» 2010年11月

佐藤晋平→山神達彦さん

2010年11月25日 19:02【青・花×登録者 エスキス

こんばんわ。山神さん反応ありがとうございます。
私の学校では1・2年生の時と3・4年生の時とでキャンパスの場所が変わってしまいます。そして私が言っている非常階段は1・2年生の時のものです。
きっと誰しもが1年生のときに初めて製図室にきたときは、今までとあまりに違う世界にワクワクしたと思います。
しかし時が経つにつれ、そこに何時間も居続けることが苦痛になる人も出てきます。そんな時友達に連れられて初めて非常階段に出ました。私はタバコを吸わないのですが、そこには決して広くはない踊り場部分で男4・5人がタバコを吸っていました。言ってしまえばそこは不良のたまり場だったのかもしれません。(こういう場所を見つけるのは大概不良なのかもしれない。)
しかしそこにはどこか心地の良い時間が流れていました。
メインな空間と扉一つでつながるサブな空間として二つが同時に存在することでこの場所の魅力を引き出すことができるのではないかと思っています。

私はいまいちシャッター街というもののことを知りませんでした。なのでGoogleの画像検索で丸五市場と調べてみたら、なんとなく山神さんのおっしゃりたいことがわかった気がしました。
私はアーケード街みたいな場所を想像していたので、もっと大きなスケールだと思っていたのですが、とても狭い道があったり、シャッターが斜めになって道に迫ってきている場所があったりと、思っていたよりもとても面白い場所でした。

私はこの場所に実際に行ってないので、その空気感だとか匂いだとかはわからないですが、きっとこの場所特有の不気味さみたいなものがあるのだと思います。
それはシャッターの奥に何があって誰がいるのか、またはなにも無いのか、というような"見えない何か"によるものなのかもしれません。

この不気味さや、シャッター街特有のスケール感を山神さんがどうやって建築に落とし込むのかとても楽しみです。

佐藤晋平, 2010年11月19日 20:24

山神達彦→佐藤晋平さん

2010年11月25日 19:00【青・花×登録者 エスキス

こんにちは。佐藤さんのコメントを読んで、共感できる部分が多々ありました。芸工にも普段ほとんど使われないベランダのような部分があって、そこではよく何人かの人たちが集まって談笑してたり、ヒソヒソと相談し合ったりしています。廊下やラウンジでは話せないけど、あのベランダなら話せる空気感のようなものがあるようです。

シャッター街の場合で言うと、それとは少し違った安心感(不安感)のようなものがある気がしています。シャッター街の場合、普段の生活街路としての機能は残っているため、買い物はしないけどただ通り過ぎていく人もちらほら見かけます。僕が提示した丸五市場(ここは自分の卒業論文のフィールドとして選んだ場所なんですが)では、子どもたちが自転車でこの通路を通り過ぎていく場面を何度かみました。ホントは自転車通行禁止の場所なのですが・・・。

ではこの場所の風景で感じるある種の落ち着きは、どこからきているのか。シャッター街の場合、普通の通路とは違って、通路ではあるけれど全体的にほの暗いため、空間としてはやはり小さなまとまりを持った場所が出来ている気がします。あと誰もいない場所ではなく、やはりそこには誰かがいる場所であるということは重要です。具体的なプロジェクトとしてどういった提案になるのかはまだ見えないのですが、基本的にはやはり人が生活している場所(曖昧)にしたいと考えています。

山神達彦, 2010年11月16日 13:57

佐藤晋平→みなさん

2010年11月25日 18:58【青・花×登録者 エスキス

私が非常階段の風景を建築化していく時に一番考えたのは、それがどこにでもある場所なのだから多くの人が体験する事ができる建築にしたい、ということでした。

それは私が非常階段で感じた心地よさや安心感というのは、誰にでも感じることができるものだと思ったからです。
だからこそ集合住宅という機能をもたせました。
そしてその場所をそれぞれの住戸へのアプローチとすることで、すべての人がここで毎日さまざまな行為をするのではないかと考えたのです。

しかし、今はもっとサブ的な空間にした方がこの場所の持つ性質を生かせるのではないかと思い始めています。

もしかしたらSOHOのような機能もありえるのではないかと思っているところです。

住戸部分は今のまま存在して、そことオフィス部分との緩衝材のような場所として非常階段が使われるというのも面白いなと思ってます。

佐藤晋平, 2010年11月16日 03:43

バオ イーシャン→花田先生/電話ボックスのことなど

2010年11月25日 18:52【青・花×登録者 エスキス

花田先生

ご返事ありがとうございます。
先生の電話ボックスに持つイメージや具体的な例まで紹介していただいて、私も今までと違う視点に立つことができたような気がします。
確かに先生がおっしゃった通り、電話ボックスの「ガラスの壁というバリア」によって私的空間が作られた安心感が生まれるはずです。私にとってもすごく居心地のよい場所でした。しかし、ある出来事によってそのイメージが壊れたのです。
携帯電話では確かに「何のバリアもないまま個人的な表情や振る舞いを他人の前にさらしている」のですが、それはさらし出してもいい話をしている時で、街で歩きながら話す人群れに巻き込んで、姿を消しているように思います。逆に人に知られたくない話をする時には人目を避けてどこかに隠して話すことができると思います。電話ボックスにはそのような逃げ場がないのです。人に見られたくない感情が展示箱に入れられ街にさらしているように思います。
また、外から見る立場について、携帯電話の場合、内容(の一部)と表情が同時に伝わってくるのに対して、電話ボックスの場合は表情のみになります。内容がわからない分想像が働くと思います。例えば中にすごく怒っているような人が話しているとしたら、通りかかってこれを見た人は、この人は誰に何を怒っているのとか様々な妄想が一瞬膨らむだろうと思います。
私が言う緊張感はこのような特定な場面にしか起こり得ないものかもしれません。ガラスや透明性というのは個人と世界に距離を置きながら繋ぐ手段ですが、スケールや場所、そして使う人の状況によって時には暴力的までに感じさせる力があるものだと、その両義性に面白さがあるのではないかと思いますが、どうでしょうか。

先生のイメージにフィットした「逢妻交流館」を実例として教えていただきました。それはまさに先生のイメージ通りで大変わかりやすい例です。私がそれを見た瞬間に、今まで矛盾しながら複雑に考えたことを全部捨てたくなりましたね。自分のイメージを本当に空間化できるのか、他の解を見つけるべきではないかと負けそうです。(笑)しかし、先生の意見を聞くことは、今まで完全に主観的に考えることに対する不安から解放されることでもあります。客観性を入れつつ考えて行きたいと思います。どんどんご指摘や批評をお願い致します。

バオ イーシャン, 2010年11月23日 16:21

花→バオイーシャンさん/電話ボックスのことなど

2010年11月21日 21:20【青・花×登録者 エスキス

皆さん、こんにちは。花田です。
バオイーシャンさん、書き込みありがとう。

最初に全体的なことを少し。

青木君が10作品を選び、その画像とコメントを載せ、さらに他の作品も掲載しました。ご覧になっていかがでしたか。
この3年間、僕は青木君がどの作品を選ぶか、本当に楽しみでした。
作品が届くとまず僕が見る。そして自分なりに選んでみる。
そのあと青木事務所に全作品を送ります。
もちろん僕が選んだものなど知らせません。
青木君の選考結果との照合はドキドキします(笑)。
3年間の平均打率は6割くらいかな。
青木君は、安易に「答え」を出したものは絶対に選ばない。
よくわからないけど何らかの可能性を秘めたものを選んでいる。
僕だとなかなかそれに徹することはできません。
何がしかの不安が残るから。それが4割の「誤答」の原因です。

いわゆるコンペや大学の設計課題と、オープンスタジオの課題には違いがあると僕は思っています。
というのは、前者が何らかの「問題」を指示するのものであるのに対し、オープンスタジオで青木君が指示したのは、「姿勢」とでもいうべきものだったと考えられるからです。
そして、応募案がその「姿勢」をとれているかどうかを評価する。
その「姿勢」によって何をするか、つまりどんな「問題」を解こうとしているのか気にしない。
学生諸君が戸惑うのはこのためで、多くの大学ではこういう教育はおこなっていない。
まさにオープンスタジオは「姿勢」を「矯正」する装置だったといえるように思います。
そして、確実に何人かの人の背筋はぴんと伸びたのです。


さて、バオイーシャンさんの電話ボックス。
この案、実は僕は「どうかなあ・・」と思った案でした(笑)。すみません。
でも、前便の書き込みを読んで、「なるほどなあ、こんなふうに電話ボックスを多面的にとらえていたのか」と思いました。
携帯電話が普及し始めたとき、一番不思議だったのは、電話中に人々が何のバリアもないまま個人的な表情や振る舞いを他人の前にさらしていることでした。
それまでは、そういうことは電話ボックスの中でおこなわれていた。
そこにはガラスの壁というバリアがあり、その中で人々は個人的になっていた。
それを見る側もある種の安心感があり、また中で話す側でも、他者の視線と自己表現のバランスをとりやすかったように思います。

そういう記憶があるものだから、僕は、電話ボックスについてのバオイーシャンさんのやや神経質な記述には違和感を感じました。
もちろん、構造的にはバオイーシャンさんの説明は正確であり、それをどう感じるかという個人差の表れというべきかもしれませんが。

つまり、僕にとって電話ボックスの空間は、安心感や好感の対象なのです。
身近にいる他者との一定の距離感のある関係を保ちながら、自分にとって大切な遠くの個人とつながっている。
それは、僕にとっては、世界との心地よい関係を示すひとつのモデルになるのです。

ちょうど昨日、豊田市にある妹島和世さんが設計した「逢妻交流館」を見学したのですが、全周ガラス張りの建物の内側に、さらにガラスに包まれた空間があり、そこでおこなわれるさまざまな活動がすべて見える。
その感じは、案外といいものだなあと思いました。

R0016327.jpg

電話ボックスからこの建築ではあまりにも単純な連想ですね。
僕はボケ役、青木君からのツッコミを待ちましょう。
いかしまあ、僕にとっての電話ボックスのイメージとはけっこうフィットしたのです。
個を守りながら、しかもそれを一定程度身近な世間にさらしつつ、しかし実は遠くの外部世界につながっている。
そんな感覚です。

アドバイスでもなんでもありませんが、ちょっとひと言。

Phone Booth エスキス

2010年11月20日 14:00【青・花×登録者 エスキス

青木先生・花田先生
 先日、質問に対してご丁寧に説明していただいてありがとうございました。そして返事が遅くなったことにお詫び申し上げます。この一週間で考えたことを報告して、少しアドバイスをいただけたらと思いますが、よろしくお願いします。

まず電話ボックスに感じるものをもう一度整理してみると、本来いかにも脆くて頼りない印象を与える透明な箱だが、中に入ると誰にも見られてはいないのにどこかから視線を感じ、監視される牢獄にいるような感覚が生じます。
 これは360度丸見えという性質からの感覚で、しかもそれが街中においた時に生まれてくるのです。外から受ける印象と中にいる感覚とのずれが同時に伝わってくると、私はその矛盾さに混乱しながら、不気味な視線のようなものをいつも感じてしまいます。

 これをどうやって具体的な空間に持ち込むかを考えた時、まず「視線」というキーワードから形にしてみたいと思いました。そして私を混乱させる矛盾さを解くため、あえて透明性とは全く逆の性質を用いて、感覚だけを直訳して空間化するとどうなるかを実験してみました。
 監視される牢獄の感覚をコンクリート打ち放しの箱にたくさんの「目」をつけることに訳しました。それは同じように並ぶ打ち放しのセパ穴を一つまたは複数を開け、視線を通す小さな開口です。ここで本来監視するために付けた「目」は、街のど真ん中においてみると、それらは内部からの「目」と変わります。中にいる人が街を見るという行為が生まれます。それは見せられるのではなく、自ら見るという意志によるものです。最も牢獄的な空間において、視線の自由だけを獲得したとも言えるかと思います。
 つまり私にとって透明ということは見られること、見せられること、見えることを自由にしたものであるのと同時に、見る意志を奪うものでもあると考えるのです。これは今の情報化社会において言えることではないかと思います。
 電話ボックスの感覚から生まれたセパ穴のあく箱が、道を挟んで電話ボックスと対峙するような風景が視線の自由と束縛、そのどちらともとれる両義性を示し、新たな視点の在り方を考えさせるものにならないかと考えました。

 まだ言葉がうまく整理できていませんし、電話ボックスのもう一つ重要な性質「繋ぐ」というものも今回まとめられませんでした。これから考えて行きたいと思いますが、このように矛盾を統一するのではなく、新たな矛盾を生みだす考え方はどうでしょうか。また先生が電話ボックスに持つイメージなどもよろしければお聞きしたいです。
 是非ご指導やご意見よろしくお願い致します。
 みなさまも何かアドバイスやご感想があれば是非教えていただきたいですので、よろしくお願い致します。


バオ イーシャン

応募して下さった皆さんへ

2010年11月15日 23:09【お知らせ, 応募作品

先日、最終講評対象の10作品をサイト上に掲載しましたが、それ以外の応募作品も掲載することとしました。
掲載した作品は、氏名と学校名は伏せ、登録番号とタイトルと作品画像としました。
なお、一部データの関係上、掲載できなかった作品もあります。
掲載された作品はこちらから閲覧できます。

この企画は、設計の「授業」であることを意図しているのですから、「講評会」では「同級生」の作品を互いに見られるべきですよね。また、青木さんの「眼」について考える手がかりにもなると思います。

なお、コメント欄への書き込みは自由です。そこで議論が盛り上がるくらいになることを願っています。

花田佳明

001:学校を囲むフェンスの編み目。

2010年11月13日 21:57【応募作品

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005:私の記憶の中のハイツ

2010年11月13日 21:56【応募作品

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010:マチのあかり。

2010年11月13日 21:54【応募作品

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019:『melty lines』

2010年11月13日 21:52【応募作品

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022:「そこにあるかもしれない建築」

2010年11月13日 21:50【応募作品

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024:ねすみかミッキーか

2010年11月13日 21:48【応募作品

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025:海市な距離

2010年11月13日 21:46【応募作品

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031:田んぼの風景

2010年11月13日 21:44【応募作品

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