Logbook:Yoshiaki Hanada
2003年8月

花田の大学での暮らし、設計活動、日々の思いを記録します。
御意見、御感想等ありましたらこちらまで。研究室TOPはこちら

2003-8月30日(土)

 事務的な書類づくりで一日がつぶれた。来週はゼミ旅行(新潟)と建築学会の大会、再来週からオランダと旅が続くので、できるだけこういう雑用を片付けておこうと思うのだけどそういう仕事にかぎって集中できない。
 安藤さんの大阪市長選立候補話は、さっそく今朝の朝日に安藤さんが正式に断わったとの記事がのっていた
。まあそうでしょうね。しかし、さすがに塩じいの名前まで出ていたなあ。

 「メイのアメリカ日記」の舞台がバークレーに移った。「この街はやはり変わっていると思う。まず、ヒッピーやフラワーチルドレンがいまだにいっぱいいる」とある。そ、そうなんだ。しかし彼女もよくそんな言葉を知っていたなあ。さっそく検索。ヒッピー=こんなの、とか、こんなの。フラワーチルドレン=こんなの、とか、こんなの
 ここの写真も送ってきた。留学経験のない僕としては、というか合格したんだけど行かなかった僕としては、20代の若い女性がひとりアメリカの地で頑張っていると思うと、羨ましさも入り交じって胸が熱くなる(笑)。うまくいくといいね。頑張ってほしい。

2003-8月29日(金)

 宿題の資料集めに大学への図書館へ。この夏は学科棟の増築工事をおこなっているのですが、その影響が研究室やゼミ室にもおよび仕事にならず早々に撤退。

 『建築文化』8月号と10月号、
『室内』9月号を購入。新しい『建築文化』を買ったのは2年か3年ぶりである(笑)。前者が「U-35のポテンシャル」、後者が「スタディ・オン・スタディ」という特集だ。前者はU(アンダー)-35つまり、35歳以下の設計者の特集で、若い学生とつきあうオジサンとしては押さえておかなくちゃアいけません。後者は青木淳君をはじめとする建築家の設計プロセスをインタビューしたもの。まだきちんと読んでないけど、こういう重箱の隅をつつくような話は好きだしなにより自分への刺激になる。それにしても、この二つの特集を重ね合わせてつくづく感じるのは青木君の相変わらずの突き抜け振り。彼を見てるとU(アンダー)-35とか関係なくなりますね。
 『室内』9月号の特集は「この家に住み続ける」。やはり貫禄は吉村順三。それにしても、何年も住みこなされた住宅をきちんと撮った写真集を、学生も設計者もが容易に買える値段でどんどん出版してほしい。こういう状態に何十年後かになるには今どう設計しておけばいいのかを考える資料として。

 今日の朝日の夕刊に、安藤忠雄さんを大阪市長選に担ぎ出そうという動きが経済界にあるとの記事。冗談ではみんな言ってたことだが、やはり本気で考える人たちもいましたね。御本人は否定されているとのこと。さてどうなるのでしょう。

2003-8月28日(木)

 今日も入試関連の仕事で大学へ。それが終った夕方、院生と共同研究のレポートの打ち合わせ、その後、建築学会の大会発表の打ち合わせを卒業生と、で結構夜中になる。
 一昨日かいた「転送」によるメール右往左往事件ですが、それを指摘してくれた情報委員のK先生によれば、他学科でもやってしまった先生がいたらしい。しかもケータイへも飛ばしたりしてどこかの回線に過大な負担がかかり、プロバイダーから連絡がきたとか。みなさん気をつけましょう。
 私の場合は、同じメールが5〜6通に増殖したとはいえ届くことは届きました。「無限」のループのなかで暴走を続けたのなら届かないのではと不思議でありちょっと物足りなかったりもしたのですが(笑)、そんな素人の疑問にも、「たぶんZAQ(=ケーブルテレビのプロバイダー)側に、同じメールが時間差をおかず繰り替えし来たときには何らかの制限をかける仕組みがあったからでしょう」とK先生は冷静に解説してくれました。

2003-8月27日(水)

 入試関連の仕事で大学へ。

2003-8月26日(火)

 自宅はケーブルテレビ(=zaq)でインターネットに接続している。そこで、大学のアドレスへ来たメールは大学から家のケーブルテレビのアドレスへ自動転送している。したがって家に来たメールは大学で読めない。しかしケーブルテレビのメールにも自動転送のサービスがある。そこで昨日、家のアドレスに来たメールは大学へ転送されるように設定した。すると何が起こったか。
 そう、家と大学とのあいだ
で無限のループにはいり、メールが家と大学のあいだで右往左往したようなんです。
 同じ内容のメールが3、4通少しの時間差で届くことが続き、へんだなあと思っていたら、今日、コンピューターに詳しい同僚のK先生から
、「大学のメールをzaqの個人アドレスに転送されていることと思いますが、 さらにzaqアドレス側からも、大学の方に転送 されたりしておられないでしょうか」というズバリの御指摘メールが届き、やっと事情がわかりました。すぐに家からの転送を切りましたが、同じようなご迷惑をおかけした方々におわびします。でも、メールがたらい回しにあってうろうろしている姿を想像するとちょっと可笑しい。

2003-8月25日(月)

 昼間はすごく暑いが夜はけっこう涼しい風が吹く。
 共同研究の報告書づくりの作業、基本的な材料が揃った。あとは院生に手伝ってもらってレイアウト。
 さて次の宿題へ。ふー。
 最近買った新しい本。『コミック昭和史1〜8』(水木しげる)、『先端芸術宣言!』『ユークリッドの窓』。『先端・・』はいうまでもなく東京芸大の先端芸術表現科の成果を示す本。卒業生はどんな仕事をしていくんだろう。

2003-8月24日(日)

 サントリーミュージアムのディック・ブルーナ展へ。当然でしょうが混んでました。誰か来てるんじゃないかなあと思ってたら、芸工大の院生1+卒業生2の御一行と会う。けっこう楽しめました。若い頃の絵のコーナーで、ある時期からとつぜん線が「ミッフィーちゃん」に変わるのが面白い。その頃の絵は和田誠にそっくり(逆か)。「きゃーかわいいー」とか叫んでやかましいひとがもっといるかと思ったけどけっこうみなさん冷静でした(笑)。ユトレヒトで本場のミッフィーちゃんに会ってこよう。こんな本買ってユトレヒトの重要なポイントを研究している。
 共同研究の報告書づくりの作業、続き。
 「メイのアメリカ日記」、舞台がバークレーに移りました。

2003-8月23日(土)

 ここ2、3日、本来の夏の暑さが戻ってきた。でもまあ扇風機だけでなんとかなる。
 住宅、熊楠コンペ、小学校改造、梅干し屋と、小さないがらも設計と現場が続いた8月だが、ちょっとその嵐が去って夏休みの宿題が気になってきた。頭の別の場所のスイッチを押さなくてはいけません。
 今日は終日、昨年度の芸工大の共同研究の報告書づくりの作業。いくつかの住宅を拝見したレポートである。野里の長屋(工作隊)、BARN-5(吉本剛)、借家生活3'(駒井貞治)、桜木舎・想舎(中東壽一)、黒沢隆自邸(黒沢隆)、植田実自邸(植田実)と見学し、設計者と住み手にお話をうかがった記録である。今日は、学生にテープ起こししてもらってなかった黒沢隆邸での録音を聞きながら文字化した。
 われわれが到着したときにはすでにお酒のグラスをだいぶ傾けておられた黒沢さんとの会話は、奥様の強烈なパンチもクロスしてとても面白い。あらためて文字にして印象的だったのはたとえばこんなこと。勝手に貼ったら黒沢さんから怒られるだろうが、でもまあ関心のある向きにはかなりナルホド感のある発言だと思うのでお許し下さい
。 なお黒沢さんについては、僕も、彼の『個室群住居』(住まい学大系)という本の栞に「個室群住居が教えてくれたもの」という文章を書いていますので、御興味のあるかたはぜひ読んでください、と宣伝。

花田 やはり一般解として、大人の夫婦の個室は正しいと確信されている・・。
黒沢 花田センセイですら、ひとつの住居というものを前提として、そのなかに寝室を分けるということを軸にして、私の主張したことを考えてらっしゃるけども、私の主張の本質は、それぞれの人間に住居を分けるということしか言ってないと思うんですね。
花田 住居を分ける・・。
黒沢 だから、それぞれが自立した人間として生きていって、ということを個室群住居で言ったつもりなんで、そういう意味では「武田先生の住居」はa 個室群住居であり、この家もまたa 個室群住居であると思っています。だから、a 個室群住居である以上は、寝室が一緒であろうが二つであろうがあんまり本質的な問題ではない。ただそれだけなんじゃないかな。

花田 山本理顕さんのやられたことはどう思いますか。
黒沢 彼は一緒の研究会をしたこともある。彼は非常に上手な言い方をする。今までの作り方とちょっとでも違うことを仕掛けてあげれば、家族というものをそういう家に住むことを通じて考えるチャンスがある、と。そういうことを私は仕掛けたいとおっしゃるわけで、非常にきちっとしたことをきちっとおっしゃっていると私は思います。彼が作ったものは解答でも何でもないし、ただそういうことは有効なことではないでしょうか。
花田 それは既に黒沢さんが言われたことではないでしょうか。
黒沢 (笑)そういうずうずうしいことを私は言うつもりもないわけで。もし私が彼にきっかけをつくったとしたらもって銘すべきことだと思っています。
花田 誰が早いとか遅いとかいう問題ではないとは思うんですが、僕も『jt』で「拡張された住宅」という文章を書いたときに、こんなことは黒沢隆が何年も前に言ってるじゃないか、と。
黒沢 それをまあつまり、意識の問題とか、いま過渡期の問題とかととらえられたんでしょうから、それはそれでそういう考え方はあるし。それを建築を設計する契機というふうにお考えになったとしたら、それはたいそう立派なことだと思うんですが。
花田 黒沢さんとは順序が違うという感じですか。黒沢さんの場合はそんなことが契機になるとかじゃなくて、人間というのは本来そうあるべきだと。
黒沢 僕は建築の話を借りて社会の話をしただけなのかなっていうふうな気をもつんですけどね。最終的に建築の話をしたかったんじゃなくて、最終的に社会の話をしたかった。
山本さんは逆に社会の話を建築の話にしたということだろうな、と。

2003-8月22日(金)

 梅干し屋さんのパンフレット用写真を撮るというので、皆さんが家具と商品をセットするのをのぞきにいく。撮影といっても素人デジカメだったので、皆さんよりは建物を撮り慣れている僕も撮影しデータをあずけてきた。今日はラジオの取材もあリ、皆さん張切っておられた。繁昌するといいなあ。手伝ってくれた諸君、こんなふうになりました。どう?
 ちなみに、お店の場所はここです(+印のとこ)。JR住吉駅を北側に出て、有馬道商店街を北へ。ふたつ目の路地を右へいくとすぐ分かります。ゆば豆腐で有名な山口豆腐店の向いの路地。また、以前も載せたとは思いますが、お店をやっておられ
るのはこういうグループ。9月6日オープンです。近くにお出かけの際はぜひ。


2003-8月21日(木)

 昼間は、小学校の空き教室利用プロジェクトの現場へはじめて行った。2学期からの利用を目標に工事が進んでいる。このプロジェクトは基本計画案を研究室でつくり住民の組織へ提案したわけだが、実施設計や現場監理はもちろん神戸市役所である。設計したのに直接口を出せない現場が家のすぐ近くで動いているというのはじつに精神的にこたえます(笑)。でもまあ、今日、工務店の担当者から決まった仕上材料や色の概要を聞くと、そうびっくりすることにはなっていない。格子状の棚は生き残っているし、全体の色合いも許容範囲。あとは家具がどうなるかだ。これは僕の方で案をつくって提案はしたが、たぶん実現の可能性は低いだろう。学校の空間の質を変えるには、まずは家具からだと思うんだけどなあ。

 夜は、梅干し屋プロジェクトに家具が搬入された。こちらはきちんとデザインしてつくったもの。しかも、山隈君の教え子の若い男の子が製作までおこなった。いろんな組み合わせが可能な、机とも椅子とも棚ともつかない面白いものである。明日の朝に清掃がはいって、完成。あとは9月6日のオープンに向けてスタッフの方々が空間を使いはじめる。

2003-8月20日(水)

 梅干し屋プロジェクト、壁仕上げの日。この企画のスタッフの方々はもちろん、応援団もたくさん集まってこられました。こちらは、工作隊の一員でもある画家の谷本天志さん、山隈君、私、それに4年生・院生・卒業生あわせて8名。イベントとしても学生諸君と僕の勉強としても、そして何より建物の仕上工事としても、うまくいったのではないだろうか。一般の方々は、最初はこわごわだったけど、上手に梅の花のレリーフをつくるひとが現われ、こちらからひとつの壁面を皆さんに提供し梅の木をモチーフに仕上げてもらうことを提案すると、とたんにみなさん張り切って、結果的にとてもいい感じの壁画ができた。参加してくれた学生諸君!ありがとう。






2003-8月19日(火)

 大学へ。ゼミ旅行の打ち合わせ。入試関連の仕事。夕方、梅干し屋さんの現場へ。今日は壁の下塗り。ゼミ旅行の打ち合わせを終えたゼミ生3名は先に駆けつけ、山隈君の指導のもと、生まれて初めての左官仕事(石灰クリームです)に励んだ。クライアントのおひとりも参加。明日はいよいよ仕上げ塗りである。学生も増え、クライアント側からもいっぱい参加の予定。

2003-8月18日(月)

 目の調子が悪く甲南病院へ。老眼が進んでいるのは仕方ない。新しい眼鏡用検眼をあれこれやって半日がつぶれる。涙の出がかなり少ないとのことで、「人工涙液」と書かれた目薬をもらう。これが実に気持ちが良い。視界がさあーっと晴れ、ごろごろ感がなくなった。鬼の目にも人工涙。

2003-8月17日(日)

 大学へ。南方熊楠のコンペ、ついに完成。中央郵便局から送付。今回は最初の案からの変貌ぶりが大きくて、学生諸君も僕自身もとてもいい経験をしたと思う。

2003-8月16日(土)

 大学へ。南方熊楠のコンペだ。院生諸君との作業。設計趣旨を書き、いろいろと指示をし、最後のだめ押しのアイディアを出し、そして弁当とおやつの買い出しに走る。院生諸君の手が止まらないよう言葉のアクセルを踏み続け、そのたびにグイグイと案の細部やプレゼが変わっていくドライブ感がたまらなく嬉しい。院生諸君、よく頑張っています。深夜1時頃まで大学。あと1日。

2003-8月15日(金)

 お盆とは思えない涼しさ。クーラーを使わないわが家にとっては大助かりだが、異常気象なのではと気になります。
 運転疲れがまだ出ないのは歳とった証拠ですね。妙に元気で大学へ。お盆休みの小さな私大はほとんど人影がない。が、院生諸君が南方熊楠のコンペをやっている。最初の案からすればずいぶんと遠くへきた感じ。ちょっと笑ってしまうデザインとなりましたが、僕は結構気に入ってます。まだ写真を載せるわけにはいきませんが、昨日までいた松江にひっかけるならこんな感じとでも言いましょうか(笑)。
 終戦記念日。ニューヨークは大停電。

2003-8月12日(火)〜14(木)

 大山〜境港〜松江、をまわってきた。
 中国自動車道をおりてすぐの鳥取県溝口町は、「鬼」をテーマにした町づくりで有名である。少なくとも僕の講議「建築空間のデザイン」では、相当有名にしています。こーんなものが山の上にあったり、こーんなものがインターを下りてすぐ見えたりするからです。これほど情けない気持ちになれる町も珍しい。今回も寄ってみましたが、都会から帰省したと思われる若い子連れの夫婦と地元に残る親御さんがぱらぱらといらっしゃる。自分たちの町の税金の使い方について、いったいどんな感想をおもちになるのか
。文字どおりのハリボテ建築と、ここまで何も考えてないケースも珍しいと呆れるばかりの展示内容。鬼ミュージアムは必見です。
 境港といえば水木しげる。鬼太郎と妖怪の町ですね。有名な水木しげるロードがあって、今年さらに水木しげる記念館もオープンした。3度目の訪問になるが、観光客の数の多さと年齢層の幅の広さに驚いた。わが家はみんな水木しげるや鬼太郎のファンなので、そのことを差し引くとしても、この繁盛ぶりはたいしたものだ。もちろん、お土産物屋としての繁盛であって、もともとの商店街としてということではない。でも、たとえば鬼ミュージアムと比べると、きちんと作り込まれたオブジェがあり、見応え読み応えのある展示があるという点で、境港の方が数段智恵を使っている。この違いは、キッチュなデザインだとひと括りにして済ませられる問題ではないだろう。
 松江では菊竹清訓さんの島根県立美術館がなかなかよかった。 ロビーまわりにかつての「コミュニティバンク」の雰囲気があるように思いました。不思議な屋根の形もいいです。宍道湖の対岸のホテルに泊まったのですが、そこからの見え具合も印象的。ミュージアムショップのまわりのがさがさした感じと、どこかの本社ビルのような割り付けの石貼りの外壁はもうひとつではないだろうか。

鬼ミュージアム。鬼の内部はがらんどうで螺旋階段で登れます。さいごは口から町が見下ろせる。トホホ・・。

2003-8月10日(日)

 山隈直人さんといっしょに設計している住宅の住み手との打ち合わせ。だいぶまとまってきたが、昨日の今日だけに、これでいいのかという思いも消えない。そのあと梅干し屋さんプロジェクトの現場へ。セルフビルド壁の仕上げ実験。石灰クリームをみんなで塗ろうとしています。

 松村正恒設計の江戸岡小学校がこの夏から壊されることは以前お知らせしましたが、最近現地を訪れた阪大院生のM君から写真が届いた。自由に使っていいとのことなので、さっそくここに載せさせていただきます。
 現在、校庭に仮設校舎を建設中。9月から職員室や一般教室のある棟(この写真には写っていないが、画面の左側)を壊して新校舎の建設を始め、完成後(僕が聞いている話では)来年の夏休みにこの写真に見える特別教室棟を壊すらしい。あーあ、いよいよだ。
胸がつまります。

2003-8月9日(土)

 建築家・竹原義二さんの御自宅をゼミ生とともに見学した。構造計画、平面計画、素材の選択、住まい方、すべての完成度の高さに圧倒された。結局、午後2時から夜の8時過ぎまで、あっという間に時間が過ぎていた。ご迷惑もかえりみず、6時間以上もいたことになる。その間、僕を含めて誰ひとり帰ると言い出さず、居心地の良さに身を任せてしまった。台風が去ったばかりで、午後は一時雨が降り、夕方には晴れ上がった空の夕焼けも楽しんだ。そして夜の帳が降りた後の素晴らしい光の演出も。なんという贅沢な体験だったことか。新鮮で衝撃的な体験の連続だったが、そのなかでも、竹原さんが内外の空間の比率を1対1にしたと説明している平面計画の効き具合に僕は一番感動した。自分がいま内部空間にいるのか外部なのかわからなくなるのだ。これはじつに不思議な体験だった。

2003-8月8日(金)

 台風が接近してきた。午後から次第に風雨が強まってきた。遠くの海の方の変化を見ていると、次第に北上してきていることが実感される。現在深夜、室戸岬から和歌山方向へ進んでいるらしい。終日、家に閉じ込もり、昨日のレポート関係のまとめ、大学のある雑用、共同研究のまとめ作業などをやる。少し面白いことに発展するかもと思えるやりとりをメールでいくつか。

2003-8月7日(木)

 午前中、宮本佳明さんの設計した「SoHo」のオープンハウスへ。山隈君もいっしょ。ふたりであーだこーだと意見交換。すぐ近くに坂倉の正面のない家シリーズの1軒がある。そういえば昨年の夏休みの宿題だった。
 「建築空間のデザイン」のレポートの採点を続け、夜中に終了。結構手間どった。理由ははっきりしている。インターネットがらみだと書けば大学教員の方ならわかっていただけるのではないだろうか。探偵になるのは決して気分の良いものではない。原因は少数の学生とはいえ毅然とした態度で評価し、全員への警告メモもつくる。
 コンペ案について、院生からスケッチがメールで送られてくる。便利だ。

2003-8月6日(水)

 「建築空間のデザイン」のレポートの採点を続ける。
 夜、山隈君の事務所で打ち合わせ。コンペと住宅。またも深夜。院生にコンペ案についてのスケッチをデジカメで撮って送付。
 2人のひとから某大学の人事について話題が出る。情報源はともにインターネット上の某氏の日記。僕も同じところで読んでいた。よくこ
んなことをこんなオープンな場所に書くもんだとびっくりする。院生諸君、ハナダの予想は当たりです。
 『小説の解剖学』『英語類義語活用辞典』。

2003-8月5日(火)

 午前中、木の塀のブラシでごしごしこすり、汚れをホースで洗い流し続ける。表裏すべて終了。われながらよくやった。この塀は引っ越してから初めて洗った。3年間の汚れはかなりのもの。この辺りは山の上だけど意外に空気がきたないのかも。海側の工場地帯の空気がのぼってきて六甲山にあたって降り注いでるんじゃないか、などと素人考え。腕が真っ赤に焼ける。
 「建築空間のデザイン」のレポートの採点を続ける。
 塀をごしごしやっていると東京から電話。そんな呑気なことやってる場合じゃないよという感じでたいへんな宿題原稿が舞い込んだ。果たして僕にできるのだろうか。


この塀の裏表をひとりでごしごし洗いました。右の写真で汚れ具合がわかります。

2003-8月4日(月)

 夕方、脚立を買ってきて木の塀をブラシでごしごしと洗いはじめる。道路側終了。
 前期の講議「建築空間のデザイン」のレポートの採点を始める。

2003-8月3日(日)

 家の居間の前の木製デッキを朝からブラシでごしごしと洗う。きれいになったのでニーチェアを出してお昼。夏の光に満ちた庭。

2003-8月2日(土)

 昨日、今日と芸工大のオープンキャンパス。入試・広報委員である私は、それはもうたっぷり働きましたっ!あらためて、こういうイベントに限らず、大学はそこを訪れる人に対し、歓迎!っていう雰囲気をもっていることが大事なんだと思いました。学生や受験生についていえば、自分がひとりの個人として大切に扱われているっていう実感を抱いてもらうことが必要ですね。2日間、いろんな高校生や編入希望の短大生やもう少し歳をくった大人などいろいろな方に会ったうえでの感想です。

 昨日は行事終了後、H大学S先生らとオランダ行きの打ち合わせ。9月初めにオランダのモダニズム建築を見に行きます。穴場、面白い本屋など、情報お持ちの方、教えてください。
 今朝は大学へ行く前に近くの小学校へちょっとだけ立ち寄る。例の「空き教室利用プロジェクト」がついに着工し、現場を地域の人と見に行きました。夜は、再度学校へ。改装する部屋に入れる家具などを地域の方々と打ち合わせ。当然のことながら、みなさんこういう作業に慣れてない方々ばかり。こちらの立場も中途半端。なかなか難しい。

 そんなこんなで、昨日今日と、ひとり走り回る中小企業の社長さんといった感じの私でした。ふ〜〜。
 大学の前期の大きな仕事はこれで終了(のはず・・)。昔からの宿題と夏休みの宿題にとりかからなくては。