[お知らせ] 登録番号送付

追加登録の受付も終了しました。
現在、受付済みの登録者全員に登録したメールアドレス宛に、
登録番号を送付しました。

登録をしたのにも関わらず、登録番号が届いていない場合は、
env-office[at]kobe-du.ac.jp (atを@に置き換えのこと)
までメールにて問いあわせてください。

【対話篇 青→花 10】RE: 中間講評会を終えて

こんにちは。青木です。
この前の土曜日は、お世話になりました。
(会場の準備をしてくださった方々には、とくにお世話になりました。ありがとうございました。)

ぼくも、中間講評会があってよかった、と思いました。
自分では言うまでもないと思っている前提というものがあって、でもそういうものは、やっぱり言わなければ伝わらない。それにいまさらながら、気づきました。

ひとつは、花田くんが書いているように「敷地が必要」ということです。もちろん、これは具体的な、どこどこの敷地という設定が必要ということではありません。そうではなくて、日常の世界との接点をもっていてほしい、ということです。

「感覚誘導装置」とでも言っていいような空間があります。たとえば、「アイソレーション・タンク」とか。なかに入って、光や音が外界から遮断された状態で、比重の重い液体に寝そべって浮かぶための容器のことです。アイソレーション・タンクは、たしかに人を一種の瞑想状態に誘います。ある強い非日常的な感覚を人にあたえます。でも、その非日常性は、日常とは切れています。金沢21世紀美術館にある、ジェームス・タレルの<ガス・ワークス>も、タンクのなかに入る作品ですね。台の上に寝かされて、そのままタンク内に滑り込まされて、視覚を奪われながらも強烈な光の体験があたえられる。こちらの方は、一度、体験させてもらったことがあるけれど、いや、実に刺激的でした。でも、同時に、すごく「やだなー」と思いました。

なんで「やだなー」と思ったか、というと、その体験が日常から切れているからです。その体験が日常から切れているものはいや。だから、ぼくは「建築」をやっています。
と思ってきたわけだけど、ふと見まわしてみると、「美術」だって、「文学」だって、「映画」だって、「音楽」だって、どんなところにも、放っておけば、日常から切れてしまいそうなものを、なんとか日常あるいは現実につなぎとめようという努力があることに気づきました。そうして、ぼくはジャンルを越えて、そういうものに、いいなあ、と思うわけです。

「敷地が必要」というのは、おうおうにして日常から切れた「感覚誘導装置」になりがちなものを、なんとか日常につなぎとめるようにしてほしい、ということなのでした。

ということで、ではまた。

[報告]公開講義&中間講評会

10/4(土)に青木教授による公開講義と中間講評会が開かれました。

公開講義写真

まずは、青木教授による公開講義「模型で考える」。

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対話篇でも話題になった「晶洞(ジオード)」の話もありました。
その後20分の休憩をはさんで、2年生から院生まで7人の学生の模型をみながらの中間講評会。
大ホールの舞台に並ぶので、学生は少し緊張気味。

中間講評会全景

一つひとつの模型を会場からも見やすいようにビデオで大きく映しながら、一人ひとり簡単に説明。

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一通りの説明の後、青木先生から一つづつ講評が行われました。

中間講評会ビデオ

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全ての講評が終わった後、青木先生と花田先生の全体講評がおこなわれました。

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この様子は、花田先生が対話篇の中で詳しく書いてますので、そちらを読んでください。
最終講評会も同じ場所で行います。どの作品が壇上にあがるのか、楽しみにしています。

[お知らせ] 追加登録の受付をします。

10月4日の中間講評会が無事に終わり、今回の課題のめざすものがだいぶ明らかになっ
てきました。
おそらくそれゆえでしょうが、当日の参加者の中から「これなら今から登録したい」
という声が上がりました。
とても嬉しい声です。
そこで、この企画はコンペではなく授業なのだからいわゆる「履修登録変更期間」が
あってもおかしくない、という理屈を考えました。
せっかくの機会なので、やる気のある人にどんどん門戸を開きたいと思います。

10月10日(金)まで追加登録を受付けます。
希望者はぜひ登録してください。見る前に跳べ!

登録方法はこちらを参照のこと。

[対話篇 花→青 9] 中間講評会を終えて。

10月4日(土)、青木君の特別講義とオープンスタジオの中間講評会、無事終わりました。お疲れさまでした。
参加者は、学内からと学外から半々くらいでしたね。「応募登録したひと手をあげてー」と尋ねるとたくさんあがりました。期待大。

特別講義は、メルクリとの展覧会に青木くんがスタディ模型を提出した住宅の設計プロセスを、そのときの模型や図面で詳しく説明してくれました。
99案の関係は相変わらずスムースに頭に入っては来ませんし、その一方で最終案がなぜ最終案として青木くんが納得したのかもわかるような気もするし、でもそれは残り98案の上に成立しているようには見えないし、というわけで、相変わらず青木くんの設計プロセスは謎に包まれたままなのですが、しかしそのことよりも、99案および現在も条件を変えて同じ敷地で続いているという多くの別案のスタディの圧倒的な迫力というか、青木くんが、まさに建築という「言葉」を巧みに操って「文章」を組み上げている様子が、圧倒的な生々しさで伝わって来ました。こんなの見ていいの、見せていいのという感じでした。建築の設計プロセスが直線的であるはずはないと頭ではわかっていても、どこかそれを期待する部分があるとしたら、この生々しさが、そういう幻想を完全に打ち破ったと言い換えてもいいです。

さて、今回は芸工大の学生7名の作品の講評でした。
学部2年から修士2年までいたので、作品のレベルもさまざまでしたが、普段の課題でも、中間講評はとにかく問題点の早期発見、課題の目指すものの確認、そしてその超え方への感触の獲得が最大の目的なので、その意味では、価値ある会だったと思います。

いずれ出現させたいと思う空間の質を示す「模型」を考え、それを「建築」化する際には、それによって現実の空間の一部を変化させていること。課題の主旨はそういうことなんですね。
もちろん設計とは常にそれをやるわけだけど、実際の仕事では相当意識的でいない限り、「いずれ出現させたいと思う空間の質」はできあがってしまった「建築」が結果的に決めてしまっているということになりがちです。
今回の課題は、その「いずれ出現させたいと思う空間の質」を、あらかじめはっきりと認識し、そこから出発しようということなんですね。しかも「あらかじめはっきりと認識」する手段として「模型」を使う。だからその「模型」は、いつも作り慣れている模型とは、素材もスケールも違うはず。
感覚で考える、みたいな矛盾したことが必要なんだろうな。感覚を研ぎ澄ませて、それにフィットした「模型」になっているかどうかを考え抜く、というか、感じ抜く。
でも、考えるっていうことは、どんな場合でもそういうことだけどね。

その次には、「模型」から「建築」への距離もよーく考えてほしい。
講評のときも言いましたが、Y君の「ブランコ」を例にすれば、「重力からの自由な状態」の象徴として「ブランコ」や「ターザン」を「模型」として示すのはいいとしても、それを「吊られた構造」へと「建築」化したのではつまらないということです。
そうではなくて、たとえば、「重力から自由」→「場所がひとつに固定されない」→「ここにいるのにあそこにいるような気がする」と連想を進めると、青木くんがリュベトキンのペンギンプールのスロープを例に言ったような感覚(=「ペンギンに見られているだけでなく、自分もあのスロープをよちよち歩いているような感覚に襲われる」)が得られるからこそ、単に構造的に浮いて見えるからではなく、それが「重力から自由な状態」の「建築」化だということになるわけです。
よーく考えよう。

ところで、青木くんが、7作品すべて「敷地」がないのは変と指摘してたけど、学生諸君はきっと「え、敷地がいるのか」という感じではなかったかな。梯子をはずされた感じがしたかもね。
このあたりが青木くんの青木くんたる由縁という気がしますが、??と思った人は、表参道のルイヴィトンについて『新建築』に彼が書いた解説を読むといいよ。それでわかると思う。

中間講評の希望者は、なぜ男子学生ばかりだったんだろう。
偶然と思いたいけど、こうやって長々と議論すればするほどその意味が無くなっていく感じがすることから明らかなように、今回の課題は、まさにそういった「男性的な発想」の対極が求められていると思います。それをできるのが女性だ、などとは必ずしも思いませんが、男性である私としてはものすごく期待してしまいます。
ハナダはふだんから理屈っぽい、ゆえにハナダが関わっているこの課題は理屈っぽい、という推論は成り立たないからね。理屈っぽいハナダが自分の理屈じゃ到達できない世界を探している。そう思ってねと、これは学内女子学生さん向けメッセージ(笑)。

[お知らせ] 参加登録の受付を終了しました

昨日をもって、参加登録の受付を終了しました。
今週10/4は、公開講義&中間講評会です。
多数の参加をお待ちしてます。

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