南野望/book mark

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南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 3年

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[講評]
ページが束になるとひとつの塊になるけれど、本を立てると、それがばらけ、それぞれのページがひとつひとつ個性あるものとして見えてきます。ページとページの隙間から、活字や写真や色が見えもする。本によって紙質が違うわけだから、ページのしなり方も違ってくる。個性あるものの集合による全体。写真からは、そういうことが、読み取れて、その感性がおもしろいと思いました。もっとも、それと説明文のパソコンと本との話とがどう関係するのか、まったくの謎でしたけれど。(青木淳)

コメント(3)

TITLE: 本から導き出すもの
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南野です。コメント掲載遅くなりすみません。講評ありがとうございました。パソコン(メディア)との関係については僕自身をまだ噛み砕ききれていない部分もあるので最終講評のときには飲み込めているようにまとめたいと思います。

TITLE:
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同じく知識の箱であっても、本とパソコンとは違う、と南野さんは言います。本には、「見つけたときの喜びや匂い、手触り」がある、と。ということは、パソコン(インターネット)には、「見つけたときの喜びや匂い、手触り」がない、ということなのでしょう。たしかに、インターネットの手助けなく、本を読んで、ある事柄を知ろうとすれば、まず本屋か図書館に行かなければなりません。あるいは、誰か、その事柄に詳しそうな人に、どんな本を読んだらいいか、聞かなければなりません。それでも、めざす内容の本には、なかなか出会えないもの。別々のところにある何冊もの本を訪ね歩いて、その部分部分を頭のなかで総合して、それでようやくその事柄を知ることができる。一言で言えば、本によってなにかを知るには、こちらからの積極的な働きかけ(精神的にも、身体的にも)が必要、ということなのでしょう。
ところで、もしも、そんな考察(?)をもとに、「本=精神的に、また身体的に、積極的な働きがあって、はじめて意味を持つもの、インターネット=精神的に、また身体的に、受動的であっても、意味を持つもの」と、それらの違いを説明したとします。(こういうことを指して、抽象化と言います。)そして、その抽象から、たとえば、建築を構想するとします。つまり、「精神的に、また身体的に、積極的な働きあって、はじめて意味をもつ空間と、その逆の空間が共存している建築とはどんなものだろう?」と考えることですね。
ここで大切なことは、本なりインターネットなりの具体を、いったん抽象化し、次に、その抽象から、たとえば建築という具体を構想すると、最初の具体、つまり本なりインターネットという「モノ」が消えてしまう、ということです。もう一度、先の設問を読んでください。「精神的に、また身体的に、積極的な働きあって、はじめて意味をもつ空間と、その逆の空間が共存している建築とはどんなものだろう?」ここには、本とかインターネットという言葉が出てきません。そういう言葉がなくても、まったく問題のない設問に代わってしまっています。
ところが、南野さんのおもしろいところは、にもかかわらず、模型のなかに、本(らしきものに見える物体)が出てきてしまう、しかもほとんど主役として、というところです。抽象化によって、最初の具体が消えてしまわない。それを、抽象化がしっかりできていないと見るか、それとも具象→抽象→具象という単純な思考のプロセスでないものを模索していると見るか。
南野さんの案を最終講評会に残したのは、実は、その後者であったらおもしろいな、と思ったからでした。本には、無限の側面があります。先の、「精神的に、また身体的に、積極的な働きがあって、はじめて意味を持つもの」というのは、そのひとつの側面です。「匂い」も本がもつひとつの側面。「手触り」も、ひとつの側面。そういう無数の側面の束として、本というものがある。抽象化するというのは、その無数の側面から、特定の側面をとりだして、それこそ本の「本質」とすることです。そして、そういう抽象化によって、なにかをつくると、たしかに目標がはっきりとする。先鋭化する。なかなか便利な思考法です。でも、そうすることで、最初の「本というものは、なんだかおもしろいな」という感覚が消えてしまう。それはとても残念なことです。
だから、南野さんには、むしろ、その最初の感覚を大事にしてほしいな、と思っています。そのために、インターネットとの違いはなにか、という設問がなくなってしまっても、いいのではないか、と。それも入れてしまうのは、ちょっと欲張りすぎ、という感じがしています。

TITLE: 考えていたこと
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コメントありがとうございました。青木さんにコメントをもらってそのコメントの意味を長い間考えていました。前提出した時からの私のイメージというのは本(具象化されたもの)の中にパソコンの機能(映像が見れる、音楽が聞ける)ような場所の提案でした。だから具象の中に抽象があるイメージだったので、もしかしたらそれが抽象化をしきれていないことだったのかもしれません。しかし私が考えていたのは本という具体化されたものが形になって必ず残り、本のもつ面白さを形として表すことだったので、考えとしては具体→抽象→具体に近い考えだと思います。後、青木さんのコメントの中で本=精神的にまた身体的にも積極的な働きかけが必要と書かれていますが、そのような考察はしておらず私的な考察としては人とかかわることで本というものが意味のあるものになるという面白さではなく、本固有の面白さつまり本としてひとくくりにしても大きさや色厚さ手触り(質感)匂い時間による変化(新しいもの→劣化→古いもの→アンティーク)それにより生じる変化、また、ストーリー、ジャンルというものが見えないのに本という壁を越え繋がっていること、それらが本の面白い所だと感じたので今回本を対象にした理由です。だから、青木さんのコメントを読んで自分なりに整理してみると本という具体の中の本の持つポテンシャル(具体的、抽象的部分も含め)を建築に具体化し、パソコンの能力(映像、音楽)という抽象的なものをその建築にインプットすることでその建築に存在する理由を持たし、それが街の中での新たな本の形になるのではないだろうか、ということです。まだ言葉足らずかもしれませんがこういう風に私は考えています。最終講評までもう時間がありませんが、このコメントを読んでもらえると幸いです。ありがとうございました。

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