[対話篇 花→青 8] 思い出したこと。

ああそうかと思ったことがあったので、少し。

昨年の夏、横須賀美術館に行ったときのこと。山本理顕さんの設計の建物ですね。それを見たかったのはもちろんですが、僕にはもうひとつ目的があって、それは庭に設置された若林奮の作品でした。

僕はこの作家の立体やドローイングが昔から大好きで、それが大きなスケールで外部空間にあるというので楽しみにして行ったんですね。
でも、生意気なようですが、ちょっとがっかりした。

タイトルは「Valleys;2nd Stage」。それが文字通り鉄板でできた谷間として、ランドスケープデザインの一部になり下がっていた、少なくとも僕にはそう見えた。
そこには、たとえば彼の「振動尺」シリーズ、「雰囲気」、「所有・雰囲気・振動」、「森のはずれ」といった作品がもつ詩的な想像力を喚起する力はなくて(学生諸君へ:知らない人は画像検索して下さい)、おしゃれな風景の一部に取り込まれてしまっていた、少なくとも僕にはそう見えた。

酒井忠康の『若林奮 犬になった彫刻家』に「《ヴァリーズ》についての感想」という文章があるけど、もうひとつ曖昧な感想だ。ひょっとしたら僕と似たような印象だったのではないかと勘ぐりたくなる。

で、先日の青木くんからの便りを読んで、去年のこの出来事を思い出したというわけです。

僕らの対話篇での言葉でいえば、「模型」が単純に拡大されて「建築」になってしまった、ということでしょうね。

それじゃあダメだ、両者はあくまでも独立した存在なんだ、という前便の青木くんの言葉で、僕は去年の夏の失望感の理由がわかりました。

自分が好きな空間の「模型」を示せといわれれば、僕は若林奮の立体やドローイングを真っ先に挙げる。

でもその「模型」を僕たちは自分でつくり、拡大コピーではない操作を経て、「建築」を見出さないといけないわけだ。


(なお若林奮の作品を知るには、豊田市美術館のカタログと東京国立近代美術館のカタログがお薦めです。)

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