対話篇09 花→青 12

中間講評会のレクチャーで青木君は、「テレタビーズ」 (Teletubbies) というイギリスの子供向けテレビ番組の動画も映した。「こんな世界の経験が本当にあったならどうだろうか」と考えるらしい。彼が現在設計している杉並区の体育館のヒントでもあるとのことでした。
「世界をつくる」というわけです。
このサイトは「通信教育」なのですから、再掲しておきます。
同じかどうかわからないですが、下はYou Tubeにあったもの。
学生諸君のご参考までに。
何の参考にすりゃいいんだろうって?
それは自分で考えてね。

対話篇09 花→青 11

ちょっと間があいてしまいました。
10月5日の中間講評会の報告や感想を書こうと思いながら、後期の授業が始まったり、日土小学校関係の原稿に追われたりしてまとまった時間がとれません。
いまもパソコンの画面の上には、その原稿のファイルが開かれています。一旦書き終えたのですが、編集者と誌面イメージを話す中で、大幅に書き方を変えようということになったわけです。わりとドライに書いていたのですが、物語性を加えないと伝わらないことが多いのではないかという判断が下り、全体にがさっといじっています。

こんなこといくら書いても仕方ないですが(半分息抜きです)、でもまあ学生諸君、設計課題の自分の案を、エスキスの中で先生に思い切りいじられたときのことを考えて下さい。大鉈を振るうときにどきどきするのは、設計でも文章でも、学生でも先生でも(笑)、同じなのです。


さて、中間講評会で青木君は、ひとつの思考モデルを提示しました。

   <抽象>    <抽象>   <抽象>

   まぼろし  →  図式  →  もの

   <具体>    <具体>   <具体>

という具合に設計は進むのだけど、いずれのステップにおいても、<抽象>と<具体>の両面をもってないといけないというわけです。
会場で映した映像では、上記の真ん中の3つの言葉の上下に、ぼわーと縦に帯が伸び、それぞれが<抽象>と<具体>を示していました。

菊竹清訓の「か・かた・かたち」論なんかも思い出しつつなんとなく聞いていたのですが、ふと奇妙なことに気づきました。

そう、青木君はさらっとそんなことをいうのですが、でも「まぼろし」の段階での<具体>って何?、<具体>がないから「まぼろし」なんじゃないの?、逆に「もの」の段階での<抽象>って何?、<具体>だから「もの」なんじゃないの?という疑問がわいてきたのです。
そうなると、彼の言っていることが何とも不思議に思えてきます(くるでしょ?)。
ごくふつうに考えれば、<抽象>的な「まぼろし」から何らかの「図式」をつくり、それを<具体>的な「もの」にしていく作業が設計ですからね。
なぜこの人はこんな変なことをさも当然のように言って平気な顔をしてるんだろうというわけです。

彼の話が終わった後、会場での議論でこのことを指摘しましたが、設計とはそういうふうでありたい、そうあるべきだという意志の問題だというふうに理解しました。あるいは、彼はそんなふうに考えているからこそ、あんな建築が設計できるんだなという青木論として。

そしてもちろん話はきちんと「オープンスタジオ」につながるわけで、「図式」のところが昨年は「模型」、今年は「ドローイング」というわけです。

ということで、ここから先は皆さん自分で考えてみて下さい。
<抽象>と<具体>の両面をもった「ドローイング」を描くわけです。
僕にはよくわかりません(笑)。

青木君の話でもうひとつ面白かったのは、「ドローイングは建築単体を考えるのにはあまり役に立たないが、経験を考えるのには役に立つ」という話です。
これなかなりなるほどと思いました。
「模型」との違いという話にもなりそうです。
ドローイングは、まわりをいろいろ引きずり込む、「世界を作る」、そんな感じです。

その事例として青木君が取り上げたのが、イブ・ブルニエ(Yves Brunier)。OMAと恊働したランドスケープアーキテクトですね。
ここから先は自分で調べて下さい。

もう原稿に戻らないとまずいです。

続く。

登録番号を送付しました

少し遅くなりましたが、本日、申込み時に記載のあった登録メールアドレス宛に登録番号を送付しました。もし、届いていない場合は、事務局までメールでお問い合わせください。

この登録番号は、応募のときに必要となります。提出方法をよく読んで間違いのないようにしてください。

それでは、多くの作品を楽しみにしています。

[報告]公開講義&中間講評会

10/3(土)に青木教授による公開講義と中間講評会が開かれました。

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まずは、青木教授による公開講義「ドローイングから建築へ」を行いました。

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ブランクーシの彫刻の話や、イブ・ブルニエのランドスケープのドローイングの話がありました。

その後20分の休憩をはさんで、2年生から院生まで10人の学生のドローイング作品への中間講評会を行いました。

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大ホールの舞台に並ぶので、学生は少し緊張気味。

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学生が作成したドローイング元に取り組んでいる内容の発表をします。

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3〜4人一組で説明した後、青木先生から一つづつ講評が行われました。

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全ての講評が終わった後、青木先生と花田先生の全体講評がおこなわれました。
最終講評会も同じ場所で行います。どの作品が壇上にあがるのか、楽しみにしています。

なお、環境・建築デザイン学科サイトにも報告がありますので、合わせてご覧下さい。

[お知らせ]応募登録を締切りました。

オープンスタジオ2009の応募登録を9/30付で締切ました。
本年度は、全国の専門学校、大学、大学院から116組の応募がありました。
たくさんの登録ありがとうございました。

明日は、いよいよ中間講評会です。都合のつく方は是非ご参加ください。
当日の様子は、またこのサイトでもご報告します。

また、最終提出は10月31日(必着)となっています。
(詳細はスケジュールでご確認ください)
応募登録数と同数の作品が送られてくることを楽しみにしています。

[お知らせ]本日9/30は登録締切日です!

今年のオープンスタジオの応募登録の締切りは今日中です。
おかげさまで今年は、全国からたくさんの登録を頂いています。

すでに登録をしてくださった人には、来週辺りに登録番号を登録したメールアドレス宛に送付する予定です。登録受付確認メールが届かなかった人は、上手く受け付けられていない可能性もありますので、今一度、件名やメールアドレス(携帯メールは不可)などに不備がないか確認ください。

対話篇09 花→青 10

10月3日の青木君の特別講義と中間講評会が迫ってきて、今日は、学内で中間講評を希望している何人かの学生諸君と話しました。
昨年もそうでしたが、普段の具体的な設計課題とは趣が違うためか、何をしたらいいのかと戸惑う人もいるようで、そのあたりの誤解を解いたり、現代アートのドローイング作品を紹介したりしました。
余計なことかもとか、的外れかもとか、いやいやこういう親切さこそが教育なのなのだとか、これも去年と同じですが迷いつつ、まあいろいろと喋りました。
僕は、神戸芸工大の教育に欠けているのが、この課題のようなコンセプチャルな思考のトレーニングだと思っているので、それを補う場を少しずつ作りたいというわけです。学生諸君も、不慣れなことに臆病にだけはならないでほしい。臆病と自覚してるうちはまだマシだけど、いつしかそれが億劫になり、不感症になり、欠陥に気づかなくなったらおしまいです。

今日は、以下のような本やカタログを見せながら学生諸君と話しました。

■安藤忠雄や槇さんの作品集。その中のスケッチやコラージュを紹介し、「これは今回いうところのドローイングだ、これはぜんぜん違う、これは中間くらい」そんな話です。
■青木君の青森用の例の断面のスケッチ。
■ミースの作品集で、対話編で書いたことの復習。
Herzog & De Meuronの "Natural History"。 この中の、さまざまな模型によるスタディを紹介。たとえば、「模型の」素材をかえることによって、新たに生まれる空間の質に対応した建築空間を考えるという順番であり、「模型の」素材がアルミであっても実物の素材がアルミだとは限らないという自明のことの再確認。そして「模型」という言葉の「ドローイング」への置換。
■若林奮の展覧会のカタログ。東京国立近代美術館での展覧会(1987年)と、豊田市立美術館での展覧会(2002年)のもの。対話編で書いたことの説明。
野村仁の東京国立近代美術館での展覧会(2009年)のカタログ。時間を様々な手法で平面上に定着させている作品の紹介。
松井みどり『マイクロポップの時代:夏への扉』(PARCO出版 、2007年)の中の「痛い」ドローイングについて。
■目黒区美術館で昔おこなわれた「戦後文化の軌跡1945-1995」展(1995年)のカタログ
ピーター・ドイグのドローイングのこと。
■その他、いろいろ。

建築化の手前で、言葉によらず、描くことによる思考に留まってみること。

10月3日の青木君の特別講義、みんな来て下さいね。
学外の人も、これからささっと何か描いて、出展してみませんか。

対話篇09 花→青 9

9月27日(日)はオープンキャンパスで、高校生にこのサイトなどを見せながらオープンスタジオの説明をしたら、通じました。
「建築の設計を、機能や敷地や予算やらの条件から考えていってスケッチ化し模型をつくるんじゃなくて、その順序を逆にしてみると、それまでのやり方じゃ見つからなかった新しい建築を発見できるんじゃないかという実験なんですよ」。これで、高校生にもわかる!

何度も話題にする若林奮ですが、彼とまえだ英樹の対談集『対論◆彫刻空間 物質と思考">対論◆彫刻空間 物質と思考』(書肆山田、2001年)を読んでいると、まさにこのオープンスタジオの彫刻家版といえる思考や発言が随所にありました。つまり、若林奮は鉄を中心にした抽象的な彫刻作品を作る作家ですが、同時に平面つまりドローイング作品も多く発表し、しかもいずれの作品タイトルにもきわめて詩的な言葉がつけられることについて、評論家の前田がいろいろと尋ね、作家としての若林がそれに答えているのです。これが、彫刻を建築に置き換えると、まさにオープンスタジオの対話篇なのです(笑)。

全部書き写したいくらいですがそうもいきません。
ただとにかく、モノとしての彫刻を作る作業、平面上に線を描く作業、それらにタイトルとしての言葉を与える作業、この3つの若林の中での位置づけが、今回の「ドローイングから建築へ」ときわめてパラレルなのです。

まず若林は、鉄という素材について、「鉄はある尺度になる」とか「粘土は物質としては捉えていなかったと思います」とか発言しています。前田はそれを「「鉄と出会った」と若林さんがおっしゃる時の<鉄>は、この鉄それ自体が為すイデアルな表現だということになる」と評論家らしく言葉にしますが、ともかく、この「鉄」という言葉を「建築」に置き換えてみると、建築を言葉から解放した青木君の一連の仕事と重なります。

前田は、若林の作品名の詩的なタイトル、たとえば「振動尺」といった言葉を取り上げて、「若林さんの場合、「言葉」が彫刻の仕事の切れ目をつなぐかのように断続的に現れてくる」「いつも必然的に内側に言葉による探求を含んでいるのだ」と、やや「言葉」寄りの解釈を示しますが、若林は「言葉がそういうものかどうかは私自身はよくわからないんですが」「つくっている時は、ある素材やそれが変化していく状態と自分との両方がないと成立しない。作品ができていく、その時、私自身には言葉があります」と答え、まさに前回書いた言葉原理主義に対する「イエローカード」が出されているといえるでしょう。とくに、作品の前にではなく、「作品ができていく、その時、」言葉があるという感覚は、青木君の言うオーバードライブ感に近いように思います。

ドローイングについては、まさに「ドローイング―奥行の小さい彫刻」という節があるのですが、若林は自分のドローイングについて(以下、「絵画」がそれに相当)、「前田さんのお話で、絵画と彫刻の二つを指摘されましたが、私は絵画ができていないのではないかと思うのです。表現法や形式は絵画のふりをしているようなものも、ほとんど物質の話の中に収まるもののように思える。あるいは彫刻の一つの形式―薄い彫刻―と言うんでしょうか・・・そういうところに多分入れてよいんではないかと自分では思っています」と答えます。
面白いですね、どこまでいってもモノとして彫刻として平面上の描写もとらえている。おそらく、言葉についてすらそういう感覚の中でとらえているのでしょう。

さらに前田が、「紙の上に描くことによって彫刻にない何が捕えるお考えですか?」と、まさに今回のオープンスタジオの問題のような質問をすると(笑)、若林の答えは非常に繊細というか、どんどんモノの世界に迷い込んでいくのです。長いですが写します。

「紙に書く場合、奥行きが小さいことによって空間性が非常に変わってくるということがまず一つあると思います。たとえば木炭を使って紙に描くという時、それは、物である紙に木炭を付け加える、ということになります。物としての紙は厚みや重量はあるのですが、その上に線を描くことによって、紙は少し変わるように思われます。それ自体が私の前にある現実的な空間を少し変え、空間を無性格にすると言えるのではないかと思います。しかも、その作業は単純で、短時間のうちに、各時間の断片に対応することができる。それから色を使った場合ですが、私が考える色は素材・材料そのものが持っている色ということがまずあります。それが、いろいろな光によって変化することもあります。それからさらに、自分が絵の具を使って付け加えてゆくということもあるのですが、彫刻の場合、描線や彩色をすることは別の意味を持つように思えるんです。描線や彩色は、彫刻の延長上の仕事ではあるけれど、私の場合はむしろ、それまでの作業の中から一部を消してゆく作業だろうとも思えます。けれど、奥行きの小さな紙の場合は、紙や綿や鉄や銅などのどれかと重ね合わせ、それぞれの素材と代えられることもあり、彫刻とは別のこともああるようです。消し去る・弱めてゆく過程のものではなくて、何と言えばよいのでしょうか―物を染める、と言うんでしょうか・・・物を変化させる、と言えばよいでしょうか―そういうような使い方ができるのではないかというふうに考えることもあります。」

きりがないのですが、僕には、<彫刻をドローイングによって語る>というような感覚がよく伝わって来ます。「言葉によって」ではなく、です。
あくまでも「言葉」は、最初に書いたように、「作品ができていく、その時、」にある。
途上においてはドローイングなんだ、というわけです。
だから、言葉における単語や文法やレトリックに相当するドローイングの物質性のさまざまな特性に、彼の眼は向いていく。彫刻に最も優しく寄り添うのは、彼の場合、言葉ではなくドローイングなのですね。

と考えてくると、このオープンスタジオの「ドローイングから建築へ」、あるいは昨年の「模型から建築へ」というテーマの意図と、ぴったり重なるではありませんか!

長々と書いてきて、ま、要するにとくくったのでは身もふたもないけど、つまりは「<ドローイング(だけ)によって>考える」ということなんですね。

思考の場と道具を、頭の中から「紙」の上に移すこと。
「言葉」による思考の組み立てを、「鉛筆」のタッチや腕の「動き」に置き換えること。

ひらがなの一文字ずつのようなドローイング、
それらを子どもが初めて組み合わせて発語した言葉のようなドローイング、
逆にさっと提示された物語のように、部分よりも全体が見えるドローイング、
言葉というより耳障りな音のようなドローイング、
数学のような構築美のあるドローイング、

「言葉」の比喩にしたのでは元も子もないけど、ヒントにはなるだろうな。
でも必要なことは、この逆のベクトル。
「ドローイング」による新たな空間の発見。

【急告】神戸芸工大以外の学生諸君、中間講評会へ出展できます!

今年のオープンスタジオの応募登録の締切り(9/30)が近づいてきました。
おかげさまで今年は、本学以外の学生さんから昨年よりもずいぶん多い数の登録がおこなわれています。
そこで、10月3日の青木淳さんによる特別講義後の中間講評会への出展は、当初の制限
をはずし、本学以外の学生諸君にも門戸を広げようということになりました。
ただし、限られた時間ですので、5組とさせていただきます。
本学の学生作品はそれとほぼ同数の予定です。
講評を希望する方は、以下の要領で大至急お申し込み下さい。

なお、10月3日の青木淳さんによる特別講義後と中間講評会は14時からです。多くの方の参加を期待しています。

■出展条件
・出展申し込み時に、オープンスタジオへの応募登録をすませていること
・10月3日当日に、必ず会場に作品を持って来ることができること(交通費等の支給はありません)

■持参する作品の条件
・とくに形式にはこだわらないが、何らかの「ドローイング」が必須であることは当然であり、そのドローイングからイメージされる「建築」を示す図面や模型等が加わることが望ましい。
・「ドローイング」は、その表現方法にもよるが、可能な限り現物を持参すること。また会場のスクリーンに上映したいので、そのデジタルデータ(スキャン画像やデジカメ撮影の画像)も用意すること。

■出展者数
下記のメールによる申し込みで、先着5組

■申し込み方法
9/28(月)12:00から受付を開始します。
希望者は以下の要領で、メールにてお申し込みください。
件名の間違い等があると受け付けられません。

件名:
 中間講評会への参加希望

内容:
 氏名(ふりがな)・在籍校・学科名・学年・メールアドレス( 携帯不可 )
 
送信先メールアドレス:
 env-office[at]kobe-du.ac.jp
 ↑[at]を@に置き換えること。

■決定のお知らせ
応募状況によりますが、結果はできるだけ早くメールにてお知らせします。

対話篇09 花→青 8

質問に答えてくれてありがとう。去年に引き続き、この企画は僕にとって、青木淳論を考える格好の場です。
青木君自身は「設計を進めるとき、「ドローイング」という道具をあまり使わない」というのは予想通りだけど、重要な点は、「「言葉」も使う。でも、「感覚」のままに残したまま進めるところも多い。というのは、簡単に「言葉」にしてしまっては、失われてしまうものもあるから、ね」という部分ですね。
「言葉」になると失われてしまうものがあるということへの細心の注意。言葉の手前の、ぎりぎりの地点で留まろうとすることへの強靭な意志。
学生の頃は「言葉」の人だったと思うんだけどね(笑)。

ドローイング、言葉、無意識、落書き・・と呟いているとどうしても思い出すのが、知的な障がいのある人たちがつくる作品のことです。
たとえば、そういう人たちに制作場所を提供しているアトリエインカーブのアーティストの作品はどれも素晴らしく、とくに寺尾勝広が描く鉄骨の風景はすごい。
たとえば「柱とはりとカイダンデザイン」という作品。畳1枚ほどのベニア板に鉛筆で描かれた線とリベットの頭のようなものたちの集合は、建築にも都市にも見え、僕の想像力を刺激します。
僕は、こんな感じの、期待しています。

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