さん御存知の通り。木造の骨組み、流れるようなかたちの屋根、広々とした木のデッキ、中庭、傾斜地を生かした2棟の配置計画等、どれも印象的な建物でした。 しかし、建物以上に魅力的だったのは、展示と、そこから滲み出ていた牧野富太郎という植物学者の雰囲気である。やはり天才というのはこういうものなのでしょうね。草木に囲まれ、本当に幸せそうです。感激して思わず買ってしまった『牧野富太郎写真集』を開くと、その中で荒俣宏も指摘している通り、牧野富太郎は植物に囲まれていつも笑っています。いつもニコニコとほほ笑んでいます。うーん、こんなひとだったのか。僕も小学校時代は高知にいたから名前は身近だったけど、しらなかったなあ。感動した。
  牧野富太郎の写真等、ここで見ることができます。

 

2001-4-2(Mon) スタート!

 東京に日帰り出張。『資料集成』の編集会議。
 新年度のスタートの日で、あちこちで新入社員のグループを見かけた。みんな頑張って下さいね。芸工大の卒業生のうち身近な2名からも急遽就職が決まったとの嬉しい連絡が舞い込んだ。ともに優秀な女性です。よかったよかった。活躍を期待してます。
 自分自身の就職からは20年近くたってしまった。よその町へもらわれていく犬の子のような寂しさと、妙に肩肘はった空回りの緊張感を思い出す。あのとき、10年後に辞めるなんて、約20年後にこんなこと書いているなんて、もちろん考えもしなかったんだよなあ。

 新幹線の中で、小谷野敦『軟弱者の言い分』(晶文社)と『論争・学力崩壊
』(中公新書ラクレ)。僕は小谷野の粘着質の批評精神が大好きだ。『もてない男』 『バカのための読書術』(ともにちくま新書)よりはいささかトーンダウンだが、問題の所在を明確にする文体はいつもの通り。建築についてもこんな批評、というか「揶揄」がもっと書かれるべきだと僕は思う。後者は、「学力崩壊」vs.「ゆとり教育」という最近の論戦を整理したもの。大きな見取り図がつかめて便利。問題はその先だ。