海ギャラリー模型制作プロジェクトについて

プロジェクトH
東端秀典

これは建築に熱い夢を持つ10人の学生と、一人の熱血教員との感動の模型製作物語である。

序章
 まだ肌寒い日が続く2002年の4月上旬、一本のメールが花田先生のもとにはいった。神戸芸工大8期生の山本喜美恵さんからだった。
 9月に行われる「林雅子展」のための「海のギャラリー」の模型づくりを依頼できないかという問い合わせだった。山本さんは現在展覧会コーディネーターとして東京で活躍されている。
 新ゼミ生の顔も名前もあまり一致していなかった頃、初めてのゼミで先生からその内容についての説明があった。皆、顔を曇らせた。
 就職活動、卒業論文、卒業制作に向けての不安がよぎる。授業がまだ残っている者もいる。誰がやるんだ!僕らのこの一年はどうなる!いろんなことが頭を駆け巡った。そのとき一人の学生が手を上げて静かに言った。
 「やりたいです」。その後、主に平面図作成、床の立ち上げで活躍する中家淳君だった。彼は和歌山から通っているにもかかわらず、やる気を誰よりも早く見せた。先生の顔が少し緩んだ。
 ご存知の方も多いと思うが、2年前、DOCOMOMOの展覧会のために、我が花田研究室の先輩が「日土小学校」の立派な模型を製作した。それに負けてはいけないと思った。

第2章 驚愕
 4月中旬のゼミ。まだ模型づくりの具体的な作業は始まっていない。とりあえず実物を見ようということになり、旅行計画が浮上した。林雅子さんが1966年に設計した「海のギャラリー」。場所は高知県土佐清水市。足摺岬の近くである。観光客の来館も減り、老朽化が進んでいるという話だった。神戸からは車で約5時間もかかる。半分、観光気分で旅行計画を立てていた。
 そんなある日、一本の電話がその後「職長H」と呼ばれることになる私、東端秀典のもとにはいった。花田先生からであった。
 「旅行計画のことを話したら林昌二さんがえらく感動され、旅行に同行したいとおっしゃっている。本格的に計画を立てよう。すぐ皆に連絡を取って緊急ゼミをおこなうようにしてほしい」。
 意味がわからなかった。林昌二さんって誰だ?しかしその後説明を聞いて驚いた。林昌二さんとは雅子さんの夫であり、日建設計を引っ張ってこられ、現在は名誉顧問としても活躍されている方である。
 しかも、植田実さんも同行されることになった。雑誌『都市住宅』の編集長として活躍された、こちらも戦後の建築界をリードした偉大なる存在。こんな方々と旅をする!皆、言葉を失うととも、熱意に火がついた。

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