山下孝典/森のギャラリー

森のギャラリー
山下孝典 神戸芸術工科大学大学院 総合デザイン専攻 2年

森のギャラリー

[講評]
図面最上部に描かれている立面(らしきもの)が魅力的。山脈の連なり、と言ったらいいか。その姿と平面の姿の、ある意味でのギャップが、この案をもっと膨らませるきっかけになるはず。それから、細胞のようなひとつひとつの区画単位のなかで、小さな三角形の部分が自然に特異な場所になっていることもおもしろい。スケールの差があるからです。そんなことを頭にとめながら、大きな模型をつくってみましょう。(壁に開けられている開口のかたちは、まだまだピンとくるものにはなっていません。)(青木淳)

コメント(7)

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講評ありがとうございました。

建築をつくり出す要素を用いて、順不同、段階的に変化させていきました。徐々に建築の部分と全体が形づけられていって、その先に明快な特徴をもったひとつのルールのようなものが見えてきて、表層と空間が自然と生成されていきました。表層と空間、そして部分と全体が、ヒエラルキー無く関係し合っている建築を目指しました。
その結果、平面とギャップのある山のような表情をした立面と単純なルールから複雑で多様性をもった内部空間が生まれたと思います。

確かに壁のストライプ状の開口はまだまだ考えていく余地があるように思いました。スケールアップした模型でまた思考を進めていこうと思っています。

よろしくお願いします。

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山下孝典さんのコメントは、たいへんに興味深いものです。
かなりの数の人が、まずありきたりでなくおもしろいと思えるアイデアをまず考え出して、それを直線的に発展させていく、というような設計の進め方をしています。まず、なにをしたいかを決め、次にそれを実現する、という方法ですね。こういう進め方は、ある意味、健康的です。目標を立てれば、それがどんなに困難な目標であったとしても、後はそれを実現すればいいだけ(!)なのですから。ただ、こうした進め方をすると、ときに(あるいは、多くは)、モノをみても、さっぱり魅力的でなく、なんらかのアイデアをただ説明するものでしかないモノができてしまう。
しかし、ぼくたちがつくりたいと思っているモノは、けっして、そういうモノではありません。モノとして見て魅力的で、その魅力がどこから来るのか考えていくと、はたと思い当たるアイデアがあり、また同時に、そのアイデアから考えていくと、やっぱりそのモノになっている、というような、どこからはじめてどこで終わっているのか、わからなくなったモノなのです。ウワバミがマングースを呑み、そのマングースがそのウワバミを呑んでいるといったイメージを思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。(よけいにわからなくなってしまうかもしれませんけれど。)
ともかく、ぼくたちは、そういうモノをつくりたいのです。こういう目標を、ここでは「つくることの究極の目的」、と呼んでおきましょう。となれば、先の目的・その実現と言うときの目的は、「つくることの究極の目的のために、とりあえず設定されたきっかけとしての目的」とでも呼べるもの。長いので、前者を「究極の目的」、後者を「きっかけとしての目的」と略しましょう。そうすると、世の中には、きっかけとしての目的を究極の目的ととり違えて、わざわざ現実に建物をつくることでコンセプト(つまり、きっかけとしての目的ですね。)を説明しようとする人が多くて困ったもんだ、というような言い方ができるわけです。
さて、それに対して、山下さんが書いていることから読み取れるのは、きっかけとしての目的を設定しないで、最初から究極の目的に立ち向かっていく、という姿勢です。かなり具体的に意識的にそう書いているところをみると、山下さんは、よく「なにをしたいか、わからない」とか「まずは、目標を決めなさい」とか「やりたいことを言語化しなさい」と言われることがあり、またそう言われても、正直、納得がいかないという気持ちがあるのではないかな、と勝手に、想像をたくましくしてしまうわけですが、ぼくは、山下さんの姿勢を、とてもすばらしいと思っています。きっかけとしての目的を究極の目的ととり違えてしまうことと比べて、いかに真摯なとりくみかたか、と。
とは言え、設計を進めるにあたって、跳躍力は必要です。跳躍力というのは、自分で自分の限界を乗り越えるということです。(一度でも、つくることを通して、そういう体験をしない限り、その喜び、快感はわからないものですけれど。)そして、究極の目的で進むことの難しさは、この跳躍力を持ちにくいということです。では、どのようにして跳躍力を獲得するか、ですけれど、それは、設計のそのときどきで、自分の案になんらかの魅力なりを感じたりするごとに、そう感じるのはなぜなのか、言葉にしてみることなのだろう、と思います。それを人に説明する必要はない。でも、そうして感覚がとりあえず言葉として形をもったときに、感覚の方向は先鋭化するものなのですから。

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お忙しい中コメントありがとうございます。
また整理して書かせて頂きます。またよろしくお願いします。

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コメントありがとうございます。とてもよくわかりました。

僕がいまとっている方法は、思いついた1つのアイデアを突き詰めていくというものではありません。方向もどこにあるのかもわからない目的地へ向かって進んでいく。生茂る木々をかき分けていくと、いつの間にか自分の後ろに道(ルールのようなもの)ができている。そして目的地に続いているかもしれないその道は一本道ではなく、いくつも枝分かれしていて、来た道を何度も戻ることもある。「つくることの究極の目的」にまっすぐにいくということは、そんなイメージです。1つ1つのことを確認しながら、決めていくことで建築を形づけていくことを進めていきます。

青木さんが予想されたとおり、これまでの課題や卒計でも(とくに中間では)、「よくわからない」という声はよくありました。それは課題や卒計も無意識に同じ姿勢をとっていたからだと思います(いまは意識的にとっていますが)。はじめから設定された敷地からうける外的要因や要求されたプログラムから思考を進めるのではなく、日頃なんとなくノートに書き留めている、「こういうものができると良いな」という言語化もできないような漠然としたスケッチや模型から手探りの状態でまずはスタートをきります。僕は空間がどういう空間性をもつのかということに最も興味があり、重点をおいているからです。青木さんの建築も機能を中心に据えているのではなく、敷地の場所性を受けながら空間性をつくっていくこと重視しているような印象があります。
最後にできる建築は、なにか1つの物語のようにつながって、簡潔に終わることがベストだと思います。そしてその空間性を言葉として形にしていくことが、いま僕に必要なことだと感じています。跳躍力というのもどこに跳ぶのかというよりも、どこまで跳べるのかということが、大切だと思っています。

話は変わりますが、僕は、メゾン・マルタン・マルジェラというファッションブランドが好きです。マルジェラの「大きめの服」シリーズは、着る人にたいしてオーバーサイズの服をつくることで、今までになかったようなシルエットを生みました。他にも病院や駅といった場所でコレクションを発表したり、生地に古着のボロ生地を使ったり、また新しい生地にも加工を施すことで服にさまざまな質感を与えました(今では珍しいことではありませんが)。このモードの流れとは全く別の方向性をもった服づくりにとても興味をもっています。マルジェラは既存する要素1つ1つに何らかの操作を行うことで新しい服をつくり、モードの世界で、(グランジファッションと呼ばれる)新しい価値観も確立しました。何となくですが、「つくることの究極の目的」とはこういうことだと僕は思います。僕がいま考えていること、したいことに近い気がしたので例にあげてみました。

またお時間のあるときにコメントよろしくお願いします。

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マルジェラの参考URLです。

Maison Martin Margiela
http://www.maisonmartinmargiela.com/

09S/S Pari Collection
http://www.afpbb.com/fashion/3387541

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マルタン・マルジェラは、ずっと昔から人間が積み重ねてきた「服というもの」からデザインを出発しています。それは、たとえば三宅一生の「一枚の布から」と対極にある姿勢ですね。かたや、「服というもの」いっさいを白紙にまで戻し、すべてご破算にしてゼロからはじめる、という、いわばスクラップ・アンド・ビルト型の姿勢と、いまここにあるありかたを受け入れた上で、そのなかのなにかを変えることで、なにかまったく新しいものをつくろうという姿勢。
マルジェラの場合は、サイズだけを変えることで、あるいはプロポーションを変えるだけで、まったく新しい服をつくってしまう。そして、ぼくは、いまおもしろいことというのは、どんな分野であっても(絵画で言えば、Luc Tuymansとか)、そういう姿勢からうまれてきたものなのではないか、と思ったりします。それで、そういう姿勢を「広い意味でのリノベーション」と名づけてみたことがあります。(たとえば、「リノベション・スタディーズ」にそんな話が収録されていますので、機会があれば読んでみてください。)http://www.amazon.co.jp/リノベーション・スタディーズ―第三の方法-10-1-五十嵐-太郎/dp/4872751140/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1228718712&sr=8-1

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お忙しい中ありがとうございます。紹介していただいた本読んでみます。
短い間でしたがエスキスとても楽しかったです。
ありがとうございました。

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