Logbook:Yoshiaki Hanada
2004年7月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2004-7月31日(土)

 台風が四国沖を通過中。大学へ。明日のオープンキャンパスの準備。台風はなんとか通り過ぎてくれそうだ。

 途中、三宮のJNK堂へ。目的は、中島らもの『愛をひっかけるための釘』(集英社文庫)。
 初めに三宮駅前店へ。ダイエーといっしょのビルに入ってる方ですね。しかし、目的の本はありません。てっきり、「中島らも追悼フェア」くらいやってると思ったのに、その気配なし。阪神間ゆかりの作家でしょ。どうゆうことだと思いつつ、建築書のコーナーへ。『環境デザインへの招待』を買う。大学からは、著者は5冊もらったのだが、足りないので市販されているものを買う。この置き場が悪い。建築の棚の裏側の、住居やインテリアやらの雑本コーナーに置いてある。いちおう正面を向けてあるのでまだましだが、向かいの都市関係の棚でもない。どうして建築新刊書のコーナーに置かないのだろう。答えは、おそらく、タイトルに「環境」とあるからですね。今の置き場では、となりに「環境なんちゃら」という本が並んでいる。この店の棚づくりには常日頃疑問を感じているが、それがもろにでてる感じ。中身を理解してくれてない。しかも、地元の大学、お客さんでもある大学の本を、こんなふうに扱うかなあ・・。
 探している中島らもの本は淡交社からも出ているので、単行本の方に回ってみる。「小説(男性)」の棚に中島らもが1冊もない。え?と思ったら、「ライトエッセイ」とかいう棚に少しだけあった。まいります。信じられないことですが、小谷野敦や斎藤美奈子や内田樹の評論集も「ライトエッセイ」の棚なんですね。このことには以前から呆れていたけど、中島らもが小説家扱いされてないのには、さらに言葉を失った。
 続いてセンター街の三宮店へ。文庫の棚へ。ここにもない。集英社文庫には10数冊、中島らもの本がはいっているが、そのうちの数冊だけ並んでいる。がっかりしてレジの近くへ戻ってみると、柱の脇に中島らもコーナーがあった。かごの中に最新の単行本から文庫本が置いてある。探していた『愛をひっかけるための釘』も何冊かあった(文庫の棚には残さなかったのか?)。コーナーの演出もなんともわびしい。古本屋の店先の
100円均一コーナー。あの雰囲気です。う〜〜ん、関西を代表する本屋として、こんなことでよいのでしょうか。
 棚づくりの良さでいうと、梅田の旭屋書店の哲学・社会科学コーナーは素晴らしい、・・と書いてから、旭屋書店のホームページを初めてのぞいてみると、ちゃんとやってるじゃないか、「中島らもさん追悼」を! 別に旭屋のまわし者じゃないけど、もっとしっかりしてほしい、神戸の本屋も!

 それから今日はもう1冊新刊。『高山建築学校伝説』。その名前は学生の頃から耳にしてきた。しかしその具体的な姿はイメージできないままだった。まだ読んでないけど、やっとこの本でそれがわかりそう。その前に、面白いなあと思ったのは、そのように中身の情報が隠され得たこと。今だったら、すぐホームページができて、中身があろうが無かろうが、映像と共に最新の情報とやらが流されるだろう。このあまりの変化に、呆然とする。

 センター街を出て駅の方へ向かっていたら、前方にチラシを配っているお兄さんがいる。面倒くさいから目を合わさずに通り過ぎたら、うしろから「はなだせんせー」と声がかかる。お兄さんは芸工大の学生M君だった。「僕もやってますから」と、マッサージ店のチラシをくれる。腰、揉んでもらおうかな。彼はいろいろと苦労人。がんばれよ。

 帰りに現場へ。配筋が始まっている。かっこいい。

 それ以外は、とにかく宿題1。

2004-7月30日(金)

 終日、家。宿題1と朝日用3回目の手直し。台風接近中につき、雨と風が断続的に激しくなる。一日パソコンの前にいる。ほとんど口をきかない。ぴりぴりした下宿人。家族はいやだろうなあ。Nさんから督促メール。7月中と言ってたんだから仕方ない。やっと大枠は見えてきたが、なにしろその内側に文字を埋めなくてはいけない。

2004-7月29日(木)

 午前中、学内の広報関連の打ち合わせ。
 午後は、3年生の即日設計の日。出題は別の教員で、夕方までは学生諸君の作業時間。『環境デザインへの招待』を駒井さんと山隈君のもとへ発送。
 3時、阪大の留学生が訪ねてくる。先週までの設計課題に参加していた学生。デザインの大学を見てみたいというので、ぜひぜひと声を掛けた次第。スタジオや土の家や、いろんなものを見てもらって、阪大とは違う雰囲気を楽しんでもらった(はず)。夕方からは即日設計の講評会も見せた。今学期は芸工大以外に、関大と阪大での設計の非常勤もやったわけだが、大学によるいろいろな違いが勉強になった。9月には集中で新潟大学にも行きます。建築を教える、研究する機関って、どうあるべきなんだろうとつくづく思う。カリキュラムの組み方、個々の教員の教育に対する考え方、学科全体のポリシーの有無、当然ですが、そのあたりの問題。

 院生中家君が、研究室のホームページに「海のギャラリー模型制作プロジェクト」をついにアップ。嗚呼、もう2年前のことなんだ。それにしてもトップの写真はすごいな(笑)。プロジェクトX風の文章にしては、写真がちょっと小綺麗すぎない?もっと濃くやったほうがよかったのでは、・・もぐもぐ。
 最近の中家君の熱心な更新に押されて、僕も、卒論と修論のコーナーにやっと昨年度分を追加。卒業生諸君、遅くなってごめんね。

 奈義町現代美術館で博物館実習中のゼミ生・要陽子(掲示板では「カモメ405」等を使用)さんから、日土行きの手製の「旅のしおり」が送られてきた。八幡浜の銭湯情報まで調べて書いてある(公民館にはシャワーもないので)。うまいことつくるなあ。こういうものを見たときって、若い人っていいなあ、とか思いますね。しみじみ。
 それにしても、作品が固定された奈義で、学芸員の基礎的な実習がどんなふうにおこなわれるのか、興味津々。ふ〜〜ん、企画展もやってることはやってるわけか

 カモメ405さんからのメールに、現地に行く前に、奈義の資料を探していて、僕が『新建築』の月評で奈義について書いたものを見つけたとあった。そういえばそんなことがとは思うものの、何を書いたか思い出せない。しかし便利な世の中。パソコンの中にはきちんとある。ついでに、『MUSIC TODAY』という雑誌にも書いたことを思いだした。このときの『新建築』での月評と、97年から98年にかけての『jt』での月評は、かなり一所懸命に書いたと思う。昔の文章を自分で読み返しているようではダメなのでしょうが、学生諸君には少しは参考になるかもと思うし、こういう硬質な感じを呼び戻さなくっちゃという自省も込めて、貼りつけます。



■「月評」(『新建築』1994年9月号)
 〈場所〉に関する議論は、コンテクストやらゲニウスロキやら場(コーラ)やら、さまざまな言葉を介してぼくらの前に現われてくる。でも、なかなかその決定版が見つからない。それは、この問題が具体的な地域主義から日本的枠組みという抽象的な問いにまで広がり得ること、および、一方の極から他方の極への批判は容易でも、いざ両者を乗り越えようとすると特殊と普遍についての明晰な判断が必要になること、というような理由によるだろう。
 磯崎新アトリエの「奈義町現代美術館/奈義町立図書館」は、まさにこの困難さのど真中にぼくらを投げ込む教育的な建物だ。敷地は「自衛隊の駐屯地があること以外は、全国的にほとんど無名の」「人口8,000人弱の農山村」。そんな町に、「特定の作家による、特定の場所に限定して構想された作品に対応する美術館」という「第3世代美術館」(『ja』12号)としての奈義町現代美術館と、併設の奈義町立図書館とができたのだ。美術館のために選ばれた「特定の作家」とは、荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子の4人3組。各々が「太陽」「月」「大地」をメタファーとする作品をつくり、それらが、同じメタファーに基づいて設計された容器に収められている。敷地(SITE)を構築(CONSTRUCTION)するという磯崎の最近の手法および場コーラへの認識を、直截的に具体化した最初の建物といえるだろう。
 「第3世代美術館」論は、美術(館)解釈のバリエーションのひとつとして、もちろん理解可能な概念だ。しかし実物を見たかぎりでは、「特定の作家」と「特定の場所」という、美術および地域コミュニティに関する特殊な選考問題を、美術館というビルディングタイプの進化という一般的議論の中だけで解決することにはやはり無理があって、ぼくには、以下のような問題点が未解決のままであるように思われた。
 (1)「第3世代美術館」とは、要は常設展示館なのだから、作品が3種類しかないとなれば地元住民が何度も訪れるはずはなく、基本的には外部からの〈巡礼者〉用施設になるだろう。しかし、奈義町がそんな〈巡礼地〉という「特定の場所」に選ばれたことに、町民が大きな意義を見いだし得るのだろうか。
 (2)ここにある三つの「特定の作品」は、奈義町という「特定の場所」に固有のものとは思えない。荒川・ギンズの部屋は都会のビルの一室に、そして岡崎の空間は月が観測できる場所ならその驚くべき反響効果と共にどこにでも、移すことができるだろう。宮脇の「うつろひ」にいたっては、ぼくらは一体ここ以外のいくつの場所で同じものを見続けてきたことかという感慨に浸れるほどだ。
 (3)町立図書館部分の方は、「第3世代美術館」ほど「進化」していない。アスプルンドのストックホルム市立図書館ばりに四周の壁に書架を限定し、中央には大きな吹き抜けだけがあるのだが、ここが本誌の写真のような落ち着いた雰囲気からは程遠い。一部の書架が幼児図書のコーナーで、この広い何もない空間が彼らの格好の運動場になっているのだ。当然だろう。母親はそれをあわてて押さえ込みにかかり、周囲の書架や2階のギャラリーにたむろする中学生や大人達がその騒ぎを迷惑そうに眺めている。極限状況の中で他者に対してどこまで寛容でいられるかを試すかのような空間だ。ぼくは、それは公共建築にだけはあってはならない特性だと思う。この図書館と地域との関係も、残念ながら「特定の」親密なものにはなりそうもない。
 結局のところ、実は〈任意の場所〉と〈任意の作品〉の組み合わせでしかない行為を強引に必然化する戦略が、公共的行為の概念を拡張しえないままおこなわれているが故に、ぼくには(あるいはおそらく多くの町民にも)、それが中央からの植民地政策以上のものに感じられないのだと思う。要は、税金を使ってやることか、というわけだ。このような、いわば〈道義的〉批判は磯崎の建築ゲームにはふさわしくないし、多くの反論は用意されているだろう。しかし、そのような理性的建築ゲームと〈道義性〉とが対立する図式の乗り越えこそが、ぼくにとっては切実な最重要課題だし、磯崎にこそ(最後に)踏み込んでほしい領域なのである。
 NTT 都市開発+日建設計+日総建の「基町クレド」は、アジア大会と都市間競争を背景にして戦後色を一掃しつつある広島という都市の、〈現在〉を象徴するかのような全国区型巨大複合施設だ。しかし戦後50年を目前にして、ぼくは、せめて広島ぐらいもっと違った街づくりを実践できないものだろうかと嘆息する。こういう場所でこそ磯崎のいう「敷地(SITE)を構築(CONSTRUCTION)する」手法が有効なはずではないか。丹下や大高の戦後建築のモニュメントを組み込んだ、まさに「第3世代美術館」としての都市計画を、真夏の夜の夢に思い描いてみたくなる。
 菊竹清訓建築設計事務所の「ホテルCOSIMA」は、所用で東大近辺にいくたびに、あそこでは何事がおこっているのだ、と呟き続けていた建物だ。周辺環境とこれほど違和感のある例も珍しい。「樹状住居」のアイデア自体は別に悪くないわけで、197頁の模型写真のように、各ユニットの幅が実現案の2倍あって、かつ客室の立面がもう少しスタディされていればよかったのだ。そうでない限り、メタボリ用語にこだわるなら、〈塔状都市〉の方がまだ良かったのではないだろうか。
 レンゾ・ピアノ他の「関西国際空港旅客ターミナルビル」は、さすがに実物を見ずに感想をかく自信がない。これだけの短期間で複雑な調整業務が完遂されたことを称賛した上で、ここでの経験が、参加した日本側設計・施工チームに今後どのようなかたちで継承されていくのか、いかないのかに関心がある、というのが精一杯。


■「すべては建築、だったのだろうか」(『MUSIC TODAY』No.21, 1994年10月)
 現代建築家の思考パターンのひとつとして、建築という概念を他領域の中へ拡張するという傾向が指摘できるだろう。こういった行為の意味を考えることは、ぼくの現在の関心事のひとつなのだが、本稿ではとりあえず、その総本山的存在である磯崎新の建物を例に、ラフな考察をおこなってみたい。
                             □
 今春、彼の設計による「奈義町現代美術館/奈義町立図書館」がオープンした。岡山県北部にある人口8,000人弱の静かな農村が奈義町。その町に、最近の磯崎が主張する「第3世代美術館」が初めて具体化されたのである。
 「第3世代美術館」とは何か。彼の言葉を追ってみると、「18世紀の末までに成立した、王侯貴族の私的コレクションを公開する目的で設立され」た、たとえばルーブル美術館等の「第1世代」や、「アカデミーの権威にたいする意図的な反抗として生まれた美術運動」にふさわしい展示空間としての、たとえばF.L.ライトのグッゲンハイム美術館等の「第2世代」を批判する立場をとり、1960年代以降の「生存している芸術家が自らの作品を自由に空間的に設置インスタレーションするような傾向」、すなわち作品を「サイト・スペシフィック」化させる傾向に連動した、「特定の作家による、特定の場所に限定して構想された作品に対応する美術館」、ということになる。建築と美術との、まさに境界線上でのきわどい試みといえる。
 選ばれた「特定の作家」は、荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子の4人3組。各人が、「太陽」「月」「大地」と名づけられた三種類の展示空間の中に、その名前にふさわしい作品を「設置インスタレーション」している。各展示室自体も、それぞれ、南北軸にのった黄色の筒、中秋の名月22:00の方向に一致した銀色の三日月形、那岐山頂に向いた黒色の煉瓦タイル貼り直方体という具合に、その名前を暗示するようなデザインがなされている。人々はこれらの空間に浸るために、はるばると奈義町への〈巡礼〉の旅にでる、というわけだ。
 個々の作品に対する評価は、読者の巡礼後の感想に任せたい。ここでは、建築家側の行為の特徴、いいかえると、「第3世代美術館」を支える、「場所」(「サイト」)と「作家」に冠せられた「特定の」(「スペシフィック」)という限定詞の使用法について考えてみる。
 この建物に対し、多くの人の頭にまず思い浮かぶのは次のような疑問ではないだろうか。
 Q.1 「スペシフィック」な「サイト」という概念は、建物の敷地を含むのか、展示空間だけなのか。前者ならば、奈義町が選ばれた根拠とは何か。そのことはこの町に何をもたらしたのか。
 Q.2 いわば3つの常設作品しかない美術館、つまり成長や変化のない美術館の、今後の運営はどうなるのか。奈義町民の訪問は1回きり、〈巡礼者〉が来るのも精々でこの1, 2年だろう。そのあとどうするのか。
 Q.3 なぜこの4人3組の作家が「特定の作家」なのか。
 Q.4 この3つの作品のどこが「サイト・スペシフィック」なのか。
 こういった素朴な、いわば〈道義的〉疑問は、結局のところ建物と美術作品との、あるいは建築家と美術作家との関係だけが「スペシフィック」になっていて、これら4者と奈義町という敷地、あるいは町民とのあいだの「スペシフィック」な関係が全くみえてこないことに起因する。建築とその発注者および使用者とが共通に浮かぶことのできる有効なコンテクストづくりが建築家本来の職能だとする常識論からすれば、そこには不愉快なほどの責任回避が存在する。なぜこんなことになってしまうのか。
 「第3世代美術館」というアイデアは、結局のところ美術作品とその容器としての建築との、あるいは美術作家と建築家との境界を消してしまう考え方だ。なぜならば、本来的な意味で「サイト・スペシフィック」な美術作品をつくるということは、美術作家が「サイト」という概念をその最も広い意味において制御することであって、ということは敷地選定から展示空間設計までのすべてをその作家がおこなうということのはずだからだ。そのとき、建築や建築家といった概念は不要になる。すべてを美術作家がやればいいからだ。たとえば、磯崎ではなく荒川・ギンズがあの傾いた黄色い筒を地面に横たえ、さらにその内部に眩惑の空間をつくったという方が、筋は通るのではないだろうか。要は、下位のカテゴリーに属するものからの、それを包含する上位のカテゴリーとの境界線を解消する試みは、自身の固有性の放棄に結果するしかない、ということである。
 もちろん建築や建築家という概念は消えたってかまわない。問題はしかし、肝心の磯崎自身にそのことを自覚した行動がみられない点にある。むしろ、彼はこの二つの概念を増幅させる方向に動いている。「大文字の建築」しかり、「デミウルゴス(造物神)」としての自己規定しかり、そしてこの建物における、任意の場所と任意の作家の中から「特定の」組み合わせを選定する行為しかりである。彼ほど建築家というイメージを強化した設計者も珍しい。建築および建築家という概念が消滅したはずの観念的空間の中で、自らは「デミウルゴス」として「大文字の建築」をつくり続けるという矛盾。〈道義的〉不快感とはまさに、磯崎の理論におけるこういった意識的な逃避を直感したものだといえるだろう。
                             □
 何も磯崎に限らない、そして何も美術という領域に対してだけとは限らない。現代の建築家は、多かれ少なかれこのような〈他領域コンプレックス〉とでもいうべき心理状態にある。もちろん建築はきわめてコンテクスチュアルな人工物だから、それは悪いことではない。しかし奈義の例がよく示すように、そこには、他領域に取り込まれ自身の行き場を失い、建築をではなく他領域を論じることに終始する危険性がある。そして、建築がコンテクスチュアルな存在であるが故に、その結果は他者に対する〈迷惑〉となる。別のいい方をすれば、〈建築でできないこと〉をしようとして、〈建築でできること〉すらが果たされずに終わる、ということである。
 ぼくは、〈建築でできること(やるべきこと)〉と〈建築でできないこと(やるべきじゃないこと)〉という区別がもっときちんと論じられるべきだと考えている。そして〈建築でできること(やるべきこと)〉を、ぼくらはもっと多く発見する必要があると思うのだ。それには、磯崎のいう「建築ゲーム」と〈道義性〉とが対立しない構図そのものをつくることから始めないといけないだろう。そして、その構図を成立さすように〈建築ゲーム〉を再編成することが必要なのだ。その作業は、磯崎新という巨人の築いた言説空間の解体と、彼が否定したモダニズムの再検討あたりから始まるだろう。

[注]引用は、磯崎新「《建築》ーあるいはデミウルゴスの“構築”2」『GA JAPAN 02』1993年および『ja』1993年12号から。

2004-7月28日(水)

 午前中は、三宮で西宮浜の整備の件の打ち合わせ。夏休み中にやる現地での実験、具体的なデザインの提案などについて、ちょっとイメージが沸く。
 午後、大学。今日は2年生の公園のデザインの課題の最終講評会。今日は入試広報関係の雑用があり、ほとんど参加できず。

 朝日新聞の神田剛記者と何度もやりとり。8月1日からの連載記事について。写真と文章。夜、家に帰ってからも微調整。1000字弱の短い原稿だが、その表現で読者に伝わるのか、読者が具体的にイメージできるのかという基準で繰り返し朱が入る。実に新鮮な経験。建築雑誌もこれくらいやったら何がおこるのだろう。

 日土での「夏の建築学校」についても頻繁にメール。
 某企画のまとめ役の依頼が来るが自信が沸かない。
 山隈君と現場について電話でやりとり。柳々堂で『環境デザインへの招待』を見たとの報。勝手に「野里の長屋」を紹介してて、ご、ごめん。1冊送ります。駒井貞治さんも、このページ読んだりしてないと思うけど、すみません、明日電話しますね、本、送りますね。

 平日は時間がどんどん細切れになる。ふー。

 中島らもの訃報はショックだった。今朝早くというか昨日の深夜というか、asahi.comの記事の第一報で知って目を疑った。病気?薬?と思ったら神戸の飲み屋での事故。『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』をぱらぱら読み返す。ごく身近な場所が舞台なので、ぐっとくる。ほとんど読んでないファンなのだが、どういうわけか、ひどい寂しさに襲われている。

2004-7月27日(火)

 3年生の集合住宅、最終講評会。
 常勤の担当教員2名、実習指導講師の森崎輝行氏・川村真次氏、ゲストクティークとして遠藤剛生氏・江川直樹氏・小山隆治氏
、それに土肥学長、鈴木成文前学長、担当外の専任教員4名ほどが参加。壮観でした。江川さんは関西大学の自分の学生さんを数名連れてきていた。僕も非常勤でお相手したメンバー。大学の雰囲気の違いが伝わったかな。作品の出来具合も上々。ちょっと大人しいのが気になるのは校風か。これだけのメンバーなので、途中は発言のも必要なく、総評で少し。「芸工大の3年前期は、小学校と集合住宅の2課題である。毎年、総じて良い作品が多い。それは教室なり住戸なり単位空間がの組み合わさったビルディングタイプゆえで、その単位を守るなり崩すなりは自由だけど、いずれにしても、その単位を組み合わせ、それらの間に適度に公共的スペースを配していけばそれなりにできてしまうからではないか。そういうことは芸工大の学生はうまい。後期は自らが問題を発見する課題。そこでは、ものごとを本質的にとらえられるかどうかの差がついてくる。頑張ってほしい」というようなことを言いました。たとえば、「美術館」という課題を出すと、これほど全体のレベルを高くは維持できないのではないか、そういうこと。
 ワインパーティーが終わったのが20時半くらいか。疲れました。雑用をして家に帰って食事してちょっと横になると眠ってしまう。夜中の3時頃目が覚めて、シャワーを浴びてもういちど寝る。なんとなく睡眠時間が短くかつ不安定な毎日。

2004-7月26日(月)

 終日、家。宿題1と朝日用5本目送る。神田記者からはいろいろと的確な意見が返ってくる。
 夕方ちょっと現場へ。まだセパレーター用のアングルの取り付けをやっている。
 宿題1、苦戦。今月中アップという目標が守れそうにない。疲れてます。

2004-7月25日(日)

 終日、宿題1。朝日用考える。吉井歳晴さんの連載は今日で終わり。次からは私だと書いてある。
 午後、CAP HOUSEでおこなわれているアート林間学校へ子供を送り迎え。
 途中、ジュンク堂へ寄って『俺も女を泣かせてみたい』(小谷野敦)、『過防備都市』(五十嵐太郎)。小谷野本はあいかわらずの小谷野節。面白い!
 夕方から住吉川でのバーベキュー大会へ。

2004-7月24日(土)

 午前中は、岡本で始まっている住宅の現場へ。地下部分が大きく、やっとごっそり穴が掘れた。連日すごい暑さ。現場のひとたちはたいへんだ。
 あとは終日家にこもって宿題1と新聞用ひとつ。あ〜、とにかくこういう時間がほしい。夜は近くの公園で自治会の花火大会。朝日用4本目送る。

2004-7月23日(金)

 阪大の最終講評会。ゲストに建築家の小澤丈夫さん、樫本恒平さん、千里のまちづくりにも取り組む太田博一さん、阪大OBの建築家・高草大次郎さんも加わるという賑やかさ。4年生最後の選択課題で、いろいろと学生も忙しい時期と重なり、講評者と作品数が余り変わらない状態だったが、ゲストの方々のお陰で盛り上がった。終了後のパーティーには朝日の神田記者も飛び入り参加。若者とおじさんたちの熱い(暑い)トークは深夜まで続いた・・、と。

2004-7月22日(木)

 前期最後のゼミ。花田研は「夏の建築学校 in 日土」へ全員で行くので、その打ち合わせ。
 そのあと、院生の中家君によるヨーロッパスライド会。彼は、この1ヶ月、初めて、しかもひとりでヨーロッパをまわってきた。題して「ハジメテノカイガイ」。出不精の僕には、最近の建築の生写真はとても新鮮。昔いちど行ったきりのコモやアッシジはとても懐かしかった。すごいパワーで連日歩き回った様子。足の爪が剥げたとか。そういえば僕も、院生の春休みに青木君や鈴木君と40日間の
「ハジメテノカイガイ」でヨーロッパへ行ったけど、毎日同じ靴で歩き回るので、帰ってきたら両方の足がひどい水虫になっていた。ところで、帰りの飛行機でいっしょになった京都工芸繊維大の学生を、羽田に着いたのが夜だったので江古田の下宿に泊めてあげたのだが、それが芸工大の現在の同僚の川北健雄先生なんですね。なんともはや不思議なことだ。
 夕方からは学内の委員会がふたつ。21時を軽くこえる。お陰でゼミの打ち上げには参加できず。ふー。

2004-7月21日(水)

 学科会議、教授会で夕方。課題多し。しかしまあチャレンジは大切だ、と。

 某新聞連載用の原稿、ひとつ書けた。これで3回分だ。宿題1の長い原稿の合間に、こういう短いのがさっと書けると妙に嬉しい。「某連載」とかぼかさずに、はっきり書けと担当記者さんから命令があったので白状しておきますが、朝日新聞の日曜日の生活欄に「住まいいろいろ」という記事ありますよね。今、建築家の吉井歳晴さんが書いているとこ。あれを、8月1日から僕が書きます。いつ穴をあけるか、連載打ち切りになるか不安です。ともかくできるだけ書きためておこうとビーバーのようにあせあせしているわけです。

2004-7月20日(火)

 今日は終業式の日。小学1年の息子が、「これで1学期、クリアっ」と嬉しそうに言っていた。現実世界とテレビゲームの虚構世界が逆転している、などとややこしいことは考えるまい。大学では4年生の演習科目で、アイディアコンペの課題の講評会。その他あれやこれやで前進のない一日。宿題1、できなかった。

2004-7月19日(月)

 あ、暑い。終日、宿題1。連日やっているが、書けば書くほどあせってくる。

2004-7月18日(日)

 AO入試の面談日で大学へ。といっても、最近の大学入試事情に詳しい人でないとわからないと思いますが、この時期に、もう入試が始まってるんですね。入試委員としての緊張、外の暑さ、面談会場の冷房、最近の疲れ、のせいか、家に帰って食事をすると、気を失うように眠ってしまった。夜中に起き出して風呂にはいり、宿題1。

2004-7月17日(土)

 朝日新聞の朝刊(生活欄)に、「夏の建築学校in日土」の紹介記事が載りました。ドーン。予想以上に大きい記事でびっくり。神田さん、ありがとう。みんな見ましたか、申し込みましたかあ〜〜。


2004-7月16日(金)

 午前中、西宮浜の整備についてのワーキングに出席。何かをつくる、ということではない浜辺の活性化についてみんなで考える。会場のある西宮のヨットハーバーのあたりには初めて行った。ヨットをもつ生活、か・・。
 午後は阪大。最後のエスキース。来週は講評会だが、4年生はいりいろと忙しそうで、案はいろいろと面白いのがでてきたのだけど、さて、どんな仕上がりになるだろう。

 明日の朝日新聞の朝刊(生活欄)に、「夏の建築学校in日土」の紹介記事が載る予定です。西日本一帯に配達されます。さて、どんな
反応があるか、楽しみだ。

2004-7月15日(木)

 実にばたばたと毎日が過ぎていく。平均台の上を走っている感じ。いつ落ちてもおかしくない。いや、実はもう落ちてるかも。

●12日(月): 関西大学で最終講評会。
●13日(火):夕方まで、卒論の中間発表会。司会役。終了後、入試関係の学科打ち合わせ、遅くまで。
●14日(水):2年生向けの講義・「建築空間のデザイン」最終回。

 本日は、某高校からのご要望で、30数名の生徒さんが芸工大にやってきて環境デザインについての講義を受けた。そのお世話係。僕自身も少しスライドを魅せて喋たり、製図室等を案内して、あっという間に半日が過ぎた。その後も来客ありで、あっという間に夕方。学生から、一日、学科案内をしてましたねと言われる始末。

 『関西の風景を歩く』。朝日新聞の「風景を歩く」という連載記事をまとめたもの。神田剛記者による、心斎橋のプランタンとそごう解体の記事も載っています。関西一円の面白い場所がたくさん紹介されていて、地図や年表も充実。一家に一冊、町歩きに必携。
 『考える人』2004年夏号。「北欧特集 フィンランドの森、デンマークの暮らし」という特集で、25%の消費税、平均50%もの所得税を徴収し、その代わり、教育や医療費が無料という国のふつうの暮らしを追っている。選挙の投票率は90%近くなんだそうだ。

2004-7月10日(土) 「夏の建築学校in日土」の募集スタート!

「夏の建築学校in日土」の募集が、 地元のホームページでスタートしました(詳細はここ)。いくつかの掲示板にも書き込みましたが、取り急ぎ、お知らせ。

・・というわけで、近代建築などに興味のある方はぜひ。定員40人(つまり日土小学校のひとつの教室にはいる数です)なのですが、いったいどれくらい応募があるのか見当がつかず、地元の方もわれわれも、どきどきしています。多すぎても困るし、少なかったら動員かけないといけないし(笑)。万万が一、応募が多く、お断りするようなことになったらお許し下さい。

 建築家の自邸インタビュー仕事の校正およびそこにつけ加える若干の原稿、なんとかできた。どんなに苦しんでも、さいごの瞬間、するするっと書けると終わっている。新聞連載も修正版つくる。さて合格するかどうか。

2004-7月9日(金)

 暑い。阪大でエスキース。北千里駅から大学までの道が果てしなく遠く感じられた。
 電車の中で『米沢時代の吉本隆明』。
 先日の建築家の自邸インタビュー仕事の校正およびそこにつけ加える若干の原稿。けっこう悩んでいる。
 この時期はつらいのが冷房だ。わが家では全く使わないので、身体が冷房に慣れてない。しかしいろんなところで冷気に当たらざるを得ないので調子が狂う。
 ここ数日もうれつに睡眠不足。

2004-7月8日(木)

 大学でいろいろ。

2004-7月7日(水)

 「建築空間のデザイン」講義。学科会議、某委員会、8時ちかくまで。ふー。

2004-7月6日(火)

 卒論生とゼミ。来週はいよいよ中間発表。行動している人としていない人で、はっきりと差が出るのはいつものこと。まだまだ大丈夫だから、みんなに頑張ってほしい。
 大学にいるとなんだかんだですぐ夕方になってしまう。

 新刊2冊。『米沢時代の吉本隆明』『市民と武装』。両方ともすごく面白そうだ。前者はたくさんの写真付き。戦前の米沢高工での吉本はもちろん、当時の学生生活がよくわかって興味津々。後者は小熊英二が昔書いたアメリカ論。今の時点でどう読めるか。これも興味津々。『住宅建築』7月号も。神戸芸工大出身の藤田豪さんの作品「G5」が掲載されている。大阪・中崎町の長屋の再生。波多野嬢からきいてはいたが、住宅建築に芸工大卒業生の作品が載ったのは初めてではないか。僕が赴任する前の卒業生だけど、嬉しいです。

 最近本屋に並んだ『CONFORT』8月号に書評を2本書いています。以前、この日記でもふれた『写真でつづる宮本常一』と『戦争が遺したもの』。よかったら読んでください。

 こんな日記書いてる暇あったら宿題しろと思うのですが、せっぱ詰まるとかえってここで書いてしまう。

 ヨーロッパ初めて海外一人旅を実行中の院生・中家君から、ときどきローマ字書きのメールが届きます。今日はバルセロナから。そろそろ旅も終わりに近づいた様子。かってに載せちゃおう。帰ってきたら22日のゼミで上映会やってね。
   HANADA senseihe
   pari ha igaito mirutokoroga nakattanode(1syuukanmo)
   yakoude baruseronani kimasita. mi-su,gaudei,form2004.midokoro ippaidesu.
   mousugu nihonni kaeranakerebadamedusuga mousukosi itaidesune....
   buji nihon ni kaettara mata renrakusimasunode.
   senseino nikkimo kakasazuyondeimasu. iroiro attamitaidesune.
   deha. nakaya

2004-7月5日(月)

 所用ありで、関大のエスキースは夕方から。提出1週間前。きちんと筋道を見つけた人と、呪文を唱え続けている人と、両方いるのはいずこも同じ。
 このところやっと宿題1に戻っている。新聞連載予定記事原稿にたっぷり朱がはいってきた。建築雑誌ではなかった貴重な経験。建築系の編集者もこのくらいやるべきですね。先日拝見した建築家の自邸についても書かなくちゃいけない。その他いろんなことが重なってきて、もう限界。

2004-7月4日(日)

 「なぎさのデザイン」プロジェクトで、西宮浜の使われ方の調査。学生諸君をチームに分け、朝7時から夜の7時までの様子を観察した。僕は昼飯や飲み物の差し入れを兼ねて昼前後にしばらくいたが、予想以上に多くの人がさまざまに砂浜を使っていることに驚きました。かんかん照りなんですよ!みんなすごいなあと感心。アウトドア派のひとって、けっこう多いんだなあ。その対極にいる僕は昨日に続きぐったり。


2004-7月3日(土)

 午前中、山隈君とスタッフの伴さんとで岡本の現場へ。まずは工務店と敷地形状やレベルの確認です。
 午後は大学へ。今日はAO入試の相談会。高校生諸君のお相手です。
 じりじりと焼かれるような日射しの一日。ぐったり。

2004-7月2日(金)

 午後は阪大でエスキース。学生の相手をするということは、「学生の」案をもとに「自分の」案を考えることである。それを押しつけるつもりはないし、単に真似をされても困る。しかし、そういう事態を避けるためにこちらが「自分の案」を示すことを避けてはいけないと思うし、学生の前で「自分の案」を示せないようではみっともないという思いが強い。で、今回は千里ニュータウンを題材にしたお陰で、自分でもいろいろ考える機会になっていて、千里ニュータウンへの提案って、けっこうまだまだいっぱいあるような気になっている。

2004-7月1日(木) 『環境デザインへの招待』 「夏の建築学校 in 日土」

 午後は、芸工大の大学院特別講義で、ヨコミゾマコトさんのレクチャーをきいた。富弘美術館の設計上の考え方と工事中の様子を、映像たっぷりで紹介してもらった。
 昨年、兵庫県立美術館でやった公開講座の内容が、『環境デザインへの招待』という本にまとまりました。芸工大がこれまで2冊出したレクチャーシリーズの3冊目。鈴木明さんの編集です。7月中頃から書店にも並ぶそうです。小振りの本ですが、399頁もあって、いろんな話題がてんこ盛り!お買い得なこと間違いなし。ぜひ手に取ってみてください。
『環境デザインへの招待』

 この夏、「夏の建築学校 in 日土」というイベントをやることは以前書いたと思います。建築学会誌にはお知らせが載ったのですが、肝心の申し込み受付窓口である「木霊の学校 日土会」のホームページにはまだその体制ができていない様子です。夏休みの予定をそろそろ考える方もいると思いますので、ざっと内容をお知らせしておきます。細部は変更があるかもしれませんが、だいたい以下のような予定です。
 間もなく日土のこのページに詳細が掲示されて、そこから申し込みもできるようになるはずです。受付開始情報がはいってきたら、ここでもお知らせします。

 ・日時 8月6日(金)〜7日(土)
 ・会場 日土小学校(愛媛県八幡浜市)

 ・予定されている主な内容とスケジュール
   8月6日 午前中 自由見学
        11時 受付開始
        12時〜12時半 開校式
        13時から16時半まで、日土小の教室で、3コマの「授業」。内容は概ね次のような感じ
          ・愛大の曲田清維先生による愛媛県の中での日土小の位置づけなどについて
          ・私による松村正恒と日土小の概論
          ・理科大の山名善之先生にによるフランスドコモモ事情
        近くの公民館に移動して17時から夕食。 地元の方がお世話してくださいます。
        19時から夜の「補習授業」。地元の日土小に関係ある方々を囲んでお話をきく。その後、懇親会。
        宿泊は公民館の大部屋(もちろん男女別)を無料で提供していただきます。主に学生諸君はそちらへどうぞ。
        それはちょっとという方は、自分で宿を手配してください。
   8月7日  9時〜10時 日土小学校をみんなで掃除します。使わせていただいたお礼です。各自必ず雑巾を持参すること。
        10時〜11時 日土の子供たちも交えて七夕飾りづくり。
        11時〜12時 意見交換会と閉校式をして解散。
 ・参加費は、食費や資料代も含めて5千円前後の予定。
 ・定員は、ひとつの教室にはいる程度ですから、ざっと40人くらいでしょうか。