Logbook:Yoshiaki Hanada
2001年10月〜2002年3月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。御意見、御感想等ありましたらこちらまで。

2002-3月31日(Sun) 

 この冬はインフルエンザにも大風邪にも襲われずに済んだなあ、と思っていたら、最後の最後にしつこい風邪にやられて家庭崩壊。21日に上の子が熱を出して5日間寝込み、26日から元気になったと思ったら妻に感染。彼女が26日からやはり5日間寝込み、やっと起きてきたが、子供ほどの回復力が無くまだぐずぐずしている。私は家事に追われた毎日でした。ということで、まとめ書き。
●3月23日(土)
 下の子と、芸工大の学生がやっている「まちのリズム場所のリズム」というイベントへ。その結果はこの掲示板を見て下さい。僕はほんとに感心しました。こういうこと、僕は学生の頃考えもしなかった。僕の研究室の院生も参加しているので準備段階から見てましたが、彼らの行動力と粘り強さには、心底、脱帽です。こういう活動を素直にやれるって、羨ましいとも感じました。
●3月26日(火)
 芸工大の卒業式。家庭崩壊につき、11
時30分からの学科のセレモニーから参加。一旦帰宅して、謝恩会へ。終了後、すぐ帰宅。家事。子供を寝かせて夜中3時頃まで建築学会の大会論文づくり、ごそごそ。 
●3月27日(水)
 家事。子供を寝かせて夜中3時頃まで建築学会の大会論文づくり、ごそごそ。
● 3月28日(木)
 午前中、鈴木学長の干支アート展の撤去作業。一旦帰宅。午後、大阪へ。林雅子展の打ち合わせ。そう、先年亡くなられた建築家・
林雅子さんの展覧会が、この9月に、東京と大阪で開かれるのです。詳細はまたお知らせします。子供を寝かせて夜中3時頃まで建築学会の大会論文づくり、ごそごそ。
●3月29日(金)
 家事。子供を寝かせて夜中3時頃まで建築学会の大会論文づくり、ごそごそ。
● 3月30日(土)
 家事。子供を寝かせて夜中3時頃まで建築学会の大会論文づくり、ごそごそ。
  BBSにもお知らせがあった上西明さん設計の奈良県医師会センターの見学会行けず。残念。
●3月31日(日)
 大学へ。建築学会の大会論文2編、助手の長瀬さんにPDF化をしてもらって無事投稿。ふー。もっていったシュークリームを、助手・長瀬さんと福本さん、彼らと共著の大会論文をつくりに来ていた卒業生・岡君と井爪君らと食べる。家事疲れが少し癒される(笑)。

 

2002-3月22日(Fri) 小学校の卒業式

 神戸の公立小学校の卒業式の日である。私もお仕事。PTA会長挨拶というやつである。この1週間ほど悩み、あれこれと原稿を書き直してきた。読めばよいという完全な原稿をつくって出陣した。人前で話すときにここまでやったことはない。自分が小学校を卒業して以来、「小学校の卒業式」に出席するのも初めてだ。さて結果や如何に?!
式終了後、知っている3人のお母さんと、知らない1人のおじさんからほめられました。嬉しかったです。そのうちの1人のお母さんは、わが子がまさに6年生ということもあってか、「それまでは大丈夫だったけど、ハナダさんの話のところで泣いてしまった」、と。ふっふっふ。
みなさんPTAやりましょう!と、ここで叫んでいる手前、私の挨拶を貼っておきます。いざというときの御参考になれば幸い。小さい人に向けたこういう語りって、癖になりそう(笑)。
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6年生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。 こうやって見渡すと、どの顔もちょっと緊張気味で、でもどことなく晴れがましそうで、みんなとても良い表情をしています。
また、保護者や御親戚の皆様、教職員の皆様、その他、地域で子供たちを見守ってこられた方々も、頼もしくなった子供たちを前に、深い感慨に浸っておられることと思います。心からお祝いを申し上げますとともに、これまでのPTA活動へのご協力に対し、厚くお礼を申し上げたいと思います。

卒業生の皆さん、僕はこの1年、PTAの代表をしてきた花田といいます。
皆さんは、PTAといってもあまりピンとこないかもしれません。保護者と先生とがひとつになって、皆さんが楽しく安全な学校生活をおくることができるよう、考えている組織です。文化祭や音楽会をしたり、通学路の安全を守ったり、いろいろなことをやってきました。この6年間、皆さんは、自分の親や担任の先生以外に、渦が森小学校に通うぜんぶの子供たちの保護者の方々、そしてぜんぶの先生方から、暖かく支えられてきたわけです。そのことを、知っておいてほしいと思います。
とくに、多くのお母さんたちは、本当に献身的な努力をしてくださいました。今日帰ったら、おうちのひとにお礼を言って下さい。

さて、卒業生の皆さん。 みなさんにひとつのことをお願いして、僕からのはなむけの言葉とします。 それは、これからはできるだけ、外を、遠くを、つまり皆さんの外部にある社会や世界を見つめていってほしいということです。

この6年間に、みなさんは大変身をとげました。なによりからだが大きくなった。1年生のときからしたら、体重や身長が倍近くになりました。
4月からの3年間、つまり中学校の3年間にも、もちろん体はさらに大きく成長します。しかし、それ以上に大きく変化するに違いないのが、みなさんの、こころ、です。またそうあってほしいと思います。
家族やともだちや先生やらとの関係に悩み、自分の将来に夢を描き、世の中の矛盾に腹をたて、さまざまなこころのゆらぎ、を経験していくと思います。それは、みなさんが、しだいに社会の一員として成熟していることの証拠です。
そのとき、できるだけ遠くの世界まで見通してやろうと頑張ってほしい。できるだけ背伸びをして、知らない世界に踏み込んでほしいと思うのです。

世界からどうして戦争がなくならないのか、地球の環境破壊をどうして人間は止められないのか、国とは何か、宇宙とは何か、どうして僕らはここにいるのか。そういった大きな問題を、これまで人間がたくわえてきた厖大な知識を道具として、自分の頭で考えていってほしいと思います。それがほんとうの勉強、ということだと思います。

そのとき、おそらく、皆さんの中の多くの人は、世の中の矛盾や大人の嫌らしさに呆れ、世の中や大人と衝突を起こすことになるでしょう。しかし、そのことこそが皆さんにとっての、そしてこれからの地球にとっての一番大切なエネルギーです。おもいきりぶつかり、その衝撃をばねにして、家や学校といった世界から、さらにまちや社会へと飛び出していってほしいと思います。

ただし、そのときに、自分がたどってきたこれまでのことも忘れないでほしい。
皆さんが中学校に通う朝、あるいは友だちとまちをさまよう午後、ランドセルを背負って歩く小学生や、横断歩道に旗をもって立つPTAのお母さんを見つけたら、ああ俺もそうだった、わたしもそうだったと、思いきり優しい気持ちになってほしいと思います。ああ自分もこのまちの中で、こうやって守られてきたんだ、と。

つまり、みなさんがこれから迎える12歳、13歳 14歳という年齢は、皆さんが徐々に社会の担い手に近づき、「強き者」を批判すると同時に、「弱き者」を守る立場へと少しずつ変わっていくべき時期なんですね。そのことを、誇らしく感じてほしいと思います。

どうか、賢く、心優しい中学生になって下さい。 皆さんがどんな困難な道に迷い込もうが、渦が森小学校の在校生も、先生方も、そして誰より皆さんのお父さんやお母さんは、皆さんのことを信じています。

最後に、皆さんの卒業をもういちど心から祝福して、僕の話を終わります。
静かに聴いてくれてありがとう。

 

2002-3月19日(Tue) 

 近畿郵政局へ。昨年来の木造逓信建築研究のヒアリング。若干の成果。その足で山隈事務所へ。春の陽が暖かく、天満橋から肥後橋まで歩いた。

 

2002-3月18日(Mon) 

 大学で、鈴木学長の「干支アート」展の設営。鈴木先生の元に届いた過去13年分の年賀状の中から、優れたデザインのものを厳選し年次ごとの壁掛けにして展示するもの。同時に、鈴木先生自身の年賀状の版木なども展示しています。19日から27日まで。芸工大のKDUギャラリーにて。鈴木先生は今年度で芸工大を退任されます。ぜひみなさん、おいでください。
 昨日書き忘れましたが、昨日の朝日新聞に「イムジン河」CD化の記事があった。この日記でも1月1日にふれた、あの「イムジン河」ですね。ここで少し聴くことができます。

 

2002-3月17日(Sun) 

 春になった。冬のあいだ白っぽくなっていた庭の芝生に緑色が蘇り始めた。家族は出かけ、ひとりだけの休日。デジカメで撮った細長敷地住宅の写真をプリントアウトしたり本読んだりして、だらだら。
 呉智英『ロゴスの名はロゴス』(双葉文庫)。言葉遣いについての目からウロコの話がいっぱい。お薦め。
 辻征夫『ロビンソン、この詩はなに?』(書肆山田) 。ずいぶん前に買ったまま読まずにいたが(そんな本ばかりだ)、最近何気なくひっぱりだしたら引き込まれた。詩と詩人についての静かでちょっと哀愁のある散文集。ひとりじめしておきたいから、誰にも薦めない。

 今日届いた『日経アーキテクチャー』にパチンココンペの1等賞・長谷川逸子案が載っていた。空中歩廊がパチンコ台の上を飛んでいる。パチンコのほか、プール、アスレチックジム、カラオケ、カフェ、ブックショップなどが配置されているそうだ。負けた感じがしないなあ。じゃあ勝った感じがするかというと、そういう思いも湧いてこない。結局、パチンコ産業ってものをもうひとつ受け入れられないんだと思います。万人を愛するのは無理ってことか。

 

2002-3月14日(Thu) やっとできた

 午前中、大阪の細長敷地の住宅の現場へ。やっとできました。いよいよ今日は引っ越しの日。それまでに最後の撮影。結構いいやん、と山隈君とふたり悦にいる。

 そのあと午後は大急ぎで大学へ。入試委員会。
 夕方は学生、院生と雑談。M2波多野嬢は、早くも明日東京へ。『住宅建築』編集部に採用されました。皆様、どうぞごひいきに。まだ就職が確定していない学生諸君もいろいろ精力的に活動中。M1の諸君は21〜24日におこなう「まちのリズム場所のリズム」の準備にてんてこまい。みんな、えらいぞ。

 

2002-3月13日(Wed) 

 大学で科研費のレポートについての打ち合わせ。
 午後、 大阪の細長敷地の住宅の現場へ。できました。明日が引っ越しなので、写真を撮る。

 

2002-3月12日(Tue) 

 一般入試B日程。これで今年度の入試も終わり。入試委員の僕は、ふー。

 

2002-3月11日(Mon) 

 一般入試B日程の事前提出論文を採点。僕は入試委員で、採点はしないが、一日の段取り。ふー。

 

2002-3月10日(Sun) 

 大阪の細長敷地の住宅の現場へ。施主検査。やっとできたなあ。テラスまわりの外壁の色、最後の決断。帰り山隈氏を自宅まで送り、彼自らが改修した例の長屋とそこでの暮らしを見せてもらった。いやあ彼らしい。素晴らしい。

 

2002-3月9日(Sat) 

 眼科へ。目が真赤っか。朝、目やにで瞼がくっついてしまう。
 昼過ぎ、大阪の細長敷地の住宅の現場へ。遅れに遅れたが、ほぼ竣工。建築オタク・H大学S先生も同行。
 夕方、大学へ。鈴木学長が今年度で退任ということで、神戸芸工大の鈴木ゼミOBが先生を囲んで大学でパーティー。そこへ参加。

 

2002-3月8日(Fri) AD&A倶楽部

 PTAのお仕事。神戸市立の幼稚園から高校までのPTAの連合組織があって、各校の会長あるいは副会長はその専門委員会のどれかに属することになっている。僕の小学校は今年は「母親委員会」なるものの順番で、僕はこの委員会に参加してきた。なんだと思います?「母親委員会」って。そのことを言い続けた一年。今日はその最終回で、来年は名称、内容とも改正されるところまでたどりつきました。わーわー言ってよかった。その後、 大学へ。
 夜は大阪へ。今から16年前、大阪の組織事務所や大手ゼネコン設計部や役所などに勤務するメンバーを中心にちょっとした集まりが生まれました。初めは建築協会のお声掛かりだったのですが、その後独自の会になり、名前もAD&A倶楽部としました。会場はずっと
AD&Aギャラリー。そこを主宰する竹村さんと駒田さんに甘えっぱなしで、スライド会や見学会などを続けました。その間、ギャラーも2回引っ越し。本町の汚いビルの地下から南港の煉瓦倉庫へ、そして現在の場所へ。引っ越しの度に展覧会もし、2月18日にも書いた「建築100人×100冊 展 vol.2」 その3回目の企画でした。で、今日はこの会のとりあえずの幕引きパーティー。AD&Aギャラーのお二人が少しお仕事のペースを変えるために、倶楽部や展覧会企画も一旦ストップという次第です。16年。大阪へ来て4、5年目の頃だ。ついこないだなんだけどなあ。東京ではちょっと考えられない会だった。

 

2002-3月7日(Thu) 

 大学で来年の入試ガイドの原稿書き。M1・村山君とは研究室のホームページのRe・デザイン!に向けて打ち合わせ、2回目。開かれたゼミをウェブ上に! 彼のホームページにいっしょにやったパチンココンペの案がアップされました。ここの「PACHINCO HALL」ってやつ。まあ見てやって下さいな。

 

2002-3月6日(Wed) 

 風邪、なんとか乗り切り大学へ。M2・波多野嬢と修論の最終調整。事務局と入試関係の打ち合わせ。鈴木学長の「干支アート展」の会場構成打ち合わせ。M1・村山君とは研究室のホームページのRe・デザイン!に向けて打ち合わせ。ふー。

 

2002-3月5日(Tue) ダウン

 子供が少し回復してきたと思ったら、今度は自分がおかしくなった。この冬は風邪ひかずにやってきたのに。午前中、PTAの運営委員会にはなんとか出席して、あとはダウン。布団のなかで『無境界の人』(集英社文庫)を読み終え『丸山眞男対話篇1 一哲学徒の苦難の道』(岩波現代文庫)を半分まで。

 

2002-3月4日(Mon) 

 日建設計時代の上司だったUさんと久しぶりにお目にかかった。芸工大のK先生への講演依頼にいらっしゃって僕も同席。Uさんの直属ではなかったので設計をいっしょにやることはなかったのですが、日建大阪には珍しい正統モダニズムのデザインに、実は僕はかなり憧れていた。そんなひととこんなとこで会うなんて。
 夕方には、今年度で退職する助手の穐山さんの最終レクチャーにでる予定が、子供の急病で家から呼び戻された。

 

2002-3月3日(Sun) 卒展最終日

 卒展最終日。たいへん盛況で安心しました。今年は中央の大きな吹き抜けスペースが使えなかったのでどうなるかと心配でしたが、むしろ各展示室の密度が上がり、展覧会らしい雰囲気がでていました。自分の作品の前にいてお客さんに説明している学生もいて、感心。みんなできるだけそうしようね。卒業生にも何人か会えて嬉しかった。出ていく人と戻ってくる人。こういう場があるのはとてもいいことだなあ。

 

2002-3月2日(Sat) なぜ人生に芸術は必要なの?

 卒展2日目ですが、今日は家で雑用。そのひとつで『私大蛍雪』という受験雑誌用の短い原稿。「なぜ人生に芸術は必要なの?」というお題です。この雑誌の昨年12月号の研究室紹介頁にわが研究室も載ったのですが、こんどその連載記事をまとめて1冊の本にするんだそうです。さらにこのお題でコメントを寄せてくれというご依頼です。自分が高校生の頃、大学の研究室に関する情報なんて全くなかったし、そんなことを調べようとか、調べるべきだとか考えたこともなかったなあ。あの電話帳みたいな『全国大学受験年鑑』をときどき眺めたくらいです。それどころか、教養課程から専門の学科を選ぶときでもこんな親切な情報はなかった。
 それにしても、あなたならどう書く?高校生向けに、ですよ。僕はこんなふうに答えました。
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なぜ人生に芸術は必要なの?


 そもそも「芸術」って何でしょう。定義をしろと言われると、ちょっと困ってしまいます。常識的には、文学、音楽、絵画、彫刻、建築、デザイン、演劇、映画などの分野のことを「芸術」と呼ぶ。でも、「数学は芸術だ」とか「芸術のような大回転」なんて言葉も耳にしますね。僕の専門は建築設計や建築史研究ですが、どんな建築物や設計行為なら「芸術」なのか、そう簡単には言い切ることはできません。
 しかし、ともかく「今・ここ」ではない「別の世界」を垣間見せてくれるものに対し、僕らは「芸術」という言葉を与えているのではないでしょうか。見たこともない色彩の深さ、聴いたこともない澄んだ響き、考えたこともない言葉の連なり、体験したこともない空間の気配、そして味わったことのない感情の高ぶり。そんなものをつくりだしてくれる何かに対して。
 だとすれば、「今・ここ」に安穏として留まるのではなく、世界のすべてを批評的眼差しで見る知性の象徴として「芸術」を位置づけることができるでしょうし、人生において僕らが「芸術」的であらねばならないとは至極当然なこと、ですよね。

 

2002-3月1日(Fri) 卒展と御茶ノ水チャラオ

 芸工大の卒業制作展が、神戸の六甲アイランドにある神戸ファッション美術館 で始まりました。みなさんぜひ見に行ってやって下さい。あさってまで。本格的なファッションショーもあります。

 芸工大の僕らの学科の卒業生や在校生がやっているbbsで、僕の研究室の卒業生T橋S太郎君が今週の『Hot・Dog・Press』(3/11号)にでているとの情報をキャッチ。4軒目のコンビニでやっと手にはいりました。ほほお(笑)、「御茶ノ水チャラオ」と名を変えて、「詩人大工」という仕事に就いている。元気そう元気そう。安心しました。部屋のまん中に置いた「生活ユニット」なる仕掛けが注目されてるが、T橋くん、これたしか卒計(「ハトフンドットコム」)の残骸じゃないの? P.31です


 同潤会青山アパートについて、その後も信頼できる建築史の専門家の友人に教えを乞うていますが、聞けば聞くほど袋小路。ガーンと一発仕切り直しのできる大物は、この日本にはいないのかよー。

 

2002-2月28日(Thu) 

 午前中、PTAの次年度役員候補の方たちとの顔合わせ会。1年終わったなあ。寂しいような安心したような複雑な気持ち。ただし、新役員は4月の総会で正式に承認されるので、今度の卒業式と入学式での「PTA会長挨拶」というとんでもないお仕事が残っています。小学校6年生と、ぴっかぴかの1年生の前で、あなた話ができますか。
 一般入試B日程の準備、修論の最終だめ押しチェック、大阪の細長敷地の建物の最後のドタバタ関連打ち合わせ、等々。
 森巣博『無境界の人』が集英社文庫にはいりました。以前同じ著者の『無境界家族(ファミリー)』(集英社) のことを書いたような記憶がありますが、とにかくお薦め。

 

2002-2月27日(Wed) 逓信建築

 昨年来やっている逓信木造郵便局舎研究の一環で名古屋の東海郵政局へ。収穫、特大でした。


 東海郵政局の建物です。昭和16年の逓信建築。なんてカッコイイんだろう。鉄骨の耐震ブレスがはいってもさまになっているのがさすがです。

 

2002-2月24日(Sun) もうすぐ春。

 休日。なんやかやと子供がらみの用事でつぶれた。塾のテストと忍者学校。なんじゃそれ。昼間は暖かく、春になってきたなあと思っていたら、夕方からぐっと冷え込んできた。まさに三寒四温。近くの公園の梅はしばらく前から咲いている。小4息子の友だちが、インドネシアへ単身赴任しているお父さんのとこへ春から引っ越すとの挨拶に来た。近所に住むたいへんな仲良し。突然だったせいか、うちの子が泣いてしまった。春ですなあ。
 同潤会青山アパートに関してある方からメール。うーむ、どうすりゃいいの。
 気がつくと、この3月で神戸芸工大に来て丸5年である。その前の女子短大にも5年いたので、合わせると日建設計を辞めてちょうど10年が過ぎたことになる。ちなみに、日建設計にもちょうど10年勤務した。つまり、修士を出てから20年がたってしまったということだ。むむむ。

 

2002-2月23日(Sat) 

 大阪のAD&Aギャラリーへ。2月18日にも書いた「建築100人×100冊 展 vol.2」のトークセッションで司会役。建築家の東孝光さん、以前は例の柳々堂書店の番頭役をされていた井上正信さん、学芸出版社の村田譲さん、大阪ガスエネルギー文化研究所の弘本由香里さんの4人がお相手。いろいろな本を実際につくってきた東さん、いろんな本を売ってきた井上さん、いろいろな本を編集してきた村田さん、文化と人をつないできた弘本さん、それぞれ違う立場から、今回出品されたさまざまな「本」を論じてくださり、短時間でしたが、けっこう面白いトークになったのでは。

 夜はわが家にお客さん。僕が松村正恒という建築家のことを調べているのはときどき書いている通りですが、それを巡って、不思議な感慨に浸らざるを得なくなる、そんなお客さん。

 

2002-2月22日(Fri) 

 大学で年度末の事務処理、いくつか。
 その後、 大阪の細長敷地住宅の現場へ。やっと足場が外れました。最後の追い込みです。

 研究室のBBSに、同潤会青山アパートの取り壊しについての書き込みが続いています。いったいどうすりゃいいんでしょう。とにかく、この建物の公共的な存在価値を認めることと、その去就についての議論を開かれたものとすることとはリンクする。
たとえば、渋谷区が、それへの「意見」を求めているという開発案を、僕らはネット上で見ることは、たぶん、できない。ここのタナカモトコさんの書き込み読んでると、そんなことはとても無理そうだ。つまり、この建物の公共的な存在価値が認められていない。国家公務員でもある設計者から何のメッセージも聞こえてこないのもいいんだろうか。こんなこともあるぞ(笑)。

 パチンココンペはダメでした。が、審査の途中経過を見ると我々の登録ナンバーがあり、ちょっと嬉しかった。我ながら素直。いや、単純。いっしょにやった院生・村山君のホームページのBBSにも報告。次は頑張ろう。

 

2002-2月21日(Thu) 

 大阪の細長敷地住宅の現場へ。遅れ気味で心配。その足で山隈さんの事務所で打ち合わせ。バルコニーの手摺壁のデザインをどうするか。4mも持ち出したテラスで高さ150cmもあるんだから、それは透明や半透明あるいはルーバー状の「光を通す手摺」として考えるのではなく、「上からの光を反射する白い壁」として考えるべきだ、と理屈をたてる。要は、木はメンテナンスが必要になるからイヤ、そのへんの建て売りの窓についているポリカの既成目隠しルーバーでいいとおっしゃる奥様への対抗案である。

 ふだん車を運転して移動することが多いので、電車に乗っていろいろ観察してるとけっこう新鮮である。苅谷剛彦の『教育改革の幻想』(ちくま新書)を読みながら騒々しい方に目をやると、女子高校生たちが電車の中で化粧をしている。昨日は、上の子供の通う小学校のクラスで、「総合学習」の発表会や先生との懇談会。出席した妻の話では、来年度から実施される完全週休二日制と授業内容の3割削減に対する学校側の対応策の説明があったとのこと。大丈夫なの?日本の教育は。

 

2002-2月20日(Wed) 

 学科会議、教授会。

 夜は、研究室の院生、4年生、次年度のゼミ生に決まった3年生、20名ほどで宴会。会場は三宮のベトナム料理屋「鴻華園」。安くて美味しいお店です。どの学年もいいやつばかり。みんなあー、期待してるからねー。2次会は、M2の梶川君が家具をデザインした「Butterbur」というお店へ。ここここ、見て下さい。

 

2002-2月19日(Tue) 

 修論の審査会、3つ。修論は主査1名、副査2名を決め、各自が論文(あるいは作品)を審査しますが、その一環で行われる面談というか口頭試問というか。各教員から質問やら修正すべき点の指摘などがおこなわれ、それを反映して3月初めに最終提出という仕組みです。僕が院生のときよりずっと丁寧なシステムです。僕の研究室は2名。カジカワ君、ハタノさん、あとひとふんばり。やり残したことのないように頑張ろう。
 午後は、2年生の即日設計。これが最後の課題です。キャンパスのどこかに日曜雑貨や本を売る一種のコンビニのようなものをつくる課題。敷地をどこにし、そこの条件にどう応えるか。さまざまな案が出て、結構面白かった。

 えっ、青山同潤会アパート問題。もう取り壊しで決まりなの?
 建築学会の保存要望書はこれ関西のDOCOMOMO展の委員長もつとめ、東大教授でもある建築家が何も発言しないまま取り壊しに加担したり、しないだろうなあ。

 

2002-2月18日(Mon) 

 午前中、試験監督2つ。自分の講議は後期はないし、あっても「試験」はしないので、なんとなく今が試験期間であることを忘れていた。他の先生の試験問題を見るのは結構面白い。

 夜は大阪のAD&Aギャラリーへ。「建築100人×100冊 展 vol.2」のオープニングパーティーである。出展者に名前がありながら未提出。23日(土)のトークセッションでせめてもの恩返し。昨年以上に力作ぞろい。ぜひ見に来て下さい。

 

2002-2月17日(Sun) 卒計について、頭の整理

 学生の作品を講評するという作業は、教員側の瞬間的な判断力を試される作業です。もちろん「瞬間」といっても、少なくとも卒計については展示期間が数日あるので文字どおりの「瞬間」ではありません。でも、講評の場には他の教員もいる学生もいるというわけで、何日もパソコンに向かい、言葉を重ねてじっくりものを考える場合とはやはり条件が違います。
  だから、なんていうと弁解めきますが、昨日今日とあれこれ思い出しながら言葉をころがしていると頭がだんだん整理されてきます。作品を見てない人には何のことやらだとは思いますが、自分のメモとして、先日喋ったことと
プラスαーをちょっと書いておきます。
●H君の、世界各国の代表が集合していろいろな議論をする施設を南極に提案した
 と書くとバカみたいな感じですが、決してそんな単純な作品ではありません。特殊なコンテクスト不在の地として南極を敷地に選び、そこに建つべき建築の形態を緯度や経度といったわずかな手がかりから生み出す思考実験です。プレゼンテーションの完成度も抜群。僕は今年のベストと判断しました。南極にコンテクストがないはずはない。国の数だけ宿泊施設を並べた途端に「意味」の重さを背負っている。緯度や経度は文脈だ。もちろんです、すべてその通りです。しかしこの作品の素晴らしさは、設計行為が孕むそのような矛盾を見る者に改めて考えさせる力をもっているという点なのであって、それ以外の視点からの批判は作者にとっては痛くも痒くもないだろう。建築設計行為を建築設計行為によって考察する。すなわち批評としての建築の実践である。卒論の1番と競り合って吉武賞こそ逃したけど、4年生でここまでの思考力とデザイン力が身についていれば上出来もいいとこだ。
●Oさんの、住宅団地の一角に保育所などを含むコミュニティ施設を提案した
 と書くと、これまた凡庸な印象しか残りませんが決してそんな単純な作品ではありません。高低差のある敷地を巧みに利用して、大地とも、公民館とも、診療所とも保育所とも、いかようにも解釈可能であることが印象的でした。つまり、何かひとつの名前をつけてそれを呼ぶことが困難な空間が生まれている。特定のビルディングタイプでも、新しいビルディングタイプでもない何か。公共建築はすべてそうあるべきではないのか、そんな一般化すらしたくなった。僕にとっては今年の設計のもうひとつのベスト。
●H君の、ハイブリッドシティと題した作品は、三宮の一角に住居を含んだ高密度の複合ビルを提案した
 この作者のこれまでの作品からすると、明らかにプレゼが未完成。なにより各階平面図がきちんと書けるということが最大の問題点だとは講評会で言った通り。平面的に広がった都市を垂直化するということは、決して細かく分節された要素を積み重ねていく作業ではなく、元の平面的な広がりはそのままで立体化されなくてはいけない。いわば、1階建ての高層の建物でなくてはならないだろう…。

 

2002-2月16日(Sat) 次はあなたの番ですよ!お父さん。

 午前中はPTA会長としてのお仕事。小学校の施設開放運営委員会の最終回。運動場やプールや体育館、および教室の一部を、休日等に地域のひとたちや子どもたちが使えるよう切り盛りをしている組織です。その他、最近はPTA関係のいろいろなお仕事がやっと最後のまとめの段階にはいりました。何とか1年が無事に終わりそうで、ほっとしています。 『渦っこ通信』というPTAの新聞に毎号短い文章を書いてきましたが、以下、その最終号の原稿です。3月にでます。以前、建築学会の大会で、某大学の女性の教員の方から、「花田さんもPTAやられてるんですね」と声をかけられ驚きました。つまり、この日記を読んで下さっていてしかも御本人も母親として小学校のPTAの役員をされている方でした。思わずPTA談義を交わしたことでしたが、そんなこともあったので、『渦っこ通信』の原稿掲載します。建築関係のお父さん!PTAは、ぜえーったい一度経験すべきですよ。

この1年のPTA 活動から学んだもの
 
2001年度のPTA活動もそろそろ一段落の時期となってきました。大きな事件や事故もなく、これも皆様の御支援のお陰です。心からお礼申し上げます。私からの最後のメッセージは、初めてPTA活動に関わったこの1年で得たものの御報告です。
(1)パワフルなお母さん方との出会い。
 渦小、東灘区、神戸市と、いろんな単位でのPTAの会合で多くのお母さん方と出会いました。皆さん素晴らしい人ばかり。地域を支えるのは女性陣という事実を前に、ただただ感謝と反省とをするばかりでした。
(2)地域の仕組みとの出会い。
 渦小PTA以外の活動にも関わることで、地域の仕組みを学びました。町の自治会、小学校施設の開放運営委員会、旧住吉村に遡る諸団体等々、さまざまな組織のネットワークが、実は地域を支えている。そのことの難しさと可能性とを実感しました。
(3)平日の学校と町の風景との出会い。
 休日の町や特別の行事がある日の学校は知っていましたが、平日のそれらの風景の中に身を置く体験は意外に新鮮でした。多くの男性陣は、定年後にこれを初めて目にし、居場所の無さに慌てるんだと思いました。
 以上、自分が得した話ばかりでお恥ずかしい限りです。とても楽しい1年でした。次はあなたの番ですよ!お父さん。

 

2002-2月15日(Fri) 卒業制作講評会

 学部の卒業制作の講評会。まずは午前中の学科会議で「奨励作」と呼ぶ上位の作品群を選び出し、それには及ばなかった力作・問題作数点を加えて午後の講評対象とします。講評は何らかの類似性のある2作品をひと組にし、講評する教員もなるべく応援側と批判側に分かれるように2名をあらかじめ決めておく。もちろんそれ以外の教員の発言も自由です。ひと組約20分。普段の講評会より数段激しいバトルが楽しめるという演出です。
 これを1時から4時過ぎまでやってもういちど学科会議。今度は「各賞」の決定にはいります。大学から与えられる「吉武賞」1名、学科からの「環境デザイン賞」1、2名です。いずれもすでに終わっている卒論の優秀作も対象になります。つまり卒論と作品を合わせた1番が「吉武賞」というわけです。これの選定が難問です。何せ、論文と作品という異なったカテゴリーのものを比較しようというわけですから。
 でまあともかく各章が決まり、5時半頃ラウンジに集合した学生の前で発表。そのままみんなでワインパーティーという段取りです。ファンファーレこそ鳴りませんが、結構、緊張の一瞬なのではないでしょうか。僕としては、感激のあまり泣き出すやつや踊り出すやつ、口笛や花火くらいあって、受賞者が感激のスピーチをするような盛り上がりがほしいとこで「ぜったいに吉武賞とるぞ」と頼もしいこと言ってた3
年生諸君!来年はグラミー賞の受賞式みたいにしようぜ(笑)。

 

2002-2月14日(Thu) 修論発表会

 修士論文(あるいは修士設計)の発表会。全体としてはまあまあの出来だと思います。ただ、論理の穴というか、要は論理的な推論になってないことが気にならない学生の論文もあって、どうしてそうなのか理解に苦しみ、宇宙人を見るような思いがしました。そういう態度を「頑固」などと理解すべきではありませんね。もちろん本人もです。単に××であるにすぎない。建築学会の口頭発表会場でもたまに遭遇する事態です。

 

2002-2月13日(Wed) 恥ずかしい本

 ここ数日いじったゲラの返却。 ひとつは、京都工芸繊維大学の古山正雄先生が、大阪府建築士会の会誌『HIROBA』で連載した対談シリーズをまとめて本にするという企画。僕もそのうちの2回分お相手していたわけです。某大学の通信教育の教科書になるのですが、一般書店でも販売する書籍としてつくるんだそうです。読み物としては面白いかもしれませんが、どうしてこれが「教科書」になるのかなあ。その大学の判断にはついていけないものを感じますが、まあそれは、あっしにはかかわりのねえことでござんす。
 もうひとつは、日本建築協会の企画で『建築する人たち‐アーキテクト、アーティストの素顔‐』という本になります。関西の若手の「建築する人たち」へのインタビュー集。学生時代から30代くらいまでの様子を中心に話を聞いたようで、学生さんたちの今後の人生設計のお手本、あるいは反面教師にしようという企画です。で、そこになぜか僕も登場しておりまして、思い出話をしています。恥ずかしいね。でも他の人の部分は興味津々(笑)。どっちもこの春にはでき上がるのではないでしょうか。

 

2002-2月12日(Tue) 

 入試委員会、その他。

 

2002-2月11日(Mon) 

 朝から雪が舞ったり霰が降ったり、かと思うと晴れ渡ったり、さすがに標高300mのわが家のあたりは「山の気候」です。

2002-2月10日(Sun) 楽しみ3つ

 朝、霧のような雪。にもかかわらず上の子のリクエストでプールへ。帰りに、恒例の楽しみ、プールを見下ろす位置にあるじみーな喫茶コーナーで玉子とじうどん350円を一杯。おばさんがお椀をひとつ出してくれて、父子二人で分けてズルズル。はは。「一杯のかけそば」だ。

 ここ2、3日いじっているゲラが2つあって、両方ともたぶん春頃に出る本で、しかもインタビューあるいは対談を文字にしたものである。結構プライベートな話題満載な企画です。お楽しみに。またいずれ宣伝を書きます。

 それから、ここ数日の間に、昨年のAO入試で僕らの学科に合格した受験生からメールがいくつかやってきた。AO入試では合格が一般の入試より早くなるので、学科から「宿題」を 2回出している。その2つ目の課題の内容についての問い合わせである。それに返事を書いたら、一人からはさらに入学後のことや学科の教育等についての質問が来て、さらにそれに返事を出した。高校生との会話!楽しいです。

 

2002-2月9日(Sat) ハリーポッター

 休日。遅ればせながら、映画「ハリーポッターと賢者の石」を上の子供と観にいった。六甲アイランドのMOVIXシアター。字幕版ということもあるが、さすがにもう空いている。子供の方は、邦訳3巻を熟読し、かつ詳細に記憶しているから、「あ、あれは○○だ」などとつぶやきながら観ている。こちらはまだ1巻目の最初で止まったまま。観にいこうと誘ったら、「もう読み終わったの?」と詰問された。ぼくはどうもこういう「物語」を読むのは苦手だ。だから、 ああ面白かった、ああイギリスだなあ、あんな3人組(ハリー、ロン、ハーマイオニー)って小学生の頃憧れたなあ、ハーマイオニーかわいいなあ、と平凡きわまりない感想を呟くばかりなのですが、しかしホグワーツへの入学式で新入生を先輩たちが迎える様子や、1年間の成績をやはり先輩と後輩が一同に会して聞く光景は素晴らしくて、日本の大学もこんなふうに感動を空間的に共有できる演出をしなきゃいかんのではと思ったことでした。子供には、「本で読んで想像してたのと映画の映像とは合ってた?」と聞いてみると、まあそんなには違わなかったみたいで、というのも少し前にNHKで荒俣宏がガイド役になってハリーポッターの舞台を訪ねる番組を見たし、いろんなテレビ番組(彼が日曜日の朝ひとり早起きして欠かさず見ているのがこれです)やわが家にあるいろんな本で、ヨーロッパやイギリスの風景や歴史を知っているからだろうなというわけで、僕の子供時代との差をひしひしと感じるわけですね。うらやましい!で、僕がちょっと気になったのはハリーの額に刻まれた稲妻型の傷跡でして、これを見たらやはり自分の額にペンでこの傷跡を書きたくなろうというものですが、今どきの小学生はそんなことしないかなと思ったら、「あ、そういえば書いてる子クラスにいたなあ」とはうちの子の弁。その子大好き!安心しました。

 

2002-2月8日(Fri)

 卒業制作提出の日。いつもは大学にいて様子を見ているのですが、今回は所用ありで行けず。さてどうなっただろう。泣きの電話ははいらなかった。

 

2002-2月7日(Wed) 

 小学校のPTAの会議。この仕事も年度末が近づき、あれこれと片付けないといけないことが出てきました。ほんと良い勉強になった1年である。
 原稿のゲラチェック。
 三木卓『わが青春の詩人たち』(岩波書店)。岩波のPR誌「図書」での連載をまとめたもの。連載中からときどき読んでいましたが、いろんな詩人の日常や生活がうかがえて、面白い本です。

 

2002-2月6日(Mon) 

 来年度の学内の共同研究の審査のためのヒアリングを受ける。学長、各学科主任等が並び質問を浴びせてくる。結構緊張します。学生諸君の気持ちがわかります。
 修士論文の提出締めきり。わが研究室は、論文1、作品1。さて内容や如何。
 原稿のゲラチェック。

 

2002-2月5日(Tue)

 大学でちょっとした打ち合わせ。

 

2002-2月4日(Mon) 痒い所

 「痒い所に手が届くプロの仕事とは?」という特集を組んだ『住宅建築』2月号の編集後記で、中村謙太郎さんが「ひと頃の若手建築家は、事細かに建主の生活に介入することを避け、できるだけシンプルな『箱』をつくり、入居後については建主に委ねるという姿勢をとることが多かった。確かに何から何まで予め決められていては、ちと窮屈。かといって、誰もが『箱』を上手に住みこなせるわけではない。まあ人それぞれ、痒いところは違いますからね」と書いている。 ホント、そうなんだなあ。まさに「誰もが『箱』を上手に住みこなせるわけではない」。その設計者ですらだ(笑)。この2、3日、僕は自分で設計したわが家「渦森台ハウス」のだらだらとつながったワンルーム、とくに2階の部分をどう使いこなしていくか、具体的には、上の子どもの勉強ゾーンをどうつくっていくかあれこれ悩み、ごそごそと机のレイアウトを変えています。当分は南北に長い書斎の中に僕と上の子が「同居」することにしました。雑誌で「多目的スペース」「子供スペース」と名付けていた部分はいずれ本の増加と共に図書室のようにし、そのまわりに、ロフトも含めた「個室」的空間が寄り添っている、という感じにしたいなあ。それにしても中村さん、「ひと頃の」っていつのこと?まだ過去形にできないのでは。

 

2002-2月3日(Sun)

 大阪でやってる細長敷地の住宅の現場へ。工程がいささか遅れ気味で、まだそういうタイミングではないのですが、ちょうど関西の取材があった某建築雑誌の編集者に見てもらった。ヤマクマさんももちろんいっしょ。というのも彼が設計した別の住宅の下見もあったからで、僕もそちらへおじゃました。詳しいことは書けませんが何せ大きなお家で、こういうのをいざ設計しろといわれるとかえって難しいだろうなあと痛感した。住宅は条件厳しい方が考えやすいね。
  先日のコンペの模型写真をヤマクマさんに見せたところ、相変わらず面白い感想をいただきました。「賞金の多さで建築界が久々に燃えたという点で歴史的なコンペではないか」とは彼らしい的確な意見です。昨夜わが小4息子に模型写真を見せてコンセプトを説明したら、「案はわかった。ところでまさか賞金目当てで応募したんじゃないよね」と質問され、「おお、も、もちろんそんなことではない。これからの新しい建築のあり方を提案するために全身全霊を注いだのである」と答えました(笑)。

 

2002-2月2日(Sat)

 B日程の大学院入試2日目。今日は面接。その後合否判定教授会。そのあとさらに入試委員会。ふー。
 スタジオ、ゼミ室、ラボでは卒業制作や修士設計の追い込み作業がおこわれています。下級生の手伝いに指示を出す4年生の姿は美しい!、と、この時期僕はいつも思います。ものごとを自分の判断で決めていく体験。その難しさと面白さを味わってね。

 

2002-2月1日(Fri)

 今日明日は、B日程の大学院入試。今日は作品審査、学科試験、小論文。
 緒方貞子さんが固辞し、外相は川口順子・環境相に。 雪印食品事件はさらに不正が続出。なんてこった。

 

2002-1月31日(Thu) コンペ終了

 来年度のゼミ生に決まった諸君との顔合わせ。13時半から40分ほど。まだなんとなく照れくさい。
 それ以外はコンペ。研究室で企画説明書をつくり、あとは大学院棟で院生・村山君のパソコンさばきにあれこれ注文をつけて図面を仕上げていく。要するに決断係。修士設計締めきりまぎわでそれどころではない梶川君にアドバイスをもらいつつ、21時過ぎからプリントアウト。待ち時間に、「梶川君はどうしてあんなにコンピューターのこと何でも知ってるんだ、いっそ留年してもらおうか」などと軽口をたたきながら村山君とコンビニ弁当。22時半頃大学を車で出て神戸中央郵便局へ。無事提出できました。村山君はこの1週間大学院棟に泊まってました。お疲れさま。とても楽しかったよ。どうもありがとう。

 

2002-1月30日(Wed)

 入試関係の仕事をなんとかすませて、コンペ。明日が締め切りです。

 院生たちがこんな企画を始めました。ぜひみてやってください。

 

2002-1月29日(Tue)

 一般入試A日程最終日はわが環境デザイン学科です。試験終了後は学科会議。次年度の各研究室のゼミ生の振り分けが決まりました。僕のところの大きな変化は、男女比が2対8から7対2へと逆転したこと!しかも元気の良さそうな男の子ばかりだ。頼めば戦車でも手に入れてくれそうな逞しい物資調達野郎から繊細な設計少年まで揃っている…、たぶん。もちろん女性陣も期待大。どんな1年になるでしょうか。
 8時頃会議が終わって、そのあと深夜まで院生の村山君とコンペの打ち合わせ。
 帰ってから夜中テレビをつけていたら、田中真紀子外相、野上義二外務事務次官の更迭と鈴木宗男衆院議院運営委員長の辞任劇。あきれました。
  雪印食品の偽装事件、東村山市の中学生によるホームレスの男性殺し。あーあ、みんなうんざりだ。

 

2002-1月28日(Mon)

 芸工大は昨日から一般入試A日程をおこなっています。昨日今日は他学科。しかも学部学生は構内にはいれない。しかし大学院は別。というわけで、院生の村山君とコンペの打ち合わせ。楽しいです。

 

2002-1月27日(Sun)

 このところ寒い日が続いている。今日は家内外出につき、ずっと家で子守り。男3人力を合わせて暮らしました。朝食は小4息子が目玉焼きとミルクティーを用意して僕を起こしに来てくれた。信じられない。そんなこと、僕は生まれてこの方やったことない。昼食は彼と僕とで焼そばづくり。そのあと例によって台所をぴかぴかにしておいた。4才息子はときどき母親が留守なのを忘れて名前を呼んでいた。
 高田里恵子『文学部をめぐる病い』(松籟社) 。まだ読みかけだが、二流の文化人についての偏執。とてもおもしろい。

 

2002-1月26日(Sat)

 大竹昭子『須賀敦子のローマ』(河出書房新社)がでた。ミラノヴェネツィアと続いてきたシリーズの最後。改めて3冊を並べてぱらぱらやっていると溜息が出る。いいなあ、イタリアって。これで完結かと思ったら、帯に「近刊 文/写真 岡本太郎 須賀敦子のトリエステと記憶の町」とある。え、岡本太郎?あの?まさか。楽しみ。

 

2002-1月25日(Fri) 奥山信一さんのトークセッション

 3年生は次年度の研究室配属の申告日。当学科では、各研究室の定員の上限を約10名としたうえで、学生には第3志望まで必ず書いてもらい、できるだけ学生の志望を優先した配属ができるようなシステムになっている。別の言い方をすると、教員側には原則として学生を選り好みする権利が与えられていないということである。だから、学生諸君はもちろんドキドキだろうけど、こっちだってヒヤヒヤなのだ。

 夕方5時からは、トークセッションの今年度最終回。東工大の奥山信一さんに来てもらった。以前『jt』の月評(1998年2月号)でふれさせていただいたこともあり、とても興味深く拝聴。しかし、何を書いたのかを会場では正確に思い出すことができず、質問はしたものの、ちょっと曖昧な話になってしまった。なので自分でも読み返してみました。
以下がその原稿です。結構いいこと書いてたなあ(笑)。
 
要するに、「社会や制度につながる別のルートはどこにあるか。そのルートを描く方法論とは何か。退屈さとも凡庸さともカマトトとも違う生真面目さはありえるか」というあたりについて質問したつもりでした。事前に読み返しておいてもっと突っ込んだお話をしたかった。奥山さん、すみません。

■ 生真面目さの彼方に
 12月号のみかんぐみの月評は、「具体性に乏しいのでなんとかしろ」と編集部から注文がついたとの書き出しである。他人事とは思えない。僕の月評も、とりあげる作品数が減ってきた。掲載される建物がつまらないわけでは決してない。むしろ、なるほどなるほどと、設計の参考にさせてもらうことばかりである。でもそれだけでは言葉は生まれない。論ずるべきは、その彼方に見える何かだろう。みかんぐみもどうか頑張って。執拗な建築ジャーナリズム批判とグループとして署名する姿勢には、いつも共感しつつ読んでます。
 さて、最近の本誌に載る住宅は、何と生真面目なものが多いこと。外観はどちらかといえばさっぱりとした薄味で、内部は間仕切りの少ないワンルーム。平面的なくびれや家具で場が軽く分節されていて、「表現」の暑苦しさなど何処にもない。こんな感じの建物ふえてます、よね。
 そういう傾向に対し、モダニズムの復活という歴史的解釈もあるだろう。しかし僕は、設計行為が必然的に住み手・使い手の生活を規定する「力」のようなものの、強弱ではなく、質を探る計画学的意志表示だと理解する。その方が、僕自身も共有するこの感覚を、上手に説明してくれるように思うから。
 この「力」に関し、今月は2つの対照的な立場からの発言が目についた。『新建築』12月号の山本理顕「建築は隔離施設か」と、本誌1月号の奥山信一「創作論スケッチ 3 平面の形式を巡って」である。両者を読み比べるなかで考えたことを記したい。
 山本は、ハンセン病患者への差別の歴史を問うた書物を参照しつつ、「近代日本の医療空間」が「空間的に身体そのものを拘束し隔離」してきた事実のなかに「建築という空間装置のもっとも根源的な問題が隠されている」という認識から出発する。それに続く議論の流れは、およそ次のとおりである。
(1)空間は制度そのものだという認識は、建築にかかわる私たちの実感である。
(2)しかし、空間は制度を全面的に反映したものだとは思いたくない。
(3)制度と空間との関係についての言語は、「政治言語」ではなく「建築言語」そのものである。
(4)ところで、制度は建築を「隔離施設」として位置づけながら実効性を保ってきた。
(5)以上から、「建築言語」を鍛え上げ「隔離施設」を脱することで、制度を変える可能性がある。
 多くの実践に基づく主張であり、わかりやすい議論の流れになっている。上記の「力」への信頼感に基礎をおく立場からの、一種のアジテーションといってよいだろう。設計行為に対する、もはや共通感覚に近いものともいうべきか。しかしそこに、論理的には不安感が残るのも事実である。僕にはその原因が、「空間」という言葉の曖昧な使用法にあると思われた。というのも、山本の議論には、たとえば特定の医療施設を意味するのではない「医療空間」のような、むしろ「制度」というべき「空間」という語の用法と、具体的な場を表わす「建築空間」といった用法とが、両者の関係を確認することなく等式で結ばれる傾向があるからである。つまり、「空間」という語の共通性を唯一の根拠として、社会制度と具体的建築とのあいだに連動する関係の存在が前提とされ、その主従関係のみが論じられているのである。しかしこの前提は正しいか。もしもノーなら、「力」への信頼は空振りに終わる。僕はそこが不安なのである。
 奥山が自分たちの設計した住宅をとおして語るのは、まさにこの前提への懐疑である。彼は、「建築(住宅)のプランニングが、社会状況を反映し、その変化に連動すべきだという認識」に支えられた「室配列とプランニングを同義とする思考」は、「その論理自体の内に社会状況の変化を含み込んでいる」がゆえ、社会状況の変化とともに「室の配列という永久運動」に陥ると分析する。僕も以前、このような思考を「家族論強迫神経症」と呼んで批判したことがあり(「拡張された住宅」jt9501)、奥山の議論には共通の問題意識を感じ取った次第である。
 もちろん山本の論旨からも、まさにそういう永久運動を止めるような「室の配列」ではないプランニングこそを、「建築言語を鍛え上げる」ことによって見つけるのだという答え方は可能だろう。ただ、僕が興味深く思うのは、奥山のいう「室の配列と平面の形式とは本来異なるもの」という認識の中に、空間の「力」を、山本が描くのとは全く別の地平に分布させる可能性が感じられる点である。つまり何とも曖昧な表現だが、建築を〈勇ましくなく〉決定することで、僕らは別の世界を描けるのではないかという期待である。
 この〈勇ましくなく〉という感覚は、12月号と1月号の本誌にも、少なからず見いだせる。勝手な括り方で御本人たちには迷惑だろうが、「江東の家」(千葉学)、「松庵の家」(榊法明他)、「秋谷の家」(堀部安嗣)、「須磨・天神町の家」(吉井歳晴)、建物ではないが「『透明性』のありか」(松隈洋)という記事の語り口などに共通する感覚である。そこに漂うのは、「力」が他者の生活に介入することへの、ナイーブすぎるほどの慎重さであり、生真面目さといえるだろう。
 しかし同時に、それは、何もしないことへの無限の後退を生む危険性もはらんでいる。つまり、建物が生活に介入しない状態への憧れという自家撞着に陥る危険性である。しかし、モノをつくる限り「力」は発生する。「零度の空間」なんて、論理的には存在しないのだ。したがって問題は、後退をどこで止めるかを決める方法論の探求ということになる。
 奥山にとってはそれが、「室とそれ以外という対立関係だけで、一挙に全体をつくり出そうという」方法論、つまり「部分をつくることそれ自体が、同時に全体をつくることと直結した方法論」であると思われる。ただし、その有効性が今回の「吉祥寺通りの家」と「館山海岸の町家」で確認されたかどうかは微妙なところ。僕は、
(1)部分と全体を同時に出現させる試みが、結局は平面図のゲシュタルト的な図と地の反転だけに依存していること。
(2)「室以外」という空間に、階段等の動線部と家具等の収納部とが含まれており、それらを同一のカテゴリーに入れるのは無理。
(3)したがって写真で見る限り、部分と全体は対立したままという印象が強い。 などの理由により、必ずしも「室の配列」を超えたプランニングが実現したとはいい難いという印象を受けた。しかしそこには、山本の議論のような論理的不安感はない。そのかわり、推論が〈勇ましくない〉分、答えの輪郭は霞んでいるし、社会との距離も把握しやすいものではないのである。
 「かつて若かりしころ、小さな住宅に血道を上げて取り組み、建築の新しい世界を切り開いてきた建築家であっても、ひとたびエスタブリッシュされると、もはや公共建築にしか建築の批評性はあり得ないというスタンスをとってしまう」という奥山の状況批判に心から共鳴するとして、では社会や制度につながる別のルートはどこにあるか。そのルートを描く方法論とは何か。退屈さとも凡庸さともカマトトとも違う生真面目さはありえるか。今回は課題が切実すぎて、途方に暮れたまま終わります。

 

2002-1月24日(Thu)

 2年生最後の課題の講評会。三木市の古い町並への提案を求めるもので、3つの敷地から選択する。いやあどれも面白かったです。今年の2年生、なかなかやりますね。

 

2002-1月23日(Wed)

 学科会議、教授会、藝術工学フォーラム。会議の日です。
 院生村山君とコンペの打ち合わせ。例のパチンコ屋、です。みんなやってる?

 

2002-1月22日(Tue)

 学内の委員会ひとつ。
 3年生、最後の課題の講評会。1週間課題である。大学の近くの住宅地の公園に高齢者対応のコミュニティ施設をつくるという具体的なものと、S×Lコンペの今年の課題「アインシュタインの家」という抽象的なものから選択させた。芸工大ではふだん抽象的な課題はあまり出してないので少し心配したけど、ちょうど半々に数も分かれ、しかもどちらにもなかなか良い案があった。今年の3年生、なかなかやりますね。

 

2002-1月21日(Mon)

 3年生とのゼミ面談、僕のところは最終日。研究室ごとに集まる学生のタイプに一定の傾向があるのは当然だと思いますが、それでも年によって多少違います。今年僕のところに面談に来たひとの傾向はというと、設計好きの男子学生が多いこと。今の4年生は男性2人、女性8人。来年度は逆転するんじゃあるまいな。

 

2002-1月20日(Sun) 大阪城

 大阪城へ行ってきた。昭和6年にコンクリート造で再建され、1997年に大改修されている。各階は、要はガラスケース付きの展示室で、エレベーターまでついている。お城というより博物館。日本史マニアで、これまで松本城、高知城、姫路城と昔の姿が残ったものばかりを見てきた息子は微妙な表情。天守閣からは足元のOBP(大阪ビジネスパーク)地区が見える。日建時代、僕はここの建物の設計に関わる機会が多かった。とくにいずみホールは基本構想からはじまって3年弱の現場常駐までした建物だから、とても懐かしい。そういえばあの頃、現場事務所から目と鼻の先に大阪城があったのに一度も行かず、今日は逆にすぐそこに見えていながらOBPには行かなかった。変なものだ。

 『2チャンネル宣言 挑発するメディア』(文藝春秋)。例の2チャンネルの内情の一部がわかるので面白くないわけはないのですが、インタビューだけじゃなくて、もう少し分析的な記述もあるとよかったなあ。僕もいくつかのスレッドは覗いています。

 

2002-1月19日(Sat) いろんなつながり

 夜は東灘区の小学校PTA連合会の飲み会。各小学校の会長および副会長さんのほとんどが出席され、計34名の会でした。岡本のイタリアンレストラン。我が渦が森小学校も、僕と女性の副会長さん2名で出席。年末にやった講演会の反省会兼新年会という名目ですが、まあ事実上今年度の打ち上げです。役員が交代する学校あり引き続き今年の方が引き継ぐ学校ありでさまざまですが、しかしみなさんの熱心さには驚きます。終わってから我が校の副会長さん2名とお茶とケーキで長話。同じくらいの年齢の子供をもつお母さんと、家のこと子供のこと、学校のことなどあれこれ喋るのは結構面白い。子供と親との関係について、同感することもあり、へーと思うこともあり、なかなか勉強になります。この1年、PTA活動のお陰でいろんなつながりが生まれました。以前も書きましたが、建築や都市のことやってる人は、絶対に一度はPTAの役員をやるべきです。

 掲示板に日本大学の後藤範章先生から相互リンクの許可を求める書き込みがあった。許可どころか、こちらが先に勝手にリンクをしていたわけで、むしろ恐縮した次第。東京の今を写真で記録し続ける興味深い研究室です。これもまたつながり。

 

2002-1月18日(Fri) 

 所用で北区を車で走り回る。六甲山の裏側の住宅地にはいつまでたっても馴染めない。山が南側にあるからだ。

 

2002-1月17日(Thu) 1月17日

 午前中から午後3時まで、大阪細長敷地住宅の現場で山隈さんと打ち合わせ。全体に遅れ気味ではありますが、やっと内装工事に移ってきました。

 階段の上にかぶさった2階台所のあたり

 車を飛ばして大学へ。4時過ぎに到着。結構早い。7時頃まで3年生との面談。そのあとは4年生の相手。ふー。今日もいろんなひとが来ました。打たれ強い話し相手を希望します。8時過ぎに帰ろうとすると、となりの山之内さんの部屋の前には設計課題のエスキスの順番待ちの2年生が数人。な、なんて熱心なんだ。

  今日は阪神大震災関係の映像や記事をテレビや新聞でいくつか目にした。どれもやはりいろいろなことを思い出し、しゅんとした気持ちにさせられます。親御さんを無くした子供たちの話が一番こたえますね、やはり。

 

2002-1月16日(Wed) お見合いの季節

 来年度のゼミ配属のための「お見合い」スタート。学生が希望する研究室をまわり、教員と面談するわけである。2時から6時半頃まで、15分刻みくらいでやりました。疲れました。あと僕の面談日は、明日と月曜日。いろいろな学生がいて、間近で話すとふだん気がつかなかった部分が見えたりもして、面白い。

 阪神大震災から7年である。早いなあ。…と書いて目をつぶっていると、あの頃のいろいろな映像が浮かんできた。

 

2002-1月15日(Tue) 

 午前中、新年最初のゼミ。4年生の卒計の進捗状況を聞く。みんな「下ごしらえ」ばかりやっていて、肝心の設計が全然進んでない。 午後は3年生にゼミ配属の説明会と最後の設計課題の出題。いよいよ学年の最後が近づいてきた。

 

2002-1月14日(Mon) 成人の日

 成人の日。沖縄で式が荒れた旨の報道あり千葉ではディズニーランドでやったらしい。市長がステージの上でギターを弾いて最後は若者たちと合唱した自治体もあるんだとか。父兄同伴にして少しは静かになった町もあるらしい。幼稚園のお楽しみ会以下である。
 僕が成人式を意識したのは、自分自身が20歳になったときではなく、それから10何年かのち、日建を辞めて女子短大で教え始めたときでした。学生が、成人式に出る、晴れ着をどうする、誰それに会える等の話をしていたから。いやもうびっくりしました。 成人式に出るという行為や、そこに出る人というものを、とにかく初めて目撃したからです。えっ、あれはそういうものだったのか、と思いました。成人式の誘いが来た記憶は無いし、まして自分が出るなんて考えたことも
ありません。あれは役所から義務づけられたような人が出てるのかなとか、(よい言い方ではありませんが)働いている若者が(日頃同年齢のひとと会う機会も少ないから)出るんだろうとか、そんな程度の意識だったように思います。女性陣が豪華な着物を着るのも嫌で、そんなことを東大の女性の同級生に言ったら、「ああやって伝統が守られていくんだからいいの」と言われ、とても意外だったことは覚えています。都会に出てきた若者が、小学校や中学校のときの友だちに会えるからという理由でわざわざ地元に帰って出席するのにもびっくりしました。結構地域とつながってるんだと驚きました。とにかく、あんなものに出席する、させる心理が全く理解できないまま今日にいたっている次第であります。
 
 
風邪か疲れか午後ばったりと寝てしまう。目が覚めると今度は上の子が熱。交代である。

 

2002-1月13日(Sun) 変わらない過去

 レンタルビデオ屋で子供たちは「スターウォーズ」や「ポケモン」を借り、僕はゴダールの「男性・女性」を借りてきた。学生の頃見たっきりだったので何か思い出すかなと思ったけど、そんなこともないな。今見ると笑ってしまいそうなくらい、みんなウブ。政治や男女のことは、しかし変わらないといえば変わらないんだろうし、昨日書いた『大学という病 東大紛擾と教授群像』が描く過去もそんなふうだ。パリの街が美しく、なによりシトロエン、とくにDSがカッコイイ。
 研究室のホームページの、自己紹介のページにリンクをふやした。日建時代に関わった建物も検索してみるとすべてホームページがある。そこをのぞくと建物の写真がでてくるわけで、ちょっと不思議な感じがした。これも「過去」との出会いですね。

 

2002-1月12日(Sat) もうひとつの芸工大

 九州芸工大へ。12月22日に書いた模型づくりの授業の2回目の講評回。今度は、自分のつくった模型と他人がつくった模型のどれかから2つの場面を選びだし、パースを書き比較するという課題である。各自が書いて来た絵をスクリーンに大きく投影し、ときには原画に書き加えたり消しゴムをかけたりしながらの講評です。1年生だから、「建築的な」絵が少ない。いわゆる石膏デッサン的なんですね。事前にいくら注意しても、いつもモノの輪郭が無い絵が多く提出されます。自分が設計する立場になればすぐわかるけど、モノの輪郭を書かずにスケッチするって、まずあり得ないんだよね。でき上がった空間を紙の上に写し取るんじゃなくて、その空間を設計しているつもりで書いてくれと言うべきだったか。雑誌や本に掲載された写真を参考にした絵が多いのも例年通り。それはまあいいとしても、同じアングルが多いのはいただけません。他人と同じことはしない、そういう気持ちを常にもっていてほしいです。「神戸の」芸工大の諸君にもお願いします。
 新幹線のなかでは、竹内洋『大学という病 東大紛擾と教授群像』(中公叢書)。まだ半分くらいしか読んでませんが、いやあ面白い。
 帰りの新幹線では、日建の友人と先輩にばったり。みんなお忙し、ですね。

 

2002-1月11日(Fri) 葛根湯

 風邪か?葛根湯とビタミン剤を飲んで静かにしている。
 中公文庫の20世紀シリーズの『〔7〕 高度成長日本』。戦後復興期のいろいろなエピソードが面白い。
 明日は福岡。

 

2002-1月10日(Thu) いろいろと

  午前中、PTAの運営委員会。この仕事も残りわずかになってきました。こちらも卒業式や入学式に最後のお仕事が残っています。PTA会長挨拶ってやつです。大学生や高校生ならともかく、小学6年生と新1年生に何をどんなふうに語りかけたらよいのでしょう。あせります。
 
 年末にインタビューした郵政OBの方から資料が送られて来た。設計者がそれぞれデザインしていたという、当時の切り文字(例の縦長のかっこいいやつです)の原図まであって、感激。
 4年生は卒計、 M2は修論の締め切りがほぼ1か月後に迫り、ゼミ室の空気がわさわさしてきた。
 ぽむ日記で知りましたが、駒井貞治さんのホームページ、なーるほど。建物の雰囲気どおりだなあ。
 山隈さんと電話で打ち合わせ。細長敷地の住宅、外壁の色どうしよう。

 

2002-1月9日(Wed) 始動

 新年互礼会、学科会議、院生と修論・修士設計の打ち合わせ。授業開始は11日からですが、大学の仕事が動き始めてしまいました。大学の教員は、これから春まで、入試や卒業に関する仕事に追いまくられます。あーあ

 

2002-1月8日(Tue) 石神井団地

 土肥先生たちとやっている共同研究の一環で、石神井団地見学や久米事務所OBの方へのインタビュー。
 石神井団地は市浦事務所の設計で1967年にできた公団の団地だが、珍しく分譲である。そのせいもあるのでしょうが、とにかく手入れや管理が行き届いていて、建物も外部空間もきわめて美しく、感激しました。とくに、駐車場を敷地北側の河川緑地沿いに集中させ、建物周囲の外部空間にはまったく車がとまっていない。そこに広々とした庭と大きく育った欅。院生の頃、ヨーロッパで初めて1920年代の集合住宅を見たときの感動に近い。

 往復の新幹線で、五十嵐太郎『新宗教と巨大建築』(講談社新書)。新分野開拓としてとても価値のある研究だと思うのですが、著者が何を面白がり何を読者に伝えたいのかよくわからない。僕は彼の書く評論にも同じようなことを感じるんだなあ。勝手な感想ですが…。

 

2002-1月7日(Mon) 

 非常勤先で1コマ授業。ヴェンダースの『東京画』を映しながら都市の話。
 終わってから芸工大へ行って、そのあと東京へ。

 

2002-1月6日(Sun) 新年会

 建築家・吉本剛さん夫妻とまだ1歳半くらいのお嬢ちゃん、住宅建築編集部の中村謙太郎さん、建築マニア・H大学S先生がわが家に集合。つくね鍋の新年会をやりました。楽しかった、おいしかった。やっぱりお正月にはお客さんが必要です。

 

2002-1月5日(Sat) ちょっと前の過去へ

 3日から今日まで高知の実家に帰って来た。子供連れで途中2回ほど休憩しながら行っても車で片道約5時間。近くなったものだ。帰る度に風景が変わっている。いつも写真に撮っておこうと思いながら身体が動かない。旅先の知らない町だとぱっぱと撮るくせに変なものだ。自分の過去が存在する空間にいると、僕の身体と心はいつもぎくしゃくする。昭和の貧乏なトタン板張りの風景がどんどん消えていく。いいのかこんなことで。実家は20数年前に大工がつくった普通の家。部屋ごとの温度差が激しく健康に悪い典型的な日本の家だ。その「寒さ」を今年は例年になく実感した。年老いた親よりも断熱性能の高い家に住んでいていいのかと妙な自責の念にとらわれた。

 「沢田マンション」にもう一度行ってみた。住んでいるおばあさんとちょっと話した。やっぱり面白そうだな。調べてみようかな。

 元日に書いた「イムジン河」の本、やはり実家にありました。『べ平連のうた‐その発展の足跡‐』(芸術出版、1969年)という本でした。定価880円。それを僕は神田の山田書店(新刊古書を扱っていた店ですね。今もあるのかな)で350円で買ってました。このページには参考文献リストに挙がってました。17cmのレコード2枚が附録についていて、「機動隊ブルース」「栄ちゃんのバラード」「友よ」「うた」「We shall overcome」「俺は一生流れ者」「お父帰れや」「イムジン河」がはいっています。高石友也、岡林信康といった世界。1曲でも知っているかどうかで、世代的な線引きができそうですね。僕自身はこういったことを同時代人としては体験していない。その欠落感を知識で補おうとして、こんな本を古本屋で探していたあの頃。大学1年か2年だ。あーあ、ついこないだなんだけどなあ。

 

2002-1月1日(Tue) イムジン河

 あけましておめでとうございます。
 元日、といってもとくに何があるわけでもなく、お雑煮→年賀状読み→初詣で+おみくじ→遅いお昼御飯とやってるうちに薄暗くなっている。僕が子供の頃は、家に父親の部下の人が挨拶に来てちょっとした酒宴などあったものだけど、そういうことが普通の家庭からいつの間にかなくなりましたね。

 昨夜は、新聞で紅白歌合戦の出場者リストの中に「キム・ヨンジャ(3) 「イムジン河」」を見つけ、驚き、その部分だけを見た。「イムジン河」。御存知の方も多いと思いますが、朝鮮半島の南北分断を悲しんで
つくられ、かつては放送禁止等の処置を受けていた歌ですね。日本では、松山猛が訳詞をし、ザ・フォーククルセダーズが歌おうとしてやはり放送禁止、レコード発売禁止等になった歌。詳しいことはgoogleに「イムジン河」と入れてみてください。歌を聞けるページもあります
 僕自身は、もちろん(!)その時代よりは遅れて来た世代ですが、学生の頃、古本屋で60年代のフォークと学生運動の関係をビジュアルに紹介した本(実家にあると思うので今度みてみよう)を買ったらレコードがついていて、そこにザ・フォーククルセダーズ版の「イムジン河」が収録されていたんですね。なんて美しい曲だろうと思いました。
 その曲が、今回は「来年の日韓共催ワールドカップサッカー成功を祈って」ということで紅白に登場。もちろん悪いことではないと思うけど、妙な感じですね。 キム・ヨンジャという歌手のことは全く知りませんでしたが、その絶唱ぶりは僕が知っていたザ・フォーククルセダーズの静かな曲の印象とは違っていました。

 

2001-12月31日(Mon) 

 午前中、どたばたと掃除。 午後は長男を迎えに車で奈良へ。年末で高速はがらがら。
 
 芸工大の山之内さんからホームページをつくった旨のお知らせが掲示板に書き込まれました。みんな見に行きましょう。彼のキャラクターがよくでていて、なによりもそのことがおもしろいです。僕の隣の研究室は歴史のひとで、前任の光井さんといい、今度の山之内さんと
いい、みんな楽しい人ばかり。

 佐野真一『東電OL症候群』 (新潮社)を読み始めたが、母親や妹は彼女が売春していることを知っていたとのこと。うーん…。
 谷川俊太郎『ひとり暮らし』(草思社) 。高校生の頃から憧れて来た詩人の「老後」の暮らしぶりを読む。感慨深い。
 吉田武『オイラーの贈物』(ちくま学芸文庫)。紙に数式を書きながら本を読むということを久しぶりにやろうと思ったが…。でも、ぜーんぜん進みません。

 大晦日です。 いろんなことのあった1年でしたね。いやな事件が多かったなあ。来年こそ世界がもっと平和になりますよう。

 

2001-12月30日(Sun) 

 「次の住宅」、住まい手と打ち合わせ。すぐにどうこうという仕事ではないが、お正月休みに考えてもらう材料にと、平面図と小さな模型をプレゼントした。とても喜んでもらえた様子で、嬉しかったです。僕自身も気にいっている案なので、さてこうなると一刻も早く実現したくなる。うずうず。

 ここしばらく、上の子の東京に転校した友だちN君が冬休みに泊まりに来るのが恒例になっていたが、今年は下の子の風邪がまだ十分には回復してないので、逆に、N君が帰って来ている奈良のお父さんの実家へ行くことになる。ちょうど神戸に用があった先方が迎えに来てくれて、初めての友人宅へのお泊まりへ。夜彼がいないのは幼稚園のお泊まり保育と肺炎で入院したとき以来かな。ちょっと変な感じ。弟がさかんにお兄ちゃんはどうしたと尋ねてくる。

 

2001-12月28日(Fri) 

 朝、上の子が首が痛いと言って起きてくる。寝違えたようで、見ると頭が傾いている。「いててて」と叫びながら一日神妙に暮らしていた。下の子はまだ微熱。もちろんじっとしていられない。いろんなことがありますね。
 年賀状、完成。
 夜は山隈さんの事務所へ。次の住宅の件。
 建築マニア・H大学S先生から「沢田マンション発見せり!」のメール。さすが。
 住宅建築編集部・中村さんからは「12月15日」のLogbookの忘年会の主催者名が違いますよと電話。「建築思潮研究所」が正。もう直しましたが、「建築資料研究社」と「住宅建築」とが混ざった変なことを書いていました。スミマセン。正月明けに彼が来阪するのでGOさんとともに会うお約束。

 網戸を洗った。

 そういえばこの日記を書き始めて1年が過ぎています。とんでもないことが多かった1年です。

 

2001-12月27日(Thu) 

 下の子供が発熱。かなり高かったので病院へ。インフルエンザではないみたいだが、「予防接種はしましたか」と医者。以前よりも予防接種が推奨されているとは知っていたけど、当然しておくべきという雰囲気だったのでちょっとびっくり。少し熱が下がるともう走り回っている。
 大学と三宮で雑用。本のまとめ買い。年賀状。

 

2001-12月26日(Wed) インタビュー

 郵政木造建築研究関係で、近畿郵政局OBのHさんへインタビュー。実際に設計を担当された方なので、具体的な話をうかがうことができました。結構広がりがでてきたぞ。嬉しい。

 朝、「これから高知に旅行に行くんですが『沢田マンション』の場所を教えてー」という電話が、このページにちょくちょく登場する建築マニア・H大学S先生からはいりました。BBSでも話題のあの建物です。さすがS先生!今夜の宿へファックスも入れたが、さてうまく見つけてもらえるかな。

 『建築家・休兵衛』(伊藤ていじ、建築資料研究社) 。えーっ、吉島忠男さんてこんな方だったのか。
 『大学サバイバル』(古沢由起子、集英社新書)。先日九州芸工大へ行くときに読みました。今頃読んでも遅い?
 『小さな箱 鎌倉近代美術館の50年』 (神奈川県立近代美術館編、求龍堂)。今読んでいます。当時のスナップ写真がいいなあ。

 

2001-12月25日(Tue) 打ち合わせ

 山隈さんとやってる住宅の現場へ。外壁の ALCをはり終わり、これから内部へ。
 そのあと二人で彼の事務所に戻り、次の住宅の案づくり。今度は神戸の山の手。とはいえちょっと癖のある敷地で頭をひねりましたが、結構いいぞいいぞ。

2001-12月24日(Mon) クリスマスイブ

 わが家の改修第2弾。吹き抜けの階段をあがった左手の、和室やロフトの方へ抜ける穴の部分に引き戸をつけた。たった1枚の戸ですが、雰囲気が変わってとても面白い。次は、リビングから続くロフトの吹き抜けに床を乗せてみたくて仕方がないのですが、これはもうちょっと先のお楽しみ。



 庭のオリーブの木に電飾。

2001-12月23日(Sun) 忙しかった一週間

 ふう、またまたあっというまに一週間。今週は大学の用事ばっかり。
●12月17日(月)
 卒論の成績提出。自分のゼミ生の分と副査をした他のゼミのひとの分。論文として論理的な構造をもっているか、それが最大の評価ポイント。真面目に仕上げてあるけど結局こんなつまんないことしかやったことにならないんじゃない、というのは僕の評価は低いです。

●12月18日(火)
 午前中、入試委員会。午後、3年生の実習のエスキス。夜、学科の忘年会。3年目の幹事です。今年の会場
はここ

●12月19日(水)
 卒計中間発表梗概締めきり。学科会議。教授会。
 教授会終了後、恒例の芸術工学フォーラム。今回はファッションコースの見寺先生によるヨーロッパのファッションデザイン教育についての報告。ファッションって何なんだろうなあと改めて思った。とくにその評価と教育について。ユニクロや無印やコムサやGAPやらの服なんかはファッションデザイン教育の中でどう扱われているんだろうなあ。

●12月20日(木)
 3年生の最終講評会。朝10時から夜8時まで、です!上位の作品には十分に鑑賞に耐えるコンセプチュアルなものが何点かあり、嬉しかった。上出来、上出来。

●12月21日(金)
 4年生の卒計中間発表会。こちらも例年以上にコンセプチュアルものが鑑賞に耐えられそうなものになる気配があり、期待大。みんな燃え尽きてね!

●12月22日(土)
 九州芸術工科大学へ。1年生に20分の1の住宅の模型をつくらせる課題の講評会。力作ぞろいで感激。

2001-12月16日(Sun) いろいろあった一週間

 ふう。いろいろあった一週間でした。
●12月10日(月)
 ゼミ。明日からのゼミ旅行のこと、4年生の卒計、院生からのアドバイス。

●12月11日(火)遅いゼミ旅行1日目
 2日間、遅いゼミ旅行で岐阜に行って来ました。
 三宮集合組と十三集合組とに分かれ、車3台で計14名(学部7名(内・木村ゼミ1名)、大学院6名)。
 ・養老天命反転地(荒川修作+マドリン・ギンズ)
 ・羽島市役所(坂倉準三)
 ・岐阜県立森林文化アカデミー (北川原温)
 「養老天命反転地」は思いのほかよかったなあ。それぞれのモノの細部にまで意味がある。つまらないテーマパークとの一番の違いはそこでしょうね。遠くの町並や平野、山々との不思議な連続感が印象的。卒計だったら文句なく1等賞、そんな感じ。

養老天命反転地               坂倉さんのキャンチレバーの下で

 羽島市役所は1959年の完成。かっこいい。どうしてこの時代の建物はこんなに訴えかけてくるんだろう。
 隣の小さな集会施設もむかしの坂倉さんの設計で、これもよかった。空間とモノのそこかしこに「理由」があることを退屈だなんて言うべきじゃない、そんな気持ちにさせてくれる。坂倉さんが羽島の酒屋の息子であることは知っていたが、この建物の親切な職員の方が、
その「坂倉酒造」がすぐ近くにあることを教えてくれて、さっそく行って来た。なるほど立派な酒屋さんでした。「千代菊」を買って来ました。
 「岐阜県立森林文化アカデミー」は、この4月に開校したばかりの「木」の学校。わが家をいっしょに設計した三澤文子さんが教授として教えていて、「泊れますよ」「そのかわり何か喋って」、つまり一宿一飯の恩義にこたえるかたちで今回のゼミ旅行が実現した。「木」に関係ある話ということで松村正恒さんとその木造モダニズムの校舎の話をした。そのあと三澤ゼミの学生さんたちが鍋料理で歓迎してくれて、実に楽しい一夜でした。 この学校には、高校を出てすぐはいるコースと、大学卒業後はいるコースとがあるんですが、後者にはすでにいろいろな職業経験をもった人が集まっていて、実にユニークな学生さんの集団です。20代後半を迎え自分の今後の人生を描き直そうという意気込みに溢れています。久しぶりに真っ暗な空を見た。星が降って来そうだった。

●12月12日(水)遅いゼミ旅行2日目
 ・テクノプラザ(リチャード・ロジャース)

 うーむ、いかんいかん。カメラをカバンから出すことすらしない自分がおそろしい。現代建築不感症。
 ・IAMASマルチメディア工房(妹島和世)
 2年前の僕のゼミの卒業生・小野田君がこの学校の1年生で在籍しており、案内をかってでてくれた。とにかく建物は悲惨な状態になっているという噂ばかり聞いていたので、最初見たとき「案外と綺麗じゃないか」と思ったら、屋根の上は最近少し手を入れたとのこと。階段を降りていくと、うーん、なるほどこれはすごいことになっている。
 あっそうかと思ったのは上空の高圧線。これがあの位置であの高さを通っていたら、たしかに埋めたくなるよなあ。
 それにしても、きちんと設計し施工し監理してたら、同じアイディアをトラブル無しで具体化できたように思えて仕方ないですね。ともかく不思議。不思議と言えば、彎曲した例の屋根を支える細かな鉄骨梁の下端に小さな角パイプが溶接してあるのは何なんだろう。ガラスをはさんで室内外ともあるけど、誰かわかります?
 ・岐阜県営住宅ハイタウン北方
 やはり妹島棟がモノとしては一番かっこいいと思ったけど、あの住棟の「薄さ」も面白かったけど、でもまあそもそももっと普通の感じの団地できないのかなあ。みもふたもない感想。既存の古い団地の迫力に勝ててるだろうか。

●12月13日(木)PTA関係の講演会と3年生エスキス

●12月14日(金)東京・共同研究ヒアリング1日目
 麻布の郵政研究所へ。次のヒアリング先についての貴重なアドバイスを受ける。DOCOMOMO関西展にも出展されていた吉田鉄郎の原図も見せてもらった。それにしても建築的資料の保管状況の悪さよ!
 夜は、 同行した院生の波多野嬢といっしょに、ギャラリー間の坂本一成さんの展覧会へ寄ってから、表参道にある編集事務所・アイシオールへ。『コンフォルト』を編集していた女性編集者2人が始めた事務所です。近くのベトナム料理屋でみんなで食事。楽しかった。坂本一成さんの住宅は学生時代からの憧れ。一度実物を
見てみたいなあ。
 
●12月15日(土)東京・共同研究ヒアリング2日目
 郵政OBのKさんへのインタビューを江戸東京たてもの園でおこなった。貴重な資料をいろいろお借りできた。 同園に移築された前川國男邸。予想より小さくて愛らしい建物だった。
 夕刻、波多野嬢といっしょに建築思潮研究所の忘年会へ。両国。最初編集室へいって平良敬一さんに昨年のインタビューのお礼。平良さんの笑顔は童話に出てきそうなほどの可愛らしさ(スミマセン)。忘年会に集まった老若男女の建築家や写真家や編集者の方々も皆さんそんな雰囲気で、100人以上いたと思うのですが、両国の飲み屋の2階座敷きでいつの間にか始まり何のスピーチもないまま、わー、おーと盛り上がりそして突然終わった宴会は、まるで森の動物たちの集会みたいだったです(笑)。『住宅建築』って雑誌の雰囲気そのまま。

 

2001-12月7日(Fri) 敦賀へ

 木造郵便局舎を訪ねて敦賀へ。ありましたありました。これで8つ目です。山之内さんと院生・波多野嬢とのツアーもこれで3回目。またまた山之内さんが手作りお弁当とともにやって来た!今日は見事なサンドイッチ。いやはやすごいすごい。これなら「お母さんがかぜで くらしていくのが大変だった」と子供に書かれたりはしないんだな(11月26日参照)。

 東京芸大の光井さんから掲示板に久しぶりの書き込み。返事にも書きましたが、彼が12月8日(土)の22:00〜にNHK教育「国宝探訪:比叡山根本中堂」に出演します。みんな見ようねー!!知り合いの独身女性にも知らせよう!(笑)

 

2001-12月6日(Thu) 

 午前中、小学校でPTAの運営委員会。
 午後、3年生のエスキス。木造郵便局研究、ある方へのインタビュー申し込み。来週行く遅いゼミ旅行の調整。三澤文子さんが教えている岐阜の森林アカデミーへみんなで行きます。ついでに例のIAMASセジマなど見てくる予定。

 なんか淡々と流れてるなあ。

 

2001-12月5日(Wed) 

 学科会議。
 木造郵便局研究、8つ目の物件の見学申し込み。書面を求められてあわてて作文しファックス。

 

2001-12月4日(Tue) 

 3年生のエスキス。
 夕方、久しぶりに、建築マニアH大S先生登場。彼のお父さんが郵政にお勤めだったとのことで、今やっている逓信建築研究のための資料をもってきてくださった。感激。

 

2001-12月3日(Mon) 

 わが家「渦森台ハウス」の一部手直し工事。何をいじったでしょうか。正解者には、…。

 

2001-11月30日(Fri) ウィルス

 学内の共同研究の申請書完成。無事提出。なんとかパスしますように。お祈り。

 掲示板にも書きましたが、コンピューターウィルスがとびかっています。 今日午前中に、東京郵政局に送られたメールにウイルスがついていて、多くのお客にウィルス付きメールが自動的に送られるという事件があったようです。僕も、現在やっている逓信建築研究に関する問い合わせを同局に以前メールでやっていた関係で、この危険なメールが送られてきました。 「WORM_BADTRANS.B」というウィルスだそうです。夜になって、東京郵政局からお詫びのメールが来ました。いやもうほんとに身近に落とし穴があることを実感。

 

2001-11月29日(Thu) 疲れました、三日目

 3年生の課題の中間発表会。1時半頃から7時半頃まで。あ〜〜〜疲れました。こっちも出来不出来の差が大きいなあ。でも言いたいことはいいました。

 来年度の学内の共同研究の打ち合わせを某先生と。今度はちょっと変わったことやるよー。採択されるといいなあ。

 

2001-11月28日(Wed) 疲れました、二日目

 大学院の特別研究1、2の中間発表会。要するに、M2は修論の、M1はこれまでの活動や修論に向けての中間発表です。10時から夜7時過ぎまで。あ〜〜〜疲れました。出来不出来の差が大きいなあ。でも言いたいことはいいました。

 

2001-11月27日(Tue) 疲れました、初日

 午後、ずーっと3年生の設計課題のエスキス。8時頃までかかって、あ〜〜〜疲れました。でも言いたいことはいいました。

 

2001-11月26日(Mon) 連休明け

 3連休は妻が風邪で寝込み、子守りと家事。おかげで台所はピカピカになり、御飯の炊き方と目玉焼きとかき揚げうどんがつくれるようになりました。小4息子のクラスでは3連休にしたことを子供たちに書かせたらしく、そのプリントを今日もって帰ってきたが、「お母さんがかぜで くらしていくのが大変だった」と書いてあった(苦笑)。
 23日はPTAのお母さん方がやっているコーラス部の発表会が、住吉駅近くの「うはらホール」で開かれた。800席くらいのちゃんとしたホール。実に素晴らしい出来でした。ピアノの専門家がいらっしゃるとはいえ、うーん、またまた地域の中の女性の力に感心した次第です。

 最近読んでいるもの。佐野眞一『宮本常一が見た日本』(NHK出版)、徳川夢声『夢声戦争日記 抄‐敗戦の記‐』(中公文庫)など。後者は「中公文庫BIBLIO20世紀」の一冊ですが、このシリーズ とてもいいですね。シュペアーの『第三帝国の神殿にて』なんかもはいってます。

 ああそれから、この下の日記で初めて写真を貼ってみました。掲示板の方にもやってみました。院生のK君にやり方を尋ね、よくわからないまま家でやってみると何となくできました。たった1回貼ってみて思ったことは、とても面白いけど、これが癖になると大変だなあということ。未来の歴史家は資料がありすぎて困るだろうなあ。アラン・コルバン『記録を残さなかった男の歴史』(藤原書店)なんて本は、もう書かれないのか?!

 

2001-11月22日(Thu) 上棟式

 大阪の細長敷地の住宅の上棟式。鉄骨と鉄板床の施工はすでに終わっているのですが、住み手の方の都合で今日となりました。先日も書いた鉄板床です。初めて3階まであがりましたが、いやあ気持ちがいいです。周りの長屋の裏庭が連なっている様子が美しい。ああいう整った風景を見るとこちらが間違っているような気になります。

2001-11月21日(Wed) 

 会議の日、学科会議に教授会。
 教授会終了後、恒例の「芸術工学フォーラム」。教員が交代で自分の研究などを紹介しあう企画である。今日は僕らの学科の川北さんが、ここでの町づくりに芸工大の学生が参加している様子を、学生と共に情報機器を駆使して紹介した。セルフビルドというローテクな感じの行為を、きわめてハイテクな映像で見せてくれた。そういうツールの可能性が感じられてとても面白かった。

 

2001-11月20日(Tue) 

 2年生の住宅の課題の最終講評会。非常勤の吉本剛さんを含め全教員が揃いました。吉井歳晴さんまでが飛び入り参加。3年生の課題の担当なので残念ながら途中退席したが、住宅の課題は面白いです。
 院生と昨日の打ち合わせの続き。とにかく具体的に考えてほしい。

 

2001-11月19日(Mon) 

 院生とゼミ。修論の中間発表会が近づいてます。
 学生から「流星見ました?すごかったですね」と言われて、え?!午前1時頃屋上に上がって空を見ると雲がいっぱいで、ああこりゃダメだと寝たのでした。あのあと晴れたの?

 

2001-11月18日(Sun) 

 下の子供の4歳の誕生会。外でお昼、家でケーキとプレゼント。雑用続きの毎日だったのでいい休養。
 獅子座流星群は見えるだろうか。 ASA1600のフィルムも買ってきたぞ。

 

2001-11月17日(Sat) 

 午前中は大阪の細長敷地の住宅の現場へ。フレームはすべて組み終わっていて、今日は鉄板床を乗せている。鉄板床。わかりますか?ふつう鉄骨造の住宅くらいの建物では、水平面=床面の剛性は鉄筋の筋交いでとるのですが、今回はそれをやめて梁の上に鉄板を敷き並べて構造計算をしています。そのままではたわむので、鉄板の上面に箱型断面の部材をあるピッチで溶接し、それを根太代わりにして上の床をつくります。鉄板の下面は天井を貼らずにペンキを塗るだけ。つまり鉄板天井、磁石が天井につくのです。天井の高いすっきりした空間をつくリたいと考えました。初めての試みなので、どんなことになるか楽しみです。
 建物前面には4mのバルコニーを持ち出しています。さすがに鉄筋で斜めに吊ってはいるのですが、でも鉄骨造ならではの風景です。先日書いたように柱も細く、それが「鉄骨造」っていう感じを出しています。つまり柱は細いけど大きな空間が確保できている、っていうことが実感できる。200角くらいのボックス柱ではかえってこの感じは得られないと思います。自邸の鉄骨の前でイームズ夫妻が並んで立つ有名な写真がありますが、へへ、あれを思い出してしまいました。自画自賛もいいとこですが、そのくらいじゃなきゃね。今度山隈君と並んで写真撮ろうかな(笑)。

 柳々堂へちょっと寄りました。芸工大の鈴木学長の日記と僕らの学科の学生作品集を置いてもらっています。ぜひお買い求め下さいね。

 午後は小学校でPTA主催の音楽会。甲南中学・高校のブラスアンサンブルとTAKEOUT6というプロのアカペラのグループをお招きしました。入りも上々。大成功。

 

2001-11月16日(Fri) 卒論発表会

 卒論発表会。9時から6時半頃まで。疲れました。短い発表だから論文を読んでみないと本当のところはわかりませんが、でも、ピンとキリの差は大きいなあ。
 ゼミ室で簡単な打ち上げ。みんな御苦労さまでした。

 

2001-11月15日(Thu) 入試

 僕らの学科の入試。入試委員も2年目で少しは慣れたとはいえ、やはり気疲れします。

 

2001-11月14日(Wed) 鉄骨建て方

 今日は、大阪の細長敷地の住宅の鉄骨建て方の日。午前中行ってきました。 間口4m、奥行20mという土地なので、「幅」を少しでも確保したい。そこで125mmのH鋼を柱とし、それを2mスパンで細かく立てる構造計画になっています。木造だと120mm角の柱を1間=約1.82mで立てるわけですから、まさに木造のスケール感です。スレンダーでとてもかっこよいです。ふふ。

 午後は大学に戻って明日の入試の準備。

 今日明日は、掲示板にも書き込んでいただいたワークショップが芸工大で開かれました。ちょっとだけ顔を出して、夜、渡邉英徳さん田中浩也さんと飲む。こういうひとたちとずばずば喋るのって本当に楽しい。

 

2001-11月13日(Tue) 

 今日から3日間は推薦入試。今日は他学科の入試でわれわれは用無しのはずだし、学生は大学に入れないのですが、3年生の設計課題のミーティングを学園都市駅前の「UNITY」でやることになりました。なんて熱心な学科でせう(笑)。

 

2001-11月12日(Mon) 

 卒論提出日。わがゼミは全員無事提出。いつもは提出先の会議室前廊下で修羅場を繰り広げるやつが何人かいるのだけど、今年はあまりそんな風景がなかったなあ。

 

2001-11月11日(Sun) 

 妻や子供達の友人の家族も参加するフリーマーケットを覗きに行った。灘区の阪神・大石駅近くの公園である。神戸の下町。地震の被害が大きかった地区だ。公園には150人ほどの名前が刻まれた慰霊碑があった。お年寄りの姿が多い。公園内の公民館で地域の文化祭のようなものもおこなわれていた。手芸作品やお習字がはってある。パジャマのままの感じのお年寄りが覗きに来る。我が家の近所の幼稚園で開かれるバザーなら、まっ先に売れるようなかわいい子供服が多く売れ残っていたのが印象的。高齢化しているのだろう。夕方まで外にいて身体が冷えたせいもあるだろうが、ちょっと寂しくなって帰ってきた。

 掲示板にも書きましたが、以下の頁ぜひ御覧あれ。現代における、これぞ義。
 「 勝谷誠彦の××な日々。
 「勝谷誠彦臨時革命ペ−ジ

 

2001-11月10日(Sat) 

 午前中、上の子供の小学校の音楽会。感激した。今日の緊張感と晴れがましさを、子供たちみんなに覚えていてほしいと心から思った。 午後は東灘区PTAの会長会。ふー。

 

2001-11月9日(Fri) 

 昼過ぎから小学校でPTAの会議。
 そのあと大学へとんで行って卒論生の相手。ふー。

 

2001-11月8日(Thu) 

 受験雑誌の研究室紹介頁の取材を受ける。どんな記事に仕上がるのやら。

 3年生のデザイン実習講評会。指定された2つの地区からひとつを選び、そのマスタープランをつくった上で、それを実現させるための主要施設を設計するという課題である。その前半の、マスタープランについての講評会。現状の分析はできても次の提案は難しい。何作かはその困難を乗り越えあるイメージを伝えてくれたが、当然のことながら現実の描写に終わった作品も多い。ただし、プレゼの技術の向上には目をみはった。
 
 卒論の提出が迫り、最後の相談を受ける。文章力の有無なんだなあ、最後は。ふー。

 

2001-11月7日(Wed)

 学科会議、その他いろいろ。

 

2001-11月6日(Tue) リノベーションブーム

 最近買った雑誌や本から。
『室内』11月号は「ハウスメーカーに騙されるな 大手住宅メーカー30社徹底比較」という大胆な特集。メーカーからの反論を次号に載せるとのことで、楽しみ。 両者とも思いっきり喧嘩してほしい。
『住宅建築』11月号の特集は「そもそも、家づくりは他人任せにしないものだ!」 。住宅のセルフビルドのいろいろな可能性を集めている。みんなすごいなあ。山隈さんたちの長屋改造プロジェクトが巻頭を飾っているが、ほぼ仕上がった「阪田棟」の写真が主で、まあ誌面づくりとしては仕方ないかも。でも先日行ったとき僕が何より驚いたのは、まだバラしただけという状態で、そこら中瓦礫の山状態の「山隈棟」に漂うなんとも途方に暮れるしかないとでもいう感じだった。あれを見開きでバーンといくと、セルフビルドの大変さや面白さがもっと伝わったんじゃないかなあ。それにしても編集部の中村さんの関西人脈はすごいねえ。
・リノベーションについての本が増えている。 『リファイン建築へ‐建たない時代の建築再利用術/青木茂の全仕事』(建築資料研究社)『東京リノベーション』 (廣済堂)。ともに好企画。こんな雑誌や本を見ていると、我が家もいろいろやりたくなってくる。実はまだ釘1本打っていないのだ。先日山隈君に笑われた。おはずかしい限りです。
 建築以外では、『アインシュタイン日本で相対論を語る』(講談社)、佐野眞一『宮本常一が見た日本』(NHK出版)。

 

2001-11月5日(Mon)

 大学祭の後片付けで授業は休講。何人かの卒論の原稿をチェック。部分的に細かく直しを入れてあげて、ほかもこういう感じで見直しなさいとやるわけですがさてどういう仕上がりになることやら。

 

2001-11月4日(Sun)

 今日はお天気。家族で大学祭へ。どういうわけか上の子供(小4男)が例年これをとても楽しみにしていて、今日は風邪気味なのにどうしても行きたいと言う。しかし大学の駐車場に着いた途端にもどしてしまい大慌て。いやはや。

 

2001-11月3日(Sat)

 大学祭初日なのに冷たい雨。

 

2001-11月1日(Thu)〜2(Fri) 山陰郵便局巡り、幸せな旅

 2日間、島根県と山口県に行ってきました。逓信建築研究の一環で木造郵便局舎巡りです。収穫?大です。ふふふ。
 出雲で車を借り、途中津和野で一泊し広島で降りたのですが、運転していて印象的だったのは、津和野(これは島根県ですが)近辺で山口県内を走っているときの風景のきれいさでした。掃除がいきとどいている、部屋がきちんと片付いている、そういうきれいさです。道路とその周囲の町や自然とのあいだに目障りなものが少なく、そのこともきれいさを生んでいる要因のような気がしました。なにしろ気持ちよかったなあ。きちんとした暮らしぶり。松江なんかでも感じる空気ですね。
 最後に寄った町ではちょうど秋祭り。郵便局近くの神社でお神楽が奉納されていました。地元の方々に混じって見学。久しぶりに日本の秋を味わいました。
 お会いした郵便局長さん、あるいは局員さんたちの誠実さにも感激しました。僕らが探しているような局は当然かなりの田舎にあるわけですが、多くの局長さんは地元のかたで(おそらく地元の大きなお家)、20年も30年もその局を守っておられるようでした。郵便局が地域の中で重要な役割を果たしている。そのことを実感しました。役場とは違うサービスです。民営化をうかつに語れないなあ、そんな気分にもなりました。
 役場といえば、津和野町役場は古い建物を実にうまく改装して使っていて感心しました。津和野の町が「都市」的であることにも驚きました。とにかく気持ちの良い旅でした。

 

2001-10月31日(Wed) 編集者魂

 昨年度、大学の共同研究で、建築雑誌の編集者へのインタビューというのをおこないました。石坂嬢の『国際建築』誌についての修論もその成果のひとつです。この共同研究の報告書と修論とを、お話をうかがった編集者の方々に最近やっとお送りすることができたのですが、今日さっそくお二人からお手紙が届き、誤植等があるとの御指摘。さすがに厳しい!

 

2001-10月30日(Tue) 吉井さん

 明後日からの郵便局巡り旅行の準備。 3年生のエスキス。
 6時半からは学科主催の「トークセッション」で、吉井歳晴さんのレクチャー。彼は何ごとにもたいへん熱心なひとで、午後おこなわれた2年生の住宅の課題の中間講評会にまで参加してくれた。さらに大学に来る前に課題の敷地も見に行ってくれた。土曜日の「ゾウチク」展のシンポで会ったとき、「火曜日行きますから」「敷地も見に行きます」と言われ、まさか2年生の課題のこととは思わず、「あ、芸工大の近くに仕事あるんだ」と思っていた。いやはや申し訳ありません。とてもいいレクチャーで、2年生の諸君は、今自分たちが書いている図面や模型をもし実際につくったらどんな感じなのか、想像する手がかりを得たのではないだろうか。

 

2001-10月29日(Mon) ゼミ、ゼミ

 ゼミ漬けの一日。学部の卒論、大学院の修論とMIの中間発表関連。そのあとコンペの打ち合わせ。午後からずーっと夜8時まで喋っていた感じで、疲れた。院生とのお喋りは楽しいです。

 

2001-10月28日(Sun) 哲学者と

 三宮のジュンク堂(本屋さん)で友人のKさんにばったり。僕より少し若い哲学者(こう書くと嫌がられそうですが)。ケモノ道があるんだろうなあ、彼とは年に何回か必ずこのお店で偶然出会います。お互いの勤務先の大学のこと、逓信建築研究のこと、神戸の市電のことなどいろいろ立ち話。彼も買ったという『神戸の市電と街並』購入。

 

2001-10月27日(Sat) シンポジジウムのハシゴ

 2時から、ハービス大阪で「ゾウチク/建築の可能性展2001」の1回目のシンポ。竹原義二、中谷礼仁、工作隊、司会が宮本佳明の面々である。山隈さんが工作隊のひとりとして登場。「ゾウチク」を保存、改修、増築、減築等をひっくるめた言葉として理解すると、その有効性や面白さは自明のこと、諸外国では何百年も自然にやっている、だから設計者や事例ごとの細かな手法上の差異を議論してもつまらない、むしろ我が国における問題はこの優れた手法が有効な手法として理解されないことと、「ゾウチク」の対象に相応しいストックが壊され続け、一方で「ゾウチク」の対象に値しないゴミのようなストックが増え続けていることが問題、それをどうするのか、単に制度上の問題と尻尾をまくのか、それともこういう個的な作業の中から別の道を見い出し得るのか、そのあたりがこの展覧会の意味であり、問われるべき点だろうと思った次第。御指名があり、この前半を感想として述べた。
 そのあとは柳々堂さんのアーキフォーラム。今日は黒沢隆さんで、「われわれの今日と近代のゆくえ」と題したレクチャー。前半こってりと世界史の授業という様相となりどうなることかと思ったが、後半は建築の話に戻ってきました。またまた御指名があったので、黒沢さんの『個室群住居』(住まい学体系)の栞で書いた内容や生田勉と似ているような印象や逓信建築好みなどにふれつつ、近代との距離の取り方のニヒルさとして黒沢さんが語れるように思ったというなんとも曖昧な感想を述べさせていただいた。会終了後の飲み会では、黒沢さんの、うーむなるほど、意外というかナルホドというべきか、ここには書けない趣味のお話など聞かせていただき、ものすごく楽しかった。

 

2001-10月25日(Thu) わくわく

 我が家を施行してくれた工務店のFさん他来宅。少し手を入れる相談。ちょっとしたことでも、こういうのわくわくします。

 

2001-10月24日(Wed) 高校生と

 ある県立高校へ。1年生を対象にした進路指導の授業でよばれ、高校生相手に建築や都市の設計という分野について話してきた。最近の高校はこういうメニューを設けているところが多く、単に大学紹介ではなく、将来の進路や職業について、外部の人間の話を聞かせる機会を増やしている。今日もいろん分野の大学教員がよばれていた。もちろん、大学教員ではなく実務畑のひとをよぶこともあるとのこと。僕が高校生の頃には考えられないサービスである。
 20数名ずつ、50分授業を2回リピート。高校生にどんなふうに話せばよいか、ともかく具体的な方が良かろうと、自分の設計した住宅、日建のときやった音楽ホール(工事中の音響実験などもいれて)、ヨーロッパの都市、それとの関連で神戸の旧居留地のデザイン、大阪のアメリカ村や心斎橋のごちゃごちゃした風景、震災のときの町づくり活動のスライドを20分くらい映したり、住宅の模型や我が家の実施設計図を抱えて行ってそれを見せたりもした。完全武装、素手で校門をくぐる勇気がなかったわけです。自分の設計した空間が実際にできる嬉しさ、それを施主に引き渡すときの寂しさ、なあーんて、ちょっと浪花節も混ぜたりしました。 結構ちゃんと聞いてくれたんじゃないかと思います。
 
見ているとまあやはりいろんな生徒さんがいるわけです。先生は「そうそう希望を持てない時代でもあり、それが高校生にも反映しているのか学問への意欲を見出せない生徒もやはりいて…」云々、というお話などもされてました。 この2年間入試関連の委員をしているので、大学の宣伝も兼ねた訪問も含め高校生の前でこんなふうに喋る機会が何度かあったけど、僕はまあ多少の義務感にかられて引き受けています。面白い世界がいくらでもあんのよ、自分の頭で考えることが大事なんよ、いっぱい本読んだり映画見たりしとかないかんのよ、そういうことをなんとか伝えたいなあと思うからです。別に偉そうなことを考えているわけではもちろんなくて、ただ、「外部」の人間が言うと効く、ってことあるからね。

 大学に戻り、夕刻、前期僕の授業に参加してくださって以来すっかりお友達の建築マニア・H大学のS先生、久しぶりの登場。9月に青木君の『i』をいっしょに見に行って以来である。夏はオランダで自分の専門の資料探しに出かけられたが、言うまでもなく多くの(ほとんどの?笑)時間をオランダ近・現代建築行脚に捧げられた模様で、今日はその土産話をたっぷり聞かせていただけた。一度ゼミでレクチャーしてもらおうっと。なんせ「外部」の人からの刺激は「効く」んだから!

 

2001-10月23日(Tue) 宝塚→大阪→神戸

 宝塚で山隈直人さんといっしょに設計してきた住宅が8月末に竣工したのですが、久しぶりの御挨拶とその後の住まわれ方拝見というわけで、二人でお花を抱えて行ってきました。先方の奥様からいろいろな注文がでて、なかなか苦労した設計だったんですね。途中、仕事が没になりそうな場面まであり、山隈さんと「二人でやってて本当によかった。これは一人だとめげてたね」と何度慰めあい励ましあったことか。
 なので、実際に住んでみるとさらに強烈なパンチが飛んでくるのではないかとひやひやだったのですが、嗚呼、あれから幾星霜、いやあ、二人とも呆気にとられるほど喜んでおられて、ちょっと面映いというか、驚いたというか、でもとにかく嬉しかった。「ふつー」の居心地の良さ、結構できてました。

 午後は大阪の細長敷地住宅の現場へ。基礎のコンクリートを打ち終わったところである。改めて長い、と思った。更地のときより建築的な手がかりが生まれてくると「長さ」が強調されてくる。2階は、奥と手前とで「おおーい」と声を掛け合う感じになるんじゃないかな。楽しみ。

 そのあと大学へ。3年生の課題のエスキス。ふらふら。車で走り回ると半日でこれくらいはできる。

 

2001-10月22日(Mon) 卒論

 卒論についてのゼミ。残り時間あとわずか。これは自分にしか書けないことだ、というヒロイズムに酔ってほしい。

 

2001-10月21日(Sun) 子守り

 妻所用につきハーバーランドで二人の子供のお守。間がもたないので、まず「こべっこらんど」なる神戸市の児童施設へ。子供たちは人形劇やらを見にときどき来ている。中層のビルに遊戯室や音楽室、工作室や体育室などがはいっている。日曜日ゆえに親子連れでいっぱい。人間の多さのせいもあったけど、あまり居心地よくなかったなあ。貸しビルの中の大人向けのなんとか教室と同じ。子供の空間という発想のデザインがぜんぜんありません。この施設のホームページのデザインを見てもらえば容易に想像がつくと思います。あーあ、貧しいなあ。

 

2001-10月20日(Sat) 対照的なふたつの・・・住宅(観)

 大学で「つちっこ」の現場に顔をだし、青木君ともこのプロジェクトについて話したことなどを伝えました。「つちっこ」ってなんだ?と思ったアナタ!ぜひこのページを覗いてやって下さい。

  昨夜も一緒にいたYMKM君こと山隈君が京都工繊大のSKTさんと大阪の某所で自力改修中の長屋の現場を見せてもらいに行ってきました。いやー、すごかったなあ。昨日の僕の話なんて吹っ飛んでしまいますね。彼の核のようなものがやっとわかってまいりました。筋を通す見事さ。みんな楽しみにねー。

 

2001-10月19日(Fri) 対照的なふたつの・・・思考

  建築協会の企画で「つながるということ 渦森台ハウスの共同設計で見えてきたもの」と題して、三澤文子さんと対談。我が家の設計プロセスと現在の様子など、ふたりで報告した。たった一軒の家について、また、たった一回の共同設計体験について、わざわざ来て下さる方に意味のあるどんな話ができるのか、自分でも疑問が解消しないままの本番で、僕としてはなんとも不安だらけの会でしたが、まあなんとかなったか、な。
  しかし考えてみると、自分が設計した建物について、授業以外で人前で話すのはほとんど初めての体験でして、正直言って奇妙なものだと思いました。多くの建築家の方々はこれをよくやっておられるわけなんだなあ。「説明」に徹するひとがいるのもわかる気がしたと同時に、そのずるさも改めて実感した次第。
 
 今日は青木淳君が来阪し、近畿大学で講演。上記企画と重なってしまい行けなかったのは誠に残念だったが、双方お仕事が終わったあと梅田で飲みました。同級生で阪大にいるSZK君、彼の研究室の後輩で現在武庫川女子大にいるNSD君、それにいっしょに設計しているYMKM君。5人で大阪の夜景を一望するゴージャスな場所で、
あーだこーだ。青木君との議論はいつも、「つくる」という視点から僕の分析的思考を再チェックするこの上ない機会である。朝までやっていたいような話だったけどそうもいかず。久しぶりに大阪からタクシー。

 

2001-10月18日(Wed) 気が晴れるのは

 昨日からぐっと冷え込んできた。昨年度の共同研究でやった建築雑誌編集者へのインタビュー等のレポート整理。逓信関連、思わぬ資料到着。教授会。
 最近、青木君、鈴木君とメールのやり取り多く、どんなに短いメールでも、気が晴れる。山隈さんと電話やメールで打ち合わせ。これも楽しい。 気が晴れるといえば、ぼくは理学系のひとたちの日常をこういったページで楽しませていただいていて、そこではほんとに気が晴れるんです。

 

2001-10月16日(Tue) ほんとうに驚いた

ある公的な集まりで懇親会を兼ねて原子力発電所見学をしてはどうか電力会社がそういうツアーを組んでいるから知り合いがいるからという提案がいつの間にかありひとり2000円でお食事付きの結構な日帰りツアーで電力会社の若い社員がそのスケジュールを説明にきてぼくはあまりのことに驚きいまどき原発の見学会をこういう集まりでやるなんて良識を疑うしなにより個人で行けば何倍もかかるだろう費用の大部分を電力会社が喜んで出すようなツアーに行くなんて「たかり」も同然そんなことをするべきではないと主張し電力会社の若い社員にそちらの会社では風力発電所ももっているはずでそういった地球にやさしい場所へのツアーは組めないのかと問うとまず原発は二酸化炭素を出さないから地球には優しいんですと答えたうえで原発へのツアーなら会社の予算があるんだがそれ以外の場所へのツアーには予算がないんですとこのツアーがあきらかに原発宣伝キャンペーンの一環であると言ったも同然ぼくはますますあきれてしまい食事の内容を問う質問などまだかわいいもので原発に賛成だとか反対だとかは行ってみないとわからないでしょという他の方の興奮気味の的はずれ発言にさらに驚きそんなことを言ってるのではなくわれわれがやろうとしているのは外務省接待費横領と全く同じ単なる「たかり」なんだということがどうしてわからないのか電力会社の若い社員は行きのバスではアルコールはご遠慮くださいなどと冗談のつもりなんだろうけどあまりに呑気な発言をし原発の安全性がこういうひとたちを含む組織によって守れるはずはないと確信するしかなく結局ツアーは中止になったもののすべてがあまりに情けなく、悲しかった。

 

2001-10月15日(Mon) 卒論

 ゼミ。論文の基本的な作法、マナーについて解説。卒論、進んでいる人もいない人も、今ほかのことを考えちゃダメです。思い出すなあ、自分が卒論書いてたときのこと。世田谷の下宿に閉じこもり、朝までやって仮眠して、近所の喫茶店でオムライス食べて、今ぼくはすごいことを考えていると信じていた。若さ故のいろんな悩み(苦笑)を抱えたまま、ともかく文章を書き進むことだけに集中するヒロイズムに酔っていた。もちろん今から思えば呑気な温室育ちの自己満足に過ぎないのだが、でもとにかく楽しかった。

 

2001-10月14日(Sun) 東京から帰って

  12日、13日は東京。逓信建築研究の一環で、郵政事業庁など、霞ヶ関、日比谷めぐり。内田祥哉先生他へのインタビューもおこなった。原図、写真等、資料の消滅は想像以上。急げ急げ。
  東京の地下鉄構内には警察官が立っていた。テロ対策。13日の最後は、数寄屋橋交差点を不二家2階の喫茶室から見下ろしていたが、この群集の群れの中で何かが起きたらどうなるだろう、そんなことが頭をよぎる。何も特別なことをしないこと、ただ淡々と過ごすこと、休日の都市の幸福な時間を守ること、そういった勇気こそが大事なんだと思った次第。

 今日は久しぶりの休日。東京の疲れもでて、ぼーっとしてた。散髪、青木君や鈴木君とのメール交換。少しひんやりとしてきて、部屋の中の暖かさがきもちいい。
 この下に載せたPTA用の文章、今日最後の段落を手直ししたので、Logbook掲載分も直しました。念のため。

 

2001-10月10日(Wed) いろいろ

 逓信建築研究、ある郵政局から当時の図面が届く。昭和25年。ほほー、なるほどなあ。
 学科会議。 特別講議、東大の鈴木博之先生。
 母親が入院。
 深夜、NHKで北海道のえりも町で僻地医療に11年間従事した女性医師のドキュメンタリー。見事な生き方である。思わず我が身を振り返る。アメリカによるアフガニスタンへの爆撃が続いている。空しい。
 僕のゼミの4年生が京大の大学院に合格。よくやった!おめでとう。M1の院生は友人とあるコンペの佳作にはいった。おめでとう。ともに女性。

 小学校のPTAの新聞に短い文章を書かされていまして、今回で3号目。タイトルは編集係さんから指定の「運動会」です。書いたあとで妻に見せるとお弁当事情はいささか違いました。学校や地域によるみたいですね。皆さんの場合はどうでしたか?
                     ■
 子供が渦小に入学し、1年生の運動会のときのこと。初めて「今どきの小学校の運動会」を身近に知って私が一番驚いたのは、お昼御飯が家族と一緒のお弁当だったことでした。てっきり給食だと思っていたのです。新聞やテレビで、今の小学校の運動会に奇妙な「平等」の原則がはいり込んでいるという報道を見聞きしていた私は、ずいぶん古風なやり方を守っているなあと驚きました。
 私が小学校の前半を過ごした昭和30年代後半の田舎では、校庭にござが敷かれ家族みんなでのお弁当でした。赤ちゃんからお年寄りまで集まって町を挙げてのイベントでした。ところが小学校の後半、昭和40年代初めの地方都市に転校すると、子供たちは教室でみんな同じ給食を食べて、親は一旦家に戻りました。子供心に不思議な気がしたことを覚えています。かけっこの賞品どころか、順位づけも無くなっていました。
 もちろん御夫婦共に仕事をお持ちで給食希望の方だっていらっしゃると思います。お弁当にこだわっているわけではありません。ただ、人間のあいだの違いをあまり否定的にとらえるのではなく、そういう違いを認めあう場として運動会が演出できたらいいなあと、お弁当を食べながら思ったことでした。

 

2001-10月9日(Tue) ちょっと前進

 逓信建築研究、インタビューの申し込み、等。少しずつ前進している。嬉しい。
 AO入試関係の仕事。

 

2001-10月8日(Mon) こんなささやかな

 下の子供の幼稚園の運動会。小さな子供たちが懸命に走ったり踊ったりして、それを見ている大人たちが優しい気持ちになる。こんなささやかな幸福と、アフガニスタンの空爆とが世界に同時に存在しているなんて。

 

2001-10月7日(SUn) 怒濤の1週間

 あー、いろんなことのあった1週間。日記更新の余裕もなくて、まとめ書きです。

●10月1日(Mon)
  後期の授業開始。学部と大学院それぞれのゼミ1回目。学部は10名中7名の顔が並んでいて、2名は欠席の報告あり。あれ、もうひとりは?と怪訝な顔をした(んでしょうね、きっと)ら、Y嬢がすかさず(あきれたように?、笑)「Mさんですよ」と(たしなめるように?、苦笑)教えてくれた。あー、ごめん、Mさんはこの夏から香港の大学に短期留学に行ったんだ。夏休み中、先方の大学とあれこれ調整に手間取った様子など国際交流課からのメールでたあーっぷり聞かされていたのにこの始末。Mさーん、覚えてるからねー(笑)。家に帰ったら、さっそく香港のM嬢からメールが来ていた。ははは…。
 学部生は卒論についてこの夏の進捗状況の報告。みんなまだまだ! 院生とは 、M2は修論の状況、こちらもまだまだ。M1はそろそろテーマ決めの必要ありとハッパかけ。 2時から夕方まで久しぶりにガーガーやって、どっと疲れた。
 夏休みの宿題であった共同研究の報告書を無事提出。建築雑誌の編集者へのインタビューの記録です。面白いです。貴重です。どこかの雑誌、企画立てませんかー!Nさーん、Hさーん、Tさーん。


●10月2日(Tue)
  今学期担当する3年生の設計課題の出題。垂水と元町からかなり広い地域を2つ指定し、どちらかのマスタープランとそれを実現するために必要となる主要な建築等を詳細設計するという2段構えの課題である。問題を学生自身が発見することが求められる。みんな!難しいけど頑張ってね。卒業研究に向けての総決算だよー。

  2年生は「住宅」の設計課題がスタート。こちらは僕は担当しない。が、今年から友人の建築家・吉本剛さんに非常勤で参加してもらうので、今日は僕も学生に混じって彼のスライドレクチャーを聞きました。吉本君はとてもすぐれた人だからねー、みんな、たあーっぷりいろんなことを吸収するんですよ。

●10月3日(Wed)
 郵便局探しの日帰りの旅へ。と書いてもよくわからないでしょうが、逓信建築研究の一環である。同僚の山之内さんと院生の波多野嬢の3人で、パリ・ダカールレースのようなドライブをしてきました。紀伊半島の山奥です。ありましたよ、ありました!うれしー。でも運転は疲れました。料理好きの山之内さん(←男性)が3人分の手作り弁当を用意してくれていて、いやもう感激。松茸御飯のおにぎり、筍の煮たの、甘く味付けした卵焼き、ほうれん草と卵とベーコンの炒めもの、鳥のから揚げ!おまけに、紙皿、割り箸、スプーンにウェットティッシュまで!

●10月4日(Thu)
 午前中はPTAの運営委員会。僕は今年、子供の小学校のPTA会長をやっています。自分でもなんとも信じられないし、誰に言っても笑われます。でもほんと勉強になります。建築やってるひと、1回は経験しておいて絶対に損はありませんよ。
 午後は大学で郵便局探し。あったぞ、あったぞ。

●10月5日(Fri)
 大学で郵便局探し。All JAPANでの一応の結果が出ました。「結果」といっても何のことだかわからないでしょうが、まあ要するに骨董品探しです。それにしてもインターネットがこれほど役にたつとは。
 夕方は日曜日のキャンパス見学会の準備でばたばた。

●10月6日(Sat)
 大阪芸大へ。設計課題の講評会のゲストです。吉本剛君と。とても面白かった。こういう機会は僕にとっては絶好の頭のトレーニング場。初対面の学生の前で、自分がつくったのではない課題への彼らからの答えに対し、きわめて短時間で批評の枠組みをつくらないといけないからです。 今日は結構上手くいったのではと思います。何かを言い残したという感じがないからです。あらかじめ選ばれた8作品についてだから1時から始めて5時には終わったけど、でも身も心もぐったりです。そのあとそのまま大阪芸大でのSDレビュー大阪展のオープニングパーティーへ。続いて近くの飲み屋で与太話。帰りは吉本剛さんの車に乗せてもらい、病気と子供についての失敗談でふたり大いに盛り上がっていたら、名阪道路を名古屋方向!へ走っていた。ははは。

●10月7日(Sun

 キャンパス見学会。入試委員2年目で、われながら高校生や御父兄相手のトークにすっかり磨きがかかってきた、と思いますね(笑)。自分の道を探そうとする若者の姿は美しいです。でも、疲れたー。

 鶴見俊輔さんの『教育再定義への試み』(岩波書店)を読んでいます。小さな本だけど、鶴見さんの言葉の喚起力とでもいうものが、いつも以上に、きわめて強力に、しかも美しく立ち上がっていると感じました。エピソードやアフォリズムのもつ力。子供のこと、教育のこと、教師のことを考えていく作業にはまだ十分に希望がある。そんな気持ちになってきます。
 それから、今月は『住宅建築』10月号『大阪人』11月号が必見です。『住宅建築』は文字組みが横から縦に変わったのです。従って開き方も逆転。読者層の拡大とかいうねらいもあるのかもしれませんが、僕はすっかり気に入りました。とにかくとても読みやすい。それから、意外にも『住宅建築』では初めてというキッチン特集。しかも、建物じたいに目がいくものが集められている。相変わらずの取材力。初登場の物件も多い。とにかく情報量が多いです。要するに読むところがいっぱいある。
 『大阪人』は「古書店&個書店」という特集です。関西に住んでて東京が羨ましくなることのひとつが古本屋の少なさですが、これをもって回ってみたくなりました。柳々堂さんも紹介されています。「小さな大書店」。とても上手な紹介です。