対話篇09 花→青 16

前回に続き、青木君への手紙ということではないのですが、僕らの学科サイトに中間講評を受けた学生へのインタビューが載っていたのでリンクしておきます

 「少しは青木さんの言葉を吸収できたかも」
 「においとか世界観とか自分の感覚をすごく大事にしているのかなぁ」
 「言葉にできない好き嫌いがあるんよ」
 「まぁね。やるしかないね!!」
 「思っていたより緊張しなかったかな。カンペもあったし」
 「建築の話じゃなくて、体験や経験の話をしきりにしてはったな」
 「なんかお母さんんみたいに優しかったし」

学生っていいなあ(笑)。

あ、もうひとつインタビュー記事がふえてる

さて、提出締切が近づきました。
 ・本学学生以外:10月31日(土)必着( 持込み不可 ・郵送のみ受付 )
 ・本学学生及び大学院生:同日17:00までに環境・建築デザイン学科事務室

提出物は以下の3つです。
 ・A2サイズ(420mm×594mm)の図面1枚。片面横使い。
  ただし、立体、額装、パネル化は不可。

 ・PDFデータを保存したCD-R1枚 300dpi程度 10MB以内
  ※ファイル名は受付番号+姓[半角].pdfとする。(例:001yamada.pdf)
  ※CD-R上にも同じファイル名を記入すること。
  ※特殊フォントを用いた場合は、アウトライン化すること。

 ・応募用紙[PDF:420KB] →ダウンロードして必要情報を記載する。

内容は、ドローイング、配置図・平面図・断面図・立面図などの図面、コンセプト等を説明する文章、その他必要と思われるもの。縮尺、表現方法は自由。


あ、さらにもうひとつインタビュー記事がふえてました

ま、とにかく、こんな感じの「授業」なので、たくさんのご応募を待っています。

対話篇09 花→青 15

学生の皆さんへ。
参考資料の配布です。「Detour Exhibition - Jun Aoki」。
Detourは、迂回とか遠回り、でいいのかな。
ここで他の作家の作品もぜひ見てみましょう。

Detour Exhibition - Jun Aoki from Moleskine ® on Vimeo.

対話篇09 花→青 14

青木君の口から「経験」という言葉が出ると、「テレタビーズ」 (Teletubbies) を取り上げた理由が何となくわかるような気がするから不思議だなあ。あなたは得な性格です(笑)。

イヴ・ブリュニエについての記述も、「それがつまり、「ランドスケープ」というとりあえず伝統的に措定されてきた既存の領域だったわけですけれど、さて、それで収まるものだったかどうか」というあたりも「なるほど!」と思いました。

青木君が独立して最初に使った「動線体」という言葉にも「経験」というニュアンスはあったんだけど、「その辺に、ぼくのいまの関心があります」という思わせぶりな口調からは、その後の「モノ」的指向が加わって、きっとより総合的な視点が提出されるんだろうなあという期待がむくむく。モノ(あるいは空間)と経験の両方が、それこそ先日の「具体」と「抽象」みたいな同時存在となれば、こりゃすごいよね。

ところで、この「同時存在」ぶりからは、僕が『建築文化』(1999年11月号)の青木君の特集号でに書いた「青木淳論序説」(これで読めるよ)の最後で図とともに提出した、別名「ずん胴モデル」(当時の青木君の体型から連想したわけではありませんが、笑)と呼んだ「青木モデル」を思い出した次第です。そんなことはないよと言うでしょうが、結構青木君の本質を言い当てていたのかも、なあーんて勝手に思ったりしました。

ちっともドローイングの話になりませんが、学生の皆さん、今月いっぱいが締め切りです。面白い作品、期待してますよ。

ところで、「経験」と「ドローイング」という言葉が関係がありそうと言われてみると、なるほど、かつて刺激を受けたものはそういうことだったのかもと思います。

ベルナール・チュミの「ジョイスの庭」、アルド・ロッシの一連のイタリアの都市の風景画など、それぞれイメージは違うけれど、「都市的経験」というものを図化し、そこから建築をつくり上げたんでしょうね。
「ジョイスの庭」は画像がインターネットで見つからないなあ。
昔の『a+u』に載ってるから、学生諸君は図書館で探してみて下さい。
とりあえずはこれを読むとか。

そういう意味では、今回の「ドローイング」とは、学生諸君が都市や風景をどうとらえているのかを示すもの、かもしれないですね。

対話篇09 青→花 13

花田くん、この前、話したことを実に的確にまとめてくれたので、ぼくがつけ足すことは、もうなにもありません。どうもありがとう。

この前は、ドローイングについて話すにあたって、なにか適当な材料がないかなあ、と見つくろっていて、久しぶりにイヴ・ブリュニエのことを思い出しました。

講義で、イヴ・ブリュニエを知っている人、手を上げて、と聞いて、手をあげた人がひとりもいなかったので、念のため書いておきます。イヴ・ブリュニエは、1991年、28歳になる直前に亡くなってしまったので、5年間という、ほんとうに短い活動期間しかないのですけれど、その5年の間、彼は、レム・コールハースやジャン・ヌーヴェルなどの仕事に、「ランドスケープ・アーキテクト」として参加しました。

イヴ・ブリュニエの仕事がまとまっている出版物として、ぼくはこれしか知りませんけれど、そこにはかなり多くのドローイングが収録されています。描かれているのは、「かたち」ではありません。「構成」でもありません。そういう客観的なものではなく、もっと主観的なものです。その場所を体験することで立ち上がるだろう空気の質であり、それと同じ質になるように、手で荒っぽくちぎったような断片でコラージュされ、パステルが重ねられたドローイングです。

イヴ・ブリュニエは、空間を、モノとしてではなく、経験として捉える視点に立っていました。そして、だからこそなのだと思うのですけれど、設計の道具として、彼は、ドローイングを多用しました。自分がそこにいるときに、自分はどう感じるだろうか。あるいは、自分はどう感じたいと思っているのか。それを考えながら、彼は、写真を切り裂き、絵の具の乗せ、パステルを擦り、人物を描き込んだのだろうと思います。たしかに、こういうことは、模型よりもずっと、ドローイングに向いています。

建築にせよ、都市にせよ、そのどちらもまた、モノとしてではなく、経験として捉える視点から設計することができるはずなのですが、彼にあてがわれたのは、それらとは独立して、しかしそれらを補完する立場でした。それがつまり、「ランドスケープ」というとりあえず伝統的に措定されてきた既存の領域だったわけですけれど、さて、それで収まるものだったかどうか。その辺に、ぼくのいまの関心があります。

対話篇09 花→青 12

中間講評会のレクチャーで青木君は、「テレタビーズ」 (Teletubbies) というイギリスの子供向けテレビ番組の動画も映した。「こんな世界の経験が本当にあったならどうだろうか」と考えるらしい。彼が現在設計している杉並区の体育館のヒントでもあるとのことでした。
「世界をつくる」というわけです。
このサイトは「通信教育」なのですから、再掲しておきます。
同じかどうかわからないですが、下はYou Tubeにあったもの。
学生諸君のご参考までに。
何の参考にすりゃいいんだろうって?
それは自分で考えてね。

対話篇09 花→青 11

ちょっと間があいてしまいました。
10月5日の中間講評会の報告や感想を書こうと思いながら、後期の授業が始まったり、日土小学校関係の原稿に追われたりしてまとまった時間がとれません。
いまもパソコンの画面の上には、その原稿のファイルが開かれています。一旦書き終えたのですが、編集者と誌面イメージを話す中で、大幅に書き方を変えようということになったわけです。わりとドライに書いていたのですが、物語性を加えないと伝わらないことが多いのではないかという判断が下り、全体にがさっといじっています。

こんなこといくら書いても仕方ないですが(半分息抜きです)、でもまあ学生諸君、設計課題の自分の案を、エスキスの中で先生に思い切りいじられたときのことを考えて下さい。大鉈を振るうときにどきどきするのは、設計でも文章でも、学生でも先生でも(笑)、同じなのです。


さて、中間講評会で青木君は、ひとつの思考モデルを提示しました。

   <抽象>    <抽象>   <抽象>

   まぼろし  →  図式  →  もの

   <具体>    <具体>   <具体>

という具合に設計は進むのだけど、いずれのステップにおいても、<抽象>と<具体>の両面をもってないといけないというわけです。
会場で映した映像では、上記の真ん中の3つの言葉の上下に、ぼわーと縦に帯が伸び、それぞれが<抽象>と<具体>を示していました。

菊竹清訓の「か・かた・かたち」論なんかも思い出しつつなんとなく聞いていたのですが、ふと奇妙なことに気づきました。

そう、青木君はさらっとそんなことをいうのですが、でも「まぼろし」の段階での<具体>って何?、<具体>がないから「まぼろし」なんじゃないの?、逆に「もの」の段階での<抽象>って何?、<具体>だから「もの」なんじゃないの?という疑問がわいてきたのです。
そうなると、彼の言っていることが何とも不思議に思えてきます(くるでしょ?)。
ごくふつうに考えれば、<抽象>的な「まぼろし」から何らかの「図式」をつくり、それを<具体>的な「もの」にしていく作業が設計ですからね。
なぜこの人はこんな変なことをさも当然のように言って平気な顔をしてるんだろうというわけです。

彼の話が終わった後、会場での議論でこのことを指摘しましたが、設計とはそういうふうでありたい、そうあるべきだという意志の問題だというふうに理解しました。あるいは、彼はそんなふうに考えているからこそ、あんな建築が設計できるんだなという青木論として。

そしてもちろん話はきちんと「オープンスタジオ」につながるわけで、「図式」のところが昨年は「模型」、今年は「ドローイング」というわけです。

ということで、ここから先は皆さん自分で考えてみて下さい。
<抽象>と<具体>の両面をもった「ドローイング」を描くわけです。
僕にはよくわかりません(笑)。

青木君の話でもうひとつ面白かったのは、「ドローイングは建築単体を考えるのにはあまり役に立たないが、経験を考えるのには役に立つ」という話です。
これなかなりなるほどと思いました。
「模型」との違いという話にもなりそうです。
ドローイングは、まわりをいろいろ引きずり込む、「世界を作る」、そんな感じです。

その事例として青木君が取り上げたのが、イブ・ブルニエ(Yves Brunier)。OMAと恊働したランドスケープアーキテクトですね。
ここから先は自分で調べて下さい。

もう原稿に戻らないとまずいです。

続く。

登録番号を送付しました

少し遅くなりましたが、本日、申込み時に記載のあった登録メールアドレス宛に登録番号を送付しました。もし、届いていない場合は、事務局までメールでお問い合わせください。

この登録番号は、応募のときに必要となります。提出方法をよく読んで間違いのないようにしてください。

それでは、多くの作品を楽しみにしています。

[報告]公開講義&中間講評会

10/3(土)に青木教授による公開講義と中間講評会が開かれました。

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まずは、青木教授による公開講義「ドローイングから建築へ」を行いました。

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ブランクーシの彫刻の話や、イブ・ブルニエのランドスケープのドローイングの話がありました。

その後20分の休憩をはさんで、2年生から院生まで10人の学生のドローイング作品への中間講評会を行いました。

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大ホールの舞台に並ぶので、学生は少し緊張気味。

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学生が作成したドローイング元に取り組んでいる内容の発表をします。

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3〜4人一組で説明した後、青木先生から一つづつ講評が行われました。

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全ての講評が終わった後、青木先生と花田先生の全体講評がおこなわれました。
最終講評会も同じ場所で行います。どの作品が壇上にあがるのか、楽しみにしています。

なお、環境・建築デザイン学科サイトにも報告がありますので、合わせてご覧下さい。

[お知らせ]応募登録を締切りました。

オープンスタジオ2009の応募登録を9/30付で締切ました。
本年度は、全国の専門学校、大学、大学院から116組の応募がありました。
たくさんの登録ありがとうございました。

明日は、いよいよ中間講評会です。都合のつく方は是非ご参加ください。
当日の様子は、またこのサイトでもご報告します。

また、最終提出は10月31日(必着)となっています。
(詳細はスケジュールでご確認ください)
応募登録数と同数の作品が送られてくることを楽しみにしています。

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