Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年9月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
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2003-9月30日(火)

 院生に手伝ってもらって大学の共同研究の報告書完成。無事提出。

2003-9月29日(月)

 院生に手伝ってもらって大学の共同研究の報告書づくり。

2003-9月28日(日)

 14日に亡くなった編集者・立松久昌さんとのお別れの会に列席。『建築文化』や『国際建築』などの編集部を経て『住宅建築』の創刊に参加され1983年から91年までは編集長を務められた。僕はけっきょく、きちんとお話をうかがう機会を逸してしまった。深い反省と後悔です。
 僕が書くようなものまで読んでおられ、その感想を鈴木成文先生経由で耳にしたりしていたのですが、そうなるとなおさら緊張してしまい、ちょっと足がすくんでしまっていました。一昨年の建築思潮研究所の忘年会でお目にかかり、やたらいろいろな方に引き合わせていただいたことが記憶に焼き付いています。おそれ多くも伊藤ていじ先生の『建築家・休兵衛』の書評を僕が『住宅建築』に書くはめになったのは立松さんの仕業です。宴会の前に編集部でその本をくださり、お礼を言って新幹線で読みながら帰った。すると数日して家に電話。書評を書けと例の江戸っ子言葉でまくしたてられたのでした。
 当事僕のところの院生だった波多野嬢(現・住宅建築編集部)の就職のことでもお世話になった。彼女が東京で立松さんの面接を受けた場所は、「昼間っからビールの飲めるのはここなんだよ」とかなんとか電話で言われて指定されましたと後日教えてくれたことも懐しい思い出。しんみりとなる気分をアイシオールの皆様と共有しかつバカ話で吹き飛ばして新幹線に飛び乗った。
 

2003-9月27日(土)

 大学の図書館と神戸市立図書館へ。資料集め。研究室に置いていたある雑誌をまとめてもって帰った。宿題1のひとつの資料。やっと頭が動き出した。もう一つの宿題2もアイディアが少しわいてくる。どうしてもっと早くからできない!
 『書物の近代』(紅野謙介)。宿題1の遠回りの資料。

 芸工大でも学生による授業評価をおこなおうということで、今年度はそのための試行期間。前期、僕の「建築空間のデザイン」という講義も実験台になりました。今日その結果が届いてたけど、学生諸君にはけっこう好評のようで一安心。「もう少しはっきりしゃべってほしかった」等のご指摘は今後できるだけ改善します。
 格好良く言えば、建築を語るメタ言語をいろいろなレベル(モノ、空間、ビルディングタイプ、プログラム、etc)で紹介しているというような内容です。たぶん学生諸君は、少し見通しが良くなったり、地図を手にしたりした気分になることができているのではと想像します。建築山に登るための最低限の装備を身につけてもらおうというつもりです。この授業の内容を活字にするというのはさぼったままの宿題。マーケティングはもういいから、早く商品をつくらなくっちゃというわけですね(笑)。うちでもやれという大学あれば連絡ください。宣教師はいつでも布教に参ります。

2003-9月26日(金)

 朝刊の新刊広告でタイトルを見つけ、ついにこういう本がでたかと妙な感慨に浸り、こりゃあ売れるだろうなあと次に思い、非常勤校からの帰りにさっそく買ってしまったのが『ケータイを持ったサル』。著者は京大霊長類研の正高信男さんという先生だ。ホームページを見ると、著作リストの「その他」にあげられているものを集めた内容と想像しますが、ともかく「ケータイを持ったサル」というネーミングは強烈です。もちろん現代の日本人がサルに似てきたという話なんですが、その前に、サルは人間に近いと思っていた僕らの先入観が見直しを迫られるところがミソ。つまり、いまの日本人がいっそう人間から遠くなって話が盛り上がるという仕掛けですが、通り一遍の記述も各所にあって、ちょっとキワモノの香りがしなくもない。なにしろ最後は「中学校・高校のカリキュラムをはじめ、社会活動としての保育活動への参加を奨励することが大切だろう」で終わってるんだから!僕は自分の子供ができるまで小さな子供と接する機会なんか全くなく育ちましたが、ケータイをもってません(笑)。

 ちなみにオランダでは、電車の中や通りでケータイを使っている人は見かけはしましたが日本ほど多くはありませんでした。中高生がみんなもっているなんて光景はまったくないわけです。公衆電話はいっぱいあるし、使っている人もよく見かけました。若いはじけたおネー
ちゃんたちが得意げに大きな声で喋っているのは何度か見たけど、「あ、いた」っていうていど。ケータイでメールを打っているという姿は全く見なかったです。それだけ少ないということでしょう。電車の中では、みんな分厚い本や新聞を静かに読んでました。

 宿題原稿用の資料の本がネットで探した古本屋から届いた。便利だ。

2003-9月25日(木)

 大学へ。こんなコンテストの審査、学科会議、学内の某委員会で7時半までかかってしまう。うう。

 部屋に戻りメール等をチェックしてたら青木君が掲示板に熊楠コンペの感想を書き込んでくれているのに気がついた。ふむふむ。ありがとうね。

 『10+1』のウェブサイトに八束さんの書評がたまっているのを見逃していた。ちょっと久しぶりの八束節。言葉が暗闇を切り開いていく相変わらずの力強さ。僕(ら)はこれを栄養にして育ちました。
 『オランダモデル』(長坂寿久)、『オランダにみるほんとうの豊かさ―熟年オランダ留学日記』(角橋佐智子・徹也)。行く前に読め!っちゅうねん。

2003-9月24日(水)

 大学へ。入試関係の仕事と教授会など。ああ、後期が少しずつ始まるう。
 熊楠コンペの結果はもう皆さんご存じの通りかと思います。僕も院生諸君とあーだこーだ言いながら見ましたが、おおこれは!という案があまりないと思うんだけど、どうですか?というか、え?!こんなあたりまえのプランが、と言わざるを得ない案も入選していて驚いています。学部のしかも低学年の学生が考えそうなプランもありますよね。敗者の弁でしかありませんが、でも、いいんですかねこんな結果で、と言いたい。ちなみにわれわれの案はこれ。院生村山君が自分のページにアップしているので拝借。中家君、花田研のホームページにも早く載せて(業務連絡)!
 『反=文藝評論』(小谷野敦)、『ユリイカ』9月号「ブックデザイン批判」。前者は小谷野の新刊かと思ったら6月にでた本だった。小谷野ファンとしては、いけないいけない。「村上春樹を「もてない」男はどう読むか」が帯のコピー。相変わらずのひねくれぶりがとてもいい。
 オランダ雑記を書きたいのですが、宿題が気になって・・。
 芦原義信さんが亡くなりましたね。僕が東大の3年生のときが最後の年で、ホールの設計課題かなにかで黒板によくわからない音線図を書いていろいろ説明しておられる姿と、その年の4年生の卒計賞がやたら多かったことが印象に残っている。『外部空間の構成』や『街並みの美学』は授業で必ず紹介しています。

2003-9月23日(火)

 昨日は4年生のゼミをした。卒論の進み具合のチェックだ。進んでいる・いないという問題以前に、論文を書くことへの気迫が感じられなかったり、今ごろになっても思いつきのような話をしている諸君が若干いることを大いに危惧した。N大学4年生の来訪もうけた。こちらも卒論がらみ。僕が知っていることはお教えした。このうえに何か新しいものを組み上げてほしい。
 本日は夏にのび放題になった草刈りをし家の中の掃除をした。涼しくなってきた。夏が終わる。夏休みの宿題は終わらない。嗚呼!

2003-9月22日(月) オランダ

 自宅のパソコンの不調により、更新がずいぶん遅れてしまいました。オランダへ行く日の前夜、急にエラーが発生しウンともスンともいわなくなり、縁起でもないなあと思いつつ出発。旅先で、同行のH大学S先生がマックのエキスパートであることが判明し、帰国早々にお招きしシステムの入れ替えなどをやっていただいた次第でした。

 というわけで、8日から15日(16日午前関空着)までオランダへ行ってました。オランダは実に院生のとき以来。今回はちょっと変わったメンバーで、この日記によく登場するH大学S先生と彼の同僚のN先生との旅。S先生はインドネシアを中心にした国際関係論、N先生は都市政策論などが専門というわけで、違う分野の方々との旅の面白さを満喫したわけでした。
 S・N先生が先発し、N先生と2日重なりながら彼の帰国前に僕が加わるというスケジュールで、前半は土木・港湾・再開発関係を主に見ておられ、僕が加わってからは主にモダニズム建築を見てきました。詳しく書き始めるときりがないので、とりあえず見たものを列挙してみましょう。8日から10日までがアムステルダム泊、11日から14日まではデルフト泊です。

● 8日:夕方、アムステルダムのスキポール空港に花田着→ホテル→MVRDVの100戸の老人用集合住宅
● 9日:クレーラー・ミーュラー美術館(アーネム近郊)→シュレーダー邸(ユトレヒト・外観のみ)→ユトレヒト大学(エデュカトリアム、ミナエルト・ビル、経営・経済学部棟)
● 10日:オープン・エア・スクール→モンテソリ小学校→(すぐ近くのデ・ヴィンケル・ファン・ナインチェ=ミッフィーのお店を発見しS先生買物)→オリンピックスタジアム横のシトロエンのショールーム(正式名称不明)→エーヘンハールトの集合住宅→Architectura&Natura書店
● 11日:ユトレヒトへ→(ブルーナさん関係の有名スポット)→シュレーダー邸(内部見学ツアーに参加)→アムステルダムの本屋→ホテル→デルフトへ移動
● 12日:デルフト工科大学図書館、バケマのコンフェレンスセンター→docomomo.nlに関わった若い建築家L氏と会う→デルフト工科大建築学科へ、docomomo.nlの事務局のあった部屋へ、感激、資料収集。→ロッテルダムへ→ピエト・ブラム(傾いたキューブの連続するあの集合住宅)→NAI→クンストハル→キーフフーク集合住宅
● 13日:昨日の建築家L氏の案内で、ファン・ネレ工場へ。彼が前勤務先の事務所で改修の設計に従事した。工場全体がデザイン系のさまざまなオフィスに変貌していてびっくり。じつにじつに見事な改修である→スパンンゲン集合住宅→L氏や彼の友人たちとヒルヴェルスムへ→同じくL氏が関わって見事に改修されたゾンネストラールへ→ユトレヒトで食事(偶然、ブルーナさんゆかりのカフェ・オーロフの向かい)
● 14日:デン・ハーグへ→ハーグ市庁舎→ダウカーの旧・技術訓練学校(スヘヴェニンゲン)→ヒルヴェルスムへ→市庁舎→ホーイラントホテル→ロッテルダムへ→カフェ・ユニ→NAIの近くのブリックマンの住宅→タイエンのヨットクラブハウス、メカノの住宅等落ち穂拾い→デルフトへ
● 15日:ホテルをでてスキポール空港へ。二人とも買い込んだ本で荷物が重い。特にS先生は大変なことになっていた。チェックインを済ませ身軽になって最後のあがきでアムステルダム市内へ。僕は国立博物館へ飛び込み、30分!でレンブラントとフェルメールを一応見た(ことにした)。S先生と合流、空港へタクシーをとばし飛行機に駆け込む。


とまあ文字で書いただけではよくわからないと思いますが、1週間の旅にしては実によく動いたし、貴重なものも見ることができたと思っています。オランダはサマータイム中で、夜の8時頃までは十分写真が撮れました。朝9時前にはホテルを出、夜9時頃帰ってきてレストランを探して食事。散歩して11時頃ホテルに戻り、シャワーを浴び日記を書いてバタンキュー。ああ、よく働きました。
 とくにファン・ネレ工場とゾンネストラールの改修を見ることができたのは大きな収穫。しかも設計に関わったひとの案内で。まだ日本ではほとんど紹介されていないのではないでしょうか。docomomoの活動が、すでに具体的な実践のレベルで稼働している様子を目の当たりにしました。詳しくはいずれ大学でのスライド会等で。

 オランダという国そのものにもたいへんに魅力を感じました。ダッチモデルとかオランダモデルとか呼ばれ、先進的なワークシェアリングなどで日本でも話題になっているのはご承知の通りです。なにしろ計画的にきちんと頭をつかって環境が作られているということに感動と羨望を覚えました。ごくふつうの服装で頑固一徹の自転車にまたがり街を走り回るひとびと。おとなの国です。


運河沿いの美しい住宅と虹/どこへ行っても集合住宅/みんな自転車!


トラム(市電)と歩行者が入り乱れます/アムステルダム駅前の自転車置場/ リートフェルトの直線


ユトレヒト大学ミナエルト・ビル/エデュカトリアム/オープン・エア・スクールの図工室


Architectura&Natura書店/自転車置場/ミッフィー様(ユトレヒト)


充実したNAIの図書室/デルフト工科大学、バケマのコンフェレンスセンターの大迫力/ ファン・ネレ工場の見事な改修


ダウカーの旧・技術訓練学校/風車/どこにも高低差がありません!

2003-9月7日(日)

 建築学会の大会で中部大学へ。卒業生との発表と司会のお仕事。

2003-9月6日(土)

 梅干し屋さん、ついに開店!僕も山隈君と行ってきた。この春、僕の研究室をでて山隈事務所にいる伴さんもいっしょ。彼女が実施図面をかいたのであった。
 大変賑わっていました。スタッフの皆さんもとても嬉しそう。スタッフの女性陣5人が絵画や花や小物の作品を持ち寄り、展覧会も同時開催。空間全体がお店でもありギャラリーでもあるという設計意図を上手に活用していただいていて感激。家具レイアウトもとてもよかった。販売員の募集に対してもかなりの応募があったとか。こういう試みが地域のどういう人材を掘り起こし、どういうネットワークをつくるのか興味深い。誰かの卒論でやってもらおうかな。いずれにしてもスタッフの皆さんはこれからが本番。末永く繁昌しますように。

2003-9月5日(金)

 某宿題のための東京出張、急に中止。かわりに届いた資料読み、他。

2003-9月4日(木)

 大学へ。いくつかの書類を出し、院生と修士設計の話など。ゼミ旅行では、新潟からの帰りの運転を院生に任せたのでそんなに疲れていない。他人に運転してもらうのがこんなに楽だとは。これまではぜんぶ自分でやっていたが、なんてバカだったんだ(笑)。

 鈴木成文先生の『文文日記 日々是好日氈xが教員に配られていた。芸工大の学長を退かれたあとの2002年4月から2003年3月までの日記である。学長時代よりもっと飛び回っておられる様子が驚異的である。果たして自分はこんなふうに歳をとれるだろうか。
 『住宅建築』9月号も届いていた。アーキフォーラムの林昌二さんと平良敬一さんの回のレポートを書きました。「内田祥哉 自宅・42年の時」という特別記事が読み応え、見応えがある。

 オランダ行きのための買い物あれこれ。一番悩んだのが写真をどうするか。結局はスライドとデジカメの2本立てという結論にしかなりません。データを落とすためのパソコンも要るし、荷物が増えるだけのことなのに。愛用のコダクローム64をひと山買ってきた。しっとりとした質感がいいんですよね。パッケージは新しいデザインになっていた。このフィルムは無くなるという噂も聞いていたので一安心。

2003-9月3日(水)

 1日から今日まで、越後妻有アートトリエンナーレにゼミの学生諸君と行ってきました。作品のレベルはかなりばらついていて、学園祭かと言いたいものもずいぶんあったように感じました。
 そのなかで、初日に泊まった「夢の家」とそのすぐ近くにある「収穫の家」はとてもよかった。「夢の家」は怖くてとても泊れないのではと小心者の私は心配していましたが、大丈夫でした。というのも、夜になって外が暗くなると例の赤や青の無気味な色は消えてしまうんですね。で、裸電球の光のふつうの部屋になる。窓ガラスにそういう色がつけてあるだけだから当然です。棺のような例の「ベッド」も意外に心地よい大きさでした。ねずみ男の着ぐるみのような服を着て寝ることになっているのですが、それもけっこう楽しくて、なんとも不思議な体験でした。「収穫の家」はともかくかっこよかった。言葉にはうまくできませんが、プロの仕事ということです。取り急ぎ。