Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年10月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
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2003-10月31日(金) [ ]

 見学つづき。今日は某大学の学生さん数名がやってきた。計画、構法、工事等について、詳しく説明。
 宿題2、必死。10月が終わってしまった!
 この土日は日土小学校へ行ってきます。

2003-10月30日(木) [ ]

 午前中は、大阪市大のM先生が我が家の見学に。ずいぶん細かい部分まで観察していただき楽しかった。
 午後、3年生のエスキース。今日は7時半頃まで。ふ〜〜。あんまりこっちが案を示すのはどうかなあと思いながらも、べらべら喋っているうちにいろいろとアイディアが浮かび、遠慮しても仕方ないから言ってしまう。それをそのまま採用するか乗り越えるかで学生諸君の腕が試されるし、こっちも一番どきどきするところだ。
 4年生がゼミ室に泊まり込んでいる。卒論です。土壇場でいろいろと相談にのる。
 日土小学校へいく準備。6年生で校舎の模型をつくろうというプロジェクトがあり、先生からの相談にものっている。建築の模型をいくつかもっていくつもり。以前われわれが模型をつくったときの様子などをまとめたパネルや松村関連の本や雑誌も車に積み込んだ。シンポジウムには地元の人たちも多く参加してくれるらしい。あの建物の意義を上手に伝えたい。
 そんなこんなであわただしい。今日は大阪で青木君の講演会があったようだが、どんな話だったんだろう。

 大学で鈴木成文先生から、立原道造の「ヒアシンスハウス」を自力建設する運動についての資料をいただいた。「ヒアシンスハウス:風信子荘」は24歳で死んだ立原が夢見た自分のアトリエ。検索してみるとネット上にも情報があった。興味深い試みですね。それにしても、このスケッチだけから実物にするのはかなり技量を問われるでしょう。建築の保存・再生の特殊事例。
 ゾンネストラールでも、廃墟と化した状態や工事中の写真を見ると、コンクリートを打って「新築」している部分がかなりある様子。「ヒアシンスハウス」の場合は、そもそも実在しなかったのだから完全な「新築」。日土小学校についてもどこにどう手を入れればよいのか、難しい問題が待っている。

2003-10月29日(水) [4488]

 芸工大に編入希望の学生さんの訪問を受け面談。若い人が自分の道を探そうとしている姿はいいものです。
 午後は入試関連等の事務仕事でつぶれる。この手の仕事が集中している。18歳人口が激減するなかで大学が生き残るにはどうすればよいのか。日本が初めて遭遇する難問だ。下手をすると、考えているうちに潰れてた、そんな時代にわれわれはいる。
 11月2日の日土小学校でのシンポについて、愛媛大学の曲田先生と電話打ち合わせ、そして資料づくり。日土小をモダニズム建築の意味を考える先駆的な事例にしたい。

 香山先生の『ルイス・カーンとはだれか』のなかにはカーンの言葉がいろいろと引用されているが、そのなかでも最も美しいと思ったのはこれ。
都市とは、その通りを歩いているひとりの少年が、彼がいつの日かなりたいと思うものを感じとれる場所でなくてはならない。

 今年の建築学会の大会の研究協議会のひとつ「計画系建築教育のパラダイム変換 個性と新しい質を目指す21世紀の計画系教育」の資料集が学会から届いた。短い文章を寄稿していたので興味があったが、会場で資料集は売り切れ、しかも別の発表の司会と重なり参加もできず、せめてもということでやっとこさ資料集だけは手に入れた次第。当日どんな議論がおこなわれたのかは相変わらずわからないが、僕自身の文章は芸工大で教えながら考えていることをかなり素直に書けたと思うので再録しておきます。

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設計教育にとっては歴史と理論と批評と実践がすべてだと思う。

 今回の研究協議会プログラムの主旨説明が事前に届き、この短い原稿の資料にすべく読みました。しかし、たとえば「ゲームのように教育が行われてきた」といった言葉は実感できず(仮にそんな教育をおこなっていた大学があるとすればその関係者が反省すればよいこと)、全体としても、議論するまでもなく実践すればよいだけの(あるいはしている)ことが書いてあるように思え、正直言って協議会のねらいがよくわかりませんでした。また、そもそも「計画系建築教育」という言葉が、いくらでも拡大解釈が可能な安全地帯に置かれているように感じられることも気になりました。
 したがって、研究協議会の主旨に沿うかどうか不明ですが、勤務する大学で私が建築設計教育の目標とし、担当している講議や実習で実践(しようと)している内容を羅列することでお茶を濁させていただきます。
● 建築の設計という行為も、高校までにやってきた数学や物理などの教科と同じように、問題があり解き方があり答えがあるんだということを学生に実感させる。つまり「問題が解けた!」という体験を学生にさせる。
● ただし、いうまでもなく「建築的問題」であり「建築的解法」であり「建築的解答」であることが必要なのだから、それぞれが、政治的・経済的・文学的○○とどう違うのかを、講議や実習のさまざまな場面で指摘し議論する。
● 建築的世界を構成する要素は言葉と空間というふたつのカテゴリーであり、それぞれによって建築的世界を切り開き、かつ両者の関係を調停していくことが設計行為だということを、講議や実習のさまざまな場面で指摘し議論する。
● 建築を語るための既存のモデルを解説し、それらをもとに新たなモデルを見い出す手法についての講議をおこなう。言い換えれば、言葉と建築についての歴史と理論と批評に関する基礎知識を与えるということ。もちろんこんな作業はひとりの担当者の講議ではおこない得ない。学科全体の教育に対する個人的なイメージである。
● ビルディングタイプごとの(おそらく狭義の建築計画的)知識は個々の実習課題のなかで解説する。
● このような目標にふさわしい問題としての設計課題の出題に心がける。たとえば、問題を細分化した入門用課題から問題自体を発見する上級向け課題等を工夫し、学科全体として筋の通った設計課題の構成をデザインする。
● 実習のエスキスはできるだけ実践的におこなう。すなわち、教員と学生という関係ではなく、設計事務所の所長と所員、建築家どうし等でおこなわれるであろう議論や作業として位置づけ、その再現を心がける。
● 実習においては、学生のアイディアを潰すにせよ発展させるにせよ、その根拠を論理的に示し、図形問題の「補助線」に相当するようなものの引き方を具体的に示す。つまり「私ならこの難局をこう乗り越える」という案を教員が示し、言語的にであれ空間的にであれ、新たな道が切り開かれた瞬間のメカニズムと感動を学生に実感させる。
● 教員の能力をこえる優れたアイディアがでているのではないかという怖れをつねに抱き、学生の可能性に希望と信頼をもち続ける。

2003-10月28日(火) [2852]

 卒論の提出締め切りが迫り4年生がうろたえている。気をたしかにもってほしい。
 昼休みに、後期はご無沙汰の2年生のスタジオをのぞく。彼らは住宅の課題をやっている。何人かの案にちょっかいをだしてあれこれ喋る。とても楽しい。
 3年生の実習のエスキス。2時40分に始めて終わったのが9時。6時間半・・。疲れた。いくつかのチームでのおしゃべりはとても楽しかった。日本中の建築学科でこんなことやってる、のか?
 家に帰るとへばってて仕事にならない。まずい。10月がもうすぐ終わる。

2003-10月27日(月) [4230]

 朝一番に耳鼻咽喉科へ。最近理解したところによれば、いわゆる風邪には3つあって、ひとつがのどや鼻のウィルス感染によるもの、次がインフルエンザ、そしていわゆる夏風邪、らしい。で、まあ、小さい頃からおなじみのいわゆる「風邪」は最初のやつで、だから「風邪をひいた」というときに、内科に行くのではなく耳鼻咽喉科で詳しくのどや鼻を診てもらうのは正しい考え方らしい。というわけで耳鼻咽喉科へ。鼻のレントゲンというのを初めて撮った。頭蓋骨のかたちがよくわかりますね。別に大したことはない。黄色い洟も止まってきた。
 大学へ。なんだかいろいろあったのでゼミ生との接点が減っていて、午後を卒論の相談時間とした。提出まであと1週間。たあっぷり苦しんでください。それしかありません。苦しみの量と完成度とは完全に比例します。センセーも宿題できなくて苦しんでいます。
 『ラララ科學の子』『若者はなぜ「決められない」か』『「不自由」論』。『ラララ』は
久しぶりの矢作小説。僕はスズキさん以来だ。土建国家批判は読んでたけど・・。あとの2冊は「若者」自身も読んでみるといいかも。

 

2003-10月26日(日)

 家族はそれぞれ忙しく、昼間ひとり家にこもっていた(とり残されていた)。宿題2を一生懸命やりましたが、まだ完成せず。
 鼻がダウン。たぶん、こないだののど風邪からの急性副鼻腔炎だ。明日は病院行こう。
 木の建築フォラムのこんな催しもの(第4回木の建築フォラム/愛媛)に急遽行くことにした。11月2日、日土小学校でのミニシンポです。日土小学校の保存についても少しずつ状況が動いています。ファンネレゾンネストラールに負けないぞー。
 偶然見つけた京都府立大の河西立雄さんのサイト(VOICE OF ARCHITECTURE)。なるほどこんなやり方があるんだ。
 アマゾンが始めた新しいサービス(→「
Search Inside the Book」)。うーん、すごいなあ。通販書店が図書館にかわっていく!

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            ><        うさこちゃんの別案

2003-10月25日(土)

 芸工大の川北さんを中心にして学生たちが協力してつくりあげた「ミナイチ・プロジェクト」を見てきた。今朝の朝日新聞神戸版にも紹介されていた。学生諸君、よくやりました!湊川あたりはふだんあまり縁がない。市場も商店街もなかなかレトロな雰囲気にあふれていて面白い。
 レフェリー・コメント、完成。のどがおさまったと思ったらばい菌が鼻に攻め込んできた。ずるずるっ、たらあー。

2003-10月24日(金)

 千里センターへ資料を返却に行く。千里中央駅周辺のショッピングセンターと外部空間が僕はとても好きだ。空間とモノについて、きちんと考えた気配がある。それがモノレールの駅の方へ行くとダメになる。時代が新しくなるにつれデザインということへの知的なこだわりが消えていったということが丸わかり。情けなくなる。
 その後、某所で教育。ふらふら。注文していた若林奮展のカタログ到着。うれしい。香山壽夫先生からは『ルイス・カーンとはだれか』が届いていた。香山先生の若い頃の描写が興味深い。レフェリー・コメントの素案つくる。他人が書いた論文だとどうしてこんなに問題点がみえてしまうのか。自分の書くものに対してこそそうでなくちゃあいかんですね。

2003-10月23日(木)

 10時、一昨日大学に来た友人のアメリカ人建築家・Ken Hudgeが、かわいいお嬢ちゃんを連れて我が家を見に来た。
 午後は、ある県立高校へ。進路指導の一環で、分野ごとにいくつかの大学の教員が集められ授業をおこなう。僕はデザイン分野についてで、40人と38人のクラスで各50分ずつ2回。学生作品のパネル、住宅の模型、芸工大のパンフ、『ブルーナミュージアム』(←これで「デザイン」のもつ力を説明する。二つの「・」と一つの「×」でミッフィーちゃんってわかるでしょ!と)などの小道具でなんとか切り抜けた。けっこうちゃんと聞いてくれたと思う。感想を書いてもらったが、上出来。みんな芸工大に来てね!

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            ×

 どっと疲れて大学へ。3年生のエスキス。ふー。


2003-10月22日(水)

 学内の委員会と学科会議。午後は、みかんぐみのマニュエル・ダルディッツ氏の特別講義。終了後のワインパーティーで、1年生の女子学生が、「ポスターに『みかんぐみ』って書いてあったので何のことかと思ってたら、上級生が『有名な建築家だ』って教えてくれたんです」。いいなあ、こういうの。「みかんぐみ」って言われたら、そりゃあ何が来るんだろって思うよね。

 夜、ある若者の通夜に参列。彼が死んだという実感が全くわかない。無念としか言いようがない。同じ歳だったころの自分を思う。何もなければ流れたであろうそれ以降の時間を想像する。若者の死ほどつらいものはない。
 T君、また会おうな


2003-10月21日(火)

 話題の岩井克人『会社はこれからどうなるのか』、出たばっかり『ルイス・カーンの全住宅 1940-1974』、いまごろ司馬遼太郎『オランダ紀行』、なぜかbk1ではでてこない高橋源一郎『日本文学盛衰史』。
 友人のアメリカ人建築家が大学に遊びに来る。3年生の実習は都市計画家の蓑原敬さんのレクチャー。夕方はH大学S先生来学で、オランダ旅行の後始末その他。

2003-10月20日(月)

 彫刻家の若林奮が今月の10日に亡くなったのはご存知の方も多いでしょう。注文していた若林奮・前田英樹『対論 彫刻空間』が届き、行けなかった昨年の若林奮展のカタログを豊田市美術館注文した。彼のドローイングと作品は、ポエジーという言葉そのものだ。

2003-10月19日(日)

 治りかけにうろうろするからだと家人に叱られ、それでも昼前くらいから持ち直す。山隈君とやっている住宅の打ち合わせに住み手の家へ。ゆっくりですが順調に進んでいて、今日で基本設計が了承された。けっこうかっこいいぞ。
 敷地は岡本なので、帰りに山隈君といっしょに例の梅干し屋さんにも寄る。今日は和歌山の蜜柑や柿やらも売っていて、とても賑やか。店内も、いろいろとスタッフの方が工夫してお知らせやら何やらが貼ってあるが、むしろ楽しく空間を使ってもらってる感じで嬉しかった。
 夕方には、同僚の建築家・K村H昭さんご夫妻が我が家の前を我が家を見上げながら車でゆっくり通過するのを偶然見つけ、あがってもらう。木M博Aさんらしい登場の仕方で、なんかおかしかった。
 二人の知人と電話。あちこちにメールの返事。
 最近の掲示板での青木君とのやりとりも面白かった。
 とまあうろうろした一日だったけど、今日はぶり返さない。あと少し。けっきょく他者との接触が元気を取り戻す一番の薬だな。
 宿題1の締め切りが延びたのでちょっと別のアイディアが出てきて、そんなこと考えてると結局時間足りなくなるよと思いつつ、ともかく締め切りを過ぎた宿題2を急いでやらなくてはいけない。

2003-10月18日(土)

 休んだあいだのお仕事を片づけに大学へ。少々元気になった気がしたので本屋へ寄って『現代詩手帖 特集版 高橋源一郎』『イラスト図解経済ニュース虎の巻 「なぜ」「どうして」がこれだけでわかる『LIVING DESIGN』11月号。高橋源一郎の特集号はとても面白い。これまでたくさん出た現代詩手帖の作家ごとの特集号のうちで、全部の論文や記事を読みたくなった初めてのもの。宿題1にいろんな意味で参考になった。高橋源一郎が小説を書くことでやっているような作業を、僕は建築を設計したり建築について書いたりすることによってやりたい、というのは、やっぱりありだな、と再確認。
 とまあ元気になった気になり、夕方、近所の散歩と掃除などを急にやっているとなんだか風邪がぶり返してきてダウン。早々に布団にはいる。ウィルスが後頸部から頭に攻め込んできた感じ。

2003-10月17日(金)

 少し立ち直る。

2003-10月16日(木)

 目が覚めるとのどと鼻がさらにひどいことに。漢方でゆっくりという場合ではない。別の病院へ。西洋医学の力、大。中間講評会、欠席させてもらう。

2003-10月15日(水)

 目が覚めるとのどがひどいことに。病院へ。漢方薬の処方。教授会等、欠席させてもらう。

2003-10月14日(火)

 インタビュー、無事終了。 帰ってきたらのどが変。

2003-10月13日(月)

 大学祭。それに合わせて開かれた高校生ケータイフォトコンテストの入賞者の表彰式にも審査員の一人として参加した。ケータイに、ましてそれで写真を撮る行為には相変わらず馴染むことのできない私ですが、それとは別に、送られてきた800点以上もの写真の群れはとても興味深いものだった。大げさに言えば今の高校生の生々しい内面を垣間見る感じとでもいいましょうか。何年か続けるとけっこう面白いのでは。昨夜からの強風と雨で段ボール製のドームが壊れていたのは可哀想だった。しかし学生諸君、いつものように楽しんでいて、よかった。大学を見に来た受験生とも話した。
 昨日のインタビューで得た情報がきっかけで、探していた建築家の連絡先が判明し明日会っていただくことになった。ちょっとした探偵気分だ。
 探偵といえば、最近こんな貸しスタジオを偶然見つけましたが、これって山口文象の自邸ですよ、ね、たぶん・・。どういう事情だろうか。ご存じの方いたら教えてください。

2003-10月12日(日)

 宿題2のためにインタビュー調査。成果大。謎が解けてきました。詳しくはいずれ。

2003-10月11日(土)

 「小学校空き教室利用プロジェクト」と呼んできた計画の完成お披露目会があった。少し具体的に書くと、PTA活動でも関わった近所の渦が森小学校。使っていない2教室を学校開放の一環として地域のスポーツクラブ(「あいあいクラブ」)の活動拠点に改造しようというものである。行政が予算をつけ、神戸市内のいくつかの小学校で実施されている。振り返ると1年以上関わったことになる。最終的な設計と監理は神戸市なので研究室では簡単な模型と図面で住民案づくりをお手伝いしたというかたちである。実施設計と現場に関われない歯がゆさその他、いろいろと思うところはあったが、まあなんとか完成。今朝は住民の方々が集まり、くす玉が割られ、みんなでお祝いをした。
 午後は大学。宿題2用資料、返却日が迫りコピー、その他。キャンパスは明日からの大学祭の準備中。

2003-10月10日(金)

 教育でふらふら。疲れて原稿はさっぱり。

2003-10月9日(木)

 3年生の課題のエスキス。まずは対象地区のマスタープランづくり。事務的、教務的ないろんな用事をこなしてあっという間に夕方。図書館で宿題2の資料探し。日土小学校関係のことで電話打ち合わせ。今年は四国の方々と一歩前進したい。ファン・ネレみたいにはいかないだろうけど、しかし少しずつドコモモ的実践をめざしたいぞ。慌ただしくしてると宿題1・2のことがふっと頭から消える。いかん、いかん。
 

2003-10月8日(水)

 午前中、学部ゼミ。論文を書くときの技術的な諸注意をする。資料はいつも『知の技法』のなかの一部。そもそも論文とは何か、一般的な構成、引用等の書き方のお約束などについて。それにしても、できてるのか、肝心の中身は。
 みんなで学食でお昼。後期から芸工大の非常勤で「コミュニケーション文化論」を担当のわたなう゛ぇさんと遭遇。
 午後は学科会議やら学生の相手やらバタバタと続き、7時半頃、大阪の山隈事務所へ。設計中の住宅の打ち合わせ。「できた」感のある現在の案とは違う道は本当にないのか。最後の悪あがきを試みる。こういうとき山隈君は粘るタイプ、僕は「できた」感のほうをいじるタイプ、だな、たぶん。夜中の2時まであーだ、こーだ。眠くてたまらなくなりギブアップ。高速を慎重に飛ばして帰る。ふらふら。

2003-10月7日(火)

 宿題2のために千里ニュータウンへ。幼稚園をひとつ、小学校を3つ、近隣センターを2つ見てきた。幼稚園と小学校にたいへん感激。いわゆる「高低分離」をおこなった学校である。敷地の特性を生かし、論理的に平面・断面を考え、素材とディテールを大きな設計思想との関連のなかで決める。そういった至極当然のことをきちんとおこなえば革新的な空間が生まれるということのお手本のような気がした。みんなこういった建物の存在は知っているのか?
 昭和40年前後の工事ゆえか老朽化が激しいのと、子供の数の激減(今日見たうちでは、最大時1700人が現在200人というところがあった!)による空き教室部分の荒廃が気にはなるが、別の用途を加えながらきちんと改修をすればとても面白いだろうと強く思った。それほど全体の構成が魅力的なのだ。それにしても、われわれの税金はどこに消えているのか。学校はどうしてかくもみじめな状態にあるのか。
 近隣センターはさびれてはいるが、こういった位置にこれくらいの規模で住居以外の何らかの施設があるべきだという論理的判断は正しいと改めて思った。問題は中身と仕組みだ。老人家族への給食サービスセンターや気の利いたカフェや本屋などに総入れ替えできないものか。今の若い人を投入したら上手に設計も運営もできそうな気がする。
 
住棟についてはあまり魅力を感じない。社会的なストックという経済的視点からは再利用を考える意味があるのかもしれないが、歴史的観点からはそれほど保存への意欲はわいてこない。むしろ、できることなら一旦リセットしてしまいたいという気持ちになる。住棟そのものの設計には学校等の施設におけるほどのエネルギーを感じない。
 帰ってきたら、さっそく昨日の種まきが芽をだしていて感激。
 最近見つけたオランダについてのページ。すごい。
 

2003-10月6日(月)

 宿題2関係の種まきをいろいろ。
 

2003-10月5日(日)

 午前中、下の子の幼稚園の運動会。終了後、「ああこれで幼稚園の運動会に来るのも最後だなあ(年長組なので)。時間のたつのは早いものだ」とひとり感慨に耽っていたら、見知らぬ若いお母さんが近づいてきて「ハナダ先生ですよね」とお尋ねになる。なんと前勤務先の女子短大の卒業生で僕の授業をとったかたでした。ゼミ生ではなかったけれど旧姓を聞くとなんとなく思い出した。卒業して10年ということだから赴任して最初の年くらいだ。レポートにほめて書いてあったのを憶えていますとのこと。彼女の子供は年少組。時間の早さをさらに実感した次第。帰ってから掃除、そして宿題1に呻吟。

2003-10月4日(土)

 家にこもって宿題。途中、大倉山の市立図書館へ。空振り。宿題1、少し書き始めた。最初の何枚かを何度も直しているうちに調子が整ってくるというのがいつものパターン。締め切りが早い宿題2はまだ全くだめ。
 図書館に行ったついでに三宮のあるお店に寄ろうとしたが、なんだか雰囲気が嫌ではいれなかった。どうしてああなんだろ。日本よさようなら、アメリカよさようなら、で?オランダよこんにちはですか(笑)?
 原稿の画面の下にメールの画面とインターネットのブラウザの画面をだし、3つのあいだを行ったりきたり。メールが来たらすぐに返事を書き送信。原稿に戻り、飽きたらいろんなページをのぞきに行く。子供は子供で忙しく、僕は僕でそんな家庭内下宿人状態。なので、家族とほとんど口もきいてないような気がする今日この頃。
 

2003-10月3日(金)

 非常勤校での設計の授業。ここは学生諸君の専用製図室がないので作業は家でやらざるを得ない。1週間で敷地模型をつくらせたら、家から自転車かなにかで運ぶためにかごにはいる大きさに切ってしまい、肝心の敷地部分を分割してしまったひとがいた。模型の作り方自体もみんなばらばら。互いの作業を見比べるということをしてない証拠です。学年ごとに専用製図室をもつ芸工大とつい比べてしまう。学生運動が起こってもいいんじゃないか。
 設計の授業はどこでやっても疲れ方は同じ。深夜、宿題原稿を進めようとするも頭が動かない。
 宿題1用の膨大な資料が届き感激と緊張と。


2003-10月2日(木)

 秋晴れの気持ちの良い日が続いている。
 後期担当の3年生の設計課題の出題日。本格的に後期の開始である。研究室前の廊下の向こうから賑やかな声が近づいてきたと思ったら、吉本剛さんの登場であった。彼には2年生後期の住宅の課題に加わっていただいている。相変わらず秋晴れにぴったりの笑顔です。
 簡単なレフェリー書きと入試関連の仕事で夕方まで時間をとられ、その後ゼミ室で学生の送別会。この春卒業したあと学部研究生として残っていた富下君が前期で研究生を終了し東京へ旅立つことになりました。活躍、期待しています。
 4年生は今日は卒業制作のテーマ申告。まだまだ変わるにしても、もっとアイディアを出せなくてはいけない、もっと瞬発力がないといけない。卒論の相談も今年は少ない。大丈夫か。
 『住宅建築』10月号、
編集者の仕事』(安原顕)、『日本語の外へ』(片岡義男)。ヤスケンの本は宿題用。編集についての本を集めています。『日本語の外へ』は数年前に筑摩から出ていたものの文庫化。気になりながら買っていなかったのですが、その理由がいいかげん。本を手にしたとき物理的になんとなく読みにくかったからです。それが文庫化されたものをぱらぱらやるとしっくりくる。不思議です。1行とか1頁あたりの文字数にでもよるのでしょうか。文庫本だと読む気になるっていう本、たまにあるような気がします。ちょうど今文庫新刊コーナーに並んでいるこれも文庫だと読めそうな気がしたけど、今日はやめた。
 ばたばたしているうちに、大阪の山隈事務所での打ち合わせをすっぽかしてしまった。ごめん。宿題原稿、進まず。マズイ。資料集めは灯台もと暗し。さらに種まきの段取り。

2003-10月1日(水)

 いよいよ10月。大学は後期の開始である。
 午前中は宿題用の資料探しで千里へ。収穫あり。急いで大学へ戻ってゼミ。卒計と卒論、いずれもまだ具体的になってないひとがほとんど。知識を蓄え、そのうえで深く考えること。それしかないです。それをさぼっては後悔だけが残るはず(自戒を込めて。えらく神妙だ)。