Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年4月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
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兵庫県立美術館で、神戸芸工大の教員による「環境デザインの新世紀」という公開講座が開かれます。5月から8月まで全10回。ぜひ御参加ください。
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2003-4月29日(火)

 快晴の休日。お昼はひさしぶりにここで。お薦めの店です。
 藤原正彦の『古風堂々数学者』が新潮文庫にはいったという広告を新聞でみて、さっそく買ってきた。なにしろ武士道精神を重んじる数学者だから、ときにはらはらする記述があるけど、僕は彼の論理とユーモアが混ざりあった文章が大好きで、文庫にはいると必ず読んでいる。あとがきに「人間には『自分のことを棚に上げる』権利がある」とあり、「威風堂々であれ古風堂々であれ、この世を卑屈にならず堂々と生きるには、この権利をひっきりなしに行使することがどうしても必要と思う」と結ばれている。賛成!  

2003-4月28日(月) 江戸岡小学校のこと

 八幡浜市日土地区公民館の「館報 ひづち」93号が送られてきた。日土小学校の模型による御縁である。そこに、「江戸岡 日土 小学校見学会」の大きな記事。江戸岡小学校の取り壊し決定をうけて、3月26日に愛媛県建築士会八幡浜支部が開いた見学会への参加レポートである。
 ちょっと驚いたのは、記事の書き手のかたが江戸岡小学校に初めてはいったと記しておられること。しかし考えてみると当然かもしれません。書き手は日土地区のかたです。ふつう、自分の子供の通う学校くらいしかはいりませんよね。八幡浜のかたなら日土も江戸岡も御存知だろうといつの間にか思っていた自分を反省しました。
 記事には、江戸岡小学校の醸し出す雰囲気が日土小学校と全く同じで、「心が共鳴する感じ」を覚え、両者は「兄弟というより双子」だと印象が記してあります。その双子の一方が、まさに息をひきとろうとしているわけです。
 そして、「この空間を体験した人たちが良さを理解できなかったのか、理解はしているけどこの校舎を放棄しているのか、いずれにしても疑問です」と取り壊しに疑問を投げかけ、「今回の見学会で、ここにも同じ学校があるんだなあ、と思うと同時にこの空間がなくなってしまうのかとしみじみとした気分になりました」とありました。
 こう書いているだけで、僕の気持ちも沈んでいきます。今学期かぎりです。

2003-4月27日(日)

●24日(木)午前中、学部ゼミ2回目。院生村山君にポートフォリオの作成テクニックについて話してもらう。この春修士を終えた岡村君や以前の卒業生のポートフォリオも見せる。こういうものは早めにイメージを注入しておく方がいい。次回までに読む宿題論文も配布。みんなでお昼御飯。午後は2年生の実習。敷地模型と敷地分析図の講評と次のステップの出題。模型等、みんなよくできている。今年の2年生は全員一斉に好スタートをきっている。
●25日(金)土肥先生と1年生22人を引率してヨドコウ迎賓館の見学。何度来ても内部のスケールの小ささは印象的。レポートってどんなふうに書いたらいいんだろうなあと悩む1年生が初々しい。
●26日(土)先週に引き続き3時間、近くの小学校の体育館でバドミントン。帰ってから庭の草むしり。からだを動かしてすっきり。自分が庭の草むしりをしている姿なんか思いもしなかった頃が懐かしい。

 さて、このところ雨が多かったが、本日は久しぶりに快晴の日曜日。次のクライアントと一緒に、以前設計したお宅見学と打ち合わせ。訪問先はリタイアされた御夫婦のお家ですが、じつに綺麗に使っていただいているのがとても嬉しい。さて今度はどんなことになるだろうか。
 アイシオールの多田さんから掲示板への書き込みによれば、青山の同潤会の運命もあと3日。実測記録作業を依頼されていると聞く理科大の大月研のホームページにもそんな書き込み。ほんとにいよいよなんだ。

2003-4月23日(水)

 「建築空間のデザイン」の講議の2回目。初めての実習で忙しい2年生だ。しかし講議の出席率はとてもいい。すごい。授業は前半のスライドを多くやり過ぎて後半のツリー図による分析の説明が駆け足になり過ぎた。ごめん。猛反省。来週補足するからね。でも取りあえず予定していたレポートは出題。習うより慣れろです。昼休みにはレポートについての質問をしてくる男の子もいて、いいぞいいぞ。 午後は今年の宿題を進める。
 似たようなことが続きます。今日は、僕がある建物を日記でとり上げていたことを検索で引っ掛けたと思しき見知らぬ編集者のかたからメール。キーワードを工夫しての検索は僕もやるし学生にも薦めているからまあ他人のことはいえませんが、不思議な気分。

2003-4月22日(火)

 「小学校空き教室利用プロジェクト」の打ち合わせ。地域の一員として行政側に案を説明。空き教室を今回やっているような地域スポーツクラブのクラブハウスにする計画は他校でも続くはずなので、良い事例となるようみんなで頑張りたい。
 2年生は敷地模型づくりを必死でやっている。スタジオへの出席率がとてもいい。材料は支給の段ボールなので、スタジオの空間が茶色に染まっている。頑張れ!

 『出版ダイジェスト』を作っている委員会のかたから、その入手方法等についてのアドバイスメールが届いた。事情を問い合わすと、そのサイトの運営上、リンク要請やらその結果やらをウオッチしておられるかたで、昨日僕が『出版ダイジェスト』にリンクを張ったために、僕のサイトから飛んできた人が何人かいることがわかり、この日記に辿り着き、メールをいただいたということらしい。この日記を読んでくださっているかたが何人かはいることの証拠ですね(笑)。
 また、もう一通見知らぬ方からメール。それは、以前この日記で紹介したある本の著者の研究室で、その先生を囲んでゼミ生やOBで合評会をやるというお知らせでした。著者はもちろん、メールの発信者も面識はない。たぶん本のタイトルで検索をかけて日記等でとり上げているひとへメールが送られたと想像します。ちなみに、Googleだと123件。十分全部をチェックできる。なるほどこの日記も引っ掛かります。便利な世の中であります。

 この春卒業したゼミ生のうち、就職が決まっていなかったひとりから朗報。おめでとう。頑張ってほしい。

2003-4月21日(月)

 大学院生とゼミ。今年は修士2年が2名、1年が1名と昨年よりこじんまりした所帯である。修論と修士設計について。テーマはそれぞれ観覧車と美術館に落ち着きそう。
 M2・新宮君からアクロスのサイトを教えてもらった。ここの「今月の消費生活」というコーナーが面白いですよ、というわけだ。たとえばこれ。『月刊アクロス』といえば街の定点観測で有名な雑誌だったけど、98年に終刊となり2000年からウェブ上に移ってたんですね。しりませんでした。先日も最近の『出版ダイジェスト』に読みたい記事があってジュンク堂でもらおうと思ったら置いてなくて、念のためと思ってサイトを探したらちゃーんと記事まで読めてしまった。そうかそうかと他の愛読している出版社のPR誌を探してみると、『ちくま』や『UP』は記事が読める。『UP』の「東大教師が新入生にすすめる本 」はいかにも新学期らしい企画で懐かしい。このリストに載った本を生協の書籍部で探す新入生は今もいるんだろうなあ。
 卒論、修論のページに昨年度分を追加しました。

2003-4月20日(日)

 20何年かぶりにスポーツをした。近くの小学校を開放しておこなわれているスポーツ活動のひとつのバドミントンに参加したのであります。バドミントンは学生の頃に同好会でほんのちょっとやっただけですがけっこう好きで、以前から行ってみよう行ってみようと思ってました。20何年かぶりの汗、手のしびれ。いやあ懐かしい。大学の教養課程の頃の空気を思い出した。今日はまだたいしたことないけど、これから1週間ほどはあちこちの筋肉が痛いだろうなあ。
 そのあと「小学校空き教室利用プロジェクト」。地域の方と図面と模型で打ち合わせ。いよいよ行政との折衝が始まります。

2003-4月19日(土)

 大学へ。M1の中家君と「小学校空き教室利用プロジェクト」の図面修正。その後、深夜までかかって卒業生たちと建築学会の大会発表用の原稿づくり。今年は、神戸の入江地区のまちづくりに取り組みこの春芸工大の修士を終えた3人の諸君と川北先生との連名で、その活動のまとめを3本。

 安藤忠雄の退官記念講演に若者が殺到した東大退官記念随筆はこれ。きっと同じような話だったのだろう。「安藤忠雄建築展2003「再生―環境と建築」」も始まっている。扇大臣、塩爺、コイズミも来たという書き込みはあちこちのページにあった。4月20日付の天声人語はこの二つの出来事にふれたうえで、「同潤会青山アパートの建て替えではケヤキ並木の風景を殺さないようにする。建物の過半を地下に潜らせ、建物の高さをケヤキ並みにする」というデザインを、「ある場所に刻み込まれた歴史や記憶を生かしながらそこに新しいものをつくる」行為として評価している。展覧会のカタログには「結局、私がつくろうとしてきたのは「風景」だったのかもしれない」と安藤さんの言葉。こういった言葉で破壊が正当化できるとすれば、保存や建築の意味に関するさまざまな議論は要らなくなる。保存論や風景論への挑戦では?そのあたりのことについて建築史や保存論の専門家の発言ってある?いったいどこまで建築界は後退するのだろう。「そごう百貨店大阪店」の解体が21日からという記事も朝日にはあった。新しい建物の設計者は同じ言葉を使えばいい。

2003-4月18日(金)

 さぼったままの宿題のはいったフォルダをハードディスクの奥から出してくる。今年は何としてもやり遂げようという決意。久しぶりに開くと「心機一転版」とか「最後にするぞ版」などという名前のファイルがいろいろはいっている。なんてことだ。そのうちの最新のものに「こんどこそ版」と名付けて新規保存し再スタート。できあがっても僕にこれを頼んだ人は忘れてるかもしれない。

2003-4月17日(木)

 10時半から学部のゼミ1回目。あっという間に3時間たっていた。各自の卒論のテーマとして考えていることを話してもらい、過去の卒論を紹介し、情報検索の方法について資料を渡した。修了後、みんなでゼミ室でコーヒーを飲んで(花田研始まって以来初めての出来事!)、みんなで学食へ。じつに爽やかなお天気。わいわいと元気な新年度のスタートである。
 その後、2時40分からは2年生の実習。1週間のトレース課題は全員が遅刻せず本日提出を済ませている。すばらしい。本命の「レファレンスステーション」の課題の出題。1週間ピッチで締め切りが来て、ステップ方式で建築設計のプロセスを体験してもらうプログラム。先輩たちの作品例を紹介し、「大丈夫、君らにもできるから」と勇気づける。その後、兵庫県庁近くの敷地に移動。学生全員に敷地を観察したり測量したりしてもらう。今年の2年生はみんなとても熱心で感心する。5時半の解散後も多くの人がうろうろと観察を続けていた。期待大。日も長くなり、気持ちの良い春の夕暮れ。疲れたけど、学生諸君とこういうつきあいのできた一日はとても嬉しい。

2003-4月16日(水)

 2年生対象の講議「建築空間のデザイン」スタート、学科会議、教授会、シーラカンスの赤松さんのトークセッション。ふー。気がつくとゼミ室にかっこいい食器棚ができていた!サンキュー。

2003-4月15日(火)

 芸工大に建築家の上西明さんが関西での仕事のついでに遊びに来てくれた。キャンパスを案内し、学食でお昼を食べ、学生ともちょっと話してもらい、2年生の実習授業も見てもらった。さて芸工大を楽しんでもらえたかな。 2年生の実習。けっこうみんな張り切っている。夕方は棚岡さんと大会発表の論文の打ち合わせ。短いものだけどなかなか難しい。
 曽我ひとみさんの日本語の美しさに
驚いた。この心にしみる詩のような言葉に比べ、川口外相の言葉の貧しさはどうだ。外交にたずさわる人間が歴史という言葉を他人事のように使っている。外交とはまさに歴史をつくる仕事ではないのか。この国の首脳陣はどうしてかくも国民に恥ずかしくかつ寂しい思いをさせるのだろう。

2003-4月14日(月)

 大学へ。ゼミ室の掃除と模様替えを新ゼミ生3人がやってくれた。すっきり爽やかになりました。引き続き棚を作る予定。他のメンバーも応援よろしくね。自分の部屋も先日から片付けている。机の表面が少し見えてきた。新M1の中家君と小学校空き教室プロジェクトの打ち合わせ。新年度になってこれからは彼が担当。この春修士を終えた棚岡さんに来てもらい大会発表の論文の打ち合わせ。また、居合わせた新ゼミ生に、彼女が現在関わっているまちづくりの現場を手伝いながら卒論にしないかというお誘い。興味あるひと、ぜひ。さいごは事務局と打ち合わせで、夕方。オリエンテーション週間後のつかの間の静けさ。明日から当分は嵐が吹き荒れる。

2003-4月13日(日)

 統一地方選挙の投票日。僕の住む東灘区は、県議会は無投票で決まり、市会のみ。盛り上がりはなく、投票率はとても低かった様子。オーストラリアでは投票は権利ではなく義務であり投票しなかった場合は罰則があるというが、日本でもぜひ実験してみたいものだ。どんな結果になるだろうか。

2003-4月12日(土)

 午前中は「小学校空き教室利用プロジェクト」、地域の人と久しぶりの打ち合わせ。これも新年度スタートです。
 午後はわが家に見学のお客さま。「大建築」の山岡さん、そのお友だちの建築家で、岩城さん園田さん。さてどんな感想をもっていただいたことやら。山岡さんのホームページの「大建築」コーナーは傑作ですから、知らなかった方はぜひ御覧あれ。

 研究室のホームページのメンバーを更新。今年の卒論等のリストも急いで追加します。修士2年の新宮君のホームページにもリンクしています。まだ未完成ですが、エッセイのコーナーは他の院生と共同運営のようで、いまどきの学生さんの雰囲気が少しわかるかも。

2003-4月11日(金)

 8日:3年・2年生の学科オリエンテーション。
 9日:4生の学科オリエンテーション、そのあと花田研ゼミ顔合わせ。
10日:授業開始。2年生のデザイン実習1回目。
本日:入試委員として、オープンキャンパスや各種進学説明会での学科教員の人員配置計画を練る。
講議、デザイン実習、見学授業の引率、各種会議等々が目白押しで、この時期、それらがバッティングしないように調整するのはひと仕事。しかも誰をどこで使うべきか、なあ〜んて偉そうなことも考えていると、まるで芸能プロダクションの社長になった気分である。そんなことを研究室でこそこそやっていると、ほかのゼミの4年生が昼飯食いませんかとやってくるは、この春3年に編入した学生さんが遊びに来るは、日土小学校の模型を見た男子新入生が団体で「あんなの作りたいっス」とやってくるはで、あっというまに夕方になる。最初のデザイン実習が始まった2年生は、さっそく週末のスタジオの使用届けを出してきた。はりきっています。素晴らしい!

 林雅子展事務局から、土佐清水市で「海のギャラリーは今・・・」という展示会とシンポジウムがおこなわれるとのお知らせが来た。展示は4月19日(土)・20日(日)。シンポジウムが4月19日(土)15時〜17時。会場はいずれも土佐清水市立市民文化会館。シンポのパネリストは、パンフレットによれば、林昌二さん、西村伸一郎(土佐清水市長)、土佐清水市民代表1名、地元中学生1名。不思議というか楽しそうというか、なんともいえない面子ですね(笑)。われわれがつくった海のギャラリーの模型も展示されるのかな。行きたいけどちょっと遠いなあ。高知のかたはぜひ!

 催し物がもうひとつ。兵庫県立美術館で神戸芸工大の教員による「環境デザインの新世紀」という公開講座を開きます。5月から8月まで全10回。ぜひ御参加ください。私もでます。

 9日深夜、バグダッドのフセインの銅像が引き倒される映像が流れた。アメリカやイギリスは、侵略じゃなく解放なんだと戦時中の日本の南方政策みたいな論調に転換していくことだろう。愚かしい話だ。

2003-4月7日(月)

 新学期のオリエンテーション週間の開幕である。
 午前中は大学院のオリエンテーション、午後は学部1年生の学科でのオリエンテーション。夕方は大学院の新入生歓迎パーティー。
 今年度も芸工大には新しいスタッフを何人か迎えたが、大学院の助手にこの設計組織のメンバーである柳沢究さんがやってきた。実はどっかからのリンクで柳沢さんたちのページに辿り着き、メンバーの日記は少し前から愛読していた。 その3月
の彼の文章から、芸工大の助手で来るのではないかと想像していたら正解だった(スパイの情報戦みたいで楽しかった、笑)。一昨日のパーティーで挨拶をしそのことを話したら先方も僕の日記を読んでくださっていた。なんとも奇妙な世の中になったものです(笑)。ホームページを見て、京都で建築を勉強するということの新しい可能性を感じさせてくれるグループだなあと感心し、京大の建築学科に対する僕の(勝手な思い込みの)イメージを変えてくれてもいたわけです。これからどんな刺激をもらえるか楽しみ。大学の存在意義って、こういう「交差」ですね。

 

2003-4月5日(土)

 芸工大の入学式。午前中は小雨が降ったけど午後は回復。今年はどんな学生がはいってきたんだろう。毎年のことだけど楽しみです。 そのあと学科会議、夕方は学園都市の駅前で教職員の歓送迎会。全学のメンバーがひとつのお店でわいわいと歓談。小規模な大学の魅力ですね。

 アメリカ軍、バグダッド中心部へ侵攻とのニュース。

2003-4月4日(金)

 昨日、今日と奈良へ。法隆寺今井町東大寺、三月堂、二月堂という初心者コースですが、結構楽しめました。 それにしても、法隆寺の周囲の乱開発ぶりには唖然とします。周辺環境あっての「世界文化遺産」でしょうに。今井町の「今井まちなみ交流センター「華甍」」に展示してあった鬼瓦がとても可愛かったです。

2003-4月2日(水)

 大学へ。委員会が二つ。いよいよ新年度が始まってしまった。

 一昨日書いた『夜と霧』(新版、池田香代子訳)について、追記です。本棚を見ていたら、旧版を私はもっておりました。昔、買うには買っていたんですね。そのことすら忘れていたなんてなんともお恥ずかしい限りです。ぱらぱらと読み比べると、やはりまったく印象が違う。旧版の方が圧倒的に「重い」です。文体というものの難しさを改めて感じました。しかしそれ以上に違うのは、写真の有無。旧版の表紙には「ナチ親衛隊によってワルシャワのゲットーの自宅から追われるユダヤ人たち」の写真があり、巻末には30ページ程の「写真と図版」という部分がある。そこにはアウシュビッツや累々と積まれた死体の写真、ナチの書類等が掲載されている。しかし新版からは「ドイツ強制収容所の主要所在地」という地図を除き、写真と図版は一枚も掲載されていない。どうしてだろう。まさか悲惨すぎるからとか、本の値段が高くなるからなんて理由ではないでしょうね。載せるべきだったと
僕は思う。

2003-4月1日(火)

 新年度になった。街では新入社員風のひとたちを見かけた。芸工大の卒業生諸君も頑張ってほしい。

 午後、3月まで僕の研究室の研究生だった松田丈治君と会い、いくつかお願いしていた仕事のデータなどを受け取る。彼はその足で東京へ向かった。これから友人と共同生活をしながらチャンスを探すことになる。半年だったけど研究室活動を支えてくれた。今後の展開に期待しています。餞別に山田風太郎の『戦中派不戦日記』。「東京×若者」という共通点で選んだが、へんかな。 夕方は、わが家にライター・I 氏。モダニズム建築などについて雑談。電話で編集者・H嬢と相談事、こそこそ。

 『立花隆秘書日記』(佐々木千賀子、ポプラ社)はやはり面白かった。最後におかれた「さいごに」という立花隆宛の手紙は痛烈。秘書を辞めたあと(その顛末も一読の価値あり)立花から贈られた近作『「田中真紀子」研究』への御礼という体裁であるが、中身は鋭い立花論。「しかし、敢えて言いたいのです、調べて書いたものはもういいです。そういった仕事はもう十分過ぎるくらいやってきたではありませんか」「失礼ながら、分析や解明はもうわかったから、「それで、立花さんはどう思うの?」と言いたくなるのは私だけでしょうか」。強烈ですね。でもまだ「立花さんはどう思うの?」と聞いている分、そこには愛があるように感じます。僕らの分野でもこういう「調べて書く」のだけは得意な没価値的評論家はいるけれど、べつに「で、あなたはどう思うの」と聞いてみたいとは思わない。もちろん自戒を込めて書いています。