Logbook:Yoshiaki Hanada
2005年9月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2005年-9月30日(金)

 関西大学へ。非常勤の1回目。2年生の住宅の課題。この学年は学生数が多く(約170人!)、専任3人+非常勤6人という体制である。最初、全員が集合した風景は壮観だった。

2005年-9月29日(木)

 大学へ。学科の会議。検討課題多し。

2005年-9月28日(水)

 大学へ。学科会議、教授会。夜は大阪で御前浜整備計画の打ち合わせ。

2005年-9月27日(火)

 某自治体の某委員会1回目へ出席。その後、現地見学。う〜〜ん。夜は大阪へ。

2005年-9月26日(月)

 『HIROBA』の「けんちく批評」のゲラ直し。遅れっぱなしの前川展カタログの原稿など。

2005年-9月25日(日)

 大学へ。大学院の入試。今日は面接。ちょっと意地悪な質問をしたくなるひとは面白そうということだ。

2005年-9月24日(土)

 大学へ。大学院の入試。研究計画書と作品の事前採点をする。

2005年-9月23日(金)

 松山に残る松村正恒の独立後の作品をいくつか見て回った。一部改造をしたりしながらも、どれも状態はとてもいい。モダニストの面目躍如という感じの建物が多く、感動した。かつて『近代建築』誌で一度特集があっただけで、ほとんど紹介されていない。どこかの雑誌、いかがですか。

日産サニー愛媛販売:2階床の一部を撤去し吹き抜けのショールームになっていた。上手な改装。裏の整備工場は新谷中学の体育館似。水平連窓がかっこよかった。

日産プリンス愛媛販売:水平に飛び出したスラブがとにかくかっこいい。近代建築!!!

日産の自動車整備学校:真っ白い大空間にトップライト。とてもきれいだ。階段に一工夫。寮も面白そうだったが、この日は見学できず。
城西自動車学校:大きく跳ね出した庇が美しい。側面の壁も構造からフリーにしてガラスがすぱっとはいっている。

東雲女子短期大学:バルコニーの端部の跳ね出しがかっこいい。

飯尾小児科:ちょっと不思議な外観だが、中にはいると木造の松村ワールドがある。

2005年-9月22日(木)

 夕方、松山へ。木霊の学校日土会の皆さん、愛媛大学の曲田先生、松山の建築家諸氏、その他の方々で学校建築建て替えについての財政的なことの勉強会と今後の方針検討会。今月30日から八幡浜市が「日土小学校再生検討委員会」なるものをスタートさせる。それに向けた対応が迫られている。

2005年-9月21日(水)

 大学へ。午前中、ゼミ。卒論の書き方について、具体的な注意あれこれ。午後、3年生後期の設計課題について担当者で打ち合わせ。昨年までのものから若干方向を変えようとしている。

2005年-9月20日(火)

 大学へ。卒業単位のかかった学生さんのお相手。しっかりしてね。

2005年-9月19日(月)

 昨日に同じ。

2005年-9月18日(日)

 久しぶりに休みという感じで、何をしてたか覚えてない。

2005年-9月17日(土)

 大学へ。進学相談会。高校生や親御さんのお相手。

2005年-9月16日(金)

 大学へ。高校生携帯フォトコンテストの審査。結果はこれです。携帯カメラなんてと侮れない。解像度も高いし発色もいい。もちろん写真としていいものがあって、入賞者選びは結構楽しかった。

2005年-9月15日(木)

 大学へ。入試関連の仕事。

2005年-9月14日(水)

 大学へ。某自治体から某委員会委員の依頼あり。今どきこんな開発をやっているのかと驚きながら、でもまあそんな感覚をもてるからこそ役に立つことがあるかもしれないと思い直し引き受ける。

2005年-9月13日(火)

 大学へ。AO入試関連の仕事。

2005年-9月12日(月)
 千里中央駅へ。千里の某再開発についての意見交換会へ出席。
2005年-9月11日(日)

 ホテルから青森駅へ向かうメインストリートはどちらかというと飲屋街。日曜の朝はどこもシャッターが降りていて何となくうら寂しい。
 新幹線で東京へ。汐留の松下電工で清家清展を見る。急にものすごい雷雨。何より、自邸の原寸模型が興味深い。

2005年-9月10日(土)【18日(日)】 青森奇譚

 朝、弘前市緑の相談所を見学し、一路青森県立美術館の現場へ。山内丸山遺跡のすぐ横だ。
 
 参加者は約300人とのことで、いくつかのグループに分け時間差をとりながら見学ツアーが出発した。われわれは、花田研の卒業生で東京勢のうちから3人(今津君夫妻、新宮君、中家君)や芸工大の現役3年生らとともに、現場常駐要員の一人でやはり花田研卒業生の村山徹君が案内するグループで回る。約3時間くらいだったか。裏方も含め、たっぷりと見学して疲れ果てた。
 青木君らしい迷宮的な空間構成。配られた平面図には、親切なことに、見学するゾーンに見学順の番号が書いてあったが、方向音痴の僕は自分のいる場所がすぐにわからなくなった。
 気の利いた感想をすぐ書くのは難しい。これを書いているのは帰ってから1週間以上たった18日だが、霧がかかったような状態が続いたまま。2、3日前に、村上春樹の最新刊『東京奇譚集』を買ってきたが、そのなかのひとつの小説を読んだような気分とでも言うべきか。巧みな小説的仕掛けを堪能したあと暗闇の中に放り出される。そう、青森奇譚、なのだ。

 レンガ積みパネルによる乾式工法の壁は白く塗られ「レンガ積み」らしい目地が懸命に消されている。
 
水平な軒天井も「レンガ積み」。
 レンガ積み壁の開口部の小口は斜めにカットされてしかも素地のまま。
 アーチ状の開口部は「レンガ目地模様」のはいったGRCパネル。
 各所の窓のサッシュ割りはどこも凡庸なプロポーション
 框を隠したり見付を細く見せたりといった工夫のないサッシュの納まりは見れば見るほどこちらをいらいらさせる。
 しかもサッシュはどれも白いから住宅用にすら見える。
 コミュニケーションルームの内装はアーチありミラーガラスあり茶色の木ありゴールドの金物ありで安手の結婚式場かと思うような「インテリアデザイン」の全開状態。
 地元の木を利用した丸い照明器具は電化製品の量販店のような感じすらする。
 土のトレンチの上に白い蓋をかぶせたというコンセプトが巨大な白い箱を(中は何だろう)数センチ浮かせて説明するわかりやすさ。
 そもそも山内丸山遺跡の横で遺跡発掘のトレンチというわかりやすさ。
 サインボードを貼るのではなく文字や絵を入れ墨のように直に建物に書いていく。
 ネオンサイン!
 点灯した青いネオンはひとつなら「青木」でいっぱいあると「青森」かと冗談になる。
 ポピュラーアーキテクチャーの極!

 そういった部分部分には山のような工夫があり建築的な成果もある。しかも、フェイクだ、ポストモダニズムの残骸だ、そういう操作はヴェンチューリが解説済み、いや青木さんらしいウイットであり素材やディテールという概念への挑戦だ、と、けなすこともほめることもできるだろう。
 「才能」としか言いようのない華やかさだ。
 しかし、僕が(ひょっとしたら多くの人が)戸惑うのは、そういった「部分」の不整合さではない。むしろ「部分」はきわめて整合的に設計されている。
 ところが、そういった多くの「整合的な部分」を束ね統一する「メタレベルの整合的な理屈」が見えないのだ。そのことに僕(ら)は苛立ち、不安になる。
 もちろんことはそう単純ではなく、メタレベルの理屈が「見えないように見える」ことへの恐怖感というべきかもしれない。
 妹島さんの「金沢」と比べるとよくわかる。青森には、金沢の「円」に相当するものがないのである。
 物理的な問題ではない。
 「全体」なしで設計という行為がおこなわれている(ように見える)ことへの驚きである。
 「言葉」を捨てて設計する手法があり得ることの壮大な証明、ともいえるかもしれない。
 夜の懇親会で何か喋れと青木君から命じられ、思わず「踏み絵」みたいな建物だと言ったのだが、「全体」がないことへの不安や驚きを表現していたのだなと自分では思う。
 何を判定する「踏み絵」なのか、そこのところをゆっくりと考えてみたいと思っている。
 青木君からは、そもそも「踏み絵」と感じるようじゃだめだねと笑われるだろうけど。

 このような実体レベルでの出来事とともに、あるいはそれ以上に僕が興味深く思ったのは、この現場を支えた青木事務所の体制である。現場に常駐したのは3人の若いスタッフ。コンペから、実施設計から、現場途中からと時期的な違いはあるけれど、3人に共通するのは、初めての実施設計であり、現場であり、公共建築であり、もちろん規模であるということだ。大学を出て初めての仕事がこれ、しかもそのうちの2人にとっては青木事務所での最後の仕事になる。これで卒業して独立するというわけだ。
 見学会後の懇親会での彼らの挨拶には、「習作」という言葉でこの建物を説明する場面もあった。そうかあれは「習作」なんだ、と僕は思い、青木君が新潟の一連の公共建築をやっていた頃を思い出していた。
 初めての大きな仕事。しかも公共の。思いつくありとあらゆることを実験する。逆に、実験に値するありとあらゆることをひねり出す。青森の現場の3人の若い人たちはきっとそんなことを北国の現場でやっていたのだ。あの頃の青木君とそっくりだと思った。
 








2005年-9月9日(金) 青森へ

 青森へ。伊丹空港8時30分発、青森空港10時着。あっという間だ。バスで!大阪からやって来たゼミ生2名と合流。青森でレンタカーを借りて空港へ来てもらった。
 弘前へ。前川國男の建築巡りだ。雑誌『アーハウス』創刊号が上手に紹介しているように、弘前には8つの前川建築がある。それらを駆け足で回った。弘前は予想以上に小さな町だった。結構大きな紀伊國屋書店があるのは、やはり前川さんゆえか。


木村産業研究所(1932):現在は「弘前こぎん研究所」という組織がはいっている。「こぎん」とはこういうもの。建物の傷みは激しいが、戦前のコンクリート造のモダニズム空間が体験できる。2004年、国の登録有形文化財になっている。コルビュジエのガルシュの家が頭にあったともいうが、水平連続窓でもなくシャープさは無い。そのあたりが前川らしさなのかどうか。


弘前中央高校講堂(1954) :ロビーの両サイドの階段まわりにベニヤで壁ができている以外、オリジナルの状態で使われているようだ。椅子の背が一部はずされていたが(写真でグレーの部分)、『アーハウス』創刊号・92ページに紹介されている「前川國男の建物を大切にする会」による背もたれの手入れ作業のためだろうか。


弘前市庁舎(1958):窓はスチールサッシュの内側に木製建具がはいって二重になっていた。エントランスは吹き抜けの回りに階段とギャラリー。旧紀伊國屋にも通じるパターンだ。塔屋のデザインがかっこいい。明らかに、遠くの岩木山を意識した造形。


弘前市民会館(1964):竣工時の写真を見ると、荒々しい打ち放しコンクリートの塊が強烈な印象を生んでいて、前川さんのなかでは珍しく造形的な建物だと感じたが、現地は樹木がすっかり大きくなり、随分優しい印象に変わっていた。内外部ともたいへん丁寧に使われている。手前の会議室等がはいった小振りの棟の内部は、吹き抜けの周りに階段とギャラリー。


弘前市立病院(1971):増築が繰り返されていて、竣工当初の空間は右端の写真の待合いホールのある棟のみのようだ。左の写真の一番手前の棟の部分は、当時は何もなく玄関の車寄せだった。ここでも、吹き抜けに階段とギャラリー。


弘前市立博物館(1976):打ち込みタイルの典型的な事例。打ち放しの市民会館の裏手にあり、対比をなしている。僕は打ち込みタイル時代の前川作品についてはうまく語れない。


弘前市緑の相談所(1980):前川さんとしては初めて屋根をのせた建物とか。しかし、打ち込みタイルの箱状の部分とのバランスをはじめ、僕にはどうしてもぴんとこない。

2005年-9月8日(木)

 大学へ。学外からの大学院希望者の方と面談。ゼミ生と卒論のことなど雑談。

 明日から青森です。青木君の設計した青森県立美術館の内覧会。明朝飛行機で青森入り。まず弘前へ行って前川建築を回ったあと、翌10日の内覧会と懇親会に参加する。ゼミ生のうち2名は、今朝!大阪から!バスで!青森へ旅立った。夕方東京でいくつか建築見学をして、再度バスに乗り、明朝、青森着。レンタカーを借りて青森空港に迎えに来てもらう手はずである。若者はすごいですね。
 内覧会の方は、青木事務所員として現地に常駐している当研究室出身の村山徹君によれば、たいへんな人数らしい。青木君からもそういう内容のメールが来た。素材や質感に対する様々な実験の結果をじっくり観察してきたい。

2005年-9月7日(水)

 大学へ。某誌の短い原稿を書く。大学院受験予定者の研究計画書の添削。その他、ゼミ生と雑談。
 目黒区美術館から「チャールズ&レイ・イームズ〜創造の遺産〜」展のパンフ等が送られてきた。シンポに出た5月の愛媛県美術館での展覧会の巡回。目黒の学芸員の方の手紙に『植田実の編集現場』を読んだとあり嬉しかった。
 芸工大がやっている高校生携帯フォトコンテストの1次審査。プリントアウトされた800点以上の応募案を見る。とりあえず各学科の審査員がそこから一定数を選び、後日、学外の方も含め2次審査をする。結構面白いものがあった。僕は携帯電話で写真を撮る行為にはまだ馴染めないが、出来上がった作品にはとても良いものがある。

2005年-9月6日(火)

 大阪へ。御前浜整備計画の打ち合わせ。先日の幻燈会の反省も。大きな台風が来ているので開始時間が早まったが関西は大したことない。九州の被害大。

2005年-9月5日(月)

 大学へ。休み中のたまっている事務仕事など。
 前川展のカタログ用の原稿送る。まだ少し残っている。すみません。

2005年-9月4日(日)

 習慣というのは奇妙なもので、こういう日記を続けていると、大きな出来事を記録し終わらないとその仕事が完了した気分になれない。昨日、建築学校と幻燈会のことを書いてちょっとほっとしている。

 日土小学校に関しては、実は書いてないことも多い。保存+改修、あるいは建て替えかで、状況が流動性をもってきたからです。前者の立場に立つ人たちと、八幡浜でも、一昨日の建築学会の会場でも、色々と作戦会議や情報収集をおこなった。今年度がひとつの山場かもしれません。ここに詳しくは書けませんが、あれこれといろんな方々に相談していくやもしれません。あるいは、報告できることは書いていきます。どうか関心をもっていてください。
 ところで、「木霊の学校 日土会」のホームページの掲示板で紹介されていた「夏休みのがくしゅう」帳の現物を、学会会場で愛媛大学の曲田先生からお土産ということでいただいた。愛媛県の小学校2年生用の学習帳の最終頁で、「すてきな校舎-八幡浜市-」と題し、松村正恒が設計した八幡浜市の日土小学校、川之内小学校、長谷小学校、そして独立後に設計した大洲市の新谷小学校がカラー写真で紹介されている。日土小学校は川側のテラスや昇降口の写真付き。そこに、別の小学校の子供が書いた松村さんと日土小学校などについてのしっかりした作文が掲載されている。とてもいい記事です。
 ちなみに、こういう夏休み帳って、今やかなり珍しいのでは。わずか全32頁で、算数から図工まで全教科の問題やら課題やらが載っている。僕が小学生の頃はこんな冊子が配られていたように思うのだが、僕の子供たちだと、1学期に学校で使った算数と漢字のドリルの反復練習をノートにやり、図工や絵日記については別紙のプリントが配られる。地域や学校にもよるかもしれないけど、1冊にまとまっているのも悪くないなと改めて思った。

 8月は、昨日書いた大きな出来事の間に、九州と四国行きがはさまった。月の2/3は神戸におらず、しかも連日車の運転漬けだった。そりゃあ腰にきますわな。
 最後の1/3は、前川展用の「旧紀伊國屋書店」の模型づくり。奮闘してくれている学生諸君との打ち合わせだ。原設計図(戦後すぐに出た作品集に収録されたもの)があまり完全ではなく、しかも写真もほとんどない。もちろん実物も。そういう状況なので、迷うことがいろいろとあるわけです。
 学会初日・9月1日の午前中には、東京理科大の模型チームが芸工大にやってきて、日土小学校の模型や前川模型の作業の様子を見学していきました。花田研の隊長・神田君も同席。実務者レベルの細かいやりとりが面白かった。大学間、学生間のこういう交流はとてもいいことですね
理科大の諸君、お互いに頑張ろうね。

 その他、レポート採点、成績の提出、オープンキャンパス、教授会、後期の設計課題の打ち合わせなどがはいり、ともかく夏休みはどこへいったのでしょうね、でした。

 本日は、「岡本のb」の某住宅雑誌による撮影に立ち会う。撮影用小物がけっこう運び込まれ、これまでに体験したことのない撮影現場風景でした。建築雑誌の誌面分析は卒論などでときどき出てくるテーマですが、こういうふうに撮る雑誌もあるんだといろんな意味で勉強になった。

2005年-9月3日(土) ため息をつきながら

 どたどたと走り続けた8月が終わり、気がつくと秋の空。一昨日、昨日と近畿大学での建築学会の大会に出かけ、今日の最終日は休憩。夏休みっていうものを実感しないままの夏。ちょっと息切れモードです。僕にしては実にいろんなことのあったひと月。