対話編10 青→花(もしくは山)11

2010年9月20日 14:41【青木淳×花田佳明 対話

山田圭誠さんが、「青→花08」に対してコメント欄に、質問をしています。
素直な反応で、たぶん、似たような疑問をもつ人が多いのではないか、と思います。
そこで、今回は、この質問に答える形で書きます。

【「その男、凶暴につき」観ました。
吾妻や殺し屋はもちろん、歩道橋のシーンに出てくる小学生まで凶暴でした。
そんな人たちが普通の歩道橋を歩くからこそ異常で、映画の暴力的な空気感を作り出しています。
ですが、風景はあくまで普通の風景に見えます。映画の為にキャラクターをデザインされた吾妻が歩くからこそなんらかの感覚をもつものです。
映画のキャラクターである吾妻にとっては、歩道橋は単なる歩道橋ではないかと思います。
自分の生活がテーマで自分自身が主人公だとすると、なにかをデザインする余地はどこかにあるのでしょうか?

また、「その男」以外でズバリのシーンがある映画というとなんでしょうか?】

こう考えたらどうでしょうか?
もしあなたがこの映画をつくるとする。
あなたなら、映画のなかに、どのように吾妻を登場させるか?。
吾妻が刑事であることを観る人に伝える必要があります。でも、事件の取り締まりのシーンかなにかで登場させるのはつまらない。
刑事であることより先に、その静かな凶暴さをまず予感させて、それからその人間が警察と関係があることをわからせ、え、ということは刑事?というような順番の方がはるかにいい。
そして、それをなるべく短い時間でどうつくるか。
北野監督が選んだ方法は、まず歩道橋をこちらに向かって歩いてくる吾妻を真っ正面から捉えることからはじめ、次に、その歩みを真横から追うアングルに画面が切り替って、しばらくして、その背景に警察署が現れるというつくりでした。
きれいなつくりです。

もちろん、歩道橋でなくてもいいはずです。
でも、映画をつくるなら、いずれにせよ、どこかの場所、が要りますね。
だって、どこかの場所でもない、背景が白紙、という映画はむずかしいですから。
だから、監督であるあなたは、どこかの場所を、ともかく、設定しなくてはいけない。
吾妻が向こうからこちらに向かって歩いてくる。
それをどこにするか?

きれいな並木道? スタイリッシュな刑事物語ではありません。
薄汚れた地方競馬場からの道? ふつうの意味での悪徳刑事物語でもありません。
繁華街? いや、これでも事件を感じさせたり、悪徳を連想させたり、ちょっと違いますね。

ぼくは、歩道橋がぴったりだと思います。
歩道橋だと、日常、特に意識していない場所だし、
ある意味、立場によって、いろいろな記憶があるし、
でも、町に雑然とした感じを与える、ちょっとざらざらしたノイズのような存在であることは、まあ、多くの人が共有している感覚だから。
そして、なにより、その感覚のつくることが、この映画の主題なんだから。

きっと北野監督にとって、「歩道橋は単なる歩道橋」ではありません。
彼にとっては、歩道橋は、どこか自分の感情を代弁するような存在なのではないでしょうか。
(そうじゃなければ、「菊次郎の夏」の高い防音壁のある歩道はなんなのか。)

この課題でやってみようと思うのは、まずは、あなたにとって、
そんなあなたの今の感情にぴったりとくる場所はなにか、
ということをひとつ、はっきりさせることです。
(ひとつ、というのは、そんな場所がいっぱいあることは当然だから。)

たとえば、そのひとつが「歩道橋」だとしますね。
で、その歩道橋を舞台とするシーンを考えてほしいのです。
どういう人がそこにいて、そこでどんなことになっているか。
あなたが感じる「歩道橋らしさ」がうまく生かされるシーン、ということですね。

そして、その同じシーンを、もし「歩道橋」を使わず、
あなた自身が設計する空間を使うとしたら、どんな空間にすればいいか。
その空間は、きっと、あなたが考える「歩道橋らしさ」が出ているはずですね。
というか、あなたが考える「歩道橋らしさ」がもっと純粋に、また強調されてできているでしょう。
そういうふうに空間を設計することが、「風景から建築へ」の意味ととらえてもらっていいです。

それにしても、「その男、凶暴につき」、なかなかいい映画だったでしょう?
感情の表現をしない映画のつくり。
そのあとの北野武さんの映画の特徴がもう最初からはっきりと出ている。
すごいことです。

「『その男』以外でズバリのシーンがある映画というとなんでしょうか?」
そんなもん、もちろんないことは、上を読んでもらえば、もうわかりますね。