海ギャラリー模型制作プロジェクトについて

第5章 各メンバーの活躍
 数週間が過ぎた。ラボには完成したパーツがだんだん並びはじめてきた。
 中でも目を引いたのは階段。担当は富下倫基君。下関出身で寝坊をよくするおっちょこちょいだが、模型の腕前は先生も唸るものがある。実物の階段は、2階のスラブに負担をかけないよう、1階床からの片持ち梁で2階スラブにくっついていない。階段自体の支えも上に上がるほど細くなる。僕らの不安材料は手摺り。実物を1/20に縮尺すると、手摺は2ミリで手摺子は1ミリ。どうやって接着するのかと悩んだがさすが富下君。カネダイン、つまり速乾木工ボンドを駆使し、見事に階段を仕上げた。
 外壁のレンガをいかに表現するか。検討を重ねた結果、シール用紙を目地の部分だけはがし、それにスプレーで塗装をかけ仕上げることになった。担当は、こちらも模型が得意で几帳面な朝倉一樹君。手袋をはめて模型を作る几帳面さが有名だった。指紋一つも許さない気合の入れよう。しかも軍手などではなく、カメラ屋で入手する薄い手袋。
 目地を切ったのは伴美矢子さん。男の多いゼミ生の中、貴重な女性二人の内の一人。み
んなのアイドルである。毎日毎日、目地を切ったりショーケースの中の貝をピンセットで一つ一つ写真を元に並べたりと、根気のいる細かい作業をやってのけた。
 もう一人の女性、宮崎ちひろさん。宿直室の内装を担当。女性なのに夜11時まで残って作業することもしばしば。
 それから、目立たないが常に図面と格闘し屋根の勾配、壁厚、壁の傾きを計算し図面の間違いまで発見した小林真輔君。おとなしいが美しい物を作る気持ちは人一倍強い。メロンパンを毎日食べていた。
 正面妻側の内外壁を担当したのは峯川航君。途中、材料の変更でゼロからのスタートを余儀なくされたが、ここは職人。黙って両サイドともをやってのけた。物言わぬ背中が闘志を感じさせた。ダンス好きで常に体が動いていた。ちなみに、林昌二先生の人形を作ったのも彼である。展示されなかったのは残念である。ダンスは別腹。こんな名言も生まれた。
 そして屋根を担当した安藤達哉君。図面の解析はゴールデンウィークに終わっていたが、接着は最後との事でその間、打ち放しの壁の表現を見事に成し遂げた。皆さんはどうやってあれを作ったかおわかりでしょうか。ジェッソとメンディングテープを使用。イニシャルは世界のA藤T雄と同じ。皆のピンチを救った。
 それから、誰よりも早くやる気を見せた中家淳君。彼のつくった平面図がすべてのベースとなった。切り出しは大変で、1900×950mm。畳一枚分である。大きかった。毎日カップ麺を持参し一人で食べていた。あのにおいは時に皆を狂わせた。
 院生唯一のメンバーは新宮岳さん。2階のショーケースを担当してもらいました。サッカーが大大大好きで、テレビ観戦のためいつの間にか帰っている。先輩という点で皆の精神的支柱。ご意見番。後輩の僕が依頼した仕事も難無くやってくださいました。
 そして私、東端秀典。ラボの使用許可書、材料、弁当の手配、掃除、スケジュールや予算の管理、先生との打ち合わせ等、事務局としてプロデューサーに徹すると共に、ショーケース、照明、ガラスブロック等単発ながら模型も作った。自分で言うのはなんだが、い
いムードメーカーであった。
 そして最後に我らが花田先生。追い込みの週末はお土産片手に登場。昔取った杵柄。時に几帳面・小林君に「スチノリはみ出さないで下さい」と叱られながらも僕らと共に模型を作った。作業の合間の矩計図レクチャー、建築家のディティールへのこだわりについての雑談。すべてが勉強だった。

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