花→バオイーシャンさん/電話ボックスのことなど

2010年11月21日 21:20【青・花×登録者 エスキス

皆さん、こんにちは。花田です。
バオイーシャンさん、書き込みありがとう。

最初に全体的なことを少し。

青木君が10作品を選び、その画像とコメントを載せ、さらに他の作品も掲載しました。ご覧になっていかがでしたか。
この3年間、僕は青木君がどの作品を選ぶか、本当に楽しみでした。
作品が届くとまず僕が見る。そして自分なりに選んでみる。
そのあと青木事務所に全作品を送ります。
もちろん僕が選んだものなど知らせません。
青木君の選考結果との照合はドキドキします(笑)。
3年間の平均打率は6割くらいかな。
青木君は、安易に「答え」を出したものは絶対に選ばない。
よくわからないけど何らかの可能性を秘めたものを選んでいる。
僕だとなかなかそれに徹することはできません。
何がしかの不安が残るから。それが4割の「誤答」の原因です。

いわゆるコンペや大学の設計課題と、オープンスタジオの課題には違いがあると僕は思っています。
というのは、前者が何らかの「問題」を指示するのものであるのに対し、オープンスタジオで青木君が指示したのは、「姿勢」とでもいうべきものだったと考えられるからです。
そして、応募案がその「姿勢」をとれているかどうかを評価する。
その「姿勢」によって何をするか、つまりどんな「問題」を解こうとしているのか気にしない。
学生諸君が戸惑うのはこのためで、多くの大学ではこういう教育はおこなっていない。
まさにオープンスタジオは「姿勢」を「矯正」する装置だったといえるように思います。
そして、確実に何人かの人の背筋はぴんと伸びたのです。


さて、バオイーシャンさんの電話ボックス。
この案、実は僕は「どうかなあ・・」と思った案でした(笑)。すみません。
でも、前便の書き込みを読んで、「なるほどなあ、こんなふうに電話ボックスを多面的にとらえていたのか」と思いました。
携帯電話が普及し始めたとき、一番不思議だったのは、電話中に人々が何のバリアもないまま個人的な表情や振る舞いを他人の前にさらしていることでした。
それまでは、そういうことは電話ボックスの中でおこなわれていた。
そこにはガラスの壁というバリアがあり、その中で人々は個人的になっていた。
それを見る側もある種の安心感があり、また中で話す側でも、他者の視線と自己表現のバランスをとりやすかったように思います。

そういう記憶があるものだから、僕は、電話ボックスについてのバオイーシャンさんのやや神経質な記述には違和感を感じました。
もちろん、構造的にはバオイーシャンさんの説明は正確であり、それをどう感じるかという個人差の表れというべきかもしれませんが。

つまり、僕にとって電話ボックスの空間は、安心感や好感の対象なのです。
身近にいる他者との一定の距離感のある関係を保ちながら、自分にとって大切な遠くの個人とつながっている。
それは、僕にとっては、世界との心地よい関係を示すひとつのモデルになるのです。

ちょうど昨日、豊田市にある妹島和世さんが設計した「逢妻交流館」を見学したのですが、全周ガラス張りの建物の内側に、さらにガラスに包まれた空間があり、そこでおこなわれるさまざまな活動がすべて見える。
その感じは、案外といいものだなあと思いました。

R0016327.jpg

電話ボックスからこの建築ではあまりにも単純な連想ですね。
僕はボケ役、青木君からのツッコミを待ちましょう。
いかしまあ、僕にとっての電話ボックスのイメージとはけっこうフィットしたのです。
個を守りながら、しかもそれを一定程度身近な世間にさらしつつ、しかし実は遠くの外部世界につながっている。
そんな感覚です。

アドバイスでもなんでもありませんが、ちょっとひと言。