Logbook:Yoshiaki Hanada
2002年3月〜2002年9月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2002-9月23日(月) イジイジとこみ上げて来るものたち

 シンポでも会議でも、終わってしまうとああ言えばよかったこう言えばよかったと後悔ばかりがこみ上げて来る。でも一昨日の会はそういう思いがあまりない。パネラーどうし、あるいはパネラーと会場とのディスカッションの時間がとれなかったのは残念ですが、逆に言えば、妙な誤解や重複発言やらを生まずにすんで、それが(少なくとも僕にとっては)後味の良さに結びついているような気がします。パネラーの話も、そして指名させていただいた会場の皆さんからの発言もうまく役割分担ができていた。しかもそれぞれの立場からの筋の通った話でした。あれだけ材料が揃ったなら、「ディスカッション」は聞き手の頭の中でゆっくりやっていただければいいと思う。シンポのパネラーの2巡目の話って、だいたいが間抜けなものです。
 「無駄なく多くの情報を開示しそれらの加工は聞き手に任す」というこの構図は、考えてみると大阪展の展示計画とも重なることに気づきました。掲示板の方にも書きましたが、
全体が一望できて「順路」がないからごく自然に行ったり来たりできるんですね。したがって、図面、写真、模型等がもたらすイメージを、時代や作品やらを越えて組み換えながら、いろんな比較や確認を自分の頭の中で楽しめます。「無駄なく多くの情報を開示しそれらの加工は見る人に任す」状況が空間として保障されているというわけです。おそらく、見る方々の滞在時間も長いしリピーターもいらっしゃるのではないかと想像します。

・・・
いつでも展覧会レポートが書けそうな気がしてきました。当事者には原稿依頼来ないか・・(笑)。

 とはいうものの、自分の発言についてはイジイジと反省が込み上げるわけでして、以下、こんな順序で話した方がよかったかなあという反省(でもまあだいたい通じたとは思いますが)。
(1)林雅子さんの設計した住宅での生活やそこに暮らす家族像を僕は上手く想像できない。

(2)もちろん裕福な住み手が多いから、単に僕自身の想像力が及ばないだけという可能性はある。
(3)しかしたとえそうだとしても、生活行為に「具体的に」対応しているはずの豊かで細やかなディテールと骨格をもつ空間に対し、僕は逆に「抽象的な」印象をもってしまう。
(4)非常に明解な論理の連鎖が成り立っているけど、その出発点の値が決まってないために全体の値も確定しない、そんな「抽象性」だ。
(5)「海のギャラリー」にも見事な推論の積み重ねによるデザインの決定過程がある(それは会場でお話した通り)。
模型を作って実感もした。
(6)「海のギャラリー」の推論過程の出発点にあったのは「貝」の形態的イメージ、あるいは「貝はわずかに降り注ぐ光に透けて見えるとき美しい」という命題。隠喩の単純さが気にはなるけど、でも一応「値」は代入されている。
(7)ならば住宅においてそれら(=「貝」の形態的イメージ、あるいは「貝はわずかに降り注ぐ光に透けて見えるとき美しい」という命題)に相当するものは何だったのか。どんな家族像、生活像、社会像が想定されていたのだろう。
(8)もちろんそういったことを声高に言わない態度を守ったのが林雅子という建築家の特徴だけれど、ならば彼女は何を言ったといえばよいのか。

 一昨日僕の心にいちばん残ったのは、林昌二さんの(今の若い人は公共建築をすぐやりたがるけど)「雅子が住宅をやっていれば自分は満足できると考えたように、私はオフィスをやっていれば満足できると考えた」という言葉でした。こういう潔さあるいは強さを手がかりに、林さんを語るなにかが見つかるとよいのですが。

2002-9月22日(日) 林雅子展のトークセッション

 あ〜〜、終わった終わった。林雅子展のトークセッション、昨日なんとか終わりました。
 予想をこえる大盛況で、300席ほどの平土間の会場は満席でした。あわてて椅子を追加しても立ち見の方がおられました。僕はパネラー兼司会係。

 最初にこの展覧会の発起人を代表して安藤忠雄さんに御挨拶をしていただく。若い頃の林雅子建築体験、展覧会の感想、手書き図面の迫力など。
 一番手は植田実さん。林さんの住宅の特徴と歴史的な位置づけについて。実際に訪れた何軒かの住宅のスライドを写しながらで、作品集で見る立派な写真とは違うリアリティがあり、とても新鮮な導入部になりました。
 次に、岡部憲明さんには長いヨーロッパ体験を通して見た林雅子論をお願いしました。岡部さんは日本に戻ってこられたあとの対談の仕事で(『建築技術』での連載)、最初のお相手に林雅子さんを指名されている。その理由、身体性や空間性を重んじるヨーロッパの建築家と林さんの類似性、さらにペリアンにも通じる気質など。明快な分析でした。
 そして林昌二さん。東京展のシンポではあまり御発言がなかったのですが、今日はぜひパネラーのひとりとしてお話いただきたいとお願いしました。清家研時代のこと、雅子さんの活動の前半と後半との違い、裕福なクライアントの仕事でもお金を高価な材料にまわすのではなく、いつも居たくなるような面白い空間づくりのためにお金を使ったという話、雅子さんは現在至上主義者だ、など、さすがに暖かみと鋭さの両方に溢れた分析でした。
 で、わたくし。まず海のギャラリーの実写と模型写真とのスライドを写しながら、その建物がいかに筋道立てて設計されているかという説明。でも、そのプロセスの出発点にある「貝」のイメージ、あるいは「貝は上からの光が透けて見えるとき美しい」という判断に相当するものが、彼女の住宅においては僕には読み取り難いとつなぎ、院生のころ青木君が月評で林さんにふれた文章など引用しつつ、建築家とは一般解やら思い描く社会像やらを新しいフォルムに託すべきだという思いと林さんの設計姿勢とをどう結びつけるかこの春以来悶々としているということなどを話しました(話したつもり、です)。
 最後に松隈洋さん。レーモンド、吉村順三、吉阪隆生の住宅のスライドも示しつつ、そういったモダニストと林さんとをどう論じていくかという問題提起。林さん的な空間を学生に伝える言葉の難しさなど。ついでに僕からは、そういった作家たちを包含するモダンリビング論の執筆を林さんにお願いした。
 会場からは、竹原義二さん鈴木成文先生出江寛さん。最後は出江節(僕は初体験でした)で会場がぐっと関西的な盛り上がりをみせ、そのままなんとか着地することができました。パネラーどうしの、あるいは会場とパネラーとのディスカッションをする時間がなかったのは残念ですが、いろんな解釈、いろんな情報が飛び交って、けっこう楽しんでいただけたのではないでしょうか。出席された方、感想、御意見、ぜひ聞かせてください。展覧会場も迫力満点。長坂大さんの会場デザインは素晴らしいです。ぜひ御来場下さい。

 で、一夜明けて本日22日(日)。昨日のセッション終了後のパーティー、さらにその後の鈴木先生らとの飲み会の余韻というか二日酔いと、何よりセッションの気疲れとで腰砕け状態、なーんて呑気なことを言ってられない半日でした。午前中、林さんと植田さんがわが家を見にいらしたのですね。いやはや、いったいどんな感想をもたれたことか。「にさんかたんそってしってる?」と「名探偵コナン 不思議実験やってみよう」というビデオを林さんに無理矢理見せてあれこれ遊んでもらった下の子の怖いもの知らずがうらやましい。お二人はお昼過ぎにJR住吉駅から京都へ向かった。午後は長坂大さんの自邸の番です。「今、住吉駅から電車に乗りました」と長坂君に電話を入れ、なんだか犯人を追う刑事になった気分でした。

2002-9月19日(木) 

 大学へ。後期より研究生でくる予定の方の面接、その他いろいろ。いよいよ後期が始まるなあ。
 『新建築 住宅特集』10月号到着。山隈直人さんと設計した住宅が掲載されています。ページレイアウトは上々。裏庭の見上げ写真を
大きく扱ってもらえたこと、現場写真(僕自身が撮影したもの)がカラーでしかも予想以上に大きくはいり、鉄骨と鉄板の様子がわかりやすくなっていたのが嬉しかった。

2002-9月17日(火) 

  林雅子展・大阪展の搬入日です。東京電気大、京都工繊大、神戸芸工大の学生有志も協力しておこなわれました。会場構成は長坂大さん。東京展の回廊状の空間ではなく正方形に近いワンルーム。すべての展示物が一望できて、ぐっと迫力が増したように思います。海のギャラリーの模型も良い位置をもらいました。断面を覗き込むと、壁に架けられた海のギャラリーの写真と重なって見えるようになってまして、これが結構おもしろい効果を生みました。20日(金)オープンです。
 最近トップページが更新され海のギャラリーの模型製作の様子が報告されていますので、そちらも御覧下さい。

2002-9月15日(日) 

 昨夜からいくつか楽しいメールのやり取りが続いています。
 以前も紹介した「大建築」の山岡さん川島甲士や安田臣といった建築家へのきちんとした評価の無さを嘆きあう。僕も、川島甲士の津山文化センターと安田臣の島根県庁は見たことがある。どちらも山岡流の言葉を借りれば、国宝級の大建築。同感、賛成、その通り!なんかしなきゃね。島根県庁、ほんとかっこいいですよ。お手軽な開かれた公共建築論なんかぶっ飛びますね。威風堂々、これぞ建築。安田臣を論じた文章なんかあるのかなあ。 某コピー建築についても傑作情報をひとつ教わったけど、ちょっとここには書けません(笑)。
 H大学S先生からはあいかわらずマニアックな建築見学記。あれで家族旅行になっているのか。心配です(笑)。
 青木淳君からも嬉しいメール。ルイ・ヴィトンから受けた僕の印象がそう的外れでもなかったみたいで、「続・青木淳論」を書く勇気が湧いてきたゾ。雑誌用の自註原稿も一足早く読ませてもらった。お楽しみに。

 林雅子展・東京展は今日で無事終了。事務局の山本嬢が撤収現場から電話をかけてきた。お疲れさまでした!

2002-9月14日(土) 

 小学校の空き教室利用のプロジェクトの打ち合わせ。どんなことになるかな。後期、研究室の活動のひとつにする予定。実現するぞ。お暇なかた、よろしく。 ホームページの表紙、更新されると聞いたんだけど、まだ?東端君!
 
  横浜国際客船ターミナル、閑散としてたと先日書いたら、夜に現地にいったゼミ生から「夕暮れ時だったので人が沢山いました。ほとんどがカップルで、男1 人ではいずらいほどでした」とのメールが来た。アベックのメッカか。そう言われてもなあ。例の『CASA BRUTUS』の終わりの方にはここを舞台にしたコマーシャルフォトが載ってますが、横浜市役所さん、ばっちり場所代とってるんでしょうね。

2002-9月13日(金) 

 御近所で建設工事が始まり、ガリガリと凄い音。家で仕事できなくなって大学へ。わが家の周辺は昭和40年代に神戸市が開発した住宅地ですが、その頃でも自家用車の存在は前提にされてないんですね。つまり駐車場スペースなしの雛壇造成です。ゆえに、南側の敷地(わが家もそうだ)に新築しようとすると、まずは石垣の撤去工事が必要になる。で、新築工事の最初には必ずすごい音がすることになる。うちも迷惑かけたんだろうなあ。
 院生村山君、新宮君とさっそく『CASA BRUTUS』が話題になる。若い彼らが感じているものと僕のそれとが同じとは思わない。ともかくまともな会話は槇さんのとこくらいだ。「Q:若い人が見るべき本を選んでください」「A:ないです。ただ、時々見るのはル・コルビュジエのものです」。さすがである(笑)。それにしても質問にある「見るべき本」というのは耳障りな言い方だなあ。見るべき建物、読むべき本、だ。ふつうは。そう尋ねていたら別の答えがあったかも。どうでもいいけど。
  『戦下のレシピ』『霞ヶ関歴史散歩』『日本の刑務所』『青春は疑う』『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』『現代の建築保存論』『同一性・変化・時間』『建築を思考するディメンション』『海辺のカフカ 上・下』。最近の積ん読です。

2002-9月12日(木) 

 「正面のない家」論、苦戦が続く。

 頭を冷やしに本屋へ行くと『CASA BRUTUS』の最新号。「今、世界で一番おしゃれな職業!?なんたって建築家!」という特集です。
 「建築家の1日って一体どんなふうですか?」「あなたの愛車、見せてください」「建築家ってモテるんですか?」「海外の有名事務所で働くってやっぱり特別なんですか?等々の質問が並び、「建築家」たちが答えている。なんなのこれ。真面目にやってるとしたらとんでもなく後退した建築家像だし、万が一批評的意図があるとすれば、果てしなく荒廃した眼差しである。安藤教授の東大でのエスキス風景の描写がある。書きうつします。
 「学生のひとりが自信作の模型を前に置き、熱心にプレゼンテーションをする。その間、安藤教授は口を挟まず、じっと耳を傾けている。が、最後まで聞き終わると、『こんな廊下、人は通られへんで』と、そばにあったロールペーパーを広げ、動作をする人間のスケッチを描き出す。座る、立つ、手を広げる、それぞれの寸法がミリの単位で正確に示され、建築の機能が数字で迫る。全員が安藤教授の体に染みついたスケール感に圧倒されるのだ」
 
なんなのこれ。東大ってこんなことになってるの?田中角栄だな、まるで。これは「安藤さん、建築を大学で学ぶ意味はありますか?」という質問に対する記事なんですが、こんな授業なら、少なくとも東大で学ぶ意味はないだろな。エスキスをする安藤教授のまわりに20名ほどの東大生が、立って(!)神妙に話を聞いている。それを上部から撮った写真が頁を飾る。なんなのこれ。テレビやビデオで見る安藤事務所の風景と同じ。やらせ写真だとしても、そんな演出に協力するなよ。東大生だろ、しっかりしろよ。

2002-9月11日(水) 

 この春見学した、わが家からすぐ下にある鴨子ヶ原団地の第2期の解体工事がどんどん進んでいる。昨日、第1期の新しく建った棟へ移られた方と電話で話すことがあったが、自分が住んでいた住棟がついに壊されとても悲しかったとおっしゃっていた。午前中、撮影に。

 躯体だけになった姿を見ていると、「御苦労さまでした」と心から言いたい気分になりました。しかし、それにしても、この頑丈な構造物をどうして再利用できないのか。空が突然虚しい広さにもどっています。

 午後は大学へ。芸工大のホームページの「学長の部屋・今月のお客さま」に「出演」(笑)するため土肥先生とお話をする。意外に緊張しましたね。林雅子展のこと、モダニズム建築のどこに惹かれているのか、芸工大の自由な雰囲気のこと、大学の教員になって感じたこと、芸工大の学生の印象などなど。近日公開!
 「正面のない家」論、苦戦中。あの不思議な(と僕には思える)平面にフィットする言葉を見つけたい。
  ゼミ生から、ある公立大学の大学院合格との朗報。おめでとう!

2002-9月9日(月) 

 「正面のない家」、未見の1軒をみつけましたがメーカー住宅に建て替えられていました。増築と聞いていたのでしたが、残念。表札などから判断すると、4つの「正面のない家」(正確には3つの「正面のない家」+1)のうち現存する2棟は住み手が変わり、建て替えられた2棟はもとの住み手のまま。ちょっと面白い結果です。

2002-9月9日(月) 

 ●9月5日(木) 在阪の建築学科の同級生二人と会食と密談。
 ●9月6日(金) 大学へ。入試関係のお仕事、他。
 週末は宿題のひとつを必死でやりました。 本日はその宿題を出しに大学へ。帰りがけ、「正面のない家」の未見物件をさがしに行ったけど、あれ、おっかしいなあー、このへんのはずなんだけど・・。さらにHAT 神戸から新しい県立美術館の方を回って来る。HATはHappy Active Townの略だ。高齢被災者中心の町じゃないのならそう悪くないデザインなんだけど。県立美術館の方は、しまった、今日は月曜だった。先日ここを訪れた友人の建築家Aは「愛がない美術館だ」と評していたっけ。
 ところでゼミ生の諸君、卒論、卒制、修論、修士制作は順調に進んでいますか。相談ごとあればいつでも連絡下さいね。もう勝負をかける時期ですよ。それから、研究室のホームページの表紙、いくらなんでもそろそろ変えてー。

2002-9月4日(水) 

 午前中、ひとりで横浜国際客船ターミナルへ。内部も外部もほとんど人影がない。そりゃそうだろうな。わざわざ行く目的になるものが用意されてないんだから。住宅地でも近けりゃジョギングする人くらいいたんだろうけど。とにかく暑い。砂漠で行き倒れになるってこんな気分か。冬は寒風吹きすさぶ丘になるんだろう。どうすんだこれ。内部はどっかで見たなあと思ったら、そう、海のギャラリー(笑)。



 へろへろになって同潤会青山アパートへ。ギャラリーやお店はまだいっぱい営業してました。あちこちに立つ撮影禁止の看板がこの建物の置かれている立場を暗示している。この貴重な歴史遺産を守ることのできないこの国の異常さよ。
裏には安藤さん 設計の美容室。

 最後は、ルイ・ヴィトン。青木君と待ち合わせして、学生たちもいっしょに案内してもらった。「箱を積む」というコンセプトは思ったほどくっきりとは見えませんでしたが、逆に適度な品格を生んでいるように思いました。これほどのクライアントの要望に100%応えていることにとにもかくにも驚きました。
 お店の内装は専属のデザイナーの担当だそうですが、7階のレセプションルームは内装も青木君ということで特別に見せてもらいました。実に上品。実に気持ちのいい空間でした。
 正面右下の「箱」は駐車場(2番目の写真・右下のパネル部分全体)。道をはさんで同潤会側から眺めていたらそこがとつぜん開きはじめました。オーバースライディングドアといえばよいでしょうか。住宅の駐車場でもありますよね。巻き上げ式のシャッターじゃなくて、パネルがずれながら回転して天井部分に納まっていくやつ。同じやり方で、美しい照明を内蔵したままのガラススクリーンがそのまま上がっていくんですね。道を歩いている人たちの驚きようが面白かった。この力強いゴージャス感がこの建物のデザインの質を象徴しているように思いました。集まってくるお客さんたちもそういうひとたちだといいのですが(笑)。
 青木事務所から独立した4人の若手設計者も参加。そのうちのひとりの女性がやっている近くの現場も見せてもらった。いろんなことを目撃して、学生諸君にはすごい刺激になったと思います。青木君、サンキュー!

2002-9月3日(火) 

 林雅子展のオープニングパーティです。いろいろな先輩建築家やら編集者の方々に会えて楽しかった。予想してなかった僕がうかつだけど、当然のことで日建・東京の方々もずいぶんいらしてた。日建にはいった1年目にお世話になったというわけで、懐かしいやら緊張するやら。出席された方々の平均年齢は70歳くらいになるのではと思うほど。若い人たちもぜひ見に行きましょう。実施図面の原図が見応えあります。もはや鉛筆で手書きの実施図面を見たことも書いたこともないひとたちが設計しているだろうなあとは、会場で何度もでた話題。

2002-9月2日(月) 

  予想どおりとはいえ、田中康夫の圧勝はやはり嬉しい。この国にもまだ希望があるという感じがする。民主主義、選挙、行政といったシステムを、その本来的な意味において評価しようとする意識が存在した。システムは作動してこそシステムだ。きちんと動き、その働きぶりが自分の払う税金に見合い、成果物として自分が願う社会を生み出してくれるシステムかどうか。それを冷静に評価するひとたちがいた。

 明日、あさっては東京です。明日夕方は林雅子展のオープニングパーティー。学生諸君も参加します。展覧会はあさってから。表参道へも行ってこよう。ルイビトンと同潤会。

2002-9月1日(日) 夏が終わる

 小中高の皆さんは夏休み最後の日。わが家の5年生息子の最後まで残った宿題の感想文はこれ。し、しぶい。防災の日。青木君が設計した表参道のルイビトン開店の日田中康夫氏が長野県知事再選の日今井澄氏が亡くなった。掃除、友人宅へ、原稿のゲラ直し。

2002-8月31日(土)

 東京へ。林雅子展のプレ・イベントとでも言えばよいでしょうか、「4 人の女性建築家が語る林雅子」というシンポジウムです。会場は林さんが設計した中央工学校85 周年記念館「STEP」。パネラーは、小谷部育子、木下庸子、妹島和世、貝島桃代。木下さん以外は日本女子大の卒業生ですね。会場にもかなりお歳をめされた女性もいらっしゃって、たぶん林さん世代の卒業生かなと想像しました。300席ほどの会場はちょうど埋まり、できたばかりの作品集も置いてあり、いよいよ展覧会が始まるぞという雰囲気でした。 ただし、シンポの内容はちょっと物足りなかったというのが正直な感想。小谷部さんが林さんの生家から始まる住居遍歴を紹介したのはまだ林さんを語っていたけど、木下さん以下の若手3名は、結局のところ近作紹介に終わりました。

 新幹線の中で、昨日書いた『沢田マンション物語』読了。あの建物の素晴らしさはただごとではないとは思っていましたが、その背後にこんな物語が隠されていようとは!本当に驚きました。感動しました
必読の書です!

2002-8月30日(金)

 全国の沢田マンションファンの皆さーん、つ、ついにこんな本が出てしまいましたよ!嬉しいやら悔しいやら・・・。
    
沢田マンション物語
      (古庄弘枝、情報センター出版局)

 まだ
情報センター出版局のホームページにもでてないけど、今日、ジュンク堂に平積みしてありました。可愛い帯と表紙です。住宅書のとこ。古庄弘枝さんという方はしらなかったけど、ふーん、こんなひとか

2002-8月29日(木)

 坂倉事務所の「正面のない家」についてのインタビュー第2弾。最初の「正面のない家」である「仁木邸」を担当された浅野雅彦さんにお話をうかがった。ちょうど芦屋でのお仕事があって来阪され、先日見に行った2棟の「正面のない家」の前へ車でご案内した。40年ぶりとのことで懐かしそうにしておられた。途中、浅野さんがかつて担当された別の住宅(「A邸」)を甲陽園で教えていただくというおまけ付き。坂倉・大阪と住宅。実に幸福な関係だと改めて思った。

2002-8月28日(水)

 家でパソコンに向かう。

2002-8月27日(火)

 大学へ。前期の担当科目の成績提出など、事務しごと。
 芸工大のホームページのニュースイベント欄に「海のギャラリー」の模型完成の記事が載りました。

 『暮しの手帖 別冊 住まいの手帖 台所』『霞ヶ関歴史散歩 もうひとつの近代建築史』、『ためらいの倫理学』、『都市計画論』、『徴兵制と近代日本』、購入。
  『暮しの・・』は、暮しの手帖社が40年前に開発したという「シルバークイーン」という流しのその後を追った記事がとても面白い。どのお宅も実に丁寧に使っているのが印象的。ピッカピカです。実は先日このうちの一軒のお宅から僕に電話があったんです。そのことはいずれまた。
 『霞ヶ関・・』は官庁街の建築史を描いた貴重な本。
 『ためらい・・』は例の内田樹さんの最初のエッセイ。
 『都市計画論』は香山寿夫先生が放送大学のために書いたテキスト。少し前に宮内嘉久さんから届いた「通信」でも好意的に紹介されていました。最後のページの挿絵はルイスカーンの「シエナの広場」のパステル画。ああ香山先生らしいなあ。
 『徴兵制と近代日本』は、先日ちょっとだけこのページと接点のあった東大の加藤陽子先生の本。歴史オンチの僕には高級すぎるが、戦争前後のことを調べていると、戦争にいった人といかずにすんだ人の分かれ道は何だったのかが気になるんです。それにしても、あのとき縁結びをして下さった方はいまだに不明。ぜひ自己申告のほどをよろしく!

 

2002-8月26日(月) エキスポタワー

 先日のアーキフォーラム(講師:川添登)のときに聞こえてきた「エキスポタワーが解体されるらしい」という噂を思い出し、千里の万博会場跡へ写真を撮りにいってきた。暑さが戻ってきた一日。倒れるかと思いました。
 エキスポタワー(設計:菊竹清訓)にお別れを告げたいと思う人はほかにもいます。アーキフォーラムでお会いした山岡さん。彼も自分のホームページに書いています大建築でもとりあげている。今日も三脚立てて撮影しているお兄さんがひとりいました。山岡さんのホームページで知ったすごいマニアのひとたちも観測中。大阪万博に関しては、このページが有名でしょうが、そこからリンクでとぶパビリオンのその後を追った研究はすごい内容。建築学会の論文にしてほしいくらい。感心しました。
 太陽の塔、お祭り広場のその後など、炎天下、写真を撮りながら歩き回っていると、嗚呼、まさにつわものどもが夢の跡。何だったんだろう、あの熱気は。

 ところで、現在このエリアを管理しているのが日本万国博覧会記念協会。万博公園駅とエキスポタワーのあいだに見えます。原さんの「有孔体」のようなでっぱりが目印。建物は元のママです。この協会のホームページを見ていたら、こんな開かれたページがあり驚きました。役員の方々のお名前や経歴はもちろん、給与や退職金までわかるんですね。計算してみたくなるのは人情というもの。常勤の場合2年間のお勤めで得られるお金は、

 理事長さん:1,056,000円×24ケ月+1,056,000円×0.28×24ケ月=32,440,320円
 理事さん : 873,000円×24ケ月+ 873,000円×0.28×24ケ月= 26,818,560円
 監事さん : 790,000円×24ケ月+ 790,000円×0.28×24ケ月= 24,268,800円

ということになりますかね。これ以外に手当等があるのかどうかわかりませんが、ともかくなかなかの金額です。きっと激務なんだろうなあ。それにしてもどうしてこんな情報が公開されているんだろう。やはり税金だからなのでしょうか。民間企業だったらこんなことする必要ないもんなあ。
 あ、そうそう。万博協会で本当に書きたかったのはそんなことじゃなくて、この建物の玄関ロビーに大きな万博会場模型があったということ。一見の価値あり。左がエキスポタワー。ちゃんと当初の色=銀色をしています。まん中はお祭り広場。現在は緑の丘と競技場になってますね。最後は磯崎さんがよくふれるお祭り広場のロボットですね。

2002-8月25日(日) 

 休日。知り合いにこんなカーマニアがいようとは。生まれて初めてフェラーリに乗せてもらいました。あーびっくりした。

2002-8月24日(土) 

 元気回復。坂倉事務所の「正面のない家」を求めて宝塚と西宮(夙川〜苦楽園)巡り。宝塚でひとつ、西宮でひとつ、それと当時の坂倉さんの別の住宅を西宮でひとつ。もちろん外観だけですが、でも、「かっこいい」という声が思わず漏れてしまいました。精巧な機械を見ている感じです。
 途中、宝塚では 宝塚温泉、「ゼンカイ」ハウス、宝塚カトリック教会、愛田荘の外観をそっと見ながら、苦楽園では吉本剛さんの事務所を襲撃。彼と話すのはほんとに楽しい。「正面のない家」と吉本君、僕の中では重なります。
 夕方は地域の人たちと小学校の空き教室改造プロジェクトの打ち合わせ。

 院生・村山君から「この日記に貼っている写真のデータ量が重すぎます」との指摘を受け、急遽ぜんぶの解像度を落としました。どうでしょう。少しは早く動くようになったでしょうか。使われている回線によってはご迷惑をかけた向きもあったのでは。「数値」オンチなものでどうかお許しを。おかげでこちらもDreamweaverがスムースに動くようになりました。自分で自分の首を絞めていたというわけですね(笑)。

 

2002-8月23日(金) 

 家で『住宅建築』用の短い追加の文章づくり、入試関連のお仕事。昨日はほんとに疲れていた。家族の呼び声を無視し、ひとり先に布団の中へもぐり込み意識を失う。

 

2002-8月22日(木) 

 AO入試の面談日。良さそうな学生が多く一安心。朝から夕方まで、ひとり30分ずつ話します。たいへんだけどけっこう面白かった。そのあと教員でいろいろ打ち合わせ。ふー、疲れました。

 今日はこの前にもひと仕事。「海のギャラリー」の模型の搬出日でした。朝9時にトラックがやってきました。事務局の山本嬢は深夜そのトラックに同乗して神戸入り。芸工大近くの鈴木先生の部屋に泊めていただき、今朝はおふたりで登場。こちらは4年生の東端君が最後のお見送り。たっしゃでなー!

2002-8月21日(水) 

 午前中、ゼミの卒業生来訪。次のステップをめざしている。 院生も呼んで互いのポートフォリオの見せっこ。こちらはひとりニヤニヤ。午後はAO入試の面談を明日に控えて会場づくりや採点表の用意でばたばた。夕方はゼミの4年生と面談。大学院どうするか。

2002-8月20日(火) 

 大学へ。ゼミの安藤・東端君が来てくれて、海のギャラリーの模型、最後の調整。作業じたいは大したことなかったので、3人でアイスクリームなめながら雑談。就職のこと、将来のこと。悩ましいですね。やっぱりこういう分野は、就職イコールゴール、というわけじゃないから、最終的に自分は何をやっていくんだろうっていう不安にみんなつきまとわれる。もちろん今どき、法学部や経済学部を出て銀行や役所にはいってめでたしめでたし、なんて考える学生は減ってるとしても、でもやっぱり「(独立した建築家として)設計で食っていく」ってことは銀行や役所にはいって食っていくよりは難しい(と僕は思う)。みんながみんなできることじゃないですね。でも臆病になりすぎてもこれまただめ。うかつなアドバイスはできないです。
 『「故郷」という物語』『磐梯山噴火』『見たくない思想的現実を見る』『時間と空間の哲学』購入。
 布団の中で読んでるのは、西堀栄三郎『南極越冬記』。夏向きですね(笑)。とはいうものの、ここ二、三日、朝晩とても涼しいです。クーラーなど要らないのはもちろんですが、涼しすぎて窓閉めたりしています。お盆が終わると秋の気配。淋しいなあ。 宿題、はやくやらなくちゃ。

 

2002-8月19日(月) 

 ある雑誌のシリーズものの1回分の担当で、坂倉事務所の「正面のない家」シリーズについて書くために、坂倉・大阪の太田隆信さんにお話をうかがってきた。詳しくはまた原稿に書きますが、とっても勉強になりました。「正面のない家」について漠然と感じていたことの謎が少し解けました。
  当時の坂倉設計の住宅の住所をいくつか教えてもらったのですが、そのうちのひとつがわが家から降りていったとこ、以前住んでいたマンションのすぐ近くなのでびっくり。帰ってから住宅地図を見たら、「あ、あれだあれだ!」と思い当たる家あり。でもとたしか少し前に壊されたはず。その近くのマンションに住んでいた頃、散歩の折り、子供を幼稚園に連れていく折り、いつも見てたんですね。でも崖の下に建っているので全貌はよくわからなくて、上の道から見下ろしていました。モダンなつくりで、ほほーとは思っていたんですが、嗚呼、嗚呼、ちくしょー、後悔先にたたず。悲しい。

 今日は、修論で上記の住宅群と同時代の住宅雑誌を調べている院生の村山君を同行。柳々堂さんで待ち合わせて坂倉事務所へ行ったのですが、松原社長や娘さんの智子さんが放つ強烈柳々堂光線に圧倒されてました。インタビュー終了後は、やはり近くの山隈君の事務所へ。ここにも独特の電波が流れているから再度感電。楽しい一日でした。
 夜は、林雅子展関係で林昌二さんと事務局の山本嬢と電話。いよいよ日が迫ってきました。皆さんぜひ来て下さい。

 

2002-8月18日(日) 

 台風が関東方面に接近中。神戸も曇り空で風が強く涼しい一日。
 今日はわが家の手直し工事を少し。駐車場の背面の壁に設けた排水口から雨の日に出る水が床を結構汚すので、土の部分まで引っぱる40cmほどの溝を3ケ所つくった。カッターで切り込みを入れたあとモルタルをはつり、再度左官でモルタルを塗り溝のかたちに整えた(もちろん職人さんが・・)。なぜわずか40cmかというと、わが家の駐車場の床の大部分は木を敷き詰めてありその下は土。そこまで引っぱってやったというわけだ。最初からつくってたら簡単だったのに、現場ではだーれも気がつかなかったんだなあ。こんなこともある。
 同じ左官やさんに、近所にある妻の実家の内壁の塗り替えもやってもらった。今日はその最終日。濃いうぐいす色のじゅらく壁で部屋が暗く、それを「シルタッチ」という珪草土入り塗料で明るい色に塗り替えた。良くなりました。この春から床暖房を入れたり窓をペアガラスにかえたりもして、暖かい家にすべく少しずつ改装をやっている。以前には僕が簡単な図面を書いて書斎の増築もおこなった。来年は現在大学の研究室に置いてある義父の大量の本が戻ってくるとか。その収容場所をどうするか。対症療法で逃げ切れるかどうか。 こんなことでも「現場」があるととても楽しい。
 『住宅建築』用の原稿完成。締めきりのはるか1週間も前である。いくら短い原稿とはいえ、珍しいことだ。

 

2002-8月16日(金) 

 僕の風邪ひきですっかり予定が狂い、鼻のぐずぐずを残したまま静かに家で過ごすお盆である。今日のニュースでは、早くも都会へ戻る車の猛烈な渋滞の映像が流れていた。帰れない旨を田舎の親に連絡。いずれ僕自身もそんな電話を子供から受けていささか意気消沈したりするのかもしれない。

 午前中は原稿書き。午後は神戸市の中央図書館へ。京都文教大西川裕子さんの論文のコピーとりです。西川裕子さんといえば、建築関係者にとっては『借家と持ち家の文学史』ですね。あるいは『10+1』の連載も、か。今日の目当ては『思想』2001年6号の「「私」の居場所/居方」です。昨年この号が出たとき、新聞広告で「居方」という文字が目にはいり、こりゃ鈴木毅君(建築学科の同級生で現在阪大助教授、「居方」という言葉の言い出しっぺですね)に言わなきゃ、僕も買っとかなきゃと思いつつ両方とも忘れてしまい、先日のアーキフォーラムの会場で会ったときに思い出して話題にしたら、彼の論文が参照されていることは当然としても、僕の書いたものまでふれていただいていると教えられ、おおそれはタイヘンということになった次第。
  黒沢隆さんの『個室群住居』の栞に書いた「個室群住居が教えてくれたもの」という拙稿の中から、「一見したところ個人主義的色彩ばかりが目につく個室群住居というアイディアは、しかし一方で、他者とつながることに対する切ないほどの願望や幻想を隠しもった考え方であるように私には思われる」という、実に僕が一番言いたかった部分を引用していただいており、たいへんに嬉しかったです。建築の世界って何をどう書いても反応がなくて嫌になるのですが(書評を書いてもその著者から反応があったこと一度もなし、こちらが『新建築』や『jt』誌の「月評」でとり上げた設計者から反応があったこと一度もなし、逆に僕が設計した住宅をとりあげた月評子に感想を送っても返事が来なかった、等々)、それに対して西川さんの論文は、建築分野で書かれているものに対するかなり細かな検索と読み込みがあると感じられ、さすがに人文系はちゃんとしてると思いました。

 山隈直人さんと設計した住宅が雑誌に載るので、(日本的な奇妙な慣習と思いつつ)その建物の名前をどうするか、この2、3週間、ふたりで頭を悩まし続けた。で、今日が締めきり。ついに決定いたしました。ちょっと「いちびって」しまいました。笑わないでくださいね。『新建築 住宅特集』10月号です。

 

2002-8月14日(火) 寝込んじまって

 あーあ、なんてことだ。10日の午後から調子が悪くなり、微熱が下がらず、やっと今日復活しました。病院にいったら、急性気管支炎でしょうとのこと。抗生物質を飲んでおとなしくしていましたが、なにしろすかっと熱が下がり切らないのが不快でした。頭はしっかりしていたので、2階の隔離部屋でひたすら読書。
  『住まいを語る』、『有機的建築の発想』、『ビッグ・リトル・ノブ』、『脱文学と超文学』(ラフな論文多すぎないか。誤植も目立つ。斎藤美奈子よ、ほんとに満足したのか?)、『寝ながら学べる構造主義』(ラカン以外のところはとてもよくわかりました。最後にまとめの章がほしかったなあ)、『棚から哲学』(いつもほど笑えなかったのはなぜだろう)、『どくとるマンボウ青春記』(懐かしー)、『田中小実昌エッセイ・コレクション1』、『田中小実昌エッセイ・コレクション2』、『ユリイカ臨時増刊 田中小実昌の世界』(そういやあ、買ってたなと思い出して、ぱらぱら)、『国民軍の神話』(徴兵制度のお勉強。1/3まで)、『戦後史の空間』(ぱらぱら)、『日本の名随筆24 引越』、など。この欄で紹介したまま読んでなかったものも少し消化できました。途中、ゼミの卒業生から勤めていた設計事務所を辞めたとの電話。次のステップアップにうまくつながるとよいのですが。使える人です。今年は4年生にもM2にも腕利き多いです。人材募集中の人、連絡ください。
 『 住宅建築』の中村さんからはやっかいな原稿依頼が舞い込む。
 ところで、上記の『日本の名随筆24 引越』 (作品社)で知ったこと。池波正太郎の家の設計者は辰野清隆、大岡昇平の成城の家は竹中の設計部、立原正秋の家は永松亘、ということ。感激したのは、山之口貘という大好きな詩人の「自分の家に住む夢」という文章。沖縄から上京し、野宿も含む貧しい放浪生活を続けた彼が、結婚して戦後友人の家の一室に暮らしていた頃の話。3か月ででるはずが、9年間も間借り暗しが続いている。昭和30年代の前半だ。その最後の部分。

 「夕方、女房に誘われて、駅の近くの都営住宅を見に行った。二軒つづきの小さな第二種の住宅が十戸ばかり、できたてのほやほやのが、そこに並べ立てられていた。どれも戸がしまっていて、一軒ごとに庭もついていた。
 「こんなものでもいいから、早く自分の家にはいりたい。」と女房はいったが、過去に比べれば、決して「こんなもの」 ではなかった。その夜、ぼくはねむれなかった。手をのばして電気スタンドの明りをつけると、女房の眼もあいているのであった。
 ふたりとも、くじでも当ったみたいに、夕方の都営住宅で興奮していたからなのである。

 

2002-8月7〜9日

 リトルワールド明治村高山を回ってきました。 前二者 は、やはりつい小矢部のメルヘン建築と比較してしまうのですね。元の文脈から切り離されて寄せ集められた建築群という点では同じですから。でも、やはり本物と偽物の差は大きい。この違いをどう表現すればいいのでしょうか。勉強になる、ならない、の差とでも言えばいいか・・。 高山は何度か行ってますが、今回大ショックだったのは、市役所が立派なビルになっていたこと。 数年前に行ったときは、たしか古い木造の小学校舎を市役所に転用してたんだけど。もちろん、吉島家住宅 にも行ってきました。『建築家・休兵衛』の書評を『住宅建築』7月号に書いたばかりなので、不思議な気持ち。

 

2002-8月6日(火) 

 「海のギャラリー」の模型、再撮影。新建築がつくっている林雅子作品集に載せる断面写真である。うまく撮れたかな。

2002-8月4 〜5日 

 僕と入れ代わりに、妻と子供たちがキャンプへ。ひとりきりで家にいるとがらーんとしていささか淋しい。贅沢なことを言うようだが、広い家をつくりすぎたか、なんて考えたり。何年かたつとこんな状態になるのか。

2002-8月3日(Sat) 建築学会の大会2日目

 午前中、ここまで来たら見ておかなくてはというわけで、金沢からJRで30分ほどの富山県小矢部市へ。そう、かの有名なメルヘン建築ですね。授業ではいつも紹介してるし、北陸自動車道から遠望したことは何度もあるのですが、間近でみると、うーん、やはり強烈でした。 外観が奇妙であることは言うまでもありませんが、むしろ実物を前にしての発見は、「メルヘン建築」としての代表格のいくつかの学校における配置計画の空しさでした。山を削ったり田んぼのまん中を埋め立てたりしてできた敷地に、幹線道路から長い長い、しかも真直ぐなアプローチ道路が設けられ、その突き当たりにベルサイユ宮殿のような巨大で装飾いっぱいの鉄扉が立っています。その向こうに広い真四角の運動場が広がり、正面に東大やらオックスフォード大やらを真似した校舎がどーんと控えている。その、校舎にいたるアプローチと運動場の空間が、とにかく空虚なんですね。いまどきこれほど権威的に構成された空間も珍しい。しかもそれがペラペラのハリボテ建築なんですから、空しいことこの上ない。これはもう一種の犯罪ではないでしょうかね。 このクソ暑いなか、サイクリングターミナルで自転車を借り、首からカメラをぶら下げて汗だくになりながらぺタルをキコキコと漕いだおかげで、いろんなことがわかりました。
 午後は金沢に戻って建築学会大会へ。保存と再生のシンポジウムへ。香山寿夫先生の相変わらずのおとぼけぶりが楽しかったが、このパネラーとして予定されていた内井昭蔵さんが金沢に向かう羽田空港で亡くなったとのニュースに驚いた。メルヘン建築を見た直後に、東大や金沢における優れた過去との対話の実践の話を聞くと、なんとも複雑な思いにとらわれます。

 

2002-8月2日(Fri) 建築学会の大会初日

 大会初日。午前中に発表2題。昨年度やってきた逓信木造モダニズムについて。山之内さん、波多野嬢、郵政事業庁の方との連名だが、波多野嬢が仕事が忙しくて欠席。したがってルール通り2本目は発表無し。でも質問は結構あって、しかも2本目の内容にもふれていただき、安心しました。
 午後は空き時間を利用して、富山市の呉羽中学校へ。吉阪隆正の設計ですね。バルコニーに囲まれた中庭が有名です。そこに全校生徒が勢ぞろいして合奏と合唱をしている昔の写真は感動的ですよね。
  空間はほぼ期待通りの印象でしたが、外部のバルコニーだけでつなぐ動線計画は、北国の建物としてはやはり無理があったようで、冬場そこに雪の山ができるなどの苦労話を先生方から聞かされました。 残念ながら建て替え計画が進んでいて、あと2年ほどの命のようです。興味ある人は早く見に行かなくてはいけません。
 夜は、この春、芸工大から今回の大会会場である金沢工大の大学院へ進んだ半本くんや芸工大の木村先生・院生諸君と飲みました。

 

2002-8月1日(Thu) 金沢へ

 午前中、自宅のプリンターの調子がおかしくなり、あわてて大学へ。建築学会の大会へもっていく書類をプリントアウト。夕方、サンダーバードに乗って金沢へ。改札を出たところで同じ電車に乗って来た福本女史に遭遇し、以前芸工大の助手をされていた青井哲人さん(現・人間環境大学助教授)(一家!)との食事にお邪魔する。

 

2002-7月31日(Wed) 

 大学へ。AO入試関係の仕事。

2002-7月30日(Tue) 

 大学へ。AO入試関係の仕事。なかなか夏休みにはなりません。夕方になると、ラボ棟脇で3年生の有志がバーベキューを始めていました。

 『ビッグ・リトル・ノブ』(ドメス出版)、『住まいを語る』(鈴木成文)、『有機的建築の発想』(吉原正) 。『ビッグ・・』は、偶然本屋で見つけたもの。土浦亀城夫人・土浦信子さんの生涯を描いた本。こんな貴重な本あるの知りませんでした。うっかりしてたなあ。ちゃんと書評出たのか?『住まいを語る』は、よく存じ上げている先輩同輩後輩研究者の方々の小さい頃の暮らしぶりが語られているので、何しろそのことが興味深い。このような体験記述は意外に少ないのかも。インターネットを利用すれば、簡単に厖大な蓄積ができるのではないだろうか。『有機的建築の発想』は天野太郎の伝記。ライト経由で土浦信子さんともつながる時代の証言。

 主に2年生対象の「建築空間のデザイン」という講議の最終レポートを眺めていますが、結構よくかけていて、いろんな意味で安心しています。授業の枠組みへの批判も求めたところ、4年生のN君のレポートの中に、「この授業によって建築に対するとらえかたは人によっては良くも悪くもできるという考えと、屁理屈も理屈になるという印象を受けました」という一文を見つけ、笑ってしまいました。「屁理屈も理屈になる」(笑)。たしかにそういう授業だ。お見事!

 先日の川添登さんの講演会については、けっきょく、何が話されたかではなく何が話されなかったかということに関心がいくということだなあとひとりごちています。芸工大でも年間5人、お偉い先生方をおよびして特別講議というのをおこなっていますが、そこでいつも印象的なことは、僕(ら)が学生に話してほしいと思う過去の代表的業績よりも、今考えておられることを話される先生が多いこと。それは、走り続けているぞという一種のプライドでもあるでしょうし、まったくもって当然のことだと思います。川添さんはそれとはまったく逆だったんだなあ。そのことが印象的だったわけですね。現代あるいは未来についての話がでなかった。あるいはそういう質問にうまく答えなかった。でもまあわずか2時間ほどの会だからそれでどうということではないけど。

 

2002-7月29日(Mon) 

 大学へ。建築学会大会の口頭発表用のOHPづくり。後期からの研究生希望の方と面談。
 
 昨日書いた『いかにして問題をとくか』 という本をぱらぱらやっていると、いくらでも引き写したくなる言葉に出会います。「決意、希望、成功」という、数学の本らしからぬ節のさいごにはこんなことが書いてあります。

 「問題をとくことを教えることは意志を教育することである。学生にとってはあまりやさしくない問題をとこうとする時、彼は失敗にもめげず、僅かの成功を喜び、よい考えが浮ぶのをまち、そのような考えが浮んで来た時には、全力をそれに集注することを学ばなければならない。もしも学生が学校において解決への努力の途中に起るいろいろな情緒の変化に馴れる機会がなかったとしたら、彼に対する数学教育はその最も大切な点で失敗であったというべきである。」

 最後の「数学教育」ってとこは、あらゆる他の(学問)分野におきかえられそうですね。教師である僕には痛い言葉でもあります。このような「心理」的な面でも抜群の一般性をもった言葉を発することができる数学という分野や数学者という人種って、やっぱりすごいですね。
 ちなみに「一般化」とはなにかという節もあって、そこにはこう書いてあります。

  「一般化は1つの対象についての考察からその対象を含む集合の考察へうつってゆくことである。あるいは又制限された集合からその集合を含むもっと大きな集合の考察にうつることである。」

 ナルホド。

 

2002-7月28日(Sun) 暑い暑い一日

 本当はゼミの打ち上げをわが家でやるはずだったのですが、残念。ちび、今日は熱が下がって立ち直ってきました。小さい子は変化が激しいのであわてます。
 暑い暑い一日。2階の予備の和室にしかクーラーのないわが家です。さすがに今日は暑かった。でもまあ扇風機を回し、庭に何度も水をまき、シャワーを浴び、あけられる窓を全部開けているとなんとかなります。さすがに標高300m。昨年もこの時期にわが家で打ち上げをやって、あのときは中華料理だったと思うけど、みんな汗ぶるぶるだったのを思い出します。ともかく家の中のどんな場所がどんな気温になるのかを肌で実感して回っていると、とても面白いですね。今日の発見は、庭の駐車場の屋根スラブに水をまくと涼しいということ。仮の立ち上がりをつくって数ミリでも水が張れればひんやりするかも。
 最近買った本。『いかにして問題をとくか』(丸善)、『満州国の首都計画』(ちくま学芸文庫)、『奇妙な本棚』(ちくま文庫)、『田中小実昌エッセイ・コレクション2 旅』(ちくま文庫) 、『占領戦後史』(岩波現代文庫)。
  『いかにして・・』は、最初の訳が昭和29年にでた古い本で、数学の問題をいかに解くかという話なんですが、ただ、一般的に「問題をどうやって解くか」ということについてのアフォリズム集として読むととても参考になるフレーズが多くて面白い。表紙の裏には大きく次のように書かれています。

 「第1に 問題を理解しなければいけない。第2に データと未知のものとの関連を見つけなければならない。関連がすぐにわからなければ補助問題を考えなければならない。そうして解答の計画をたてなければならない。第3に 計画を実行せよ。第4に えられた答を検討せよ。」

 

2002-7月27日(Sat) 

 午前中、久しぶりに小学校へ。昨年のPTA活動の御縁で、空き教室利用の小さなプロジェクトのお手伝い。うまくいくといいなあ。
 夜は、アーキフォーラムの新シリーズ1回目で、川添登氏の話を聞きにいった。ともかく初めて川添登を見るという素朴な好奇心が一番だったわけですが、それにしても、世界デザイン会議からメタボリ発足の頃の概説に終始した感じで、その現在における位置づけも、そこから見た現在への思いも、あるいは生活学会への展開も語られず、なんだか物足りない会だったというのが正直な感想。2次会で菊竹事務所出身で、関西で事務所をやっておられるお二人の建築家に出会えたのは大収穫。そのうちおひとりは、僕もホームページを知っていました。とくにそのなかの「大建築」コーナーは傑作。山岡さん、勝手にリンクさせていただきます
 下の子が熱を出して、明日のわが家でのゼミ打ち上げを延期。みんなごめんね。

 

2002-7月25日(Thu) 

  夏休みにはいる前の、何か忘れてないかなあ、あれはやったかなあ、夏休みの宿題はなんだっけ、といろいろなことが気になり、少し落ち着かない毎日。
 昼間は2年生の即日設計、春からさぼっていた雑用、海のギャラリーの模型関係の調整。夜は、土肥学長のお宅で、この春建築学会の優秀修士論文賞をとった畑中嬢のお祝いの会。
 『住宅特集』に出す細長敷地住宅の名前をどうするか、山隈君と頭を抱えています。あっさりと○○邸、設計の考え方を暗示するような名前、地名との組み合わせ、いろいろあるわけですが、いざとなると困ります。わが家の「渦森台ハウス」という名前は結構気に入っているのですが、その理由は「渦森台」という地名のちょっと不思議なあるいは童話的なイメージと、「ハウス」という語感のふんわり感。口にして恥ずかしくもなく、住み手にも喜んでもらえる、そんな名前にしなくては。

 

2002-7月24日(Wed) 野里の長屋へ

 工作隊設計施工の「野里の長屋」へ。隣接する古い長屋2軒を、山隈直人氏の自宅やみんなのギャラリーとして改造した建物ですね。詳しくは『住宅建築』2002年4月号を御覧下さい。表紙を飾っています。
 何をしに行ったかというと、先日(7/17)書いた共同研究の第一弾インタビューです。香山さん、福本さん、院生4名。あとから聞くと、神戸が今年最高の37.7度を記録した午後でした(笑)。予防線をたっぷりと張られていたせいか室内は思ったほどの暑さではなく、夕方までじっくりと空間に身体を浸し、いろいろな話を聞かせてもらいました。面白かったです。このセルフビルドの作業を通して、山隈一家や参加者やそして町が得たもの失ったものを、いろいろな方向から考えることができました。奥様、ちびちゃんたち、阪田さん、サンキュー。

 

2002-7月23日(Tue) 

 3年生の「集合住宅」最終講評会。なかなかの力作が多く、感心と安心と。

2002-7月22日(Mon) 

 夏休み前に、学部、大学院、それぞれでゼミ。卒論、修論とも、やっと具体的に動き始めたひとが増えてきました。

2002-7月21日(Sun) 

 近くの住吉川で、上の子のお友だちの一家とバーベキュー。川で子供たちが泳ぐという光景がこんな町なかにあるのは珍しいのではないかな。

2002-7月20日(Sat) 

 朝から夕方まで、山隈直人さんといっしょに設計した大阪の細長敷地の住宅の写真撮影。『新建築 住宅特集』の10月号に載る予定です。この春引き渡しを終えてからは初めての訪問で、こちらも興味津々。芸工大の学生も2名アシスタントで参加してくれて、建築雑誌の綺麗な写真の手前にある光景を目撃してもらいました。梅雨明けの強い陽射しに恵まれて、下町に建つ鉄骨・鉄板建築に似合う写真になったのではと期待しています。
 夜は、山隈さんと手伝ってくれた学生と3人で大阪の梅田・中崎町を徘徊した。古い長屋やアパートが残るエリアですが、雑貨屋、ギャラリー、カフェなどの小さなお店がそこかしこにできている。その一角にある、山隈さんたちのチーム「工作隊」が設計施工した「PEACE MOTHER GALLERY」へ連れていってもらった。住宅のような居心地の良さ。場所はここです

2002-7月19日(Fri) 林雅子展のことなど

 林昌二さんが海のギャラリーの模型を見に芸工大にいらっしゃった。鈴木成文先生も同席。学生諸君と待機して、制作のプロセスなどを説明しました。Logbookには書きませんでしたが、4月末の土佐清水行には、林さんと植田実さんも現地で合流されたので、あれから約3か月だなあと時間の経過にも感じ入ったことでした。模型のほうは、折板屋根のたわみをなくすために作り方を変え、他の壁面と固定するようにしたのですが、すると内部空間を横から見ることは二度とできなくなる。そこで、建物の後部の屋根の一部を接着せず、さいごに林さんに見ていただいてから封鎖するようにしたのですが、僕もそして林さんそれから鈴木先生も、このままのほうが面白いのではないかという結論になりました。模型って不思議です。
 林雅子展の詳細は以下のとおり。

東京会場
■展覧会「建築家 林雅子」展・東京  
日時:9 月4 日(水)〜15 日(日)会期中無休   10:00 〜18:00 最終日10:00 〜17:00
会場:ヒルサイドフォーラム 入場無料  東京都渋谷区猿楽町18‐8  ヒルサイドテラスF 棟1 階
tel.03‐5489‐3648 (会期中のみ連絡可)

■トークセッション「戦後住宅の潮流と林雅子」
日時:9 月7 日(土)13:30 〜(開場13:00 )
会場:ヒルサイドプラザホール 東京都渋谷区猿楽町29‐10 ヒルサイドプラザB1 階
講師:植田実/今川憲英/篠原聡子/鈴木恂/林昌二 入場無料 定員80 名(当日先着順)

■シ ンポジウム「4 人の女性建築家が語る林雅子」
日時:8 月31 日(土)16:00 〜18:00 (開場15:30 )
会場:中央工学校85 周年記念館STEP (林雅子設計)  東京都北区王子本町1‐26‐17  要申込・入場無料 定員300 名(申込先着順)
講師:小谷部育子/木下庸子/妹島和世/貝島桃代
懇親会:同日18:15 〜20:00 懇親会会費/2000 円
申込法:往復葉書にて、住所、氏名、電話番号(FAX 番号)  連絡先、懇親会参加有無を明記の上,下記にお 申し込み下さい。8 月8 日(木)締切。
問合せ・シンポジウム申込み  林雅子展事務局  〒160‐0012 東京都新宿区南元町19 信濃町外苑ビル502  設計同人内 tel.03‐3353‐2275 fax.03‐3353‐2426

大阪会場
■展覧会「建築家 林雅子」展・大阪
日時:9 月20 日(金)〜10 月6 日(日)火曜日休館  10:00 〜17:00 最終日10:00 〜16:00
会場:大阪市立住まいのミュージアム 入場無料  大阪市北区天神橋6‐4‐20  大阪市立住まい情報センター8 階  tel.06‐6242‐1170

■トークセッション「戦後住宅の潮流と林雅子」II
日時:9 月21 日(土)13:30 〜(開場13:00 )
会場:大阪市立住まい情報センター3 階大ホール  大阪市北区天神橋6‐4‐20
講師:植田実/岡部憲明/花田佳明/松隈洋/林昌二  入場無料 定員300 名(当日先着順)

 

2002-7月18日(Thu) 

 大学院の講議「デザイン思潮」最終回。組織におけるモダニズムの展開ということで、昨年調べていた、逓信木造モダニズムの話をした。インタビューをさせていただいた方からあずかった原図や竣工写真なども交えながらで、少しは時代の雰囲気を実感してもらえたのではないかな。
 海のギャラリーの模型改修作業、最後の追い込み。

 

2002-7月17日(Wed) 

 学科会議と教授会。会議が長いと冷房のある部屋に長く居ることになり、クーラー無しの暮らしをしている私はどっと疲れます。休み無しの伝道生活の疲れはいうまでもありません。
 夕方、学内の共同研究の打ち合わせ。今年度は、視覚情報デザイン学科の香山リカ先生と環境デザイン学科助手の福本女史といっしょにさまざまな住宅を見、住み手に会い、住まいや住まいづくりの意味を精神と空間の両面から考えるという内容です。今日は1回目の取材先が決定した。さてどんなことになっていくか。ともかく、住宅についての雑誌や体験記などが溢れる昨今、ひと味違った住宅研究にしてみたい。編集者のみなさん、この企画、どう?
 海のギャラリーの模型改修作業、着々と進んでいます。実はあさって、林昌二さんが見に来るんです。

 

2002-7月16日(Thu) 

 伝道師は火曜日もまだ忙しい。環境デザイン学科のオープンスタジオ最終日。2年生の公園の設計課題の最終講評会を、大学を訪れた高校生にも見てもらいます。それとAO入試のエントリーシート配布。さらに今日は、編入学希望の女子短大の学生さんとも話し込みました。ふー。今日で3日間にわたる伝道活動は終わりです。 海のギャラリーの模型改修作業、着々と進んでいます。深夜猛烈な雨。

 

2002-7月15日(Mon) 

 伝道師は月曜日も忙しい。午後は環境デザイン学科のオープンスタジオです。訪れた高校生に学科内を見てもらったり、AO入試のエントリーシートの配布をおこなったり。担当の他の教員や助手の方々、そしてアシスタントの大学院生といっしょに奮闘。院生には学科内の案内をしてもらう。院生が高校生およびその親御さんと結構長時間話し込んでいる姿も見かけました。OK! それから、先日「伝道」に行った高校の生徒さん(2年生!)が、そのときの僕の話が面白かったとやってきてくれました。びっくりと感激と。明日はオープンスタジオ最終日。

 「海のギャラリー」の模型、今日から手直し作業を始めました。コンクリートの折板屋根が予想以上にたわんだり、接合部が口を開いたりしてきたからです。湿式のものを乾式でつくった難しさです。学生諸君もいろいろ考え、今度はつくりかたそのものを変えてしまう方向で実験中。これなら大丈夫でしょう。

 『文壇アイドル論』(斎藤美奈子、岩波書店)、やっと半分ですが、面白いなあ。

 

2002-7月14日(Sun) 伝道師に休日はない

 伝道師に休日はありません。今日は全学のキャンパス見学会。高校生たちが大学を見にやって来るのです。環境デザイン学科でもいろいろと企画をたて、お相手をしました。同時にAO入試のエントリーシートの配布もおこない、その対応も大忙し。こんなことばかり毎日書いていますね。宿題もたまってきたし、やるべきこと書くべきもの、いっぱいあるんだけどなあ。まとまった自分の時間ほしいです。

 でも・・。いいお天気の日曜日、自分がやりたいと思う夢をもった高校生が大学を訪れ、自分が4年間を過ごすに相応しい場所かどうかを自分の目と頭で確かめる。大学は彼らの訪問を大学を挙げて歓迎し、できる限り誠実に対応する。なにか本来的な姿なんだとも思いました。
  今日は日曜日ですが、明日が課題の提出締めきりの2年生は何人もがスタジオで泊まり込みの作業をしています。だから、そういう学生諸君と高校生との接点があちこちで生まれます。そういうのとてもいいと感じました。むしろ学生が主体になった説明会があってもいいとすら思いました。本来、大学っていう場所は、志をもった若者たちが教師を雇っていたわけですからね。この大学ではこういう教員を僕たちは揃えていて、こんな授業をやらせているぞ、と在校生が高校生に説明する。そんなキャンパス見学会。

 

2002-7月12日(Fri) 伝道師

 午前中、近くの県立高校での進路説明会へ。2年生が対象で、分野別に希望者が集まり、大学や専門学校等の関係者が話をするという企画である。僕は「デザイン系」志望の生徒さん10数名の前で話しました。そのうち男の子はひとりだけ。残りはみんな女子生徒さん。 まだ2年生ですから、入試対策というより、デザイン系にはどんな分野があり、どんな学生生活をおくることになり、将来はどんな仕事がありえるか、そんなことを芸工大を例にしながら話しました。
  約1時間。けっこう長いです。もっていった住宅の模型がとてもうけました。学生の作品パネルも2枚。こういう小道具が大切です。実物ができあがる感動、竣工した建物との別れのつらさ、そんなことも中島みゆきの歌をバックに語ります(ウソ、笑)。けっこう熱い眼差しが集まり、気持ちよく喋ることができました。伝道師とはこんな気持ちか。隠しもったマリア像をやおらとりだし、ひとびとの心をまとめあげる。そんな気分になりました。
 まあ、「ストレンジャー」の強みですね。高校生も毎日同じ先生の話では飽きてもいるでしょう。そこに登場した異人です。ちょっと工夫すればうけるのは当たり前かもしれません。でもまあできるだけ「外」の空気を伝えたい。彼らの退屈な日常にちょっとでも新鮮な風を吹かせてあげたい。

 

2002-7月11日(Thu) 小文字のヒーロー

 大学院「デザイン思潮」の講議。今日は、若き日の鈴木成文先生ら(東大吉武研。LVグループ)が設計した「あすか保育所」と、三宅敏郎さんが設計したエリザベスサンダースホーム関係の建物の話。「あすか保育所」は、戦災孤児を育てるために奈良県桜井市につくられた飛鳥学院の施設。念のため書いておくと、これは鈴木先生たちの設計ではなく、アルセッド建築研究所の 三井所清典さんがその後隣地につくったもの。実はこの建物の木造軸組の見学会で、鈴木先生はかつて設計した建物と40年ぶりに御対面されたというエピソードがある。僕もそのときに御一緒し、戦後復興期の息吹に触れる機会を得たというわけなのでした。
 エリザベスサンダースホームのほうも、偶然昔の『建築文化』に掲載された建物に魅入られいろいろ調べているうち、大磯に現存するいくつかの校舎や、鳥取県に残る別荘やらとの出合いが生まれた。そしてそれらを設計された建築家・三宅敏郎さんにもお目にかかった。
 
いずれも戦後復興期における建築と篤志家との熱い物語だ。渋い!・・と自分で茶化しても仕方ないが、建築がモダンアーキテクチャーの意匠をまとい、小文字のヒーローとして社会の役にたっていた、そんな時代の話である。

 

2002-7月10日(Wed) 

 「建築空間のデザイン」最終回の講議。どうなんだろう、こういう理屈っぽいの、伝わってるんだろうか。今日課した最終レポートの2問目では、授業の枠組みへの批評も求めています。思いっ切り書いてね。午後は明日の大学院の授業の準備、院生と打ち合わせ、そして2年生の夏休みの四国建築旅行の相談に乗る。夕方は、最近実習の担当がないので退屈なのか、ふらりとはいってしまった2年生のスタジオであれこれエスキス。

 昨日買った『少年Mのイムジン河』読了。といっても10分で読み終わるような小さな本です。例のイムジン河という曲の誕生秘話。松山猛が京都の中学生の頃、在日朝鮮人の子弟が歌うその曲を偶然耳にし、その後、自ら日本語の曲をつけ、そしてフォーククルセダーズに歌うようすすめたというあの話です。CDの発売やワールドカップ日韓共同開催など、タイミングは良い企画です。ただ、もう少し書き込んだ厚い本にしてもよかったのではと思いました。

 『住む』創刊2号。特集タイトルは「家の一生、始末のいい家」。OMソーラーで有名な奥村昭雄さんの自宅の変化を追った記事が面白い。発売所はいわゆる農文協、農山漁村文化協会。また編集人は小池一三となっているからOMとも関係してるんだろうか。ともかく、住環境に対するこういう明快な思想をすぐれたデザインの誌面で伝える雑誌が1200円で販売できるのは驚異的だ。『チルチンびと』や先日(7/4)ふれた『こんな家に住みたい』『LIVING DESIGN』『CASA BRUTUS』などの雑誌も安い。ちなみに、順に、980円、933円、700円、880円。一方、『新建築』『住宅特集』『a+u』『建築文化』『住宅建築』はこの2倍から3倍。うーん。
  その他、住宅本がいま書店に溢れている。とりあえずどんな本と雑誌があるのか整理しよう、というのが院生・S君に今日だした宿題。

 

2002-7月9日(Tue) 

 卒論の中間発表会。毎年のことですが、その作業をおこなうと何がわかったことになるのか、あるいは何がわかったことにしかならないのかという基本的な論理的可能性、あるいは論理的限界にまるで考えが及んでいない人が目につき、これはもう不思議としか言いようがない。もちろん、とくにまずいのは「限界」に気づいてないひとですね。熱意や努力の有無とはまったく別の話です。単純に基礎的な言語能力の問題ですね。隣の部屋のY先生はそういう発表に対し「時空がゆがんでますねえ」と言ってたけど、まさにそんな感じです。宇宙人の話を聞いているみたいな気分になる。もちろんこんなひと、学生じゃなくてもいっぱいいますけどね。いくつかは期待できそうなテーマあり。ともかく、解くに値する問題を、用いるに値する方法で解き、その結果を他者に伝わる言葉で表現する、それだけ。

 『少年Mのイムジン河』(松山猛、木楽舎)、『87%の日本人がキャラクターを好きな理由』(香山リカ、学研)、『ヴォーリズの西洋館』(山形政昭、淡交社)。

 

2002-7月8日(Mon) 

 午後、大阪の城東区にある古市団地見学へ。助手の福本さんや院生たち、それに鈴木成文先生も参加。以前も書いたことがありますが、昭和28年から37年にかけてつくられた大阪市営の団地です。設計は久米権九郎(久米事務所)。現在、遠藤剛生さんらの設計で半分ほどの建て替えも進んでいる。今日は大阪市にお願いして空いているいくつかの住戸を見せてもらうことができました。
 住戸はいずれも2Kタイプで、かなり狭い。部屋の
状態もあまり良くなくて、残された多くの生活用品が生々しい。2つの住戸をつなぐ「連続バルコニー」を見ることができたのは収穫だった。ただ、隣にどんな人が暮らすかわからない公営住宅で、隣の住戸とバルコニーを共有させることに設計者は何を期待したのか。正直言ってよくわからない。
 そもそも、僕はこの古市団地に対する高い評価がどうもよく理解できないできています。住棟配置を単純なグリッドにのせることなく、変化の多い景観をつくったのは確かに面白い試みだとは思うけど、肝心の住棟のデザインに心を動かされるところがないのですね。今日、住戸の空間を実際に体験してますますそう思ったなあ。全体に窓が小さく息苦しい。いわゆる掃き出し窓(腰壁がないやつですね)+バルコニーじゃないので、いっそう閉鎖感が強い。「連続バルコニー」も、立面のデザインから決まったのか、床面より数10cm高くなっているので、なんとも使いづらい。要するに、細やかに設計された感じがしないんだなあ。一番がっかりしたのが天井と壁の接点にある回り縁。4分の1円の断面をもつ回り縁がモルタルの鏝仕上でぐるりと回っているんですね。非常に場違いな感じがしましたね。チグハグってことです。

 家に帰ってメールをチェックして驚いた!!!昨日御紹介した東大の加藤陽子さんからメールが来ていて、「春愁糞尿譚」について僕が書いたことが彼女のお耳にはいったとのこと。彼女のお友だちのお友だちがこのページを読んで下さったらしく、そのルートで情報が伝わった模様です。いやはや恐縮するやら驚くやら。でも面白いですね、インターネットって。あわててお返事を書いたことでしたが、さて、いったいどういう回路がつながったのか。伝言ゲームに参加して下さったあなた!僕にこっそり教えてくださいな。

 

2002-7月7日(Sun) 小さな幸せ

 久しぶりにだらだらとした休日。午前中は幼稚園にいっている下の子供と近所の公園で七夕祭り。町の自治会の主催で、公園に七夕の飾りつけがなされている。子供たちに短冊を書かせたり折り紙を教えたりして笹竹に結び、最後にお土産をもらって終わりという会である。行ってみると、昨年度PTAでお世話になったお母さん方が主宰者側に何人もいて驚いた。みなさんほんとうに熱心に町を支えておられる。感謝あるのみ。
 お昼を食べて今度は掃除。車を洗い、駐車場をきれいにする。わが家「渦森台ハウス」は床に角材を敷き詰めた駐車場です。ざーっとホースで水洗いするわけにはいかないのが難点ですが、とくに今日みたいな暑い夏の日には眼に優しく、悪くありません。毎日車を使うので、さすがに角材の表面の特定の場所が汚れたり削れたりしてきたのは仕方ないか。そのうち畳の表替えのように角材を裏返してやろうと思っています。4回ひっくり返せます。
 汗びっしょりになってシャワー。塾のテストから帰った5年生の上の子は学校の開放プールへ。下の子は今度は母親と近所の川へ。元気ですね。私ひとりしばらくテレビをぼーっと見ていた。ばらばらの家族です(笑)。そのうち上の子が友だちと一緒に帰ってきてレゴを始める。さらに下の子と母親が帰ってくる。夕方5時。
 今度は僕が住吉のシーアという生協の大きなショッピングセンターへ車ででかける。ジュンク堂書店で『プロジェクトX物語Vol.1』(ぴあ)・『南極越冬記』(西堀栄三郎、岩波新書)・『風眼抄』(山田風太郎、中公文庫)、ユニクロでポロシャツ、食料品売り場でギネスビールを4缶買って帰りました。わたくしの小さな幸せです。
 『プロジェクトX物語』は「プロジェクトX」の舞台裏を取材したグラビア本。「プロジェクトX」というプロジェクトXですね。『南極越冬記』は、それこそ「プロジェクトX」にもなった西堀隊長の感動の日記。「岩波新書フェア 青版ルネッサンス」の一冊です。『風眼抄』は、日本近代史の研究者・加藤陽子さん日記で知りました。もちろん一面識もない方ですが、『戦争の日本近現代史』(講談社文庫)でお名前を知り、検索するとホームページにラジカルかつなんとも愛らしい日記を書いておられたので、勝手に愛読しているという次第です。なお加藤さんの日記では「春秋糞尿譚」となっていますが、正確には「春愁糞尿譚」。「春秋」のではなく「春」に起こった「愁う」べきたいへんな糞尿物語です。嗚呼!おしえてさしあげたい。こんなことに気づいてにこにこするのも小さな幸せか。

 

2002-7月6日(Sat )

 YMKM君と、共同で設計した宝塚のお宅へ行ってきた。昨年の秋にできた建物ですが、その後どんな様子かなというわけです。通知表をもらいに行くような気分でしたが、十分に満足していただけているようでほっとしました。たしかに風の通りが良く、気持ちよかったです。どこの雑誌も載せてくれないふつうの家ですが、このくらいの内容の家が建て売り住宅のスタンダードになるべきだと改めて思いました。
 その後YMKM君とたっぷり雑談、というか放談。彼と喋るのはとにかく面白い。四方山噂話に花を咲かせたあと、宝塚の有名な住宅のその後の様子など、3つの建物を見にいきました。いずれも近い位置にあるのですが、僕が狭い路地で車の運転に手こずっていたら、最初の場所で見かけた建築系の学生さんらしい数名のグループと、残り二つの建物でもいっしょになった。けもの道ですな。もちろん彼らの手には『建築MAP大阪/神戸』がしっかりと握られていました!(笑)。
 田中康夫長野県知事に不信任決議。さあどうなるんだろう。詳しい事情はわからないけど興味津々。せめてこことリンク先は読んでみましょう。

 

2002-7月5日(Fri)

 卒論中間発表会用の梗概づくりで4年生が右往左往。海のギャラリーの模型づくりが終わって1週間。僕の方もできるだけ頭をひねって相談に乗ったつもりです。この間、わっと集中的に考えるとけっこうアイディアは出るもんだ、と思えた諸君も少しはいるのではないだろうか。とにかく意識を集中させること。それでも良いアイディアがでないなら、テーマを変える柔軟さが大切だと思います。

 

2002-7月4日(Thu)

 大学院の講議「デザイン思潮」。今日はコンクリートによる公共建築における造形について。丹下さんによる木軸のコンクリートへの翻訳、吉阪さんの自由な造形、菊竹さんの象徴的なな造形、それらの比較。ピロティに込められた思い、等々。毎回ひとりで喋り通しているので反省しきり。
 4年生は、卒論の中間発表用梗概の提出を明日に控え、煮詰まっている。ゼミ室の空気が重く、模型制作時の熱気との落差が面白い。ハナダ研のモットーは文武両道!と思いつきの檄をとばす。海のギャラリーの模型制作体験から、林雅子論、模型論、ディテール論などは派生しそう。あとは川俣論、荒川論、ゲーリー論など今年は作家論が多く、なかなかうまくアドバイスできない。「作家」ってなんだ?!それこそ斎藤美奈子のように「アイドル論」にしてくれないかなあ。
 大学院の授業で日本のモダンアーキテクチャーについての大枠を知る参考文献リストを配ったのですが、その1冊『建築モダニズム 近代生活の夢とかたち』の出版社を書こうとして、それがエクスナレッジであることに気がつきました。先日のコル本もそうですね。『Home』という雑誌で覚えた出版社名でしたが、あれ、『建築知識』もここになってる。「会社案内」をみると・・、あ、建築知識社の改組なんだ。そういえば、建築知識→建築・知識→X・Knowledge、と考えれば「知識」の意味を広げた発展的解消になっている。なーるほど。
  最近、『こんな家に住みたい』『住む』『LIVING DESIGN』など面白い住宅雑誌がたくさん出ていて、建築関係の出版事情が大きく変わってきたんじゃないかと感じますねえ。学生の雑談聞いてても、いわゆる御本家的な建築雑誌の名前はほとんどでなくて、『CASA BRUTUS』に載ってたあれね、なんて具合です。あ、あと『10+1』ね。これは卒論ネタをさがす学生がよく見ている。いいんかね、こんなことで。

 

2002-7月3日(Wed)

 「建築空間のデザイン」講議、学科会議、大阪市立大・谷直樹先生の特別講議。
  谷先生は、林雅子展の会場になる住まいのミュージアムの館長さんでもある。建築の領域から博物館運営に関わる眼で展開される建築家批判が面白かった。

 

2002-7月2日(Tue)

 『須賀敦子のトリエステと記憶の町』(文/写真 岡本太郎、河出書房新社)、『文壇アイドル論』(斎藤美奈子、岩波書店)、『ル・コルビュジエ』(エクスナレッジ)。どれもでたばかり。須賀敦子のこの本は、以前ここでもふれましたが、「岡本太郎」さんは須賀さんのお弟子さんでした。いいなあやっぱりイタリアは。斎藤美奈子はあいかわらずファン。「アイドル建築家論」、だれかいっしょにやらない?コル本は、佐々木宏や松隈洋のきちんとした論文や資料編と旅行ガイドブック的部分とが混在したちょっと不思議な本。林雅子展の事務局をやっている山本喜美恵さんもペリアンについての文章を寄せている。

 

2002-7月1日(Mon) 打ち上げ

 模型完成の喜びにいつまでも浸っていてはいけません。今日は午後、さっそくゼミ。卒論の遅れを取り戻そう!
 とはいうものの、もちろんみんなで喜びをかみしめるため、夜は盛大に打ち上げ会。三宮の、なんでもひと皿380円のお店です。いやあ学生諸君は食べる食べる!ふだんの貧乏話を山のように聞かされ、いいやつらだと感じ入る。
 職長Hこと東端君らによって、今回の作業を記録した「プロジェクトH」という映像づくりが進んでいるらしく、早くも台本ができていました。愛と涙と感動の物語。展覧会までには研究室のホームページで堂々公開の予定らしい。お楽しみに。
 海のギャラリーの模型、良い出来だと思います。乾式の建物を乾式でつくった日土小学校の模型と違い、今回は「湿式の建物を乾式でつくる」という難問を抱えていたわけですが、十分鑑賞に耐えるところまでいったのではないかと思います。僕としては、日土小学校の模型との比較が何より気になっていましたが、遜色ない出来だと思います。たぶん、実物よりも林雅子さんの意図がよくわかる模型になったのではないか。

 

2002-6月29日(Sat) 完成

 海のギャラリーの模型、無事完成!
 
写真撮影も終わりました。学生諸君に心から感謝。詳しくはまた。

2002-6月27日(Thu) あと1日!

 午前中、大学院の「デザイン思潮」の講議。日本のモダンアーキテクチャーの諸相を学んでもらおうという意図で、今日は松村正恒論を2時間。狩江小学校建設の模様を記録した貴重なスライドなども見せました。

 午後は、昨日と同じく入試関係の雑務等の合間に模型、模型。いよいよ明日の夜は撮影です。昨夜はついに何人かの学生諸君は泊まり込み。ありがとう。卒論の準備をいささか棚上げにしつつ、よく頑張ってくれています。今日はいよいよ折板屋根の固定。最後のステップである。初めて屋根をのせた状態を見たが、とても臨場感ある模型になった。大きな判断ミスはないように思う。あとは間に合うかどうか。夜は大阪で事務局の山本嬢や工繊大の松隈君たちと展覧会についての打ち合わせ。

 

 

2002-6月26日(Wed) あと2日半

 午前中、「建築空間のデザイン」講議。午後、入試関係の雑務等の合間に模型、模型。あと2日半。夜はお弁当を食べながら完成までの細かな打ち合わせ。今日は下級生や他のゼミ生の応援も加わった。感謝。

ショーケースの中の貝の固定。下級生の手伝い。斜め壁の部品。屋根の折れ具合がわかるでしょ。

2002-6月25日(Tue) まだまだ模型をつくる

 午前中、ちょっとした住宅改修工事の打ち合わせ。わが家を施行してくれた工務店の監督さんなのでスムース。
 
  午後、大学。夕方の入試委員会以外、模型です。ともかくたくさんの神の手、神の手男の子が多い今回のチームは、女性陣中心だった日土小の模型のときとは別の味わいがあって面白い。ともかく驚くほどの器用さだ。つくりためてきた各部位の接合がおこなわれている。そのジョイントがぴしっときまる快感よ!これは日土のときに味わった感動と同じである。
  いよいよ折板屋根の組み立ても始まった。屋根の最高部にスリットのはいった実物と同様、模型の屋根も、この亀裂の両側をどう自立させながら組み立てるかが難しい。屋根を取り外せるようにしてほしいという僕の要求にどう応えてくれるだろう。展示ケースに入れた本物の貝殻もなかなかの雰囲気。

貝の展示ケース 。貝は本物。 壁の取り合いの精密さ!

2002-6月24日(Mon) 模型をつくる 今年度の優秀修士論文賞

 模型づくりです。僕は今日は働きが悪く、午後は修士2年生と修論のゼミ。
 学生諸君、みんな「神の手」と呼ぶにふさわしい驚異的な器用さです。

 本日、建築学会から手紙が来て、 今年度の優秀修士論文賞のひとつに、この春芸工大の大学院をでた畑中久美子さんの「土の実験住宅」についての論文が選ばれたことを知りました。例の「つちっこ」ですね。素晴らしい!昨年のわがゼミの石坂美樹さんに続いて2年連続の受賞。神戸芸工大としてもとても嬉しいことだと思います。しかも両方とも吉武賞受賞論文ですから、学内の評価と学会の評価が一致した。この点もよかったと思います。

 

2002-6月23日(Sun) 模型をつくる

 日曜日ですが、模型づくりです。僕も午後大学に行き、花壇の修正作業をおこないました。今日のお土産は『御座候』の回転焼。三宮の阪急から地下鉄に下りていく通路の脇にお店があります。夜はダイエーでお弁当の買い出し。わいわい。

 

2002-6月22日(Sat) 模型をつくる

 林雅子展のための海のギャラリーの模型をつくってきたが、いよいよラストスパート。土曜日ですが学生諸君、健闘しています。こちらは午前中に雑用を済ませ、午後、おやつのシューアイスをぶら下げて大学へ。来週金曜日までのスケジュール調整。今日は僕も排水溝まわりをつくりました。いらいらする気持ち半分、自分でもつくりたい虫が残りの半分。日土のときは屋根と鉄筋ブレスをやりました。口ではわーわー言いながら、手はどんどん動かしていく。この感じ、大好きです。一種の麻薬、トランス状態(笑)。

 今日は、大学はミニキャンパス見学会。ラボにも高校生がやってきた。模型づくりの現場を見てもらい、こういう無償の社会的活動が大学にはあるんだよと力説。
 夕方からは、先日書いた1年生による開墾スペースで、彼らがパーティー。80人くらい集まったみたい。アンプやスピーカーも持ち込まれ、黄色い声と兄さんたちのバーベキュー大会。そのすぐ横のラボで粛々と模型をつくるわれわれにも彼らから焼き鳥やおにぎりが届きました。サンキュー。元気な学年です。

 

2002-6月21日(Fri

 模型。院生のK嬢から西瓜の差し入れ。夕方、模型チームで種の飛ばしあい。
 僕にはストレス解消で「新書」をちょうど片手で握れるくらい買う癖がある。今日は『一億三千万人のための小説教室』(高橋源一郎)、『日本人のための英語術』(ピーター・フランクル)、『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)、『まれに見るバカ』(勢古浩爾)。高橋・内田のはでたばかり。これから書評がでるでしょうね。 昨日は新書じゃないけど、『パンツが見える』(井上章一)、『脱文学と超文学』(斎藤美奈子編)、『田中小実昌エッセイ・コレクション1 ひと』、『銀の匙』(中勘助)。実習が終わるとちょっと本屋へ行く余裕がでる。『銀の匙』は高校生のときに読んで感激した記憶が鮮明。

 

2002-6月20日(Thu)

 ここ数日は、時間があるとレポートのチェックをしている。「建築空間のデザイン」での毎回小レポート、1年生の見学授業が終わるたびのレポートなどが、文字どおり山のようにたまっていた。これらすべてにコメントをつけて返すというのはたいへんな作業。例年、その一部を(いや大部分を)夏休みに持ち越してきたのですが、今年こそはきれいな身体で夏休みを迎えたいという魂胆である。自分が学生のときのことを思うと、なんだか夢のようなサービスぶりだ。でも、レポートにコメントがついて返ってきたらやはり嬉しかったのは事実である。今でもよく覚えている二つのレポート。鈴木博之さんの西洋建築史の授業の最終レポート「現代建築に様式はあるか」と、大学院のとき単位互換性があって受講した東工大のデビット・スチュワートさんの歴史の授業のレポートだ。両方とも、こちらの稚拙な、そして思い込みの激しい議論に、きちんとした感想が書いてあった。とくに後者は英文での提出だったが、じつに丁寧に英語としての添削もなされていて驚いた。たぶん探したら出てくると思う。

 最近、学科のラボ(工房)裏の空き地を1年生の有志が整備している。雑草だらけだった場所を整備して、公園にしたいという申し出が学生側からあったらしい。すごいです。まさに屯田兵。ラボの技術職員の方の協力を得て、草を刈り、土を掘り、今日はそこに砕石をまきました。どぶ掃除までやっていました。いろんな色の髪の毛の兄さんたちが、鍬やスコップを手に、汗まみれ泥まみれになって単位にもならない労働をしている風景は、なんともはや感動的。へんな大学だ。

 
模型の方はいよいよ最終段階。敷地や1階床の貼り込みが終わり、階段やショーケース等の細部の部品も揃ってきた。そんなことできるのかいなと訝っていたらやりとげてしまったりで、相変わらず学生の力は未知で無限。

2002-6月19日(Wed)

 「建築空間のデザイン」講議、学科会議、教授会。会議の日。
 教授会終了後は、芸術工学フォーラムという教員持ち回りの会で、今日は土肥先生。学生時代から今までに関わられた多くのプロジェクトから代表的なものを紹介された。高蔵寺ニュータウンや広島の計画は、先年、共同研究でそれぞれ訪れ、現物の前で土肥先生自身からお話をうかがっていたので、その背後の思想などを改めて教えていただいた感じがして興味深かった。ちょっとプロジェクトXを見ているような気分にもなった。
 夜は、模型。

 

2002-6月17日(Mon)

 ゼミ。4年生の諸君の卒論、まだまだです。「海のギャラリー」の模型づくりが動いているので、今年はちょっとスロースタートになるのも仕方ないが、教師としては「手は模型、頭は卒論」でいけと無理強いする。頑張れ。
 模型は、今日からいよいよ土台の上で1階の床と壁とを組み上げはじめた。
 高校のクラスの久しぶりの同窓会のお知らせ葉書が先日届き、出欠の返事葉書の近況欄に研究室のホームページを書いておいたら、さっそく見たぞというメールが山口県で医者をやってる男から舞い込んだ。便利な世の中だ。
 世の中、サッカー一色。どうして日の丸の旗をあんなに無邪気に振ったり顔に書いたりできるのか。
 
鈴木宗男の逮捕が目前。
 遅くなりましたが、ナンシー関さんの訃報はたいへんにショックでした。彼女のホームページにはここからも勝手にリンクをはっていたわけでしたが、ともかくその孤立を恐れぬ批評精神は偉大だったと思います。この国のバカさ加減に警鐘を鳴らしてくれるかけがいのない批評家を僕らはひとり失ってしまった。

 

2002-6月16日(Sun) 呆れるほどの貧しさ

 小学校の日曜参観日。完全週休2日制となっても、父親参観日(という言葉はもちろん使われないが)という意味での休日の参観日は健在です。
 5年生の子供の「道徳」の授業を見る。息子はこの授業が大好きで、といっても別に彼が右翼少年ということではなく、「道徳」の時間というのは、結局、大袈裟にいえば、なんらかの危機的・極限的状況における個人あるいは組織としての判断を問うディベート授業のようなんですね。給食の時間の終了が迫る、でもクラスとしてのなんとかが・・ってな感じの。
 で、今日は、大きな河にかかる鉄道橋を管理する父親が、列車事故をくいとめ多数の乗客の命を守るか、線路に迷い込んだわが子ひとりの命を守るかという手に汗握る極限状況を描いた映画を見せられ、さて君ならどうするという授業でした。そんなこといわれても判断材料が少なすぎて考える気にもなれないぜ、なあーんていうのは擦れた大人の考えみたいで、子供たちは結構大騒ぎしていたのが可笑しかった。しかしです。問題は、その教材としての映画です。内容ではありません。そんなハイレベルのことではありません。
 あれは16mmというのでしょうか。なんとも懐かしい、リールが二つついた大きな映写機が教室のまん中の机に乗せられ、カタカタ、カタカタと回っています。黒板の横に天井から吊るされたスクリーンがあって、そこに90 cm角くらいの小さな映像が映しだされる。ときどき映像と黒い枠とがずれるのを先生が調整する、なんていう作業がすっかり僕をノスタルジックな気分に浸してくれます。そう、昭和30年代の映画会ですね。そういえば、体育館で映画みたりしたなあ。
 すると、です。映像のなかに黒っぽい斑点が急に増えたかと思うと、突然リールからフィルムが溢れだし、先生があわてて映写機を止めに走りました。何度か調整を試みたのですが、結局フィルムが熱で溶け、互いにくっついてしまったようなんです。そのネバネバが黒い影となって映ったですね。先生は上映前に、「昨日準備してたら映写機が火を噴いてなあ」なんて子供たちを笑わせていたのでしたが、あれは冗談ではなかったんだと思いました。結局、映画は途中で中止。先生が口でストーリーを説明して、子供たちが2チームに分かれて意見を言って終わりました。
 なんなんですかね、この貧しさは。子供たちが、テレビもビデオもコンピューターゲームもインターネットも使いこなし、さまざまな映像に包まれている現代において、この公教育の呆れるほどの貧乏ぶりは。もちろん子供たちは、そんな古ぼけた機械とドタバタ劇を、一種の昔懐かしい光景として受け止めています。子供たちの哀れみの上に成り立つ公教育。あまりにもカッコ悪いです。私が払う税金で空港をつくるな。私が払う税金で教室に液晶プロジェクターを買え。すべての教室にインターネットをひけ。コンピューターとビデオセットを備えろ!

 

2002-6月14日(Fri)

 どうも間があいてしまいます。
●11日(火):大阪・天王寺での入試説明会へ出席。AO入試の概要を高校の先生方の前で説明するお仕事あり。そのため、AO入試の位置づけをあらかじめ考え直してメモをつくってみたら頭の整理になった。僕自身が大学を受験した頃の入試制度は、今から思えばなんてシンプルだったことだろう。あれのどこがいけなかったのか、実はうまく説明できない。
●12日(水):講議、海のギャラリーの模型打ち合わせ、夕方は新旧学長を囲む会。吉武泰水・鈴木成文・土肥博至という3巨頭を囲みながらこんなフランクな会を学生食堂でやれることが(やってしまうとこが)、芸工大の自由な雰囲気をなにより象徴している、きっと。
●13日(木):大学院の講議(「デザイン思潮」)。木村博昭さんと半分ずつの受け持ちで、僕はこれから5回が担当。昨年までは英語や日本語の評論を読んだりしてましたが、今年は日本のモダンアーキテクチャーのことを話します。1回目は、ICOMOSやDOCOMOMOなどの運動の紹介と、DOCOMOMO JAPANの20選のうちいくつかの建物をスライドで説明。いろんなモダニズムがある、と。午後、ゼミの諸君と海のギャラリーの模型打ち合わせ。進捗状況の確認と今後の方針の相談。ラボの技術職員・石井さんの協力を得て、土台づくりも実行。この時期に土台をつくる重要性は日土小学校のときに学んだこと。95×190cmになりました。大きい。残り時間あとわずか。

 本日はたまっているレポートのチェック。1年生のオムニバス講議で出欠代わりに出してもらう短いレポートが意外に面白い。模型の打ち合わせ。サッカーのせいか大学が静か。
 北京の韓国大使館への亡命事件(中国側の警官と韓国の事務官とのあいだで小ぜり合いがあった)についてのニュースを見たいと思ってテレビのチャンネルをあちこち変えたが、サッカー一色。NHKの深夜零時40分のニュースまで、時間延長して日本チーム決勝進出をやっている。なんてことだ。それにしても上記の事件の映像がない。瀋陽事件のときと違って、朝日や毎日の
ホームページでも写真がない。どうしてだ。
 今日買った本。『2002年ソウルスタイル 李さん一家の素顔のくらし』(国立民俗学博物館)、『琥珀色の記憶 時代を彩った喫茶店』(奥原哲志)、『20世紀の遺跡』(現代風俗研究会)、『カーサ・バラガン』(齋藤裕) 。『ソウルスタイル・・』は民博で展覧会を開催中。家のなかのすべてのモノを通して生活を記録する試みだ。ちょっと写真が小さいのが残念。『琥珀色・・』は、昭和のなつかしものシリーズの一冊だ。増沢洵の風月堂の内外の写真と、前川國男の紀伊国屋書店(木造)の屋根を見下ろした写真が掲載されていて、とても新鮮。それにしてもどうして急にバラガンコールなの?誰か教えて。

 

2002-6月9日(Sun) おじさん

 実に爽やかな天気の日曜日。こんなにくっきりと大阪方面が見えるのも珍しい。子供の用事の送り迎えや散歩ついでの買い物くらいで、あとは家で静かにしていた。家族は近くの川へ遊びに行った。近所に住む設計事務所勤務のS君が、今やっている現場でオリーブを植えるかもしれないのでと言ってわが家のオリーブを見にやってきた。夕方みんなが帰ってきて、下の子はレゴをしていたと思ったら、遊び疲れたのかリビングと洗面所との間の床でいつの間にか眠っていた。
 話題の、内田樹『「おじさん」的思考』(晶文社)を読んでいる。内田さんは神戸女学院の先生で、こんなホームページをもっている。日記やエッセイが公開されていて、僕も愛読者のひとりである。本書はそこで公開されてきた文章を中心に集めたもの。それを「おじさん」
的と呼んだのはなかなか上手いコピーだと思うけど、副題に添えられた「La pensee mure=成熟した思考」というフランス語のかっこよさとの落差が面白い(フランス語特有の記号は打てないので省略)。しかしともかくこういうくねくねした理屈のこねかたは嫌いではない。橋本治の粘着質をもう少しさらりと味付けした感じとでも言えばよいか。お薦めします。

 

2002-6月8日(Sat) またも、この一週間のこと

 墜落後、なんとか立ち直ったものの、まだ低空飛行気味で、しかもあれやこれや忙しく、あっという間に一週間。

●1日(土):昨年度、PTAを一緒にやってきた役員のお母さん連中とわが家でパーティー。楽しかった。やはり組織は人ですね。
●2日(日):幼稚園の参観日。親御さんたちを観察していると、髪の毛の色と服装に関する限り、年寄り組と若者組にはっきり分かれていることを痛感。もちろん僕は年寄り組。
●3日(月):ゼミで僕がスライドショー。わが家の工事の様子、この春竣工した細長敷地の住宅、青木君の作品やビデオを紹介。
●4日(火):2年生の実習の最終講評会。上位と下位の格差が気になり、ついアジテーション。まあ、若い諸君のことだからまだわからないですけどね。これからこれから。
●5日(水):講議と学科会議。
●6日(木):福岡へ日帰り出張。大学説明会です。女子高生に環境デザイン学科での生活や、実習の様子などをひとしきり話してから、どう?と聞いたら、「胸がドキドキしてきました」って。嬉しいぞー。
●7日(金): 1年生を連れた見学授業。川北さんと院生4名で1年生20数名を引率、神戸市の入江地区を歩きました。JR神戸駅から南へ国道を越えたところにある下町です。かつては造船業で栄えた町。この地区の住民の方々と神戸市、そして神戸芸工大の学生たちによって様々な町づくり活動が展開されています。その概要は次のホームページを参照下さい。 まちなか倶楽部
まちなか倶楽部 保存録 まちのリズム場所のリズム
ともかくこの3年ほどのあいだに、学生たちが自主的にこれほどの活動をおこなったことに僕は感激していたのですが、今日その中心メンバーである院生と一緒に歩いて、改めて彼らの偉大さを知りました。商店街を歩いていても工場を覗いても、皆さんから気軽に声がかけられ、また院生たちも実に楽しそうに声をかけていく。うーん、こんな信頼関係を築いているなんて、大したものだ。脱帽です。
終了後、1年生に感想を発表してもらいましたが、みんななかなか良いコメントをしていました。いろいろなことを学んでくれたと確信しました。学生に町の歴史をお話いただいた自治会等の皆様に心から感謝します。
「 じんべさん」を着てきた学生が2名いて、僕は「それが人に会う格好か」と頭にきていたのですが(表情にでていたとあとから学生に言われてしまった)、しかし、町の人々も町の風景も、そういう若い衆を実に自然に受け入れていたことが可笑しかった。
解散後、多くの学生と「喫茶 アスキー」にはいって話し込みましたが、これが滅法楽しかった。建築オタク少年は健在です。留学したいお嬢さんもいます。早くも大学院にはいるにはどうしたらいいのかと聞く学生もいます。AO入試が面白かったと言ってくれるひともいましたぞ。面接やメールでのやりとりはやはり大切。じんべさん野郎も結構生意気なこと言うんだよね。若い人はいいねえ。こんな連中が集まってくる芸工大って、現代社会において、信じられないような希有なユートピアかも。

この春出た、『生き残る大学 大学ランキング 18分野TOP30』 (別冊宝島Real 030号)の「デザイン学分野」で、神戸芸工大が9位にはいっている。河合塾による評価である。上出来。ちなみに30校のうち、上位10校は以下の通り。
 1位 武蔵野美術大学
 2位 千葉大学
    
琉球大学
 4位 多摩美術大学
 5位 九州芸術工科大学
 6位 東北芸術工科大学
 7位 金沢美術工芸大学
 8位 京都工芸繊維大学
 9位 神戸芸術工科大学
10位 女子美術大学

あ、それから、研究室のホームページのトップが更新されましたが、文字が広がったりしてちょっと御見苦しい状態かと思います。早急に修正しますので、しばらくお許し下さい。岡村君、村山君、よろしく。

 

2002-5月31日(Fri) 旧甲子園ホテル 卒業生たち

 1年生を連れた見学の授業で「旧甲子園ホテル」へ。言うまでもないことですが、遠藤新設計、昭和5年完成の建物ですね。現在は武庫川学院の教育施設となっています。お天気もよく、メリハリのきいた空間はとても気持ちのよいものでした。「ライト的」とか「有機的」とかいった言葉よりも、もっと別の言葉が必要な感じ。ぜひホテルとして再開してほしいと思いました。ここに泊まり、朝を迎えたらどんなに気持ちが良いことでしょう。1年生の眼にはどんなふうに映ったかな。上級生になってからぜひもう一度見てほしい。
 住宅建築の波多野嬢からゲラのファックス。てっきり間もなく出る6月号用と思っていたら一カ月後の7月号とのこと。え、締め切りのさばよんでない?と言ったら、いえそんなことはありません、これこれこういうスケジュールでありまして印刷所からあがったゲラをもう一回チェックしてもらいますとの立派なお返事。ちゃんと成長しておられます。頑張れ。ファックスを待っているあいだにゼミの卒業生から電話がはいる。将来のことについて。こちらもきちんとものを考えている。みんな悩んで大きくなった。いいぞいいぞ。頑張ってよ。

 

2002-5月30日(Thu) この一週間のこと

 低空飛行から、とうとう墜落してしまった一週間でした。

●24日(金):土肥研の公開ゼミおよび土肥先生たちとやっている科研のジョイントということで、御影団地と香里団地の見学会。教員は、土肥先生と私、それに助手の福本さん、そして鈴木成文先生まで参加。学生が30名弱。昭和30年代の住戸の空間を実体験いたしました。御影団地はわが家から少し下ったところ。春のこのページでも御紹介した団地です。香里団地では、スタア型とテラスハウス型を見ることができました。何しろ歩き疲れましたが、貴重な体験でした。京橋に戻って鈴木先生と学生数人でビールとおしゃべり。
 で、帰ってきてなんだかだるいなあと思っているうちに腰砕けになり、熱が出てました。ダウン。

●25日(土):病院へ。ここ3週間ほど咳が続いていたのですが、ちょっと風邪をこじらせてしまっておりました。 27日(月)まで、3日間、おとなしく寝ていました。頭はしっかりしていたのでひたすら読書。

・『「勝ち組」大学ランキング』(中井浩一):読み残し部分を病院で2時間も待たされたあいだに。
・『独特老人』(後藤繁雄):怪物老人たち。沼正三は不気味だ。
・『ベ平連と脱走米兵』(阿奈井文彦):瀋陽事件を思いながら。阿奈井文彦の名前は懐かしい。晶文社の「アホウドリ」シリーズは、大学にはいった頃、生協書籍部でよくみかけたなあ。
・『私の体験的ノンフィクション術』(佐野真一):大好きなライターの制作秘話。とても参考になりました。インタビュー型の論文を書く学生諸君も必読ですね
・『そうだったのか!日本現代史』(池上彰):3分の2くらいまで。とてもよくできたテキストです。
・『知の欺瞞』(アラン・ソーカル他) :御紹介するまでもないでしょう。建築の分野でこんな本、書きたいぞ。
といった本を順番に読みながら、その合い間に同時に読んだのが以下の本。
・『落語特選 上』(麻生芳伸):活字で落語を初めて読んだ。けっこう面白い。
・『ゴーシュの肖像』(辻征夫):この詩人の散文は実に素晴らしい。大好きです。詩の紹介者としての眼もすごい。彼の選ぶ詩、ぜんぶ僕も大好き。
・『風穴をあける』(谷川俊太郎):辻征夫の散文と同時に読むと、僕の好みがあらためて自分でよくわかった。谷川さんより、僕は辻さんの方が好き。

●28日(火): 大丈夫かなあと自分でも思いながらも大学へ。入試委員会。2年生の実習のエスキス。模型制作プロジェクト。

●29日(水):ほぼ立ち直ってきた感じで、「建築空間のデザイン 」講議。前置き長過ぎて、ちょっと失敗。病気のせいにしよう。模型制作プロジェクト。

 で、本日。 午前中、病院で回復具合を診てもらった後、午後、天王寺のホテルで開かれた入試説明会へ。墜落状態からやっと離陸へ。往復の電車の中で『ボクは算数しか出来なかった』(小平邦彦)読了。日本で初めてフィールズ賞を受賞した数学者の自伝。帯には彼の有名な言葉、「専門バカでないものはただのバカである」。このゆったりとした知性は天才にしか許されないものだなあ。おすすめします。

 

2002-5月23日(Thu) ここ数日のこと

 数日あいだが空きました。咽と鼻の風邪がずっとすっきりせず、ぎりぎりの低空飛行ですり抜けている。

●20日(月):4年生の卒論についてゼミ。今年は例年になく現代建築家やアーティストについての作家論が多く、ちょっと戸惑っています。昨年まではそういうテーマが余りなくてそのことが不満でしたが、いざいっぱい出てくると、そんなことが「論文」になるのかと不安になってくる。住宅建築編集部に就職した波多野嬢から電話。宿題原稿の催促。締め切りを過ぎること5日。すみません。君がクビになって済むのならそっちの道を選ぼう、などと冗談言っている場合じゃない、な。
●21日(火):2年生の実習・小講評会。中村良夫先生の特別講議はさぼって宿題原稿。家でなんとか書き上げ早朝に送信。ああしんどかった。
●22日(水): 建築空間のデザイン講議。意味の問題。結構上手く喋れたのでは。午後、大学院の修論中間発表。うーん、まだまだ、だめ。

 そして本日。中国の瀋陽事件。早朝、5人の家族はやっと韓国入りすることができた。マニラ空港でのこわばった表情とソウルに着いたときの笑顔との落差が印象的だった。一刻も早く幸せな日常を手にしてほしい。日本を完全にかやの外に置いた中国もとんでもないが、外務省のプロとしての能力の欠如ぶりはそのさらに何倍もひどい。世界にこれほど恥をさらしたことも珍しいのではないか。
 1年生向けのオムニバス授業「環境形成の歴史と人」。僕の担当分(3回)、今日で終わり。これも毎年いろいろ変えながらやっているが、今年は結構上手くいったんじゃないかなあ。今日はRalph Arskineのビデオを見ながら建築と建築家の役割について話す。というか、画面から感じ取ってもらった、でしょう、たぶん。ちなみに、僕はArskineが大好きなんです。
 海のギャラリーの模型、少しずつ前進中。テクスチャーの表現をどうするかが迷いどころ。
 最近本屋に行ってない。忙しいのである。あーあ、なんてこった。

 

2002-5月18日(Sat) 公開ゼミ

 「建築デザイン演習」。通称・公開ゼミ。4年生を対象とした授業ですべてのゼミが開講します。ロードとしては、基本的に1回の授業で半日仕事というイメージです。自分の属するゼミの授業にはそのゼミ生は必ず参加し、そこに他ゼミの学生も参加。上限20数名。具体的には見学とかワークショップ的なものが多いのですが、僕はどうもこの授業が苦手で、毎年何をやるか頭を悩まします。で、今年は「東灘区の住宅地を歩く」。わが家からさらに上がった東灘区渦森台4丁目のバス停に集合してもらい、そこからひたすら歩いて山を下るというものです。それによって神戸における住宅地の変遷が体感できるというしかけです。まず渦森台周辺の昭和40年代初めの神戸市による「山、海へ」方式による一戸建てと団地。 次に、鴨子ヶ原周辺の昭和30年代の公団による団地と県による一戸建てゾーン。そして、阪急御影駅周辺の昭和初期のお屋敷街。最後、住吉川へ出て、渦森台を削った土砂をダンプカーで運んだ両岸の土手を見て終了。まあいろんなことを目と足で記憶してもらえたのでは。途中、わが家も見てもらう。鴨子ヶ原では、あるお宅の庭先にもいれてもらった。わが家にこんなたくさんの人間がはいったのは初めてだ。

2002-5月17日(Fri) 

 午後、明日の演習の授業の事前説明会。その後、ゼミ生に対して、卒論のための情報収集の方法についてメモを配付してレクチャー。これやっとかないと学生さん、意外にダメなんです。昨日雑談していて、大学図書館どうしでのコピーサービス等のこと知らなかったので、ああ今年その説明忘れてたと気づいた次第。夕方、大慌てで大学を出て、東灘区のPTA連合会の引き継ぎ会。これでやっと全部終わり。わが渦が森小学校の新役員の方ともいろいろとお話。教頭先生からは小学校で地域の歴史を教える授業できないかという相談あり。やりますとも!

 

2002-5月16日(Thu) 

 この時期は本当に忙しい。自分の講議、実習、4人で分担の講議、2人で分担の大学院の講議、1年生の見学引率、卒論・修論の立ち上げ、そして入試関連のお仕事(大学説明会ですね)等が、わーっと集中するからである。毎年、そろそろ何か失敗するぞとヒヤヒヤしながらの自転車操業状態になる。今日はその典型。午前中、1年生用の講議。午後、本学キャンパスで高校の先生お招きした大学説明会。入試委員の僕は大忙し。夕方、模型打ち合わせ。ついでに卒論についての雑談。山本嬢から土佐清水での記念写真、その他資料、到着。思いやりのこもった慰問袋のようである。明日の打ち合わせ用資料づくり。宿題原稿。4月中にすませておきたかった逓信建築関係の雑事積み残しのまま。なんとも味気ないメモだなあ。

 

2002-5月15日(Wed) 

 午前、建築空間のデザインの講議。午後、学科会議。調子悪く、雑用を片付けて教授会は欠席。帰宅途中で、ときどきお世話になる漢方薬屋へ。2種類もらってさっそく服用。これが結構効いて、身体の火照りが消えてきた。のどの痛みはまだ。宿題原稿。だめですな、こんなことしか書けないようでは。

 

2002-5月14日(Tue) 

 2年生の実習、中間講評会。彼らにとっては初めての講評会である。どんな印象だっただろうか。4月からわずか1カ月しかたってないが、もう同じライン上にはいない。学生のあいだには優劣の差がつき始める。毎年のことだが不思議な気持ち。修論テーマについてM2の相談相手。まだまだ。消耗して宿題原稿、無理矢理言葉を並べている。風邪、調子悪い。

 

2002-5月13日(Mon) 

 瀋陽事件。いろんな報道が続くがともかくまだ解決せず。
 ゼミ。院生によるプレゼ、M2の修論・修士設計打ち合わせ。まだまだ。
 模型づくり、少なくとも気合いだけははいってきました。「職長」H君が、スケジュール表をもとにメンバーに檄をとばしている。まさに現場の「朝礼」のような雰囲気である。日土のときとはひと味違うノリなので、見ていると面白くて仕方がない。事務局の山本嬢からはH君に脅しを兼ねた(笑)ラブレター到着。
  風邪。のどと鼻のみですがダウン。宿題原稿締めきり迫る。困った。
折板の試作と「朝礼」風景。

2002-5月10日(Fri) 国境

 8日、中国瀋陽でおきた北朝鮮からの亡命事件にいらいらしている。外交の文字どおり最前線にいる人々の意識がこんなに低いとは。明らかに日本の総領事館の敷地内に侵入した中国警官の行為を、どうして瞬間的に条約違反と判断し、それにふさわしい態度がとれなかったのか。あの場でぼんやり立っていた外務省の役人たちは、その夜をいったいどんな思いで過ごしたのだろう。昨夜のニュースで流れた映像はあまりにも衝撃的だった。門の内側に立つ小さな女の子が、叫びながら門にしがみついて抵抗する大人(母親だろうか)をじっと見つめていた姿が忘れられない。ともかく5人すべての亡命が成功することを祈るのみ。
 亡命者を救った大使といえば杉原千畝が余りにも有名。 詳しくはこんなページを。今の日本の外交の世界にはそういう人物はいないのだろうか。正義感は失われてしまったのだろうか。などと憤りながら杉原千畝で検索していると、こんなページと、こんなページがありました。同じ杉原千畝記念館のご案内ですが、冒頭の部分の違いに注目。後者には「杉原千畝記念館名誉館長 衆議院議員鈴木宗男」とあり、前者にはありません。あわてて消したんですかね。こんなところにもくい込んでいたのか!?

 

2002-5月9日(Thu) 

 1年生のためのオムニバス授業・「環境形成の歴史と人」。今週から3回が僕の担当。今日は自分の設計した住宅等のスライドをいっぱい見せて、建築ってのは美しいオブジェじゃなくて、関係の調整装置でなくちゃあいかんという話をしました。午後は2年生の実習。始めての設計にみんな苦戦。そりゃそうだよね。海のギャラリー模型打ち合わせ。

 

2002-5月8日(Wed) 

 学科会議。建築空間のデザインの講議。海のギャラリー模型打ち合わせ。折板でしかも傾いた屋根と、平面的にぎざぎざの壁との交差具合の解明に苦戦。学生諸君とワーワーやってなんとか答えが出ました。意外に複雑。矩計図のミスを発見してしまい、みんなで盛り上がる。屋根ワンスパン分の試作模型ができてきた。

 

2002-5月7日(Tue) 

 2年生の実習。1/200の平立断面図の意味や書き等の説明。自分で書きながらいろいろ考えてもらうしかありませんね。結局、実物をつくってそれと図面との関係を考える体験をしないかぎり、わからないと思いますね。そのときが来るまでの橋渡し役。夜は学科の歓送迎会。今年は助手のひとりが交代。穐山さん、お疲れさま。内山さん、よろしく。会場はここからリンクされてるタベルナ デル オルソ。

 

2002-5月6日(Mon) 

 連休最後の日。良い天気。これといって何もない一日です。連休にはうろうろしないに限ります。下の子供と公園で遊んで、読書をして、布団を干して、上の子供を散髪屋に連れて行って、ついでに本屋で彼の本を買って、夜は下の子に本を読んでやって、その間に子供と喧嘩したり次の宿題原稿のメモを書いたり、インターネットであちこちのぞいたり、そんな一日。
  山田風太郎の『あと千回の晩飯』(朝日文庫)をなぜか便所において大きな用をたすときに読んでいます。僕はどんなふうに死んでいくんだろう。上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(太郎次郎社)。読み残し部分を読了。とても面白かった。こんなに共感するとこだらけの本も珍しい。教員、学生、子をもつ親、のいずれかに該当するひと、必読ですね。

 

2002-5月5日(Sun) 根本中堂

 比叡山延暦寺へ行って来ました。歴史好きの小5息子のリクエスト。幼稚園児づれなので東塔エリアを回っただけですが、根本中堂はとにかく美しいですね。昨年、芸大の光井さんがテレビで紹介していたあの表情を思い出します。それにしても延暦寺のホームページはものすごいなあ。

 

2002-5月4日(Sat) 箱の住みこなし

 我が家の1階の家具のレイアウトを変えてみた。食卓とソファーの位置の逆転である。以前からやろうやろうと思っていた実験だったが、これがとても気持ちよかった。つまり、食卓の上が吹き抜け、テレビの前にソファーという状態である。朝は吹抜け上部からの光で食卓がとても明るいし、昼は庭との一体感がぐっと増した。夜は夜で適度にゾーンが分かれてゆったりする。これまで吹抜けの部分を十分使っていない感じが嫌だったのだが、それがなくなった。いわゆる「居間」の横が台所ということになるので、これならもう少し台所を隠しておいてもよかったかなと思わなくはないけれど、梁から布をたらしたらなんとかなった。とくにこれからの季節にはぴったりだろう。BBSにも住宅建築の中村さんが「箱」を使いこなすのは大変だと書いていたが、僕もそれを実感します。でも要するにこんな実験ができることが「箱」の良さ。2階やロフトの使いこなしはこれからだ。
庭の美しさに見入るバカボンのパパ

2002-5月3日(Fri) 89の初仕事

 連休後半の初日。家の雑事。
 『住宅建築』5月号が本屋に並びました。この春僕の研究室で修論をかいて卒業し、編集部にはいった
波多野章子嬢の文章も編集後記に載っていた。先日は新しい名刺が送られて来て、「この名刺がどんなにほしかったことか。へへへ」と、どこぞの収賄業者のようなコメントが添えられていた。こみ上げてくる喜びが滲み出ていて、こちらも嬉しかったです。 89よ、この新鮮な気持ちと恩師への恩返しを忘れずに精進していって下さい(笑)。

 

2002-5月2日(Thu) 

 連休の谷間ですが、授業。2年生の実習です。小講評会と次のステップの説明。
  海のギャラリーの模型は、写真整理と基本になる図面作成の打ち合わせ。そのために、実施図面の読み方を1枚ずつ説明しました。ほっほー、という感じでみんなが聞いているのが可笑しかった。そう、図面と実物との関係が見えてきたときの感動って、そんな感じだよね。
 宿題原稿ひとつ完成。古巣の日建設計についての短い文章。しかも日建の社内限定冊子用。これは緊張します(笑)。

 

2002-5月1日(Wed) 高校生と大学生

 連休の谷間ですが、授業。2限目、「建築空間のデザイン」講議。そのあと質問に来た学生を振り切りながら学食でうどんをぶっ込み、大急ぎで某工業高校へ。大学説明会です。今日はその高校出身の2年生の男子学生に同行を願い、大学の様子等を話してもらいました。先輩が来ると少しは親近感もわくだろうという作戦です。受験生集めに役立ったかどうかは別として、現役の高校3年生と大学2年生とはこうも違うものかと驚きました。大人と子供の差、なんですね。連れて行った学生さん本人も言ってました。担任の先生方にも御挨拶したのち夕方大学へ戻り、海のギャラリーの模型の打ち合わせ。一日香川県を回って昨夜遅く帰って来たゼミ生諸君が、さっそく今日から写真の整理を開始した。さすが体力が違います。こちらはますます疲労がしみ出して来ました。

 

2002-4月30日(Tue) 

 連休の谷間ですが、授業。2年生の実習です。昼間は何ともなかったけど、夜家に帰ったら旅行の疲れがどっと出てきた。

 

2002-4月28〜29日(Sun〜Mon) 海のギャラリーへ

 海のギャラリーへ。2日間で900kmを走りました。疲れたあ〜〜。詳しくはまた。楽しかったですう〜。

海のギャラリー。裏側の階段と2階の展示室。

近くにある海底博物館にも行きました。黒川紀章のむか〜しの設計。

隊長!秘密基地発見。海の底へもぐります。魚から見たらこうなります(ロビーにかけてあった写真)。

2002-4月27日(Sat) 

 夜、今期のPTA役員の方々と先生方との懇親会。お母さん方の、飲む・食べる・喋るパワーに圧倒されました。ほんとに楽しい1年でした。

 

2002-4月26日(Fri) 

 住まいのミュージアムへ。まずは2時半現地集合で、1年生の授業「環境デザインへの入門」の一環で見学授業。27名の1年生を小玉先生と僕と。例年のことだが、1年生にはまだまだ高校生気分のやつがいる。まあもうちょっとしたら落ち着くのでしょうが、やはり中学・高校時代の教育の仕方にもっと工夫の余地があるように思えて仕方がない。
 同じ場所で、4時からは
林雅子・関西展の関係者が集合して打ち合わせ。林昌二さんまで東京からやってきた。

 

2002-4月25日(Thu) 

 2年生の実習。小講評会、次のステップの説明。

 

2002-4月24日(Wed) 

 林雅子展の打ち合わせ。東京から、事務局をやっている山本喜美恵嬢がやってきた。彼女は芸工大の2年前の卒業生である。模型づくりに取り組むゼミ生を前に、いろんな話をしてくれました。卒業生がこんなふうに活躍し、後輩といい関係をつくってくれて、僕はとても嬉しいです。28・29日にはみんなで土佐清水へ行ってきます。
 研究室のホームページに、「ゼミ生へ(参考資料リスト) 」というコーナーを追加しました。ゼミ生の卒論と修論のための参考文献は、これまでゼミで話したり個人的なメールやメモで知らせたりしていましたが、こうやって公開した方がゼミ生全員にとっても有意義だし、僕の方も思いついたらすぐ書けるとか、ホームページを教えやすい等のメリットがあるので試してみます。まだ中身はありませんが、連休中に頑張ります。
いずれは誰でも書き込める掲示板形式に変えて、ウェブ上のゼミといったものへ発展させたいと思っています。

 

2002-4月23日(Tue) 

 午前中、大学。午後はPTA総会。これですべて終わりです。この1年の活動報告のあと今期役員退任の挨拶。そして次期の役員の方たちが承認され、一件落着。あっという間の1年でした。嬉しいような寂しいような。
 上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(太郎次郎社)。平安女子短大、京都精華大、そして東大での教育経験や自分自身の学生時代の思い出話までが素直な筆致で書かれていてとても良い本だと思いました。僕自身と学生諸君との関係を考える上でも参考になります。学生諸君にとっても、自分の位置を見直すための必読書ではないかな。

 

2002-4月22日(Mon) 

 ゼミ2回目。卒論生はまだ具体的なテーマほとんど出ず。今年は設計好き男の子が多いせいか、例年になく抽象的な言葉が並んだのが印象的。結構結構。M2の諸君は修論のテーマについて。こちらはさすがに具体性があるが、まあこれから。期待しています。
 香山リカ『若者の法則』(岩波新書) 、荒田洋治『自分をつたえる』(岩波ジュニア新書)。香山さんの本には神戸芸工大での彼女と学生とのやりとりも反映しているみたいで
いっそう興味深いです。岩波ジュニア文庫は、僕は結構ファンで、ときどき買っています。今回のは実はおはずかしいミスがあって、僕は著者を「荒川洋治」と勘違いしていたのでした。現代詩人の荒川洋治ですね。で、僕は彼の散文が大好き。それで買ったところ、家で落ち着いて見ると一字違いの方でした。著者は国際的に活躍された1934年生まれの薬学の研究者で、長年の経験から、自分を自分らしく他者に伝えることの重要性を説いた本。面白そうです。

 

2002-4月20〜21日(Sat、Sun) 

 湖北の古建築めぐりをしました。近江八幡ではヴォーリスも少し。

 

2002-4月19日(Fri) 

 ミラノのピレリビルに飛行機が突っ込んだ。テロではなく事故あるいは自殺という報道がなされているが、ともかく言葉を失う。井上参院議長が秘書がらみの疑惑で辞表提出。鈴木宗男、辻元清美、加藤紘一ともうやけくそだなあ。宗男はどうなってんだ。

 芸工大のホームページのリニューアルがだいぶ進みました。今日からは各学科の教員紹介が見られるようになりました。研究室の様子もわかる写真つき。ぜひ御覧下さい。それに合わせて、というわけではありませんが、花田研のホームページもデザインを変更。誤植もあれば未完成の部分も多々ありますが、とりあえず差し替えました。まだまだいじっていきます。御意見、御感想お知らせ下さい。これまでのは、この春修士を終えた梶川君の労作でした。梶川君、あらためてありがとう。もちろんデータは保存してありますから。
 院生と、たくさんの建築家のリストを載せたあるホームページを見ながら、就職相談にのる。というか、この事務所はね、このひとはね、と僕の知ってることをいろいろと話し、まあ悪くいえば業界うわさ話、真面目にいえば建築家論。
 『場所の力』(ドロレス・ハイデン)、『界隈が活きるニューヨークのまちづくり』 (窪田亜矢)と、良い本が出版されている。同潤会の保存を考える参考書にもなりますね。ただ、学芸出版さん、装幀はもう少しなんとかなりませんか。その他、『文章読本さん江』(斎藤美奈子、筑摩書房)と『現代思想』4月号(特集・教育の現在)。『東京の名家』(石村博子、」角川 oneテーマ21
)も面白い。

 

2002-4月18日(Thu) 

 PTA最後の運営委員会。あとは来週の総会で新役員が承認されればすべて終了。ほっとするやら寂しいやら。
 午後は2年生のデザイン実習。1週間単位のステップ方式プログラムになっていまして、今日は敷地模型と敷地の観察結果をまとめた図面の講評会。どんどん加速してね。

 

2002-4月17日(Wed) 

 学部の講議・「建築空間のデザイン」スタート。この内容を活字にしてしまおうとず〜〜っと思っていて今だ果たせず。今年こそやるぞ。午後は学科会議、教授会と続き、さらに芸術工学フォーラムと称した学内教員の交流レクチャー。今回は視覚情報デザイン学科の志茂先生による御自分のCG作品紹介。わが家にはテレビゲームすらなく、そういう映像をふだん見なれてないものだから、ひどく新鮮。さらに、学科ではシーラカンスの赤松佳子さんをお呼びしてのトークセッションをやっていて、終了後のワインパーティーに顔を出す。

 

2002-4月16日(Tue) 

 新学期の授業やら会議やらの資料づくりでばたばた。午後は2年生の実習の日。初めての敷地模型づくりに精出しています。
 夕刻、「
海のギャラリー」模型づくりのための第一回打ち合わせ。ああ、また始まってしまう。みんな僕を見捨てないでね(苦笑)。

 ゼミの卒業生・I 嬢が教えてくれたホームページ。知らない世界!ちなみに、ここに登場する小林エリカさんとは、かの有名なシャーロキアン・小林司さんのお嬢さんなんだそうだ。
 「イムジン河」のCDを昨日やっと入手し、今日、小5息子に聞かせ背景も説明。いい歌だと感激していた。若いくせに古臭いやつ。三宮のVirginで品切れのため取り寄せたが、若い女性店員が「テレビでも紹介されたりしたんで結構売れているんです」と言っていた。

 

2002-4月15日(Mon)

 「海のギャラリー」の模型の件で事務局や林昌二さんと電話で意見交換。さてどんな模型にするべきか。だんだん大変なことになってきた。日土小学校のとき緊張感再び。癖になりそう(笑)。

 

2002-4月14日(Sun) 御影公会堂

 親子劇場という地域サークルが主宰する子供たちのためのお祭りが御影公会堂であり、参加。阪神大震災にもびくともしなかったこの建物。地下のレストランも含めて結構使われている。昨年は関西のDOCOMOMO20選にも選ばれた。なのに、まったく手が加えられる気配無し。きちんと補修すればとてもいい公共空間になるのになあ。こんなことに税金使わなくてどーすんだ。「御影公会堂」ってGoogleにいれると、地震関連のページがたくさん出てくるので驚いた。そう、活躍したんだよなあ。

 

2002-4月12日(Fri) 林雅子展のこと

 一昨日書いた「あるプロジェクト」とは、この9月に開かれる予定の、故・林雅子さんの展覧会のための模型づくりである。昨日から展覧会の事務局と打ち合わせをして、正式に動き出しそうなので紹介します。
 展覧会は、東京展が9月3日から15日まで。会場は代官山のヒルサイドフォーラム。SDレビューとかやってるとこですね。プレイベントとして8月31日に、林さんが設計した中央工学校のSTEPでシンポジウム(小谷部育子さんや妹島和世さんら日本女子大関係者)。会期中には、林昌二さんと植田実さんらのトークセッションが予定されています。
 それを巡回させて大阪展も開かれます。それが9月20日から10月6日まで。会場は大阪市立住まいのミュージアム。9月21日にはそこでシンポジウムもおこないます。この大阪展の企画に僕も関わっており、それだけじゃすまなくなって、模型づくりまでが転がり込んできたという次第です。建物は、高知県の土佐清水市にある「
海のギャラリー」。ここここを見て下さい。あまり状態は良くなくて、最近の『日経アーキテクチャー』(2002年3月18日号)の「有名建築その後」でも紹介されたばかりですね。どんな模型にすべきなのか、今日は林昌二さんからも電話で御意見をいただきました。えーい、大変なことになってきた。日土小学校の模型づくりの悪夢がよみがえります(笑)。みんなー、よろしくねー!
 なお、この展覧会の事務局は、少し前の芸工大の卒業生・山本喜美恵さん。相変わらずすごい馬力だ。
 林雅子さんで検索してたらこんなページがありました。伝統の重みを感じますなあ。

 

2002-4月11日(Thu) 授業開始

 授業開始。大学院の「デザイン思潮」のオリエンテーションと学部2年生の環境デザイン実習の1回目。前者は木村博昭さんと半々の授業で、僕の回は英語の論文をがりがり読んでましたが、僕の方がちょっと飽きたのと、少し前の建築家の名前をもっと学生に知ってほしいというおせっかいな思いもあって、今年は日本のモダンアーキテクチャーについてやることにしました。といっても、4、5回の授業なのでやれることはしれてますが。
 後者は学部生最初の本格的な設計課題。毎年のことですが、さてどんな学年かこちらは興味津々です。課題内容を大学で説明したあと、敷地へ移動。兵庫県庁、県警本部、県の公館にはさまれた場所です。雨が降り出し早々に切り上げざるを得なかったのは残念ですが、濡れながら熱心に高低差等を測る学生も多く、とりあえず、初々しい真面目さは十分に合格!

2002-4月10日(Wed)

 この春、芸工大を卒業して京都大学の大学院に進学した元ゼミ生・山本ゆかりさんが来訪。四方山話。今後の活躍を大いに期待しています。
 午後、4年生のオリエンテーション。夕方から1回目のゼミ。今年度は、4年生9名、M1・1名、M2・4名という構成です。今年の4年生は元気な男の子が集まっていて、今日提案したあるプロジェクトをさっそく引き受けてくれました。今年度花田研前半の大仕事が始まります。詳しくはまた。院生・村山君とホームページの打ち合わせ。鋭意製作中。もうしばらくお待ち下さい。

 

2002-4月9日(Tue)

 午前中、小学校の入学式。PTA会長挨拶である。1年生を前にして一体どうなることかと思いましたが、うろうろ席を立ち子もなくなんとかなりました。
 これで大きなお仕事は終わりました。あとは月末の総会で次の役員チームが承認されれば晴れてお役御免という次第。寂しいような嬉しいような、変な気分です。
 ところで、3月の卒業式でも今日の入学式でも一同起立で「国歌」として君が代の斉唱がおこなわれた。壇上には大きな日の丸の旗が吊られていた。校長はその旗に一礼してから話し始めた。幼稚園でも君が代は教えており、みんな元気よく歌っていた。この異様な風景にどう対処すればよいのだろうか。

 午後は大学で2年生のオリエンテーション。司会役。いよいよ本格的な実習が始まるので、頑張れよとアジっていたら、こっちが疲れてしまった。

 

2002-4月8日(Mon)

 午前中は大学院のオリエンテーション。修士から博士までの多くの在校生と新入生が出席した。院生は全部で67名いるそうだ。美術系私学としては異例の大学院充実ぶりではないだろうか。 午後は1年生のオリエンテーション。結構全国から学生が集まってくれた。いいことだ。 夕方6時からは大学院棟で新しい院生の歓迎パーティー。とても賑やか。新学期特有の華やかさ。

 

2002-4月7日(Sun)

 松村正恒研究のお陰で再会した懐かしいひとたちが神戸にやってきて、下の子を連れて会いに行った。ほんとに不思議な縁。
 夜はひさしぶりに家族で外食。岡本の「ラ・ポスト」。お薦めです。安くて美味しい。カジュアルな雰囲気でチビ連れでもなんとかなります。ああこれでほんとに春休みが終わってしまった。子供と同じ溜息がでた。

 

2002-4月6日(Sat)

 芸工大の入学式。環境デザイン学科には100名という、やや多めの新入生を迎えました。春です。入試委員としては、予想以上の歩留まりの良さに、嬉しいやら慌てるやら。午後は全体ガイダンスのあと、夕方まで学科会議。その後、神戸西神オリエンタルホテルで新旧教職員の歓送迎会。ふー。

 

2002-4月5日(Fri)

 半日かけて、他の役員さんとPTAの今年度の会計監査。
 ああ春休みが終わってしまった。とくに今年はあっというまに過ぎてしまった。家族の風邪がいたかったなあ。

 

2002-4月4日(Thu) 喫茶 サン


 大阪の住まいのミュージアム再訪。すぐ横は有名な長い長い天六商店街。 その路地で見つけた「喫茶 サン」。熱帯魚の水槽。ビニールレザーの小さな椅子。コーヒー300円、ミックスジュース350円、卵トースト200円、消費税無し。嗚呼、なんという居心地の良さ。

2002-4月3日(Wed) きちんとした設計

 一昨日書いた団地をもういちど見学。今日は、芸工大の山之内さん、福本さん、土肥研の院生なども同行。加えて、この日記で見学会情報をキャッチし、急遽連絡してきた建築マニア・H大学S先生も登場です。ほんとに建築がお好きである(笑)。
  昭和30年代にできた団地特有のゆったりした外部空間。春爛漫、桜吹雪が舞っている。住戸内部を観察すると、細やかに設計された部分が随所にあり、限られた面積や予算のなかで設計者がいかに懸命な心配りを試みたかが痛いほどに伝わってきた。感動しました。
  壁構造で設計された内部には、柱や梁のでっぱりが皆無。どの空間も正確に直方体である。それがこの狭い住戸にどれほどの心地よさを与えていることか。右上の写真中央にある壁はコンクリート。これが東西方向にふんばっている。構造的に重要な要素がまん中にあり、そのまわりで各空間が連続する。かっこいい。南向きの台所もきもちいい。
  驚いたのは窓回りの換気用窓のディテールです。下の写真。わかりますか。横に三割りされた一番上がさらに縦に二分割されていて、そこに枠なしで片引きガラスがはいっている。そのガラス板が、中央の方立ての中を通り抜けます!まるで魔法を見ているよう。ガラスの端部中央には丸い穴があけられていて、閉めたとき、そこに方立てのねじ込み式の鍵がかかる仕掛け。薄い鉄板をC型に曲げたレールには、2個所、排水用の欠き込みまでついていました。
  その他、1間半の間口の押し入れを2枚の襖で開閉したり、玄関と風呂場の境を摺りガラスにして風呂場経由で外光を少しでも取り入れようと工夫したり。ともかくきちんと考えてつくられている。一昨日は、建て替えが済んだ新しい住戸にもはいったが、明らかに天井伏図と展開図とがまったく検討されていない空間である。梁や柱のでこぼこと天井や壁との関係になんの考慮の跡も無い。平面図と基準矩計だけでつくった空間ということですね。30年前の建物との大きな落差は、設計者の心の荒廃とすら言うべきではないだろうか。

 まさに春爛漫。満開の桜である。海を見晴らす南向きの絶好の位置に台所がある。

 遠くの海を見渡せる居間。窓枠回りのディテールにびっくり。

2002-4月2日(Tue) 春


 わが家「渦森台ハウス」の春。芝生とコンクリートの境に花を少し植えましたが、相変わらずこんな感じ。でも今日みたいにいい天気の日には、なんというか、陽射しのプールみたいになります。
 芸工大のホームページもリニューアルオープンした様子。大きな構成は同じですが、以前よりずっと見やすくなったと思います。こちらもなんだか情報のプールになりそうなイメージ。新しい学長・土肥先生も「学長の部屋」なるページを始める模様。学長日記どうするんですかと聞いたら、いやあ僕は何もしませんよとおっしゃっていたが、なんのなんの(笑)。期待しています。なお、menuページにリンクをはっていた方は、アドレスが変更になっているので訂正して下さい。じゃないとサーバーエラーがでてしまいます。まだ工事中の部分も多く、とくに教員へのリンクは切れたまま。御注意下さい。

 

2002-4月1日(Mon) 

 新年度のスタートです。この日記も新しい頁へ。かなりデータが重くなっていたので、上段のメニューのように半年ごとにまとめ直しました。3月末の顛末は上記の過去Logbookを御覧下さい。
 今日は、わが家から少し下ったところにある公団の団地を見学に行った。昭和30年代に建設された団地ですが、ここ2、3年前から建て替えを進めてきていて、約半分のエリアで新しい住棟が完成。ちょうど今引っ越しをやっているわけです。で、スタア型もあったりしたので、外観は以前から撮影してたのですが、住戸内部へは入る機会がなく、ところがPTA活動をやったお陰で、この団地に住むお母さんと知り合い、その方のお陰で今日、空家になった部屋を見せてもらったという次第です。
 いやあ面白かったですね。50平米ほどの小さな住戸ですが、いろいろな驚きがあって1時間以上楽しんでしまいました。うーん、本当に細かく考えて設計してありました。あさってもう一度芸工大の他のスタッフと行くので、また詳しく書きます。

 この3月で神戸芸工大を退任した鈴木成文先生が、さっそく独自のホームページをたちあげている。さすがというかなんというか(笑)。僕の研究室もデザインを変えるべく院生・村山君とやっているが、今日からぴたっと新装開店、とならないのがおはずかしい限りです。