【対話篇 青→花 10】RE: 中間講評会を終えて

こんにちは。青木です。
この前の土曜日は、お世話になりました。
(会場の準備をしてくださった方々には、とくにお世話になりました。ありがとうございました。)

ぼくも、中間講評会があってよかった、と思いました。
自分では言うまでもないと思っている前提というものがあって、でもそういうものは、やっぱり言わなければ伝わらない。それにいまさらながら、気づきました。

ひとつは、花田くんが書いているように「敷地が必要」ということです。もちろん、これは具体的な、どこどこの敷地という設定が必要ということではありません。そうではなくて、日常の世界との接点をもっていてほしい、ということです。

「感覚誘導装置」とでも言っていいような空間があります。たとえば、「アイソレーション・タンク」とか。なかに入って、光や音が外界から遮断された状態で、比重の重い液体に寝そべって浮かぶための容器のことです。アイソレーション・タンクは、たしかに人を一種の瞑想状態に誘います。ある強い非日常的な感覚を人にあたえます。でも、その非日常性は、日常とは切れています。金沢21世紀美術館にある、ジェームス・タレルの<ガス・ワークス>も、タンクのなかに入る作品ですね。台の上に寝かされて、そのままタンク内に滑り込まされて、視覚を奪われながらも強烈な光の体験があたえられる。こちらの方は、一度、体験させてもらったことがあるけれど、いや、実に刺激的でした。でも、同時に、すごく「やだなー」と思いました。

なんで「やだなー」と思ったか、というと、その体験が日常から切れているからです。その体験が日常から切れているものはいや。だから、ぼくは「建築」をやっています。
と思ってきたわけだけど、ふと見まわしてみると、「美術」だって、「文学」だって、「映画」だって、「音楽」だって、どんなところにも、放っておけば、日常から切れてしまいそうなものを、なんとか日常あるいは現実につなぎとめようという努力があることに気づきました。そうして、ぼくはジャンルを越えて、そういうものに、いいなあ、と思うわけです。

「敷地が必要」というのは、おうおうにして日常から切れた「感覚誘導装置」になりがちなものを、なんとか日常につなぎとめるようにしてほしい、ということなのでした。

ということで、ではまた。

[対話篇 花→青 9] 中間講評会を終えて。

10月4日(土)、青木君の特別講義とオープンスタジオの中間講評会、無事終わりました。お疲れさまでした。
参加者は、学内からと学外から半々くらいでしたね。「応募登録したひと手をあげてー」と尋ねるとたくさんあがりました。期待大。

特別講義は、メルクリとの展覧会に青木くんがスタディ模型を提出した住宅の設計プロセスを、そのときの模型や図面で詳しく説明してくれました。
99案の関係は相変わらずスムースに頭に入っては来ませんし、その一方で最終案がなぜ最終案として青木くんが納得したのかもわかるような気もするし、でもそれは残り98案の上に成立しているようには見えないし、というわけで、相変わらず青木くんの設計プロセスは謎に包まれたままなのですが、しかしそのことよりも、99案および現在も条件を変えて同じ敷地で続いているという多くの別案のスタディの圧倒的な迫力というか、青木くんが、まさに建築という「言葉」を巧みに操って「文章」を組み上げている様子が、圧倒的な生々しさで伝わって来ました。こんなの見ていいの、見せていいのという感じでした。建築の設計プロセスが直線的であるはずはないと頭ではわかっていても、どこかそれを期待する部分があるとしたら、この生々しさが、そういう幻想を完全に打ち破ったと言い換えてもいいです。

さて、今回は芸工大の学生7名の作品の講評でした。
学部2年から修士2年までいたので、作品のレベルもさまざまでしたが、普段の課題でも、中間講評はとにかく問題点の早期発見、課題の目指すものの確認、そしてその超え方への感触の獲得が最大の目的なので、その意味では、価値ある会だったと思います。

いずれ出現させたいと思う空間の質を示す「模型」を考え、それを「建築」化する際には、それによって現実の空間の一部を変化させていること。課題の主旨はそういうことなんですね。
もちろん設計とは常にそれをやるわけだけど、実際の仕事では相当意識的でいない限り、「いずれ出現させたいと思う空間の質」はできあがってしまった「建築」が結果的に決めてしまっているということになりがちです。
今回の課題は、その「いずれ出現させたいと思う空間の質」を、あらかじめはっきりと認識し、そこから出発しようということなんですね。しかも「あらかじめはっきりと認識」する手段として「模型」を使う。だからその「模型」は、いつも作り慣れている模型とは、素材もスケールも違うはず。
感覚で考える、みたいな矛盾したことが必要なんだろうな。感覚を研ぎ澄ませて、それにフィットした「模型」になっているかどうかを考え抜く、というか、感じ抜く。
でも、考えるっていうことは、どんな場合でもそういうことだけどね。

その次には、「模型」から「建築」への距離もよーく考えてほしい。
講評のときも言いましたが、Y君の「ブランコ」を例にすれば、「重力からの自由な状態」の象徴として「ブランコ」や「ターザン」を「模型」として示すのはいいとしても、それを「吊られた構造」へと「建築」化したのではつまらないということです。
そうではなくて、たとえば、「重力から自由」→「場所がひとつに固定されない」→「ここにいるのにあそこにいるような気がする」と連想を進めると、青木くんがリュベトキンのペンギンプールのスロープを例に言ったような感覚(=「ペンギンに見られているだけでなく、自分もあのスロープをよちよち歩いているような感覚に襲われる」)が得られるからこそ、単に構造的に浮いて見えるからではなく、それが「重力から自由な状態」の「建築」化だということになるわけです。
よーく考えよう。

ところで、青木くんが、7作品すべて「敷地」がないのは変と指摘してたけど、学生諸君はきっと「え、敷地がいるのか」という感じではなかったかな。梯子をはずされた感じがしたかもね。
このあたりが青木くんの青木くんたる由縁という気がしますが、??と思った人は、表参道のルイヴィトンについて『新建築』に彼が書いた解説を読むといいよ。それでわかると思う。

中間講評の希望者は、なぜ男子学生ばかりだったんだろう。
偶然と思いたいけど、こうやって長々と議論すればするほどその意味が無くなっていく感じがすることから明らかなように、今回の課題は、まさにそういった「男性的な発想」の対極が求められていると思います。それをできるのが女性だ、などとは必ずしも思いませんが、男性である私としてはものすごく期待してしまいます。
ハナダはふだんから理屈っぽい、ゆえにハナダが関わっているこの課題は理屈っぽい、という推論は成り立たないからね。理屈っぽいハナダが自分の理屈じゃ到達できない世界を探している。そう思ってねと、これは学内女子学生さん向けメッセージ(笑)。

[対話篇 花→青 8] 思い出したこと。

ああそうかと思ったことがあったので、少し。

昨年の夏、横須賀美術館に行ったときのこと。山本理顕さんの設計の建物ですね。それを見たかったのはもちろんですが、僕にはもうひとつ目的があって、それは庭に設置された若林奮の作品でした。

僕はこの作家の立体やドローイングが昔から大好きで、それが大きなスケールで外部空間にあるというので楽しみにして行ったんですね。
でも、生意気なようですが、ちょっとがっかりした。

タイトルは「Valleys;2nd Stage」。それが文字通り鉄板でできた谷間として、ランドスケープデザインの一部になり下がっていた、少なくとも僕にはそう見えた。
そこには、たとえば彼の「振動尺」シリーズ、「雰囲気」、「所有・雰囲気・振動」、「森のはずれ」といった作品がもつ詩的な想像力を喚起する力はなくて(学生諸君へ:知らない人は画像検索して下さい)、おしゃれな風景の一部に取り込まれてしまっていた、少なくとも僕にはそう見えた。

酒井忠康の『若林奮 犬になった彫刻家』に「《ヴァリーズ》についての感想」という文章があるけど、もうひとつ曖昧な感想だ。ひょっとしたら僕と似たような印象だったのではないかと勘ぐりたくなる。

で、先日の青木くんからの便りを読んで、去年のこの出来事を思い出したというわけです。

僕らの対話篇での言葉でいえば、「模型」が単純に拡大されて「建築」になってしまった、ということでしょうね。

それじゃあダメだ、両者はあくまでも独立した存在なんだ、という前便の青木くんの言葉で、僕は去年の夏の失望感の理由がわかりました。

自分が好きな空間の「模型」を示せといわれれば、僕は若林奮の立体やドローイングを真っ先に挙げる。

でもその「模型」を僕たちは自分でつくり、拡大コピーではない操作を経て、「建築」を見出さないといけないわけだ。


(なお若林奮の作品を知るには、豊田市美術館のカタログと東京国立近代美術館のカタログがお薦めです。)

[対話篇 花→青 7] ○○、建築と測りあえるほどに。

われながら愚かなことよと思いますが、やっとわかってきました。
学生諸君は何を今頃バカなことを言ってるんだと笑うだろうなあ。

「模型」ってそういうことか。

自分でつくんなくちゃいけないんだ。
そりゃそうだなあ。

「僕、あんなんがいい」と言ってるだけじゃあだめなんだ。
そりゃそうだなあ。当たり前だなあ。

そういう「模型」って、僕、つくったことあるかなあ。

沈黙

な、ないんじゃないかなあ。

われながら絶望的な気分になるなあ。

怖いなあ。

学生諸君が課題で悩んでいると、現代美術のドローイングや作品を見せて、「こんな感じとかいいやんか」、とか気楽なこと言ってちゃダメなんだ。

それにしてもすっきりしたなあ。

「模型は、なにかを説明するもの、ではなくて、それ自体がなにかであるものです。という意味では、模型と建築を区別することはない。」ということね。うん、なるほど。

「模型、建築と測りあえるほどに」。

僕の目標は「言葉、建築と測りあえるほどに」だとあらためて自分を叱咤激励する、と。

学生諸君、いかがですか。

自信湧いたんじゃない?

やるべきこと、わかったね。

そろそろ夏休みも終了です。
10月4日には青木くんが神戸にやって来るよー。

「建築と測りあえる言葉」をあと2週間くらいでまとめないといけないので、取り急ぎ、今日はここまで。すみません。

[対話篇 青→花 6] クリスティアーネ・レーア

こんにちは。青木です。

花田くんが、花田くんなりの理由で、「なので『晶洞(ジオード)』を使うの止めた」と決めたとき、ぼくもぼくなりの理由で、晶洞の写真は止めようと呟いていました。

理由は簡単。晶洞は、模型じゃないからです。晶洞は、模型じゃない。なのに、晶洞をイメージに使う。それでは、まずかろう。
どうして晶洞が模型でないか、と言えば、まあ、あたりまえのことだけれど、晶洞には意図がないからです。晶洞は、ぼくの意図と関係なく、ただそこにあるだけです。
それに対して、模型というのは、やっぱり、意図的なものです。

模型というのは、たとえば、「晶洞がぼくにもたらした感覚と同質の感覚をもった空間というのはこんなものなんではないか」と思いながらつくったモノのことです。ぼくたちは、そうしてできてくるモノに、「どうぞ、それが、その感覚をもたらしてくれますように」と祈ったりする。という点で、模型は、やっぱり、意図的なものなのです。
もちろん、祈りはいつも聞き届けられるわけではありません。というより、たいていは、聞き届けられません。だから、やりなおす。ここがこうだったから、その感覚にならなかったのかなあ。そこを、いったい、どうしたらよかったのかなあ。じゃ、こうしたらいいのではないかなあ。そんなことをとりとめもなく考えて、で、また祈りながら、もう一度つくってみるわけです。
そうして、つくられたモノがもたらす感覚が、自分が望ましいと思う感覚になったとき、「できた!」というわけです。
模型をつくる、というのは、つまり、こういうことです。

そういう模型ですから、模型には、無限のつくりかたがあります。なにも、スチレンボードやスタイロフォームを使う必要はないのです。というより、使う材料次第で、模型はぜんぜん違うものになるのですから、そんなあたりまえの材料を使って、自分から、わざわざ枠組をつくってしまうのは損なことです。

そうそう、1年くらい前、おもしろい展覧会がありました。「クリスティアーネ・レーア展」という展覧会です。Gallery A4、つまり東京の竹中工務店にあるギャラリーで開かれていました。(http://www.a-quad.jp/main.html →「展示」→「アーカイブ」→「2007」)
作品は、主に植物を使ったもので、枝葉や種子を編んでつくった小さなかたちが、いくつも展示されていました。たとえば、そのウェブページの最初に掲載されている「オオアマナの綿毛」ですけれど、これは、中世のヨーロッパ/イスラムの建物の、あのアーチなりなんらかの繰り返しでできた建物を彷彿させなくはありません。でも、そんなことはどうでもよく、この姿に、ぼくなどは、これを何十倍かして実現された空間を想像してしまうわけです。そして、その想像のなかの世界に圧倒される。
クリスティアーネ・レーアさんがそれを「模型」と呼ぶのかどうかということと関係なく、ぼくが「模型」と呼ぶのは、そうした事態を引き起こす、3次元的物体なのです。

ともかく、模型は、なにかを説明するもの、ではなくて、それ自体がなにかであるものです。という意味では、模型と建築を区別することはない。「模型、建築と測りあえるほどに」。

でも、よくよく考えてみれば、これは、なにも、模型に限ったことではない。つくること一般に言えること。小説だって、映画だって、絵画だって、ファッションだって、きっと、同じことなのでしょう。

ということで、では、また。

[対話篇 青→花 4] 晶洞について

こんにちは。青木です。

この課題で、模型と呼んでいるものが、「『まだ見ぬもの』の原型となるイメージのようなもののこと」というのは、まあ、そのとおりだけれど、「原型となるイメージ」とは、さて、どんなことを指すのだろう?

たとえば、この課題のチラシやポスターは、ぼくが課題をノートに書いたものを利用していますが、最初は、晶洞(ジオード)の写真を使ってもらおう、という案でした。晶洞というのは、外から見れば、どうということもないただの岩石なのですが、割ってみると、内側に空洞があって、その空洞に向かって、水晶やアメジストの微結晶がびっしりと析出している、そんなきれいな石のことです。どうして晶洞かと言えば、ぼくは、これを建築計画の「原型となるイメージ」としたことがあったからです。2005年にあった「ジャイアント・コーズウェイ・ビジターズ・センター」のコンペのことです。
ジャイアント・コーズウェイというのは、その析出した巨大な六角形石柱によるランドスケープで有名な、世界遺産に登録されているアイルランドの海岸です。そんな場所のビジター・センターなのだから、「建築」にまるで見えない、岩石のかたまりのようなものがいいのではないか、と思って、つくった案です。構造は、基本的には、「白い教会」のリング格子を全面的に採用したもの。リング格子が立方体空間を充填していて、結晶のような、その疎なかたまりを洞窟のようにくりぬいて、空洞を得る。
そんな案を考えているとき、こんな感じのものを今までに見たことあるな、と、晶洞のことを思い出しました。そして、そうか、晶洞のような美しさを持った建築になればいいんだ、と思いました。と同時に、「これでできた」と思いました。

問題は、「晶洞のような美しさ」とはどういうもののことで、またなぜそれで「これでできた」と思ったのか、ということですね。

「晶洞のような美しさ」というのは、ぼくたちを日常的に取り巻いている世界のなかの、ごくありきたりのモノのなかに、もうひとつの世界があることを気づいたときの、なんというか眩暈のような感じのことです。「ありきたりのモノ」は、その外側のぼくたちが呼吸する世界を構成するひとつの要素に過ぎません。だから、ありきたりのモノの内側の世界は、物理的には、外側の世界よりはるかに小さいわけです。しかし、その内側の世界を凝視しているうちに、ふと、その関係が反転して、内側の世界のなかに、外側の世界が吸いこまれてしまったような気になってきます。小宇宙の全体性というか、バロックというか。ともかく、そんな眩暈があるのですね。ぼくは、晶洞を見ていると、そんな眩暈に魅せられ、ついつい見入ってしまいます。
だから、「晶洞のような美しさ」と言っても、それは、「アメジストの小さな結晶がきれい!」というような意味では、(まあ、それもまったくないとは言えませんけれど)ありません。それは、ある視覚的入力が「美しい」というような直接的な感情を生起させる、というよりは、今、説明したように、もっと複雑な回路をたどって、ある圧倒的な感覚に捕らわれるという、その昂揚したある精神的状態を意味しています。だから重要なのは、晶洞そのものではなく、そこから感覚にいたる方程式だと言えるでしょう。

では、なぜそれで「これでできた」と思ったのか、です。「晶洞をつくる」というのは、晶洞を似絵と捉えて、晶洞みたいに見えるものをつくる、ということではありません。そうではなく、いま言った方程式の変数に、与えられた条件を代入して、それによってある特定の感覚を生起させる、ということです。
いまここに晶洞があるとしましょう。ひとつの晶洞の姿が、方程式に代入されます。そして、その方程式が運用されて、ある特定の感覚が生起される。しかし、たぶん、その晶洞でなければその感覚が生起されない、というものではないでしょう。他のまったく別のモノであっても、同じ感覚あるいは同じような感覚をもたらすかもしれない。
ただ、その方程式がそこにあることはわかっているけれど、どんなものであるのかがはっきりとしない。だから、つくるということは、その方程式を、つくるということを通して、見つけていく、ということです。なんだか、ややこしい言い方になってしまいますが、つくるということは、そもそも、そんな再帰的表現でしか言えないことなのです。はじめからわかっていることなら、わざわざつくるまでもないのです。
ともかく、こういうことがうまく行けば、晶洞とはまるで違うモノだけれど、晶洞から受けるのと同じようなある特定感覚が生起されることになります。この場合、できたモノは、ある意味、作業の副産物と言えるかもしれません。でも、そういうモノだけが、モノとして自立しえる、とも思っています。

ぼくの場合は、設計の出発点に、「晶洞」と言い切ってしまいます。それから、どういう物理的原因によって晶洞が美しくなっているか(つまり、どうして晶洞はある特定の感覚を与えるか)を考えてみます。それで、きっとこういう原因ではないか、と思われることを見つけます。仮説、ですね。それから仮説を試します。様子を見ます。どうも調子悪いなあ、と思えたら、仮説を調整するか、立て直します。そういうなかでは、「晶洞」はきっかけにすぎません。そうやって、最初に捕らえた感覚に少しでも近づいていこうとします。それが、つくるということです。どこで終わりということはありません。でも、建築だったら、設計の締め切りがあり、竣工があります。そこで、形式的には終わってしまうわけですけれどね。

花田くんは、「実物を見ると、『あ、これは「トレンチ」じゃない「トランク」じゃない』とすぐに思え」た、と言います。
なぜそうなってしまうか、これでわかってもらえるといいのですけれど。

ということで、では、また。

[対話篇 花→青 3]まずは、あれやこれや。

青木淳 様

話の枕に思い出話というのは、授業でもときどきやってしまいます。
『SD』1995年8月号/特集「まちのパブリックスペース」、懐かしいけど、「「オンライン座談会」、かっこわるいですね。」、そうね、まったく(笑)。
この前後の時期、僕はいろんな状況がうまくのみ込めず、おろおろしていた気がします。
青木君が磯崎アトリエを辞めたのが90年、僕が日建を辞めたのが92年で、93年に一緒に「サバーバンステーション」という仮想プロジェクトをやり、『建築文化』にも発表し、そこに青木君は新潟のプロジェクト、僕は「プログラムをめざして」という文章も掲載した。
「サバーバンステーション」のレポートは、勝鬨橋を渡ってすぐの高層マンションの一室でスタートした青木事務所に泊まり込み(たしか2つめの円形平面の部屋)、3.5インチのフロッピーディスクでデータをやり取りしながら、初期のMacでまとめましたね。内容もまとめ方も「凄いぞこれは」と思っていたけど、今から思うと「かっこわるいですね」、です(笑)。
それからしばらくして阪神大震災があり、神戸の東灘区に住む僕は得難い経験をした。松村正恒のことを調べはじめたのがその前の年で、そこからもう10年以上が過ぎてしまった。逆にあの頃から、今までと同じくらい逆戻りすると学生時代になるわけで、卒論・卒計・修論から何も変わっていない自分に行き当たります、と、遠い眼差し。

ひとり感傷に浸ってアホか、という声が聞こえてきました。

「模型から建築へ」です。

全国の(と大きく出ますが、笑)学生諸君、この言葉から何をどんなふうに考えていますか。
東北大の本江先生は「おれが学生ならきっとやる」と学生さんにアジってくれました。ありがたいことです。学科主任権限で本江さんだけには教員特別参加資格をさしあげたいくらいです。
一方僕は、「応募資格のない教員でよかった」と胸を撫で下ろしているくらい弱気な人間なので、ぶつぶつつぶやきながら製図室をうろついて、学生諸君のスケッチの邪魔をするジジイになるのが関の山。

「模型から建築へ」は、「模型」と「建築」という名詞と、「〜から〜へ」という述語(のようなもの)から成り立っています。だから、それぞれが何なのかがわかれば答えが出る、はずはないけど、ぶつぶつつぶやきながら製図室をうろついてみる、と。

(1)「模型」って何や。
世の中にはいろんな「模型」があるんだけど、この課題ではどうとらえたらいいのだろうね。宇宙の模型、原子や分子の模型、プラモデルの戦車の模型、建物の完成模型、西郷さんの銅像、オタク好みのフィギュア。ぜーんぶ「模型」だ。でもこれらは、言うまでもなく、既にあるものの全体像をわかりやすくとらえた代替物。つまり「<既にあるもの>から模型へ」となっているから、「模型」の位置が課題とは逆。こういう「模型」じゃないということだ。当たり前だね。
むしろ、「まだ見ぬもの」の原型となるイメージのようなもののこと、なんだろうな。
もしそうなら、「原型」になるものはいろいろあるよね。言葉とか音楽とか映像とか。
仮にこの課題は、その「原型」なるものを「<模型>として」とらえろと言っているとすれば、「模型」という言葉は、けっきょく「言葉でも音楽でも映像でもなく」、「モノ」という意味になるのだろうか。言葉に拠らず、モノで思考せよと青木君は言いたいのだろうか。
・・・ということを言葉で思考していることの限界と、でも、じゃあ「言葉や音楽や映像を模型化することはできないのか」と、言葉で攻撃を仕掛けてみる。

(2)「建築」って何や。
これはもっとわからなくなる問いですね。何か一定のルールを決めておいて、それを満たしていれば「建築」だと認定するか、あるいは、あの人が「建築だ」と言えば「建築」なんだと認め合う「あの人」を決めておくか。
解答する側としては、「模型」で悩むよりも「建築」で悩むべきかも。「え、これが建築?」と「建築」の定義を揺さぶるようなものを先にイメージすると、「模型」の定義を揺さぶるようなものへ逆追いできるかも。

(3)「模型から建築へ」向かってどないせえちゅうんじゃあ。
この課題は、模型「から」建築「へ」ということで、「模型」と「建築」を分離して考えている。だから、両者が「一体化」しちゃいけない、という前提があるのかな。
たとえば、「模型としての建築」というような言い方があるよね。全宇宙の構造を反映した建築だあ、みたいなノリ。あるいは、この建築は文学理論の反映だ、とか。建築外の何かの構造や要素を、何らかの関数で建築に変換したというような説明をともなう建築。「コンセプト」を高らかに掲げた建築ともいえる。
あるいは、「模型みたいな建築」という言い方もあるけど、それは「コンセプチャルな」建築に対する揶揄、でもある。
いずれにしてもそういうものではない、としたら、<「模型から建築へ」××する>という述語(=「××する」の部分)を、<「変換」「変形」による建築化>ととらえること自体を拒否する必要がありそうね。
そういう「操作」というルートを経ずに原型から(別の産道を通って)出現する建築。
そんなものあるんかいと思うけど、まさに青木君の建築ってそういう感じがするんだから、困る。表参道のルイヴィトンの場合の「トランク」、青森県立美術館の場合の「トレンチ」とか「遺跡」。僕は最初、まさに「原型」「コンセプト」として、それぞれの図像的なわかりやすさに驚き、人ごとながら心配したのですが、実物を見ると、「あ、これは「トレンチ」じゃない「トランク」じゃない」とすぐに思え、いったいどうなっているんだろうと呆然としたんですね。

ずいぶん頭の悪いジジイのつぶやきですが、うだるような暑さの中ではこれが限界。

熱波に揺れる風景の向こうに、こんな戯言を軽々と乗り越える学生諸君の姿が見える。

2008年8月11日 花田佳明

[対話篇 青→花 2]では、はじめますか。

こんにちは。青木です。

花田くんは、「SD」1995年8月号、特集「まちのパブリックスペース」を覚えていると思います。中川理さんと、花田くんと、ぼくとの座談会が掲載されている号です。あれは、座談会と言っても、実際に会って座談会をしたわけではなくて、「パソコン通信」のやりとりでつくった架空座談会でした。今、確認してみたら、タイトルが「オンライン座談会 『公共性』と『表現』を巡って」となっていて、末尾には、ご丁寧にも、「この座談会は1995年6月、電子メールで行われた」と、註がついていました。実際に会って話していないことに引け目でも感じていたのでしょうか。「オンライン座談会」、かっこわるいですね。

95年というと、いま、大学生である人たちからすれば、きっと小学生の頃のことでしょうから、大昔ですね。でも、花田くんやぼくにとっては、「ちょっと前」のことです。というのも、95年というのは、ぼくにとっては、「遊水館」や「潟博物館」の設計が終わって現場に入り、「御杖小学校」の設計がはじまった年です。その頃のことを、ぼくはつい昨日のことのように思い出します。それに、95年は、言うまでもなく、「阪神・淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」の年です。あれは大きかった。いやいや、しかし、そのことについて話し出せば、長くなります。やめておきましょう。

ともかく、花田くんが、「東京にいる青木君と神戸にいる僕との間で膨大な量のメールが往復し」と書いていますが、その一部が形として残っているのが、たとえば、この架空座談会なのでした。

この「対話編」は、そんな架空の対話を花田くんと久しぶりにやってみようという企画です。ただ、公開の場というのが、昔の架空座談会のときとは違うことです。読む人の多くは、きっと、課題「模型から建築へ」に取り組まれている(あるいは取り組もうとしている)学生の人たちでしょう。つまり、花田くんとぼくが、学生の前でしゃべっているという構図です。ならば、いっそ、花田くんとぼくの「架空授業」にしますか、これ。

さて、今日は、花田くんが見てくれた展覧会のことから話しましょう。東京国立近代美術館で、6月3日から8月3日まで開催されていた「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展のことです。ぼくが出品したのは、ひとつの住宅(「M」)の基本構想を決めるまでに、事務所で検討の俎上に上がった99個の模型でした。
でも、これらの模型は、今回の課題でぼくが期待している模型とはぜんぜん違う種類の模型です。どう違うかは、おいおい、わかってくださると思いますけれど、今日は、まずは、これらの模型についてコメントしましょう。

東近美に出した模型は、どれもが、ここでどんなことをすればいいのか、その目標を探すためにつくられたものでした。その試行錯誤です。都市部の住宅を設計すれば、だいたい、設計者に残された自由というのは少ないものです。敷地の条件、クライアントの要望、法律による規制、工事費など、それらの間での適正なバランスを考えていけば、ほとんど案が一意的に決まってしまうのではないか、と思われるほどです。もちろん、それら条件のなかで、もっとも厳しいのはクライアントの顕在的また潜在的な要望ですから、それらを無視したり、クライアントに意見を変えてもらうべく説得したりすれば、設計者の自由はだいぶ増えるかもしれません。でもぼくは、そういうことを、しません。
それでは、設計はつまらないじゃないか、と言えば、そんなことはありません。どんなにガンジガラメに思えることにも、きっと思いがけない、いい解決方法があるはずだと思うし、今までの経験では、実際にそうだったからです。目の前の現実のすぐ向こうには、いつだって新しい世界があるはず、という根拠なき確信がぼくにはあります。

ともかく、そういう設計のプロセスでは、まず条件を整理して、それらにうまく答えられる案とはどういうものか、考えます。それから、その案にデザインとして、どんな可能性があるかを考えます。その道具として、模型をつくります。模型をつくると、いくつかの可能性が見えてきます。可能性というか、まあ、その匂いのようなものですけれど。それでこっちの方に向かえば、きっと展望が開けるのじゃないかな、じゃ、こっちに進もう、というような判断をして、案を調整して、また模型をつくります。Mの99個の模型は、そんなプロセスの痕跡でした。
どんな形なのか、どんな空間なのか、そういうことはまるでぼんやりとしているけれど、できあがって、そこにいたら感じるだろう、ぼくにとって「これだ」と思える感覚を感じられたとき、そのスタディが終わります。なぜなら、その感覚はとても強固なものなので、あとは、なにをするべきか、どちらを選ぶべきかなど、そのあと設計で待っているはずのいろいろの判断が、その感覚に照らし合わせることで、きっと首尾一貫して行なえるように思えるからです。

こういうスタディの模型を見て、そこにどんな感覚を持つかは、かなり個人的なものです。花田くんも、「その道具で何を確認しながら前へ進んでいるのか、僕にはとても追体験できません」と書いています。そういうものなのでしょう。
ぼくだって、「何を確認しながら前へ進めばいいのか」、まさにその核をつかむために、行ったり来たりしてきたわけです。つまり、あそこでは、ぼくはまだ、一歩も前に進んでいないのです。つまり、もし、ぼくがこのMで、今回の課題を出すとすれば、それをはじめる敷居にようやく辿りついた、そういうところなのです。

ということで、では、また。

[対話篇 花→青 1]「模型」にもいろいろありそうだね。

青木淳 様

インターネットが一般には普及していない十数年前。家庭のパソコンは「パソコン通信」なるもので外部とつながっていましたね。今の学生諸君は知らない世界。キーボードを打って指示すると、10cm角くらいのモデムが光り出し、ジーコロコロと音をたてて自動的に電話をかけ、最後にピーピーと鳴ってダイヤル回線経由の通信ができた。
それを使い、東京にいる青木君と神戸にいる僕との間で膨大な量のメールが往復し、そこでの議論は後に僕のいくつかの論文へとつながりました。
あーでもない、こーでもないというやり取りには、しかし基本的に一定の共通点があったと僕は勝手に思っていて、それは、どんな意見も「なるほどねえ」と一旦受け入れた上で、でもここが違うんじゃないか、僕はこう思うけど、と付け加えていくスタイルだったように思います。二人ともの性格なんでしょうね、意識することなく持続されたそのスタイルが、いろんなアイディアを生み出してくれた。
そのやり取りが余りにも多かったせいかな、世の中にはまず相手の意見を否定することから話を始める人もいるんだと気がつき驚いたのは、ずいぶん後のことでした。

今年度、青木君が神戸芸工大の客員教授になってくれ、さてどんなふうに学生の前に登場してもらおうかなと考えているときに思い出したのは、上に書いたような「肯定から始まる議論」の心地よさでした。そして、青木君とのそういう対話を学生諸君にも経験してほしいと思いました。
オープンスタジオに期待するのは、そんな言葉が飛び交う空間の出現。青木君と学生、他の学科教員と学生、青木君と学科教員のあいだで、肯定的な言葉が行き来する空間です。さらには、学外からの参加にも大いに期待をしています。

「そのベースになる旋律を奏でてみよう」と、僕には似合わない文学的比喩とともに思いついたのが青木君との雑談を公開することでした。
実習の授業中に、肝心のエスキスを忘れて学生相手にやる建築談義ほど楽しいものはない。課題を解く手助けになるかどうかはわからないけど、話がどんどん広がっていって、学生の「あははは」という笑い声が引き出せたら大成功。

さて、前置きはそのくらいにしておきましょう。

青木君から示された「模型から建築へ」という課題は、ある意味では設計作業の途中にある自明の変換過程を示す言葉だよね。多くの設計は、模型から建築の実現へと向かいます。
でも青木君の課題は、逆に「建築から模型へ」という方向の考察をしてみてくれというメッセージでもある。つまり、素晴らしい「まだ見ぬ「建築」」があるとして、それが生まれるきっかけになった「模型」を想像しろというメッセージだ。素晴らしい「まだ見ぬ「建築」」を「生むかもしれない」模型ではなく、「生んだ」模型。しかも「まだ見ぬ「建築」」も見せてみろという無理難題。時制がめちゃくちゃです(笑)。

先日、この企画の進め方を青木君と相談するために東京へ行ったとき、東京国立近代美術館で開かれている「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」展に行きました。何しろ青木君の設計した一軒の住宅の生成に関わる「模型」が全部展示してあるというわけだから、見ておく必要があると誰しも思う。
会場では、よくまあこんなにいろんなことを考えるものだと感心しつつ、ほとんど模型どうしの前後関係を読み取れないまま、でも模型ごとに記された全部のコメントを読んでみた。すると、その作業というか体験には既視感があり、何だろうと考えていて思い出したのは、青森県立美術館の見学会。あのとき、建物の裏方の部屋も含めて3、4時間かけて一周し、疲れ果てた体で味わっていた感覚と似ているのですね。
長いミステリーを読み終わり、その満足感、達成感に浸っているうちに、実は犯人が誰なのかがわからないままであることにやっと気づく、とでも喩えてみたくなる、そういう感覚。言い換えると、そこには「全体」を俯瞰できる「模型」がない。謎は解けないのに、あるいはひょっとしたら謎を解きたいなんて思ってないのに、優秀な人材を集めた強力な組織が立ち上げられ、大捜査がおこなわれている。あそこに並んでいた模型はすべて真犯人を知っている。でもそれは全部別々の人なのだ。

模型論というより、結局は青木君の設計論を尋ねているような感じですね。

展覧会のカタログに納められた田中功起さんの「マキシマルな操作、あるいはそばとうどんをいちどに食べながら同時に歌うこと」というテキストは、つくる人間どうしだからか、青木君がたくさんの模型で言おうとしたことを、実にうまく、分析というより、描いていると思いました。
勝手に自分のことに引き寄せるなら、この「・・しながら同時に・・」という感覚は、僕が「青木淳論序説」(『建築文化』9911、2006年に彰国社シナジーで復刻)で最後に図示しながら書いた青木モデル(通称「ずん胴モデル」)に似ているとも思います。たしか、「世界」を縮小も拡大もせず一気にとらえる感覚、とかなんとか書いたこと。

こういう設計の進め方を選んでいる青木君にとって、模型は一番馴染みのいい道具、ということなのかな。その道具で何を確認しながら前へ進んでいるのか。僕にはとても追体験できません。

「鳥の巣」から「編んだような」構造体へ、「伝統」から「木造の垂木のような」コンクリートの細い梁へ、移動する民族の家「パオ」から「東京を浮遊するかのような」少女の部屋のインテリアへ。それぞれ最初の言葉が「模型」です。建築家はそんなふうに「模型」をとらえることがある。でも、「モデル」とカタカナ書きした方がいいであろうこういう「模型」、つまり「全体」を教えてくれるような「模型(=青木モデル)」は、青木君の建築からは想像ができない。

「模型」にもいろいろありそうだね、というところで、取り合えず第一便。

2008年8月4日 花田佳明

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