Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年2月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

私はアメリカやイギリスによるイラク攻撃に反対します。
私は戦争なんかで殺されたくありません。

2003-3月31日(月)

 急に暖かくなってきた。御影や住吉のあたりの桜は咲き始めている。そこからわが家に向かって山をのぼってくると(車で、です)だんだん蕾の枝が多くなる。標高300メートルを実感する。

 今日買った本。『夜と霧』(新版、池田香代子訳)、『新しい科学の教科書 1』『同 2』『同 3』。
 『夜と霧』は有名な霧山徳爾訳の改訳版です。昨年の11月に出て、斎藤美奈子が週間朝日の書評でほめていた。大学に入ったばかりの頃、大学生協の本屋で何度も手にし、また大学生の必読書ガイドなどには常にリストアップされていて、でも結局読んでいなかった。恥ずかしい。ごく普通の意味で、怖かったような気がします。斎藤美奈子は新旧の訳文を比較していたが、たしかに新訳は読みやすそう。さすがに『ソフィーの世界』の訳者です。しかもその現代的でわかりやすい日本語が、著者フランクルの冷静な心理学者としての観察の姿勢をうまく伝えることに成功しているように思います。
 本書には、霧山徳爾による「『夜と霧』と私ー旧版訳者のことば」という文章も納められている。その最後が素晴らしい。「それに対して、新訳者の平和な時代に生きてきた優しい心は、流麗な文章になるであろう。いわゆる"anstandig"な(これは色々なニュアンスがあって訳しにくいが「育ちのよい」とでもいうべきか)文字というものは良いものである。半世紀の間、次々と読者に愛された本書が、さらにまた読みつがれるように、心から一路平安を祈るものである」。
 池田香代子の「訳者あとがき」の最後も心に残ります。「このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。これは、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。しかし、フランクルの思いとはうらはらに、夜と霧はいまだ過去のものではない。相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。夜と霧が私たちの身辺にたちこめることは拒否できるのだということを、忘れないでいたい。その一助となることを心から願い、先人への尊敬を込めて、本書を世に送る。」
今度こそ必ず読みます。
 『新しい科学の教科書 1、2、3』も以前から気になっていた本でしたが、今回全巻完結したのでやっと買いました。文部科学省の学習指導要領や教科書検定に縛られることなく作られた中学生向けの科学の教科書です。とっても面白いです。教科書が「読み物」になっています。これなら独学もできるでしょう。気のきいた小学生なら読めるかも。もちろん大人も。ここに書かれている科学的な知識と思考法を中学生がみんな身につけたなら、まだまだこの国は大丈夫だ。「教科書」は分厚くて楽しい読み物じゃないといけないですね。中学校の先生たちはこういう本をどう受けとめているのだろうか。

2003-3月30日(日)

 お天気も良くて春らしくなってきた。建築学会関係の原稿の最終調整をして投函。

 ヨーロッパの近代建築は古い街並の中で、「すみませんが私もここに居させてもらえませんか」と言っているような感じがする、ちょうど電車で「すみません・・」と言って少し席をつめてもらって遠慮がちに座るのに似ている、・・・というようなことを昨夜のレクチャーで長谷川尭さんがおっしゃいまして、とても印象に残りました。ほんとにそうです。ヨーロッパには限りませんね。日本でも、いわゆるモダンアーキテクチャーの魅力はまさにそのような建物のたたずまいだと思います。先年調べた逓信省の郵便局然り、松村正恒さんの建築然り。現代建築ではほとんど感じ取ることができない感覚です。スタイルの問題ではなく建築のつくり方の違いかもしれません。立面構成、素材、プロポーション、そういったきわめて具体的な要素が何らかのバランスのとれた文脈を生み出している。唐突ですが、青木君の表参道のルイ・ヴィトンには、僕はなぜかそういう印象をもつんです。

 ホームページのトップなんとか自力で更新しました。

2003-3月29日(土)

 建築学会関係の原稿を朝から書いて、夕方大阪へ。アーキフォーラムの長谷川尭さんのレクチャー。ナマの長谷川さんは初めて。変な話ですが、大柄の方とは予想外。穏やかな口調はなるほどなるほど。戦前の村野藤吾に話を絞りながら、戦後の名作との関係や造形的な引用源(と長谷川さんが考えるもの)の映像を交えながらのお話はとても面白かった。阪神大震災でなくなった宝塚の村野邸のスライドを見ることができたのも収穫。立ち見まででて盛況。さいごに会場から「村野藤吾を継ぐ現代建築家は誰だと思うか」という質問があり、長谷川さんからはそういう人がいないことを嘆く答えがありました。僕なら「竹中工務店設計部」と答えますが、それじゃだめなんだというのが長谷川さんの考え方なんでしょうね。

 電車に乗る前に岡本の本屋で新聞広告がでたばかりの『立花隆秘書日記』(佐々木千賀子、ポプラ社)。売れそうですね(笑)。ネコビルの室内や佐々木さんのことは以前出た『立花隆のすべて』( 文藝春秋1996年11月臨時増刊号)でみていたけど、今度はさらに、立花隆個人の日常を知る面白さだけじゃなく、ものを書いていくということそれじたいの意味を感じさせてくれるように思います。まだ途中までだけど。

 ホームページのトップを学生諸君がなかなか更新してくれないので自分でやろうとしたのですが、なんかうまくいきません。村山君、main4というフォルダにデータは入れたしtop.htmlも新しくしたつもりなんだけどうまくいかないよお。機会があったらのぞいてみて、と業務連絡。

2003-3月28日(金)

 終日家で院生T嬢の文章に手を入れて、夕方御影駅に来てもらって喫茶店で打ち合わせ。久しぶりに家庭教師気分。年度末特有の雑用に追われて春休み気分はゼロ。新学期の用意もしなくちゃ、手のついてない宿題もいろいろ。あーあ。
 『「おじさん」的思考』その他で昨年来大ブレークした神戸女学院大の内田樹先生の日記を僕は愛読しているのですが、最近、心から共感する文章があったので勝手に紹介させていただきます。3月23日の日記です。大学にとっても学生諸君にとっても心しなければいけない意見だと納得。とくに赤にした部分。全くその通りだと思います。

 それにつけても就職活動を3年生の冬から始めるという悪習はいい加減に止めて欲しいものである。
 『こゝろ』を読んでも『卒業』を見ても、主人公たちは、とりあえず大学を出るまでは先のことなんか何も考えていない。
 先のことなんか何も考えないで、学問的興味の赴くままに勉強に没頭するというのが、ほんらい学生生活の正しい送り方のはずである。
 何をそんな非現実的なことを、企業が求める「即戦力」を身につけなければ、生き残っていけやしない、と言う人がいるようだが、これはまことに現実をしらない人間の寝言と言わねばならない。
 私が大学の教師を長年やってきて知ったことの一つは、「今、世の中ではこういう能力がもてはやされていて、それさえ身につければ一生安泰」というような「はやりの学知とスキル」についての情報について、就職希望学生は企業社会に致命的に遅れている、ということである。
 だって、考えれば分かることだが、先端的な企業が社員にある種の知識や技能を求めている場合、「求めている」という情報がメディアを通じて一般社会に知られるまでにまず一年から五年のタイムラグがある。
 それを見て、「おお、そういうものが売れるのか、では、うちの大学でも、そういうプログラムをつくろう」と新聞を読んだ大学人が思いつき、起案して学内合意をとりつけ、反対する教授会や理事会を説得し、施設を整え、備品を買い揃え、人事を起こして、大学案内に載せるまで、早くて二年、遅くて十年。
 それを見て、「よし、この大学に行けば、将来安泰だ」と受験生の親が判断して、子供をせっついて勉強させて、無事大学に入り、出るまで早くて四年。
 ご覧の通り、「企業社会が『今』求めている知識と技能」を身につけて、大学を卒業するのは「今」から早くて七年後、遅いと二十年後なのである。
 だから就職希望学生が意気揚々と「私、これこれのことができるんです!」と威張ってみても、面接の担当者は「おいおい、また時代錯誤なのが来たぜ」と深いため息をつくだけなのである。
 新入社員に求められているのは「そういうこと」ではない。
 学生に求められている知的資質はごく単純なことである。
 「他人とコミュニケーションがとれること」、ただそれだけである。
 もちろん、人間であれば誰でも他人とコミュニケーションはとれる。
 問題はその「範囲」の奥行きと拡がりだけである。
 「バカ」と言われるのは、自分の同類(年齢が同じ、社会階層が同じ、価値観が同じ、語彙が同じ)としかコミュニケーションができない人間のことである。
 「賢者」と言われるのは、対立者や異邦人や死者や必要があれば異星人ともコミュニケーションができる人のことである。
 すべての知的能力は、「バカ」と「賢者」の間のどこかに位置づけられる。
 「英語ができる」ことが評価されるのは、英語ができるとコミュニケーションできる範囲が広がるからである。「コンピュータができる」ことが評価されるのは、コンピュータが本質的にコミュニケーション・ツールだからだ。「敬語が使える」ことや「礼儀正しい」ことや「フレンドリー」であることや「聞き上手」であることや「服装に気配りしていること」や「アイコンタクトが適切」であることなどの「面接の着眼点」はすべて「コミュニケーション能力」だけに焦点化している。
どうしてコミュニケーション能力がそれほど厳密に査定されるかと言えば、会社に入ったあと、仕事を教わるときにコミュニケーション能力のない人間は、「自分の知らないことを学ぶ」ことができないからである。
 しかるに、社会がその成員に求めるのは、その人に「その人が手持ちの能力では出来ないこと」をしてもらうことなのである。
 「仕事ができる人」というのは「たっぷりと手持ちの知識や技能がある人」のことではなく、「自分が知らないことを学び、自分に出来ないことが出来るようになる能力がある人」のことなのである。

 就職活動というのは、「そのこと」を学習し、実践する絶好の機会であるはずだが、「三月ウサギ」状態で額に青筋を立てて走り回っている学生たちから発信されるのは「うるせーな。こっちは尻に火がついてるんだから、横からガタガタ言うんじゃねーよ」というきわめて非コミュニカティヴなメッセージだけなのである。
 これほどコミュニケーション感度の鈍い人間に社会人としての未来はあるのだろうか。
 私は懐疑的である。

 

2003-3月27日(木)

 大学へ。いろいろと打ち合わせ。

2003-3月26日(水)

 卒業式。午後は体育館で全学のパーティー。夜は学部の謝恩会。 昨日までの雨もあがり、いい一日でした。世の中の状況はかなり悪いけど、それを打ち破る道を見つけてほしい。

2003-3月25日(火)

 大学へ。次年度の入試関連のいくつかの原稿書き。入試委員は1年中こんなことをやっています。ふー。

2003-3月24日(月)

 大学へ。科研報告書の打ち合わせ。「まえがき」を書いた。その他、学生、事務局とあれやこれや。仕事をしていても、ついインターネットで新聞各社のページを見てしまう。
 意味ないと思いながらも、このページのヘッドラインに「私は戦争なんかで殺されたくない」と書いたら、今日の朝日の夕刊に、鶴見俊輔さんが「「殺されたくない」を根拠に イラク反戦に見る新しい形」と題した文章を寄せていた。鶴見さんとダグラス・スミスの『グラウンド・ゼロからの出発』という本について以前この日記でも書きましたが、そのなかで鶴見さんが「殺すな」ではなく「殺されたくない」という「ジコチュー」の思想の大切さを述べています。僕も全くその通りだと感じ、このヘッドラインンを書いたわけでした。朝日の記事の鶴見さんの文章はいつになく怖い終わり方をしています。
 「イラクでは、女性、子供、そして戦闘力のない老人が殺される。そのことは、アジアの中で大きな富と武力をもつかつての日本が、アジアに対してしたことを思わせる。これに反対する運動は、新しい形を必要とする。/世界で一番新しい文明が、最も古い文明に対して加えた攻撃である。この新しい文明は、地球上に住むあらゆる生物(動物や草木を含めて)に対する破壊力を備えている。米国の大統領はそのことを自覚していないが、もはや人類は地球に対する謝罪として自分たちの終わりを考えるべき時に来ている。
 
「自分たちの終わり」。ちょっと解釈に迷います。「人類の奢りを終えるべきとき」と理解すればまだ救われるけど、「人類の終焉」と読むとぞっとする。

2003-3月23日(日)

 日建設計の友人が東京に転勤で一家で関西を離れることになり、その歓送会を別の日建の友人宅でおこなった。古巣の最近の様子を聞くのは不思議な気分。中国での大きな仕事の話など。どの企業もそうでしょうが、やはり東京本社の方が仕事が多く、僕がいた頃からしたら大阪組が激減した。ちょっとさびしい。それぞれの子供たちも大きくなって、時間の速さをしみじみと感じる。

2003-3月22日(土)

 慌ただしく、しかし実り多い1週間だった。
 1日は東京で編集者・植田実さんの御自宅を見学、3日間は八幡浜へ行って松村正恒さんについての調査をした。どちらも僕が大好きで、憧れ続けている空間である。そこに身を置くことのできることのなんという幸せ。

 植田さんのお宅は、『住む』最新号に「特別企画・家の使い方<模様替え30年記>」という記事を植田さん自身が書いて詳しく紹介されています。が、僕が最初に見たのは学生時代で、『流行通信』に載った記事でした。奥さんの実家の2階に増築されたシンプルなワンルーム。そこにもちこまれたビッグファニチャーで遊ぶ小さなお嬢さんの写真が印象に残っていました。今回は、その後30年という時間の中で使い込まれた生活空間と、最近増築された植田さんの書庫を拝見できた。 感激しました。植田さんの、生活感と本への思いが凝縮された空間でした。

 八幡浜ではいくつかの発見と新資料の入手ができました。松村研究、今年はすこしまとめなくてはいけません。
 日土小学校や江戸岡小学校にも行きました。何度来てもいっぱい写真を撮ってしまう。これまでは夏に訪れることが多く、春は初めて。柔らかな光の中で、松村さんの空間は、やはり美しくかつ完全でした。
 たいへん残念なお知らせ。少し前から届いていた情報でしたが、現地で確認してきました。
 
江戸岡小学校は改築の計画が本決まりで、すでに体育館は建て替えられてしまいましたが、さらに今年の夏休みに一般教室棟(写真の左半分)を壊し新校舎の建設を始め、来年の夏休みには特別教室棟(写真の右半分)も壊すとのこと。
 泣き出しそうです。


 イラクでの開戦のニュースを、菜の花畑に柔らかな春の陽が降り注ぐ八幡浜で聞いていると、その愚かさがいっそう際立ってくるように思いました。ごく小数のバカのせいで、大多数の人類の幸福が奪われる。腰巾着首相に対し、野党はなぜ内閣不信任案を出さないのか、なぜ抗議の表明としてただのひとりも閣僚や国会議員が辞職しないのか。情けない。

川沿いのテラスと菜の花(日土小学校)。給食時間の教室(日土小学校)。   江戸岡小学校。

2003-3月16日(日)

 小雨の日曜日。少し寒さが和らいできた。入試が終わり科研の宿題が手を離れたせいか、ちょっと気が抜けた。

 最近、この日記(3/14)を読んでいて気になった『invitation』(4月号)という雑誌を買ってきた。ぴあが新しくつくった雑誌らしい。ここに「安藤忠雄の東京改造論」と「森ビル森稔が語る文化都市計画」というふたつのインタビュー記事を上記の日記の主が書いているからだ。前者は、「安藤忠雄は、最も有名な日本人の建築家だろう」という文章で始まり、「新しい安藤建築は、かつての同潤会がそうであったように、やがて緑の風景に同化しいていくだろう」とまとめてある。後者は、「「東京の街の魅力が乏しくなっている」/赤坂アークヒルズにある森ビル本社で代表取締役社長の森稔が語り出す」で始まり、「東京を愛し、東京発の文化を育むプロデューサーとしての矜持をもって、森は街作りに臨んでいるようだ」と結ばれる。うーん、五十嵐さんてのはやっぱりそういう立場なのね。この日の日記の「拉致はテロではない」というタイトルといい、まったく別の世界を生きているとつくづく感じた。
 『東京人』のひどさは先日(3/7)書いた通りです。同潤会計画紹介記事を最後に置いた誌面構成からは、そこまでの建築家インタビュー等の記事すべてを一種の「つゆはらい」にする効果が生まれている、と僕は思う。青木君の紹介記事につけられた「表参道は・・.青木淳氏による・・略・・変貌を遂げている。あの同潤会アパートも安藤忠雄氏の建物に生まれ変わる。「大東京」の内側では・・略・・細胞分裂が繰り返されているのだ」というコメントもひどいね。青木君がルイヴィトンを設計するときに考えたことをまったく無視した内容である。東京都の外郭団体をスポンサーにし、バブルの頃は東京湾岸の大開発を別冊特集すらしていた雑誌だから仕方がないのか。

 須賀敦子さんの『霧のむこうに住みたい』が出版された。東京カルチャーがどうのこうのという世界の対極にある静かな世界だ。けっしてたいしたことは書いてない。風景や事実の淡々とした描写だけ。それ以上どういえばよいかわからない。ときどきそっと開いては少しずつ読む。江國香織の「解説」は要らなかった。「須賀さんの御本を読んでいると、どうしてだろう、雨が降っている気分になる。いつも。」だと。こんなこと書いて恥ずかしくないのかな。

 この2、3日のどが痛くて早めに布団にはいっていたが、そこで読んだお手軽本。これと、これと、これと、これ
 さいごのはすごくいいよ。人間を愛する、あるいは何かを批評するってこういうことだ、なあんて大袈裟なことをいいたくなる。松沢呉一は考え続けている。最後から2番目も悪くない。坂崎幸之助の人柄の良さが滲み出てる。こう並べると1番最初のがなんだかいちばんみじめかも。2番目の本で1番目の著者がけなされている。中島義道は、土屋賢二の本を読んでもどーしても笑えないという。そういわれるとたしかにそんな気になってくる。まあどっちもどっちだけど。

2003-3月15日(土)

 僕らの学科の一般入試B日程。これで今年度の入試はすべて終了。一応ほっとした。 合間をぬって科研の報告書のゲラ直し、その他打ち合わせ。

2003-3月14日(金)

 ちょっと間があきました。12日、大学で仕事をしていると次第にのどが痛くなって、家に着いた頃にはのどと鼻が完全にダウン。子供の風邪がうつったらしい。なにしろのどが痛い。この忙しいのに寝込むわけにはいかぬと、翌13日は病院へ走り、のどの消毒、抗生物質、消炎剤、うがい薬。とにかくのどが痛い。午後は大学へ行って研究生の松田君と空き教室プロジェクトの打ち合わせ。幸い熱はでない。
 本日は大学で入試関連業務。建築学会の大会論文の打ち合わせ。科研の報告書打ち合わせとゲラ直し。松田君と空き教室プロジェクトの図面の打ち合わせ。節々が痛みだしたので愛用の漢方薬も投入。熱さえでなければ働けるものだ。

 昨年の林雅子展と同時に出版された作品集『建築家 林雅子』(新建築社)がなにか賞をとったと先日かきましたが、山本喜美恵嬢から詳しい連絡がありました。「第37回造本装幀コンクール展」で文部科学大臣賞を受賞したのだそうです。今年度の受賞作のことはまだ書いてありませんが、賞の概要はここでわかります

 イラク問題はイギリスとアメリカの関係が怪しくなったりフランスがイギリスに少し歩み寄ったり微妙なかけひきが続いている。しかしニュースを読んでいる限り、日本の首相と外務省の動きだけはなんの論理性も意志もなくあまりにもカッコ悪い。中間管理職が上役の顔色をうかがっているのと同じ。会社なら辞められるけど、国籍はなかなか変えられない。われわれの代理人であるにすぎないひとたちがわれわれとは違う意見を勝手に言っていることが腹立たしい。

2003-3月10日(月)

 科研報告書の担当分をやっと書き終わった。1945年から65年までの日本の住まいと生活の変遷を、いくつかのテキストを取りあげながらなぞったというもの。ちょっと教科書的ではありますが、いい勉強になりました。400字で約60枚分。これから他のメンバーたちの原稿と合わせて1冊の報告書にまとめます。

 ふと気がつくと、今日は上記の文章の冒頭でとり上げた東京大空襲の日だった。1945年3月10日。一晩のうちに40平方キロ、25万戸の住宅が焼かれ、死者は約8万5千人、そして約100万人の人々が家をなくしたといわれています。すぐ手にはいる本では、山田風太郎の『戦中派不戦日記』(講談社文庫、1985年)と早乙女勝元編集の『写真版 東京大空襲の記録』(新潮文庫、1987年)が勉強になります。後者に掲載されている写真を見ていると、日本の市民への無差別爆撃をしたかつてのアメリカとイラク攻撃を正義と呼ぶ今のアメリカとがぴったり重なります。

 掲示板には書きましたが、豊郷町の町長リコールが成立。首長のくびが「建築」や「文化」といったキーワードでふっ飛んだ!画期的なことですね。前町長は校舎の新築工事を決めているけど、こういうのは止められるのかな。町長選の前に役場幹部と町議会の見識が問われます。

2003-3月7日(金)

 大倉山の中央図書館へ資料探し。昭和33年の週刊朝日や昭和35年の生活白書、他。ちなみに当時の週刊朝日は1冊30円。今のちょうど10分の1。これらをネタに科研報告書担当分をごりごり。この週末で終りたい。芸工大の新聞「KDUI」に800字、来年度の入試ガイド用に200字ほどの原稿を書いて事務局に送付。

 『東京人』最新号が「建築家と東京」という特集を組んでいる。隈研吾/青木淳/櫻井潔(日建)/近藤康夫/福田卓司(日本設計)/杉本貴志/光井純/渡辺誠の作品と御本人の紹介記事、槙文彦と松葉一清の対談、隈研吾による建築家論、安藤忠雄の同潤会プロジェクトの大きな紹介。まあこの雑誌らしいラインナップというべきか。青木君は自転車に乗ってルイ・ヴィトンの前で写っている。先日会ったときもこれに乗っていた。通勤用ですね。それにしても絵になるなあ、このひとは。竹中と鹿島はどうしてはいってないんだろう。同潤会はもうどうしようもないんですね。ほんとにいいのか、こんなもの壊して。問題は安藤さんのいうような「景観を残す」とかいうことではないですね。民間ディベロッパーに買い取られる前に、税金を投入して「実物を残す」ことを実行してくれるような国に住みたい。記憶を失うことがどうしてこんなに怖くないのか。「築75年の老朽化した集合住宅の記憶を残しながら、東京を代表する街並が生まれる
とは安藤記事につけられたタイトル文の一部です。「老朽化」と「東京を代表する」という言葉を、この文章の書き手とこの雑誌の編集者とはどれほどの責任感とともに記しているのか。あまりのお手軽な姿勢に言葉を失う。

2003-3月6日(木) 祝!アイシオールのホームページ開設

 いろいろお世話になっている編集者・多田君枝さん、豊永郁代さん、山崎朗子さんたちの事務所・アイシオールのホームページ開設のお知らせが届きました!いやあ、なんといいましょうか、この力の抜けかたは素晴らしいですね。田舎の温泉にやってきたような感じです。さすが酒豪・食いしん坊揃いの事務所だあ(笑)。愛読させていただきます。
 それにしても、多田さんのコラム「VIVA! 普請道楽」のchapter3「榎本翁語録・その年代で何をすべきか」のなかで紹介されている榎本翁の言葉はすごいね。ああ僕はもう手遅れだ。

     10歳までは、親に養ってもらってるんだよ。
   10代は、勉強するんだよ。
   20代は、修行するんだよ。
   30代は、働くんだよ。
   40代は、仕事するんだよ。
   50代は、仕事を仕上げるんだよ。
   60代は、口で商売するんだよ。
   70代(自分のこと)?
   余生を楽しんでるだけだよ。

2003-3月5日(水)

 まだ寒い。学科会議、その他来年度のあれこれについて打ち合わせで一日が終る。
 アメリカが国連決議なしでもイラク攻撃をおこなうぞと言ってみたり、北朝鮮への武力行使をにおわしてみたり。とんでもないことである。日建時代に初めてアメリカに行ったとき、郊外のレストランで、わらぞうりのようなとしか言えない不味いステーキがでてきて途方にくれ、かいば桶にはいった馬の餌のようなとしか言えない大量のサラダに呆れ返り、でもそれらを美味しそうに食べているアメリカ人にもっと驚いたことを覚えている。あのときこいつらはバカじゃないかと思ったが、やっぱりほんとにバカだったんだと悪態をつきたくなってしまう。少し前のニュースで、アメリカの武力行使に反対するフランスのデモ隊が「ヨーロッパは古いけれど賢い」と書いたプラカードを掲げていたが、まったくその通りだ。

2003-3月4日(火)

 今日も寒い。雪がちらほら。大倉山の中央図書館へ資料探し。科研報告書担当分でひいひい。

2003-3月3日(月)

 「春はすぐそこ」なんて書いたとたんに寒波が戻ってきた。
 研究室の打ち上げをおこなった。会場は芸工大の卒業生がやっているgri-gri。4年生、院生、研究生、3年生、みんなで騒ぎました。楽しかった。急に決めたので3年の新ゼミ生の参加が少なかったのは残念でしたが、またやろうね。別れの季節が近づいてくる(涙)。

2003-3月2日(日)

 卒業制作展、最終日。お昼前から行ってました。山隈直人君、H大学S先生御一家と会う。吉本剛君御一家、吉井歳晴さん、神戸大の末包先生などもいらしてくださったようだが、広い会場で行き違いになりました。すみません。卒業生やゼミ生の御家族とも会うことができました。非常勤校の学生諸君も来てくれてました。さっそくゼミ生の東端君に案内を依頼。こうやっていろんな刺激を与えあえればいいですね。1階の企画展示室の工業デザイン学科の展示が例年以上に華やかでよかった。最後のコーナーはちょっとしたインテリアショップのような雰囲気でした。
 全体としてかなりの入場者数だったのではないかな。去年より多かったような印象です。考えてみれば、最後にこんな華やかな展覧会をやれるってのはかなり幸せなことですね。

他大学の女子学生さんに自作を説明する東端君。ファッションデザイン学科の展示会場。

 卒業制作展が終わると学生諸君との別れが近づいたことを実感します。いつもは冷徹非情なワタクシも(笑)、いささかおセンチモードにはいっていきます。わが家の近くの公園の梅も満開。遠くに光る海。春はもうすぐそこです。

2003-3月1日(土)

 久しぶりに雨。
 掃除の後、科研報告書担当分で「引きこもり」。3分の2くらいまできた。残るは来週いっぱいだ。何を書いているかというとですね、1945年から65年までの日本の住生活や住居の変遷をいろいろな言説を通して描くというようなことなんですよ。いやあ、とんでもないことです(笑)。
 掲示板の方に、25日に再放送されたNHKのプロジェクトX ・
「妻に贈るダイニングキッチン〜勝負は一坪・住宅革命の秘密〜」について書いておきましたが、反応がないので(笑)こっちにも書いておきましょう。やはり鈴木成文先生も御覧になったようで、最近の「文文日記」にもふれてあります(2月25日)。かつての「学長日記」に書かれた感想などはこれで読めます。上記の報告書を書くために僕も当然このあたりの時代の復習をしているわけですが、いずれにしても「プロジェクトX」の描写は、吉武研による51C型平面作成物語を無視し、「ステンレス流し」誕生記のなかにすべてがあったかのような描き方になっていますね。学長日記によれば藤森照信さんが抗議したり、鈴木先生のもとに後日NHKが説明に来たりしているのに、それでも再放送したのはどういう神経なんでしょうか。