【対話篇 青→花 10】RE: 中間講評会を終えて

こんにちは。青木です。
この前の土曜日は、お世話になりました。
(会場の準備をしてくださった方々には、とくにお世話になりました。ありがとうございました。)

ぼくも、中間講評会があってよかった、と思いました。
自分では言うまでもないと思っている前提というものがあって、でもそういうものは、やっぱり言わなければ伝わらない。それにいまさらながら、気づきました。

ひとつは、花田くんが書いているように「敷地が必要」ということです。もちろん、これは具体的な、どこどこの敷地という設定が必要ということではありません。そうではなくて、日常の世界との接点をもっていてほしい、ということです。

「感覚誘導装置」とでも言っていいような空間があります。たとえば、「アイソレーション・タンク」とか。なかに入って、光や音が外界から遮断された状態で、比重の重い液体に寝そべって浮かぶための容器のことです。アイソレーション・タンクは、たしかに人を一種の瞑想状態に誘います。ある強い非日常的な感覚を人にあたえます。でも、その非日常性は、日常とは切れています。金沢21世紀美術館にある、ジェームス・タレルの<ガス・ワークス>も、タンクのなかに入る作品ですね。台の上に寝かされて、そのままタンク内に滑り込まされて、視覚を奪われながらも強烈な光の体験があたえられる。こちらの方は、一度、体験させてもらったことがあるけれど、いや、実に刺激的でした。でも、同時に、すごく「やだなー」と思いました。

なんで「やだなー」と思ったか、というと、その体験が日常から切れているからです。その体験が日常から切れているものはいや。だから、ぼくは「建築」をやっています。
と思ってきたわけだけど、ふと見まわしてみると、「美術」だって、「文学」だって、「映画」だって、「音楽」だって、どんなところにも、放っておけば、日常から切れてしまいそうなものを、なんとか日常あるいは現実につなぎとめようという努力があることに気づきました。そうして、ぼくはジャンルを越えて、そういうものに、いいなあ、と思うわけです。

「敷地が必要」というのは、おうおうにして日常から切れた「感覚誘導装置」になりがちなものを、なんとか日常につなぎとめるようにしてほしい、ということなのでした。

ということで、ではまた。

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