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「ホームレス・ホテル」を見学してきました

2011年2月17日 00:37【くらし, たてもの, まち, アムステルダム

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このホテルを経営しているのはサンドラ・シャンディさん。アムステルダムの都市プロジェクトマネージャーに紹介していただきました。彼女は2009年の「ブラック・ビジネスウーマンオブザイヤー」(でも彼女は黒人ではなくインド系!?)レストラン・ホテル経営のプロです。初めてお目にかかった時、「ホームレスホテルってホームレスのシェルターの新しいネーミングですか?」と聞いたら、「違う違う、ほんとうにホテルなの。ホームレスの人たちは保護されているのではなくて、私たちのお客さんなのよ。」とサンドラさんはにっこり。うーん、よくわからない。最近日本でもホームレスの人たちを食い物にした悪質のシェルターが話題になったばかり。とても気になったのでさっそく見学してきました。
「ホームレスホテル ロイスダール」はアムステルダムサウス、ベルラーヘの都市デザインで有名なエリア(1)にありました。建物はシンプルですがアムステルダムスクール様式(2)の建物で、レンガの色合いや窓枠がいい感じです。元々は老人ホームとして作られたそうで、近年は正真正銘のホームレスシェルターだったそうで、一年前にホテルに生まれ変わりました。
サンドラさんはHWO-Queridoという1904年から(オランダの住宅法ができたころです。(3))ホームレスシェルターの運営とホームレスになった人たちの社会復帰を行ってきたNPOと協力してホテルを運営しているそうです。サンドラさんの役割はホテルの経営、NPOはゲストの日々のサポートと役割ははっきり分かれているそうです。
ホテルのカフェテリアやラウンジを見せていただきました。若者向けのバジェットホテルみたいな感じといったらよいでしょうか。シンプルだけど天井が高く、明るくて居心地がよさそうです。お話を伺ったレセプション兼事務所にはゲストルームの鍵を掛ける棚があって、ゲストの写真が貼ってありました。16feb-002.jpgスタッフが早くゲストの顔を覚えられるようにという工夫だそうです。総勢50名のゲスト。老若男女、白人も移民もいて、外見や年齢では傾向はつかめないなと思いました。「ホームレスの人にはいろいろなバックグラウンドの人がいて、もちろんアルコールやドラッグ中毒の人もいるけれど、離婚や離職がきっかけの人もいる。誰でもホームレスになる可能性はあるんです。理由はいろいろだけど、共通しているのは自分の毎日の生活を、そして人生を組み立てることができなくなってしまっているということ。だから朝起きる、ベッドメーキングする、朝ごはんを食べる、というように規則正しく毎日を暮らすことがとても大切で、ゲストは客さんだけど決まった時間に起きて、ベッドメーキングをしないといけないんです。」なんだかユースホステルみたいですね、といったら、「普通の家庭で普通に身につける規則正しい暮らしを身につけてもらう、あるいは思いだしてもらうことが社会復帰の第一歩。」小学生の御嬢さんのいるサンドラさんはちょっとお母さんな顔をしてにっこり。ここに滞在しているのはすでにシェルターを卒業し、ほぼ社会復帰可能と考えられた人たち。昼間は仕事かNPOが組織する様々な活動に参加していて、週末以外は昼間部屋でうだうだすることも禁じられているそうです。ここで滞在しながら住宅を探し、見つかったら完全社会復帰。平均滞在期間は半年ぐらい。アムステルダムはなかなか手頃な値段の住宅がないので皆さん苦労しているようです。

バカンスの功罪

2010年8月12日 19:09【くらし, オランダ, 未分類

 今週いっぱいでオランダの建設業界の一か月の夏休みが終わります。この間決断できるメンバーの揃う会議を開くことは不可能ですし、工事現場もほぼ完全停止です。外部とのコミュニケーションなしにゆっくりとスタディをし、資料を集めるためには理想的な一か月ですが、プロジェクトの継続、経営的には危険な一か月です。電話をしても誰もいないし、資材も集まらない。ほとんど一人ですべてをこなしていた独立したばかりのころはじっくりと物事を考えることのできるとても有意義な期間でしたが、所員を雇うようになってからは外部とのコミュニケーションができないので、事務所を開いていても無意味であることを悟り、思いきって3週間事務所を閉鎖することにしました。オランダの建築家労働協定で義務付けられている年間6週間の休暇の半分はここで全員一緒に消化してもらいます。本当は休暇の時期を強制することは違法なのですが、小さな事務所でみんながばらばらと3週間休んだらやっていられません。年末年始も強制的に最低一週間休み、春、秋にプロジェクトの進行状況に合わせて一週間休みを取ってもらって有給休暇を消化する。これで私は何とか労働協定に沿ってやっています。
 この結果、オランダでは年に2度人工的にプロジェクトのプロセスにストップがかかります。現場も設計も。クライアントはそのブレークの前に基本設計、実施設計、入札、あるいは竣工などなど終わらせようとします。中途半端に後に残るとバカンスから帰ってきて半分記憶喪失になっている人たちが中途半端なことをするのを嫌がるからです。実際に夏の一か月の空白の後なにかと問題となるプロジェクトは多く、事務所を主宰するものとしてはリスクをなるべく抑えて、できる限りコントロールした形で夏休みを迎えるようにと心を砕きます。それに追い打ちをかけるように、この一ヶ月間は仕事をしないので当然収入もなく、夏休み前にはバケーションマネーの支給もあり、小さなアトリエ事務所の主宰者の心労はかなりなものです。バケーションだと言うだけで無理やり生まれたデッドラインの波状攻撃と同時に、誰もがストレスがたまっているせいかコンフリクトも多く、そこここで火消しにあけくれ、オンタイムに設計料が払われるように手配する。
 それでも私はバカンスが建築事務所にとってプラスだと信じています。若いスタッフは半年前から安いチケットを探してアジアへ、南米へ、アフリカへと旅行を企画して一回り大人になって事務所に戻って来る。あるいは普段時間に追われて不足しがちな家族とのコミュニケーションをとってくる。私も休暇が始まるとたいていは寝込んでしまいますが、そのあとは誰からの電話もかかることなく、自由な時間が過ごせる。ほとんど強制されなければ決してこんな状況を自己選択はしませんが、これも一つの文化と思っています。

このブログに関連した記事が日経アーキテクチャー8月9日号の「世界に飛び出す就職氷河世代」に掲載されています。

日曜日はワールドカップ決勝です!

2010年7月 9日 23:29【くらし, まち, アムステルダム, オランダ, 未分類

 ワールドカップも決勝のみを残すところまでやってきました。オランダは一週間前に1998年以来の悲願だったブラジル打倒を果たして以来たいへんなことになっています。誰もが超忙しい夏休み前、一か月前に選挙が終わったというのに連立政権がまだまだ成立しそうもない政治不安の真っ只中、そして不況から回復するどころか長期泥沼状態になり、誰もが夏休み以降はさらにひどくなりそうだと内心思っているのに、正直なところ、私自身も含めて、もうそんなこと、ふっとんじゃったみたいです。

 ワールドカップは不思議です。サッカーはすごく面白いスポーツで、テクニック、戦略、アクシデント、肉体美、空間性などなどすべて入った総合スポーツ芸術だと思います。でもワールドカップのインパクトってスポーツを超越しているように思います。国民性とか文化といったようなコレクティブなアイデンティティにまで及んでしまうような。

 日本に生まれて育った私にとっては相撲と野球が身近なスポーツで、(そうです、私はスポーツをするのも見るのも大好きです。肉体と精神と空間の瞬間的な関係性を体感することは何よりもの快感なのです、私にとって)オランダに住むようになってサッカーが私の日常生活のリズムと感覚に組み込まれるまで数年かかりました。そしてやっと面白く思えるようになったころ1998年ワールドカップフランス大会が開催されました。その時のオランダチームにはクライフェルト、ベルフカンプなどなど、キーパーはファン・デル・サールがいて、今年のオランダチーム以上にレベルが高く、快進撃をしていたのですが、勝てば勝つほどほど、'街'の雰囲気が変わっていくことに気付いたのです。誰もがオレンジ色の服を着るとか、町中オレンジのデコレーションとか、そういうことだけではなくて、空気が変わっていった。私自身も高揚してたせいかもしれないですけど、道行く人の興奮が街を満たしているような感じで、コンサートが始まる直前のコンサートホールの雰囲気がずっと続く、といったらわかっていただけるでしょうか。そしてアルゼンチンに勝ってベスト8になった時のことは忘れられません。ベルフカンプのゴールの瞬間、駆け抜ける歓声で町は震え、試合後は車のクラクションと自転車から叫びながら走り回る人と運河からはボートで騒ぐ人で一晩中大騒ぎでした。都市空間のダイナミズムって立体的に音で認識できるんだなあ、としみじみと思ったことを今でもよく覚えています。先週のブラジルに勝利した後はちょうど同じような感じでした。サッカーのアーバンで空間的なインパクトは、民衆が街路でボールをけることから始まったサッカーというスポーツのDNAなんだろうなと私も夜更けまで興奮する町の空気を満喫しました。でも、ここまではまだ理解可能な、フィジカルなインパクトの話です。でも、もしもオランダが日曜日にスペインに勝ったら、その時に起こるのはそんなことではないのです。

祖母へのオマージュ

2010年6月22日 23:53【くらし, たてもの, プロジェクト, 未分類

 パリのシャルルドゴール空港の2Fターミナルでアムステルダム行きの飛行機を待っています。10日前に祖母が亡くなり急遽日本へ帰国をしたのですが、なるべく有効に時間を使おうと夜遅く成田を発ち、早朝(朝4時!)にパリに到着する便で戻ってきたのです。

22juni10-01.jpgアムステルダム行きの飛行機は2Fターミナルから出発します。空港のゲートは通常特徴のない通路に配列されていて味気ないものですが、ここはガラスで覆われた鉄骨構造の大空間から搭乗するようになっていて、パンチドメタルを通して拡散された柔らかい光の溢れる陰影のない空間は、旅立ちのロマンスがあっていいなあとはいつも私は思います。もちろん夏の昼間は正直かなり暑いのですが、今朝は日の出の時間に重なり、ゆっくりとラウンジは明るくなっていってうっすら色づく水平線を見ながら私はちょっとメランコリックな気持になりました。今年103歳になる祖母の葬儀を済ませ、私が設計者として関わった、彼女が友人たちと最期の7年間を暮らした神奈川県真鶴町の共同住宅の将来を考える話し合いを始めた今回の滞在は私がこうして建築の仕事をしている背景には祖母の影響が大きかったということを改めて実感した日々でもありました。そこでアムステルダムと東京の間の夜とも昼ともつかない空の上を漂いながら書いた祖母の思い出を紹介させてください。

私のテリトリー ニューマーケット I

2010年6月12日 02:47【くらし, まち, アムステルダム

MY WILLEN EEN STAD MET....この写真はnieuwmarkt広場に面した老人ホームの玄関に掲げられています。
'We want a city with neighborhood where living, playing, working, learning and shopping happens at the same time and close to each other for young and old people.'
1970年代ニューマーケット地区は住民運動の台風の眼でした。当時アムステルダム市は地下鉄敷設と同時に戦後長らく荒廃していたこの地区の古い建物を壊し、大きな集合住宅を建設しようとしていたのです。それに反対する若者たちは空き家を占拠し、住民を結集し、たくさんの建物の外壁に数多くの声明文をペイントしました。

1970年代ニューマーケット地区

機動隊との衝突にまで至ったこの運動は住民たちの敗北に終わり、地下鉄は敷設されましたが、ニューマーケット地区周辺に建てられたのは大規模な集合住宅はなく、シティリニューアルと呼ばれたスモールスケールなソーシャルハウジングでした。そしてこれ以降アムステルダムでは歴史的市街地では大規模な再開発がおこなわれることはなくなり、むしろ歴史的な都市の構造を尊重し、修復、リノベーション中心へと流れは大きく変わっていったのです。この出来事は、人々の新しい生活と新しい都市を白紙から構想し、仕事場、住む場所、レジャーなど機能に分けようとしたモダニズムの都市計画思想への市民の痛烈な批判、否定であり、アムステルダムの都市計画のターニングポイントとして記憶されています。

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