メイのアメリカ日記
2006年

花田研OG・蓑原明さん(2002年3月卒)のアメリカ便りです。
2004年秋からUC Berkely のLandscape Architecture学科の大学院で勉強中。

過去の日記
2003年2004年2005年

2006年-10月28日 ハロウィンですが。。。

 来週の火曜日、10月31日はハロウィン。カボチャのお化けが町中に溢れる今日この頃。アメリカでは誰もがハロウィンを楽しみにしているらしい。子どもも大人も目一杯仮装して、子どもはカゴを持ってお菓子をもらいに家々を訪ね歩く。たいていその前の週の週末はあちらこちらでハロウィンパーティーがあって、みんなおもいおもいのかっこうをしてでかける。
 今年も友達からの誘いがあって、今日はそのパーティーの日だったのだけれど、どうも旅の疲れが取れず家でゆっくりすることにした。
 実は先週の水曜まで1週間ほど東南アジアの方に兄の結婚式に行き、戻ってすぐの木曜金曜と仕事をしたので時差と2日続きの飛行機泊とで体が悲鳴を上げていた。日本からだとたった1時間の時差だけれどここからだとそうは行かず、改めて自分が遠いことにいることに気づいた。
 仕事の方は有給を前借りしたので、次の有給が取れるまでには相当待たなくてはいけない。そういう訳で、今年の冬は一人サンフランシスコで過ごすことになった。
 ここ最近事務所の方もバタバタしている。所員さん2人が急に辞めることになってその人たちのやっていたプロジェクトが私にまで回ってきた。先々週は4,5このプロジェクトをちょこちょことやらなければならず、頭がいくつあってもたりない状況だった。苦手だったAutoCADもいつの間にかある程度使いこなせるようになった。やはり何でも習うより慣れろと言うことらしい。そうはいっても新しいプロジェクトもいくつか始まったので、これからがますます楽しみでもある。

 
 左:ベイブリッジと彫刻1 保守的なサンフランシスコの町にも奇想天外なものはあったりする。
 右:ベイブリッジと彫刻2 この弓矢が刺さってる公園は実は私のいる事務所がデザインしたのだが、よっぽど弓矢の方がインパクトが強い。
人がいないので分かりづらいけれどかなり大きい。


 
 左:金門橋 つい最近工事が始まった敷地のすぐ近くから撮った写真。とても眺めが良い。ちなみにこちらはサンフランシスコ側ではなくマリン郡側から。
 中:ついにお目見え 私の住んでいるアパート。サンフランシスコならではの坂道に建ってます。私の部屋は2階右側。
 右:私の部屋 スタジオと呼ばれるワンルームのアパート。広さはスタジオ自体が10畳くらい、キッチンが6畳そしてお風呂場がとローゼットがついている。一人には十分のスペース。

2006年-9月5日

 いよいよサンフランシスコでの生活が始まった。
 引っ越しは小さなトラックを持っているもとクラスメイトに手伝ってもらって、バークレーとサンフランシスコを2往復もしてもらってしまった。少ないと思っていた荷物だったのに、予想以上に増えていた。
 部屋は結構広い。建物は築100年ほどで、サンフランシスコならではの出窓付。この国では下手に新しいアパートよりも古いもののほうが作りが良い場合が多い。キッチンも広いので、それが嬉しい。そして何よりも嬉しいのはフローリングなのとお風呂が付いてること。引っ越してすぐに床を全部拭いて早速床でごろごろ。やっぱりイスに座る生活よりも快適。
 そして今日は会社まで自転車で行った。
 サンフランシスコは神戸の何倍も坂だらけ。どこに行くのも坂のないところが無いくらい。家から会社までは、行きが下りで帰りが上り坂になっている。ここには便利な坂の地図があって、どの道を行けば坂が急じゃないか教えてくれる。その地図を頼りに今朝は会社に向かった。途中道を間違えて、最後とても急な坂を下る羽目になったけれど、行きは15分ちょっとくらいで会社についた。そして問題の帰り。ちょっとした坂はバークレーでなれていたのだけれど、1ヶ所尋常じゃない坂を越えなければならないことが判明。今日は無理をして必死で漕いで上ったけれどかなり辛かった。上りきったときは肺がどうかなってしまうのではないかと思ったほどだ。
 それでも、会社まで自転車で通えるというのはとても良い。これからは少し天気も良くなるので、もっと自転車に乗って街を見てみたいと思う。
 ちなみに仕事は来週の月曜に1つ大きな締め切りがあって、大忙し。残業も休日出勤も覚悟しなければならなそう。それでも耳慣れない言葉や描き慣れない図面を描きながら、ここで良い経験ができる喜びを感じたりもする。

 
左/この間まで使っていたトランスベイターミナルのバス停。近いうちに新しいのが建つ予定。私の使っていたバスは朝と夕方しか走っておらず、最終便が7時15分。それを逃すと電車を使って帰らなければならず、駅から家まで30分近く歩かなければならなかった。
右/家の近くにあるブエナビスタ公園から見えるサンフランシスコの眺め。ここに来るとゴールデンゲートパークもイーストベイもよくみえる。

2006年-8月12日 文化財

 私が今やっているプロジェクトの1つに、旧米軍駐屯地の再生プロジェクトがある。もともと、軍の宿舎だったところをロッジや別荘にするという計画で、歴史的な建物を残し、数棟の新しいロッジを建てるというものだ。歴史的といっても、この国の歴史はとりわけ短いので、過去100年くらいの歴史の話になる。私のいる事務所では新たに作るヒーリングアートセンターの中庭とそのまわり、新旧両方の建物のまわりのランドスケープをしている。ここではアメリカの短い歴史を保存するためにある時期(1930年半頃)を歴史的に重要な年と決め、それ以前に作られたものを残すことになっている。それはただ古いだけと言う理由で、見た目や機能などの考慮は一切ない。
 そこで、先週私はテニスコート脇の水路(ちょっとした堀)の植栽をすることになった。そこにはたわいのないコンクリートが敷かれていて見た目にはとても美しいとは言えない。せっかくそこのデザインをするのだから、そのコンクリートを掘り返して天然石を敷き詰めたほうがよほど見た目にも良いので、上司にコンクリートをなくしてもいいかと訪ねると、それは歴史的に重要(ナショナルパークサービスによって決定される)なので残さなければならないという。ここでポイントなのがそのコンクリートの歴史的な価値である。私からすると、一体その縁石のようなコンクリートにどんな価値があるのか理解できない。無いほうがよほど良い。多分そこにコンクリートが敷かれた理由も、石を敷くよりも安いという経済的な理由にほかならない。
 そこには日本とアメリカの歴史的建造物に対する異なる価値観が存在するのだろう。例えば、日本では100年前に建てられた石造りの建物に新たにガラスのファサードをつけて、現代の技術を加えた形で保存する。それがここでは構造の強化はするものの、出きるだけ建物に触らない形で設計なり施工なりを進めていかなければならい。だから無意味なコンクリートの溝も同じ理由で新しい構造物に触られることなくそこになくてはならない。
 こういった歴史的建造物の価値観の物差しは一体どこに有るのか、少し考えさせられた。
 そんな中、先日のアントニン・レーモンド設計の日本女子大の旧女子寮が取り壊しになるという話はさらにその疑問を難解なものにした。私は芸工大在学中、
 花田研でのDOCOMOMO展用の模型作りに参加してモダニズム建築の保存の必要性を実感した。そしてたまたまこの間行ったPennsylvania大学でのレーモンド展で彼の作品の歴史的意義を見てきた。そんな彼の作品が壊されてしまうのはどうも納得いかない。それは人それぞれのモダニズム建築、又は歴史的建築物の重要性の理解度の違いなのかもしれないけれどとても寂しいことには違いない。
 一体何をもって歴史的な価値を100年足らずのものに見いだすのか私の回答はまだ出ていないけれど、片や不必要なコンクリートが残されより良い空間作りが妨げられているのに対して、一方で歴史的にも文化的にも価値のある建物が取り壊されるという矛盾はやはり理解に苦しむ。
 旧女子寮に関してはどうにかしてなんらかの形で残ってくれたらいいともう。(同潤会や帝国ホテルのようなほんの一部だけでは意味がないのだけれど)

2006年-7月29日 社会人

 7月17日(月曜日)からランドスケープ事務所での仕事が始まった。去年の夏のインターンとは違いれっきとした正社員。自分のデスクも与えられ、早速建築事務所とのミーティングにも参加した。私のいる事務所は社長とフルタイムのデザイナーが7人事務が1人、パートタイムが4人とインターンが1人のミドルサイズの事務所。平均するとだいたい10人が事務所にいる。
 私はまだバークレーに住んでいるので、通勤には片道約1時間かかる。サンフランシスコの家賃は東京並に高く、私の住みたいエリアにはなかなか空きのアパート(こちらではワンルームマンションをスタジオと呼ぶ)は無く、もうしばらくアパート探しには時間がかかりそうだ。朝6時半に起きて、お弁当を詰めて7時半に家を出る。去年も使ったカープールでサンフランシスコのトランスベイターミナルに行き、そこからバスで事務所へ向かう。そして、8時半頃事務所に付き、夕方5時半過ぎまで働く。理想の8時間労働。日本では考えられない人間らしい生活を送ることができる。最も、〆切近くはそうは行かないが、今のところ8時前には会社をでることができる。ということは、夜にかなり時間ができる。何か始めねば。
 事務所の作りはとても変わっていて、昔ガレージだったところを設計事務所が買い取って改装。天井が1階半ぶんあるので、メゾネットのようになってる。同じ建物内に2階建ての部分もあって、そこは建築の設計事務所が使用している。私のいるオフィスは1階部分に事務、会議室、キッチンなどがあり、2階がスタジオになっている。言葉では説明しづらいのだけれど、その空間がなかなか面白い。メゾネット部分には梁が3本走っていて空間を4つに分けている。そのためそれぞれのセクションには1階から階段がある。もちろんフロアは1つなので、移動の際は常に梁の下をくぐらなければならない。その高さはだいたい140センチしかない。そういう訳で、事務所内の導線はかなり変わっている。また、天窓があるので、日中は照明いらず。とても環境に優しい。ところが、先週までの2週間カリフォルニアでは、猛暑が続いた。内陸では気温が40度を超えた。普段20度前後しかないサンフランシスコでも、日中の気温は30度近く。サンフランシスコの気候上、事務所にはエアコンもインスタレーションもはいっておらず、さすがに2階部分は温室状態になった。シーリングファンと送風機のみで30度の部屋で仕事をするのはなかなかな大変だった。
 私の担当しているプロジェクトは今のところ3つ。一番大きいのは、昔軍人が住んでいたところをホテルやコンドミディアムに改装するところのランドスケープ。そこで私は社長が描いた植栽図をCADに落として植物の種類と数をはじき出すというかなり面倒な作業をしている。今週はカリフォルニアに自生する植物を使用するエリアをやったのだけれど、使用する品種は30種近くでその組み合わせも32種類。とりあえずそのリストを作って面積をはじき出した。この作業の辛いところはランドスケープのデザインが変わるとその面積も変わってしまうので、常に計算し直さなければならないこと。もう少しエクセルの勉強をして計算の簡略化をしたいものだ。
 こんなふうにあっという間に2週間がすぎた。
 今日はいつもの夏なので昼過ぎでも霧のため曇り空。暑かった先週が懐かしい。

2006年-7月16日 アメリカ横断、そして東海岸の旅

 6月の中に日本から戻り、仕事始めまで時間ができたので、アメリカ横断の旅を企てた。実は以前から院を卒業したら車か汽車でアメリカを横断したいと思っていて、今回はそれが現実した形になった。結局列車で行くことにした。その経路ははバークレーのとなりのエメリービルからアムトラック(汽車)に乗り、ネバタ、ユタ、コロラド、ネブラスカ、アイオワを経由して2泊3日でシカゴへ行き、それから別の汽車に乗り次いで、一晩かけてワシントンD.C.へ。そこからまた別の列車で友達のいるバージニアのフレドリクスバーグへ行くという全行程4日間の汽車の旅。それから友達のところにしばらく滞在し、友達の調査をしている庭の測量の手伝いをしたりワシントンD.C.で観光をしてからフィラデルフィア、ニューヨーク、ボストンへ行き、7月の13日にボストンから飛行機でバークレーに帰ってくるというもの。結果的に出発日と帰宅日を決めただけのとてもラフなものだった。
 6月26日にエメリービルをでて、シカゴへ向かった。アメリカには長距離列車は汽車しかないのでとても遅い。新幹線のような電車はどこにも走っていない。汽車は途中ネバタの砂漠、ユタ、コロラドの岩山、アイオワ、ネブラスカのトウモロコシ畑を通り、シカゴに到着した。一人旅だったので、寝台車ではなく普通の席を予約していった。座席はそれなりに大きかったのがやはり寝心地は良くないので3日間寝不足の日が続いた。それでも、お気に入りのラウンジカーから眺めるアメリカの景色は雄大で私を飽きさせることは無かった。それに、一人だということで色々な人ガはなしかけてくれて、知り合いになっていろいろな話をしていたので孤独に感じることも無かった。ただこの国の列車の旅には大きな問題がある。それは、汽車が時刻通りに走らないということ。その理由は貨物列車と線路を共有していて、そちらの方に優先権があるかららしい。まず、始発駅のエメリービルを30分遅れで出発。サクラメントに着く頃にはすでに1時間遅れ。コロラドのデンバーに着く頃には3時間遅れた。そして終着駅のシカゴには結局4時間遅れで着いた。次の汽車まで3時間しかなかったので、もちろん乗る予定の電車には遅れ、その結果、予定外にシカゴに1泊することになった。ここの長距離列車はたいてい同じ経路の汽車は一日に1本しか走っていない。従って、次の汽車は翌日にならないと来ない。そういう訳で4日の汽車の旅が5日にのびたのだ。その後もさらに冒険は続きいた。シカゴから乗った汽車も定刻よりも1時間くらい遅れて出発し、そのあとは2時間遅れで走っていた。すると明け方に車掌さんに「ワシントンからの乗り継ぎに間に合わないから」ということで途中のピッツバーグで下ろされバスに乗せられワシントンに向かった。ワシントンには予定通り(汽車の到着予定時刻)に着いたので、フレドリクスバーグ行きの汽車には無事に乗ることができた。それでもやはり1時間近く予定時刻をオーバーして到着した。日本では考えられない話だけれど、この国では汽車は一番信頼のおけない交通手段なのだ。私みたいに時間があって汽車の旅が好きならばそこまでいらだつことも無いだろうけどそうでなかったらとてもじゃないけれど使っていられない。同乗している汽車の中で、何人もの腹を立ててる人たちに愚痴を聞かされたか分からない。
 そんなこんなでようやくフレドリクスバーグに着いたのだけれど、そこは時間の止まったようなとても小さな田舎町だった。南北戦争の最前線にあった街で、街のあちこちには戦場跡地や兵士のお墓がいっぱいある。街自体もアメリカの中では古いので、1800年代に立てられたれんが造りの家があちらこちらにある。ちなみに私の友達の滞在先も1800年の後半に立てられたコロニアル様式の建物で、メインの部屋は当時の面影を色濃く残していた。
 フレドリクスバーグでは、予定通り専ら庭の測量を手伝い、週末には5セントの裏に刻印されているトーマス・ジェファソンの家(Monticello)やジェファソンの設計したバージニア大学に行ったり、ワシントンDCに行ってモニュメントや美術館、庭園を見に行ったりした。
 結局そこには1週間ほど滞在して、その後汽車に乗りフィラデルフィアへ向かった。
 世の中にはあり得ないような偶然が起こるようで、滞在予定だったホステルに向かう途中、地下鉄からでたところでフィラデルフィアでインターンをしているクラスメイトに会った。あまりの偶然にお互いびっくり。そして私はその友達の家に1泊させてもらうことにした。フィラデルフィアでは古いれんが造りの町並みをみたり、ペンシルバニア大学を見に行ったりした。
 フィラデルフィアからはローカル列車に乗ってニューヨークへ向かい、チェルシーのホステルに1泊滞在した。その後2日は、ウィスコンシンにいたときの友達のアパートに泊めてもらうこことになった。彼女は照明デザインの仕事をしていてインテリアからエクステリアまで色々な仕事があるらしい。ニューヨークには日曜と月曜という間の悪い曜日に滞在することになったので、MoMAの本屋さんでニューヨークの庭園の本を見つけ、できるだけ多くの庭やプラザを見学することにした。そして最後の2日はボストンで過ごした。ボストンへはチャイナタウンからでているバスで行き、オルムステッドのデザインした公園群(エメラルドネックレス)を見たり、ケンブリッジへ行ってハーバードやMITを見て回った。最後の最後になって雨に降られたので、予定外の建築見学もす
ることになった。そのおかげで、ボストンの古い町並みも堪能することができた。ボストンでは'Big Dig'という高速道路をトンネル化する大事業が終わり、今はその跡地の緑化が行われている。本当は緑地帯を作るだけだったらしいのだが空き地になる場所があまりにも広すぎて結局住宅や商業地も組み込まれるらしい。
 そして13日の木曜日、バークレーに戻った。
 この旅では今までのアメリカ国内旅行の中で一番多くのことを学んだ。バージニアから始まった南北戦争の話し。ワシントンで見たメモリアルの数々、それはすなわちこの国の形成と戦争の歴史。フィラデルフィアで見た独立の歴史。そしてボストンとニューヨークで見たオルムステッドによるランドスケープ/都市形成の歴史。人の考え方も文化もバークレーやサンフランシスコとは大違いで、シカゴの中部ともまた違う。やっぱり、アメリカは広いということを身にしみた。ここにいるうちに、テキサスなどの南部の方にも行って、また違ったアメリカを見たくなった。

 
 左/Colorado:ユタやコロラドには断崖絶壁がいっぱい。アムトラックはこういった絶壁のそばを通っているので車からは見られない景色を間近で見ることができる。
 右/Chicago Millennium Park:ミレニアムパークはつい2年前に完成したダウンタウンの公園。この日は暑かったので、噴水では子どもが水遊びをしていた。

 
 左/Monticello:トーマス・ジェファソンが40年かけて改築してきた家。この国ではいまだにこの頃へのあこがれが強く、いまだにこういった家に住みたいと思う人の方が多い。
 右/Dunbarton Oaks:ワシントンにある庭園。40年代に作られたのだがあたかもルネッサンスのころに作られたような作りになっている。アメリカではロマンチックなものが好まれる。

 
 左/F.D. Roosevelt Memorial:ローレンス・ハルプリンによってデザインされたメモリアル。ハルプリンは水を使うのがとにかく上手い。このメモリアルは他のものとは違ってストーリー性がありさらに公園としても利用することが可能なので機能的なのが良い。
 右/Chatham, Fredericksburg:友達が調査をしていたお庭。調査目的は庭を管理しているNational Park Serviceが政府から補助金をもらえるように今の現状と元々のデザインを照らし合わせて改善の必要性を訴えるためだとか。

 
 左/U Penn:生徒は夏休みでいなかったのだけれど、勝手に中を見学。良さ気なコモンスペースを見つけた。
 右/Prospect Park:オルムステッドの都市公園。何となくゴルフ場に見えてしまう。多分平らなところが余りないのと芝生のせい?

 
 左/Harvard:ピーター・ウォーカーによる噴水?
 右/MIT:ゲーリーデザインの新しい校舎。ちょっと見飽きた感のあるデザイン。彼の建築は完全に彫刻に近づきつつある。

2006年-6月22日 就職活動

 アメリカでの就活と言うのは日本とは大きく違う。まず、会社に採用期間と言うのが無い。と言うことはいつでも行きたい会社に履歴書を送ってそこに空きがあれば入ることができる。もちろん実際会社からオファーを受けるまでには面接が1,2回有りそこで気に入られて初めてオファーが来てそれを受理してやっと契約が成立するわけなのだが。だから日本のように新卒だど有利といったことも無い。どちらかといえば経験者の方が優遇される。そして転職が多かろうが構わない。逆にキャリアのためにはある程度あったほうが見栄えが良い。
 私の就職活動は結構長かった。実際始めたのが3月で決まったのが6月なので4ヶ月ほどである。もちろん働き始めるのは早くても6月の中の予定だったので、3月4月の時点で見つけるのは無理に近かった。仕事を見つけるのに時間がかかった第一の理由は希望の会社(事務所)に空きが無かったことで面接までたどり着けなかったこと。第2に、コネクションが無いので小さい会社には連絡を取りづらかったという事。ここでは人のコネと言うのは重要で、知り合いの紹介と言うのは大きなプラスポイント。採用には多いに役立つのだ。
 そして採用の決まったところにたどり着くまでにも紆余曲折が有りなかなか一筋縄には行かなかった。その会社までのコネを手に入れたのが4月末で、面接は計2回。一度非公式なオファーをもらったのだが6月にバークレーに戻ってきたらそれが白紙になり、その数日後またオファーが。実は白紙状態になったときに先方も申し訳ないと思ったらしく他の就職先を紹介してくださってそこからもオファーをもらってしまったのだ。こうして一度無くなった就職先が急に2つになってしまい、1つをそこから選ばなければいけない状況になってしまった。どちらとも面白いプロジェクトをいくつも抱えていて、選ぶのはなかなか大変な作業だったけれど、やはり状況が状況だったので、一度断られたとは言え、始めのところにすることに決めた。
 仕事始めは7月17日、月曜日。とりあえずは今いるバークレーの家から通勤して、少しお金が貯まったらサンフランシスコに引っ越す計画。サンフランシスコは家賃がとても高いのであまり無理には動かないほうが無難のようだ。あとは働いて経験するのみ。とても楽しみである。

2006年-5月23日 卒業式

 日曜と月曜にかけて学科の式典と学部の卒業式があった。日曜日はこの時季にはまれな雨にやられせっかくの式が台なし。クラス写真を撮ることもできずとても散々たるものに。とはいえ式にきていった着物はとても講評で、みんな喜んでくれたのがうれしかった。日本人であることに誇りを持てた瞬間でもあった。
 そして月曜はグリークシアター(キャンパス内にある円形劇場のようなところ)で学部の卒業式。日曜とは打って変わって青空に恵まれ、保護者は雨傘を日傘として転用していた。初めてきるガウンとキャップは嬉しくも有り、少し恥ずかしくも有り。でも、それを着てやっと卒業を実感することができた。首から後ろにたらしたフッドは修士を取って初めてつけることを許されるもの。何か一つ大きな山を越えた証のようなものだ。
 最もこれからが正念場。社会に出ていかに自分の道を切り開いていくかためされるとき。色々障害は残っているけれど一つづく確実にクリアしてこれからも前
進していきたい。

 
 ブレークガーデンでの式典。地味な着物でしたが、雨だったのでちょうどよかったのかも。それにしても雨の中みんなずぶぬれ。

 
 式の様子。真っ黒…右側がgraduate students。前列が博士号を取った人たち。後列がランドスケープ。

 
 学科長のピーターからディプロマ(本物は4ヶ月後にならないと届かないらしい)を受け取ったとき。ちょっと緊張したけれど、やっぱり嬉しかった。

 
 ガウンの後ろ姿。黄色と青の内側がバークレーのサイン。そして茶の縁は環境デザインのサイン。
 学部によって色が違うらしい。風でいまいち分かりづらいですが。

2006年-4月30日 週末

 いよいよ学校は残るところ2週間。
 色々な締め切りに追われる。
 昨日は、ディテイルデザインのクラスの宿題をクラスメイトのエルキーと済ませた。設計から施工まで全て自分たちでやらなければ行けなかったので、私たちは比較的簡単なプランターを作ることにした。木材の購入などは以前に済ませ、一つ目のプランターも数日前に終らせたのだが、2つ目のプランターを仕上げるのに1日丸々かかった。思いの外時間をとられ結局昨日はそれ以外にほとんど何も進まなかった。
 今日は実習の詰めの作業。とは言え、まだまだやることはいっぱいで、どうなることやら。残り10日しかないで、やれるだけたるしかない。
 ところでバークレーは異常気象の雨期のせいで、今になってここぞとばかりにいろんな花が咲き出した。
 サクラ(山桜とソメイヨシノ風のもの)、フジ、バラにツバキ。何でも有りといった感じ。街は一気に花で溢れる。ここはやはり春が一番気持ちが良い。夏が来ることなく、このままの気候だったらいいのに、とこの季節になるといつもそう思う。

 
 左/家の前のサクラと、バラ。すっかり夏の日差しのようだが、気温はまだ春。
 右/でき上がったプランター2つ。小さい方が先にできて大きいほうを土曜に作り上げた。

2006年-4月19日 春到来

 2ヶ月間降り続いた雨が去り、月曜から抜けるような青空の日が続いている。日の光は鋭さをまして、春の到来を告げているよう。ここベイエリアでは3月までに年間雨量の160%の降雨量があったらしく、その嵩は雨で有名なシアトルよりも多かったらしい。この雨のおかげで、街の木々や草花はいつになく新鮮で青々しているように見える。
 そこで昨日(火曜日)は、せっかくの晴れを楽しむべく午後の授業の前に大学の植物園に行くことにした。沢山の花が咲いているだろうと予想していったのだが、カリフォルニアセクションは青々とした緑に覆われていた。どうやら花の季節は終っていて葉っぱの時季になっていたらしい。それでも、日本庭園のシャクナゲの花は満開ですごく良いにおいだった。在学中は無料で入園できるので、今のうちにもう少し通ってみようと思う。
 そして今日は、3度目のデルタへのフィールドトリップだった。毎回行くたびに景色が違い、デルタもすっかり春の空気だった。あちらこちらに菜の花が咲き乱れ、果樹園の桃の花も咲き終る寸前だった。空がとても澄んでいて遠くの雪をかぶったシエラネバタ山脈もすごくよよく見えた。今回は法律家のトム・ザッカーマンさんとデルタでエコツアーをしているジェフ・ハートさんに話を聞いた。2人ともこれからのデルタのあるべき姿を熱く語ってくれたのだが、アプローチの仕方が全く正反対だったので、どちらの意見を考慮すべきなのか、迷
うところである。
 ところで、火曜日に建築学科の特別講義を聴きに行った。日本から手塚建築研究所の手塚貴晴さんがいらっしゃっていて、作品を色々と見せてくださった。2回生のとき(まだ手塚さんの事務所も相当小さかったとき)にほんの少しお世話になったので挨拶に行くと、「気づかなかったよー」と言われた。確かにあれからもう6年近くなるのだから、向こうから気づかれるほうが驚くかもしれない。それにしても、久々に日本のプロジェクトを見て、私ももう少しデザインの方を頑張っていかないといけないなと刺激された。こっちに来て、調査分析ばかりしていて、実際のデザインを少しかまけてるような気がするので、最後のプロジェクトはもう少しデザインに力を入れたいとおもう。(ちなみに残りたったの3週間。どうなることやら)

 
 左/植物園の南アフリカセクション。このすぐ隣には日本庭園があって、さすがベイエリアだと思った。(日本ではアフリカの植物はたいてい温室の中なので)
 右/今日のデルタ。ディアブロ山はいつもよりきれいにだった。地元の筑波山に微妙に似ているので、少し茨城の田舎が懐かしくなった。

2006年-4月7日 春休み・フランス・オランダ・アメリカ・雨、雨、雨、、、

 気づいたら3週間くらい日記を書いていなかった。
 忙しかったというと言い訳のようだけれど、本当にそうだったのかもしれない。
 学科内コンペの後に実習の最終講評があったり、春休みにヨーロッパに行ったり。(休みなのに休みじゃなかったような)春休みはたったの10日だったけれど、パリやアムステルダム、ロッテルダムなど、色々見てきた。バスでの移動が多くて時間の無駄をしたような気もしないではないが、オランダの景色はかなり見られたような気がする。どこを見ても水のある風景。真っ平らで空が広かった。
 ベイエリアでは記録的な雨が続いている。3月は25日間雨。ほとんど毎日のように雨が降っていたことになる。そして今日も雨。天気予報を見ても、この先1週間晴れる予定は無いらしい。
 キャンパス内では雨で地盤が緩んで大きな樫の木が倒れたりしている。デルタの堤防も決壊するのではないかと心配になる。ここは元々雨の多く降るところじゃないから、だんだんいろんなところに影響が出始めている。雨で喜んでいるのは乾燥が嫌いな紅葉たちくらいだ。
 学校の方は残り1ヶ月。その間にすることはもちろん山のようにある。焦らず一つ一つこなしていけばどうにかなるかな。
 やはり2年間というのは短いのかもしれない。

 
 左/ルクセンブルク公園(パリ):パリで最も市民に愛されている公園。私にはひとが多すぎのようにかんじた。まるでゴールデンウィーク中のディズニーランド状態…
 右/アイバーグ(Ijburg)、アムステルダム:新しく埋め立てによって作られた街。まだ建設中だけれどひとは住み始めている。風がものすごく強くて、砂あらし状態。アムステルダムでは晴れて風が強いか、雨が降って風が無いかのどちらからしい。

2006年-3月17日 Thomas Church Competition

 私の学科では年に一度、現代ランドスケープの先駆者、Thomas churchを記念した学科内コンペが開かれる。
 今年の課題はデルタパーク。サンフランシスコ湾の水源をたどるとサクランメント川とサンワキン川が有りその河口一帯が広大な三角州(デルタ)となっている。面積は3万平方km。関東地方全域(2万6千平方km)よりもさらに少し広い。
 現在は150年前に行われた干拓によって専ら農地が広がっているが周辺からの都市化の圧力は免れない。そこで問題はその三角州(デルタ地帯)。150年前に作られた堤防はほとんど構造的な補強がされておらず、基本的には堤防の上が道路になっているためその振動やら何やらでかなりもろくなっている。小さな地震でも堤防が決壊する危険性は高い。実際いくつかの干拓地は自然発生による決壊で湖になったりしている。さらに農業による泥炭の酸化で地表が沈み、一番低いところでは地下20フィート以下。約6メートルにもなる。
 そこでこのコンペではそんなデルタを、未来の都市公園(セントラルパークのようなもの)にするにはどうしたらいいか、と言う課題だった。(実際はもっと複雑)もちろん、農業、生態系、経済、都市化など全ての問題を解決した案でなくてはならず、これがまた厄介。ランドスケープというよりは環境計画寄りで、なかなか具体的なデザインができなかったのが現実だった。
 私はクラスメイトのドイツ人と、一つ下の学年のアメリカ人とチームを組んで、コンペに挑んだ。先週末は実習の課題もそこそこに毎晩遅くまで学校に残り作業を続け、日曜は久々に徹夜をした。私のグループはうまく国民性が発揮され、まとまりよく、且つ、楽しく作業が進められた。
 そして、昨日学科で行われているシンポジウム(デルタ)の一環で結果発表が行われた結果は私たちのチームともう一つのチームがなんと1位に。本来なら1位2位3位と順位がつくところ、審査員が一つに選びきれず1位が二組で2位と3位が無しという結果となったのだ。私は今までコンペで優勝したことが無かっただけに、本当に嬉しかった。結果発表後も何度も喜びを分かち合い、苦労が報われた感じだった。
 実は4月にガーデンコンペティションの締め切りがあるのだけれど、それをどうするかは只今検討中。来週末からのヨーロッパ旅行などで時間はないのだけれど、どうにかして少し時間を作れないものかスケジュールとにらめっこをしなければならなそうだ。

 
 チームメイトとプレゼンボード。私の隣がアメリカ人のザック、そしてその隣がドイツ人のエルキー。たまたま同じ歳で誕生日も1ヶ月以内。
 チームワークがいいのも何となく納得してしまう。

2006年-3月13日

 バークレーはなぜか寒い春を迎えている。毎朝0度近くまで冷え込んで、日中も10度ちょっとにしかならない。雨もしょっちゅう降っていて、傘が手放せない、まるで梅雨のよう。もちろん地中海性気候にそんなのは無いのだけれど。
 この週末は学科のデザインコンペをしていて、今朝ようやくそれが終わった。久々に徹夜をしたおかげで今日はすっかり頭が働かない。コンペのおかげでここ最近の生活はかなり乱れていて、部屋も散らかりっぱなし。大家さんが日本に帰ってるから、猫にえさをあげないといけないんだけれど、どうも家の猫は大家さんがいなくなるよ極端な夜行性になるらしくここ最近ほとんどあっていない。気がつくとえさが無くなってるから家には帰ってきているようだけど。
 来週末には学校の宿泊学習のようなもの(英語だとStudy Trip何だけど、日本語だとどうなんだ?)でパリとオランダに行くから今週中にはポートフォリオを仕上げて、ランドスケープの事務所に送り出さないといけないし、なんとも忙しい日々は続きそうな予感。
 ところで日本はそろそろ桜の季節。神戸にいた頃はよく近所の大倉山の図書館の桜を見に行っていた。前にも書いたように、ここの桜はどうも小振りで日本のような優雅さに欠ける。ましてや、川べりに続く桜並木も、山を覆うような桜山も無いので、やっぱりそういう景色が恋しくなったりもする。やっぱり四季が無いのはつまらないのかも。寒い冬も暑い夏も、無ければ無いで物足りなさを感じるのが正直なところだとこっちに来て思う。

2006年-2月25日 再びデルタへ

 昨日は、実習の敷地調査で再度デルタに向かった。この間とは違いとても良い天気で気持ちが良かった。
 11時頃に、サクラメントの近くにあるUC DavisでJef Mount先生に会い話を聞くことになっていたので、それまでに敷地調査を済ませなければならなかった。朝の7時にToniaに迎えに来てもらい、そのまま敷地へ向かった。今回の課題では一人ひとりが別々の敷地を与えられたので、まずは私の敷地へ向かった。早朝のデルタは地表からの霧に覆われて幻想的だった。
 30分ほど敷地を見たあと、Toniaの敷地に向かい、同じように写真を撮ったりしてからサクラメントを抜けてデイビスへ行った。
 UC DavisはBerkeleyと違い真っ平らなところに広々とキャンパスが広がっている。生徒は自転車でクラスを行き来するようである。日本で言うところの筑波大と似た様な感じだった。普段丘を上り下りしている私からは少し羨ましい感じではあった。
 Davisで、デルタについての話を聞いてからお昼を済ませ、Cosumnes River の野鳥保護区に行き、今度は別の人からデルタの現状を聞いた。その人は野鳥保護区で働いているのだけれど、デルタの一つの島を買い取り、田んぼを作り冬の間の鳥の飛来地になっている。もちろん田んぼにしているのは一部で。その他の場所は開拓前の状況(湿地帯)に戻す準備が進められている。
 デルタはとても厄介で複雑な場所なので、講義などを通して聞いた話を理解してそこから解決策を見いだす事は容易ではない。最近は色々な方面のひとの話を聞きすぎて消化不良といった状況。実際政治問題が大きく関連していてデルタに関係している人でも、それが嫌で抜けてしまったりすることもあったり、結局デルタ問題は現状を保ったままこれから20年30年と 先延ばしになるのではないかと感じた。

 
 左/左が川で、右が農地。川の水位の方がよっぽど地表よりも上にある。
 右/堤防。デルタの景色は どこへ行っても写真映えする。

2006年-2月4日 Delta

 今日は1日中すごく良い天気でまるで春のようだった。日本では大雪の話をニュースで見たけれど、こちらはしばらく小春日和が続くらしい。
 先週末は、実習の敷地であるDeltaと呼ばれる地域に行ってきた。バークレーの北東、サクラメントの南にそれは有り、車で約1時間半のところである。
 150年くらい前に干拓によって農地が作られ、今でも果樹園やアスパラガスなどの畑が広がるのどかな場所である。サンフランシスコ一帯の住宅不足によって、最近では住宅開発が進められStocktonと言う街にはなんと30万人近くの人が住んでいる。私の地元よりもよっぽど多い。しかしそこに農業以外の産業があるわけではないので、多くの人はサクラメントや他のベイエリアの街に車で通勤しているのが現状のようだ。
 それで、ここの問題は何といっても150年前の干拓の時に作られた堤防の老朽化とそれに反比例して行われている住宅の開発、それに伴う人口増加である。
 ニューオーリンズでハリケーンによって堤防が決壊して以来、ここでは次のニューオーリンズになるのではないかという不安が尽きない。とは言え、それを不安に感じているのはそこに住んでいる農家の人や新しい家に移り住む人たちではなく、新聞記者や大学の教授などどちらかというと一部のインテリのみ。
 Stockton辺りのディベロッパーはここ30年何も起きていないのだから大丈夫さ、と言ったとても楽観的でまったく不安の色はない。
 実際私もそこに行ったのだけれど、とても穏やかでのどかなところで、そこにいる限り危険と隣り合わせな事を忘れてしまうのも事実である。今の時季は鶴や白鳥が飛来し、それは美しい景色で堤防のことなどどうでも良いような気にさえなる。
 とは言え、実際その堤防問題はかなり深刻なものに違いはない。少しでも地震が起こればいつ決壊してもおかしくないからだ。それにDeltaではほとんどのところが水面下で低いところではマイナス5メートルもある。海水面の上昇にともなって、堤防から水が溢れればそこら中は一気に海の一部になってしまう。
 今のところ、実習ではまだ何をどうするかという段階ではなく、現状を把握する分析のようなことが進んでいるのだけれど、これからどんなことをするのか楽しみである。

 
 deltaに流れる川。とりあえず永遠と平らである。/空と水面がとても近く感じる。この日は満ち潮だったので水面も道路にかなり近い。

2006年-1月22日 新学期=最終学期

 17日(火)から、私のバークレーでの最後の学期が始まった。バークレーは日本に比べたらずっと暖かい。もちろん雪は降らない。でも風は冷たい。
 すでにプラムや木蓮、ジャスミンなど色々な花が咲き始めている。
 このセメスターはスタジオ、Professional Practiceというインターンをしたりして、こちらのランドスケープ事情を勉強するクラス。Healing Garden(癒しの庭)、ディテールの描きかたのクラスなど。芸工に居たときにかなばかり図の様なものを描いた記憶が無いので、ディテールのクラスは取ることにした。スタジオは、Jane Wolff先生のDelta Studio。バークレーの北東にDeltaと呼ばれる場所がある。三角州のような場所ではあるのだけれど、問題は地面が海面よりも最大5メートルも低く、河や運河がいくつも走っていること。そこは19世紀後半から20世紀頭に干拓された土地なのだ。もし開発がなされていなければ、今ごろ湾の一部になっているようなところなのだ。当時はたいした技術もなかったため、堤防はただ土を持っただけの簡単な作りになっている。そして水をコントロールするのはあちらこちらに置かれたポンプだけである。従って、去年のカトリーナによるニューオーリンズの堤防の決壊後、それら堤防の即急な対応が問いただされている。問題はその範囲がものすごく広いこと、そしてお金しか頭にないディベロッパーによる開発で、そんな危険な場所にどんどん家が建てられている。
 このスタジオに関連して、3月末の春休みにはオランダに最新の干拓技術を見に行く。一体、ランドスケープアーキテクトとして、何ができるのか。とても楽しみなスタジオである。
 新学期早々宿題に追われる日々だけれど、楽しんでやっていけたら良いとおもう。

 
 スタジオの私の机。窓の外にはビジネススクールがよく見える。/土曜の大学は人もまばら。/春のような日差しである。