対話編10 花→青+みなさん 13

2010年10月 5日 13:28【青木淳×花田佳明 対話

10月2日、青木さんによる特別講義とオープンスタジオの中間講評会が無事終わりました。
青木君、講評会に出品した7人の芸工大の諸君、会場に来てくれた学外の皆さん、USTREAM配信で参加してくれた皆さん、お疲れさまでした。
USTREAM配信の視聴者数は、「トータルで80人弱、最高で33人が同時に視聴していた」との報告があり、最終的な応募登録者数は130人(組)だったので、遠隔授業としてはまずまずの「出席率」だったのではないかと思っています。感想や意見などあれば、この対話編のコメント欄に遠慮なく書き込んで下さいね。

当日の様子を少し復習しておきましょう。
授業が基本。受験もオープンスタジオも同じです(笑)。

青木君の特別講義の概要は、助手の方による当日のレポート僕のブログに書いてありますが、「風景から建築へ」というオープンスタジオのテーマに沿った実に興味深い内容だったと思います。
Maison AO AO(青々荘)、実現しなかった集合住宅案、青森県立美術館、そして是枝裕和監督の映画「誰も知らない」を題材とし、そこにあるさまざまな「風景」と「建築」の関係を、青木君は実に具体的かつ明快に説明してくれました。

青々荘において、吉祥寺の風景の読み込みを出発点に置き、青木野枝さんによる鉄のアートと建築の窓との重なりによっていかに新しい風景を創出したか。レンガとレンガ目地との色の逆転、中庭の電線から吊られた照明による空間スケールの制御などの説明にも深く納得。
「誰も知らない」の主要な舞台としてのアパートの廊下と階段、そしてそこにある窓に対する細やかな観察から引き出された建築的アイディアによる某集合住宅への提案。ご存知の通りいささか辛い内容の映画なのだが、その空間的演出を冷静に解読する青木君の眼に脱帽した。
青森県立美術館のバックヤードに代表される「芝居がかってない」風景に込めた意図。「原っぱ」と彼が呼ぶ風景の建築化。その関係を、ペンキ塗りを前提にかけられたグラインダの痕跡をペンキを塗らずに表わしにした鉄骨階段や、バックヤードのトレンチの上を走る手摺が水平ではなく勾配に沿ってゆっくりと傾斜する様子で強化している説明もわかりやすい。質問への答えででた「白いけど無機的ではない状態」を作る実験だったという言葉が総括的。

どれも、青木君が設計において、モノをいかに「論理的に」扱っているかということを思い知らされる話だった。少なくとも僕にはそう思えました。
一般に建築を論理的に語るには、歴史や社会やらに基づいた言語が必要とされる。モノを手がかりにした設計はその対極に位置づけられることが多い。村野藤吾あたりを思い出せばわかるでしょう。あるいはきわめて即物的に「納まり」とかの話になる。
でも、青木君の話は違っていた。
めざす「空間の質」(青木君がよく使う言葉ですね)に向かって、モノへの解釈の論理が数学のように積み上げられる。こういう建築家はあまりいなかったと思います。

ここで重要なことは、めざす「空間の質」があるということだと僕は思います。
そんなことは建築家なら当然だろうと言われるかもしれないけれど、果たしてそうか。
「歴史や社会やらに基づいた言語」に基づく説明のことを空間の質と誤解した話が多かったのではないでしょうか。

おそらく、この「空間の質」に相当するものを「風景」から取り出してくれというのが今回の「風景から建築へ」という課題で青木君が皆さんに問いかけているポイントだと僕は思いました。

そのことは、後半の中間講評会でよくわかりました。

神戸芸工大からは7人が発表しました。3年生3名、4年生2名、院生(M2)1名です。それぞれが取り上げた風景とそこから引き出したアイディアや建築を、各自から反論はあるかもしれないけど、おおざっぱに整理すると以下の通りです。

●3年西口君/バス停/バス停に座っていると安心感/道に向かってラッパ状に広がる曲面の壁で空間を囲みその奥に居場所を作り安心感を表現
●3年牛島さん/高速道路のトンネル/トンネル内の暗闇から高速で抜け出る瞬間に風景が激変する面白さ、回遊式庭園に代表されるシークエンス重視のデザインとの対比/そういうふうにシーンが劇的に変化する建築?
●3年松田君/小さい頃過ごしたハイツの中庭/階段、各戸のドア、自転車置き場、床のカラーペイント等がランダムに並び、通りからは切り離された空間の記憶/複数のドアや簡易な小屋の並ぶ風景
●3年山田君/実家のある奈良県に点在する古墳群/日常の場の中に「はいることのできない場所」があることの不思議さ、人工物と自然物の中間的な存在の面白さ/?
●4年有本君/ネットフェンスのある風景/工業製品、向こう側へいけないこと、拘束等々/提出された模型は、たくさんの虫ピンの塊、鉛を垂らした線上のオブジェ、一部に傷のついたガラスの破片
●4年山神君/外部のインターロッキングブロックの目地のすき間に生える雑草やコーナー部に吹きだまる埃など/目的をもったものから二次的に生まれるものへの興味/板の上に置かれた箱と板との接点に石膏を塗り込め、箱を抜いた後に残った物体
●院生牧野君/長時間露光などによって撮影され元の風景とは似ても似つかぬものになった写真/あるのは表面だけ/針金で揺らぎを表現した模型の動画

・・・言葉ではわかりませんね(笑)。
ま、まだ始まったばかりですから、それぞれの内容は大きな問題ではありません。
僕が面白かったのは青木君の反応です。
例年、彼のコメントは慈愛に満ち、僕はどうかと思うような学生の案からでも可能性を見いだし、必ずポジティブな印象を残してくれたのですが、今回はやや批判的な印象を僕は受け、そのことが面白かった。
青木君が評価したのは、主に低学年の諸君が取り上げた素朴な風景でした。バス停、トンネル、小さいときに過ごしたハイツの記憶。そこまではいい。バス停の長時間露光の写真など、素直にほめていましたね。
彼がややいらついたのは(横にいた僕にはそう思えました、笑)、その風景からどんどん遠ざかってしまった「建築」でした。
もっと単純にその風景の良さを取り扱えないのか。
それでいいし、その方が可能性あるよ。
青木君はそう言っていたように思います。

僕はというと、いつものことながら彼ほど「モノ」側からものが見えない「言葉」人間なので、7人の諸君の理屈が面白かったのですが、一方で、それだけではこの課題の「評論」にはなっても答えとしての「建築」にはならないだろうということは3回目ともなると想像がつく。

取り急ぎ、報告と感想です。

これから1ヶ月、130人(組)の諸君の健闘を祈ります。

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僕らが担当しています。よろしく。