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091227 [お知らせ]最終講評会の様子を学科サイトにアップしました
091227 [お知らせ]入賞作品の画像データを公開しました
091209 [お知らせ]入賞作品決定&入賞作品展の開催(〜12/17)
091209 [お知らせ][対話篇09 花→青 19]が更新されました。
091203 [お知らせ]最終講評会のお知らせ
091107 応募作品を公開します。「応募して下さった皆さんへ。」
091107 [お知らせ][対話篇09 花→青 17]が更新されました。
091106 [お知らせ]最終講評対象作品の発表

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入賞作品決定&入賞作品展の開催(〜12/17)

12月12日に行われた最終講評会にて、今年度の入賞作品が決定しました。
近日中に入賞作品の最終パネル画像も本サイトにて公表します。
入賞作品は、本学セレンディップギャラリーにて、12月17日まで展示しています。
こちらでは提出された模型も合わせてみることが出来ますので、ぜひ足をお運びください。

オープンスタジオ2009 入賞作品一覧
全作品を見るにはコチラから

■青木淳賞最優秀
牧野正幸 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 1年

■青木淳賞優秀
村野哲哉 慶應義塾大学大学院 理工学研究科 1年
古家良輔 大阪工業技術専門学校 建築士専科 1年

■青木淳賞佳作
吉丸貴一郎 九州産業大学 工学部 建築学科 4年
山神達彦 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年
吉村雄史 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
鈴木絢 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年
馬場沙織 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
飯田はるか バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年

オープンスタジオ2009 入賞作品展
期間:2009年12月14日(月)〜17日(金) 9:00〜18:00
場所:神戸芸術工科大学 ギャラリーセレンディップ
アクセス方法

【青木淳賞最優秀】牧野正幸:persistence of hole

【青木淳賞最優秀】
「persistence of hole」
牧野正幸 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 1年

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【青木淳賞優秀】村野哲哉:Wood landscape plan

【青木淳賞優秀】
Wood landscape plan
村野哲哉 慶應義塾大学大学院 理工学研究科 1年

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【青木淳賞優秀】 古家良輔:Daydream-Architecture

【青木淳賞優秀】
Daydream-Architecture
古家良輔 大阪工業技術専門学校 建築士専科 1年

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【青木淳賞佳作】吉丸貴一郎:palette

【青木淳賞佳作】
palette
吉丸貴一郎 九州産業大学 工学部 建築学科 4年

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【青木淳賞佳作】山神達彦:そこにあるもの

【青木淳賞佳作】
そこにあるもの
山神達彦 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年

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【青木淳賞佳作】吉村雄史:ガラスとミラー

【青木淳賞佳作】
ガラスとミラー
吉村雄史 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

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【青木淳賞佳作】南野望:ドローイング達の建築

【青木淳賞佳作】
ドローイング達の建築
南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

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【青木淳賞佳作】鈴木絢:AN ideal

【青木淳賞佳作】
AN ideal
鈴木絢 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年

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【青木淳賞佳作】馬場沙織:クウカンはリンカク リンカクはクウカン

【青木淳賞佳作】
クウカンはリンカク リンカクはクウカン
馬場沙織 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

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【青木淳賞佳作】飯田はるか:つらなる、そしてかさなりあう 影のドローイング

【青木淳賞佳作】
つらなる、そしてかさなりあう 影のドローイング
飯田はるか バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年

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最終講評対象作品の発表

最終講評対象10作品が青木教授によって選ばれました。
選ばれた作品は次の通りです。全ての作品を見る場合はコチラをご覧下さい。また公開授業ということで、選抜者と青木教授、花田教授とのコメントのやり取りを開始します。
対象者のみなさんは、青木教授からの講評を読んでコメントを投稿するようにしてください。

【最終講評対象者一覧(登録番号順)】
牧野正幸 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 1年
吉丸貴一郎 九州産業大学 工学部 建築学科 4年
村野哲哉 慶應義塾大学大学院 理工学研究科 1年
山神達彦 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年
吉村雄史 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
古家良輔 大阪工業技術専門学校 建築士専科 1年
南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
鈴木絢 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年
馬場沙織 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
飯田はるか バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年

牧野正幸:persistence of hole

「persistence of hole」
牧野正幸 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 1年

001makino

【講評】
persistence of holeとあるので、穴がいっぱいあってくどい、という意図ではなく、穴というものの執拗性、ということがテーマになっているのだと思います。ドローイングから読み取れたのは、モノの形が不分明な状況であること、そこにやはり形ではなく色の滲みのように向こう側の世界が覗けていること、そこを体験する人がほとんど裸であること、です。こうした世界観は、実は、コンペの審査をすると、いつもいくつかお目にかかるもので、けっして独創的とは言えません。その意味では、弱いのですが、このイメージから、実際の建築にどうもっていくのか、そこに発見と個性が現れると思うので、そのイメージを具体的な建築として、どう提示できるかに期待しています。(青木淳)

吉丸貴一郎:palette

palette
吉丸貴一郎 九州産業大学 工学部 建築学科 4年

025yoshimaru

【講評】
大小さまざまな、またいろいろなプロポーションの四角い窓のようなものが、画面のなかに、ちらばっています。そのちらばり方には、強いコントラストが見られません。整然というわけではないけれど、お互いがお互いとの距離を考えているようなバランスがあります。そのため、大きな1枚の壁があって、そこにさまざまな窓が開いているような「並列性」を感じさせます。その並列性と、身体や事物の平坦な描かれ方があいまって、ここには、独特の世界観が表われています。この世界観に忠実な建築空間とはどのようなものなのだろうか、興味をもって、最終講評案を待ちたいと思います。(青木淳)

村野哲哉:Wood landscape plan

Wood landscape plan
村野哲哉 慶應義塾大学大学院 理工学研究科 1年

041murano

【講評】
ピカソの「地中海の風景」をトレースして、そこから2次元のパターンを抽出した、とあります。その方法自体には、ぼくは重きをまったく置いていません。しかし、そのパターンが、実に楽しい。堅苦しいところがまるでなく、いまにも動き出しそうな躍動感が漲っていて、どんな細部にも夢が溢れています。このパターンを、都市の平面図として読んでみる、というこの案の作者の気持ち、よくわかります。だから、期待しましょう。この平面図から、この感覚を残しながら、あるいは発展させながら、どんな3次元空間が立ち上がってくるのか、を。(青木淳)

山神達彦:そこにあるもの

そこにあるもの
山神達彦 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年

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【講評】
ここで語られている、とことん突き放された感じの魅力は、たとえば、坂口安吾が、うまく言葉にしています。(「文学のふるさと」とか、「日本文化私感」とか。)作者は、それが、単に環境の巨大さによるのでもなく、またその特徴的な形によるのでもなく、では、どんな要因によって生まれる感覚なのか、ということを、ドローイングを描くことによって探ろうとしているようです。おそらく、分節の密度分布のありかた、形が生まれてくるときのその根元にある厳密な生成ルールの存在、生成時に起きる暴走、といったところが、その答えになるでしょうか。こういうスタディから出てくる空間に、期待しています。(青木淳)

吉村雄史:ガラスとミラー

ガラスとミラー
吉村雄史 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

053yoshimura

【講評】
ガラスも鏡も、割れると、それまであった距離感や奥行きがなくなる、という指摘が、画面の左側半分を使って語られていますが、正直、ぼくにはこれがよく理解できませんでした。だからなのだと思いますけれど、画面の右側半分いっぱいに描かれた絵に添えられた、「ガラスのようなミラーのような、距離も見え方も、フラットな状態の建築」というキャプション、これもぼくには理解不能です。しかし、この課題は、「言葉から建築へ」ではありませんので、そういうことには、いっさい目をつむりました。そのくらい、画面の右側半分いっぱいに描かれたドローイングが、おもしろかったのです。事物が太く不器用な輪郭線で描かれています。その線がかすれています。それから、それら図像と無関係に、これまたかすれたひび割れの線がかぶさっています。実に変な絵です。ガラスと鏡の話が、作者の頭のなかで科学反応を起こして、このドローイングが生まれたのでしょう。作者が、ガラスと鏡の話を展開するのではなく、このドローイングから出発して、その世界観を建築にもっていってくれることを期待しています。(青木淳)

古家良輔:Daydream-Architecture

Daydream-Architecture
古家良輔 大阪工業技術専門学校 建築士専科 1年

054furuya

【講評】
イメージパースが6枚あって、そのどれもが、そこにいる人と違う関係を張っていることを示しています。ということは、ここで想定されている空間は、外から眺められるひとつの一様な空間というのではなく、いろいろな場があって、それらを体験することによってひとまとまりの空間として認知されることになる空間、ということなのでしょう。つまり、これは夢のなかに現れた、1本の細く背の低い木ではなく、それら木々のある場所の体験そのものを模っているのだろうと判断しました。ただし、してみると、最後の「仮に人が一人はいれるほどのスケールに落とし込み」が、辻褄があいません。そのあたりが微妙ではあるのですけれど、ドローイングを道具にしなければできそうもないこのスタディ。ここは、最終講評案への展開を期待しましょう。(青木淳)

南野望:ドローイング達の建築

ドローイング達の建築
南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

059minamino

【講評】
課題の意図を、まるで、汲んでいません。ドローイングをつかって設計してください、の「つかって」は、「それを媒体として」という意味で捉えられることを想定していますけれど、この作者は、「それを構成要素として」と、曲解しています。しかし、おもしろい。同じ要素なのに、感覚にわずかな差があるものを集めていって、全体をつくる。さて、この案をここから更に発展させることができるのだろうか、というと、ぼくはたいへんに疑問なのですけれど、もしそれが可能であれば、ほんとうにすばらしい。だから、それにすごく期待し、選びました。(青木淳)

鈴木絢:AN ideal

AN ideal
鈴木絢 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年

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【講評】
発想されている内容の荒唐無稽さと、ドローイングの洒脱な非現実感とが、よくあっています。ドローイングは、現実化がそうとうに困難なイメージを扱うのに向いた道具ですから、その効用が見事に利用されていると思います。その結果、ここでは、ある種「マンガ」的世界観(あるいは空気の質)が提示されることになっているのですけれど、その「マンガ」的なモノのあり方とは、具体的にはいったいどんなものなのか、を探っていただければ、と思います。(青木淳)

馬場沙織:クウカンはリンカク リンカクはクウカン

クウカンはリンカク リンカクはクウカン
馬場沙織 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

100baba


【講評】
長方形の各頂点から内側に向かって45度の角度で同じ長さの斜線を描き、その4つの斜線の端部を結ぶ長方形を描きます。すると、長方形は、5つの領域に分かれます。(台形が4つ、長方形が1つ。)各領域を塗るか塗らないか、とすると、2の5乗、つまり32通りのパターンができます。作者は、うち27パターンを選び(なぜ?)、それらを縦7マス、横8マス、都合56マス(なぜ?)のグリッドになかに配置しています(どういうルールで?)。ともかく、それらの2次元パターンは、その中央に向かう斜線ゆえに、一点透視図法で描かれた3次元空間を想像させます。そして、作者はその空間での人の居方(いかた)を想像して、人の姿を描き込んでいます。このカタログ的網羅性がとてもおもろいと思いました。もっとも、「クウカンはリンカク リンカクはクウカン」とだけ書かれていますけれど、その意味はわかりません。(青木淳)

飯田はるか:つらなる、そしてかさなりあう 影のドローイング

つらなる、そしてかさなりあう 影のドローイング
飯田はるか バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年

122iida

【講評】
悪夢のようなドローイングです。道の両側に、ぬめっとした壁が、うねうねと、ひろがったりせばまったりしながら続いている暝い町に、一人、入り込んでしまったような、そんな不安の感覚がよく表わされています。この感覚を残す建築ができたら、すごそうです。映画でこういう町を描こうとすれば、映画セットが必要です。まずは、そのセットの設計と思って、進めてみたらいかがでしょうか? (青木淳)

応募して下さった皆さんへ。

先日、最終講評対象者10名の作品をサイト上に掲載しましたが、それ以外にはどんな案が提出されていたのだろうと思っている人も多いのではないでしょうか。
神戸芸工大の学生からは、「見てみたい!」という要望も出てきました。
そこで、氏名と学校名は伏せた上で、残りの作品をすべてサイト上にアップすることにしました。
この企画は、設計の「授業」であることを意図しているのですから、「講評会」では「同級生」の作品を互いに見られるべきですよね。また、青木さんの「眼」について考える手がかりにもなると思います。
ただし、CD-Rにデータが上手くはいっていなかった人の作品は掲載できていません。
その方々へはメールで連絡をしましたから、指示に従ってデータを再送して下さい。
なお、コメント欄への書き込みは自由です。そこで議論が盛り上がるくらいになることを願っています。

なお、応募者の在籍校は以下の通りです。応募者数は略しますが、参考までに学
校名のみ掲載しておきます。

花田佳明



2009年度 参加校一覧

慶応義塾大学/慶応義塾大学大学院
明治大学大学院
名古屋大学大学院
バンタンデザイン研究所名古屋校
京都工芸繊維大学
大阪大学大学院
大阪工業技術専門学校
大阪芸術大学大学院
武庫川女子大学
神戸芸術工科大学/神戸芸術工科大学大学院
九州産業大学

002:ARCHITECTURE WILL DANCE SLOWLY

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004:ノイズに満たされた世界

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010:BUBBLE SCAPE

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012:溝の世界

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016:演奏感覚から建築へ

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019:まるいしずく

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029:時間からつくられる空間

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032:都市の氷山

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037:Copse

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038:「テーブルがつくるヒエラルキーからモノをとらえる」

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047:

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048:「長い、表面積」

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051:「隙間の美術館。」

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058:道が建築をつくる

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061:変わる世界。つながる世界。感じる世界。

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063:それはまるでパズルのように

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071:洞窟

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073:派生

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074:時間と空間

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075:街と自然

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076:うかぶらくがき

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079:空間のかけら

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080:雨の日のサーカステント

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091:TORNADO

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092:次元の浸食

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107:浮遊/Floatage

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118:

118niu.jpg

119:

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120:The concept considered by drawing.

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課題内容

A2ポスター

「 ド ロ ー イ ン グ か ら 建 築 へ 」

建築ごとに、そのもっとも肝のところは、ずいぶんと違います。ある建築にとっては、そのすばらしく明解な構成が肝なのかもしれません。また他の建築にとっては、その空間が持つ得も言われぬ空気感こそが肝にあたるのかもしれません。どういう側面が最も大事なのか、は、建築によって、異なります。だからこそ、建築には無限の可能性がある、とも言えるわけですけれど。

肝とすることが異なれば、その建築をもっとも的確に表現する方法も、おのずから異なってきます。同じくドローイングで表現するにしても、その描きかたは、その建築の主題によって、ずいぶん違ってきます。「いいドローイングの描き方」というのがあるのではなく、求める建築の主題ごとに異なる、無数の「適切な」ドローイングの描き方があるのです。

このことを逆から言えば、あるドローイングの描き方、表現には、そこから自然に導き出されてくる建築の姿があるはずです。「そのドローイングを見て『いいなあ』と思うこと」を体現する建築が、きっとあるはずなのです。

だから、あなたが今まで見たことのないドローイング表現を考えてみてください。そして、その表現方法にあった建築を構想してみてください。

何が求められているのか、もっと知りたい人は、去年の「青木淳と建築を考える」(http://envopenstudio.blog36.fc2.com/)を覗いてみてください。きっと参考になるコメントが見つかると思います。というのも、今年の課題は、去年の課題と、<模型>を<ドローイング>に置き換えただけの違いしかないからです。楽しい案を楽しみにしています。

青木淳

──────────────────────────────────────
■チラシのダウンロードはこちらから
【表 PDF:425KB】  【裏 PDF:195KB】

担当教員/対象

■ 担 当 教 員
 青木 淳( 建築家・本学客員教授 )+ 環境・建築デザイン学科教員

■ 対 象
 本学環境・建築デザイン学科学生または大学院生、および本学以外の建築
 関連の専門学校生・大学生・大学院生。
 個人参加を前提とし、2人までの共同制作は認める。

スケジュール

■登録締切 

  9月30日(水)必着 (メール以外は受けつけない)

■公開講義及び中間講評会:

 日時: 10月3日(土)
 

 14:00〜16:00  青木淳教授による講義
 16:30〜18:00  中間講評会( 神戸芸術工科大学の学生作品のみ対象 )
 
 会場:神戸芸術工科大学 →アクセス方法

■作品提出日

 ・本学学生以外:10月31日(土)必着( 持込み不可 ・郵送のみ受付 )
 ・本学学生及び大学院生:同日17:00までに環境・建築デザイン学科事務室

■成績優秀者の発表

 11月初旬

 青木淳教授が優秀作品を10作品程度選び、選ばれた人にはメールで通知するとともに、このサイトにて発表する。これらの作品の制作者は、最終講評会で青木淳教授や本学教員による講評を受ける。
■最終講評会及び懇親会

 日時:12月12日(土)
 

 13:00〜16:30 最終講評会(※)
 17:00〜18:00 懇親会
 
 会場:神戸芸術工科大学 →アクセス方法
 希望者は自由に参加できる(入場無料・席は先着順)。

※優秀作品制作者(10名程度)は、提出した作品をさらにブラッシュアップした上で、最終講評会にて発表し(対象者には、別途メールにて詳細を連絡する)、その際、青木淳教授や本学教員による講評を受ける。最優秀作品・優秀作品を決定し、最優秀、優秀作品に選ばれた人には、青木淳教授から賞状及び賞品が贈られる。
■ 優 秀 作 品 展 示 会

 成績優秀者の作品は、最終講評会後1週間程度、本学「セレンディップギャラリー」にて展示を行う予定である。 詳細は後日、このサイト上に掲載する。展示作品は、自由に観覧可能。

応募登録

 このオープンスタジオに参加を希望する学生は、次の事柄を書いてメールにて8月5日以降に登録を行うこと。応募登録者には、登録番号を10月10日頃までにメールにて返信する。
 
登録締切:
 9月30日(水)必着
 
件名:
 オープンスタジオ2009への参加申込

※上記件名で自動受付を行いますので間違いのないようにしてください。2009は半角英数です。
 
内容:
 氏名(ふりがな)・在籍校・学科名・学年・メールアドレス( 携帯不可 )
 
送信先メールアドレス:
 env-office[at]kobe-du.ac.jp
 ↑[at]を@に置き換えること。
 
※共同制作の場合はその旨を明記し、2人それぞれの氏名(ふりがな)・在籍校・学科名・学年を書いて登録すること。メールアドレスは代表者のみを記入。
※無事に受け付けられた場合は、自動返信で受け取りの案内が送られるので確認すること。

作品の提出方法

□提出物 
以下3つのものを提出すること。1人(1グループ)1作品に限る。

 ・A2サイズ(420mm×594mm)の図面1枚。片面使い。
  ただし、立体、額装、パネル化は不可。

 ・PDFデータを保存したCD-R1枚 300dpi程度 10MB以内
  ※ファイル名は受付番号+姓[半角].pdfとする。(例:001yamada.pdf)
  ※CD-R上にも同じファイル名を記入すること。
  ※特殊フォントを用いた場合は、アウトライン化すること。

 ・応募用紙[PDF:420KB] →ダウンロードして必要情報を記載する。

□内容
ドローイング、配置図・平面図・断面図・立面図などの図面、コンセプト等を説明する文章、その他必要と思われるもの。縮尺、表現方法は自由。

□登録番号の記載
応募図面の表面右下に3cm角の正方形を描き、その中に登録番号のみを明記する。
応募者を特定できる情報は記載しないこと。

□質疑
この課題に関する質疑は一切受けつけない。但し、このホームページ上で参考情報を掲載する予定なので、このサイトを随時確認すること。

□送付先
 〒651-2196 神戸市西区学園西町8-1-1 神戸芸術工科大学
 環境・建築デザイン学科 事務室「オープンスタジオ課題提出」係

注意事項/サイトポリシー

■応募にあたっての注意事項


  • 応募作品は未発表のものに限る。

  • 提出作品の返却はしない。

  • 優秀作品の最終講評会にあたっては、模型、図面等は各自で持参すること。その後に開催される展示会終了後に作品の返却は行わない。したがって、必要な場合は展覧会終了日に各自で取りにくること。なお、最終講評会のために来学する場合の交通費等は支給は一切しない。

  • 本企画の参加作品の著作権は応募者に帰属するが、全応募作品及び最終講評会での発表作品の発表(ホームページ上の掲載、及び出版物への掲載等)に関する権利は神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科が保有する。

  • 入賞後に著作権侵害やその他の疑義が発生した場合は、すべて応募者の責任となる。また、その場合は、主催者の判断により入賞を取り消すことがある。

  • 本企画への参加に伴い得た個人情報については、その他の目的には使用しない。

■サイトポリシー


  • このホームページ全体及び掲載されている個々の情報(文章、写真、イラストなど)は全て著作権の対象となっており、日本国著作権法及び国際条約により保護されている。

  • このホームページに掲載されているコンテンツのうち、明記されているもの以外の著作権は全て神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科に帰属する。

  • このサイトの内容の全部又は一部について、引用転載複製を行なう場合は、必ず出所を明示すること。

  • このホームページの内容の全部又は一部について、神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科に無断で改変を行うことはできない。

  • このホームページ上に掲載された記事、投稿されたコメント等の出版物への掲載等に関する権利は神戸芸術工科大学環境・建築デザイン学科が保有する。

  • このホームページ上にコメント等を投稿する場合は、所属と実名を公開することを条件とし、無記名の場合は投稿者に断りなく削除する。

最終講評会の様子

12月12日に開催された最終講評会の様子をアップしました。
ぜひご覧下さい。

対話篇09 花→青 19

いやあ、ひとつ前の青木君の対話編の書き込みから1ヶ月近く経っていました。
こちらがさっぱりの間に、学生諸君の間の書き込み合戦はすごかったですね。
去年とは全く雰囲気が違うので驚きました。
2、3書き込んではみたのですが、いつの間にか議論についていけなくなって、呆然としているうちに1ヶ月です。

いよいよ今週末、12日(土)が最終講評会です。
神戸芸工大の学生諸君は、3年生は実習課題の締め切りと重なりあせっています。4年生は卒制までまだ時間があり、院生は時間的には一番余裕がある。
「どおーなってるの」と覗こうとしても、見せてくれません。
ま、それでいいですよね。
僕が余計なことを言えば言うほど、きっと青木君の思いからは遠くなる。学生もそのことを知っているのでしょう(笑)。

ところで、『新建築』コンペの青木君の選択と講評はほんとに面白かったね。
ブログにも書きました。
「住宅、映画の世紀を経験して」という、僕にはどうしたらいいのか見当もつかない課題なのに、世の中には優れた才能が潜んでいるものだ。
1、2、3等案はすごいですね。
出題した方も出題した方、それに応えた方も応えた方。
あっぱれ!です。
佳作を含めた全作品に寄せられた青木君のコメントもまさに青木君。
去年のオープンスタジオで感じた印象を思い出しました。
ひと言もけなさない。
どんな球が飛んできても、必ずテーマである「映画」を軸に受け止める。
映画についての青木君の間口の広さがよくわかる。
けなす暇などないわけだ。

学生諸君、12日の講評会もきっとそんな厳しくも楽しいやり取りが飛び交うはず。
頑張ってください。
神戸で待っています。
賞品は青木君が選んだ本です。
すべて到着しています。これもお楽しみに。

最終講評会のお知らせ

遅くなりましたが、最終講評会のプログラムです。
誰でも聴講自由ですので、ぜひ足を運んでください。

神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科オープンスタジオ2009
青木淳と建築を考える」最終講評会 プログラム

2009年12月12日(土)13:00〜 デザイン教育研究センター/1114教室&カフェ

■プログラム
13:00 - 13:10 :はじめに
13:10 - 14:40 :前半プレゼンテーション(1人5分)&講評
「persistence of hole」
 牧野正幸  神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 1年
「palette」
 吉丸貴一郎 九州産業大学 工学部 建築学科 4年
「Wood landscape plan」
 村野哲哉 慶應義塾大学大学院 理工学研究科 1年
「そこにあるもの」
 山神達彦 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年
「ガラスとミラー」
 吉村雄史 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

14:30 - 14:40 :休憩

14:40 - 16:00 :後半プレゼンテーション(1人5分)&講評
「Daydream-Architecture」
 古家良輔 大阪工業技術専門学校 建築士専科 1年
「ドローイング達の建築」
 南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
「AN ideal」
 鈴木絢 バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年
「クウカンはリンカク リンカクはクウカン」
 馬場沙織 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
「つらなる、そしてかさなりあう 影のドローイング」
 飯田はるか バンタンデザイン研究所名古屋校 空間デザイナー専攻 1年


16:00 - 16:20 :全体講評
16:20 - 16:50 :休憩
16:50 - 17:00 :表彰式(カフェにて)
17:00 - 18:00 :懇親会(カフェにて)

対話篇とは

今回の課題を手がかりに、青木教授と私との間でメールのやり取りをしてみようと思います。どんなことになるか分かりませんが、よろしくお願いします。

茶々を入れてやろうと思う方はぜひどうぞ。
ただし、所属と本名は明記して下さいね。
なお、このブログに関する注意事項はご一読ください。

花田 佳明

対話篇09 青→花 18

今年は、最終講評作品を選んで、とりあえずのコメントを書いたら、それぞれの人からコメントへのコメントの書き込みがあり、さらに、花田くんのすばらしいコメントが入り、しかも、参加している人たちの間でもコメント交換がはじまって。

ぼくとそれぞれの人との1対1のやりとりに終始した去年とくらべ、とってもいい感じですね。

花田くん、もっと、もっと書き込んでください。

学生の人たちも、もっと、もっと書き込んでください。

対話篇09 花→青 17

青木君、最終講評対象作品の選定、ありがとう。
応募して下さった皆さんも、ありがとう。
結果を発表しましたが、いかがでしたか。
今年は「ドローイング」という言葉にやや戸惑った人もいる印象で、どうなることかと思いましたが、結果的には応募作品数は去年より減りつつも、レベルは去年以上に高かったと思います。
アクセス数も一気に増加。発表した11月6日が1,617、7日が1,213でした。
そんなに気になるなら応募してこいよ!とは去年も書いたこと(笑)。

10作品は青木君だけで選んでいます。僕は口出しをしていません。
去年も同じです。
届いた作品を一式彼の元に送り、選考してもらう。
もちろん学校名も氏名も伏せてです。

でも、送る前に、僕も自分なりに選んでみます。
で、青木君からの結果と照合する。
試験受けてるみたいで、結構ドキドキします(笑)。

今年は僕も10作品を選びましたが、実はそのうち、青木君と重なったのは6作品でした。
また残り4作品のうち、2作品は僕も迷いつつ別の2作品の方にしたのでした。そしてさらに残りの2作品は、僕にとってはやや思いがけないものでした。

青木君の眼は本当に揺らがない。そのことを痛感しました。
具体的にどの作品かを言うのは止めておきますが、図面の完成度が一見高くても、本質的なことに欠陥があると、さっと候補者からはずしてしまう。
選ばれなかった人は、もういちど自分の作品を見直してみて下さい。
大学の授業なら全作品を講評しますから(少なくとも僕らの学科では)、この「授業」でもそうしようかなと思わなくもないのですが、この「教室」は大学の閉じた教室とも違うので、迷いつつ最終講評対象作品のみとしています。

選ばれた10作品をあらためて眺めてみると、決して意図したことではないでしょうが、ひとつの傾向に偏らず、いろんな考え方がちりばめられていることに気づきます。「まるで青木事務所のスタッフ構成のようだね」とは、僕が青木君に送ったメールですが、疾走するピューマから必死で貝を割るラッコまでいろんな動物たちがいて、僕が唱える(唱えているんです)「青木事務所=動物園論」の証拠のような結果です(笑)。
でもきっとそこにはある一貫性が存在する。それを考えることは青木淳論への手がかりになるわけで、評論家にとってまことに有意義な企画であります。

去年と同じように、青木君からの講評が書かれています。
いずれもそれじたいが興味深い内容です。
選ばれた10人の人は必ずコメントを返して下さいね。

青木先生に図面を送りました

たくさんの応募ありがとうございました。
昨日、全図面を青木先生に送付しました。

この中から、最終講評会で講評をする作品が選ばれます。

選ばれた作品は、近日中に本サイトにて、
青木先生のコメントとともに公表予定です。
また、同時に対象者にはメールで連絡します。

対話篇09 花→青 16

前回に続き、青木君への手紙ということではないのですが、僕らの学科サイトに中間講評を受けた学生へのインタビューが載っていたのでリンクしておきます

 「少しは青木さんの言葉を吸収できたかも」
 「においとか世界観とか自分の感覚をすごく大事にしているのかなぁ」
 「言葉にできない好き嫌いがあるんよ」
 「まぁね。やるしかないね!!」
 「思っていたより緊張しなかったかな。カンペもあったし」
 「建築の話じゃなくて、体験や経験の話をしきりにしてはったな」
 「なんかお母さんんみたいに優しかったし」

学生っていいなあ(笑)。

あ、もうひとつインタビュー記事がふえてる

さて、提出締切が近づきました。
 ・本学学生以外:10月31日(土)必着( 持込み不可 ・郵送のみ受付 )
 ・本学学生及び大学院生:同日17:00までに環境・建築デザイン学科事務室

提出物は以下の3つです。
 ・A2サイズ(420mm×594mm)の図面1枚。片面横使い。
  ただし、立体、額装、パネル化は不可。

 ・PDFデータを保存したCD-R1枚 300dpi程度 10MB以内
  ※ファイル名は受付番号+姓[半角].pdfとする。(例:001yamada.pdf)
  ※CD-R上にも同じファイル名を記入すること。
  ※特殊フォントを用いた場合は、アウトライン化すること。

 ・応募用紙[PDF:420KB] →ダウンロードして必要情報を記載する。

内容は、ドローイング、配置図・平面図・断面図・立面図などの図面、コンセプト等を説明する文章、その他必要と思われるもの。縮尺、表現方法は自由。


あ、さらにもうひとつインタビュー記事がふえてました

ま、とにかく、こんな感じの「授業」なので、たくさんのご応募を待っています。

対話篇09 花→青 15

学生の皆さんへ。
参考資料の配布です。「Detour Exhibition - Jun Aoki」。
Detourは、迂回とか遠回り、でいいのかな。
ここで他の作家の作品もぜひ見てみましょう。

Detour Exhibition - Jun Aoki from Moleskine ® on Vimeo.

対話篇09 花→青 14

青木君の口から「経験」という言葉が出ると、「テレタビーズ」 (Teletubbies) を取り上げた理由が何となくわかるような気がするから不思議だなあ。あなたは得な性格です(笑)。

イヴ・ブリュニエについての記述も、「それがつまり、「ランドスケープ」というとりあえず伝統的に措定されてきた既存の領域だったわけですけれど、さて、それで収まるものだったかどうか」というあたりも「なるほど!」と思いました。

青木君が独立して最初に使った「動線体」という言葉にも「経験」というニュアンスはあったんだけど、「その辺に、ぼくのいまの関心があります」という思わせぶりな口調からは、その後の「モノ」的指向が加わって、きっとより総合的な視点が提出されるんだろうなあという期待がむくむく。モノ(あるいは空間)と経験の両方が、それこそ先日の「具体」と「抽象」みたいな同時存在となれば、こりゃすごいよね。

ところで、この「同時存在」ぶりからは、僕が『建築文化』(1999年11月号)の青木君の特集号でに書いた「青木淳論序説」(これで読めるよ)の最後で図とともに提出した、別名「ずん胴モデル」(当時の青木君の体型から連想したわけではありませんが、笑)と呼んだ「青木モデル」を思い出した次第です。そんなことはないよと言うでしょうが、結構青木君の本質を言い当てていたのかも、なあーんて勝手に思ったりしました。

ちっともドローイングの話になりませんが、学生の皆さん、今月いっぱいが締め切りです。面白い作品、期待してますよ。

ところで、「経験」と「ドローイング」という言葉が関係がありそうと言われてみると、なるほど、かつて刺激を受けたものはそういうことだったのかもと思います。

ベルナール・チュミの「ジョイスの庭」、アルド・ロッシの一連のイタリアの都市の風景画など、それぞれイメージは違うけれど、「都市的経験」というものを図化し、そこから建築をつくり上げたんでしょうね。
「ジョイスの庭」は画像がインターネットで見つからないなあ。
昔の『a+u』に載ってるから、学生諸君は図書館で探してみて下さい。
とりあえずはこれを読むとか。

そういう意味では、今回の「ドローイング」とは、学生諸君が都市や風景をどうとらえているのかを示すもの、かもしれないですね。

対話篇09 青→花 13

花田くん、この前、話したことを実に的確にまとめてくれたので、ぼくがつけ足すことは、もうなにもありません。どうもありがとう。

この前は、ドローイングについて話すにあたって、なにか適当な材料がないかなあ、と見つくろっていて、久しぶりにイヴ・ブリュニエのことを思い出しました。

講義で、イヴ・ブリュニエを知っている人、手を上げて、と聞いて、手をあげた人がひとりもいなかったので、念のため書いておきます。イヴ・ブリュニエは、1991年、28歳になる直前に亡くなってしまったので、5年間という、ほんとうに短い活動期間しかないのですけれど、その5年の間、彼は、レム・コールハースやジャン・ヌーヴェルなどの仕事に、「ランドスケープ・アーキテクト」として参加しました。

イヴ・ブリュニエの仕事がまとまっている出版物として、ぼくはこれしか知りませんけれど、そこにはかなり多くのドローイングが収録されています。描かれているのは、「かたち」ではありません。「構成」でもありません。そういう客観的なものではなく、もっと主観的なものです。その場所を体験することで立ち上がるだろう空気の質であり、それと同じ質になるように、手で荒っぽくちぎったような断片でコラージュされ、パステルが重ねられたドローイングです。

イヴ・ブリュニエは、空間を、モノとしてではなく、経験として捉える視点に立っていました。そして、だからこそなのだと思うのですけれど、設計の道具として、彼は、ドローイングを多用しました。自分がそこにいるときに、自分はどう感じるだろうか。あるいは、自分はどう感じたいと思っているのか。それを考えながら、彼は、写真を切り裂き、絵の具の乗せ、パステルを擦り、人物を描き込んだのだろうと思います。たしかに、こういうことは、模型よりもずっと、ドローイングに向いています。

建築にせよ、都市にせよ、そのどちらもまた、モノとしてではなく、経験として捉える視点から設計することができるはずなのですが、彼にあてがわれたのは、それらとは独立して、しかしそれらを補完する立場でした。それがつまり、「ランドスケープ」というとりあえず伝統的に措定されてきた既存の領域だったわけですけれど、さて、それで収まるものだったかどうか。その辺に、ぼくのいまの関心があります。

対話篇09 花→青 12

中間講評会のレクチャーで青木君は、「テレタビーズ」 (Teletubbies) というイギリスの子供向けテレビ番組の動画も映した。「こんな世界の経験が本当にあったならどうだろうか」と考えるらしい。彼が現在設計している杉並区の体育館のヒントでもあるとのことでした。
「世界をつくる」というわけです。
このサイトは「通信教育」なのですから、再掲しておきます。
同じかどうかわからないですが、下はYou Tubeにあったもの。
学生諸君のご参考までに。
何の参考にすりゃいいんだろうって?
それは自分で考えてね。

対話篇09 花→青 11

ちょっと間があいてしまいました。
10月5日の中間講評会の報告や感想を書こうと思いながら、後期の授業が始まったり、日土小学校関係の原稿に追われたりしてまとまった時間がとれません。
いまもパソコンの画面の上には、その原稿のファイルが開かれています。一旦書き終えたのですが、編集者と誌面イメージを話す中で、大幅に書き方を変えようということになったわけです。わりとドライに書いていたのですが、物語性を加えないと伝わらないことが多いのではないかという判断が下り、全体にがさっといじっています。

こんなこといくら書いても仕方ないですが(半分息抜きです)、でもまあ学生諸君、設計課題の自分の案を、エスキスの中で先生に思い切りいじられたときのことを考えて下さい。大鉈を振るうときにどきどきするのは、設計でも文章でも、学生でも先生でも(笑)、同じなのです。


さて、中間講評会で青木君は、ひとつの思考モデルを提示しました。

   <抽象>    <抽象>   <抽象>

   まぼろし  →  図式  →  もの

   <具体>    <具体>   <具体>

という具合に設計は進むのだけど、いずれのステップにおいても、<抽象>と<具体>の両面をもってないといけないというわけです。
会場で映した映像では、上記の真ん中の3つの言葉の上下に、ぼわーと縦に帯が伸び、それぞれが<抽象>と<具体>を示していました。

菊竹清訓の「か・かた・かたち」論なんかも思い出しつつなんとなく聞いていたのですが、ふと奇妙なことに気づきました。

そう、青木君はさらっとそんなことをいうのですが、でも「まぼろし」の段階での<具体>って何?、<具体>がないから「まぼろし」なんじゃないの?、逆に「もの」の段階での<抽象>って何?、<具体>だから「もの」なんじゃないの?という疑問がわいてきたのです。
そうなると、彼の言っていることが何とも不思議に思えてきます(くるでしょ?)。
ごくふつうに考えれば、<抽象>的な「まぼろし」から何らかの「図式」をつくり、それを<具体>的な「もの」にしていく作業が設計ですからね。
なぜこの人はこんな変なことをさも当然のように言って平気な顔をしてるんだろうというわけです。

彼の話が終わった後、会場での議論でこのことを指摘しましたが、設計とはそういうふうでありたい、そうあるべきだという意志の問題だというふうに理解しました。あるいは、彼はそんなふうに考えているからこそ、あんな建築が設計できるんだなという青木論として。

そしてもちろん話はきちんと「オープンスタジオ」につながるわけで、「図式」のところが昨年は「模型」、今年は「ドローイング」というわけです。

ということで、ここから先は皆さん自分で考えてみて下さい。
<抽象>と<具体>の両面をもった「ドローイング」を描くわけです。
僕にはよくわかりません(笑)。

青木君の話でもうひとつ面白かったのは、「ドローイングは建築単体を考えるのにはあまり役に立たないが、経験を考えるのには役に立つ」という話です。
これなかなりなるほどと思いました。
「模型」との違いという話にもなりそうです。
ドローイングは、まわりをいろいろ引きずり込む、「世界を作る」、そんな感じです。

その事例として青木君が取り上げたのが、イブ・ブルニエ(Yves Brunier)。OMAと恊働したランドスケープアーキテクトですね。
ここから先は自分で調べて下さい。

もう原稿に戻らないとまずいです。

続く。

登録番号を送付しました

少し遅くなりましたが、本日、申込み時に記載のあった登録メールアドレス宛に登録番号を送付しました。もし、届いていない場合は、事務局までメールでお問い合わせください。

この登録番号は、応募のときに必要となります。提出方法をよく読んで間違いのないようにしてください。

それでは、多くの作品を楽しみにしています。

[報告]公開講義&中間講評会

10/3(土)に青木教授による公開講義と中間講評会が開かれました。

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まずは、青木教授による公開講義「ドローイングから建築へ」を行いました。

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ブランクーシの彫刻の話や、イブ・ブルニエのランドスケープのドローイングの話がありました。

その後20分の休憩をはさんで、2年生から院生まで10人の学生のドローイング作品への中間講評会を行いました。

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大ホールの舞台に並ぶので、学生は少し緊張気味。

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学生が作成したドローイング元に取り組んでいる内容の発表をします。

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3〜4人一組で説明した後、青木先生から一つづつ講評が行われました。

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全ての講評が終わった後、青木先生と花田先生の全体講評がおこなわれました。
最終講評会も同じ場所で行います。どの作品が壇上にあがるのか、楽しみにしています。

なお、環境・建築デザイン学科サイトにも報告がありますので、合わせてご覧下さい。

[お知らせ]応募登録を締切りました。

オープンスタジオ2009の応募登録を9/30付で締切ました。
本年度は、全国の専門学校、大学、大学院から116組の応募がありました。
たくさんの登録ありがとうございました。

明日は、いよいよ中間講評会です。都合のつく方は是非ご参加ください。
当日の様子は、またこのサイトでもご報告します。

また、最終提出は10月31日(必着)となっています。
(詳細はスケジュールでご確認ください)
応募登録数と同数の作品が送られてくることを楽しみにしています。

[お知らせ]本日9/30は登録締切日です!

今年のオープンスタジオの応募登録の締切りは今日中です。
おかげさまで今年は、全国からたくさんの登録を頂いています。

すでに登録をしてくださった人には、来週辺りに登録番号を登録したメールアドレス宛に送付する予定です。登録受付確認メールが届かなかった人は、上手く受け付けられていない可能性もありますので、今一度、件名やメールアドレス(携帯メールは不可)などに不備がないか確認ください。

対話篇09 花→青 10

10月3日の青木君の特別講義と中間講評会が迫ってきて、今日は、学内で中間講評を希望している何人かの学生諸君と話しました。
昨年もそうでしたが、普段の具体的な設計課題とは趣が違うためか、何をしたらいいのかと戸惑う人もいるようで、そのあたりの誤解を解いたり、現代アートのドローイング作品を紹介したりしました。
余計なことかもとか、的外れかもとか、いやいやこういう親切さこそが教育なのなのだとか、これも去年と同じですが迷いつつ、まあいろいろと喋りました。
僕は、神戸芸工大の教育に欠けているのが、この課題のようなコンセプチャルな思考のトレーニングだと思っているので、それを補う場を少しずつ作りたいというわけです。学生諸君も、不慣れなことに臆病にだけはならないでほしい。臆病と自覚してるうちはまだマシだけど、いつしかそれが億劫になり、不感症になり、欠陥に気づかなくなったらおしまいです。

今日は、以下のような本やカタログを見せながら学生諸君と話しました。

■安藤忠雄や槇さんの作品集。その中のスケッチやコラージュを紹介し、「これは今回いうところのドローイングだ、これはぜんぜん違う、これは中間くらい」そんな話です。
■青木君の青森用の例の断面のスケッチ。
■ミースの作品集で、対話編で書いたことの復習。
Herzog & De Meuronの "Natural History"。 この中の、さまざまな模型によるスタディを紹介。たとえば、「模型の」素材をかえることによって、新たに生まれる空間の質に対応した建築空間を考えるという順番であり、「模型の」素材がアルミであっても実物の素材がアルミだとは限らないという自明のことの再確認。そして「模型」という言葉の「ドローイング」への置換。
■若林奮の展覧会のカタログ。東京国立近代美術館での展覧会(1987年)と、豊田市立美術館での展覧会(2002年)のもの。対話編で書いたことの説明。
野村仁の東京国立近代美術館での展覧会(2009年)のカタログ。時間を様々な手法で平面上に定着させている作品の紹介。
松井みどり『マイクロポップの時代:夏への扉』(PARCO出版 、2007年)の中の「痛い」ドローイングについて。
■目黒区美術館で昔おこなわれた「戦後文化の軌跡1945-1995」展(1995年)のカタログ
ピーター・ドイグのドローイングのこと。
■その他、いろいろ。

建築化の手前で、言葉によらず、描くことによる思考に留まってみること。

10月3日の青木君の特別講義、みんな来て下さいね。
学外の人も、これからささっと何か描いて、出展してみませんか。

対話篇09 花→青 9

9月27日(日)はオープンキャンパスで、高校生にこのサイトなどを見せながらオープンスタジオの説明をしたら、通じました。
「建築の設計を、機能や敷地や予算やらの条件から考えていってスケッチ化し模型をつくるんじゃなくて、その順序を逆にしてみると、それまでのやり方じゃ見つからなかった新しい建築を発見できるんじゃないかという実験なんですよ」。これで、高校生にもわかる!

何度も話題にする若林奮ですが、彼とまえだ英樹の対談集『対論◆彫刻空間 物質と思考">対論◆彫刻空間 物質と思考』(書肆山田、2001年)を読んでいると、まさにこのオープンスタジオの彫刻家版といえる思考や発言が随所にありました。つまり、若林奮は鉄を中心にした抽象的な彫刻作品を作る作家ですが、同時に平面つまりドローイング作品も多く発表し、しかもいずれの作品タイトルにもきわめて詩的な言葉がつけられることについて、評論家の前田がいろいろと尋ね、作家としての若林がそれに答えているのです。これが、彫刻を建築に置き換えると、まさにオープンスタジオの対話篇なのです(笑)。

全部書き写したいくらいですがそうもいきません。
ただとにかく、モノとしての彫刻を作る作業、平面上に線を描く作業、それらにタイトルとしての言葉を与える作業、この3つの若林の中での位置づけが、今回の「ドローイングから建築へ」ときわめてパラレルなのです。

まず若林は、鉄という素材について、「鉄はある尺度になる」とか「粘土は物質としては捉えていなかったと思います」とか発言しています。前田はそれを「「鉄と出会った」と若林さんがおっしゃる時の<鉄>は、この鉄それ自体が為すイデアルな表現だということになる」と評論家らしく言葉にしますが、ともかく、この「鉄」という言葉を「建築」に置き換えてみると、建築を言葉から解放した青木君の一連の仕事と重なります。

前田は、若林の作品名の詩的なタイトル、たとえば「振動尺」といった言葉を取り上げて、「若林さんの場合、「言葉」が彫刻の仕事の切れ目をつなぐかのように断続的に現れてくる」「いつも必然的に内側に言葉による探求を含んでいるのだ」と、やや「言葉」寄りの解釈を示しますが、若林は「言葉がそういうものかどうかは私自身はよくわからないんですが」「つくっている時は、ある素材やそれが変化していく状態と自分との両方がないと成立しない。作品ができていく、その時、私自身には言葉があります」と答え、まさに前回書いた言葉原理主義に対する「イエローカード」が出されているといえるでしょう。とくに、作品の前にではなく、「作品ができていく、その時、」言葉があるという感覚は、青木君の言うオーバードライブ感に近いように思います。

ドローイングについては、まさに「ドローイング―奥行の小さい彫刻」という節があるのですが、若林は自分のドローイングについて(以下、「絵画」がそれに相当)、「前田さんのお話で、絵画と彫刻の二つを指摘されましたが、私は絵画ができていないのではないかと思うのです。表現法や形式は絵画のふりをしているようなものも、ほとんど物質の話の中に収まるもののように思える。あるいは彫刻の一つの形式―薄い彫刻―と言うんでしょうか・・・そういうところに多分入れてよいんではないかと自分では思っています」と答えます。
面白いですね、どこまでいってもモノとして彫刻として平面上の描写もとらえている。おそらく、言葉についてすらそういう感覚の中でとらえているのでしょう。

さらに前田が、「紙の上に描くことによって彫刻にない何が捕えるお考えですか?」と、まさに今回のオープンスタジオの問題のような質問をすると(笑)、若林の答えは非常に繊細というか、どんどんモノの世界に迷い込んでいくのです。長いですが写します。

「紙に書く場合、奥行きが小さいことによって空間性が非常に変わってくるということがまず一つあると思います。たとえば木炭を使って紙に描くという時、それは、物である紙に木炭を付け加える、ということになります。物としての紙は厚みや重量はあるのですが、その上に線を描くことによって、紙は少し変わるように思われます。それ自体が私の前にある現実的な空間を少し変え、空間を無性格にすると言えるのではないかと思います。しかも、その作業は単純で、短時間のうちに、各時間の断片に対応することができる。それから色を使った場合ですが、私が考える色は素材・材料そのものが持っている色ということがまずあります。それが、いろいろな光によって変化することもあります。それからさらに、自分が絵の具を使って付け加えてゆくということもあるのですが、彫刻の場合、描線や彩色をすることは別の意味を持つように思えるんです。描線や彩色は、彫刻の延長上の仕事ではあるけれど、私の場合はむしろ、それまでの作業の中から一部を消してゆく作業だろうとも思えます。けれど、奥行きの小さな紙の場合は、紙や綿や鉄や銅などのどれかと重ね合わせ、それぞれの素材と代えられることもあり、彫刻とは別のこともああるようです。消し去る・弱めてゆく過程のものではなくて、何と言えばよいのでしょうか―物を染める、と言うんでしょうか・・・物を変化させる、と言えばよいでしょうか―そういうような使い方ができるのではないかというふうに考えることもあります。」

きりがないのですが、僕には、<彫刻をドローイングによって語る>というような感覚がよく伝わって来ます。「言葉によって」ではなく、です。
あくまでも「言葉」は、最初に書いたように、「作品ができていく、その時、」にある。
途上においてはドローイングなんだ、というわけです。
だから、言葉における単語や文法やレトリックに相当するドローイングの物質性のさまざまな特性に、彼の眼は向いていく。彫刻に最も優しく寄り添うのは、彼の場合、言葉ではなくドローイングなのですね。

と考えてくると、このオープンスタジオの「ドローイングから建築へ」、あるいは昨年の「模型から建築へ」というテーマの意図と、ぴったり重なるではありませんか!

長々と書いてきて、ま、要するにとくくったのでは身もふたもないけど、つまりは「<ドローイング(だけ)によって>考える」ということなんですね。

思考の場と道具を、頭の中から「紙」の上に移すこと。
「言葉」による思考の組み立てを、「鉛筆」のタッチや腕の「動き」に置き換えること。

ひらがなの一文字ずつのようなドローイング、
それらを子どもが初めて組み合わせて発語した言葉のようなドローイング、
逆にさっと提示された物語のように、部分よりも全体が見えるドローイング、
言葉というより耳障りな音のようなドローイング、
数学のような構築美のあるドローイング、

「言葉」の比喩にしたのでは元も子もないけど、ヒントにはなるだろうな。
でも必要なことは、この逆のベクトル。
「ドローイング」による新たな空間の発見。

【急告】神戸芸工大以外の学生諸君、中間講評会へ出展できます!

今年のオープンスタジオの応募登録の締切り(9/30)が近づいてきました。
おかげさまで今年は、本学以外の学生さんから昨年よりもずいぶん多い数の登録がおこなわれています。
そこで、10月3日の青木淳さんによる特別講義後の中間講評会への出展は、当初の制限
をはずし、本学以外の学生諸君にも門戸を広げようということになりました。
ただし、限られた時間ですので、5組とさせていただきます。
本学の学生作品はそれとほぼ同数の予定です。
講評を希望する方は、以下の要領で大至急お申し込み下さい。

なお、10月3日の青木淳さんによる特別講義後と中間講評会は14時からです。多くの方の参加を期待しています。

■出展条件
・出展申し込み時に、オープンスタジオへの応募登録をすませていること
・10月3日当日に、必ず会場に作品を持って来ることができること(交通費等の支給はありません)

■持参する作品の条件
・とくに形式にはこだわらないが、何らかの「ドローイング」が必須であることは当然であり、そのドローイングからイメージされる「建築」を示す図面や模型等が加わることが望ましい。
・「ドローイング」は、その表現方法にもよるが、可能な限り現物を持参すること。また会場のスクリーンに上映したいので、そのデジタルデータ(スキャン画像やデジカメ撮影の画像)も用意すること。

■出展者数
下記のメールによる申し込みで、先着5組

■申し込み方法
9/28(月)12:00から受付を開始します。
希望者は以下の要領で、メールにてお申し込みください。
件名の間違い等があると受け付けられません。

件名:
 中間講評会への参加希望

内容:
 氏名(ふりがな)・在籍校・学科名・学年・メールアドレス( 携帯不可 )
 
送信先メールアドレス:
 env-office[at]kobe-du.ac.jp
 ↑[at]を@に置き換えること。

■決定のお知らせ
応募状況によりますが、結果はできるだけ早くメールにてお知らせします。

対話篇09 花→青 8

質問に答えてくれてありがとう。去年に引き続き、この企画は僕にとって、青木淳論を考える格好の場です。
青木君自身は「設計を進めるとき、「ドローイング」という道具をあまり使わない」というのは予想通りだけど、重要な点は、「「言葉」も使う。でも、「感覚」のままに残したまま進めるところも多い。というのは、簡単に「言葉」にしてしまっては、失われてしまうものもあるから、ね」という部分ですね。
「言葉」になると失われてしまうものがあるということへの細心の注意。言葉の手前の、ぎりぎりの地点で留まろうとすることへの強靭な意志。
学生の頃は「言葉」の人だったと思うんだけどね(笑)。

ドローイング、言葉、無意識、落書き・・と呟いているとどうしても思い出すのが、知的な障がいのある人たちがつくる作品のことです。
たとえば、そういう人たちに制作場所を提供しているアトリエインカーブのアーティストの作品はどれも素晴らしく、とくに寺尾勝広が描く鉄骨の風景はすごい。
たとえば「柱とはりとカイダンデザイン」という作品。畳1枚ほどのベニア板に鉛筆で描かれた線とリベットの頭のようなものたちの集合は、建築にも都市にも見え、僕の想像力を刺激します。
僕は、こんな感じの、期待しています。

対話篇09 青→花 7

花田くんの判断どおり、このスケッチは、ここで言う「ドローイング」には入りません。
その空間がどんな空気の質をもっているのか、読み取れないからです。
ぼく自身は、このスケッチから、実は、ある特定の空気の質を実感するのですけれど、他の人は、きっと、感じとることができない。だから、ドローイングとは呼べない。
つまり、(ここで言う)「ドローイング」というのは、自分だけでなく、第三者を想定した絵のことです。

前に、丸山直文さんのアトリエにお邪魔して、お話しを聞く機会がありました。たしか、若い作家の話をしているときのことだったと思うのですけれど、丸山さんが、「やっぱり、どこかで第三者の視点も持って描いていないとねえ」と言われて、へー、美術であっても、第三者の視点が大切なんだ、とちょっと意外に思ったことがありました。美術というものが、自分はこう感じる、こう思う、ということから出てきているのは、まあ、たしかにそうなんだけれど、それを実現していく過程では、人もその作品によってそう感じるか?という視点も必要なのですね。そうでないと、独りよがりの作品になってしまう。つくること一般に、第三者の視点が大切、ということを、つくづく思いました。

ということで、「無意識の感覚的な落書き」の多くは、第三者の視点が入っていない、という点で、ぼくも、(ここで言う)「ドローイング」には入らないだろうと思っているよ。なぜ「多くは」と保留つきにするかと言うと、「無意識」のなかに、第三者の視点が入っている場合もなくはないし、「落書き」にも人の目を意識したものもあるだろうからだけどね。(「感覚的」なのは、おおいに結構。)でも、「無意識の感覚的な落書き」という言葉で、花田くんが言おうとしているのは、つまりは、自分だけがわかっていればいいという独りよがりの絵、という意味だと思う。

もっとも、とっかかりは、別に、「無意識の感覚的な落書き」でいい。そして、そこに感じられる世界が気にいったら、その気にいったところをはっきりさせーつまり、一歩引いて第三者の視点を入れーそれを伸ばすように、次の絵を書く。その絵が、いや、違うなあ、と思ったら書き直す。うまく行ったと思ったら、もっとうまくいく絵を書いてみる。そういう絵が、つまりは、(ここで言う)「ドローイング」というわけ。

その「第三者の視点」として、「言葉」という道具がある。しかも、すごく強力な道具として。でも、それでも、「言葉」は、その「第三者の視点」のひとつだというのが、ぼくの考え。
ぼくは、設計を進めるとき、「ドローイング」という道具をあまり使わない。(プレゼンテーションとしては、もちろん使うわけだけれど。)たいていの場合、模型をつくって、それを見て、設計を進める。その判断のなかで、「言葉」も使う。でも、「感覚」のままに残したまま進めるところも多い。というのは、簡単に「言葉」にしてしまっては、失われてしまうものもあるから、ね。

10/3の中間講評会のお知らせ

中間講評会

日時
2009年10月3日(土)

プログラム
14:00〜16:00 講義:青木淳「ドローイングから建築へ」
16:00〜18:00 中間講評会(神戸芸術工科大学の学生作品のみ対象)

会場
神戸芸術工科大学 デザイン教育センター 1114教室
アクセス方法は→こちら

どなたでも聴講可能です。席は当日先着順/入場無料

お問合せ先:
神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 事務室
神戸市西区学園西町8-1-1 078-794-5031

対話篇09 花→青 6

昨年は「書いたよー」とお知らせメールを送り合っていましたが、今年はarchitecturephoto.netさんのフォローが驚くほど早く、お知らせを交換しなくても、朝起きてまずそこを覗くと青木君から返事があったことがわかります。このサイトへのアクセス解析でも、経由先としてダントツの多さ。architecturephoto.netさん、ありがとうございます。

さて、「でも、そのドローイング、なぜ「無意識の感覚的な落書き」ではだめなの?」というのは覚悟していた反応です。きっと昨年の「模型」のときも、それから普段でも、青木君と話していると必ず一度は遭遇してしまう齟齬感ですね、きっと。
言葉と建築(というか、ドローイングや模型、あるいは要するにモノ)の優先順位を、ほんの少しでも言葉側に寄せた途端、青木君からはさっとイエローカードが示される(笑)。

なので、例によっての返事になってしまいますが、僕はべつに「言葉帝国主義」を振りかざしているわけではなく、「無意識の感覚的な落書き」には「言葉」がないからだめだ、と言っているつもりもありません。
そうではなくて、ある「無意識の感覚的な落書き」から「建築へ」の飛躍や接続が可能ならば、その「無意識の感覚的な落書き」からは必ず「言葉」が引き出すことができ、そうなった途端、僕にとってそれは「無意識の感覚的な落書き」などではなくなるということだけなのです。

「「言葉」が引き出せないといけないのか」、という質問がすぐに飛んできそうですが、「無意識の感覚的な落書き」を描いた本人には難しくても(何しろ「無意識」なんだから)、別の人間が引き出せるかどうか、しかも優れた言葉が引き出されるかどうかこそが僕にとっては重要な問題であり、まさにその引き出し役、いわば翻訳者でありたいと思っています。

ただし、翻訳したくなる「無意識の感覚的な落書き」とそうじゃないものとがあるわけで、その両者を区別する判断は「言葉」ではおこなっていない。なぜなら、何しろ「言葉」を引き出す前なんだからできっこない、できてはいけない。でも別の何らかの方法によってできている。

言葉と建築(というか、ドローイングや模型、あるいは要するにモノ)の関係で一番面白いのは、まさにこの両者の境界線を、いずれの方法にもよらずふっと越える感覚なんだと思います。学生諸君に期待しているのは、もちろんこの一瞬の越境を可能にする企てです。


ところで、10月3日、神戸芸工大での講義と中間講評、よろしくね。
もちろん学外の方もOK。多数のご参加をお待ちしています。

で、今日はその講義のポスターをつくろうとしていたのですが、タイトルはもちろん「ドローイングから建築へ」ですが、何か「ドローイング」も要るよなあということになり、青森県立美術館のときの以下の断面スケッチを挙げた人がいたのですが、これは今回の課題にいう「ドローイング」なのか僕は迷い、結局、特別な絵は入れずにデザインしました。
どう?というのは、この断面スケッチは今回青木くんの言う「ドローイング」の範疇にはいるものなのかな。
aomori

質問ついでに、以前書いた2つの質問にも触れてもらえると嬉しいな。
(1)第1信での質問
青木君にとって、「建築」へと展開した、あるいは展開するといいなあと思う「ドローイング」というのは、たとえばどんなものですか。つまり去年の「晶洞(ジオード)」に相当するもの。

(2)第2信での質問
「模型」という言葉は青木君の設計と結びつけてイメージできたんだけど、実は「ドローイング」という言葉は僕の中では青木君とあまりつながりません。そういう発想で青木君、設計してるの?

対話篇09 青→花 5

模型も現実の建築より抽象度が高いけれど、ドローイングは、それよりもっと抽象度が高い、と。少なくとも、高くできる可能性がある。それが模型とドローイングの違いなのか。なるほどね。

ともかく、ドローイングでは、柱があったら幻滅してしまうような、ある特定の質の建築イメージを、とりあえずそこにかたちづくることができる。でも、柱がないというのは現実としては困るから、どうやったら柱があるのに柱がないようにできるか、ということを考える。構造の問題として考える。柱の大きさ、形状、分布の問題として考える。柱の表現の問題として考える。そういう考えることのなかに、おもしろい案に膨らんでいく契機がある。抽象と現実とのこのギャップ、あるいはその解消が建築のおもしろさですね。

でも、そのドローイング、なぜ「無意識の感覚的な落書き」ではだめなの?

# 対話篇09 青→花 5

模型も、現実の建築より抽象度が高いけれど、ドローイングは、それよりもっと抽象度が高い、と。少なくとも、高くできる可能性がある。それが模型とドローイングの違いなのか。なるほど。

ともかく、ドローイングでは、柱があったら幻滅してしまうような、ある特定の質の建築イメージを、とりあえずそこにかたちづくることができる。でも、柱がないというのは現実としては困るから、どうやったら柱があるのに柱がないようにできるか、ということを考える。構造の問題として考える。柱の大きさ、形状、分布の問題として考える。柱の表現の問題として考える。そういう考えることのなかに、おもしろい案に膨らんでいく契機がある。抽象と現実とのこのギャップ、あるいはその解消が建築のおもしろさですね。

でも、そのドローイング、なぜ「無意識の感覚的な落書き」ではだめなの?

対話篇09 花→青 4

ミースの話を書いたのは、たまたまMOMAのデータベースに画像があったからなのでしたが、さすがにいろいろと考えさせてくれますね。
青木君の言うように、彼のドローイングのひとつの特徴は、背景に広がる「死んだような町」ですね。そこに、人や車を「描かなかったこと」によって、彼の描写、つまり「描くこと」が特徴づけられている。
ミースの住宅のスケッチには人が描かれることが多いけど、しかしそれでもぽつんとひとり、しかも人が、ではなく、その影が描かれているような描かれかたですよね。つまり、そこでも人を描かないことが描かれている。

そういったドローイングを見ていると、神としてのミースがまずは空間だけを創造し、人間はこれから徐々につくっていこうとしているような感じすらします。

で、こういう感じって、模型だとどうなるんだろと思ったんですね。
そしたらMOMAのデータベースにはちょうどスカイスクレーパープロジェクトの模型もありました。
これ自体は後に作ったもののようですが、ミースの当時の模型写真もいろんな本に出てますよね。円形のコアが2つあって、外形も曲線のやつ。
残念ながら平面図はこのデータベースにありませんが、その図面とこの模型の一番の違いは、図面には柱が描かれてなく、模型にはそれがあるということだと思います。別の例だけど、この平面図にも柱がないですよね。やはり、こういうふうに見せたいと思ったんでしょうね。

でも一番すごいと思うのは、前回書いたようにやはり立面図で、これは足元に既存部の建物のシルエットが描いてあるから、かろうじて高層建築だろうとは想像がつくけど、それにしても、装飾や三層構成やらによって何らかの分節があるという古典的な建築の常識からすると、何とも不可解なオブジェなわけです。
でも、柱のはいった模型の方からは、あまりそういう異界の雰囲気のようなものは漂ってこない。

ドローイングと模型の違いを見出そうとすると、こういうことかもしれないなと思います。
つまり、ドローイングの方が、さまざまな言語的思考を反映させたり、そこから引き出したりしやすい、ということ。

もちろん次元がひとつ少ないわけだから、具体性が減り抽象度が増すのは当然といえば当然ですが、むしろそれによって表現できる世界がかえってクリアになる。

だから、僕が今回、学生諸君の「ドローイング」に期待しているのは、昨年の「模型」以上にそこから言葉が引き出せる表現です。
ドローイングって、無意識の感覚的な落書きではなく、何らかの意図のもとで描かれる知的な表現行為なんだと思う。「模型」は逆に、それによって意図を確認する道具だったような気がします。

対話篇09 青→花 3

課題への答えがわからなくて困っているのではなくて、この対話篇に書くべきことを思いつかなくて困っているのです、もちろん。

ミースのこういうのには、人っこひとりいない。自動車も走っていない。ずっと向こうまで、建物が立ち並んでいる。その建物からは建物らしい細部が欠けていて、黒々とした岩石の塊のよう。それら整然と佇む塊の群れを従えて、「スカイスクレーパー」が、ひとり剣山のように、とことん硬質の透けた結晶体として、屹立している。長い時間をかけて、垂直に析出し、水晶のよりずっと重い質量をもった結晶体。まわりの凡庸な岩石と比して、その岩石のあまりの高貴。人の存在の前に、完成し完結したもうひとつの自然世界。人は、そのなかにただ迷いこみ、彷徨い歩くのみ。

そうした建築のありかたが、ここにはっきりと定着できているのが、すごいね。ある意味では、ミースの建築は、この世界観の現実世界への定着行為であったのかもしれないと思ったりします。

[対話篇09 花→青 2]

3週間近くたちましたが青木君から返事がありません(笑)。
実はメールでやりとりしているのですが、

  うーん、こまった。。。。
  なにも思いつかない。。。
  こまった。。。。。

という返事が返ってきたきりなのです。
学生諸君、「自分が困るような問題出さないでくれ」なんて責めてはいけませんよ。
先生の仕事は、自分ができなかったことを学生にやれるようになってもらうこと、なんですからね。
むしろ、青木さんでさえこんな調子なんだと思うべきです。
出題者でも答えに困る。つまり、あらかじめ予定されている答えはないということですね。
いいかえれば、皆さんにいくらでもチャンスがあるというわけです。

それはともかく学生の皆さん、応募登録だけは早くして下さいね。締め切りは9月30日。もうすぐですよ。

実は僕も困っています。
青木君に送った督促メールに書いたことをもとに、「埋め草」の第2信。

昨年の課題・「模型から建築を考える」のときは、「模型」が3次元のものだから「模型」と「建築」は近いものに感じられ(「模型のような建築だ」という悪口があるくらい)、「両者の違いってどう考えてるの」「青木さんの言う「模型」って何」といった質問から始められたんでしょうね、きっと。
で、それがけっこう思考を刺激した。つまり、「模型」って身近なものだけど、あらためて考えるとあれは一体何なんだろう、と。

ところが今年の「ドローイング」は2次元なものだから、「そりゃまあ建築とは違うよな」「何かイメージを喚起するような絵を描きゃいいんだろ」みたいな感じになってしまって、ちょっと突っ込みどころを失うところがあるのかもしれませんね。
それと、建築の世界には「スケッチ」という似たような言葉があり、「ドローイング」という日本語は、建築の設計作業の中ではあまり使わないから、「模型」以上に戸惑う部分がある。
でも、スケッチというと、与条件に基づいて建築を考える作業に取り込まれた具体的なさまざまな絵に一見思えるけど、その与条件そのものを見直したりつくったりする、つまり今回きっと青木くんが「ドローイング」と呼ぶものに近い場合もありそうにも思います。

たとえば、ミースのスケッチ(ドローイング?)で、こういうのや、こういうのや、こういうのを見ていると、つくづくそんなことを思います。

つまり、絵が具体的か抽象的か、リアルかファンタジックか、みたいなことは関係ないんですね。
鉛筆で描かれたこの黒々した塊が、石ではなくガラスという物質につながるという不思議さが、この絵の核なんでしょう。

だから、今回は「ドローイングって何だろう」ではなく、「このドローイングの何が、どこが、その先の建築のどこにどうつながったんだろう」(=その絵の核)ということをいろんな例で考えてみるといいんじゃないかなと思ったりします。
もちろんそれは、対話篇という「伴走者」「中継車」「観客」としてであって、「ランナー」である学生諸君は、もっと一気にゴールすればいいわけだけど。

あ、それともうひとつ。
「模型」という言葉は青木君の設計と結びつけてイメージできたんだけど、実は「ドローイング」という言葉は僕の中では青木君とあまりつながりません。そういう発想で青木君、設計してるの?

[対話篇09 花→青 1]

今年も「オープンスタジオ 青木淳と建築を考える」の始まりです。
昨年は初めての試みだったけど、学生はもちろん、僕自身がいろいろなことを考える機会となり、嬉しかった。今年もよろしく。

昨年の課題は「模型から建築へ」
今年は「ドローイングから建築へ」。
青木君自身が課題書の中で、「今年の課題は、去年の課題と、<模型>を<ドローイング>に置き換えただけの違いしかない」と書いてはいる。
だとすれば、この「対話篇」もその置き換えをすればよいだけかもしれないけど、今年は少なくとも昨年の経験の上に何かを積み重ねないと笑われそう。単なる置き換えというわけにもいきません。

でもまあ取り合えず、昨年の対話篇での学習に基づき、その結論っぽかった言葉の中の「模型」という単語を「ドローイング」に置き換えるなら、今年の課題も、去年青木君が言ってたように、まずは「ドローイング、建築と測りあえるほどに」という言葉から出発するということだよね。
つまり、「ドローイングは、なにかを説明するもの、ではなくて、それ自体がなにかであるものです。という意味では、ドローイングと建築を区別することはない」という大前提に立つということ。

さてそのうえで「ドローイング」。
この言葉の意味は、定義は、とやっても仕方ないね、きっと。
たとえば、と少ない知識をたどっても、香山(壽夫)先生の『建築家のドローイング』に取り上げられているような、建物が完成した後に描かれたものも含む正統的な建築家による描画から、現代美術の領域でのたとえば「エモーショナル・ドローイング」のような生々しく個人の内面を晒したようなものまでのあいだに、建築の世界でも美術の世界でも、「ドローイング」にはさまざまな変異体があるだろうから。
描く道具や手法だってさまざまだし。鉛筆、絵具、ペン、写真、CG、それらの併用・・・。動画は入れてもいいんだろうか。描く「紙」だっていろいろだ。

だから・・・、ここでどんな話をしたらいいのか、難しい。

なので、いきなり学生諸君代表みたいな質問。

青木君にとって、「建築」へと展開した、あるいは展開するといいなあと思う「ドローイング」というのは、たとえばどんなものですか。つまり去年の「晶洞(ジオード)」に相当するもの。

ちなみに僕はというと、学生時代から思い返せば、建築畑なら、「ロッシ」「ロブ・クリエ」「レオン・クリエ」「アーキグラム」なんかの描いたパース。今から思えばアクソメという描法そのものもここでいう「ドローイング」だったようにも思うなあ。原(広司)さんが「1枚のスケッチ」と言っていた感覚にも憧れたけど、それはここでいう「ドローイング」なんだろうか。とにかくそんなものが「建築へ」とつながるといいなあと眺めていた。

美術なら、去年も書いた若林奮。このひとの描く空気感は大好きで、これはもう昔から変わらない。そこにはモノだけでなくそれを包む気配のようなものが細い線や点で描かれていて、こんな感じの空間が、建築や街や田舎のそちこちにちりばめられているイメージへの憧れが募ります。

ただ去年と同じ問題、つまりそいうったイメージをどう「建築」化するかという大問題がある。ロッシのガララテーゼ集合住宅を見たときには納得できたことが、門司港ホテルでは許せない。原さんの「有孔体」を示すイメージ図と慶松幼稚園はつながったけど、「様相」のイメージ図とヤマトインターナショナルは違うと思った。
そんなあれこれ。
逆にじゃあ若林奮の「ドローイング」を「建築」化したと感じるものを具体的に挙げよと言われると戸惑います。
あるいは、大好きな日土小学校に対応した「ドローイング」はどんなものだろうと考えると、意外に若林奮から少し強さを奪えば近いかなと思ったりもする。

すみません。つまらない話ですね。
きっと、そういうことじゃないよ僕の言いたいことは、と返されそう。
うまくつないで下さい。

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