Logbook:Yoshiaki Hanada
2002年10月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2002-10月31日(木)

 ある高校の授業に招かれ、1年生相手に建築デザインという分野について話してきました。進路探しのお手伝いです。30人ほどを相手に50分授業を2回。いろいろな分野から十数校の大学の教員が呼ばれて、という催しです。3校ほどは大学院(博士課程?)の学生さんでした。芸工大の卒業制作展のパンフ、環境デザイン学科の学生の図面、「テツノマチヤ」の模型などの小道具を持参。予想通り、かなりうけました。模型は効きますね(笑)。終わってからも何人かの生徒さんが寄ってきて楽しそうに模型を見てました。一見ごっつい男の子が近づいてきて、「建築って全然考えてもみなかったけど面白そうッすね」。そおっすよ。
 大学に戻ってきて、3年生のエスキス、
小学校あき教室プロジェクト打ち合わせ。

2002-10月30日(水)

 雑務で一日が終わる。

2002-10月29日(火)

 『建築MAP横浜・鎌倉』『GAJAPAN No.59』『論理パラドクス』『林昌二 私の住居・論』購入。
 『建築MAP横浜・鎌倉』。「大阪/神戸」版をつくったとき、厖大な確認作業に驚きました。とくに編集部はたいへんです。だから、ドル箱企画だろうけどもうやめたのかなと思ってました。やっと出ました!なるほどなあ。そうですね、たしかにここでしょうね。僕にはほとんど土地勘のないエリアなので、とても新鮮。学生の頃、小田原にあった青木淳君の実家に遊びに行ったことがあるが、地方都市で育った僕には、東京からだんだん風景が寂しくなって「都会」じゃなくなっていくのがひどく印象的だった。所属していたあるクラブには「辻堂」から通っている女子学生がいて、その地名もなぜかよく覚えている。この本には掲載されてないけれど、青木君の「L」もこのあたりにあって、以前見せてもらったとき、むしろまわりの風景が記憶に残った。今回登場する建築家や住宅の雰囲気に、僕はなんとなく似た雰囲気を感じます。地方人にはぜーんぶ都会なんだけど、あれ、東京と違うこんな場所があったんだー、みたいな感じです。「幻の篠原一男」というエッセイに「ハウスインヨコハマ」は95年に取り壊されたとあり驚いた。
 『GAJAPAN No.59』。最近、いわゆる建築雑誌をほとんど買いません。住宅系はよく買うのに、です。こんなことではいかんというわけで、今日は久しぶりの1冊。冒頭の「セラミックパークMINO」が磯崎さんとはわかりませんでした。「岐阜県営北方住宅北ブロック」も出てます。北側に残っていた低層の団地のエリアですね。「北方」見に行ったことのあるひとはわかりますね。去年行ったとき、僕は「嗚呼、いいなあ」と思った部分です。そうかあ、続けてやるんだなあ。やっぱり青木君の「ルイ・ヴィトン表参道ビル」はいい。「畑」という不思議な計画も彼らしい。トマトの畑なんだそうです。彼にはなんでこんな面白い仕事が集まるんでしょう。
 『論理パラドクス』の著者・三浦俊彦は変わった人ですよね。出るとつい買ってしまう。
 『林昌二 私の住居・論』。今ごろどうしたというわけですが、何度も読んだり見たりしてたのになぜか図書館で借りてばかりで、もってなかったことを突然思い出しました。平成9年の4版で、カバーがちょっと厚くなった?林雅子展が終わったいま頁を繰ると、ちょっと不思議な気分です。

 ところで大学教師業界のかた、このページ知ってました?きっと有名なんでしょうね。なんかすごいなあ。

2002-10月29日(火)

 編入希望の方と面談。午後3年生のエスキス。夕方からは山隈直人さんのトークセッション。彼が独立直後に考えたことや実行したことから始まって、その後のたくさんのセルフビルド型活動(彼に言わすと「ヤクザな」仕事)をとてもわかりやすく紹介してもらった。「カタギの」仕事のスライドを見せてもらう時間がなくなったのは残念でしたが、僕も全然知らなかった作品もあり、とても新鮮でした。学生諸君にもけっこう受け入れられたように感じました。「工作隊」に入隊を希望する諸君(しかも女性陣多し)が山隈君に連絡先を伝えてましたよ!

2002-10月28日(月)

 4年生のゼミ。1時過ぎから8時頃まで。卒論提出まであと2週間。さすがに全員出席です。何人かずつ原稿に朱を入れながら話していると、結局のところ論文とは何を誰に向けて書く行為なのかなんてことになってくる。学生さん、意外にそこがあやふやだったりするんですね。
 とにかく論理を明解にすること。難しいことでも何でもないです。よおく考えればわかります。〈AならB〉かつ〈BならC〉で〈AならC〉です。そういう連鎖が成り立日本語が書けているか。接続詞、主語・
述語、掛り受けは正しいか。それらを何度もチェックすること。ぶつぶつと音読することを薦めます。
 『Esquire』12月号。「スイートホームの理想型」という特集です。建築雑誌とは違う写真の雰囲気に興味があって買ったのですが、厚さが1.5cmもあって700円。なによりそのことに驚きました。

2002-10月27日(日)

 快晴の日曜日。風が吹くと肌寒いけど、陽射しは暖かい。それに誘われて屋上へ。テラスの掃除です。20mのホースとブラシを買ってきた。ブラシはタイルの目地にも対応できるすぐれもの。それで入隅までごしごしと擦りあげる。途中だんだん寒くなって鼻水をたらしながらの作業となる。とれるとれる。右の写真の左半分がきれいになった部分です。もとのうぐいす色に戻りました。さいごは屋根面に流れ出した汚れを樋の方へ洗い流して終了。これで裸足で歩いてもOKです。そういえば屋根全体を木のテラスにした住宅もあったなあ。掃除たいへんじゃないのかなあ。

 『人間 久野収』を読み終わったけど、「人間」がもうひとつ伝わってくる感じがしなかった。戦中、女学校の教師をしていた時代の話は面白かったけど、後半、インタビューや対談の引用が多くなった途端に気持ちが離れてしまいました。
 そういえばと今気がついたが、この感覚は、先日読んだ「自由な建築 坂本一成論」(『10+1』No.29)の空虚さと似ているぞ。特別講議にいらっしゃった坂本先生から教わった文章だけど、彼の建築の魅力を引き出しているといえるだろうか。坂本先生の講演と基本的には同じ内容。どっちがどっちに似ているのか知らないけれど、そんなことより、それはこの文章が対象の「描写」でしかないということの証拠だろう。
坂本建築について何かが明らかになった気がしないんだなあ。果たして著者は坂本建築のどこが好きなんだろう。結局のところ、それがこちらに伝わってこない。このひとの文章はいつもそんな印象がある。
 
 10月29日(火)18時から、環境デザイン学科のトークセッションシリーズで、建築家・山隈直人さんに「セルフビルドに何ができるか」というタイトルで話してもらいます。工作隊の活動から、自宅・野里の長屋の建設苦労話など、いろんな話がでると思います。「セルフビルドはもうこりごりだ」というタイトルは拒否されました(笑)。特別講議とは違ってこじんまりした会です。学科棟2階の講義室。雑誌等へのお知らせはしてませんが、自由に来ていただいて結構です。その日は午後、2年生の住宅の課題の中間講評会。非常勤で来ていただいている吉本剛さんも、講評会後、トークセッションに参加してくれると思います。豪華メンバー!ワインパーティー付き!芸工大の学生諸君は当然ですが、お時間のある方、ふるって御参加下さい。

2002-10月26日(土)

 小学校あき教室プロジェクト、地域の方と打ち合わせ。我々の案、好評。ほっとした。まだ先は長いけど。

2002-10月25日(金)

 「教育」と言うと冷や汗が出るが、ともかく学生諸君のお相手にたっぷり時間を使う毎日である。お勤めだからきちんとやる。僕も建築学科に進学したばかりの2年生の後期、駒場の図学教室の先生たち(広部達也、横山正、故・野口徹)が遅くまで、ときに出前のうどんをすすりながら図面をチェックしていたことを忘れない。今は阪大にいるS君が広部さんに大声で怒鳴られたことも忘れない。思ったことは全部言う。じわーっと伸びてくるやつがいるから面白い。8時間ノンストップもあっという間。マラソンの快楽。
 「横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさんが25日、平壌市内のホテルで朝日新聞、毎日新聞、フジテレビのインタビューに応じた」との報。どうしてこんなことをするんだろう。僕はテレビでの放映は見てないが、勝谷誠彦が、画面に「会見 泣き」との内部メモが映ったことを糾弾している。ほんとうだとしたら、メディアのあまりの下品さに言葉を失う。
 小学校あき教室プロジェクト、現在の案はこんな感じ。よくわかりませんね(笑)。いずれ詳しく。

2002-10月24日(木)

 3年生の実習エスキス。熱心なグループが多い。ただ、画期的なアイディアはまだないなあ。
 小学校あき教室利用プロジェクト、打ち合わせ。小さな仕事だけど面白い。
 えらく長い時間がかかってしまった「正面のない家」論。やっと校正。事務局のかた、すみませんでした。大阪建築士事務所協会の雑誌『まちなみ』の11月号です。タイトルは「「正面のない家」再読」。

2002-10月23日(水)

 小学校あき教室利用プロジェクト、さらに打ち合わせ。だいぶよくなってきた。この自画自賛が大切ですね。揺り戻しはきっとあるだろうけど。
 午後は特別講議。今日は東工大の坂本一成先生。学生の頃からのファンとしてはもちろん出席。学会の研究発表や資料集成でおなじみの空間配列という視点から自身の作品を語られた。そのあとの三宮での飲み会も実に楽しく、「ああ言えばこう言う」型のつわもの先生方と、なんという言いたい放題。年齢順に書くと、鈴木成文、土肥博至、坂本一成、小玉祐一郎、木村博昭、鈴木明、三上晴久、わたくし、川北健雄、という面子。うーむ、おそろしや(笑)。 ところで、学会的な意味での研究と実際の建築設計という創作とを並行しておこなうのは、谷口→清家→篠原以来の東工大カラーのひとつのように思います。そしてもちろん坂本先生もそうですね。さらにその弟子の塚本さんだって同じスタイル。その両者に関係があるのかないのかが微妙な点も共通しているように思います。正直言うと、坂本作品という「創作」は、空間配列という「研究」の視点で分析してもその魅力を語り得ないんじゃないかと僕は思います。少なくとも、僕が感じてきた魅力を説明してくれるような気はしない。じゃあどんな語り口がふさわしいんだと聞かれるとうまく答えられないから今日そこまでお話できなかったのですが、でもなーんか違うような気がします。むしろ、生活というか意味というかそういうものを、一見ドライな感じのデザインの中にうまく取り込むメカニズムとして・・とか、意味の問題から切り離された空間配列ではなく両者の別の関係として・・てな感じの路線に何かあるような気がします。うまく言えないけど。
 拉致被害者問題、永住帰国の方向へ向けてさまざまな動き。家族の方々の冷静に状況を分析した発言や行動の見事さに圧倒される。

2002-10月22日(火)

 小学校あき教室利用プロジェクト、さらに打ち合わせ。ちーとよくなってきた。この「よくなってきた」っていう感覚が重要ですね。どういう点にそう感じるのか。教室と廊下を建物と街路の関係に変えること、できるだけ少ないモチーフで全体を構成すること、各エレメントは複数の役割を果たすこと、空間が重層して透明感をだすこと、そんなことが目標とチェックポイント。
 この春、卒計1番で学部を卒業したH君が訪ねてきた。ハナダさん一押しの例の南極案です。東京の若い建築家のもとで働くことがきまり、あさって引っ越すとのこと。『CASA BRUTUS なんたって建築家!』にもでている事務所です。希望に燃えている。頑張ってほしい。東京は怖いところだから靴下の中にお札を隠して行くようにとアドバイスをした。

2002-10月21日(月)

 小学校あき教室利用プロジェクトについて、研究生・松田君と院生・新宮君といっしょに案づくり。なんとなくできるんだけど、もうひとつ決め手を欠いたまま。
 山本喜美恵嬢から、先日の高知新聞が届く。片面の四分の一ほどを占めていて、あらためて大きく扱ってもらっていたことを実感。
 今日買った本。
 『一脚の椅子・その背景』:以前『コンフォルト』誌に連載されていた記事をまとめた本です。写真が綺麗で適格なこと、インタビューも交えたわかりやすい文章であること、資料性も高いことと三拍子揃ったすぐれもの。高価な椅子は手が出ないけど、わが家もトーネットの曲木は座の張り替えもして使っているし、ニーチェアも長いなあ。先日は、本書152頁にも登場する豊口克平の「トヨさんの椅子」を食卓用についに購入。あぐらをかいたり正座をしたり楽しんでます。編集はアイシオールの多田君枝さん。コンフォルト編集部時代からの仕事ですね。
 『東京の仕事場』:写真家、漫画家、アーティスト等々の仕事場の写真とインタビュー集、なんて書いてみてもこの本の魅力は伝わらない。僕が東京という都市に魅力を感じることがあるとしたら、大通りから一筋奥の細い道に紛れ込み、それまでの喧噪がすーっと消え小規模なマンションやアパートが並ぶエリアにはいったときだ。そういう場所には奇妙な生産の現場が隠れている。その内側をこっそり見せてくれたのが本書である。装幀もいいなあ。
 『人間 久野収』:久野収の評伝ってこれまであったのだろうか。よく知らないけど、ともかく僕にとっては初めての一冊が手にはいったというわけで、とても嬉しい。
 『新しい住まいの設計 12月号』:「『箱の家』は美しい!」というタイトルです。さて表紙の住宅の設計者は誰でしょう。・・・・沈黙・・・・。そう、僕も家に帰ってゆっくり見るまで難波さんと思ってました。それが違うんですね。編集部、なかなかやるなあ。しかも難波さんはまったく登場せず。考えてみれば当然だけど、「箱の家」って誰が使ってもいい言葉なんだ(笑)。読みようによっては鋭い批評ともいえるなあ。最近この雑誌は少しずつ変身しているように思います。今月号では「建築家・駒井貞治さんの終わらない借家生活」という記事が素晴らしい。だんだん専門誌っぽくなってきたぞ。ところで駒井さ〜ん、先日のメール届いたんでしょうか。この写真を見ていると、混乱していてそれどこじゃない感じが溢れてはいますな。
 

2002-10月20日(日) 雨の日曜日

 雨の日曜日。屋上テラスを傘をさしながらブラシで擦ってみた。いやあ、とれますとれます。黒い汚れが雨水の中に溶け出しました。ただし静かに降る雨ていどでは、せっかく浮いた汚れを吹き飛ばすわけにいかず、なにより、風邪ひいてもこれでは誰も同情してくれないだろうと思い、次回、長いホースを買ってきて本格的にやることに方針を変更した。それにしても、屋根の上で傘をさして長い柄のブラシを振り回す姿は、バカバカしくもなんと美しいことか。木製デッキの汚れ、みんなどうしてるの?
 「何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません」という言葉が皇后からでてきた。「共同社会」や「不在」という、批評的というかアカデミックというか、そんな単語が使われていることに驚いた。戦前なら関係者の一部は切腹もんだなとは、勝っちゃん(10/20)ならずとも思うこと。民間人が皇室にはいるのも考えてみれば一種の拉致か、などというと今度はこっちが不敬罪か。『こんなに困った北朝鮮』の続きを読む。
  午前中、NHKテレビで湯川秀樹の昔のドキュメンタリー番組をやっていた。『旅人』からの引用が読まれ懐かしかった。高校生のとき角川文庫で読んだもんなあ。それこそ24年前以上だ。
 小学校あき教室利用プロジェクトのスケッチ。地域のスポーツと文化サークルのクラブハウスにするのですが、さてどんな空間にしてあげれば良いのやら。けっこう悩ましい。

2002-10月19日(土) 

 『拉致』読了。一時帰国が実現した今読むと、なんとも不思議な感じがする。急いで全体把握をしたいときは橋爪センセイに限ります。『こんなに困った北朝鮮』(橋爪大三郎、メタローグ)を読み始める。

2002-10月18日(金) 

 非常勤校へ。ともかく自分のいる大学以外の大学のなかを見るのは面白い。自分の大学の教育の質を確かめる良いチャンス。いろんな教育といろんな学生さんがいるもんだとあらためて思います。芸工大にも多くの大学から非常勤講師として来てもらっているわけですから、まあ、もちつもたれつということでしょう。民間企業だとこんなことないよなあといつも思います。

2002-10月17日(木) 

 3年生の実習、マスタープランづくりの中間講評会。今日は現状分析を中心にした発表ですが、もちろん次のステップの提案にまで踏み込んだものも多く、全体としてけっこう面白かった。終了後、悩める3人組男子に詰め寄られ、さらに議論。脱皮せよ!新宮君・松田君とあき教室利用プロジェクトの打ち合わせ。夏からたまっているスライドの整理、その他。北朝鮮から一時帰国の方々が故郷へ。だんだんと言葉や感情の表現が豊かになってきた様子を見るとほっとする。初日のこわばった表情と今日の涙との大きな差。その一方で北朝鮮は核開発を認める発言。自分だったら24年間をどう過ごしたんだろう、今どうしてるだろう、そんなことばっかり考えている。編集者の多田君枝さんから小さな問い合わせ。それをきっかけに雑談メール。楽しい。

2002-10月16日(水) 

 午前中、住まいのミュージアムへ車で行き、「海のギャラリー」の模型の一部をもって帰った。「一部」というのは、正面入口側の1スパン分ほどの部分である。模型では建物を輪切りにし断面を見せていたわけですが、実はちゃんとそこに蓋をし、建物全体が再現できるようになっています。最後の頃に僕が思いつき、急遽、学生諸君に作ってもらいました。展覧会、特に大阪展では、本体の横か手前に置くことを現場で検討したのですが、もうひとつすっきりせず、結局皆さんの目にはふれることなく24時間完全空調の収蔵庫で待機しておられたのです。陽の当たらなかったその可哀想な(笑)子を引き取ってきました。さてどうしよう。お金持ちの家の鹿の頭の剥製のように、研究室の壁に取り付けますかね。
 午後は「伝導師」としてのお仕事の打ち合わせと教授会。どんな組織でもそうだと思うけど、結局は「人」なんですね。
 ふだんテレビはあまり見ないのですが、拉致問題のニュースはどうしても映像が見たくて、夜になるとチャンネルをあちこち切り替えています。通勤の車のラジオやインターネットでも、記者会見等の報道をできるだけ早く知ろうとしている。たぶん拉致されたひとたちと世代が同じだからだと思います。二十歳前後で自由を奪われその後まったく違う24年間を過ごしてきて、今同じ40台半ばに至っている、あるいは至ることができなかったひとたちが、おそらく、たくさんいる。どうしても自分の24年間と重なります。「本当のこと」はどこにあるのか。いまごろ高世仁の『拉致』(講談社文庫)を読んでいます。家族連絡会の結成は1997年。ついこのあいだです。いかに長い間、国家と国民によって放置されていたかということです。 別の話ですが、そんな国家に対して愛国心をいだけという注文がでているようですが、そりゃ的外れというものでしょ。その記事によると、「家庭の果たすべき役割や責任について新たに規定することも適当とした」とあるけど、家庭を「国家」にかえるべきだな。だんだん「勝っちゃん」になってきた。

2002-10月15日(火) 24年

 おそらく多くの人が同じ思いにとらわれたに違いない。24年前に自分は何をしていたか。そしてこの24年間何をしてきたか。同じ時間を、自分の意志を奪われ、不安や恐怖の中で生き抜いてきたひとたちがいた。自分の無関心とこの国の無責任ぶりにあらためて呆然とした。

 掲示板については、院生・村山君の調査等により、やはり書き込みが収容可能件数を越えた結果、リセットされてしまったのではないかという結論に達しました。不思議なことは、オーバーした数だけ最初の方から消えていく設定なのではないかと思うのですが、実際には全部消えた。梶川君、そのへん、どう。それと、一定数を越えると自動的に過去ログを生成してくれると管理が楽なんだけど、梶川君、そんな便利な掲示板ないかな。
 ともかく少しのあいだ閉鎖して調整します。すみません、しばしお待ちを。その間、御意見、御批判、すべて私宛にお送り下さい。

2002-10月14日(月) うだうだと

 今日も休みだ。なんだか連休が多い。何の日か知らずに休んでいる。今日は体育の日らしい。体育の日といえば10月10日と相場は決まっていたんじゃないのか。そういえば先週の木曜日、今日は10月10日だと思い、あれヘンだな、休みじゃないのかという疑問が頭をかすめた記憶がある。いつから3連休になっていたのか。月曜日の休みが増えて、小学校から大学まで、学校はどこも困っている。なんでこんなに休みを増やす。勝谷誠彦も言うように(10/14の日記)、日本は休みすぎではないだろうか。僕も日建に勤めていた頃、平日は夜中まで、土日もしょっちゅう会社に行っていた。休日の出社は好きでさえあった。事務所は静かで電話もかかってこない。図面書きに集中できる。淀屋橋のオフィス街も閑散としている。もちろん普段着での出社である。車で行けるのも嬉しかった。昔はいろいろへんな車に乗っていた。休日出社の時くらいしかハンドルを握る機会がないから、それは貴重なドライブだった。帰りは深夜の阪神高速を気持ちよく飛ばしていた。 考えてみると、今やっていることは日建の頃の休日出勤に近いぞ(笑)。自分のスタイルで自分の好きなことをやる。もちろん面倒臭いこともいろいろあるけど、「自分に関係あること」と思えるもんなあ。日建の頃は、そう思えないことも少しはあった(衝撃の告白)。

 昨日の掃除の一環で、庭に面した木製のテラスをごしごしとブラシで洗った。ACQという防腐剤を注入しただけで、きれいなうぐいす色をしてたので塗装はせずに施工した。わが家の外部の木はすべてそういう仕様である。それがいつの間にか黒ずんできて、裸足で歩くと足の裏が汚れるようになっていた。昨日一部を洗い、一夜明けるとすべすべお肌に戻ってた。そこで今朝、朝ご飯の前にひと働きで、全部をごしごし洗いました。あーら、不思議、裸足で歩いても家の中の床を踏んでいるような快適さ。色もうぐいす色が戻ってきました。次は屋上のテラスと道路沿いの塀をこすってやるぞ。運動にもなるし、掃除って面白い。今月の『住む』は「毎日の掃除学」という特集だ。掃除に凝ってみようかな。「ご趣味は?」「掃除です」。わるくないかも。

 掲示板の書き込みが消えてしまって困っています。ホームページを作ってくれたOB・梶川君がメールや書き込みでアドバイスをしてくれています。サンキュー。保存件数の規定量を越えたのではないかというのが彼の意見です。そうかそういう上限ってあったのね、とは私のつぶやき。とても管理者とはいえません。ともかく明日大学で調べてみよう。梶川君のメールにあった言葉です。「
とにかくコンピューターってそこまで信用できないものですから、こまめにバック アップとっておくこおとが一番の対応策ではないでしょうか」。コンピューターのエキスパートに言われるとずっしりとこたえますな。

 林雅子展の大阪展の搬入の日が小泉首相と北朝鮮との初会談日だった。楽観的な予想をして帰ってきたら、「可哀想でニュースを見ていられなかった」と妻。死亡通告があった御家族の会見のことだ。あれ以来、いろいろな変化があり、明日5人の方が一時期国。きちんとした自分の意見を書く自信がないが、勝谷誠彦の吐く言葉がことごとく真っ当なように思えている。独裁者はやはり国際的な司法の場で裁かれるべきだ。

 小柴昌俊さんと田中耕一さんのノーベル賞受賞はそれぞれのエピソードの質と量の差が面白かった。小柴さんのときは記事のそこここにプロジェクトX的でドラマチックな言葉があって楽しかったし、田中さんのときは、御夫婦共がともかくいろんなことに「勘弁してください」といった反応をされているのが微笑ましかった。もちろん外野から見ている気楽さでしょうが、でも、こういう純粋科学の領域における開かれた感じはものすごくいいな。

2002-10月13日(日) 世の中の役に立つ仕事

 朝から家の掃除。雑巾がけも一所懸命やりました。というのも、本日は、林雅子展事務局をつとめた山本喜美恵嬢と、大阪展の裏方を手伝ってくださった柳々堂の松村智子さんをわが家に招待したからです。以前、この日記だったか掲示板でだったか、お二人を「蒸気機関車」と評したところ山本嬢から叱られましたが、本日は国道沿いの家にダンプカーが飛び込んで来たようだと言ったらもっと叱られました。 いやあ賑やかで楽しかった。子供たちもいっぱい遊んでもらいました。
 オン・ザ・ジョブ・トレーニングの最高の実践例だと思いますが、体当たりで展覧会のコーディネーターとしての道を切り開いている山本嬢と、本屋さんの娘として家庭と建築書店の活動とを両立させている松村さんと、ともに
間違いなく世の中の役に立つ仕事をされている。この二人の元気な女性を前に、僕は仕事や人生の意味について深く思いをめぐらし自省の念にとらわれたことでした。自分のやっていることは果たして世の中の役に立っているのか、と。 僕がヨボヨボのじいさんになっても遊びに来て話し相手になってくださいね。心の中で手を合わせた次第です。

2002-10月12日(土) 高知新聞/実物

 夕方までずっと「正面のない家」論。一応書き終わりましたが、文字数が多く、これでは図版を入れるスペース無し。これから削っていく作業です。いちどぴたっと納めてみたいものだ。
 気がつくと研究室の掲示板の様子が変になっていました。書き込みが全部消えてしまったのか?えらいことです。村山君、梶川君、その他どなたでもいいですから、至急、対応やアドバイスよろしく。
 そちらに書き込んだのですが消えてしまったので日記にもう一度。昨日書いた高知新聞の切り抜きが、高知にいる両親から送られてきました。6段を使った結構大きな記事です。記事の内容もよく書けています。展示ケースに入れた本物の貝殻を面白がっていただけたようで、その拡大写真付き。
高知新聞2002.10.11朝刊

2002-10月11日(金) 高知新聞

 「海のギャラリー」の模型が土佐清水市に寄贈されたことは先日書きましたが、それが地元の高知新聞に載りました模型の細かなところまで書いてあり、いい記事にしてもらいました。「(土佐高出身)」がローカルな雰囲気を漂わせています(笑)。

2002-10月10日(木)

 3年生の実習エスキス。元町あるいは垂水に指定された地区のいずれかを選び、前半でそこのマスタープランをグループで作り、後半は個人で主要施設を設計するという課題です。3年生ともなると話しがいのある学生も多く、けっこう楽しい。
 以前御紹介した松井計のホームレス生活の記録の第2弾、『ホームレス失格』購入。第1弾『ホームレス作家』の紹介をこの日記で以前に書いたのだが、それを検索で引っ掛けた同じくホームレス(だった)ニューヨーク在住の作家の方から(おそらく御本人だと思いますが)、ニューヨークでのホームレス体験を書いた御自身の本の紹介メールが、先日舞い込みました。おもしろいですねえ。

2002-10月9日(水) いろんなことがありました

 ずいぶんと更新をさぼってしまいました。理由はきわめて単純です。夏休みから後期へと移行するためのさまざまな出来事に心身とも押しつぶされていたというわけですね。な〜んていうとかっこいいですが、要は、去り行く夏の思い出に未練がましくすがりつき、完成しなかった宿題を前に呆然としていたというところです。 その間に、しかし、思わぬこと楽しいことがいっぱいありました。9月までの分は過去ログに入れて、今日から気分一新、後半戦のスタートです。

■9月26日(木)27日(金)
 芸工大の大学院の入試です。ま、まさか、あいつがこんな・・。
■9月28日(土)
 小学校あき教室利用プロジェクトの打ち合わせに、M1の新宮君と後期研究生となる松田君を連れていく。カフェを学校につくるのだ。

■9月29日(日)
 『沢田マンション物語』、みなさんもう買いましたか?読みましたか!先月、感動のあまり日記で大きく紹介したわけでしたが、それが検索でひっかかったんですね。この本の担当編集者の三宅由香里さんから御礼のメールが届きました。嬉しかったなあ。さらに感激、さっそく返事。インターネットの力ですね。

■9月30日(月)
 後期のゼミ1回目。卒論と修論・修士設計について。卒論はまだまだ、修士の方はやっと動いてきた。

■10月1日(火)
 後期の授業開始です。学生たちが戻ってきた。さっそく、担当する3年生の実習の課題説明会。
■10月2日(水)
 午前中、インターネットで知り合った御婦人がお二人(NさんとN’さん)、研究室を訪ねてきた。話すと長くなるのですが、夙川にあった喫茶店「ラ・パボーニ」が引き合わせくれた御縁です。この喫茶店については、簡単な紹介を『建築MAP大阪/神戸』の218ページに書いておきましたから御覧下さい。阪神大震災で失われたその空間をなんとか再建できないかと考えておられる方々です。
 知り合いになったきっかけはここの学芸員玉川さんです。お二人のうちのNさんが、喫茶店の展覧会を構想していた玉川さんをネット上で知りメールを出した。僕は僕で逓信建築検索中に小樽文学館のホームページにたどりつき、あまりに面白い玉川さんの日記にファンレターを出していた。そこにパボーニのことを書いておいた。で、玉川さんがNさんに僕を紹介した。Nさんから僕にメールがきた。僕とNさんとのメールでのやりとりが始まった。Nさんが西宮市の街めぐりのイベントに参加してパボーニを紹介した。そこでNさんはパボーニの再建運動に走り回っていたN’さんに出会った。NさんとN’さんは、実は息子さんが高校の同級生で母親コーラスの仲間だった。あらまあ久しぶり!そんなことがこの1年のあいだにおこり、やっと今日お目にかかることになったという次第です。
 さすがに建築のことにもお詳しく、すっかり話がはずみました。学食のランチも美味しいと言っていただき(?!)、学生さんもみんな素直な方ばかりですねと誉めていただきました。もっとこう派手な格好を期待されていたみたいで、着物きた人とかいないんですかあ・・とちょっと残念そうでした(笑)。インターネットの力ですね。

 今日はさらに『沢田マンション』の著者・古庄弘枝さんからもメールが来た。嬉しいなあ。さっそく返事。これもインターネットの力。

■10月3日(木)
 卒業制作のテーマ発表会。A2の紙になんとなくプレゼはしてるけど、心動かされるものはほとんどなかった。最後に言おうと思っていたことを書いておきます。「今日出た指摘の意味を誤解するな。あと少し手を入れたらよくなるよ、といった意味じゃない。敷地を変えろ、中身を変えろ、テーマを変えろ、そういうことだと思うべき。これからまだ何十何百というアイディアを検討しなくてはいけない」

■10月4日(金)
 今年は後期に某大学で非常勤で設計を教えることになりました。その1回目。講評会に呼ばれたとかはあるのですが、芸工大以外で設計課題を担当するのは初めてです。工学系の大学なので、僕は、そしておそらく学生さんも、カルチャーショックを受けっぱなし。

■10月5日(土)

 林雅子展へ。いよいよ明日が最終日。昨日から林昌二さんも会場にいらっしゃる。入場者数多く、会場は熱気ムンムンである。


 夜は一日早い慰労会。林昌二さんのお招きで、大阪展の関係者がホテルニューオータニの和食レストラン「城見」の個室に集まった。いやあ、まいりました。実に実に実に楽しい会でした!!!僕の人生の中で、林昌二さんと自由にこんな会話をすることがあろうとは。神様だって予想してなかったに違いない。さらにバーへなだれ込み、怪しい笑い声は続きました。笑いあり、涙あり、教訓あり!詳しいこと聞きたいひと、個人的にお申し出下さい。秘話満載です(笑)
 大阪展をやってほんとうによかった。林さんにもそう言っていただきました。山本喜美恵、よくやった!学生諸君、関係者の皆さん、お疲れさまでした。
 なお「海のギャラリー」の模型は土佐清水市役所に寄贈されることになりました。展覧会終了と同時に旅立ちます。

■10月6日(日)
 入試委員は忙しい。大学のキャンパス見学会のお仕事。林雅子展は最終日。
■10月7日(月)
 卒論ゼミ。今日は目次提出と引用文献の書き方等の技術的な説明。ちょっと見えてきたかな。
■10月8日(火)
 
3年生のエスキス。入試委員会。
 え、まだなんですかと院生にも呆れられている「正面のない家」論。やっと終わりそうです。ふー。