Logbook:Yoshiaki Hanada
2004年10月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2004-10月31日(日)

 1週間の疲れがどっと出て11時過ぎまで寝てしまった。ふ〜。

 朝日新聞の連載12回目は、新潟中越地震 都市部とは異なる喪失感」。報道される内容からは、阪神大震災と比べいろいろな点で都市部と山間部の差が出ていると思う。言葉はよくないが、要するに盛り上がっていない。物資、人、言葉。阪神大震災のときは、いろんなものが飛び交った。そのひとつにでもなればと納得して、朝日の記事も書いた次第。

 新潟大学には被災地の調査団のホームページが立ち上げられている。9月に行ったばかりの大学だから気にかかる。新潟大の知人にメールだけは出してみたが返事はまだ。調査とか救援やらで忙しいのかもしれない。

 『建築文化』12月号、『チルチンびと別冊7 「住宅の成分表示」宣言』、『建築を拓く』、『建築運動に詩あり』、『痛快!ケンチク雑学王』。『建築文化』はこの号で休刊。ある時期、字ばっかりの雑誌から絵ばっかりの雑誌に変身したわけだが、あれがどうだったんだろうなあ。『痛快!ケンチク雑学王』の著者のひとりに以前芸工大にいた光井さん(現在は東京芸大)を発見。さもありなん。彼の口から「知らない」という言葉がでることはなかったもんなあ。こういう本、大事だと思う。

2004-10月30日(土)

 午前中、朝日の原稿の最終打ち合わせ。ふ〜〜。なんとかなるもんだ。
 昼前から、岡本の住宅の現場打ち合わせに合流。夕方まで。小さな現場小屋ができていて、石油ストーブの暖かさが身にしみた。
 夕方からは三宮へ。竹中大工道具館が、開館20周年記念でやっている企画展『大工を支えた工人達 左官とその道具』の一環の講演会に、アイシオールの編集者、多田さんと豊永さんのお2人がいらっしゃったので、懇親会に合流。久住章さんはじめ、「左官の四天王」のお顔を拝見。芸工大の卒業生の女性Kさんがいるのでどういう関係かと思ったら、神戸で左官職人の修行中とのこと。びっくりした。写真家の日暮雄一さんともご挨拶。その後、多田・豊永・日暮さんと三宮で食べて呑んで喋りまくった。
 日暮さんは明日、京都の神楽岡建築公司でスライド会をやるとのこと。彼は建築出身。松田平田を辞めて写真家に転身した。「ひぐれ」とばっかり思っていたら、「ひぐらし」さんと読むのだそうだ。

2004-10月29日(金)

 午後、1年生のオムニバス授業で、20名弱を連れて「人と未来防災センター」見学。こんな内容で、10年前をいろいろと思いだす。
 夜、朝日Mさんから問い合わせの電話。なんとかするとの返事。朝までかかってなんとかした。

2004-10月28日(木)

 朝の4時ごろ、朝日の原稿なんとかできて送信。ちょっと寝て、9時から大学で会議。11時、編入希望の学生さんと面談。午後は3年生のエスキス。途中、朝日のM三から電話で、今回は新潟の地震に絡めた原稿にしたいというリクエスト。時間ないし変なこと書けないし、あせる。で、夕方の6時半。宿題1の編集者Nさんと電話をし校正の締切が少し延びた。朝日、書けるかもしれないとほっとする。深夜というか(早朝というか)まで、朝日、考える。

2004-10月27日(水)

 夕方まで学外で御前浜プロジェクトの会議。終了後車を飛ばして大学へ戻る。会議。ふらふら。帰ってから朝日の原稿。

2004-10月26日(火)

 午前中、大学院の授業。以前調べた千里ニュータウンの小学校建築について。
 午後は3年生のエスキス、先日行った新潟大学の学生さんのレポート読み、その他。

 夕方から学科の会議、書類造り、入試の段取り、その他で、夜の9時半。慌ただしい。宿題1の校正ができない。朝日の連載もまだ。うわー。洋書、家にどかっと届く。
 卒論の提出締切が迫ってきた(11月5日)。大丈夫かみんな。ゼミ室には4年生の通称・赤めがね君が泊まったまま。

2004-10月25日(月)

 大学院の授業の準備。

2004-10月24日(日)

 新潟の地震、やはりかなりの被害だ。

 昨日、今日は、久しぶりに心に余裕がある気がした。理由はわかっている。宿題1をとりあえず出したから。しかも、手直しを始めていないからだ(笑)。

 というわけで、研究室のホームページのトップその他を少し直した。海のギャラリーの模型制作の様子を記録したドキュメンタリー・「プロジェクトH」と自分のプロフィールをおもてに出した。「メイのアメリカ日記」もコンスタントに更新されています。ぜひご愛読を。できるだけバークレーの教育風景の写真を送ってくれるように蓑原さんには頼んでいる。先日もスタジオ風景を載せました。

 4年生のカモメさんからは、「花研ゼミ日誌」というページをつくったからリンクしろとの指示が届く。研究室の日直日誌みたいなものをゼミ生で書いていくらしい。卒論で煮詰まっているガス抜きが目的か。だとしたら、恐ろしいページになる予感がする。さっそく茶々を入れようと思ったが、書き込むためのフォームがない。彼女に問い合わせてもパスワードを教えてくれない。はい、先生は引っ込んでおきます。

 朝日新聞の連載12回目は、掃除 家の仕組みがよく分かる」。

 最近は本のことを書いてなかった。とりあえず新しい新書から。
 『住まいのつくり方』(中公・渡辺武信):第5章の、吉武研時代の思い出話が面白い。この著者については、建築に関する文章はもちろん詩や映画評論も含め、とにかく書かれたものと、彼が設計した住宅デザインのギャップに驚いてきたが、今回も同じ。不思議、というほうがいいかもしれない。
 『世界の大学危機』(中公・潮木守一):とても参考になった。外国の大学制度の歴史や現在の様子を手っ取り早く勉強できる。大学院はアメリカで生まれた制度とか、知らないことばかり。
 『住まいと家族をめぐる物語』(集英社・西川祐子):芸工大でもこういう授業のやりかたあるかもな、と参考になる。
 『続・ウィーン愛憎』(中公・中島義道):ご存じ中島先生が、若き日の苦悩の思い出に満ちたウィーンで10年ぶりに過ごす日々。嗚呼。
 『最驚!ガッツ伝説』(光文社):新書ではないが、ともかく、本屋にいくたびに立ち読みして笑っていた。けっきょく買ってしまった。いいなあ、こういうの。「鎌倉幕府のできた年は?」「ヨイクニだから・・4192年!」。

2004-10月23日(土)

 朝日のカット写真を撮って送る。今回は掃除の話。愛用の掃除道具の写真を撮った(AURO=ワックス、蜜ろう、雑巾、歯ブラシ、ほうき、つまようじ、ブラシ)。

 そのあと午前中は岡本の住宅の現場へ。山隈君と伴さんとで、あれやこれや打ち合わせ。空間のかたちがでてきたぞ。

愛用の掃除用具  屋根の上にのぼると360度見渡せる。

 朝日に掃除の話を書いたと山隈君に言うと、だんだんやばくなってきましたねと言われてしまった。そうかもしれない。先週は雨戸、今週は掃除だもんな。玄関が・・とか、洗面が・・ではなく、別の視点でモノのレベルのことを入れたかったわけです。最後は別の方向へいきたい。残り回数もあとわずか。
 帰ってからは家の外回りの掃除(笑)。

 夜、下の子がテレビでアニメを見ようとしたら、新潟の地震のニュースが飛び込んできた。
 

2004-10月22日(金)

 午前中は編入希望の人と面談。いろんな回り道をしながら人は大きくなっていく。
 午後はAO入試関係のあれやこれや、その他、事務的なことあれやこれや、で、夕方から朝日の原稿、何とか完成。タイミング良くM記者から電話。筋を話してゴーサインをもらいメールで送って帰宅。 夜、彼から電話があり少し相談、夜中に修正案のメールが来て、再度こちらから修正案を送る。午前3時。貯金ゼロでひやひやの飛行。なんとか墜落せずにすんでいるぞ。

 今日は2冊、本が届いた。林昌二さんから『建築家林昌二 毒本』(新建築社)、青木淳君から『原っぱと遊園地』(王国社)。
 林さんの本はさすがである。何しろ「毒本」。しかし装幀はソフトカバーで雑誌のような軽やかさ。透明なビニールのケース付き。タイトルのロゴが秀逸。モダンで粋な感じが林さんらしい。中身も読み応えがありそうだ。
 一方、青木君の本は、先日の作品集に比べればおとなしい。これまで書いてきた文章をまとめたもの。王国社の例のシリーズの雰囲気を出るものではない。もちろん、そんな冒険をすべき場ではない。彼の文章をまとめて読めるようになった便利さで十分価値がある。彼の活動の前半(あるいは、もはや3分の1?)の文章については、僕も「青木淳論序説」(『建築文化』1999年11月号)で詳しく分析したつもり。自分で言うのも何ですが、青木君の本を読むとき、併読していただくと理解が深まるように思います。それにしても、最初の頃の文章を見ているといろいろと懐かしい。

 宿題1の原稿を、さっそく大ざっぱにレイアウトしたものが編集者Nさんから届いた。けっこうな量だ。これから手を入れていく。

2004-10月21日(木)

 学科内の会議、3年生の実習の中間講評会、卒論生の相手、で夜。 
 朝日、書き直し。なんとかなってきた。

2004-10月20日(水)

 台風23号の襲来で、午前中予定していた編入希望者との面談や午後の学科会議と教授会がすべて中止。
 おかげで、というと叱られるが、家で朝日の原稿が書けた。M記者にメール。ひと安心。

 ・・・と調子のいいことを書いていたら朝日の原稿、不合格。「論」がないという本質的な欠陥に気づき、こちらも猛反省。やり直します。

 ただ今22時15分。台風は大阪を通り過ぎている頃か。少し弱くなっていた風雨が、また強まってきた。asahi.comを見たら、室戸市で高波によって堤防が決壊し犠牲者がでている。分厚いコンクリート堤防が割れた写真が載っている。またも九州から四国で大きな被害がでている様子。
 

2004-10月19日(火)

 Nさんと電話。編集作業は動かしつつ、こちらは至急原稿を見直していくことになる。
 午前中、大学院の講義。午後は3年生のエスキス。
 昼過ぎ、高知の沢田マンションに住み込んでいたゼミ生、通称カモメ405が帰ってきた。日土での建築学校以来だから、2カ月半暮らしたことになる。さてどんな成果を持ってきてくれたか、卒論の締切が迫っている。夜には、掲示板に沢マンの方からも書き込みあり。かわいがっていただいたことがよくわかる。感謝。

 なにしろ神様にのりうつられていたので(笑)、夜はどっと疲れがでた。朝日新聞の連載を書こうとパソコンに向かっていたら、また寝てしまった。

2004-10月18日(月)

 大学祭の片づけのため休講。終日、家。
 昨日は、結局、夜中にパソコンの前で寝てしまっていた。情けない受験生だ。
 朝一番に、編集者・Nさんにお詫びのメールを入れ、すぐにパソコンに向かう。そのあと、十数時間書き続け、宿題1、なんとなくさいごまでいった。あ、神様が降りてきた、みたいな感じがして、どんどこ書いた。真夜中3時頃読み返したが、あまりに長く、頭もぼーっとしていて、よくわからない。ともかくNさんにメールで送る。

2004-10月17日(日)

 芸工大の大学祭へ。同時に、高校生携帯フォトコンテストの表彰式とAO入試合格者への対応講座のお仕事も。ふ〜〜。
 大学祭は、天気にも恵まれ、また学科棟内にきちんと学生や教員の作品展示をし模擬店等を中庭に集中したことも効果的で、例年より格段に楽しく気持ちのいい大学祭だったと思う。のっぽさんを招いた企画も大成功。ライブもなかなか上手だった。

 朝日新聞の連載11
回目は、雨戸 漏れる光 風情見直して」。 雨戸とそれ以外の建具が構成する「厚み」に包まれた住まいの良さについて。カット写真はわが家の雨戸ですが、「なんや、いうほどのこと無いやン」とお思いの方もいらっしゃたかも。

 夜、宿題1。しかし疲れているぞ。

2004-10月16日(土)

 大阪商業大学のこういうセミナーで喋ってきました。
 帰宅遅し。宿題1できず。

2004-10月15日(金)

 大学院の修士制作の中間発表会。昨年から外部での展覧会を兼ねた企画になっています。今年は「原田の森ギャラリー」で。元の兵庫県立近代美術館です。村野さんの設計。
 途中で抜けて大学へ、本日は芸工大のホームページのリニューアル日。最後の注文をつけて帰宅。更新がおこなわれました。まだ一部に出来てないところがありますが、今月中に完成予定です。僕も関わってきたことです。最後の調整の参考にしたいので、ご意見、ご感想をぜひお寄せ下さい。
 宿題1少し。

2004-10月14日(木)
 4年生のゼミ。例年やっている卒論を書く上での引用等の書き方について諸注意。
 午後は夕方遅くまでずっと3年生の実習のエスキス。へばる。

2004-10月13日(水)

 午前中、御前浜プロジェクトについての打ち合わせ。
 午後、大学で朝日新聞の原稿。ふ〜〜、なんとかなった。

2004-10月12日(火)

 忙しい。
 10時40分から大学院の講義。今日はオランダのモダニズム建築の保存事例紹介。受講者さらに減。なんだこりゃ。13時から御前浜プロジェクトについて学生と打ち合わせ。15時、高校生の訪問の相手。夕方、3年生の課題の1回目ミーティング。17時から御前浜プロジェクトについて学生と打ち合わせ。18時から学科の会議。21時頃から御前浜プロジェクトについて学生と打ち合わせ。図面完成。22時30分頃大学を出る。夜は朝日。宿題1の延ばしに延ばしてもらった締切が今日。できてない。予想通りNさんから大学に電話。ついに最後通牒。すみません。

2004-10月11日(月)

 岡本で建設中の住宅の上棟式。終了後、住み手と山隈君たちとで仕上げについての打ち合わせ。これからが肝心だ。
 朝日の連載のアイディアが出ない。

2004-10月10日(日)

 千里ニュータウンの町角広場でこんな催し物に参加してきた。前期、阪大でやった設計課題を住民の方々の前で学生諸君が発表した。皆さんからは、的確かつ厳しい意見が出て、出題者である私もどきどきした。帰りに千里中央のショッピングセンターの広場に阪大の鈴木毅君と寄る。綺麗に明かりがついて、人出も多い。年齢層も様々。サンマルコ広場みたいな感じすらした。幸せな風景。60年代のモダンデザインのノスタルジックな雰囲気が心地よい。しかし、この駅前エリア一体をやり直す事業コンペがおこなわれているらしい。これのどこがいけないの。

 朝日新聞の連載10
回目は、個室群住居 「永遠の恋人」であるために」。 結婚するとなぜ個室がなくても平気なのか。そんな話。カットは初めて手書き図面。

2004-10月9日(土)

今週から後期がスタートし、授業はもちろん学内の各種会議、委員会に追いまくられた。ふ〜〜。

●4日(月):我々の学科を希望する某高校からの4名の女子生徒さんのお相手。

●5日(火):大学院の講義「デザイン思潮」スタート。ドコモモの運動を通してモダニズム建築について考える、ということをやります。集まり悪し。意外と人気ねーなー。3年生の担当課題スタート。今日は課題説明。

●6日(水):学科会議、西宮御前浜プロジェクトについて学生と打ち合わせ、夜は学内の委員会。

●7日(木):午前中、研究室のゼミ。卒論、卒制の進捗状況報告。いつものことといえばそれまでだが、のめり込み度がまだまだ。もっと深く考えなくてはいけない。カモメさんは沢マンに行ったまま。のめり込み度は抜群だが、それだけでは論文にならない。そこんとこ、大丈夫か。午後は西宮御前浜プロジェクトについて学生と打ち合わせ、広報関係のことで事務局と打ち合わせ、等々で追いまくられる。帰ってからは早朝までかかって朝日新聞の連載記事。記者の方から直しがどっとはいってきた。それを再度いじっている。なかなかたいへんです。
 柳々堂さんから青木淳君の作品集入荷のお知らせメールが来た。「おまけ」がほしくて予約をしておいた分。家に帰ると、青木君から献本が届いていた。本としての完成度の高さに驚愕。「すごい出来映えですね。日本のすべての建築家は嫉妬に狂うことでしょう。ページを何度繰っても飽きません。夢を見ているような気分になる。このまま醒めないでいてほしい。このまま死んでしまいたい。ちょっと危険な香りすらして。」と青木君にメールを送る。ほんとにそんな感じの本です。

●8日(金):朝日新聞の連載が綱渡りになっている。この日曜日分について、さらに記者の方とやりとり。カットを送る。結局、僕の手書きの絵を使うことになった。『住宅建築』10月号の「再出発!!木構法」という特集を組んでいる。その巻頭に趙海光さんが「失われた木造大陸」という文章を書いていて、そこで日土小学校や僕の書いた文章にふれていてくれた。お礼状を出そうと思っていたら、趙さんから先にメールが来て慌てて返事。

 というような1週間で、今朝はまず朝日新聞のゲラに最後の注文を付けるファックス。そのあと、午前中は山隈君と岡本の住宅の現場へ。コンクリートの「L+b」型をした躯体に木の軸組が取り付け終わった。今のところ順調。かっこいいぞ。そろそろ仕上げのことであれこれ悩み始める。帰ってきて朝日の記者の方と最後のやりとりをして完成。次の原稿はまったくまだ。ついに貯金ゼロという事態になりました。あと4回の予定です。最後の2回は考えているのですが、それまでの2回がまだ。不安であります。

 青木君の作品集を開くたびに、建築的な強さとはこういうことだと教えられる。同級生故のいろんな感慨も頭の中で渦を巻く。『建築文化』の青木淳特集で僕が「青木淳論序説」を書いたときからすると、彼は本当に遠くへ来た。そして、誰よりも新しい建築のあり方を発見した。
 作品集には2本の論文があるが、青木自身による巻頭の文章が一番面白い。「純粋装飾」という言葉で彼が言いたいことの内容を懸命に説明している(若い頃のレトリックの多い文体に戻っているので読みにくいのは問題。編集者は何をしていたのか
)。そしてその傍証がこの作品集という仕掛けだ。
 他の2本の論文は要らなかったと思う。せっかく作品集という本造りに挑戦したんだから、他者の、とくに「海外」からの評価を綴じ込むという常識的なスタイルは拒否してほしかった。そのかわり、最後の文献リストのところのレファレンスの部分をもっと充実させるとか、別の方法があったのでは。自分しか存在しない作品集。村上春樹が評論家を無視するように、評価に関してもっとゴーマンかましてほしかった。
 建築学科4年生のときの五月祭で、僕らは若き日の富永譲さんと伊東豊雄さんを呼び、二人に講義室でレクチャーをしてもらうという企画を立てた。伊東さんは名古屋のPMTビルなどを紹介して、「表層の戯れ」のような話をした。富永さんはコルビュジエに倣い「現代建築の5原則」をその日に発表した。最後の質問のとき、青木が伊東さんに「そういう方法でいくと、建築が装飾そのものになってしまはないのか」(僕の理解では、装飾になり果ててしまうのではないか、という伊東批判だったと思う)と質問した。青木の言う「純粋装飾」という言葉からは、そんな昔の記憶もよみがえる。・・・で、と次に話をつなぐのは難しいのだけど・・・。

 そういえば今日は金沢21世紀美術館のオープンだ。妹島さん。これも大学は違うけど同級生だ。東大と日本女子大は関係が深く、僕が日建にはいって大阪に転勤するときの送別会を、卆計を手伝ってくれた日大のやつの家でみんなが開いてくれ、そこに「これはおばあちゃんのなの」と言ってだらんとした黒いコートを着て妹島さんがやってきたのをよく覚えている。
 いずれにしても、あれから10数年。あっという間だ。

2004-10月3日(日)

 以前、近所の小学校の教室を改造して地域のスポーツクラブのクラブハウスにするという仕事を手伝った。そこの使われ方を兵庫県がビデオ撮りするというので、僕にも声がかかりのぞきに行った。うまく使ってもらってました。地域のリビング。そんな感じ。
 朝日新聞の連載9
回目は、家造り 設計の専門家を「伴走者」に」。阪神大震災後の住宅メーカーの雑な設計と、ちゃんとした建築設計事務所の仕事の比較です。

 夜は八幡浜行きの疲れかダウン。

2004-10月2日(土)

 八幡浜。ホテルから駅に向かう途中で、これは絶対に松村正恒の設計だと思われる建物を発見。


 木造3階建て。1階に喫茶店がはいっている。窓の建具、雨戸、枠まわりの納まり、色、鉄筋の筋交いなど、間違いないだろう。隣の2階建てもアルミサッシュになっているけど、目隠しの白い木製ルーバーの塀などに名残がある。以前も、ある民間の病院の看護婦寮で松村さんに違いない建物をみつけた。市役所時代のアルバイト仕事だと思われる。八幡浜には、昭和30年代頃、かなり松村モダニズム建築が溢れていたのではないかと想像した次第。そんな地図でもつくってみよう。列車で松山へ出て飛行機で帰ってきた。

2004-10月1日(金)

 家を出る前に、JR西日本に電話し、折り返し住吉駅から電話。平謝りで、払い戻しを約束してくれましたが、住吉駅の説明によると、(少なくとも)今回の土砂崩れによる不通情報は発券システムに自動的に反映されてはいない様子。JR各社はやはり別会社なんだ。日本の鉄道は土砂崩れが無くても分断されている(詳しい事情は9月30日参照)。


 八幡浜へ。伊丹から9時55分発のANAで40分も飛ぶと松山空港。そこからJR松山駅まではリムジンバスで15分ほど。嫌になるくらい近い。むしろ松山駅で時間つぶしに苦労した。お堀端にあある愛媛新聞社の綺麗なモダニズム建築社屋を写真に撮る。予定していたのと同じ特急で八幡浜入り。13時3分着。

 八幡浜市役所に寄り、日土小学校へ。校長先生と工事の担当の方の立ち会いの元、現場を見せてもらう。修理はほぼ完了という状況でした。元の通りにするという方針は守られています。



 細かい点はかなり気になりますが(天井板の目地、建具の押さえ縁など)、いずれおこなわれるはずの大改修のときにきちんとやり直すという前提とのこと。羽子板ボルトの補強の追加や、屋根の防水仕様の改善などもおこなわれています。建具まわりは、梁や枠やがずれたり曲がったりしているので、そこから直さないと難しい。とりあえず開かないようにした場所もあった。
 面白かったエピソード。屋根のスレート瓦が何枚か飛んだが、同じ品物などもう生産されていない。どうしようかと思っていたら。近くの古い建物に同じ瓦が使われていて、そちらは今回の被害で葺き替え直す。そこで、その瓦をもらってきたとのことでした。
 かつて日土小を請け負った地元の大工さん(藤本建設)の息子さんが改修工事の指揮をとっていた(息子さんがつとめる工務店が請け負った)。熱心にやってくれているはずだ。体育館での授業もそろそろ終わり。子供たちも元の教室に戻っていた。

 新鮮だったのは、ペンキが塗り直され、ガラスがフロートに取り替えられ、つまり不完全ながらも「新品の」日土小学校の空間を体験したこと。まったく違和感がありません。つまり、モダニズム建築は「現在の古さ」を保存する必要はなく、竣工時の姿に戻していいのではないか、と思いました。さらにいえば、レプリカでもいいかもしれない、というようなことです。オランダのゾンネストラールが良い例ですが、日土でもそういう可能性も頭に置いておかなくてはいけないなと感じた次第。

 江戸岡小学校は、ちょうど今日が竣工式でした。日土を見た後、夕方、外観だけ見てきた。
 うーん。やはり辛い。もちろんコンクリートの立派な校舎で、内部は木を多用して気持ちがいいらしい。プランは、図面を見たことがあるが、半オープンスクール的でゆったりしている。でも、この外観は辛い。以前建て替えられた体育館とは設計者が別。なのでデザインはちぐはぐ。しかし、体育館の設計者よりは技量は上だろう。でも、もっと別の外観の考え方はあったはず。そこが辛い。でも、わが家の近くの小学校なんかよりは数段上だ。そのことがまた辛い。



 夜は、日土公民館で、地元の日土会の方々や愛大の曲田先生らと状況分析や今後の活動の相談。日土小学校もなかなか厳しい状況の中にいる。

 ところで、「夏の建築学校 in 日土」に参加された生徒の皆さん、レポートの提出は終わりましたか?まだ全員からは出てないようです。未提出の方、至急提出してくださいね。