対話編10 花→みなさん 14

2010年10月24日 12:35【青木淳×花田佳明 対話

10月2日の特別講義と中間講評会からあっという間に時間が過ぎて、10月29日の提出締切が近づいてきました。
神戸芸工大では、4年生は卒論の提出が終わりほっと一息、2.3年生はそれぞれ実習課題の真っ最中です。
秋は学外でも行事が多く、熱心な学生諸君ほど、あれこれと目移りし、気を取られ、忙しくしています。
各大学もそれぞれ同じような状況でしょう。

自分が学生の頃と比べると、「もっとじっくり落ち着いて本でも読んだほうがいいよ」と思ったりもするのですが、一方で、もし今の時代に自分が学生だったらと想像すると、それなりに走り回っていたかもしれないから、そう簡単に言うこともできません。

でも、と思います。

建築というのは、その基本的な論理構造ははるか昔から変わっていない。
言葉とモノと空間です。
それらが関係し合い、互いに他を定義する。
その関係を示す関数と変数について考えるのが僕らの仕事。
その原理に立ち返れば、自ずとやるべきことの道筋は見える。

言うまでもなく、「青木淳と建築を考える」というこの企画も、「もっとじっくり落ち着いて本でも読む」時間を奪うもののひとつです。
しかし、この3年間の経験からすると、少なくとも僕と何人かの学生諸君にとっては、上に書いたような意味で原理的に建築を考える絶好の機会であったという自負もある。
それは何より青木君のキャラクターに負うところが多く、課題内容はもちろんですが、何にもまして講評の言葉が新鮮で、それはあたかも洞窟に射し込む一条の光、まさに啓蒙、自分では考えたこともない変数と関数を示す魔法の言葉ように思えたことが何度もありました。

「風景から建築へ」。
ある意味では古くさいテーマです。
対話編で書いたような本を探っていけば、おそらく過去に向かっていくらでも遡ることができるでしょう。外側からの根拠付けとしての風景ですね。
一方で、とても現代的なテーマでもある。
最近の若い建築家や学生諸君の夢の中にいるようなドローイングを見ていると、まさに風景をつくっているとしか言いようがなく、しかも困ったことに、風景とは予め自然に存在するものなので後付けの論理は無用、とでも言うかのような内向的で閉鎖的な姿勢も感じなくはない。

今回求められているのは、そういった両極とは一線を画す、具体的な物語に満ちた風景論であり、そこから始まる設計ではないかと思います。

・・・と書いただけではよくわかりませんね、きっと。
僕もです(笑)。

<自分の感覚を信じて「これっ!」と思う「風景」を決め、そこから「建築」的イメージを引き出す作業に集中する>、対話編で僕が出せた結論はこんな当たり前の言葉でしかありませんが、その「風景」と皆さんがつくった「建築」を眺めていると、「あーなるほどお」と思える変数と関数を、僕は期待しています。

この企画は今年で最後です。
ぜひ多くの学生諸君が、青木君との対話を経験してくれることを願っています。