Logbook:Yoshiaki Hanada
2004年2月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
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2004-2月29日(日)

 1月以来、もう一つぱっとしない状況が続いたまま今日で2月も終わり。いろんなことを考えたふた月だった。

2004-2月28日(土)

 土肥先生が今年度で学科教授は定年となり、しかし学長職は続くというわけで、最終講義ではなく「土肥先生を囲む会」。
 『九龍城探訪』:この建物の中でふつうに暮らす人々を撮ったカラー写真がすばらしい。『ハイスクール1968』:四方田犬彦の高校生時代の自伝。文芸誌で読んだときもそうだったが、単純にうらやましいともかっこいいとも言えず妙な読後感。

2004-2月27日(金)

 午前中、大学で某委員会。難題。午後、西宮の浜へ。来年度、その風景づくりのお手伝いをすることになりそう。これは楽しそうな難題。

2004-2月26日(木)

 長田にある某公的な施設へ。もうひとつぱっとしない状況の打破について、お手伝いできることがあるかどうか。これも難題。

2004-2月25日(水)

 学科会議は入試という難題の議論。教授会は大学院後期入試の合否判定。

2004-2月24日(火)

 1週間に1回の更新が定着してきました。何となく気分の落ち着かない毎日であります。おとこもすなる更年期といふものかもしれない(笑)。
 昨日と今日は東京。建築学会の某委員会とドコモモジャパンの委員会。
 
 少し風はあったけど、暖かな東京。行きの新幹線の隣の席は東大を受けに行く高校生だった。広げている資料からすぐわかったけど、勉強のじゃまをしちゃ悪いと思い、東京駅に着いたときにこちらも昔の卒業生ですと声をかけて激励した。
 久しぶりに神田の古本屋街へ。明倫館と南洋堂でちょっとした収穫。お茶の水の明治大学の建物が大変身をしていたのでびっくり。足元の巨大な広場はどうかなあ・・。いずれにしても、堀口建築がまたひとつ消えた。

 先日亡くなった荻窪の叔父の家にも行ってきた。彼の以前の家に大学受験のとき泊めてもらい、そこが僕が「東京」を感じた最初の空間になった。自宅での81歳の大往生。

 先週も年度末の仕事に追われるばかり。

●17日(火):学内の委員会。午後はある都市計画系の事務所の方とある場所を見に行く。来年度、学生諸君の協力を得て動かすプロジェクトになるかもしれない。
●18日(水):学内の委員会と教授会。後者では修論・修士設計の各賞の決定もおこなわれた。論文と作品、しかも他分野にまたがるものを同列に論じるのはもう限界ではないか、なにか別のシステムをつくるべきではないか、と今年は特に感じたなあ。卒展で見てやってください。
●19日(木):奈良女子大学の卒業制作の講評会へ。提出後に多少手を入れてあるとのことであったが、図面と模型の完成度の高さと、スーツを着てのきちんとした発表には驚いた。論文と制作は選択制なので、かなり時間はかけているとはいえ、細かなところまでよく書けた図面が多いのには感心した。国立の伝統ある女子大の良い面が出ている。ただ、残念ながら、問題提起という点で面白いものはほとんどなく、講評ではそのことを繰り返し発言せざるを得なかった。すでに見いだされている問題に、すでに見いだされている手法で答えた案ばかりなのだ。多くの案がじつに建築的であることにも驚いた。芸工大などではあまり見かけないきちんとしたひとつの建築物として作品をまとめているということである。いわゆる「すきま」ねらいがほとんどないということ。これは不思議だった。きちんと努力を積み重ねていくのが得意なひとは、建築的な答えの方が出しやすいのかもしれない。発表者は12名。学年の約半数である。それぞれを20〜30分かけて講評する。うらやましい時間的な余裕である。終了後は、奈良女の宮城俊作さんと長坂大さん、講評者3名、それに発表した12人の女子学生さんたちとでわいわいと食事。聴衆も女性ばっかりで、不思議な一日だった。
●20日(金):大学でたまった雑用。
●21日(土):大学院入試のB日程で、作品等の採点。終了後、京都へ。妻の母親の実家である京都の町家が、近々人手に渡り解体されるというので見に行った。僕も何度か来たことがある場所でもあり、いよいよなくなるかと思うと切なさがこみ上げてくる。いくつかの家具を引きとることにしたが、建具その他、転用可能なものについても、ぎりぎりまでできることを考えたいと思っている。
●22日(日):大学院入試のB日程の面接。疲れた。

 というようなわけで、勉強や研究という言葉がどっかにすっとんでいる。こんなことではだめだ。

2004-2月16日(月)

 大学へ。学期末試験の試験監督がひとつ。自分の科目じゃないから気楽である。
 今日は大学のサーバーがダウンしていて仕事にならない。早々に引き上げる。
 帰りに、富岡多恵子の『ひべるにあ島紀行』が文庫化されたので購入。ひべるにあ=冬の国=アイルランドの物語だ。こういう本をゆっくり読みたいなあ。
 本屋でもらった草思社のPR誌『草思』が「図書館を考える」という特集。そこに高橋源一郎が「「図書館」を求めて」という文章を寄せ、中学から高校そして大学紛争時の留置所暮らしにおける「図書館」の思い出を記している。とくに中高生の頃、友達の部屋を訪れその本棚にあって自分の読んでない本を片っ端から読んだという話は、
あまりに素直な青春記だが、多くのひとにとっても同様に切ないくらい懐かしい話でもあるだろう。自らの無知に気づき、相手に悟られないようにそれを補おうとすること。これなしで青春期を通過してはいけない。

 今日は春のような暖かさ。少し気分がほぐれてくる。

2004-2月15日(日)

 あっという間に1週間だ。年度末のいろいろな行事が目白押し。

● 9日(月):卒業制作の採点。1、2階のスタジオに展示してある作品をひとりでぐるぐると見て回り採点する。いい作品がいくつかあった。
●10日(火):終日、修論と修士制作の発表会。今年は高レベルのものが多く、結構楽しみました。ちなみに僕の研究室は、新宮岳君の修論「雑誌・『都市住宅』研究-編集長植田実の時代を軸に-」と、村山徹君の制作「芸術の畑-Twoard a new museum as an incubating field-」である。前者は例の100冊の『都市住宅』をさまざまな視点からデータベース化し読み解いたもの。後者は、安藤さんの兵庫県立美術館に対するカウンター案。
●11日(水):山隈直人さんと共同設計している住宅の実施設計がほぼ終わり、現説前にクライアントへの最終説明。さあてお金が納まるか。担当は昨年の春、僕の研究室の学部をでた伴美矢子さんである。なんとか実施設計図をまとめている。若い人の成長は早い。
●12日(木):大学院を受ける学生の推薦状書き、学科の会議、他。下の子が高熱を出してダウン。インフルエンザではないみたい。
●13日(金):常々、弟の方が病気に強いなあと感じてきたが、今回もそう。早くも立ち直ってきてくれたので大学へ。今日は例年、この時期で一番忙しい一日である。10時から学科会議。卒業制作の各教員の採点一覧表をもとに議論。午後からの講評会に取り上げる作品と組み合わせ、そしてコメンテーターを決める。13時から講評会。2作品ごとのペアにして14作品を講評。盛り上がりました。こちらの頭の回転速度を速めてくれる案があるのがなにより嬉しい。言いたいことは全部言って、すっきり。1時間オーバーで17時頃終了。再度学科会議を1時間ほどおこなって、卒論を含めた各賞の決定。18時から学生たちに発表、そしてワインパーティ。そのあと、非常勤の先生方をお招きしての懇親会。長い一日でした。
●14日(土):午前中、耳鼻科。聴力測定をすると4000Hzあたりに少しだけ谷がある。そのあたりの周波数で僕に内緒の話をしないでください。午後は下の子と留守番。彼が病み上がりなので外へ行くわけにもいかず、時間をもてあます。二人でラーメンのテレビ番組などを見て過ごす。歌手の五木ひろしが、下積みの頃を思い出しながら、ラーメンというのはもっとも平等な食べ物だというようなことを言っていたが、なるほどそうかもしれない。行きたかった学会近畿支部のシンポへ行けず残念。

本日はやや春の気配。回復した下の子と庭で遊んでいると、上の子がダウン。同じ症状だ。こんどは熱はないが、お腹にくるのは同じ。そういう風邪ですね。次は僕か!?
このひと月半、大学の仕事と家のことで手一杯。これじゃあだめだな。

「宿題1」と日土小学校関連のレポートのまとめ、長年の宿題、その他、自主的な書き物もしなくっちゃ。

ここしばらくのあいだで買った本は、『小説の未来』『テクストから遠く離れて』『空間の行間』『ああ、堂々の自衛隊』『ぼくたちの70年代』『同じ年に生まれて』『現代住宅研究』『キングの時代』『貧困旅行記』『つげ義春1968』『僕たちは何を設計するのか』など。眠れぬ夜に、病院の待合室で、電車の中で、少しずつ。

ドコモモジャパンのホームページが未完成ながら稼働し始めました。
また、しばらくクローズしていたドコモモ本部のページも復活しているようです。

2004-2月8日(日) 大阪な一日

 久しぶりに電車に乗って家族で大阪へ。下の子供が幼稚園でやっている造形教室の展示会が、天満の区役所で開かれたからだ。幼稚園児から小学校3年生くらいまでの子供を対象にして、大阪や神戸やらの各所に教室がある。そこで子供たちが作った作品が一堂に会したのである。いやあ、面白かった。子供ってやはり天才ですね。どの絵も、いくら眺めても見飽きない。
 天満駅前からは、例の長い長い商店街が始まっている。すごい活気。お好み焼きの生地にたっぷりのキャベツと卵をのせて1枚100円!安くてうまい! 家に帰ってからはビデオ屋で借りたDVDで「越前屋俵太」を家族で鑑賞し大笑い。幼稚園児から中年までを飽きさせない。これも僕が昔から大好きな天才だ。ところで、もうひとり僕が大好きな天才・人生航路のビデオかDVDってあるんでしょうか。ご存じの方教えてください。


とりとだんごむしとへびとかいじゅうのおはなし/これはこうちゃんがすきなぞうさん/くま

2004-2月7日(土)

 友人の若い建築家O氏の自宅を見学。数年前に友人たちといっしょにやった展覧会に出展されたスケッチと模型で多少のイメージはもっていたが、実物になってみて、その構想力のすごさと完成度の高さとに圧倒された。数人の建築仲間とおじゃましたが、一同コンプレックスのかたまりになった(に違いない)。見なかったことにしようと思った(に違いない)。自分が設計中の建物をどうしようと思った(に違いない)。まだ発表されていないから詳しく書くわけにも写真を載せるわけにもいきませんが、編集者のみなさん、この1軒で特集を組むべきですよ。天才ですね、彼は。

 高橋源一郎の新刊『私生活』を買って京都に向かう。が、全くの期待はずれ。日記なら昔のものの方がずっとよかった。ここで書かれている内容は、彼は「小説」という文体でしか書けないんだろう。

 京都工芸繊維大へ。「第5回 村野藤吾建築設計図展 村野藤吾と建築写真−写真家・多比良敏雄の仕事」展へ。シンポジウムは会場からひとが溢れる盛況ぶり。展覧会を見学後、再度会場に戻ってシンポを聞いた。肝心の多比良敏雄の人物像やその写真についての議論がほとんどなかったのは、意外というか残念というか・・。
 村野藤吾の実施設計図は、いつ見ても僕にはとても不思議なものだ。矩計図などの詳細図は、たしかにいっぱいの書き込みがあるが、寸法や形は結局のところきちんとは指定されていない(と僕には思える)。僕が理解する「詳細図」ではないのである。じゃあなにかというと、ここにはこういう感じのものが絶対に要るぞという指示書、あるいは覚え書きのようなものに思える。もちろんこの「絶対に」というところが重要であって、凡人には及びもつかない判断の結果がそこにある(と僕には思える)。位置や大きさはあとからいくらでも考えてやる。でも、この空間を完成するにはこれだけの部品が絶対に必要なのだ
という意思表示なのだ。要するに、存在すべきかそうでないか、存在する価値があるのかないのか、そういう判断が書いてあるわけで、これほど恐ろしいものはないだろうと改めて思った。
 シンポジウム終了後は、関係者のみなさんの懇親会におじゃましていろいろと刺激を受けました。京都で建築を勉強したり、京都に住んだりしていたら、僕の人生も変わっていたかもしれないなと思いました。

2004-2月6日(金)

 4年生の卒業制作の提出日。1時から3時までが受付時間で、最後のどたばたは、例年と似たりよったりの光景が展開した。いつもより大きな模型を作っているひとが多かったような印象だが、図面の状況はよくわからない。パソコンの中にあるからだ。提出完了後、スタジオに展示作業。これから12日正午までに教員が採点し、そのあと16日まで公開されます。その後一旦学生に返却し、全学の本格的な卒業制作展が3月5日から7日まで。今年は会場が例年とは違い、兵庫県立美術館です。お間違えのないように。どうして会場が移ったかというと、昨年まで使っていた神戸ファッション美術館の運営状況が思わしくなく、神戸市が施設の再構築の検討をおこなっているからである。株式会社神戸の崩壊現象の一端。それでも神戸空港の工事は進んでいる。
 

2004-2月5日(木)

 学生から「日記、全然更新されませんね」と言われ、はっと気づくとはや2月。
 気を取り直して再開してみようかと思います。
 1月はちょっといろいろとあり、心身共に疲れきりました。
 公的にも行事が多く、逆にそれで気がまぎれてありがたかった。植田実さんの展覧会とパーティ(東京、19日)、3年生の最終講評会、3年生の次年度の配属研究室決め、各種委員会、学科会議、教授会、広報・入試関連の各種仕事、修論・修士設計のまとめ、卒計のまとめ、阪大舟橋先生の最終講義、一般入試前期、某町づくり系のお仕事の相談、等々・・・。それぞれいろいろとかきたいこともあるのですが、いずれまた。
 逃避的な意味もあって本はいつもにもましていろいろと買ってましたが(「いろいろ」が多いなあ・・)、植田さんのパーティーのために上京する新幹線で読んだ向田邦子の『父の詫び状』は心に残りました。恥ずかしながら向田邦子の本を読むのは初めてで、キオスクで何気なく買ったのでしたが、全編に漂う死の香りが印象的でした。もちろん一般的に言われる向田流のユーモアはちりばめられているのですが、その背後に、なんともいえない寂しさを感じました。当時彼女は乳癌と闘っていたという事情はあるにせよ、失われた時間と空間、そして家族や友人への熱い思いと、逆にそれらを描けば描くほど浮かび上がってしまう寂寥感とが対照的で、じんとしました。

 今日は久しぶりに家でゆっくりしています。朝からいくつかのメールを送り、書類をつくったりしているうち、標高300mのわが家のまわりは、お昼頃に一瞬、猛吹雪に包まれました。庭が一面真っ白になり、しかし午後3時の今は晴天が戻り、解けた雪の水滴があちこちで光っています。