私のテリトリー ニューマーケット I

2010年6月12日 02:47【アムステルダム, まち, くらし

MY WILLEN EEN STAD MET....この写真はnieuwmarkt広場に面した老人ホームの玄関に掲げられています。
'We want a city with neighborhood where living, playing, working, learning and shopping happens at the same time and close to each other for young and old people.'
1970年代ニューマーケット地区は住民運動の台風の眼でした。当時アムステルダム市は地下鉄敷設と同時に戦後長らく荒廃していたこの地区の古い建物を壊し、大きな集合住宅を建設しようとしていたのです。それに反対する若者たちは空き家を占拠し、住民を結集し、たくさんの建物の外壁に数多くの声明文をペイントしました。

1970年代ニューマーケット地区

機動隊との衝突にまで至ったこの運動は住民たちの敗北に終わり、地下鉄は敷設されましたが、ニューマーケット地区周辺に建てられたのは大規模な集合住宅はなく、シティリニューアルと呼ばれたスモールスケールなソーシャルハウジングでした。そしてこれ以降アムステルダムでは歴史的市街地では大規模な再開発がおこなわれることはなくなり、むしろ歴史的な都市の構造を尊重し、修復、リノベーション中心へと流れは大きく変わっていったのです。この出来事は、人々の新しい生活と新しい都市を白紙から構想し、仕事場、住む場所、レジャーなど機能に分けようとしたモダニズムの都市計画思想への市民の痛烈な批判、否定であり、アムステルダムの都市計画のターニングポイントとして記憶されています。

アムステルダムでも最も活気のある広場実は先日、義理の母が92年間暮らしたアーネムからこのニューマーケットの老人ホームに突然引っ越してきたのです。義母は10日ほど前に不整脈で倒れて腰を痛め、一人で暮すのは危ないという話になりました。それだったら息子と娘の住むアムステルダムの老人ホームに引っ越すことはできないかと電話を掛けまくって偶然空き部屋のあったのがこのニューマーケット広場のFlesman老人ホームだったのです。長年白鳥が集まる森の湖を日がな一日眺めていた義母は、観光客、マーケットに買い物に来る人、カフェでくつろぐ人でいっぱいのアムステルダムでも最も活気のある広場を一望する部屋に移ることとなりました。そして引っ越しが一段落して家に帰ろうとしたところで偶然目に入ったのが、この70年代の住民運動のスローガンでした。

なんという偶然でしょう。というのも私の最初の自宅件事務所はここから目と鼻の先、現在の事務所もすぐ近くなのです。そう、ニューマーケット地区は「私のテリトリー」。17世紀初めに「新しいマーケット」として作られたこの広場はいまだにちょっとした市場です。土曜日にはおいしい野菜、チーズ、パンで溢れるビオマーケットが開かれ、近くには安心してお刺身にできる新鮮な魚を売っている魚屋さんもあり、アムステルダム一押しの4代続いた肉屋さんもあります。そして、ここはアムステルダムの中華街でもあって、日本・アジア系の食材入手に困ることもなく、遅くまで仕事していても夜中の1時にチャーシューメンが食べられるお店もあり、胃袋から都市を分析してしまう食いしん坊な私としてはアムステルダムにこれ以上の場所はないのです。

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