Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年6月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2003-6月30日(月)

 梅干し屋さんプロジェクト打ち合わせ。実施設計図の内容の了承を得た。いよいよ見積もり依頼。今日は包装紙やパッケージのデザインにも議論が及ぶ。こういうのはなかなか難しいけど、皆さんの思いをそういう細かなもののデザインにも貫徹できているかどうかが勝負だと力説。
 大学へ。院生と熊楠コンペの打ち合わせ。一昨日のアーキフォーラムは、飲み会解散後、一部の猛者の方々でさらにすごい飲み会があったとの報告を、それにお供をし朝帰りとなった学生2名から受けた(笑)。その後リクエストに応じ、自分の学生の頃の建築学科の様子などを喋る。
 早くも夏ばてか。夕方になると一時どっと疲れがでる。
 最近の本。『日本の美術 No.446 擬洋風建築』『ジャック・タチ』『軍艦島』など。ちなみに、軍艦島については、かつて東京電気大の阿久井喜孝先生らがまとめた『軍艦島実測調査資料集』の復刻運動がこここういうところでおこなわれている。廃墟と化す前の壮絶な暮らしぶりを記録したものとしては、奈良原一高の『人間の土地』(Libro、1986)という素晴らしい写真集があるが、検索してみるとこれも絶版らしい。なんてこった。僕は両方とももっているので見たい学生さんいたらどうぞ。

2003-6月29日(日)

 午前中は妻の実家の書庫増築工事のチェック。ほぼできあがってきた。小さなスケールが居心地の良い空間をつくっている。トップライトもうまくいった。建物の陰なので、半透明の波板1枚という納まりです。中央の本箱は中仕切をやめセンターに15mmの角材のみ。日土小学校の下駄箱のような透明感!自画自賛です(笑)。


 午後は、今月いっぱいで閉鎖予定の心斎橋プランタンへ。言うまでもなく設計は村野藤吾。上の子を誘い大阪へ。数日前の朝日新聞にも大きな記事がでましたね。今日も順番待ち状態なのにどうして閉じてしまうんだろう。こんな素晴らしい空間がこの世界から消える。信じられません。明日の22時まで!

はいってすぐのとこに並ぶ動物パンの1匹。今日はスヌーピーとドラえもんを買いました。

2003-6月28日(土)

 オープンキャンパス。AO入試のエントリーシートの配布も始まり大忙し。高校生といろんなお話。

 夕方、梅干し屋さんプロジェクトの看板の原寸パネル等を積み車を大阪へとばす。平良敬一さんのアーキフォーラムへ。つくってこられた多くの雑誌については、以前、僕もインタビューをしたことがあったが、今日はむしろ随所にちりばめられたメッセージが印象的。「(本や雑誌を)読まない建築家はだめですよ」「つまんない雑誌ばかりを読んでいるやつを見ると腹が立つ」「『住宅建築』を創刊させたときは建築家によって支えられた世界から飛び降りた」「建築や建築史を市民のためのものにするには特別の努力がいる」「われわれの住む世界はたくさんの個人の複合体。ゆえに、建築家個人の表現を超えた建築が必要」などなど。終了後の飲み会では山田脩二さんと岩為さんも交えた建築写真談義や業界裏話で盛り上がる。

 さらに山隈君の事務所に寄って日付けが変わる時間まで打ち合わせ。梅干し屋さんプロジェクトの看板や家具について。看板はさらに改良のアイディア。充実の一日でふらふら。

2003-6月27日(金)

 梅干し屋さんプロジェクトの看板の原寸での実験。下の写真、なんだかわかります?梅干しドットによる錯視利用というアイディアなのです。

2003-6月26日(木)

 早朝、妻の実家の書庫増築をチェックして大学へ。「棚」がいっぱいある空間っていいなあ。
 
院生と熊楠コンペの打ち合わせ。けっこういい案になってきたぞ!やってるかたも多いと思いますがいかがですか。 梅干し屋さんプロジェクトの看板、某女性アーティストとちょっと打ち合わせ。僕の研究室の学生にも手伝ってもらうことにする。ゼミ生の卒論の相談1件。その他いろいろと打ち合わせであっという間に夜。

 「メイのアメリカ日記」がどんどん送られてきます。更新が追いつかないほど。最近はアメリカ文化論も登場するようになってきました。

2003-6月25日(水)

 2年生向け講議。建築をつくることとつくらないこと。
 環境デザイン学科の特別講議。今日はランドスケープアーキテクトの三谷徹さん。とても面白かったです。風景のデザインの決定プロセスについて明晰かつわかりやすい講議。18時からは学内の委員会。ゼミ生の卒論の相談1件、というか、こちらから無理矢理に別テーマを提案。

2003-6月24日(火)

 学部ゼミ。いろいろな事情で今日は欠席多し。みんな卒論は大丈夫かあ。
 『もうみんな家に帰ろー!』『遊ぶ日本語 不思議な日本語』『戦争遺跡から学ぶ』。

2003-6月23日(月)

 梅干し屋さんプロジェクトの看板を某女性アーティストに無理矢理検討を依頼した。
 『対論・空間表現の現在 建築をめぐる30人との知的冒険』が出版社から1冊送られてきた。ここに書いたからではないでしょう(笑)。

2003-6月22日(日)

 以前住んでいた東灘区の鴨子ケ原地区(甲南病院の北西のあたり)の住宅地については、昭和30年代に兵庫県によって開発された経緯等を調べたことがあるのですが、そのときからずーっと気になっていた住宅を、今日、やっと見学することができました。先日知り合った近くに住む阪大院生M君のお陰です。吉村順三の「浜田山の家」ってありますね。あんな感じ。はねだしたコンクリートスラブの上に綺麗な木造の切妻の箱が乗ったモダニズム住宅。建築家の御自宅でした。素晴らしかったです。しっとりとした空間の質、周囲の風景の取込み方、シンプルな暮らしぶり。感激しました。

 妻の実家の書庫増築工事も進んでいる(4畳ほどの大工事だ、笑)。もともと半透明の波板を乗せただけの倉庫だったのですが、床・壁ができてき屋根がそのままの様子を見ていると、半透明の波板を同様の素材に新調し、予定していた屋根と天井は中止し、このまま光の筒のようにしてしまおうかという気分になってきた。こんなちっちゃな工事でも考えることはあるものだ。

2003-6月21日(土)

 わが家の近くで工事が進んでいた前田由利さん設計の草屋根の家が完成し、今日はオープンハウス。先日工事中の様子を見せてもらったゼミ生もできあがりを見にやってきた。なにしろ4軒向こうなので、僕もサンダル履きで何度ものぞきに行きました。ずいぶんたくさんの見学者。H大学S先生も御家族で登場。他人事ながら、建物が完成し、多くの人たちに祝福されている様子を見るのはとても気分の良いものです。これから草屋根がどんなふうに成長していくのか楽しみです。

2003-6月20日(金)

 夜は大阪の日建設計へ。社内の講評会のようなものに呼んでもらった。大袈裟な催しではなくて大学のゼミのような会。参加者は僕の世代かそれより若い人ばかりで10数人。設計中の某学校建築についてみんなが意見を言い合う。僕はそれに加えて日土小学校等のスライドで短いレクチャーを依頼された。92年の3月に辞め、7月までは残務整理で通っていたが、そのあとは一度も社内にはいったことはなく、今日は約10年ぶり。自分がいた設計部のフロアにも行き不思議な気分に浸りました。50mクラスのビルが建ち始め景観の変わってきた夜の御堂筋も新鮮。
 『数学脳をつくる』『(癒し)のナショナリズム』。

2003-6月19日(木)

 梅干し屋さんプロジェクト打ち合わせ。大筋決定。あと1週間ちょっとで実施をまとめる。このプロジェクトを企画されているのはこういう組織。そのなかのここが梅干し関係です。住宅地に潜む女性のパワーを引き出したいという考え方は、まさに以前青木君とやったサバーバンステーションプロジェクトと同じだあと感激し、お手伝いすることにしたわけです。お店はJR住吉駅から有馬道商店街を北へ1分。9月オープン予定。応援してくださいね。
 大学であれこれ。4年生のひとりと卒論の話。ほかのひとはいったいどうなってんの!相談が少なすぎると思うけどだいじょうぶなんだろな!

2003-6月18日(水)

 梅雨にはいって雨続き。
 2年生向けの講議。ビルディングタイプについての2回目。学科会議、教授会。芸術工学フォーラムでは鈴木成文先生が台湾の震災復興の一環としての学校建築の状況を報告するレクチャー。そのあと他学科のM先生の訪問をうけ古い建築雑誌についてのお話。
 『対論・空間表現の現在 建築をめぐる30人との知的冒険』という本がでました。古山正雄さんが30人の建築関係者におこなったインタビュー集。もともとは雑誌『hiroba』での連載で、それを1冊にまとめて京都造形大通信教育部の教科書とし、さらに角川学芸出版が一般書店に出回る本にしたもの。僕も登場しています。しかしまだ現物は届きません。本屋で「あ、でてる」と思っただけ。版元の方へ。コピーのコピーのような出版だけど、1冊ぐらいはいただけますよね?
 『CASA BRUTUSU』が「30分で鍛える現代建築力」という特集を見てて思ったこと、ひとつ書き忘れてました。それは最近注目されるいくつかの建築がファッション関係の企業だということで、この特集でわざわざそういう言い方をしたページもありましたが、ルイヴィトンとかプラダとか、どうなんでしょ、そうすると今の建築学生さんたちはこういった建物を見に行きますよね、やはり、ルイヴィトンとかプラダとかを、どうなんでしょ、えー、僕にはまったく縁のない世界ですが、ルイヴィトンとかプラダとか、正直言ってそれぞれが何なのかもよくしりませんが、せいぜいで開店まえにすごい行列ができたとかいうニュースを聞きそこに集う人びとに懐疑的というか侮蔑的というかそういった眼差しを注ぐのが関の山で、もちろん建築表現とその中身とは分けて考えていいとは思うけど、建築学生さんたち、そういうのってしんどくないのかな、精神的にきつくないのかな、困ってる奴いないのかな、どうなんだろ。(建築学生さんたち向け限定の田舎もんからのギモンです)

2003-6月17日(火)

 院生とコンペの打ち合わせ。名案にいたらず。学内の雑用。

2003-6月15日(日)

 子供の小学校の日曜参観日。公立の学校が週休2日制になって土曜日の実施ができなくなり、働いている人用の日曜参観日。6年生の子供のクラスの歴史と国語の授業を見たが、とても上手な授業で感心した。歴史は平安時代の貴族の暮らしぶりを、当時の美人の基準と寝殿造りとの関係等から説明し、国語は標準語と大阪弁の比較から日本語の構造的な特徴を考えるもの。子供たちは見事に授業に引き込まれている。大人も十分楽しめました。
 この先生は国文学・国語教育が専門で研究活動もやっておられる。平日の参観日には、親も楽しめるような「国文学概論」と銘打った授業をやってもいる。なにより、先生が楽しそうに喋っているのがいい。 そのあとPTA主催の講演会。講師は香山リカさん。PTAの役員の方からのリクエストがあり、同僚権限を濫用してお願いしてしまった。スミマセン。体育館は満員。

 『CASA BRUTUSU』が「30分で鍛える現代建築力」という特集を組んでいる。「現代建築」にすっかり疎くなっているので、お勉強と思って眺めている。そもそも「現代建築」とはなにか。「現代」は常に今でしかないわけだから、まずその定義がいりますよね。その疑問には五十嵐太郎氏が答えていて、「ポストモダンから現代建築への転回点」は「ドミニク・ぺローがパリ国立図書館のコンペでガラスの塔だけが4本立つアイデアで優勝した時」でそれ以降、1990年代からこっちが「現代建築」とされている。
五十嵐太郎記事の右ページには漫画「10秒で分かる現代建築」(花くまゆうさく)があって、「パリ国立図書館」の登場と「ウンチク建築家」への決別宣言が描かれている。「ガラスだけの」ってとこだな、ミソは。「だけ」=「ウンチクのなさ」。ガラス建築を見たおやじが「パンチラ」に気をとられるのは僕と同じ。必要なのは「パンチラ」を語るちゃんとした「ウンチク」、やっぱりそれだなとあらためて思う。
 ところで花くまゆうさくさんって有名なかたなんだ。われながら何にも知らんなあ。以前、山隈直人君と、共同設計するときはハナダとヤマクマだから「はなやま事務所」(僕が子供の頃のテレビ番組「素浪人花山大吉」からの連想。ふ、ふるい)とでもする?なんて笑ったことを思い出した。「花くま事務所」のほうがかわいいな。SANAAならぬ「HAYAA」も考えたけどしまらない(笑)。

 『日本の軍隊ー兵士たちの近代史ー』『バカの壁』『少年カフカ』。『日本の軍隊』はとても面白い。多くの貧しい人びとにとって「軍隊」とは何だったかということへの想像力を与えてくれる。後2冊は話題になってますから・・。以前、ある雑誌の原稿のタイトルに「バカ」という言葉を使ったら、その特集のまとめ役から書き直しの指示があったことを思い出した。

 「こんどこそ」版を書いている。なかなか進まない。もらい手はあるのか・・。 「メイのアメリカ日記」更新。

2003-6月14日(土)

 芸術工学会の春季大会が芸工大であった。吉武泰水先生の追悼ということもあって、この会のために用意されていた原稿がお孫さんによって代読され、神戸芸工大での吉武先生のスナップが映し出された。杉浦康平さんの講演でも、すべてを包み込むような吉武先生の人柄について語られた。

 『職員会議に出たクロ』。犬好きの私にはたまらない本を見つけてしまった。しかも舞台は長野県の松本深志高校。「しかも」の意味がわかるひとは少ないだろうな(トーぜンですが)。実は、私は長野県の県立高校ファンなんです。「実は」なんていうのも変ですね(笑)。高校生の頃、受験雑誌や通信添削のランキング表で「松本深志高校」や「諏訪清陵高校」という名前を知り、その余りにも美しい名前に感激し、日本アルプス、澄んだ空気、自由な雰囲気と清純な乙女、そして『どくとるマンボウ青春記』などのイメージが重なり、僕の中ではずーっと偶像化されているんです。へんですね。

 担当の実習が終了し、やっと「こんどこそ」と名前のついたファイルを開いている。

2003-6月13日(金)

 復活。今回はえらく効きがよかった。

2003-6月12日(木)

 昨年来信頼している漢方併用の女医者さんのもとへ。点滴、抗生物質、鼻関係の漢方薬。少し立ち直ってきた。待合い室で『「愛国」問答』読了。香山リカさんの福田和也への食い下がりと「左」ぶりがよかった。

2003-6月11日(水)

 2年生向けの講議。今日からビルディングタイプとかプログラムとか。今日は、自分ではほとんど使わないくせにコンビニの話。課題が終ったばかりなのでスタート時点の出席率は最悪。そのうちじわじわ集まってきて終わりの頃にはいつもくらい集まった。

 午後は建築家・石井修さんの特別講議。もう81歳くらいでしょうがお元気でひとりでいらっしゃった。到着がぎりぎりだったのですが、講議の冒頭でそのことにふれ、「今日はお天気がすごく良くて、わが家は緑に囲まれているんですが、少年のように輝くその新緑を眺めながらお昼を食べてちょっと休憩していたら、そんなつもりはなかったんだけど寝椅子に横になっているうちについうとうとと眠ってしまって、まだ行かなくていいのって言われてあわててとんできたんです」なんていう感じの言い訳をされたのが可笑しかった。

 夕方から学内の某委員会。
 ここ数日風邪っぽく、昼間身体が猛烈に重く、夜はついに微熱が出てダウン。身体全体がどよお〜んとしている。ここしばらく私にしてはなんだかんだあってちょっとお疲れですな。布団の中でどういうわけか『若き数学者のアメリカ』を読了。引き続き『「愛国」問答』を読んでるうちに眠っていた。(12日記)

2003-6月10日(火)

 2年生のデザイン実習、最終講評会。この学年は人数が多く、全員の講評に1時から7時過ぎまでかかりました。つ、つかれたあ。しかし全体としてなかなかよい出来だった。担当者としてはひと安心。この2か月、ものを考えた学生とそうじゃなかった学生とで、残酷なほどに差がついている。

 同潤会青山アパートの解体現場でこんなことがおこなわれている。お里が知れるとはこのことだろう。マグナムへの冒涜でもある。街づくりに対する見識の不在。そのかわりのお手軽と無責任。ここはどんなページにするんですかね。

 メイのアメリカ日記も更新してます。「ファミリー」写真は、またまたアメリカ的。

2003-6月9日(月)

 梅干し屋さんプロジェクトの打ち合わせ。9月オープンです。急げ急げ。
 書評原稿完成。
 『「愛国」問答』『豊かさの条件』『日本の軍隊』購入。『豊かさの条件』は、 暉峻淑子さんの『豊かさとは何か』の続編。『何か』の方は余りにも有名。学生諸君は必ず読んでおいてくださいね。

2003-6月8日(日)

 次の住宅の打ち合わせ。クライアントの現在のお住まいに山隈君といっしょにお邪魔した。一昨日考えた案の図面と模型で説明。こちらの意図も十分に理解してもらえて(たぶん)、楽しい打ち合わせだった。先方には高校3年の息子さんがいて建築系の大学を志しそうな気配である。先方のお父さんは僕がそそのかしたと苦笑しているが、そんなことはありませんよ。

 このお家でもそうだけど、住宅のプランを考えるとき、やはり自分の住まいがひとつの手がかりになる。スケッチをするときは、わが家「渦森台ハウス」の100分の1の図面を脇においてスケール等を確認する。
 すると頭が別のほうに動きだし、わが家の別案はなかったのかとか、今後の改造案のスケッチが始まることがときどきある。
 別案のスタディってのは、これがちょっと怖いんですね。つまり、もっと良い案を思いついたらどうしようと思うから。こんなことを言うと、あの家よりもっといい別案なんていくらでも思いつくよと笑われそうですが、自分ではそういうふうにはなかなかならない。
 と、と、ところが、今日は打ち合わせに行く前にこちょこちょやっていたら、あらら、こういうのあったかもという案が書けてしまったんですね。
 困りました。 気になって気になって仕方なくなり、いささか落ち込み、そのことを言って山隈君に笑われ、で、帰ってきてからこの憂鬱な気分を脱しなくては、人生もっと積極的にならなくっちゃと、そのイメージを現状の改造案に取り込むべくあれこれ考えていると、あらら不思議、これまで悩み続けていたわが家の次のステップの案がさらさらと書けるではあ〜りませんか(チャーリー浜調で)。おおすごい、これだこれだと感動し、これなら朝考えた別案よりかっこいいぞと舞い上がり、その「出来た!」感にとっても興奮してしまった僕でした。これなら早くやりたい、ああこういうふうに一気に改造してしまいたいと、むずむず。実現したらもう一回発表したいなあ、なあんて調子いいこと思ったり。いやはやなんともお恥ずかしい。でもこういう小羊のような心の揺れが設計者には大切なんだ、と、自分で自分を慰めた。

2003-6月7日(土)

 博多へ。美術系の大学を集めた入試説明会。ファッションデザインの勉強をやろうと思っている男子高校生がなかなか面白かった。
 新幹線の中で『ヒルサイドテラス物語 朝倉家と代官山のまちづくり』。35年をかけた街づくりの背景がよくわかる。ここには、青山の同潤会アパートを破壊しておこなわれる建設行為からは微塵も感じ取ることのできない地主と建築家双方の「見識」がある。

2003-6月6日(金)

 レポートのチェック、書評書き。夕方から次の住宅の打ち合わせに山隈君の事務所へ。深夜1時半までやって、3案でた。けっこういいぞ。がらがらの高速を飛ばして帰ってくる。ふ〜。

2003-6月5日(木)

 午前中ゼミ。これからしばらくいろいろと行事が多く、連絡事項だけでお昼になる。みんなで学食へ行き、午後から4年生の卒論の個別相談。2時40分からは2年生の実習。最後のエスキス。いろんな電話。夕方から再度4年生の卒論の相談。いろんな電話。大学でおこなう某企画の打ち合わせ。その後、再度4年生の卒論の相談にのり、21時頃終了。ふー。

2003-6月4日(水)

 2年生の講議。意味の問題最終回。いろんな建築家の名前やデザイン思想のキーワードを解説。デザインを考える手がかりにしてほしい。午後は学科会議。
 夕方からは、明日から兵庫県立美術館で始まる安藤忠雄展のオープニングへ。すごい数のひとでした。600人以上いたんじゃないかな。あの広いエントランスホールが、文字どおり立錐の余地が無い状態となった。僕の知っている建築関係のひとはほとんどいなかった。かろうじて大学教員1人と建築家2人に会ったのみ。そんなことも含めいろいろと新鮮でした。
エントランスホール の様子。柱のすぐ右の遠くの人物が安藤さん。

2003-6月3日(火)

 2年生のデザイン実習のエスキス。あと1週間。いよいよ大詰めである。
 ゼミ室の扉をあけると見慣れぬ家具にぶつかりそうになった。いったいいつの間につくったんだ(笑)。今年のゼミ生には家具作り大好き男子と模様替え掃除片付け大好き女子がいるので、なんというか、可笑しいです。
 
夜中、住民のかたと「小学校空き教室利用プロジェクト」の図面について打ち合わせ。地域の方々も熱心である。
突然あらわれたタワー。

2003-6月2日(月)

 梅干し屋さんプロジェクトの打ち合わせ。お店のデザインとこの企画を立てている女性たちの単に梅干し屋さんをつくるんじゃないという思いとが重なってきた、ような気がする。行政側が書いた「小学校空き教室利用プロジェクト」の図面をチェック。

2003-6月1日(日)

 午前中は下の子の幼稚園の父親参観日。竹馬をつくりました。午後は妻が所用で外出し子守りと掃除に励む。
 夕方から「空き教室利用プロジェクト」について、住民の方々と小学校にて打ち合わせ。このプロジェクトの今の状況はというと、われわれの案をベースに行政が設計をしているということでして、明日その図面が出てくるのを前に、今日は再度住民側で案を見直そうというわけです。いざ日が迫ってくると、住民の皆さんにも当然のことながら迷いがでてくる。なんとか交通整理しスケッチをつくった。
 『続モダニズム建築の軌跡』(INAX出版
)読了。書評をかかなくちゃいけないんです。
 「メイのアメリカ日記」、定期的に更新してますので御覧下さいね。届く写真がどれも「アメリカ」って感じだから不思議です。