Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年2月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2003-2月28日(金)

 神戸芸術工科大学の卒業制作展「カオス」が始まりました。講評会のときからさらに手を入れた作品も多く、まあこれなら人前に出しても恥ずかしくないなという出来になりました。これをどうして提出日までにできない!怒!笑!東京から林雅子展の山本喜美恵嬢もやってきた。彼女の最新情報によると、展覧会と同時に出版された林雅子さんの作品集が、文部科学省の何かの賞をとったらしい。詳しいことがわかればまた。

                    海ギャラの模型をつくったゼミ生を従え高笑いする
山本喜美恵(左から2人目)

 夜は大阪の中之島公会堂で開かれた「石井修を囲む会」へ。アーチの並ぶ回廊に囲まれた平土間のホールに椅子がびっしり並べられ、まるでヨーロッパの都市にいるような心地よさ。若い人がとても多いことに驚いた。動員?、それともブームなの?
 シンポの方は、石井さんの建築についていろいろな視点から語られたことの価値は認めるとしても、いわゆる「環境(問題)」という視点を意図的にはずした(と司会の本多友常さんは言った)という判断は理解できない。そういう観点から冷静に分析でもしない限り、半世紀の間楽しく建築やれてよかったですね、建築っていいですよね、みたいな話にしかならないと思うし、事実、何人かのパネラーの話はそういう罠に落ちていたように思います(もちろんそういう人には「罠」とは思えないんでしょうけど)。石井さん本人からも孫自慢がでる始末だ。むしろ僕が知りたいのは、大学にもいかずゼネコンでの実務経験だけで独立しこれほどの地位を築くことのできた理由であり、そこに「環境」というキーワードはどう関わったかということである。
ヴェネチアの夜(笑)

2003-2月27日(木)

 小学校改造プロジェクトをお手伝いしている地域のグループの方々と昼食会。次年度も頑張りましょうというわけだ。今日初めてお目にかかった人も、お話してみると僕ともいろいろつながりがあることがわかってくる。「いずみホール」によく行ってますとか、知り合いのかたのとなりの家だったとか。こういう小さな関係の積み重ねが地域の地図を塗り替えていきます。
 午後は「引きこもり」。
 すると、小学校での行事帰りに子供の友だちのお母さんが二人、妻とともにわが家見学にいらっしゃった。家中に賑やかな黄色い声が響きわたる。そうこうしているとさらにピンポンが鳴り、近所で工事が始まったお宅の設計者と奥さんと子供さん、そして工務店の方がいらっしゃる。設計者は前田ゆりさん。草屋根を実践している女性建築家です。今年、非常勤校で御一緒し、聞けば子供の友だちのお母さんのいとこなんてこともわかり、そしてわが家から4軒東で工事開始という不思議な御縁。御自宅は以前見せていただきましたが、小さなスケールの空間がとても心地よかった。草屋根も手をかけてない「原っぱ」という感じが良くて、遠くから見たとき、屋根の上でそよそよと背の高いコスモスやらが揺れているのがなんともユーモラスだった。今度のお宅も草屋根とのことで楽しみです。
皆さんにもわが家を見ていただき、すっかりオープンハウスのような賑やかさ。「引きこもり」どころではありませんでした(笑)。

2003-2月26日(水)

 引きこもってばかりはいられません。大学へ。入試に関する委員会ほか、ばたばた。研究生の松田君と小学校改造プロジェクトの打ち合わせ。

2003-2月25日(火)

 掲示板でお知らせしているギャラリー「心」(しん)の「建物御披露目」展にいってきた。このギャラリーを設計・一部施工した「工作隊」による設計・建設プロセスの展覧会です。没になったいろんな案の模型や、工作隊メンバーからのメッセージが面白い。3月2日(日)まで(3月1日はお休みとか)。みなさんもぜひ!
 今日も家で科研報告書担当分を書いていた。「引きこもり」2日目。やはり進みます。ふだんいかにこういう時間がないかという証拠です。
 引きこもっていたら、ピンポンとインターフォン。出てみると、見知ら
ぬ男性がわが家の設計者を教えてほしいとおっしゃる。お家を建てようといろいろ街を見て回っているとのこと。びっくりしましたが、内部も見てもらいいろいろとお話する。いろんなこと研究しておられるし、やはり何より建築好きの御様子。すっかり話し込んでしまいました(笑)。
もとの姿

2003-2月24日(月)

 終日家で科研報告書の担当分を書いていた。最近の「宿題」ってこれです。4つの節に分ける予定で、やっと5分の2くらい。大丈夫か!?
 昨日の帰りの新幹線から『私はどうして私なのか』(大庭健、講談社新書)。この著者の本にはずいぶんお世話になっている。分析哲学系の啓蒙書は頭のトレーニングに最適です。
 昨日会った女性編集者の方との話の一部。彼女がつくっているのはこのうちのひとつ(特定すると彼女に怒られたらいけないので)です(子育てや園芸系ではありません、笑。若い女性向けの雑誌)。で、昨日は話題が古い建物や住宅といったことになったので、あなたの雑誌で読者向けにそういう記事を載せたらどうですかと提案したところ、彼女の反応が面白かった。即座に「それは無理」という返事なんです。ああいう雑誌を読んでるコはインテリアとかには興味がない、そういうコの部屋へいくと(髪を巻く)カラー(っていうのかな)から何からがすごくちらかっている、身につけるものには興味があるけどそれ以外はダメ、とおっしゃるのです。ああ、そうすると都築響一の写真みたいなんですねと言うと、それもあっさり否定されて、「あんなふうにカルチャーっぽくはないんですよ」、と。いやあ、妙に納得してしまいました。
 それで思い出したのが以前新聞の広告で見てそのタイトルが印象に残ったままの『病んだ家族、散乱した室内 援助者にとっての不全感と困惑について』という本。この「散乱した室内」って部分です。建築屋としては気になるというか、想像力をかきたてられるというか。手にとってもいないのでいいかげんな話です。すみません。

2003-2月23日(日)

 結婚式に出席のため福岡へ。以前勤めていた神戸山手女子短大のゼミ生である。日建を辞めてそこに移り、2年目のゼミでした。この年のゼミは本当に楽しく、そのうち数名の人と今でもおつき合いが続いている。これは短大としては画期的なことではないかと想像します。今日結婚したのはそのなかでも最も元気なやつで、わが家にも何度も遊びに来たし、引越まで手伝ってくれた。
 会場はホテル海の中道。海が見えるチャペルやレストランはとてもよかった。実に爽やかな結婚式。新婦のドレスがとてもかわいい。
手作りの自己紹介やお客さん紹介の手紙も労作で、こりゃ徹夜したに違いないと想像した。僕もスピーチをしましたが、新婦から合格点をもらいました。新郎もなかなか面白そうな人で一安心。もうひとりのゼミ生とも会え、これも嬉しかった。また新婦の高校時代の友人女性陣も面白い人ばかりで、某出版社で若い女性向けファッション雑誌を編集しているひととはすっかり話し込んでしまいました。あーあ、でも、正直言ってちょっと寂しい(笑)。妹が結婚するとこんな感じなんだろうか・・。

2003-2月22日(土)

 宿題原稿その他に追われ進来廉さんのアーキフォーラム行けず。昨日に続き2連敗。われながら情けない。

 昼間は、日建設計の友人が担当し完成目前のコンピューター関連某社の独身寮を見学した。オール個室。男女混合の60室。各部屋には、壁収納型ベッド、机・椅子、本棚・クローゼット等十分な収納、電磁調理噐
(2口!)付きキッチン、トイレ(ウォシュレット付き!)、洗面(カウンターも広々!)、風呂(家庭サイズ!)、洗濯機置場、エアコン、インターネットなどが装備されている。共用施設は限りなく少ない。男女別のランドリーとその前室的な談話室、それにエントランス横のバーカウンター付きロビーくらいだ。大浴場や食堂などはないのである。もちろん玄関はカードキー。各個室にはインターフォンとドアにのぞき窓がついている。もちろん、こういった仕様は設計者の判断ではなく、すべて発注者からの要求とのこと。今どきこんな景気の良い会社(あるいは若い社員のことを考えたというべきでしょうか)があるんですね。びっくりしました。

2003-2月21日(金)

 年度末特有の研究費等々の書類の処理。秘書や助手が運営を支える大きな大学の研究室と違い、僕のところは個人営業研究室だから結構たいへん。 院生村山君、研究生松田君と小学校改修プロジェクトの打ち合わせ他。『CASA BRUTUS』最新号の「今、中国で一体何が起こっているの!?」特集の話題、人生なにがあるかわかんないね、など、いろんな話。 そんなこんなでちっとも宿題が進まない。ピンチ。というわけで、掲示板で宣伝した住まいのミュージアムのアールト展特別レクチャーに行けなかった。講師の伊藤大介君(北海道東海大学教授)は建築学科の同級生で、久しぶりに会いたかったんだけど残念。
 ゼミ生のひとりが4月から身近な事務所でお世話になることが決定。面談で即決。よかったよかった。でもまだ残ってます。スタッフ募集という方、ぜひ御一報
を!腕利きお世話しますぜ。

2003-2月20日(木)

 2年生の即日設計、学科会議。いろんな成績、卒業関連、来年の入試方針など、学年年末特有のあれやこれやで、ふー。そういうわけでちっとも宿題が進まない。ピンチ。
 今日の夜は、妻は大阪の「いずみホール」へ行ってきた。友人のオペラ歌手の女性が出演するコンサート。いずみホールは僕が日建設計にいたころ、一番深く関わったプロジェクトだ。基本構想から2年間の現場常駐までやりました。懐かしい。

2003-2月19日(水)

 修士論文と修士設計の最終審査で、各賞の決定もおこなわれた。上から、吉武賞1点、芸術工学賞1点、芸術工学奨励賞数点で、僕の研究室からは、棚岡里美さんの修論が芸術工学奨励賞のひとつに選ばれました。おめでとう。

2003-2月18日(火)

 ある大学の卒業制作の講評会に呼ばれて参加してきました。学生有志がやる講評会に行ったことはあるのですが、学科の公式行事としての講評会は初めてです。芸工大のほうが終わったばかりなので、興味津々。何ごとも他所を見るというのは勉強になります。ゲストが予想以上に多く最初はおとなしくしてましたが、だんだん頭が動き出すとつい色々と発言したくなって・・(笑)、けっこう楽しんできました。

2003-2月17日(月)

 掲示板に山本喜美恵嬢が書いてきた林雅子展・岡山巡回展の写真が送られてきた。芸工大の卒業生で岡山で働く田中理津子さんに走ってもらった。田中さん、どうもありがとう!予想以上にきちんとレイアウトしてあるし、なにしろわれわれがつくった模型が役に立っているのが嬉しい。

2003-2月16日(日)

 暖かな雨の日曜日。だんだんと春の気配。

 神戸大学の末包伸吾先生からメールが来た。あちらも卒業制作のシーズンで、2月13日の「すきま系」へのコメントに共感したので研究室のホームページで引用したとのお知らせであった。ホームページはここ、引用していただいたのはその中のBBSのページです。どうぞご遠慮なさらずに。リンクやコピーでいろんな境界線が消えていくのがインターネットの魅力です。ただ、この日記も読んでいただいているわけで、冷汗三斗。
 神戸大の卒計がどんな状況だったのか、末包先生が何にいらだちを感じられたのかはわかりませんが、ともかく「すきま系」という言葉で僕が言いたかったのは、単に「コンセプチャル」であることへの批判ではありません。さらに曖昧な言い方になるでしょうが、「プロジェクト=投企としての強度の無さ」ということです。つまり、「すきま」をねらうとそれだけで何かの提案になっているかのような姿勢を感じさせることへの嫌悪です。もちろん「建築」の困難な時代であることは間違いない。しかもそういう空気を学生諸君は僕ら以上に感じ取っているだろうし、「建築家」なんて職業の存続性についても怪しいことこの上ない。でも、なのですね。もしそういうことを敏感に感じ取っているならば、あるいはそれならばこそ、そのような認識の根拠として次の「プロジェクト=投企」、すなわち投げかけがほしいわけです。状況批判を作品でおこなっても無意味です。そういう行為として「コンセプチャル」な表現が採用されているとしたら、それこそもっとも非「コンセプチャル」、非知性的な行為だと思うのですね。

2003-2月15日(土)

 忙しかった1週間が終わりぐったりときた。こういうときはなぜか掃除となる。家中をひとりで掃除。おまけに、自分の部屋と2階吹抜け横のスペースの机の配置替え。さらにぐったり。おまけに修士論文の審査評書きに予想外に手こずり、疲れた。

2003-2月14日(金) 卒業制作の講評会

 卒業制作の講評会を中心にした長い一日。まず10時から学科会議。昨日までに学科全教員が全作品を採点した集計結果が配られる。それをもとに、午後からの講評会で発表してもらう14作品を決定。講評対象に残るのは6〜7倍の倍率ということになる。一昨年からだったか、こういう選抜方式にしている。作品を絞り講評時間を長くした。しかも、作品ごとに教員のコメンテーター2名を予め決めておく。ひとりが応援側、ひとりが批判側だ。 昨年まではこの会議で激論があり、けっこうたいへんだったのだが、残念ながら今年はさらさらとした雰囲気。予想通りである。インパクトのある作品がなかったからだ。
 1時から講評会スタート。始めてみるといろいろな意見が飛び交いそれはそれで面白いのだが、僕個人としてはやはりもうひとつ気分がのらず、担当作品のコメント以外、ほとんど
発言する気にならなかった。
 夕方までやって一旦閉会。教員が再度会議をもって各賞の決定をする。神戸芸工大では、卒業論文と卒業制作の両方が必修であり、合わせて卒業研究という科目になっている。したがって、このふたつを睨んでの賞である。またもさらさらとした議論の結果、吉武賞(要するに論文・作品両方を睨んでの1番ですね)を卒論1点に、環境デザイン賞(同様に考えた2番)を制作2点に与えることにした。それ以外に、作品8点を奨励賞にした。わがゼミは、作品の奨励賞3点(朝倉君、小林君、峯川君)、すでに決まっていた卒論の奨励賞1点(東端君)という結果であった。
 再度全員集合。学生諸君に結果を伝え、ワインパーティー。賞の結果について、鈍感な僕には想像できなかった繊細な反応をみせる学生もいていささかあわてた。

 かなり腕利きの多い学年だったので、全体としてちょっと寂しかったというのが正直な感想。よくいえばデザインが好きゆえの悩み過ぎ、悪くいえば勝負に弱いということかと想像する。誤解されると困るけど、やはり勝ち負けというのは重要なことで、どんな戦略をとろうとも、つまりどんなデザイン傾向の作品を提出しようとも、勝たなくてはいけないと僕は思う。というか、どんな案であれ、もちろん昨日書いた「すきま系」であれ、きちんと評価する姿勢を今の学科教員はもっている。昨年、一昨年の激論とその結果とがなによりの証拠だ。ともあれ、学生諸君!今回の悔しさや未練、あるいはもちろん達成感はさっそく胸にしまい、次のことを考えようね。

 すべて終わった後、非常勤講師・実習指導講師の方々との懇親会を会議室でおこない長い一日が終了。建築学科の同級生で阪大にいる鈴木毅君も来てくれていろんな話。建築家の職能、建築家教育なんて、学生の傾向などなど。同級生ってのはありがたい。

2003-2月13日(木)

● 10日(月):東京、11日(日):鎌倉。芸工大の共同研究の作業の一環です。その目的のひとつが、鎌倉にある黒沢隆さんの自邸見学でした。黒沢さんの「個室群住居」というアイディアへの僕の考えと学生時代からの憧れぶりは、彼の『個室群住居』という本の栞に書いた通りで(←読んでいただけると嬉しいです)、ちょっとミーハーといっても良いくらい。1時頃から夕方5時半くらいまで、奥様(「ヒロ子の部屋」の宏子さんですね)も御一緒に実に濃密な時間を過ごしました。感激。感想や写真をいろいろ載せたいけど、それはまた個人的に。

 10日夜は青木淳君と会う。彼の新しい事務所へ。「塔の家」から少し行ったところです。新しいプロジェクトを見せてもらったあと、事務所がはいっているビルの地下にあるイタリア料理屋へ。便利なビルです。いろんな議論。
楽しい。近くにある妹島さんの「小さな家」の夜景をこっそり拝見した。

● 12日(水):修論発表会。今年は、良い出来のものとその逆のものとの差が目立ちました。論文であれ作品であれ、論理性の欠如したもの、鈍感な感じのものには、教師としてではなく、同志として嫌悪感をおぼえてしまう。気になったことはだいたい言ったが、あとからさらに浮んできたこともある。でもまあそれくらいこちらの頭に刺激を与えてくれるのだから、それはそれで有難いと言うべきか。


 今日13日は、修論・修士設計について、さらに主査・副査(2名)で審査対象の院生と面談した。僕は主査(つまり自分のゼミ生ですね)として3人、副査として1人でした。それぞれ指摘されたことを反映させて3月10日に最終提出という段取りである。院生諸君には、最後まで完全主義者であってほしい。

 学部の卒計と大学院の修士設計が出揃ったところで改めて感じたのは、「すきま」系の作品のつまらなさだ。「すきま系」とはなんとも曖昧な言い方だが、それはそれとして、これだけ不発弾ばかり見せられると、むしろ正統的なビルディングタイプごとの提案をもっときちんとやるべきだという神の声にすら思えてくる。市役所とはどうあるべきか、村役場、美術館、病院、小中高等学校、大学は、などなど、それぞれぜったい面白い案があり得ると僕は思う。
 青木君のやってることを『GA HOUSES 73』で隈研吾が「すきま」と表現していたが、僕はまったくそうは思わない。むしろきわめて正統な路線なのであり、それと同じ意味で、来年の学生諸君は、卒計や修士設計の対象を正統的なビルディングタイプに定めておいて、その変革の可能性をもっとリアルに考える戦略をとってみてはどうだろうか。

 ところで、斎藤美奈子の最新刊『趣味は読書』はみなさんもう読みましたか。相変わらず猛烈に面白いです。こういう真っ当な辛口が建築界にはどうして見当たらないんだろ。ああいう文体でこっそり習作を書いてみようかな(笑)。少なくとも、僕が講評会でいつも言おうとしているのは、こういう真っ当な視線からの批評のつもり、と自分では思っているが、はてさて。明日はまさにその卒計の講評会だ。

2003-2月9日(日) 本が消えるスピード

 このところ科研による研究レポートの担当頁の執筆に四苦八苦しています。その資料にしたい本があることがインターネットでわかったので、阪急岡本駅の近くにある東灘図書館(神戸市立図書館の分館)に行ってみました。いつもは子供の絵本なんかを借りるていどで、大人の本のフロアには初めてはいった次第です。するとけっこう参考になる本があって7冊も借りてきました。いずれも一般書店では見かけなかった本。今から10年前後むかしに出版されたものばかりです。つまり、書店から本が消えるスピードがそれくらいだということですね。インターネット書店で検索してみると、もう絶版のものがありました。手にはいりそうなのは急いで注文した。

2003-2月8日(土)

 来週はじめは出張があるので卒業制作を採点しに大学へ。12日までに学科の各教員が採点し、その結果を集計します。僕の感想は、いずれ講評会で。
 掲示板に山本喜美恵嬢が書き込んでくれたように、林雅子展の巡回展がおこなわれ、岡山と高知にはわれわれがつくった「海のギャラリー」の模型が展示されるとのこと。とても嬉しい。すぐにでも岡山に駆けつけたいところだが、月・火は出張がありちょっと無理。そこで、岡山市在住の卒業生に写真を撮ってくれるよう院生・Kさん経由で依頼。ritsukoさん、よろしくね。

2003-2月7日(金)

 今日は卒業制作の締めきり。1時から3時までが提出時間である。心配でもあり、雑用もありで大学へ。みんなふらふら。今日からスタジオに展示して12日までに教員が採点する。そのあと17日まで公開。14日には講評会と各賞の発表。28日と3月1・2日が卒業制作の展覧会である。4年生はこれですべてが終了する。卒業の季節がやってきた。はやいなあ。もうすぐこいつらともお別れかと思うと・・しくしく。

 今日は、インドで暮らす日本人高校生から神戸芸工大についての問い合わせがあり、返事のメールを書いた。建築のデザインの勉強を希望している。文面もしっかりしていて、とても好感をもった。こちらも真剣に文章を練り、入試関連の情報を事務局で付け加えて返信の手配をした。インターネットの威力だ。本を紹介するのも本文中にリンクを張っておきさえすればいい。世の中のこういう変化はとても素敵だ。

2003-2月6日(木) 追悼/井上正信さん-2

 井上正信さんには感謝することだらけです。そのなかでも最大のこと。それは、僕が日建設計を辞めて短大の教員になりたての頃、某建築雑誌に掲載を拒否された文章を、柳々堂書店が創業100周年を記念して発行した雑誌に掲載してくれたことです。この恩は絶対に忘れることができません。
 3号まで発行されたこの雑誌の表紙と、創刊号に寄せられた「創刊の趣旨」はここに紹介されています。この「創刊の趣旨」は井上さんが書いたもの。短い文章だけど彼の人柄が滲みでていると思います。
 これらの雑誌は当然のことながらすでに幻の存在になっていると思います。そこで、柳々堂さんの許可を得て、井上さんが救ってくれた僕の文章を公開します。ここを見てください。初めて書いた評論なのでお恥ずかしい点は多々ありますが、井上さんへの感謝を込めて。

 最近の出来事。
●2月1日(土):大阪の住まいのミュージアムへ。「アルヴァー・アールトの住宅」展のオープニング。ヘルシンキ工科大学のヴィルヘルム・ヘラルデルさんのレクチャーと展示見学。芸工大の3年生もいっぱい来てた。感心感心。6時からは中之島公会堂でオープニングセレモニー。いろんなひとに会えた。
●2月2日(日):わが家に近所のお母さん二人やってくる。PTAでも御一緒した方。あいかわらずさらにいろいろな活動をやっておられて、それに関わる小さなお店を出す相談。ほんとに小さなお店だけど、ゼミ生やら山隈君やらを巻き込んでやってみたい。詳しくはまた。
●2月3日(月)・4日(火):大学院のB日程の入試。面接、採点、エトセトラで、ふー。
3日の夜が井上さんのお通夜。妻と西宮のお寺へ。二人ともほんとにお世話になった。途中、西宮市役所が見え、阪神大震災のときのことを思い出した。井上さんは関西建築家ボランティアの事務局で奮闘していて、僕も耐震相談のお手伝いに呼んでもらい、この西宮市役所で被災後はじめて井上さんに会ったんだった。
●2月5日(水):入試委員会、教授会、卒計の学生励まし、エトセトラ、エトセトラで、ふー。

2003-2月4日(火) 追悼/井上正信さん

 昨日2月3日の早朝、大阪の建築専門書店・柳々堂書店の番頭役を長く勤めた井上正信さんが亡くなった。こんなこと信じたくも書きたくもないが、この日記で初めて訃報に接する方もいるかもしれないので、書きます。
 きのうの朝一番に柳々堂の松村さんから連絡がはいった。その瞬間の気持ちをどう言えばよいか。
 井上さんのことは、この日記で2回書いていた。最初が「2000年12月2日(土) 井上さん」。このコーナーを始めて2日目のことだ。柳々堂を辞めた井上さんを励ます会を開いた話。彼を知らない方はこれでどんな人かを少しわかってもらえるだろう。次は「2002年2月23日(土)」。大阪のAD&Aギャラリーでおこなった「建築100人×100冊 展 vol.2」のトークセッションに登場してもらったことを書いた。およそ1年前。あれが最後になってしまった。
 昨日がお通夜、今日がお葬式でした。
 井上さんとの出会いがなかったら、たぶん、僕自身も、そして関西の建築界も、もっとつまらないものになっていたに違いない。
 うまくかけないですね。

 57歳です。あーあ、井上さん。年賀状来たのに。
 年末に亡くなった松山の青木光利さんは58歳。僕が甘えてきたひとが一斉に消えた。なんてことだ。
 『建築MAP 大阪/神戸』の柳々堂紹介頁の写真(52頁)の一番左に立っている。伝票を背広の胸に差し、自転車の荷台に手をのせ、優しそうに微笑んでいる井上さん・・。
 いずれちゃんと書きます。