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「動く山」アジアンデザイン研究所国際シンポジウム=要約レポート

2010年07月26日 国際交流 アジアンデザイン研究所

http://www.youtube.com/watch?v=8QP1v3yVnkU

「動く山」のシンポジウムが開催された…

◎2010年、6月12日、快晴。神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所の開設を記念する、第一回国際シンポジウムが、吉武記念ホールを会場として開催された。

◎テーマは「動く山—この世とあの世を結ぶもの」。アジア各地で今なお盛んに曳きだされる山車、「聖なる山」を模す山車は、「動く山」として祭礼の場に神の力を招きよせ、ときに、死者の霊を天界に向けて送りだす。

活気あふれるアジアの山車文化に多彩な視点から迫り、山車がもつ今日的意義を追求しようとするシンポジウムの皮切りである。

◎今回は中国、バリ島、イラン、インド、タイで曳きだされる山車紹介に加えて、なぜ人々が山を崇め、山や森を模す巨大な造り物を曳きだすのか…について考察する。さらに山車が意味するもの、各地の山車が示すその造形の多彩さについての、討議を加えている。

 

シンポジウム午前の第一部で話されたこと…

◎シンポジウムは、齊木崇人学長と杉浦康平所長のあいさつで始められた。

◎アジアンデザイン研究所の重要性、その研究成果をデザイン都市・神戸から発信する意義、未来のデザインに向けて国際的ネットワークづくりのコアになること…など、研究所開設の目的と(→ホームページ、別項参照)、今後の活動方針についての抱負が語られた。

◎ひきつづき、各講師の発表に入る。その内容の要約を以下に記す。

 

(1)=午前の部

黄国賓………「中国・祭礼の鼓亭、抬閣。竜が運ぶ山車」

◎中国各地の祭りでは、「抬閣」、「鼓亭」などと呼ばれる山車が、数多く曳きだされる。「抬閣」とは、よく知られた古い戯曲の登場人物を演じる子どもたちを長い竿の上に乗せ、それを担いで練り歩くもの。「鼓亭」は、祝いことや連帯の意味をこめて叩かれる太鼓を収めた、楼閣式の華麗な装置である。ともに、中国の祭りに欠かすことができないもの。

◎清代の「天津天后行会図」には、数多くの抬閣、鼓亭、輦車が描かれているが、この絵巻と同じものが現代中国の寧波市前童鎮で行われる元宵節でも曳きだされ、その姿を現実にみることができる。

◎鼓亭には、軒層ごとに噴水紋、魚紋、葫蘆(瓢箪)文などの共通する装飾がみいだされる。これらの文様は、漢代から伝わる崑崙山思想に深く関係するものと思われる。

◎崑崙山は、中国人のさまざまな幻想が託された想像上の宇宙山で、不老不死の神仙世界、死後の霊魂が行きつく場所であった。また、黄河の源流に崑崙山があるとされ、葫蘆形の湖の口から黄河が流れ出ているように描かれた地図もある。古代中国人にとって崑崙山と葫蘆は同一もの発音ともであり、崑崙山は豊かな水が溢れでる聖なる山でもあった。

◎前童鎮の人々は、鼓亭、抬閣という二つ山車を担ぎ曳きだすことで、此岸と彼岸を結びつけて祖霊と出会い、崑崙山の不老不死の力が常に村の人々を活気づけ、村の繁栄や豊作をもたらすことを願っていたのだと考えられる。

 

ナンシー・タケヤマ………「バリ島の神輿。山と水の象徴性

◎インドネシア・バリ島。聖なる山。アグン山の麓にあるブサキ寺院(Pura Besakih)は、バリ島で最も神聖な場所であり、母なる寺院とされている。

◎このブサキ寺院で曳きだされる神輿の造形について、報告する。

◎マラスティ(Malasti)儀礼は、バリで最も大きな祭りの一つで、210日周期のウク暦(Wuku)に基づく新年の祭りにあたる。この日には村をあげて再生や、平穏と、繁栄を願う祭礼を行い、新しい年の始まりを祝う。この祭りでは、神々は天界から下りてくるように求められ、それぞれの神輿に鎮座して、みそぎのために近くの川へ、海へと運ばれる。マラスティ儀礼には22台の神輿が担ぎだされるが、ブサキ寺院を構成する22の寺院を表わしている。

◎これらの神輿のデザインは、バリ島の宇宙観、秩序(方位、色彩など)と密接に関連し、造形される。さらに、この神輿は動く「神の玉座」とされ、「パドマサマ」と呼ばれる。

◎台座には一匹の亀と、亀に絡まる2匹の龍(蛇)が彫りだされている。このモチーフは、龍と亀の授けをえて大海を撹拌し、生命の水(アムリタ)が生じたという、バリ・ヒンズーの神話(乳海撹拌神話)にむすびつく。マラスティ儀礼の神輿は、善と悪とのバランスの上で成り立つ、バリの宗教的世界を表現している。

 

モジュガン………「イラン殉教者を称える生命樹の山車」

◎独特の形をもつイランの山車は、「ナフル」と呼ばれ、聖者の殉死を追悼する祭礼の日に担ぎだされる。イラン東部に、ゾロアスターが植えたと伝えられるイトスギ(cypress)の樹があった。

◎アッバース朝(750-1258)時代、王の命令で、このイトスギが伐採された。このことをきっかけにして、当時の人びとの間で聖なる木への追悼の念が高まり、深い嘆きに包まれた、聖なるイトスギの儀式が始まることとなった。

◎この儀式は、殉教したことで永遠の生命をもつ人びとの、勇気と力強さを称えるためにも行われる。

◎シーア派の初代指導者の息子であるホセインは、家族らとともに戦いで亡くなった。ホセインが殉死した日に、彼を象徴したナフル(山車)が現われ、人びとの肩に乗せられ、敬意をもって担がれるのである。

◎ナフルは、2つの大きな垂直の平らなアーチを、水平の長い横木でつないでいる。アーチは木製で、いくつかの大きさの網目があり、その端は上部で一体化している。

◎ナフルの一般的な形状は、イトスギの木によく似ている。イラン中部の都市には、多くの種類のナフルが存在する。ナフルは、永遠の生命、および象徴的にそれを表わした人々を示すために、美しく作られている。

 

(2)=午後の部

杉浦康平………「山は動く。聖なるもののダイナミズム」

◎「山車」は、神を招き、神をもてなす「巨大な山」の造りもの。人々の背に担われ、車で曳かれる「動く山だ」。一瞬にして出現し、一瞬にして消滅する巨大な山の不思議は、見るものに、神威の顕れを強く実感させる。

◎アジアでは古代から、神々が降り立つ聖地、仙人が住む桃源郷や祖先霊が集う冥府として「山を敬い」「山を拝む」。多量の浄水を産み出す山は、豊穣の母体として「崇め」られた。山中に出沒する妖怪変化に人びとは「畏れ」を抱く。天と地を結び聳えたつ山は、「宇宙山」の存在を感じさせる。

アジアの山車の造形、その出現と消滅には、山にまつわる豊かな意味が託されている。

◎山頂に伸びたつ、垂直の木。人びとは直立する木(真柱)を担ぎだし、街中を巡行した。直立する木は神を招く依り代となり、神輿や山車の原形となる。山車の中心に聳えたつ真柱は、「宇宙樹・生命樹」に見立てられる。日本の山車はさまざまに工夫をこらし、江戸中期(18世紀ごろ)からその形を千変万化させた。

◎「動く世界遺産」とも呼ぶことができる日本の山車は、約1000年の歴史をもつ。インド・中国をはじめとするアジアには、遥か古代へと遡る豊かな山車文化がひろがっている。

◎アジアの多彩な山車文化の比較研究は、単に「カタチ」の相関に光をあてるだけではない。山車にまつわる「文化的・神話的・象徴的な意味」が浮かびあがる。さらに、アジアの人びとが育んだ「人間観・自然観・宇宙観のひろがり」をも解き明かすことになるのである。

 

キルティ………「インド寺院の山車。巡行儀礼が示す宇宙性」

◎インドでは、重要な祭礼を行なうときに、寺院のまわりを回る行道が重んじられる。その折に、特別に建造された山車(馬車)に神像を納め、町中を巡行して担ぎ出すという伝統があり、「山車祭り」と呼ばれている。その起源は非常に古く、3000年以上前にさかのぼる。

◎山車(馬車)は寺院と同じくらい重要で、奥深い象徴的意味をもち、時間的にも構造的にも「宇宙的現象の動的秩序」を表わしている。

◎インドでは、寺院は、「宇宙の写像」として建造される。それは、インド哲学における神性の概念、および崇高な秩序の表現である。静的な形をもつ寺院が石のなかに固定された宇宙の「静的な秩序」を表わすのに対して、山車は宇宙の「動的な秩序」を表わし、山車の下半分は宇宙を移動するための車輪にあたる。

◎山車祭りでは、山車の台座のうえに、動かない寺院に相当する仮設の天蓋を組み立てることで、宇宙の全体像が完成される。寺院と山車の形は非常によく似ており、寺院が山車(馬車)としてデザインされた多くの例が見いだされる。山車と寺院は、同じ秩序、同じ現象の異なった表現に過ぎないのである。

 

シマトラン………「タイ王室の葬儀車。霊魂を天界に運ぶ」

◎葬儀車(Racharot)とは、タイの国王の遺骸を王棺に納めて運ぶ、王室専用の聖輿である。御大葬の行列で曳きだされ、今日まで、タイ王家の古い伝統として継承されてきた。タイ現王朝の初代王ラーマ1世が、18世紀末に4台の葬儀車を建造するよう命じたことに始まるといわれている。

◎葬儀車は、2層か3層の正方形の祭壇をもつ。台座の正面はナーガ(Naga)の頭、後部は尾の形を模す。葬儀車の最下部はナーガを捕えるガルーダ(Garuda)の姿でデザインされる。台座には合掌する神々の座像が数多く刻まれている。葬儀車の台座は、宇宙の中心であるメルマー(須弥山)、を象徴している。その上に置かれた玉座は、須弥山の頂上にある神の住処(天界)を意味している。

◎ヒンズー教の教義に従い、タイの國王は天から降下したヴィシュヌ神の化身とされる。国王は不滅の生命をもつ神なのであり、崩御の後に神の住処へと回帰することになる。

◎タイの国民は、偉大なる国王と王室に敬意をはらう。そのための乗り物としての葬儀車は、メルマー山(須弥山)および天界(神の住処)への、想像的な信仰に基づいて建造される。この造形には、神としての国王を天界に送り届けるという、象徴的意味が込められている。

 

(3)ディスカッション

キルティー+シマトラン+齊木+杉浦………「アジアのかたち、デザインの可能性」

【キルティ】

◎今日紹介されたアジア各地の山車の造形を見てみると、非常に多様性があるにもかかわらず、共通性が見いだされる。人間としての共通の精神的な基盤があるのだと思う。

◎アジアのデザインには古い歴史がある。ぞれぞれの固有文化の中から必要に応じて表現したい神話的な主題をとらえ、文化圏ごとの造形語法を駆使して表現してきたのだと思う。

◎今日の世界には技術的な可能性が数多くあり、さまざまな表現方法が開発され、互いの文化を交流することもできる。私たちはそれを駆使して、人間性に深く根ざした新たなるものを、つくり出していかなければならないと考えている。

【シマトラン】

◎オリジナルアートには、インスピレーションが非常に大切である。このインスピレーションから芸術やアートが生まれてくる。デザイナーやアーティストはインスピレーションを発想の源とし、未来へと向かっていかなければならない。

◎変革を巻き起こすためには、神話的な力が必要になる。デザイナーやアーティストには神話的な力を学びとることが必要になる。だが、過去の遺産への知識があまりにも大き過ぎるため、私たちは知識よりもインスピレーション、そしてビジョンに重きを置いて考えていく必要があるのではないかと考える。

【齊木】

◎アジアの山車が、じつに多彩な表現をもつことに刺激を受けた。山車にはその形を生み出すための物語があり、言葉では表現しきれない独自の造形が数多くある…ということを理解した。

◎確かな自然観、精神的基盤、アジアの宇宙観…。アジアの中ではそれぞれの地域での違いがあるにもかかわらず、1つの体系の中でとらえうることがわった。宗教観や価値観、情報、経済などと混在し、まざり合うことで、すばらしいデザインが生みだされきたのではないか…。

【杉浦】

◎山車はマウンテンフロートと訳される。インドの山車の造形を見ると、まるで、一粒の種が空中に浮いているかのような形に見える。タイの国王の葬儀車は、空中に浮いているかのように設計した…というシマトランさんの話があった。

◎空中に浮く…ということは、「重力の否定」である。重力は人間をこの地球に縛りつける、目に見えない重要な力で、私たちはそれに縛られてこの地球上の日常を生きている。重力を感じとる感覚は、私たちが持っている自らの肉体に由来する。一方私たちの心は、修業し、心をとぎ澄まし、気持ちのいいことに触れると心の中が浮き浮きする。重力を脱した心の中にひろがる、脱重力の感覚である。

◎山車の造形について考えるとき、その形は、私たちを縛りつけている物理的な、外に広がる目に見うる世界での造形ではなくて、むしろ、私たちの心の中に広がる目に見えない世界の造形物、何か心を純粋なものへと運びあげる、特別な形のように見えてくる。

◎今日、さまざまな国の山車の造形を見てとりわけ感じたことは、目を開いてみる外の世界だけではなくて、人間には目を閉じて心を静めたときのフローティングの感覚、この世界のユニークさ、重要さに目覚めた造形がありうる…ということであった。

【齊木】

◎きょうは、予想以上の刺激があった。これまでは個別に理解していた事実が、じつはその中心をつなぐ大きな軸があることに気づかされた。アジアはほんとうに恵まれていて、多様な自然の姿が私たちの環境をしっかり包んでくれている。そのことが、確かに自然観を共有できる重要な基盤になっているのではないか。アートやデザインの力で、これまで分離しすぎていたものうまくつないでゆく…という仕事が、これから出てくると思う。

◎ただし、今日の時代に求めなければいけないことは、限られた資源やエネルギーをどのように分かちあいながら、豊かに暮らせる社会を生み出すか…ということである。アジアには、そういう目標に到達しうる知恵がたくさんあるのではないか。

(整理/今村文彦+杉浦康平+黄國賓 写真協力/蔡錦佳)