Logbook:Yoshiaki Hanada
2005年3月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2005年-3月31日(木)

 家で原稿書き。何となく書いてはみたがもうひとつ。

2005年-3月30日(水)

 家で原稿書き。何となく書いてはみたがもうひとつ。

2005年-3月29日(火) 岡本の家、完成

 大学で某委員会。

 夕方から、岡本の家の引き渡し。
 やっと完成しました。
 住みやすそうだし、格好もなかなか良いです。住み手の方々が喜んで下さっているのが何より嬉しい。
 若干の残工事の打ち合わせを工務店の人と山隈君と遅くまでやる。夜景もとてもいい。

 オープンハウス、今週にすればよかった・・。ま、いいか。

 ひと月ほど前から東京の建築専門書店で働いている花田研卒業生のS君からメール。宿題1の出版社の営業の方が、その説明に来店したとのこと。それによれば、4月末には店頭に並びそうとのこと。こういう情報がはいってくると、なんだか斥候をばらまいている感じで可笑しい。

 先日卒業した学生B君(他の研究室)から某事務所に就職が決まったとの連絡。花田研の卒業生M君がいる事務所で、彼から募集情報が来ていた。こういうのもとても嬉しい。

 先日御杖小学校を取材した記事のために、短いコメントを書く。青木君のこと。

2005年-3月28日(月)

 夕方から大学で院生A嬢と学科パンフレットづくりの打ち合わせ。学生といっしょにこういうものもデザインしています。ボランティアではなく、学科からアルバイト料を出し、いちおうプロの仕事としてやってもらう。小さなことですが勉強になっているはず。教師特有の勝手な自己満足(笑)。

2005年-3月27日(日)

 昨夜の編集者と某住宅の取材。「次の宿題」だ。まだ言葉にできない。言葉は要るのか、とも思う。今日は某建築家2名も同行。文章書くのもたいへんですねと同情される。言葉と視覚による解釈を融合したような文章にしたい。とにかく信じるものは自分の感覚しかない。浮かんでくる言葉をなんどもその感覚と照合し、誤差がないかどうか、自分の感じているものをその言葉はあらわしきれているのかを考える。その繰り返し。

2005年-3月26日(土) 卒業式

 卒業式。ここしばらく悪かった天気も回復して快晴。

 全学の卒業式、学科での卒業式、全学でのパーティ、夜は旧居留地にあるカフェで学科の謝恩会。
 謝恩会は、企画も進行もよく、盛り上がった。
 学生もこちらもちょっとおセンチになった状態でお酒や音楽を身体に注入。ふだん話さなかったことも話し、ふだん話さなかったやつとも話す。
 若い人が成長し、新しい世界へと旅立っていく、あるいは旅立とうともがいている姿は美しい。
 今年の4年生はなかなか面白い学年だった。これからの活躍を期待しています。大学や研究室のホームページにいつでも遊びに来てください。

 謝恩会が終わりちょっと寂しくなって、ちょうど神戸に取材に来ている某誌編集者女史と写真家に合流、遅くまで飲む。久しぶりに三宮からタクシー。

2005年-3月25日(金)

 大学へ。学科の広報関係の打ち合わせ。

2005年-3月24日(木)

 次の宿題、少し書き始める。
 午後から急に雨。一気に寒さが戻った。
 岡本の住宅の現場へ。花田研卒業生で現在京大の大学院博士課程で学ぶY嬢と会う。昨年提出した修士論文を届けてくれるというので、じゃあ現場でということにした。卒業生が新しい世界で頑張ってくれているのは本当に嬉しい。
 編集者・Nさんと電話で宿題1の細かな調整。関係者総出で最後の細かなチェックをやっています。

2005年-3月23日(水)

 午前中、岡本の住宅の現場へ。小雨の中、植栽工事。雰囲気がだいぶ落ち着いてきた。造園屋さんからカブトムシの大きな幼虫を2匹もらった。
 大学へ。春休みでがらんとしている。広報関係の打ち合わせ、その他。夕方から西宮へ。御前浜整備計画の次年度の方針について打ち合わせ。学生諸君、新年度になったらまたいろいろと協力してね。来年度はもうひとつお仕事があるからね、と予告。
 夜、やっと次の宿題に戻ろうとするも頭回らず。

2005年-3月22日(火)

 岡本の住宅で、住み手への設備等の取扱説明。
 夕方、編集者・Nさんと電話で宿題1の細かな調整。修正部分の文章をつくって送付。
 丹下健三さんが亡くなったというニュース。学生の頃、アルバイトで行っていた丹下事務所で一度だけ遠くからお姿を見たことがある。

2005年-3月21日(月)

 終日家にこもって、宿題1のゲラの最後のチェック。これでホントに最後。

2005年-3月20日(日)

 映画「パッチギ」を観てきた。のんびりしていたら神戸の映画館は18日まで。慌てて調べると、関西では唯一大阪のシネフェスタ4でやっていた。
 例の「イムジン河」という曲を題材にした映画だ。松山猛の『少年Mのイムジン河』という本が原案。この曲と本については、この日記でも以前書いたとおりで(2002年1月1日、1月5日、7月10日)、いささか思い入れがある。井筒和幸監督のねらいどおり、叙情性と熱気とをあわせもった素晴らしい映画だった。要するに、あっちこっちでグッとくるわけです。わたくしは、主人公の松山康介が橋の上でギターをたたき壊すシーンで、きてしまいました、ぼろぼろっと。単純といえば単純です。でも、映画ってやはりこういう力をもっていてほしい。サントラ版のCDをお土産に、すぐ近くの通天閣まで歩いてきた。

 各社の新刊新書に面白そうなものがいくつかあった。『売文生活』『ありえない日本語』『ことばの由来』。うしろの2冊は、最近の日本語とかつての日本語の比較に偶然なっている。「ありえない」「なにげに」「よさげ」「よろしかったでしょうか」。僕も耳障りに感じる世代。『ありえない日本語』には、その理由がわりと納得のいくかたちで書いてある。著者の秋月高太郎のホームページはここ。読み切れないけど掲示板でのやりとりが結構面白い。現在の日本語という誰にでも馴染みのある話題だからだろう。

2005年-3月19日(土)

 岡本の住宅の施主検査。やっと完成状態が見えてきた。最後の細かなだめ押しをいくつか。最上階からの風景の切り取りは成功したと実感。

2005年-3月18日(金)

 直島はお天気回復。夜どおし雨でパオのテントがうるさく眠りが浅い。4年生・T君、ひどい二日酔いの目覚め。
 瀬戸内の波を眺めながらの朝食の後、お目当ての地中美術館へ。設計者も施工者も、猛烈にエネルギーを注ぎ込んだ建物だということを実感した。建物全体が、綺麗なコンクリートを打つ、目地やパネルの割付を揃える、ディテールを研ぎ澄ませる、空間やモノのプロポーションを整える、空間演出の抑揚をつける、といったことはここまで完成度を高められるのだぞということを見せつけている感じ。異なる展示空間にはいるたびのN君の感激ぶりがとても正直で良かった。
 タレルの青い霧が立ちこめたような部屋は初めての空間体験。宗教的な演出に近いとすら思う。それ以外の展示室でも神殿とか教会とかいった連想が浮かぶ。言葉が出てこない。なんかすごいでしょ、というメッセージは受け取れるのだが、要するに何なのか説明がつかない。まさに言葉が出ないのだが、それが果たして言葉を超えたといってよいのか、単に言葉にするまでもないということなのか、そこのところが僕のようなタイプの人間は一番ひっかかる点。
 磯崎さんの言うサイトスペシフィックな美術館として、あるいは一企業の美術コレクションを公開する徹底的に演出され監視された空間としては、抜群の完成度だろう。2000円の入館料も納得できる。ちょうど映画を1本見る時間ぐらいは十分に楽しめる。
 
 その後、家プロジェクトをいくつかまわる。やはり言葉が出ない感じがなんとなくあって、SANAAが設計したという農協を改造したインフォメーションセンターの広い白い空間が、同じく言葉が出ない空間なんだけど、どうせならこのくらいの思わせぶりの無さのほうが安心すると思った次第。直島で写真を撮っても怒られない数少ない場所だった。


 18時、大学着。その後、岡本の住宅の現場へ行って、深夜まで山隈君や工務店と最後の調整。

2005年-3月17日(木)

 研究室の4年生5名+院生1名とで直島へ。インフルエンザや金欠病で欠席が出たのは残念だったが、いわゆる卒業旅行というやつですね。この時期にゼミ生と旅行したのは初めて。今年はみんな仲良しゼミ・・、というか、熱烈な安藤ファンの院生N君が、「どおーしても地中美術館を先生に見せたい」と言いだし(本人も初見なのですが)、それがきっかけとなって実現した企画。赤めがね君の運転する8人乗りのボックスカーでわいわいと最後の旅行です。

 直島は雨。今日は、昔のコンテンポラリーミュージアムを見て、パオにお泊まり。僕は2度目の直島。
 風呂に出た留守に狸の襲撃を受け、買い込んだつまみのうちイカの薫製を奪われるという事件発生。受付の女性から狸に関する注意を聞いてはいたが、まさか本当に現れるとは。その後、深夜まで熱い建築談義がくり広げられました。じゃーん!

2005年-3月16日(水)

 朝から大学へ。12時まで某委員会、12時から学科会議、15時半から教授会、そのあと某委員会。終了が21時過ぎ。すべての会議は連続していてふらふらです。食事は会議をやりながら。部屋に戻ってメールの返事を書いたりして22時半。大学の教師に研究の時間を!

2005年-3月15日(火)

 昨日に続き色々考えるも解けない。高校生の頃に通信添削のどうしても解けない数学の問題を何日も抱えていたときの気分を思い出す。

2005年-3月14日(月)

 家で次の宿題の原稿書き開始。短いけどかなり難問。何も進まず。
 『<私>という演算』『季節の記憶』『世界を肯定する哲学』『羽生 21世紀の将棋』と、保坂和志をいっぱい買う。科学哲学や言語哲学の「イメージ」を文学に持ち込もうとする意図ばかりが先行していて、共感するも、自分自身への教訓もいっぱい。

2005年-3月13日(日)

 岡本の家の内覧会、を企画するも、予想外に工事が進まず、未完成状態を見てもらうはめに。ごくごく身近な建築関係者および学生諸君へのみの案内だったとはいえ、来てくださった方々、すみませんでした。お知らせした事務所で働く芸工大の卒業生も何人か来てくれて、むしろなごやかな交歓会の雰囲気。なので僕はとても楽しかったが、そんな呑気なこと言ってちゃあいかんのでしょうね。途中で吹雪になる。最上階のリビングの窓から見える風景がパノラマ写真のように美しく、自己満足に浸ってしまった。

ロフトでの座談会。攻めるNKHR(右)、頭をかくYMKM(左)、とりなすSMD(中)。

2005年-3月12日(土)

 DOCOMOMO 100選展が今日からスタート。東京へ日帰りしてきた。会場は汐留の松下電工のミュージアム。JR新橋駅から徒歩5分です。
 100の建物の写真パネル、一部の建物については原図や模型も。壮観です。ぜひお出かけ下さい。僕も一応ワーキングメンバーということで、いくつかの建物の解説書きと、以前紹介したように千里ニュータウンの資料探しをおこなった。千里の初期概念図の写真は、ぎりぎりだったけど展示パネルに納まっていた。
 
 2時からは「DOCOMOMOとモダニズム建築」というシンポジウム。パネラーは、DOCOMOMO International会長のマリステッラ・カッシアート、DOCOMOMO Korea代表の金晶東、建築家の磯崎新、司会はDOCOMOMO Japan代表の鈴木博之。カッシアートさんのDOCOMOMO概論はわかりやすかったし、金晶東の朝鮮半島の近代建築の話は植民地時代のことも含めいろいろと考えさせられる内容で面白かった。しかし磯崎さんの話は予想に反し退屈で、正直言って失望した。
 彼は丹下健三の東京計画から話を始め、自らの作品を含むアンビルドもの(ex.丹下:東京計画、菊竹:海上都市計画、磯崎:搭状都市、アーキグラム:ウオーキングシティetc.)こそが近代建築の本質である、つまり実際の建物ではなくその背後にあるコンセプトこそが近代建築の本質だと思うがそれをドコモモはどう考えるのかとか、レプリカの問題(エスプリヌーボー館etc.)をドコモモはどう考えるのか、たとえば私はサヴォワ邸が廃墟同然のときの状態を見たことがあるが、それは修復された現在の姿よりずっと良かったとか、妙に鬼の首でも取ったような感じで話題提供や質問をした。
 しかし、もうそんな話は聞き飽きてますよ、そんな
ふうにものごとの白黒をつけるようとする思考法、批判や攻撃しかできない言葉はもう要りませんよ、というのが素直な感想。コンセプト問題もレプリカ問題も、誰でも知ってることだし誰でもがすぐに思いつくこと。いずれもドコモモ特有の問題ではなく、前者は歴史そのものの、後者は個体の同一性という哲学的命題の、一般的でしかもおそらく答えのない問題である。答えのない一般的命題をもとにそれより下位の具体的問題を批判しても、空振りだ。人間の細胞は日々更新されるからといって昨日のおまえは今のおまえじゃない、どうだびっくりしただろと言われても、はあ?としか言いようがない。むしろ考えるべきは、そうやって細胞が入れ替わってしまっても自分は自分だと同一性を感じることができるのはなぜか、ということなのだ。
 ドコモモがめざしているのは、まさに磯崎さんが指摘したような袋小路に迷い込むことを回避する道である。批判ではなく、ためらいながらも何らかの答えを出す道である。日々の細胞の更新がすでにストップしてしまったかのような磯崎発言だった。
 あ、それと、磯崎さんご自身が自分の作品は近代建築だという前提で話を進めるのも不思議な感じがした。いつからそんなことになったのでしょうね。

 シンポジウム終了後、DOCOMOMO Japan総会および打ち上げ。今日が誕生日のカッシアートさんへ花束贈呈もあり、わきあいあい。21時18分の新幹線で帰ってきた。

 宿題1の細かな表記法について校閲者からの意見をもとに会場近くで編集者Nさんと打ち合わせ。束見本も見せてもらえた。もう少ししたら詳しく宣伝します。

2005年-3月11日(金)

 一般入試後期試験。入試委員としていろいろなお仕事、学科会議、夜は三宮で今年度で退職する教員の歓送会。

2005年-3月10日(木)

 岡本の住宅の現場へ。山隈君といろいろ。最後、現場が遅れ気味。その後、大学へ。

 『JA』57号が出た。DOCOMOMO 100選展のカタログとしても出版されたものである。僕もいくつかの建物の解説文を書いた。
 頁を繰っているとキャプションの単純ミスがいくつも見つかりショックを受ける。日土小学校の原図の解像度の悪さもミスとしか思えない。千里ニュータウンはぎりぎりに送った初期構想のスケッチを載せてもらっていた。ただしそこにもキャプションの単純ミスがある。

2005年-3月9日(水)

 大学へ。宿題1の最終校正、返送。

 小谷野敦の新刊『恋愛の昭和史』。

2005年-3月8日(火)

 家でひたすら宿題1の最終校正。

 「たけくまメモ」の3月6日でしって注文していた吾妻ひでお『失踪日記』到着。マンガには疎い私ですが、それにしても吾妻ひでおがこんなことになっていたとは全く知らなかった。失踪、路上生活、アル中、強制入院などの体験マンガ。いやびっくりした。

2005年-3月7日(月)

 青木淳君の設計した奈良県の御杖小学校を見学に行った。ある建築士会の雑誌のための取材仕事。そこの委員の方々と一緒に見学し、簡単なコメントをまとめるもの。せっかくの機会なので3年の新ゼミ生も同行。
 御杖小学校には、竣工直後に青木君や芸工大の学生とともに訪れたことがある。小学校建築としての建築計画的な面白さ、素朴な素材の質感の良さ、当時の彼のキーワードであった「動線体」という概念の巧みな空間など、さまざまな点で上手くできていることに感激し、僕は「立ち去りがたい」感動を覚えた。そのあたりのことは「青木淳論序説」(『建築文化』1999年11月号)に書いたとおりだ。
 しかし、使われている状態を見ていないことはずっと気になっていて、今回はなによりそれを確認したかったのだ。
 結論から先に言えば、建築がとても好意的に受けとめられている印象をもち、自分のことのように安心した。例のスロープ沿いの1学年1クラスのオープンな教室は、とても楽しそうに使われている。案内してくださった教頭先生も空間の意図を良く理解しておられる印象を受けた。教室どうしの音などの問題は無いのですかという僕の質問には、御杖村の子供たちは保育園から中学校までずーっと一緒で、他の学校からよその子供たちが混ざるという経験が出来ない、したがって他の学年の様子でもわからない限り、ずーっと同じ学年の20人ほどの仲間としかつき合わないことになる。それを避けるためには、こういう空間構成はとても良いのだという答えをいただいた。空間と中身とのなんという幸福な関係だろう。建物じたいの汚れも不思議なくらい目立たない。「動線体」を軸にした青木君の活動の第1フェーズの中では一番「よくできた」作品だと思う。建築学会は、同じフェーズの中の潟博物館(新潟)で建築学会賞を与えたけど、同時期のものとしては、僕は御杖小学校の方がずっと「学会」賞に相応しいとすら思う。


2005年-3月6日(日)

 卒業制作展へ家族で。日曜日ということもあって盛況。何人かの卒業生や阪大で教えた学生さんなどに会う。卒業制作展が、いろんな意味でのコミュニケーションの場になるといいな。それにしても、学生の楽しそうな様子を見ていると、ものをつくるという分野というのは良いものだと思う。

 平川克美『反戦略的ビジネスのすすめ』。例の内田樹先生の竹馬の友であり『東京ファイティングキッズ』の平川克美の本。さまざまな二分法を回避しながら、くねくねと現場的解答を探す姿勢には心から共感する。学生諸君より、社会人必読。

2005年-3月5日(土)

 卒業制作展へ。今日は全学科でAO入試の合格者を集め会場案内もした。先輩たちの作品が本格的な美術館で展示されている様子には感激してもらえたはず。

2005年-3月4日(金)

 卒業制作展、始まりました。華やかです!ぜひお越し下さい。



 

2005年-3月3日(木)

 大学へ。事務局からお小言をくらいながら年度末特有の事務処理仕事や入試関連仕事。

 明日からファッションミュージアムで始まる卒業制作展の準備で、各学科とも4年生は会場にいる。ゆえに静かな大学。わがゼミの妄想派2名は最後のあがきを続け、夕方慌ただしく会場へ。4、5、6日の3日間です。多くの方の来場をお待ちしています!今年は会場が六甲アイランドのファッションミュージアムに戻っています。お間違えなく。

 「夏の建築学校 in 日土」のまとめの冊子、40冊弱を、やっと各方面へ発送。ご興味ありそうと判断したかたへ送りました。読んでみたいのに届かないぞという方、若干なら残部あり。連絡下さい。

 的場昭弘『マルクスだったらこう考える』内田樹『ためらいの倫理学』(角川文庫)

 宿題1の最終校正用のゲラが届く。奥付には「5月1日 第1刷発行」とある。いよいよだ


2005年-3月2日(水)

 阪大へ。卒業制作の講評会です。今年の4年生は非常勤で課題をやったので知っている学生も多い。よその大学のこういう機会はいろいろと参考になる。

 電車の中で『帝国ホテル・ライト館の謎』を読み終わる。このところ布団にはいって眠くなるまでの15分くらいずつ『与太郎戦記』(春風亭柳昇)を読み続けて昨夜読了。ふつうの視線からの戦記物で面白いです。おすすめ。


2005年-3月1日(火)

 大学へ。いろいろと事務仕事。
 夕方は京都へ。岡本の住宅の建具に貼る襖紙選び。関係者で唐長へ。これまでの設計では縁のなかった世界。勉強になりました。