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花田→皆さん

2010年12月 8日 01:29【青・花×登録者 エスキス

花田です。
木枯らしの吹く神戸です。
12月11日(土)の最終講評会が迫ってきました。
入賞者の皆さん、その後の進み具合はいかがですか。

このエスキスコーナーへの書き込みは思ったほどは増えませんでしたが、ま、こんなものでしょう。
1年目と2年目の経験からすれば、ウェブ上でのやり取りの量と作品の質はあまり関係ないともいえますから。
身もふたもない言い方ですが、教育ってそんなものです。

一方、日常的に顔を会わす芸工大の諸君とは色々な話をしています。
芸工大からは5人が入選していますが、そのうち3人とは具体的な案を見せてもらって話しをし、案を見せてくれない残り2名のうち、1名については噂で少し漏れ聞いています(笑)。

こういうときの学生諸君の振る舞いは本当に面白い。
下手に見せると何を言われるかわからない。
でも、ちらっと反応は見てみたい(笑)。
気持ちはよくわかります。

けっこう面白いなあと思った案もありました。
先日の応募案のイメージから、「建築」へとそれなりに話を展開できている。

そういう案を見ていて改めて思うのは、この課題の特徴です。
先日このコーナーに書いた通り、学生諸君の建築を考える「姿勢」が変化していることがわかるからです。
それは、言ってしまえば思考の「青木淳」化であり、彼の言う「決定ルールのオーバードライブ」の実践ということになります。

青木君の真似がうまくできたとか、そんなことではありません。
青木君は、その真似をするのが最も難しい建築家のひとりでしょう(どんなデザインをすると青木風に見えるか、想像がつきますか?安藤風、妹島風、と比べてみて下さい。難しいでしょう?)。

言うまでもありませんが、あくまでも僕の感想です。
青木君の、ではありません。
彼の考えることは、僕には全く予想がつかない。
したがって、僕の意見がすぐ聞こえてしまう芸工大の諸君が幸福だという保証は、もちろんゼロです。

ただとにかく、皆さんが選んだ「風景」を素材として、既視感のない空間を見せてほしい、ということです。
皆さんが選んだ「風景」のもつ特性の中の、何かを、いずれかの方向にエスカレートさせる。

面白い案を期待しています。

11日の講評会の会場は、昨年までと違い、学科棟の講義室にしました。
狭い部屋で青木君と一緒に盛り上がりましょう。

佐藤晋平→山神達彦さん

2010年11月25日 19:02【青・花×登録者 エスキス

こんばんわ。山神さん反応ありがとうございます。
私の学校では1・2年生の時と3・4年生の時とでキャンパスの場所が変わってしまいます。そして私が言っている非常階段は1・2年生の時のものです。
きっと誰しもが1年生のときに初めて製図室にきたときは、今までとあまりに違う世界にワクワクしたと思います。
しかし時が経つにつれ、そこに何時間も居続けることが苦痛になる人も出てきます。そんな時友達に連れられて初めて非常階段に出ました。私はタバコを吸わないのですが、そこには決して広くはない踊り場部分で男4・5人がタバコを吸っていました。言ってしまえばそこは不良のたまり場だったのかもしれません。(こういう場所を見つけるのは大概不良なのかもしれない。)
しかしそこにはどこか心地の良い時間が流れていました。
メインな空間と扉一つでつながるサブな空間として二つが同時に存在することでこの場所の魅力を引き出すことができるのではないかと思っています。

私はいまいちシャッター街というもののことを知りませんでした。なのでGoogleの画像検索で丸五市場と調べてみたら、なんとなく山神さんのおっしゃりたいことがわかった気がしました。
私はアーケード街みたいな場所を想像していたので、もっと大きなスケールだと思っていたのですが、とても狭い道があったり、シャッターが斜めになって道に迫ってきている場所があったりと、思っていたよりもとても面白い場所でした。

私はこの場所に実際に行ってないので、その空気感だとか匂いだとかはわからないですが、きっとこの場所特有の不気味さみたいなものがあるのだと思います。
それはシャッターの奥に何があって誰がいるのか、またはなにも無いのか、というような"見えない何か"によるものなのかもしれません。

この不気味さや、シャッター街特有のスケール感を山神さんがどうやって建築に落とし込むのかとても楽しみです。

佐藤晋平, 2010年11月19日 20:24

山神達彦→佐藤晋平さん

2010年11月25日 19:00【青・花×登録者 エスキス

こんにちは。佐藤さんのコメントを読んで、共感できる部分が多々ありました。芸工にも普段ほとんど使われないベランダのような部分があって、そこではよく何人かの人たちが集まって談笑してたり、ヒソヒソと相談し合ったりしています。廊下やラウンジでは話せないけど、あのベランダなら話せる空気感のようなものがあるようです。

シャッター街の場合で言うと、それとは少し違った安心感(不安感)のようなものがある気がしています。シャッター街の場合、普段の生活街路としての機能は残っているため、買い物はしないけどただ通り過ぎていく人もちらほら見かけます。僕が提示した丸五市場(ここは自分の卒業論文のフィールドとして選んだ場所なんですが)では、子どもたちが自転車でこの通路を通り過ぎていく場面を何度かみました。ホントは自転車通行禁止の場所なのですが・・・。

ではこの場所の風景で感じるある種の落ち着きは、どこからきているのか。シャッター街の場合、普通の通路とは違って、通路ではあるけれど全体的にほの暗いため、空間としてはやはり小さなまとまりを持った場所が出来ている気がします。あと誰もいない場所ではなく、やはりそこには誰かがいる場所であるということは重要です。具体的なプロジェクトとしてどういった提案になるのかはまだ見えないのですが、基本的にはやはり人が生活している場所(曖昧)にしたいと考えています。

山神達彦, 2010年11月16日 13:57

佐藤晋平→みなさん

2010年11月25日 18:58【青・花×登録者 エスキス

私が非常階段の風景を建築化していく時に一番考えたのは、それがどこにでもある場所なのだから多くの人が体験する事ができる建築にしたい、ということでした。

それは私が非常階段で感じた心地よさや安心感というのは、誰にでも感じることができるものだと思ったからです。
だからこそ集合住宅という機能をもたせました。
そしてその場所をそれぞれの住戸へのアプローチとすることで、すべての人がここで毎日さまざまな行為をするのではないかと考えたのです。

しかし、今はもっとサブ的な空間にした方がこの場所の持つ性質を生かせるのではないかと思い始めています。

もしかしたらSOHOのような機能もありえるのではないかと思っているところです。

住戸部分は今のまま存在して、そことオフィス部分との緩衝材のような場所として非常階段が使われるというのも面白いなと思ってます。

佐藤晋平, 2010年11月16日 03:43

バオ イーシャン→花田先生/電話ボックスのことなど

2010年11月25日 18:52【青・花×登録者 エスキス

花田先生

ご返事ありがとうございます。
先生の電話ボックスに持つイメージや具体的な例まで紹介していただいて、私も今までと違う視点に立つことができたような気がします。
確かに先生がおっしゃった通り、電話ボックスの「ガラスの壁というバリア」によって私的空間が作られた安心感が生まれるはずです。私にとってもすごく居心地のよい場所でした。しかし、ある出来事によってそのイメージが壊れたのです。
携帯電話では確かに「何のバリアもないまま個人的な表情や振る舞いを他人の前にさらしている」のですが、それはさらし出してもいい話をしている時で、街で歩きながら話す人群れに巻き込んで、姿を消しているように思います。逆に人に知られたくない話をする時には人目を避けてどこかに隠して話すことができると思います。電話ボックスにはそのような逃げ場がないのです。人に見られたくない感情が展示箱に入れられ街にさらしているように思います。
また、外から見る立場について、携帯電話の場合、内容(の一部)と表情が同時に伝わってくるのに対して、電話ボックスの場合は表情のみになります。内容がわからない分想像が働くと思います。例えば中にすごく怒っているような人が話しているとしたら、通りかかってこれを見た人は、この人は誰に何を怒っているのとか様々な妄想が一瞬膨らむだろうと思います。
私が言う緊張感はこのような特定な場面にしか起こり得ないものかもしれません。ガラスや透明性というのは個人と世界に距離を置きながら繋ぐ手段ですが、スケールや場所、そして使う人の状況によって時には暴力的までに感じさせる力があるものだと、その両義性に面白さがあるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

先生のイメージにフィットした「逢妻交流館」を実例として教えていただきました。それはまさに先生のイメージ通りで大変わかりやすい例です。私がそれを見た瞬間に、今まで矛盾しながら複雑に考えたことを全部捨てたくなりましたね。自分のイメージを本当に空間化できるのか、他の解を見つけるべきではないかと負けそうです。(笑)しかし、先生の意見を聞くことは、今まで完全に主観的に考えることに対する不安から解放されることでもあります。客観性を入れつつ考えて行きたいと思います。どんどんご指摘や批評をお願い致します。

バオ イーシャン, 2010年11月23日 16:21

花→バオイーシャンさん/電話ボックスのことなど

2010年11月21日 21:20【青・花×登録者 エスキス

皆さん、こんにちは。花田です。
バオイーシャンさん、書き込みありがとう。

最初に全体的なことを少し。

青木君が10作品を選び、その画像とコメントを載せ、さらに他の作品も掲載しました。ご覧になっていかがでしたか。
この3年間、僕は青木君がどの作品を選ぶか、本当に楽しみでした。
作品が届くとまず僕が見る。そして自分なりに選んでみる。
そのあと青木事務所に全作品を送ります。
もちろん僕が選んだものなど知らせません。
青木君の選考結果との照合はドキドキします(笑)。
3年間の平均打率は6割くらいかな。
青木君は、安易に「答え」を出したものは絶対に選ばない。
よくわからないけど何らかの可能性を秘めたものを選んでいる。
僕だとなかなかそれに徹することはできません。
何がしかの不安が残るから。それが4割の「誤答」の原因です。

いわゆるコンペや大学の設計課題と、オープンスタジオの課題には違いがあると僕は思っています。
というのは、前者が何らかの「問題」を指示するのものであるのに対し、オープンスタジオで青木君が指示したのは、「姿勢」とでもいうべきものだったと考えられるからです。
そして、応募案がその「姿勢」をとれているかどうかを評価する。
その「姿勢」によって何をするか、つまりどんな「問題」を解こうとしているのか気にしない。
学生諸君が戸惑うのはこのためで、多くの大学ではこういう教育はおこなっていない。
まさにオープンスタジオは「姿勢」を「矯正」する装置だったといえるように思います。
そして、確実に何人かの人の背筋はぴんと伸びたのです。


さて、バオイーシャンさんの電話ボックス。
この案、実は僕は「どうかなあ・・」と思った案でした(笑)。すみません。
でも、前便の書き込みを読んで、「なるほどなあ、こんなふうに電話ボックスを多面的にとらえていたのか」と思いました。
携帯電話が普及し始めたとき、一番不思議だったのは、電話中に人々が何のバリアもないまま個人的な表情や振る舞いを他人の前にさらしていることでした。
それまでは、そういうことは電話ボックスの中でおこなわれていた。
そこにはガラスの壁というバリアがあり、その中で人々は個人的になっていた。
それを見る側もある種の安心感があり、また中で話す側でも、他者の視線と自己表現のバランスをとりやすかったように思います。

そういう記憶があるものだから、僕は、電話ボックスについてのバオイーシャンさんのやや神経質な記述には違和感を感じました。
もちろん、構造的にはバオイーシャンさんの説明は正確であり、それをどう感じるかという個人差の表れというべきかもしれませんが。

つまり、僕にとって電話ボックスの空間は、安心感や好感の対象なのです。
身近にいる他者との一定の距離感のある関係を保ちながら、自分にとって大切な遠くの個人とつながっている。
それは、僕にとっては、世界との心地よい関係を示すひとつのモデルになるのです。

ちょうど昨日、豊田市にある妹島和世さんが設計した「逢妻交流館」を見学したのですが、全周ガラス張りの建物の内側に、さらにガラスに包まれた空間があり、そこでおこなわれるさまざまな活動がすべて見える。
その感じは、案外といいものだなあと思いました。

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電話ボックスからこの建築ではあまりにも単純な連想ですね。
僕はボケ役、青木君からのツッコミを待ちましょう。
いかしまあ、僕にとっての電話ボックスのイメージとはけっこうフィットしたのです。
個を守りながら、しかもそれを一定程度身近な世間にさらしつつ、しかし実は遠くの外部世界につながっている。
そんな感覚です。

アドバイスでもなんでもありませんが、ちょっとひと言。

Phone Booth エスキス

2010年11月20日 14:00【青・花×登録者 エスキス

青木先生・花田先生
 先日、質問に対してご丁寧に説明していただいてありがとうございました。そして返事が遅くなったことにお詫び申し上げます。この一週間で考えたことを報告して、少しアドバイスをいただけたらと思いますが、よろしくお願いします。

まず電話ボックスに感じるものをもう一度整理してみると、本来いかにも脆くて頼りない印象を与える透明な箱だが、中に入ると誰にも見られてはいないのにどこかから視線を感じ、監視される牢獄にいるような感覚が生じます。
 これは360度丸見えという性質からの感覚で、しかもそれが街中においた時に生まれてくるのです。外から受ける印象と中にいる感覚とのずれが同時に伝わってくると、私はその矛盾さに混乱しながら、不気味な視線のようなものをいつも感じてしまいます。

 これをどうやって具体的な空間に持ち込むかを考えた時、まず「視線」というキーワードから形にしてみたいと思いました。そして私を混乱させる矛盾さを解くため、あえて透明性とは全く逆の性質を用いて、感覚だけを直訳して空間化するとどうなるかを実験してみました。
 監視される牢獄の感覚をコンクリート打ち放しの箱にたくさんの「目」をつけることに訳しました。それは同じように並ぶ打ち放しのセパ穴を一つまたは複数を開け、視線を通す小さな開口です。ここで本来監視するために付けた「目」は、街のど真ん中においてみると、それらは内部からの「目」と変わります。中にいる人が街を見るという行為が生まれます。それは見せられるのではなく、自ら見るという意志によるものです。最も牢獄的な空間において、視線の自由だけを獲得したとも言えるかと思います。
 つまり私にとって透明ということは見られること、見せられること、見えることを自由にしたものであるのと同時に、見る意志を奪うものでもあると考えるのです。これは今の情報化社会において言えることではないかと思います。
 電話ボックスの感覚から生まれたセパ穴のあく箱が、道を挟んで電話ボックスと対峙するような風景が視線の自由と束縛、そのどちらともとれる両義性を示し、新たな視点の在り方を考えさせるものにならないかと考えました。

 まだ言葉がうまく整理できていませんし、電話ボックスのもう一つ重要な性質「繋ぐ」というものも今回まとめられませんでした。これから考えて行きたいと思いますが、このように矛盾を統一するのではなく、新たな矛盾を生みだす考え方はどうでしょうか。また先生が電話ボックスに持つイメージなどもよろしければお聞きしたいです。
 是非ご指導やご意見よろしくお願い致します。
 みなさまも何かアドバイスやご感想があれば是非教えていただきたいですので、よろしくお願い致します。


バオ イーシャン

エスキス 青→みなさん 01

2010年11月10日 14:39【青・花×登録者 エスキス

包さんのコメントは包さんだけでなく、他の人にも関係あることなので、コメントではなく、「対話篇」の「エスキス」コーナーにて。

包さんは、
「空間性を抽出して、具体的な空間におとしこむべきか、抽象的な空間に表現すべきか、もしくは電話ボックスそれ自体あるいはそれを含んだ何か新しい風景を作り出すべきか、この課題で求められているもの」はなにか?
と聞いています。

ぼくが期待しているのは、具体的な空間の提案です。

それを構想するのに、抽象的な空間(モデル)を必要とすることもあるでしょう。
しかし、それはあくまで、具体的な空間の提案をつくりあげるためのツールとしてです。どんなに面白い抽象的空間(モデル)であっても、それが具体化されてしまうことで、その面白さが失われてしまうのなら、その抽象的空間(モデル)は価値があるとはいえない、とぼくは考えます。具体的されたときにその面白さがときにはじめて、その(背後にあった)抽象的空間(モデル)の面白さが証明された、とぼくは考えるのです。

抽象的空間(モデル)に意味がない、ということではありません。
むしろ、具体から離れずに、具体的な空間を構想するはむずかしいものです。
いわば、抽象的空間(モデル)は、構想のためのエンジンみたいなもの。
エンジンがなければ、車が走らないし、飛行機は飛ばない。
(いや、なくても飛ぶ飛行機、たとえばグライダー、があることはあることにも留意しなければなりませんけれど。)

で、どんな具体的な空間か?

皆さんは、皆さん自身がある感情をいだくことができる、ある特定の風景を、この課題の題材として、すでに探してきました。

だからまずは、
1) その感情が何であるのか
2) その感情を抱くのは、その風景のどんな物的なあり方が関係しているのか
ということを考えてほしいと思います。

そのなかから、どんな(具体的な空間としての)プロジェクトにしたらよいか、それを見つけてほしい。
それが見つけることができるかどうかを含めての課題です。

もしこんなのはどう?というものが出てきたら、是非、この「エスキス」コーナーのなかでそれを見せてください。
むしろ、最終完成形ではなく、そうしたプロセスがこの課題の意義だと思っています。

優秀作品の掲載(エスキス篇)

2010年11月10日 00:00【対話篇「風景から建築へ」, 青・花×登録者 エスキス

「cat's cradle」
牧野正幸 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 2年

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【講評】
単なる「交差点」ではなく、地形の起伏があることで、シークエンシャルな体験を与える場所としての「交差点」を見つけてきました。時間を含んだ風景ということがおもしろい。

【Comment】
選出ありがとうございました。

この交差点は下宿先近くにあります。深夜に散歩をしていると、信号は赤と黄色の点滅を交互に繰り返して、横断歩道の信号は消えて、車はあまり通らない静かな交差点を見ました。知らなかった裏側の世界を見つけた感覚になりました。車のための場所が、目的を失って、何のためにあるか分からない場所の登場によって、日常の、例えば、深夜部屋で絵を描いてるときに、深夜の交差点を思い出すと、少し気分がよくなります。

それで、まず夜の交差点で感じた感覚を新しくつくるということはどういうことか考えました。ある目的のためだけにあった場所から、その目的を取り出すと、どういったらいいか分からないけれど、魅力的に思ってしまう、何かがあります。でも、その場所を、新しくつくるというのはとても難しそうです。

昼の交差点は、スーパーに買い物をしに行く人とか、犬の散歩をしている人とか、学校帰りの小学生とか、いろんな場所にたくさんの目的を持った人がいることで、この交差点の性質がよくわかってきます。昼の交差点のシークエンシャルな風景もどう見ていくといいか、両方のまったく違う風景を、同時に考えて行くというのは、また大変そうですが、楽しそうです。

それで、一度、言葉にしながら、プランを考えてみました。すると、夜の風景に惹かれているせいか、夜の風景に偏ったプランになってしまいました。気をつけながら考えているものの、いろんなことを同時に考えるのは大変です。それで、一度整理する意味でも、感覚を確認する意味でも、何かで表現したほうがいいと思って、ドローイングを描いてしまいました。結局、ドローイングにはシークエンシャルな体験はうまく描けなかったですが、とりあえず、言葉にしてみる作業から、もう一度始めてみたいとおもいます。エスキス編にこれから、いろいろと書いたり、載せたりしていきたいです。よろしくお願いします。

牧野正幸, 2010年11月13日 15:36


「誰かがいる / 誰もいない」
山神達彦 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

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【講評】
シャッター街に感じられる、ある独特のザラザラとした、ちょっと怖い感覚が、スケッチからもうっすら感じられました。どんな感覚が、なぜそこにあるのか、しっかり見ていけばおもしろくなりそう。

【Comment】
ご講評ありがとうございます。

僕はこのシャッター街の風景に、どこか攻撃的なまでのキーンとした冷たさと、どこにも出られないような閉鎖性、それによって生じる解放感のようなものに惹かれています。またこの場所がもつ圧倒的な静けさの中で感じるザワザワとしたノイズのようなものに、ある種の不安感と落ち着きを感じ、誰もいないのに、そこに誰かの気配がするような感覚を抱いています。

今提示している上段のスケッチは、まだ具体的なものではありませんが、ここで想起されるいくつかのシーンをイメージして描いたものです。また下段の4つの図はそこから見える平面構成や壁面のパターンなどを抽出していったものです。この繰り返しから、全体の構成につなげていければと考えています。

ご指摘や批判等していただけたらと思います。
よろしくお願いします。

山神達彦, 2010年11月 7日 18:46


「僕と透明人間の家」
西口冬悟 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年

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【講評】
バス停で感じたことが、この出発点であることに、とても強い印象を受けています。それが、なんであったのか、ぼくには抽象的過ぎです。おそらく、もっと言語化しにくいなんらかの感覚を持ったはず。ぼくはそれを知りたい。

【Comment】
選出ありがとうございます。

青木さんがおっしゃるように、バス停にいるときに感じたことが、この案の出発点になってます。
車が行き交う道路の風景を、バス停で立ち止まって見ることで、流動する社会から切り離された感じがしていました。
だから、バスが僕を迎えに来るまでの少しの間、自分のいる日常をぼんやりと客観視できて、安心できて、自分自身の存在がすごく軽くなったような感覚でバス停に居れました。

自分の生活空間の周りにダミーの生活空間をつくることで、そこが自分を映し出す鏡のような場所になるのではないかと考えました。
そうすれば、家の中はバス停と似たような質を持つ空間になるのではないでしょうか。

どうしても抽象的になりがちなんですが、ご指摘頂けたらと思います。

西口冬悟, 2010年11月 9日 14:20


「古墳についての5つのこと」
山田圭誠 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年

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【講評】
町のなかに忽然とある古墳史跡。その違和感がまずおもしろい。その違和感の空気の質が、あまり抽象化されないまま展開できるといいな、と思いました。(つまり、すでに、ちょっと抽象化しすぎ。)

【Comment】
選出ありがとうございます

古墳は実はとても特殊なものですが、その特殊性を維持しつつ日常の風景の一部になっています。そんな違和感が構想のきっかけになっています。
町の中では異質といえる古墳ですが、畏怖の対象というほど突き抜けてはおらず、馴れ合うほどには親しめない。といった感覚であり距離感でしょうか。
違和感をかたちにするために、まずは特殊性とはどこから来ているのかを突き止めようとしました。

提出したものは空間的に扱える範囲だけを選んで表現したのですが、古墳が持つ特殊性の本質は時間的・物語的な部分にあるような気もしています。

古墳の再生産になってしまうことも避けなければならないところです。

ご指摘、コメントよろしくおねがいします。

山田圭誠, 2010年11月 9日 04:37


「PHONE BOOTH」
包怡萱 京都大学大学院 工学研究科建築学専攻 1年

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【講評】
電話ボックスが重要なシーンになっている映画はかなりある。今やもはや日常的とは言えない電話ボックスが、そのどれとも違う、新しい風景として見えてくる契機があるのか、楽しみです。

【Comment】
青木先生、花田先生へ

ご講評と選出、誠にありがとうございました。

 入る人を永遠に待つかのような凛と立っている電話ボックスの姿にせつなさや感じながらも、耳や口を失って、グルグルと回っている周囲を貪欲に見ているかのようなしぐさに不気味さも感じています。

 これら自分の勝手の解釈をもう少し論理的に分析していく必要はあるかと思いますが、ここで少し確認しておきたいことがありまして、空間性を抽出して、具体的な空間におとしこむべきか、抽象的な空間に表現すべきか、もしくは電話ボックスそれ自体あるいはそれを含んだ何か新しい風景を作り出すべきか、この課題で求められているものをもう一度ご指導いただけないでしょう。

 御指導の程よろしくお願いいたします。

包怡萱(バオ イーシャン), 2010年11月10日 00:50


「プール / Pool」
吉村雄史 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 1年

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【講評】
小学校のプールにおけるいくつかのショット。その具体性がとてもいい。次は、その風景を、あなたという身体がどういうものととらえているのか、そして、そこから何をつくってくれるか、ですね。

【Comment】
選出ありがとうございます。誰もが経験したことのあるプールにおけるいくつかのショットは、現実からもうひとつの現実へと移行する瞬間を奪うものとして存在しています。上の4つの写真は、それらを逆に奪っても尚、存在してしまうような質感や空気を、と考えたのですがちょっと安易だなと思いました。コメントいただいたとおり身体がどういう違和感と反応をもったか、どうとらえているか、考えているところです。

吉村雄史, 2010年11月 5日 21:27

【Comment】
身体に直接関わっている経験(シャワーだと皮膚に、水道は目、階段では足の裏で感じるザラザラとした感じ等)と、風景の見えとしての経験。この両方が揃った?場所は少ないのではないでしょうか。これまではプールの外での話で、一方でプールの中の話もあります。確かプールの中の床は斜めになっていて、片方が少し深くなってます。その深いところで立っていることがやっとな頃の、飛び跳ねて浮いて、足がついて、浮いて足ついてのその繰り返しがちょっと楽しかったです。

吉村雄史, 2010年11月10日 00:18


「異なるところ」
伊藤智哉 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻  1年

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【講評】
団地の住棟にある貫通通路。それは、ありふれた風景でありながら、たしかに、ちょっとひっかかる。その理由が、団地の他の部分とことなる存在感があるから、というのはしかしお粗末ですね。もっと一所懸命、自分の感じていることを考えることができれば。

【Comment】
選出ありがとうございます。

団地にある貫通通路。
そこの内部には、時が止まったかのような静寂さや、外とつながっているのにその空間だけ隔離されているのような感覚があり、不気味さや孤独感、そして高揚感を感じました。

また、貫通通路に入るときと出るときの印象も全く違い、入るときは気がついたらいつのまにか入ってた感じで、出るときは一気に風景が変わる。
そんな感覚も取り入れて、具体的な空間を作りたいと思ってます。

正直、まだ具体的なイメージはできてないですが、ご指摘やコメントを頂けるとありがたいです。

伊藤智哉, 2010年11月12日 05:07


「階段のつくる風景」
佐藤晋平 芝浦工業大学 建築学科 4年

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【講評】
製図室の向こうの階段。その空間がなぜ落ち着いたのか。それは単に「居間」のようなもの、なのか。そのへんを知りたいところ。絵の前に、あるいは絵と同時に、言葉を。

【Comment】
選出ありがとうございます。

非常階段はどんな建築にもあり、誰でも行ける場所として存在しています。しかし多くの人はそこに行ったことが無いのではないでしょうか。とても現実的な場所なはずが、非現実的な場所として認識されているのです。

ではなぜ私たちは製図室の裏の非常階段に集まっていたのか。
正直なところそれは"そこに人がいたから"というだけだと思います。
最初に誰かがその場所を発見し、そこで何かをして、それを他の人もやりだす、という流れからこの空間の場としての性質は成り立っていったと思います。

そこに非常階段という非現実的な性質を持った場所とがマッチしたのでしょう。
非現実的な場所とは、例えば秘密基地や工事現場などのどこか秘密で危険性を含んだ場所のことです。

そこに人が存在して、その周りに場が発生して、そこに空間が生まれるからこそ、この場所の魅力が出るのではないでしょうか。
非常階段が持つ場所性と階段自体が持つ空間性。
そんなことを考えながら、建築化していくことを心がけました。

ご指摘、コメントよろしくお願いします。

佐藤晋平, 2010年11月 9日 14:11


「月灯り」
近藤綾乃 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイン専攻 1年

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【講評】
真っ暗な夜の海がただ好きというのではなく、そこにあるたしかなものを感じていることがよくわかります。それは、暗いのか、黒いのか。それがもたらす独特の感覚は何なのか。

【Comment】
選出ありがとうございます。

私がこの風景から感じたことは、真っ暗な海の吸い込まれるような暗さ。不安感。そして、月の光があることによる安心感。美しさに惹かれ憧れる。そこにある神秘的な感覚。
また海の上に浮かぶ光は月に続いていく道のようであり、しかし届かない。
今回そんな感覚を表現したいと思っていますが、もう一歩がなかなか進みません。

ご指摘、コメントなどいただけると幸いです。
よろしくお願いします。

近藤綾乃, 2010年11月12日 16:02


「589nm」
磯谷康訓 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイン専攻 1年

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【講評】
ナトリウム光の黄色い光。物的な風景でなく、非物的な、色の風景を発見できたことがおもしろい。ナトリウム光に照らされた風景は、あなたにどんな感覚をあたえているのでしょう。

【Comment】
こんばんは。磯谷康訓です。
選出ありがとうございました。

街灯の光が"好き"なんていう人は結構沢山居ると思います。あのぼんやり感は、ロマンチックですし。
ただ、今回僕が取り上げている光は、ナトリウムランプです。単色光なので、明らかに、日常的なビジュアルはではなくなり、この光に照らされているモノは色を失います。
これを僕は、写真が劣化したときに出来る"セピア"と近い状況になっていると感じるのです。

人が潜在意識の中で、"セピア"に対して何かその一種のノスタルジー的なものを感じているとするならば、もしそれが実際に"現実"となって現れ、人の生活に溶け込めば、それは新しいライフスタイルになりえると感じました。

磯谷康訓, 2010年11月12日 00:00

エスキス篇とは

2010年10月 8日 22:00【対話篇「風景から建築へ」, 青・花×登録者 エスキス

今回の課題では、応募登録者のみなさんと青木教授および私との間で作品制作についてのやり取りをウェブ上でおこなうコーナー「青・花×登録者 エスキス」を対話編の中に作ってみました。ウェブ上の「エスキス」ですね。

「こんなことを考えているんだけど・・・」、「ここまで考えているんだけど次のステップで困っています」など、自由にこのコーナーに相談を書き込んでみて下さい。画像も貼れます。

できる限りお返事を返すようにします。
どんなことになるか分かりませんが、何事も実験です。
また、コメント欄への書き込みも自由です。議論が展開したら最高ですね。
ただし、所属と本名は明記して下さい。
また、このブログに関する注意事項は必ず読んでください。

青木 淳・花田佳明